離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

視点の変え方

2015-07-30 12:35:28 | 日記
これは、もし

あなたにその余力があればです。

無理をする必要もありません。

苦しいなかにも

あなたには生活があり、

仕事もあり

家事もあり、

きっと大抵は同じ生活リズムでしょう。

多少は違うでしょうが、それでも大きく違うことはないでしょう。

苦しいときは、それだけで精一杯なのですから、

当然、それ以上の変化は望まないし、できない。

ただ、、、

変化したいなら、

変化を自分でつくる手もあります。

それはいつも言うプロセスを信じるというのと違うではないか・・・

そう思われるかもしれませんが、

自ら変化を起こすという行動自体もプロセスの中にあります。

つまりそれ自体も、折込みずみということ。

さて、変化ですが、何も大きなことをすることはありません。

もし早起きができないなら、

1時間早く起きてみる。

そして近所のカフェに早朝から行ってみる。

そうすると驚くくらいに、多くの方が早朝から勉強したり

ジョギングしたりしていることに気づける。

今までは読んだこともないようなジャンルの雑誌や本を読んでみる。

趣味もそう。

あたらしいジャンルの人たちがそこにはいる。

服装でも髪型でも、アクセサリーでも。

今日から朝はコーヒーをドリップしてみるのも変化。

あなたにとってどんな変化が一番かわかりませんが、

自分で変化をつくってみる。

何が一番違うかというと、

これをすることで、視点が変わるのです。

劇的なものではないかもしれない。

けれども、いつもと違うことをすることは

活力になりうるわけです。

ぜひ、自分の生活のなかに

あたらしい何かをひとつでも取り入れてみてほしいのです。

大きなことではなくて小さなことで構いません。

そしてその視点の変化に気づけたら、

きっと自発的に変化させることも楽しくなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きるむずかしさ

2015-07-30 05:06:14 | 日記
これまで、

生きるってことを真剣にどこまで考えてきたでしょうか?

あなたの周囲の人で、どこまで真剣に悩んだ人がいるでしょうか?

生れたときからの障害や、

病気、事故・・・

そして、両親の死や離婚・・・

人生においては、年齢を問わずに、若いうちから

いろいろな苦難がありますよね。

先の9.11のアメリカの貿易センターテロや3.11の震災

さらには、世界中で起きているテロや事故。

日本人が関わる事件だけみても

ほんとうにたくさんの苦しい、痛ましい事件があります。

では、

あなたの周囲の方、どこまでそのことを当事者意識でみているでしょうか。

多くが他人事になっているんですよね。

あなたの身に起きた離婚ということも

経験していない人にとっては、やはり他人事。

いや、あなた自身がそうであったかもしれませんが、

当事者となったとき、はじめてその苦しみに気づいた。

生きるということがどれだけ大変で、そしてただ生きていることが奇跡のような贈り物であるかも。

あなたにとって、今、生きること、耐えることを

体験しているはず。

ただ生きることがどれほど大変なことで、むずかしくて

そしてそれができること自体が、できない人には何ものにも代えがたい奇跡的なことであるかも。

私はいつも思い出します。

ある全日本バレーボールの代表となるはずの女子高生の遺稿となる書籍での言葉。

癌だったと思います。代表目前にして、亡くなられました。

今の全日本の若手と同級生くらい。

その彼女が、どうしても手に入れたくてもいれられないもの。

それは今日を生きるという、ただそれだけの願い。

多くの人が、漫然と生きている、ただの一日。

それでも今日一日を生きられない人がいる。

今日を生きて欲しいと願いつつも、かなわない人たちがいる。

そんな彼女が、ある人に発した、言葉。



「そんなにいらない命なら、私にください」



この言葉の重みは、計り知れない。



私たちにとっても、最後の日、どんなに願っても叶わない一日があるのです。

今、たしかに苦しい、悲しい、やりきれないほどの不安と闘う日々。

それでも、

息ができて、

一滴の水が飲める。

その一日の大切さを、もう一度思い出したいところです。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とらわれの身

2015-07-28 22:04:04 | 日記
離婚して、

それがどのような場合でも

相手への感情があると思います。

怒り、悲しみ、恨み、寂しさ、・・・

とにかく、相手へぶつけたい想い、

相手が幸せになるなんて許せない

天罰が下るなら、相手にしてほしい


その逆に、

相手にも幸せになってほしい

自分の方が幸せになってやる


人それぞれにたくさんの想いがあり、

それは時によっても違うでしょう。

でもほんとうの意味で自由になるには、

もう相手のことを考えなくなる状態。

もう相手はどうでもいい、

相手なんか気にしない

そう思う時点で、気になってしまっています。

視界に入ってしまっています。

たとえば、どうでもいいと言っては語弊がありますが、

まあ好きでもない異性については、

あまり考えもしないし、

そう視界にも入ってこないですよね。

それと同じです。

そこにいるけれども、

あまり気に留めていない。

離婚して、物理的にも、身体的にも

相手と関わってはいないのに、

心が強く縛られている状態。

ある意味で一番、腹のたつ相手に

一番強く拘束されちゃっているんですね。

それはそれで、とても腹がたちませんかね。

だって、自分の人生なのに、

一日中、自分の感情や思考を、相手に支配されているんです。

それはまるで、とらわれているように、

そして拘束されているかのように。

どうしたらいいという方法論はないのですが、

相手に心や思考や感情まで支配されているのかと愕然とする。

そのことにふと、本気で気づくと、

少しずつかもしれませんが、

相手のことが気にならなくなってくる。

十分に悲しみ、泣いたら、

もうあなたは自由になっていいんです。

あなたの人生は今日も一日進んでいます。

だから少しずつでも、自由に生きたいですよね。

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あとできることは何?

2015-07-27 06:44:41 | 日記
人は苦しいときに、

とにかく全力でもがきます。

もがかざるを得ない。

今のあなたにとって、

最大限できることはなんでしょうか?

もう十分に今の苦しみ、悲しみに耐えて、

なんとか日常生活をおくり、

なんとか仕事をして、

お金をやりくりして、

周囲にはできるだけ平静を装い、

夜眠れなくても

食欲がなくても、

身体が調子悪くても、

とにかくできることはやっているんでは

ないでしょうか。

あなたにとって

やれることはすべてやっているのだと思うのです。

それでも、まだできることはないかと

探してしまうのが人間というものですが、

自分を苦しめてしまうだけで

それ以上はあまり良いことがないかもしれません。

日本人は、生まれたときから、

神社仏閣へとお参りします。

元旦もそうだし、

受験勉強や、出産など

あらゆる場面でお参りするはず。

何か神頼みが悪いように言う人もいますが、

それは努力せずに頼むから。

今、あなたができることはやったなら、

あとは、もう人智を超えた何ものからに

お任せする以外にはない。

これは、私が偉そうに言うことでもなんでもなくて、

誰もが冷静に考えてみたらわかることですよね。

ものすごく論理的な結論です。

もうそんなに苦しまなくてもいいんです。

自分でできることは精一杯しているはずですから、

少しはお任せするのも悪くない。

もちろんお任せしても苦しいし、不安だし

きりがないのですが、

それでも、一度は、自分の心の中で、

決めてしまう。

もうできることはした。

もうやりきった。

だからも、もう自分でどうこうしようというのは

一度やめよう。

そう決める。

また何かできそうなことがあれば、してみる。

そしてまた任せてみる。

いつになったら、神様は助けてくれるんだ!!と

天に向かって怒鳴ってみるのもよい。

自分自身を責めて、苦しめすぎないように。

なかなか難しいけれど、

冷静に考えてみて、行き着く先、論理的な結論は

きっと、そこにしかないのじゃないかな。

私はそう思うんですがね。

いや、違う。

ポジティブに考えて、

もっと努力して、

アクティブに動きまくって

・・・

それができて、それも良いと思うなら

もちろんやってみましょう。

でもね、きっとどこかで疲れちゃうと思いますよ、

私も経験があるから、なんとなくそう感じます。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ相手を非難するのか。

2015-07-26 06:52:22 | 日記
おはようございます。

人間関係において、

多くの人が勘違いしています。

職場でも、恋愛でも、もちろん結婚でも。

相手が〇●だから、私は幸せではない。

相手が××だから、一緒にいられない・・・

そんなふうに、いつも相手が、相手が・・・という人がいます。

人間関係は、けしてどちからが無理にがんばるようなものではないのです。

もしどちらかが無理をして相手に合わせているというのなら、

それは相手が依存しているし、また自分も依存しているのです。

依存と聞くと、なんだかとても悪いことのように感じますが、

人間関係、特に恋愛も結婚も、多かれ少なかれ相手への依存はあるのです。

相手に寄り掛かることができるからこそ、安心感もあるわけです。

苦しいときに、寄り掛かれる存在だからこそ、一緒に居られるのも真実ですよね。

でも、時間がたつと、

それがすべてになってしまい、いつのまにか寄り掛かり続けることなる。

いつも言うのですが、

自分自身が成熟していないと、何をしてもうまくいきません。

本質的に合わない相手であれば、それは別れるしかありません。

つまり関係性を維持していくには、

お互いが惹かれているのはもちろんですが、

それぞれが成熟していかないと進まない。

相手を尊敬できたり、お互いに成長できたり。

そもそも相手を非難してもはじまりません。

なんとかできることは自分のことだけであって、

相手のことはどうにもできない。

なんかできるような気がして、あーだ、こーだと言っても

結局は相手次第。

わかってはいても・・・。

もちろんそれでも言ってしまうのが人ですが、

そもそもわかっていない人が多いのですね、

年齢に関係なくです。

苦しみを乗り越えながら、

人とのかかわり方のクセに気が付くことは

これからのあなたの成長にかかせないし、

新たな関係性を築いていく上で大切なことです。

こういうと、猛烈に内省したり、落ち込むようなことになりがちです。

反省をするのではなく、

良い悪いと結論するのではなく、

自分はそういう部分があるのだと気づいていく。

内省は大切ではありますが、ある一定以上は、苦しくなりすぎますし、

あまり建設的ではないような気がします。

それよりも、それをどう活かしていくのか、

そこにエネルギーを費やすほうが、大切だと感じます。

私も含めて、完全に出来る人などいないし、

それに、そんな人は魅力がないのではないでしょうか。

自分の得意なところ、弱いところ、

脆いところ、強いところ、そんな部分があって

あなたの魅力、そして人生なんだと思うのです。

だからこそ、相手だって、完全でなくて良いと安心できるはず。

ぜひ、ゆとりができたら少し考えてみてほしいと思います。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辛さの意味が変化する

2015-07-24 00:00:01 | 日記
離婚して、何が一番つらいでしょうか。

はじめは、ただその現実に圧倒されるか、

現実離れしたことにとまどいながら、

不安におしつぶされるかもしれません。

もう以前のようには戻れないという悲しみ

どうしてこうなってしまったのかという後悔や空しさ、

将来への金銭的な不安

再び結婚できるのだろうか

新しいパートナーは現れるのだろうか

引っ越し、職場での周囲への説明、役所の手続き

親せきや友人への説明

どうしてこれほどにたくさんの苦しみがあるのでしょう。

結婚したのはもちろんあなたですが、

離婚するような悪いこともしていないし

少なくとも感謝もしていた。

性格の不一致というけれど、

長く一緒にいる間に寄り添うものではないのだろうか・・・。

とにかく、離婚という現実には、

経験したことのない人には想像もつかないような

わかってあげたくても、わからないような苦しみが

まるで波のように押し寄せてくる。

でもそれを時系列でよく見てみると

変わらないものもあるかもしれないが、

中身が変わっているものもある。

もちろんその人によって違うのだが、

冷静に見ると変化している。

苦しみや辛さという、ひとくくりにすると

たしかに変わらないのだが、

その中身は変化していることに気づける。

これは現状を客観的にみることの方法です。

苦しみに押しつぶされるとき

完全に苦しみの泡の中に、自分が取り込まれて

何も見えなくなってしまう。

だけど、泡から出てみてると、

その泡の大きさや色なんかも見えてくる。

ときには、

自分の状況を外から見てみることで

冷静さをとりもどすことができるかもしれない。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信じることの本当の意味

2015-07-22 00:01:00 | 日記
最近、本を読んでいて、ある哲学者の言葉で、

なるほどと思うことがありました。

「信仰とは、苦悩の中にあって、はじめて求めるものだ。 
 何事もないときには、人は信仰など必要としていない。」


「神など存在しないという無神論者は、自分は平穏な日常を生きていて、
 まるで、他人事のように、世の中の虐待や、不幸な出来事を挙げて、
 そんな悪がはびこるようなら、神も仏もあるわけがない!という。

 でも、ほんとうに神を必要としているのは、
 苦悩の中にある人、耐えている人なのだと。」


神様を信じなさいとか言うつもりはありませんし、

私も特定の信仰をもつわけではありません。

それでもいつもいうようなプロセスや人智を超えた働きは信じています。


苦悩や絶望的な悲しみに耐えて、命を自ら絶とうと思うくらいに
苦しみ抜いて、やれることは全てして、

それでもそこから救われないとき、

もう自分でできることがなく、どうにでもしてくれ!というような

半ばあきらめと、やけっぱちの心境になり、

それでも、なんとか助けてほしい、救ってほしい。

そんなことを経験したことがある人なら、

何かを信じることの大切さと、その救いがわかるのではないかと思います。

人っていうのは、どうしても自分勝手なものですから、

自分が元気や幸せなときには、全部自分の力でできているような気持ちになり、

何でもできるような傲慢さもあり、

無意識なうちに、不幸に見舞われている人は他人事のように感じ、

自分はそうではないと考える。

実は紙一重どころか、何も変わらないのに。

人はどうして、苦悩のときに、救いの言葉を本でも人からでも

探すのでしょうか。

自分ひとりではどうにもならないと直観でわかっているからでしょう。

周囲の家族や友人やそういう人の言うことで、

自分が救われないと感じるからこそ、

何か自分が経験したこともないような、偉大な言葉や教えを探すのではないでしょうか。

そこに一筋の光があることを信じて。

今、苦悩にあるあなたには、

何かひとつでもいいので、自分の未来を信じることのできる何か

それを見つけてほしいと思います。

友人でも、家族でも、神でも仏でも、偉大な言葉でも、スピリチュアルでも

心ときめく異性でもいい。

自分がつかめる何かを。

それがあれば、必ず立ち直ります。

いや、そう信じれる何かを探してほしいのです。

ただし、ほんとうにそのことを信じるかどうかは、

あなたが立ち直って、客観的になれたときにしましょう。

冷静さを欠いて、のめりこむのはリスクがあるからです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は変化していく

2015-07-20 00:05:20 | 日記
こんばんわ。

離婚したとき、

恋愛で別れが訪れたとき、

親友と絶縁したとき、

子供が成長して巣立つとき、

多くの人は、

相手と出会ったときから

大きく変化した瞬間を考えずにはいられないでしょう。

あんなに強くお互いに惹かれていたのに・・・

そして生涯を約束したのに・・・

ずっと同じようにしあわせが続くとは思っていなかったけれども、

かといって、別れがくるとは信じられなかった。

なんとか、乗り切れるはずだと信じていた。

現実には、

人は大きく変化していく。

少しずつのときもあれば、

いきなりのときもある。

相手も自分も変わらないと思うのは

少し感覚がにぶいだけではなく、

あまりに人生を知らないというしかない。

でもそういう人が周囲にたくさんいるのも事実。

最近、ある人と話していて、

「おや・・・っと、感じたことがありました。」

48歳ぐらいで最近、職場が変わって単身赴任した男性。

お決まりのようですが、家をローンで買ったばかり。

単身付近とはいえ、週末には毎週帰れる距離。

その方が、その人事異動に、そして以前と違う活気あるというか

少し忙しい仕事に対して、ふと言うのです。

「そっとしておいてほしかった。俺の穏やかな日常を壊さないでくれ。」

何か多くの人の生き方を代表しているような発言。

なんかこれを聞いたときには、ふと力が抜けるというか、

この人、大丈夫なんだろうか・・・って感じました。

大丈夫なのか?っていうのは、この先、生きていけるのかって。

この人が特別なのではなくて、

日本人の多くがこのパターンかもしれません。

人も人生も変化していくもの。

同じところに長くはいない。

いつもいうように、永遠なんてものはない。

そう感じられるだけ。

安易に好転するとか言うことではなくて、

良くも悪くも変化していくというのが事実。

だけど悪いことも底を着けば、昇るしかなくなる。

お釈迦様が言った 「諸行無常」

これは真理だと思うし、実際そう感じることが多い。

だからこそ、絶望だけではなくて、希望もある。

変化しない永遠があるのだとしたら、

絶望したとき、とても生きていけなくなるではないですか。

必ず変化する。プロセスが進む。

そう信じるからこそ、今を耐え抜けるのではないかと。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

決めつけない

2015-07-18 16:43:35 | 日記
苦しいとき、

さびしいとき、

不安なとき、

将来はまるで暗闇に見え、

おとといも、昨日も、今日も大きな変化なく

だから明日も、あさっても変化などないように感じる。

孤独に押しつぶされそうになりながら、

独りで、部屋にいると、誰とでも良いから会話したくなる。

いや、だれかにすがりたいという強い想いにとらわれる。

昨年の今ごろ、今日という一日を想像できなかったように、

来年の今頃もわからない。

それが真実。

人生の流れは、予測できない。

信じることしかできない。

だが、あなたがあなた自身で決めつけてしまえば、

限りなく、そうなる可能性が高くなる。

たしかに、今のあなたは苦しいし、さまざまな不安で

おしつぶされているかもしれない。

だから、どうしても物事を客観的にみることはできないかもしれない。

それはしょうがないこと。

だけれども、

未来は、だれにもわからないのが真実なのだから、

少なくとも自分で心も未来も閉じるのはやめませんか?

祈ればいいとか、信じるだけでいいとか、

それで救われるとか、そんなことではなくて、

明日と言わず、1時間後にも、そして今この瞬間にも

今の自分に出来る限り、

心をひらいて、いろいろな可能性を受け入れる姿勢だけは

持ち続けてほしいのです。

たしかに、今日も明日もあさっても

すぐに変化はないかもしれない。

だからといって、一週間後に何があるかはわからないのだから。

望まないことではあるけれど、

何があるかわからないということ(離婚)を経験して、

身をもって知っているのだから、

望むこともあってもいいじゃないですか。

苦しいとき、そんな簡単に心をひらくことができるわけじゃあない。

簡単にできたら、だれでもそうしているし、苦しまない。

だからこそ、

心をひらくことに意味がある。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の軸をもつ

2015-07-14 05:29:51 | 日記
毎日、

ほんとうに、まさに血のにじむような・・苦しみ。

誰にもその苦しみや悲しみをわかってもらえないかもしれない。

誰もそれを助けてあげることができないかもしれない。

それもこれも、自分でもわかっているから

だからこそ、絶望し、どうにもならないどん底で、

もがいている。

雑誌も、テレビもドラマも、そして周囲の誰もが

結婚というすばらしい瞬間しか教えてくれなかったかもしれない。

いや、人生において、

離婚ということについて教わった人は多くはないかもしれない。

もちろん、両親や兄弟、親せきにいれば多少は知っているかもしれないが、

その苦しみや悲しみ、どうしようもない絶望感、虚無感を

誰が教えてくれたでしょうか。

知ったからといって、

大好きで、愛する相手と結婚を躊躇したのかといえば、

そうではないかもしれないが、

やはり物事には光と影があること、表と裏があること

それを知らずにはやはり偏っている。

さて、そんな苦しみのなかで、

あなたを支えてくれるものはなんでしょうか。

どうして心が折れたとき、多くの人がスピリチュアルや宗教にはまるのでしょうか。

あなた自身でもうどうしようもなく、だれかにすがるしかない。

そんなときに、ふと目にするスピリチュアルな言葉は

あなたを救うかもしれません。

やさしく言い寄る新興宗教は、藁をもつかみたい人間には

心地よく感じるかもしれません。

どんなことでも、その人に主体がある限り、

洗脳で、思考を停止させない限り、

何を信じても良いのだと思います。

カウンセラーとしても、何も否定はしない。

ただ、どうせ信じるなら、

真理を信じませんか。

それこそ洗脳していると思われてしまうかもしれませんが、

あなたが信じようと信じまいとどちらにしろ、

あるものはあるし、ないものはない。

あなたは離婚して、何を考えたでしょうか。

テレビや、何事もなく平穏に暮らしている人たちの信じている

安泰な平穏な何事もない人生というものがあるのだと

今、心から信じることができますか?

少なくとも、あなたは離婚すると思って結婚はしていないでしょうし、

そうならないように、同棲したり、何年も付き合ったり、

じっくりと相手と語り合い、接するなかで結婚を決断したのではないでしょうか。

そして、何年も暮らして、子供もできて、何気ない日常のなかで感謝もして、

それでも、予期せぬことは起きました。

あなたは、起こらないことなど何もない。

予期せぬことも、ありえないと思うことも起こり得るし、

確実なものなどひとつもないのが人生だと思い知らされたのではないでしょうか。

たしかに親や友人、兄弟の助けもあるかもしれませんし、

ちょっとした日常の幸せや楽しみにも目が向くようになり

なんとか生活できているかもしれません。

それでもあるとき、自分はひとりで本質的な意味では孤独で

この人生を乗り切らねばならないと自覚することもあるでしょう。

本質的に人間は、ひとりで生まれ、ひとりで死にます。

それ以外に事実はありませんよね。

パートナーと過ごしても、死ぬときに看取ってもらえる保障などどこにもなく、

自分が看取り、晩年を孤独に過ごす可能性もあるのです。

子供が見守ってくれることもあるかもしれません。

それでも死という現実に向かうときは、どんな人でもひとりで向かうしかありません。

このことを本当に、心から考えぬき、想ったときに、

あなたが頼るものはなんでしょうか。

自分自身を頼り切れれば、良いでしょう。

でも人はそんなに強くありません。たいていは。

あなたのプロセスを信じることは、その助けになるかもしれません。

仏教やキリスト教、イスラムでも、宗教は助けになるかもしれません。

神や、人智を超えた力がないと言い切りたければ、それでいいし、

自分は強く生きられるのだと思えばそれでいいのです。

少なくとも、私は化学で博士まで取得し、合理的、効率的、理論的に

物事を考えることもできます。だからといって科学がすべてとは思いません。

有名なアインシュタインや、ニュートンや・・・

心理学者のユングもフロイトも・・・

哲学者の・・・

知を追究した偉大な過去の方たちも信仰をもっていました。

追究すればするほど、この宇宙も、地球も、地震や火山の噴火も、気象も

科学では完全に説明できず、人間の肉体ひとつ、脳ひとつも

奇跡的な構造と機能で成り立ち、いまだにその臓器ひとつすらも

人間は科学的に再生することができません。

癌もエイズも、まともに解決することができません。

そういう意味では生まれることも死ぬことも科学で止めることなどできませんよね。

なぜでしょうか。

長い間、この歴史のなかで、多くの人が信仰をもってきたという現実を

どう考えるでしょうか。

人には何か生きる軸、信じる軸が必要ということではないでしょうか。

私は宗教をもちなさいとか、プロセスが絶対だとか、スピリチュアルを受け入れなさいとか

そんなことを言うつもりはありません。

私自身が何を想うかを押し付けるつもりは毛頭ありません。

そして、その苦しみや悲しみに漬け込むような悪意のある人たちもたくさんいますから

注意も必要です。

そんなことではなくて、

あなたはこの理不尽にも思える人生の経験を通して、

何を軸に生きていくのか、どうしたら生きていけるのか、

自分ひとりの力はあまりに弱いのだと心から知った今、

そのことを本気で考えてもいいのではないのかと思うのです。

私は苦しみの最中で、ある有名な本も書いているような女性のクリスチャンの講演で

聴いたことを想い出します。

もちろん、クリスチャンのその女史は、キリスト教を信じなさいというのはたやすい、

でもそうではなかった。

「人生で信仰ほど強くあなたを助けてくれるものはない、信仰をぜひもってください。

キリスト教でも、仏教でも、なんでもあなたの信じるものを」

それが宗教であることすら必要ではないのです。

プロセスでも、人生そのものでも、なんでも。

私がいう信仰とは宗教だけを意味しません。

その信仰があれば、心強いことは誰もが異論ないはず。

そして、あなたがほんとうの意味で理屈で、合理的に考えることができるなら、

信じて損をすることなど、どこにあるでしょうか。

信じずに苦しむことはあっても、大金を巻き上げられたり、そのことに生活を圧迫されるのでなく、

ほんとうの意味で人生を豊かに生きる支えになるならば、

何かの軸をもつことは、きっとあなたの支えになるのはないでしょうか。

うまく伝えられているかわかりませんが、

言いたいことの本質を本気で考えてみてもらえればと思っています。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変化を感じる

2015-07-11 16:41:26 | 日記
こんにちは。

あなたは毎日変化していますよね。

もちろん苦しみはなかなか抜け出せないかもしれません。

さらにいえば、

昨日と同じことはありえないですよね。

ただ似ているだけ。

理屈的には、あなたは昨日よりも今日は

死ぬ日に一日近づきました。

少しだけ年をとりました。

体調に少しの変化はあるかもしれません。

まあこんな禅問答のような話は別にしても、

今日一日、あなたの周囲で何か変化ありましたでしょうか?

買い物、仕事、歩いているとき、テレビをみたとき

友人と話しているとき

スマホをみているとき

ありとあらゆるタイミングで

ふと考えたり、あれ?と想ったり、

ん?とひっかかったり、

へぇ~と感心したりと

すべてが変化です。

あまりに漫然と過ごしているために

そして今は、苦しみ、悲しみにあるために

どうしても感性が落ちてしまっています。

それはしょうがないのだけれども、

少しだけ変化を感じてみましょう。

それらの変化や感覚を客観的にみてみましょう。

もしかするとそれはひとつの大きな意味になるかもしれません。

別々に起こる出来事や感覚がひとつになるとき、

それはあなたを導く大きな流れになるかもしれません。

流れを感じるには、感性が必要です。

ただ漫然と過ごしていると気づけません。

もちろん、気づけなくても流れは強いので

あなたを導いてくれますが、

流れに気づけると、少なくとも、安心できたり

やる気が出たりと少し感情にも良い影響があるかもしれません。

皆、嫌な予感というのは感じるのに、

なかなか良い予感は感じることができません。

あなたの日常で少しずつの変化に気づけると

それがあなたを後押ししてくれるかもしれません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予期せぬこと

2015-07-07 22:25:13 | 日記
こんばんわ。

ここ数日前のことですが、

私自身の体験として、

とても常識では考えられない出来事がありました。

その中身を書くことはできませんので、

想像することもできずに申し訳ないのですが、

そういう事実があったのだと考えてください。

少なくとも予期できず、かつこの私が

有りえない・・・と口走ることがありました。

数日間、私の脳裏を離れず、ずっと考えていますが、

少なくとも悪いことではありませんが、良いことだとも言えません。

その出来事が、何を意味するのかはわかりません。

そして、何のために起こったのかも。

ただあまりに予期せぬことで、プロセスを信じている私としては

人智を超えた力が働いたとしか言えません。

私が願ったここでもないですが、嫌なことではなかったことも確かです。

ただ、何度も言いますが、現時点で

何を私が知るために、いや学ぶために起きたのかはわかりません。

おそらくだいぶ後になってようやく意味がわかることでしょう。

ただ、私の短い人生においても、

過去にもたくさんの予期せぬことがありました。

数回の受験と就職、結婚・・・

その後もことあるごとに、予期せぬことが繰り返して

ぎりぎりのところでセーフという感じでした。

そのあまりの予想外な展開に、自分は運が良いと会社でも公言するほどでした。

少なくとも、こんな話はいくらでもありますが、

ありふれた・・とは言えない人生です。

離婚も予期せぬことのひとつですが、

カウンセラーとなったのも予期せぬこと。

その後の心理の大学を卒業したのも、

人間関係においても、

ありとあらゆることは期待せず、予期せぬときに起こる。

そしてそのことが大きな転機となる。

また人生を方向づけられてきました。

私自身は、当時はまだ医学が未発達なときに、未熟児として生まれ、

保育器で1か月過ごし、すぐに死んでしまうかもしれないので、
母親は顔を見せてもらえない数週間だったといいます。

大なり小なり、あなたにもあると思うのですが、

人生の多くは予期せぬことで成り立ちます。

気付ける感性があるか、ぼうっと過ごすかどうかだけの差です。

離婚自体は、望まない予期せぬことでしょうが、

それでも転機です。

そして、これから先に起こる予期せぬことに期待しましょう。

ただ自分の感性を信じて、プロセスに任せることです。

自分の力でどうにかしようとか、無理やり動くと

大抵はよからぬことになる。

だから、直観というか、感性を信じるしかない。

感性は使うほどに磨かれます。

なかなか難しいですが、自分に予期せぬことが起こることを期待しましょう。

そう、良い予期せぬことを。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日を生きること

2015-07-07 00:00:01 | 日記
よく聞く言葉かもしれません。

「一日一生」

酒井雄哉さんという、先日亡くなられた、高僧の書かれた本も

あったように記憶しています。

簡単には、その日を一生のように生きることです。

夜寝るとき、死ぬようなつもりで布団に入る。

そして朝起きたときは、生まれたように動き出す。

毎日が連続しているように感じるし、

もちろん苦しみは続いているのですが、

どこかで毎日リセットしてみる。

実際に、あなたの心臓が動いていることは奇跡以外の何ものでもないと

感じることができるでしょうか?

何気ない、排せつ だって、できなくなれば

何日も生きることはできない。

骨折でもすると、手や足のありがたみを痛切に感じますよね。

病気をすると元気なことに感謝しますよね。

夜寝て、朝目が覚めるということは、

ほんとうはすごいことですよね。

そのまま目が覚めないこともないとは言い切れない。

でもたぶん目が覚めると思うから眠る。

今日、家を出て会社に行って、無事に再び夜には

家に帰るのだと思っていますよね。

これもこれだけ震災やら事故の多い世の中で、

無条件にそうだと言い切れないのがよくわかりますよね。

今日を生きるとは、それくらい大切で奇跡の塊です。

もちろん、理屈はわかっても、苦しいからそうもいかないのもよくわかります。

ただ、あなたの周囲でそんなこと考えて生きている人、どれだけいますか?

あなたは、今日をどう生きたいか?

その他大勢と同じように生きているなら、

この苦しみや悲しみの意味ってなんでしょう。

耐えた人にしかわからない、できない生き方をしたいなと私は思います。

生き方を変え、自分を変え、変化を起こしていくって

そういうことのような気がします。

単に言葉や態度だけで、前向きを指向したり、

見た目を変えたり、それだけではなくて、

生き方自体を変化させることこそ

ほんとうの意味での変化ではないかと。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アップダウンしすぎない

2015-07-05 00:00:01 | 日記
離婚に限らず、

苦しいとき、悲しいとき、もがいているとき、

もともと頑張り屋さんな人ほど、

何とかして抜け出したいと力が入る。

もちろん、力が出てくるまでは時間が必要ですが、

とにかく、なんとか動けるくらいには

最悪の危機を脱した場合のことです。

ある意味で、過活動と言われる状態が訪れる。

休日に予定を詰め込み、

平日でも勉強したり、習い事したり

外食や飲み会にたくさん出かける。

異性と出会う機会があると

不安も混じりながら、期待する。

誰でも思い当たるのではないでしょうか。

でも、これとっても疲れませんかね。

そんな生活をしていると、

ふと独りで過ごすときに、

涙が出てくればまだ良いくらいで、

不安や寂しさなど、覆い隠していたものに

押しつぶされそうになる。

言ってもむずかしいのですが、

できるだけ感情や、気持ちのアップダウンを小さくする方が

良いかもしれない。

期待しすぎると、落胆も大きいし、

楽しすぎると、寂しさも大きい。

よく自宅でパーティーなんかして

人が帰ったあと、片付けしながら想う感じと似ているかもしれない。

楽しい旅行のあとの、帰り道のような。

ときには、わくわくすることがないと、

期待することや、気持ちが高揚することがないと

希望がないのですが、

あまりに上下すると、それはもう 躁(そう)状態と鬱(うつ)状態を

行ったり来たりしているようなもの。

別に本当の意味での躁鬱ではないけれども、

疲れてしまう。

できるだけ、どんなことにも淡々と接していく。

それくらいでも期待もするし、希望もあるし、ワクワクもする。

だからそれくらいの気持ちでもちょうどよいくらいかもしれません。

期待してはいけないとか、

わくわくしてはだめだとか、

積極的なのは良くないとか、

そんなことを言いたいのではなく、

出来事をありのままに、ただ見つめていくことが大切で、

過度な期待も、逆に過度な落ち込みも

やはり少し平常からは脱線しているのではないかと。

そのことを知っているということは、

自分自身の状況を客観的に見れているということ。

あ~、ちょっとアップ気味だとか・・・

ちょっと落ち込んでいるなとか・・・

これも練習。すぐにはできない。

今のあなたの状態をゆっくり見てみてくださいね。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべて放り出してみる

2015-07-04 00:00:01 | 日記
離婚して

身も心も疲れて

あらゆるものからガードして、防御していると

ほんとうに、くたびれてしまいます。

職場にいたら、できるだけ平常に仕事をこなし、

離婚したことを知らない友人や、

普段、関わることの少ない人との接点では、

あなたの苦しみを知る由もないのだから、

当然のように、ふつうに振る舞うしかない。

外出先では、家族連れやカップルを見ても

自分の心の中のざわつきを抑えようと、心を凍らせる。

そんな日々が続くと、

自分のバランスが崩れてくる。

もしかすると、そんなことも気づけないくらいかもしれない。

体調を崩して初めて気が付くのかもしれない。

そんなときは、一晩でいいから、

すべて放り出して、もう動けなくてもいいし、

何もしなくてもいい、

家事も、仕事も、食事も何もしなくてもいい。

自分に課しているものから解放しよう。

自分自身でそうするしかない。

今日だけはもう、がんばらなくていい、

今晩だけは、もうどうでもいい。

私は疲れたのだと、言おう。

もう嫌だと言おう。

ほんとうは、「疲れたね・・」

そうやさしく声をかけてくれる人がいたらうれしいだろうし、

どれだけ求めているのか。

でも、自分に自分でやさしくしてあげることを覚えてほしい。

あなたのがんばりと努力と、苦しみを

一番理解しいているのは、あなた自身なのだ。

「ほんとうに、つかれた・・・」

今日は、ぜひ、そう言ってほしい。

「がんばっているよね」

そう認めてあげよう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする