離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

どうしてこんなに辛いのか・・・そう思うあなたに

2016-02-29 00:00:01 | 日記
人生って、

どうしてこんなに辛いのか・・・

どうして自分だけしんどいのか。

おそらく、

このブログを読んでいるあなたの言葉・・・に近いかもしれない。

自分よりも辛い状況の人がいることも、

何の苦悩もなく、幸せに、お気楽にいる人があることも、

そのどちらも知りながらも、

今の自分の状況には

耐えがたい苦しみと苦悩。

どんなに学びを深めても

どんなにアドバイスをもらっても、

そして、

何よりも

日々、全力で耐えていても

いっこうに救われない。。。

この世に神なんているんだろうか、

いや、そんなことはどうでもいいから、

少しでも楽に生きさせてほしい。

こんな苦しみを抱えているかもしれない。

これまでの多くの賢人たちは、

同じことに悩みながら、

そして自分なりの答えを出しながら

生きた。

けして、それが正解だとは知らなかっただろうし、

みんな同じことを言っているわけでもないから、

どれが正しいのか、いまだに正解はわからない。

自分自身で生きながら、

探して、求めていくしかできない。

もちろん、いつも言うことですが、

私にも正解はわかりません。

今を生きているのはあなたと同じなので、

模索しながらです。

あなたが今、想うこと、やりたいこと、

正しいと思うこと、

それは誰にも否定できません。

そして、

間違いだと言うこともできません。

結局は、自分が正しいと思う道に進むしかできません。

いつもいうように、自分の人生主体はあなた自身です。

そして、かつての賢人たちも

誰ひとりとして、同じことは言っていません。

ただ自分の信じる道を生きたということ。

どれもが真実なのです。

おそらく正解などどこにもないし、わからずに死ぬのが本当です。

多くの人は、そんなこと考えもせずに、

年をとります。

幸せな結婚生活をしていても、

伴侶をなくしたときに、ふと考えるのかもしれません。

お伝えしたいことは、

自分の人生を生きることに軸をおくしかないということ。

別れた相手に想いが残っても、未練があっても、相手の人生に関わることはできない。

コントロールできない領域。

だからといって、想いを捨てれない。。

手放すことなんてなかなかできない。。。

それがほんとう。

悟りの修行者のようにもいかない。

そのすべての状況やしょうがなさ、虚しさをひっくるめて、

最後は自分でしか生きれない

自分の人生を生きるしかできないという事実に直面するしかない。

このことに、ほんとうに気付いたときに、

苦しさのなかに、生きる希望というよりは、

そんなかっこいいものではなく、

この人生を生きていくしか選択がないという

ネガティブとも、ポジティブともとれる、本当の事実に気づくはずです。

フランクルが達したように、

では、どう生きるのか?という答えを返すしかないのです。











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ダメなら駄目でいい

2016-02-27 00:00:01 | 日記
人はどうしても

もうこれ以上はきつい・・

今日はもう起き上がれない・・

どうしても元気がでない。

一日中、悲しみに支配され

鬱々とした気持ちで過ごしている

でも、、、

なんとかしなきゃ。

なんとか復活しないと。

そんな状況があります。

でも、ダメなら駄目でいいじゃないですか。

そこまで無理しなくても。

たしかに、

いつもいうように

毎日を大切に、一生懸命生きることは

大切だけども、

たしかに明日、死ぬかのように生きることも大切ですけれども、

何事もそれがすべてではないし、

囚われすぎないでください。

もう今日は無理だから、

惰性で生きよう・・

何もしたくない。

そんな日があってもいい。

そうでなくても、

周囲にはあなたへいくらでもプレッシャーをかけてきます。

だから、

自分で自分にストレスかけなくても十分、ストレスがある。

駄目な日があってもいい。

そう考えると、少しだけ気持ちが楽になります。

とにかく苦しいときは、

なにかと自分にプレッシャーをかけてしまいがちなので、

自分では、少しゆるいんじゃないかと思うくらいでも

ちょうどいいかもしれませんよ。

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自分はそんなに強くない

2016-02-24 00:01:01 | 日記
苦しみのどん底にあるとき、

どうしてこんなに弱いのだろうと思ってしまう。

周囲も、いつまでそんな状態なのかと

さっさと自分を取り戻しなさいとせまる。

一年しても、2年しても・・

変化もするし、同じではないけれども、

ふっきるというわけにもいかない。

離婚して

さっさと再婚してしまう人もいるのに、

どうして自分だけ・・・

そんなふうにも感じるかもしれません。

ほんとうに、自己嫌悪に陥ることは

ある意味でふつうに起こることで珍しくはない。

最近の事件でいうと、

元プロ野球の清原の覚せい剤事件を見ていて、

あなたは何を感じますか?

もちろん、法律に触れていることですが、

人というのは弱いのだと気づかされます。

誰でも、それがいけないことくらいは知っているし、

自分も、それ以外へも破壊的なことだとは知っているけれども、

それでも逃げ切れない・・・。

誰でも、似たようなことに陥る可能性もあるし、

どんな人でも、苦しみにあって

そんなに強くないということなんです。

アルコールを飲みすぎたり、

買い物に依存したり、

恋人に夢中になったり、

人というのは、ほんとうに弱いものです。

誰にも相談できない苦しみほど、

つらいものはありません。

いつも言うことですが、

寝たり、起きたり、食事したり、

まして仕事に行くなんて、

それだけで十分に強いことなんです。

鬱になっても、薬で耐える。

必死にもがいて、立ち直ろうとする。

それだけですごいことなんです。

どんなに良いことをしても悪いことをしても、

その人の人生には、その人のプロセスがあり、

他人のものではないのですから、

他人がどうこう批判することもできないのです。

あなたは、そんなに強くはない、

かといって、弱すぎもしない。

ある意味で、ふつうなんだろうと思うのです。

だから心配しすぎず、今の自分にできることを

ひとつひとつです。

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ただ感情を眺める

2016-02-21 00:00:01 | 日記
苦しいとき、

まるで発作のように激しい感情が襲ってきて

もうどうしてよいかわからなくなるときがありますね。

激しい動悸や、吐き気、頭痛もあるかもしれません。

逆に、ものすごい落ち込みもあるでしょう。

言葉にできないくらい気持ちがダウンしてしまい

何もできなくなる。

ふと誰かがそばで支えてくれたら・・・

そんなことも思うかもしれません。

これだ!!
というような対処方法はないですが、

とにかく、ただやり過ごすしかない・・・

そんなふうにも思うのです。

無理に気持ちを復活しようとしても難しいし、

そもそも、

どうにもできないから苦しいのですから。

でも、

みんなそうだと知ってください。

もう悶絶の格闘の様相です。

ただ、できれば

嵐が過ぎ去るのを

家にいて、窓の外を眺めるかのように

ただ、ただ、ひたすら待つ。

どうこうしようもないと、

自分の感情と闘うのは諦めてしまう。

抵抗すると余計苦しくなってしまう。

そもそも苦しいのは、理由なく苦しいのではないから、

病気でもない。

だから、ただ眺めてやりすごす。

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重大なことは先延ばし

2016-02-18 00:00:01 | 日記
過去に何度か書いていますが、

とても大切なことなのに、

おそらく、周囲の人たちは知らずに、

あなた自身もそこにはまる可能性が高いので、

題名のようなことをお話します。

これは、離婚に限りませんから、

これから先ずっと大切なことです。

しんどいとき、苦しきとき、

まして、離婚や失恋のような絶望のような気持ちのとき、

そこから切り替えるために

大きな決断をしてしまいがち。

転職や、大きな買い物、

思い出の品の整理。

特に、死別などすると、

はやく遺品整理などしてしまうのは、世の慣例。

失恋しても

思い出の写真や品物を、さっさと捨てて、早く切り替えなさいと

周囲もアドバイスするかもしれない。

離婚したときも同様に、

いろいろなものを整理して、

そして、人生を一気に方向転換しようと転職したり、

全く違う土地に引っ越したり、

周囲は変化を望みますから、あなたにもアドバイスするでしょう。

あなたも、何とかして抜け出したいものだから

苦しみもがくなかで、覚悟したり、決断したり

とにかく、大きな行動に出がち。

ただ、ここでいつも言うのですが、

グリーフ(悲嘆)のプロセスで大切なことがあります。

このプロセスは、ゆっくり進むのだということ。

急激に変化しないということ。

そして、いつも言うことですが、

無理やり、強制的にどこかの方向性へもっていくものでもないということ。

苦しみのなかにあるとき、

1か月でも長く感じます。

もう数か月もたてば、すごい長く感じます。

もういい加減に、抜け出したいと焦ります。

しかも、周囲はそれでも遅いとばかりに、アドバイスしてきます。

でも、数か月なんて厳しいし、1年でも少ないくらい。

もちろん、人それぞれだし、断言できないけれども、

そんな数か月で元のようにはならない。何か無理している。

変化しないというのではなくて、変化はしているけれども

きれいさっぱりとはいかないということ。

そんなときに、どれだけ冷静に客観的に判断したと思っても、

けして冷静でも客観的にも判断できていないことが多いのです。

どれだけ情報を集めても、周囲の意見を聞いても、

周囲が大賛成でも、あなたも何の疑いがなくても、

それでも、苦しいときに、大きな決断はやめておいた方がいい。

つい、今しかないとか、ここで人生を変えてやるとか、

なんとかして抜け出したいとか、

いろいろと正当化したり、都合よく考えがち。

でもそれが、苦しみのなかにあると、

いまいち、はっきりとわからず、合理的、正当、妥当的、

正しいと勘違いしてしまいがちなのだ。

先延ばしできることなら、そうしたほうがいい。

人生のターニングポイントになるような

大きな決断は、苦しみの中でしないほうがいい。

少なくとも、あなたの心に迷いがあるなら、やめておこう。



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人の力はここに。

2016-02-16 00:00:01 | 日記
テレビでも、なんでも

最近は、結婚や離婚から、

熱愛まで・・・・

テレビとしても、他人の人生にどこまで踏み込むのだろうと

思えるような話題ばかり。

しかも、それを、おもしろおかしく放送して、

何も知らない、少し知ったような人たちがコメントして、

他人がツイッターやらで攻撃する。

物事の本質など、当事者にしかわからないし、

面と向かって、話していてさえも、

本音や真実はなかなかわからないから、

カウンセラーでさえも、苦労するのに、

どうして、物事の本質が、テレビや、ちょっとした本人のコメントから

わかるだろうか、

離婚も含めて、ほんとうに苦しむ人の

心からの叫びや、苦しみ、耐えがたさは、

きっとこのブログの過去数年のコメントを読んでみてもらえれば

感じられるだろう。

きっと、あなたは今、ものすごく苦しく、絶望していると思うが、

多くの人が苦しんできたことがわかるだろう。

私の記事は、まあさほど目新しくもないし、

今のあなたの役に立てるかどうかはわからないが、

少なくとも、

あなたが今苦しんでいる瞬間、

やはり苦しんで、もがいて、耐えている人がいること

みなさんのコメントを読んでみてもらえればわかるはず。

けしてあなただけが、弱いのではない。

あなただけが特別に耐えきれずに、もがいているのではない。

どんな事情があっても、

一度は人生をともにしようと心から誓った人と別れ、

まして、憎しみ合い、恨みあうことなど

誰が望むだろうか。

最愛の人だからこそ、別れは辛い。

世間の言葉や、何も知らない周囲の言葉など、

そこに真実はない。

あなたが今感じていることが真実だし、

苦しみを感じていることは事実なのだから、

それはそれで否定しない。

今、つらい、苦しい、耐えがたい。

それでいい。

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時間がかかる

2016-02-13 00:00:01 | 日記
今日はめずらしく

数年前のことになりますが、私の体験を話したいと思います。

私は幼稚園前からスキーをしていたほどで、
東京生まれではありますが、
大学生のときには、スキー場で住み込みバイトをしながら
スキーに明け暮れ、20代も冬ともなれば、スキーしか頭にないくらいでした。

大学時代には、1級の資格をとり、社会人でも本格的なクラブに所属。
元妻とも、スキーが縁で知り合ったくらいです。

そんな私にとって、家族で行くスキーはほんとうに憧れでしたし、
冬の温泉旅行は楽しみでした。
子供も生まれ、はじめて2歳の子供を背負って滑ったときの感動は
今も忘れません。
しかし、はじめてにしてそれが最後となりました。

離婚のバタバタや調停やら引っ越しやらお金が底をついたこともありましたが、
もっとも人生で大切にしていた趣味をすることができなくなったのです。

雪を見れば思い出し、
ましてスキーをすることなんて気持ちがついていかず、無理でした。
抑圧していたとは思いますが、行きたいとすら感じていませんでした。

時間の経過とともに、スキーもまたはじめたいとは思いましたが、
何かハードルが高くて、越える気力がなかった。
以前も話したとは思いますが、もともとアウトドア派でしたが、
心理学、カウンセリング、コーチング、読書と勉強や、インドアな生活が続きました。

で、6年くらいしてから、特に何の前触れもなく、
ようやく行こうと思えた時期がきました。
おそらく、自分に無意識に封印していたものに、許可が出たのではないでしょうか。
そして、人生をかけて楽しみ、親からも受け継いできたものを
このまま封印して、死ぬなんてことはできない、もう一度
自分自身の人生の原点に帰ろうと感じたのだと思います。

とはいえ、上級者になるとそれなりにトレーニングしていないと
怪我をします。だから一年かけて身体をとレーニングして復帰。

人生の流れとは不思議なものです。

神奈川に住んでいますから、当時北関東に住んでいた時よりも遠距離とはいえ
不可能ではないのですが、
友人の決めたスキー場が、当時最後の思い出となった東北のスキー場でした。
別に、そこでなくても、近くにもいくらでもあるし、不思議なことです。
なんだか人生の目に見えない流れを感じました。

そして、リフトに乗っても、思い出こそあれ、
そこに感情がもっていかれることもなく、
ただ、生きて、元気に再び自分の趣味を再開できたことに感謝していました。

純粋に、スキーができている自分自身に「おめでとう」を言い、

再び、雪山に戻れたことに感謝と深い感動を覚えました。
私自身の人生の原点に戻ってきたことに対する深い感動です。

復帰までに7年を要しました。
ある意味で、スキーヤーとして最も体力もあり上達する30代を捨てたことになります。

ですが、それでよかったし、スキーは生涯スポーツですから、
これからまた死ぬまで、できるということに感謝しているのです。

あせらないでください。
すべきときは自分でわかります、
そうでないときには、それはそれとしましょう。

今ある感情に素直に従う、それが一番大切なことです。



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無理しない

2016-02-11 00:00:01 | 日記
苦しいとき、

辛いとき、

どん底であえぐときに、

なんとかして抜け出したい

新しい人生を開きたい

そんな想いをみんないだく。

少しでも早く、以前のように

元気とはいかなくても

ふつうに生活したいし、

楽しさや、うれしさも感じたい。

せめて、平穏な日常に戻りたい。

もちろん、感情はそういかないし、

簡単に整理などできないから、

さらにそのギャップに苦しむ

自分はストレスに弱いのではないか

自分は感情のコントロールが弱いのではないか

もっとつらい状況の人がいるのに
甘いのではないか

そんなことも感じるかもしれない

だが、それは真実ではない。

正直な話、

そこまで苦しんでいる他人を

身近でみたことがある人は少ないのではないだろうか。

だから本来は比べる対象なんてないのに、

勝手にそう思ってしまう。

実際には、みんなもがいて、苦しんで

死にたいと思うような苦しみを耐えているだけで、

そこに画期的な方法も、スキルも宗教もない。

その日、その日、その瞬間をなんとかやり過ごし、

なんとか生き延びてきた・・・

そういう感じかもしれない。

実際に、東北震災後には、震災関連死が続いているし、

うつ病やPTSDになる人が明らかに多い。

みんなそんなに精神力が強いのでもないし、

簡単に耐えて、乗り越えられるわけでもない。

先日は、ちょうど阪神淡路震災の節目でTVでも特集していたが、

みんな未だに苦しんでいる。

あなたが弱いのでも、精神力が足りないのでもなく

耐えているだけ、日々生きているだけで

十分にがんばっているのだと知ってほしい。

周囲かららはそうでなくても、

「まだ・・・」「さすがに・・・」「そろそろ・・・」

そんな言葉も言われ、

半年もすれば、気遣いの言葉もなくなる。

だが、あなたは当然まだ苦しいし、日々つらい。

そんな中でも必死に自分を支えているのだから

もうそれで十分だとしませんか。

あせるつもりはなくても、早く抜けたい・・・その想い。

たしかにあるけれど、

折り合いをつける日々は、短時間では難しいし、

人それぞれだし、簡単に済ませるようなものではない。

だから一歩一歩です。





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忘れるのは難しい

2016-02-09 00:00:01 | 日記
離婚したときに、

どんなに相手が悪くても、ひどい仕打ちでも

若いころ、一度はお互いに惹かれ、

幸せな時間を過ごしてきたと思うのです。

だから、

もちろん、愛想が尽きることもあるでしょうし、

全てが恨みや怒りで黒塗りになっていることもあるでしょうが、

心のどこかに、楽しかったことや

幸せだったこと、

相手が優しかったときを覚えていて当然です。

まして、

自分は相手に想いが十分にあるのに

別れた場合ならば、余計にそうでしょう。

忘れてしまおうという方向性がそもそも難しい。

どんなに自分で楽しいことを見つけても

押さえつけた感情は、なかなか言うことを聞いてくれない。

もちろん、

もし仮に、あなたにとっての大好きな芸能人や、理想のモデルや

最高の優しさのある人と巡り合い、

過去の出来事すべてを、はるかに超えてしまうくらいの関係性が

できたら、すっかり忘れてしまうこともできるかもしれない。

が、現実はそうもいかないのだから、

やっぱり忘れられない。

ただ、完全に忘れないけれども、薄れていく。これが正しい。

思い出す機会はどんどん減る。

それでいい。

いや、それしかないのでしょう。

とにかく、

苦しいとき、

ありえない目標をたてがち。

たとえば、

相手のことをきれいさっぱり忘れてしまおうなどと。

できたらいいけど、

できないのも、ふつうだから

こだわるのはやめよう。

もうだいぶ昔に友人が言っていたことで

今でも、なるほどなと思うことがある。

「思い出の重ね塗り」

幸せな時間を過ごした場所には

なかなか行けないことが良くあるでしょう。

でも、

あえて、そこに飛び込む。

そして思い出を重ね塗りしてしまう。

良い悪い、したいしたくないは別にして

行くまではしんどいけれども、

行ってしまうと、意外と平気。

新しい思い出を作る。

最後はちょっと余談です。

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まず行動から

2016-02-07 00:00:01 | 日記
ほんとうに

苦しみの底で動けないとき、

これはどうしたって、動けない。

そんな時に無理してどうこうしなくていい。

多くの人は、感情を、想いもどうにかしたいと思う。

苦しみ、悲しみ、絶望、虚無感、

憎しみ、恨み、・・・

寂しさ、不安・・・


でも、こういう感情というのは、

言うまでもなく、自然に湧き起こってしまう。

だから、これをどうこうしようとしたって、

なかなかうまくいかないし、

うまくいかないから、

余計に自分はダメなんだと思えてきて、

余計に落ち込んでしまう。

苦しいとき、

動けるなら、

身体を動かすようにおすすめするには理由があります。

何度か書いてますが、

上を向いて、笑顔で、手を大きくふって、胸をはって歩きながら、

鬱々とした気持ちを継続することができるでしょうか?

まあ無理です。

逆に、猫背で、下を向いて、歩幅小さく歩いて、明るい気持ちになれるでしょうか?

明るい色の服装や、お気に入りの洋服、アクセサリーをつけて

暗い気分でいるでしょうか?

苦しいと感じたら無理して継続することはありません。

自分にこれ以上、負荷をかけることもありません。

だけれども、

感情、気持ちを変化させるには、

行動、身体、外見・・・

要するに内面からではないんです。

もちろん、内面に変化があれば一番早いのですが

時間がかかるのですからしょうがない。

身体を動かせるように、健康器具?を買ってみるものいいし、

自転車買ってみたり、

ジムに入会して、かっこいいスポーツウエアもスニーカーも買ってしまう。

英会話教室のお試しグループレッスンに申し込んでみて

強制的に交流する機会にしてしまう。

はじめは、あ~、嫌だな、しんどいな、やめようかな・・・

そうも思うけど、せっかくだからもったいない、

先日は、無理だったけど、今日なら行けそう。

そんな感じで、ゆるくでいいので、行動から変えてみる。

人前で、笑顔で無理して会話したりすると疲れてしまいます。

だから、意識するのは、昨日の自分と今日の自分だけ。

他人にどう思われようが、暗く見えようが、落ち込んで見えようが

どうでもいいのです。

あなたの人生に、本質的に他人はほとんど関与しないことはこれまでお伝えしているとおり。

だから、意識するのは自分だけでいい。

ジムに行ってもそう。

今日はちょっと元気、明るい、楽しい。

この洋服着ていると気分が少し明るい。

このランチはちょっといいかも。

とにかく、自分中心。

そうやって、

自分のなかで少しずつ変化を感じていく、

そしてその感じをつなげていく。

くれぐれも、無理はしないでくださいね。

少しずつです。

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相手の人生

2016-02-04 00:00:01 | 日記
別れた相手のことを想うと

いろいろな感情に苦しむと思います。

愛情、悲しみ、寂しさ、怒り、憎しみ、・・・

そして、

今ころ、相手はどのような生活をしているのか、

幸せなのか、苦しんでいるのか・・。

自分と離れた後、どのように過ごしているのだろうか・・・

思えば思うほどに、胸は苦しく、辛く、

やりきれない気持ちになるかもしれません。

さて、いつもお伝えしていますが、

あなたはあなたの人生に責任があります。

だから、あなたの人生はあなたにしか生きられません。

これは、かつてのパートナーにも言えることです。

パートナーもそうです。

一緒にいようが、別れようが、

変わりません。

私と一緒なら幸せだったのに・・・とか、

もし別れずに今一緒にいられたら・・・とか、

別れて良かったのだろうか。。。とか、

いろいろなことに想いをめぐらせるかもしれません。

でも、結局のところ、

最終判断は、その相手が自分で下したのです。

もちろん、別れはあなたから切り出したかもしれないし、

相手かもしれませんが、

結婚することは少なくともお互いの意思で決めたはずです。

だから結果はそれに付随することです。

結婚しなければ離婚はしないし、

お付き合いしなければ、別れもないのだから、

はじめの決断をした時点で、自分の判断なのです。

たしかにいろいろと想うところはあるのだけれども、

相手の人生の責任は相手にあるのであって、

あなたにはないのです。

あなたに自分の人生を生きる権利があると同時に

相手も同じ。

それが間違いであろうと、正しいとしても

すべての判断の責任と結果はその人が人生でとらなければなりません。

相手の人生をコントロールすることはできない。

どんなに相手を愛していても、大切にしていても、

心を傾けても、やはり相手の人生の主役にはなれません。

それは本来、一緒にパートナーとしていてもそうなのですが。

相手の人生は気になる。

大切な存在であればあるほどに、心配になる。

どうでもいいやと思えるくらいならいいかもしれない。

だが想いが残っている人には、やはり苦しい。

やはり一緒に居ればよかったのではないか。

そうすれば違ったのではないか。

それで本当に幸せになれるのだろうか。

でも、やっぱり相手の人生の主役は、相手である。自分ではない。

そして、あなたの人生はあなたが主役である。

以前にも書いたが、私は手帳にいつもはさんでいて、
読み返す言葉がある。
ゲシュタルト心理学の創始者 パールズの有名な詩がある。

フロイト、ユング、アドラー、ロジャース、エリス、ベックなどと並ぶ
現代カウンセリング療法における有名な人です。

はじめて読んだときは、なんと冷たい言葉だと感じて、
一瞬嫌いになりかけたのだが、
深く感じ、噛みしめれば、噛みしめるほどに
人生の真実を映し出していることに気づく。

そして、この言葉は、正面から、がっしりと受け止めたうえで
どう生きるのかを考えたときはじめて、
出会いと別れに意味があるのだと、感じられるのかもしれない。

そして、生きていく勇気をもらえるような気がする。

ネットで調べるといくつもの日本語訳がある。
私はこれがしっくりくる。
他にもニュアンスが違うものもあるから、自分なりのものを探してみてもいいかもしれません。

*****
「ゲシュタルトの祈り」 フレデリック パールズ

私は私のことをする
あなたはあなたのことをする

私が生きているのは
あなたの期待に応えるためではありません

あなたもまた、私の期待に応えるために
生きているのではありません

あなたはあなた、私は私

もし、私たちの心が通じ合わなくても、
それは仕方のないことです

そして、私たちの心が
たまたま触れ合うことがあれば
それは最高に素晴らしいことです。
*****


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ありがとうにする

2016-02-02 00:00:01 | 日記
苦しいとき

周囲で助けてもらう。

甘えて、依存して

すがって、助けてもらう

そんなとき、

つい、

電話してごめん。

甘えちゃってごめん。

なんか悪いね・・・

そう言ってしまう。

相手は元気だし、

日常生活だし、

仕事もあったり、家族もいたり。

延々と愚痴や、わけのわからないことを続けて

そして、毎日、毎日同じことを話したりもする。

だから

申し訳ない想いがある。

だけど、

ごめんじゃなくて、

ありがとうにしましょう。

あなたの元気なときを知っているからこそ

相手はあなたの助ける声に耳を傾けてくれる

ただ単に、情けではない。

あなたのことが心配だし、助けたいし、

力になりたい

そう思ってくれているはずだ。

だから、

言わなくても、あなたの遠慮する気持ちや

それでもすがる思いをわかってくれている。

だから、

ごめんじゃなくて

ありがとう、ほんとうにありがとう。

そう伝えよう。

そして、

ゆとりができたら、もっともっと感謝しよう。

それでいい。
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