離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

寂しさに耐えるなんて・・・

2017-11-30 00:00:01 | 日記
人は寂しさに耐えるなんて

簡単にはできない。

前回も書いたように

ほんとうに強いなんて、なかなか言えるものではない。

独り、暗い部屋に仕事から帰り、

テレビで気持ちをごまかして、

お酒を浴びるほど飲んで、

泥酔状態で、布団に潜り込む。

二日酔いと、絶望と虚しさの中で目が覚めて

重い身体で仕事にいく。

そうして、今日一日をやり過ごす。

離婚を経験したら、

多くの人が経験しているでしょう。

少なくとも、私はそういう生活が続いた。

寂しくてやりきれない深夜に

女友達に何度電話やメールをしたことか。

その度に後悔し、恥ずかしさすら感じたことも数えきれない。

男友達ではだめで、何か疑似恋愛ではないが、

女性の声を聞きたくて、酔ったあげくに電話したこともあった。

寄り添って話を聞いてくれる人もいたし、

こっぴどく叱られたこともあった。

それこそ、夜、寂しく自宅にいるくらいなら、

一緒に飲みに行ってくれるなら

誰でもいいと言わんばかりに、

身近な人に交代で連絡した。

節操がないと思いながらも。

今でこそ、迷惑だとも思うし、申し訳ないと感じるのだが、

当時はそれどころではなくて、ボロボロだから

自分の行動が制御すらできなかった。

寂しさと、孤独と虚しさと絶望のどん底で

人の弱さを思い知った。

どんなに立派な仕事をしていても、

どんなに勉強しても、学んでも、

本を読んでも、自己啓発だろうが、宗教だろうが、

どんなに知識を入れても、

それでも、孤独な夜に打ち勝つ力も方法もないのだと気づいた。

自分はどうしてこんなにも弱いのだろうと、情けなくなったし、

それがまたさらに自分を苦しめた。

だが、あるときからあきらめた。

人間とはこれほどまでに、脆く弱いのだと気づいたから。

そして自分も例外ではないと知った。

それまでは何とか、取り繕い、抵抗しようとしていた。

本来あるべき自分を取り戻そうと苦しんでいた。

だが、これも自分なのだと認めることにした。

ボロボロのなかで、みっともないと思うような自分も自分だし、

それを理解してくれる人たちといればいいと思った。

そしてボロボロになったどん底を経験したことのある人なら、

きっと自分を理解してくれるだろうと感じた。

今、自分の周囲で苦しんでいる人を見れば、

弱いとは思わない。

自分もそうだったし、きっと立ち直れる時がくると知っている。

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弱くてあたりまえ

2017-11-27 00:00:01 | 日記
他人に依存するというと良くない響きだが、

自分が信頼する人を頼ったり、甘えたりして

何がいけないだろうか。

逆に、そうでないと言い切れる人がどれだけいるだろうか。

野生の動物でさえ、

群れを作っているのだから。

極端に依存したり、片方だけが甘えてしまえば、

バランスが悪い。

それでも成り立つこともあるだろうし、

当人たちの問題なのです。

関係性が破たんしたら、依存だとか、甘えだとか

いろいろな理由をつけることになるのだろうが、

ひとつの理由でしかない。

以前にも書いている共依存は、たしかに破たんする可能性が高いが、

それでも絶対というものではないし、

そもそも、本人たちは気づかないし、

そういう夫婦や恋人もたくさんいる。

何が良い悪いとか、依存だとか、甘えだとか

そういうことではなくて、

そもそも、人間は極端に弱く、脆いということに

気づく必要あるだろう。

その反面で強さも持ち合わせている。

あなたがもし、自分が弱いと思うなら、

それもあなたの一部だし、

強い部分もきっとあるだろう。

まだ気づかないとしても、

あなたの中にあるはずなのです。

ひとり、暗い部屋で涙を流してもいい

やりきれない気持ちを、お酒を飲んで、ひとときを忘れてもいい

たとえ、まともに仕事ができなくても

食事や睡眠が十分でなくても、

それでも、耐えているだけで十分なのだ。

耐えているだけで、

十分にがんばっている。

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深い虚しさの先へ

2017-11-20 00:00:01 | 日記
これを読んでいるあなたは、

離婚という予期せぬ出来事によって、

深い虚しさを感じているかもしれません。

その想いは、経験していない人には

到底理解できないことだとも感じているでしょう。

そして、そんな想いは

あなただけではなく、

離婚という経験をした多くの方が経験してきたことでしょう。

この私も同じです。

この深い虚しさは、人生を問うきっかけともなるでしょう。

人生の根源的な問いへのはじまりかもしれません。

私自身は、この虚しさをきっかけに、

死生観を学び、心理や、人生論、自己啓発から、宗教まで。。。

これまでお伝えしてきたいろいろなことを学びました。

おそらく、離婚をしていなかったら、学ぶ機会などなかったかもしれません。

実際に、私の周囲を見ても、そんなことを深く考えている人は少ないのですから。

ただ、強がりでも、逃避でもなく、学べたことは良かったと思います。

もちろん、離婚自体は歓迎しませんが、

それくらいのインパクトがなければ、学ぶことはなかったとも言えるでしょう。

人生とは、幸せだけを求めるものでもなく、

ただ仕事をして収入を得ることでもなく、

パートナーや子供のために全力を尽くすことでもないと気づきました。

生まれた瞬間から、死へのカウントダウンは始まっています。

例外なく、すべての生物がそうです。

どんなにがんばっても100年程度。

出会える人も、経験できることも限られています。

目の前のこと、将来のこと、いろいろな不安はあって当たり前。

人間の最大の不安は、やはり死でしょう。

でもやはり、楽しみ、悲しみ、苦しみも含めて、すべてを経験していくのが人生。

そして、コントロールできないことは、どうにもできないのだという

そういう想いに至ったとき、

すこしずつ、離婚の苦しみから歩み出せたような気がするのです。

あなたが、今感じている深い、虚しさの先へ進めることを

願っています。

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身をゆだねる意味

2017-11-18 00:00:01 | 日記
いつもお伝えする

大いなる力、人智を超えた力、

そしてプロセス。

それらに身を任せることができたら

ほんとうに、気持ちが和らぐはずなのですが、

そうはいっても

なかなかできないのも現実。

目の前の問題に右往左往して、

苦しみ、悩み、迷う。

人生でコントロールできることと

できないことがあって、

そんなことを頭で理解していても

それでも、迷ったり、悩んだり。

もちろん、それが人間なんですが、

そこからもう一歩先へ歩めるのも人間。

身をゆだねるというのは

何も高尚なことではないのです。

そしてあきらめるのとも違います。

できることはすればいいし、

努力すべきことはすればいいし、

それでもどうにもならないことは

どうにもならないから、手放す。

手放すことでしか、解放されないと知る。

そしてあなたが手放そうが、それにしがみつこうが、

どのみちコントロールできないのだから、

結果は同じと気づくこと。

限界にまで追い詰められたとき

もうどうにもできない、耐えられないとき、

そのときに、唯一、自分が主体的にできることは

自分の意志で、手放すこと。

手放したときの、解放感をはじめて感じたとき、

それが正しい道だと気づけるのです。

誰でも、はじめは怖いし、不安なのです。

先に書いたように、もう何もできることがない

これ以上の苦しみは無理、耐えきれない、、、

そう感じたとき、手放すことで

自分を苦しみから解放してあげる。

大いなる力でも、神でもなんでもいい。

あなたの心の支えとなるものでいい。

できること、やれることはすべてやった。

もう何もできることはない。

そして十分に苦しんで、耐えてきた。

もういいじゃないか、自分はもうこれ以上苦しまなくてもいいじゃないか。

もう自分を助けてあげよう、

自分を許してあげよう

自分を支えてあげよう

そんな感じかもしれません。

あなたが少しでも苦しみから解放されるようになると信じています。

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仕事って・・・

2017-11-15 00:00:01 | 日記
私たちは、資本主義社会にあって、

中学、高校と、

将来は働くことが当たり前のように教わって、

大学にも普通に通うような時代になり。

でも、ほんとうに自分の好きな勉強をしたり、

興味をもっている人がどれだけいることか。

仕事も同じです。

もし、あなたが本当に裕福な生活ができるほどの

財産があったとして、今と同じ仕事や生活だろうか。

では、自分の人生の少なくとも半分近くを仕事や勉強で費やすのだとしたら、

人生とは何だろうか。。。

あなたにとって、生きるとは何だろうか。

苦しいときに、どうでも良い話題と思うかもしれません。

ただ、これまで当たり前のように生きてきて、

ある価値観のもとに結婚し、子供やマイホーム、マイカーと

世間と同じように歩んできた人生を見直さざるを得ないような

壮絶な体験が離婚だと思うのです。

経験していない人にはとても理解できないし、

想像できないような苦しみを味わうわけです。

多くの人がボロボロになり、生活すらまともにできないほどに

打ちのめされるこの経験は、

自分の人生を考えるに十分なインパクトであるはずです。

私はそう考えたときに、

それまでの仕事に対する見方は変わりました。

とても以前のように、そして周囲と同じようなモチベーションで

仕事をするなんてできなくなりました。

じゃあ、どうやっていこうか。そこからがスタートです。

仕事だけではなくて、日常も趣味も人間関係も

すべては自分がどうしたいのか、どうあれば、死ぬときに後悔しないのか、

その1点にのみ判断基準を据えてきました。

果たして、それが良いのかは、私もわかりません。

きっと、自分の死を前に理解できるのでしょう。

あなたにとって、どう生きたいのか、

去っていったパートナーへの想い、寂しさ、虚しさ

それらすべてを自分のなかに取り込んで、その上で

いや、それも含めてどうしていくのか、

たくさんは無理でも、少しずつ、一歩ずつ考えも進めながら、

修正しながら、長い道のりを歩んでいきたいところです。

少なくとも、私はあなたよりも少しだけ道の先を歩んでいるのかもしれませんが、

私の前にもその道は続き、歩んでいる最中です。

そして、10年以上の昔を振り返ったとき、

そのときには暗闇で見えなかった道が、

たしかに歩んだといえるほどに明確に見えるように

なっています。

正しいか正しくないかはわかりませんが、

道があることだけは確かです。

今は見えなくても大丈夫、あなたが歩いた道が

きっと未来に見えるはずだから。
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関わらなくていい

2017-11-11 00:00:01 | 日記
あなたの周囲の職場や友人に

あなたの苦しみがわかってくれる人は少ないかもしれません。

それはそれでしょうがない。

逆の立場で、離婚を経験していないあなたなら、

きっと、やはりわかってあげることは難しいと知っているはず。

相手にも責任はないし、無理なことだと知っているはず。

もし、そんな人たちと関わることが苦しいなら、

関わる必要などないと思う。

すべてはあなたの選択。

もともと、日本人は八方美人でだれとでも愛想よくする。

職場でも、友人の輪でも、和を大事にして

多少のことなら我慢するでしょう。

でも、自分自身が苦しいとき、

それはとても難しいこと。

そして、そんなふうに和を大切にしてきた周囲の人は

自分が苦しいときには、何もしてくれないということに気づいたはず。

ほんとうに支えてくれるのは、ほんとうの友人など

数少ないはず。そういう人は大切にしたいし、ずっと付き合っているはず。

だから、どうでもよい人たちと無理して付き合うことはない。

もちろん、表面的には、適当にしておけばいい。

だけど、自分の心を動かされるくらいの距離にはならないでいい。

そうすれば、あなたにとって大切な友人や家族との時間を重要に思うだろうし、

他のことに無駄な時間を使わなくもなるはず。

これまでは漫然と付き合っていた周囲と、これからどう関わるのか、

どういう人とこれからの残りの人生を共にするのか、

人生で大切なことは、それらすべてが自分自身の選択という点です。

これはある意味でコントロールできることです。

関わる必要ない人との時間を費やすことほど虚しく、無意味なことはない。

人生の時間は短いのですから。

正しいか、正しくないかは、それもあなたが判断することです。

少なくとも、私はそう行動しています。

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自分の原点をたどる

2017-11-08 00:00:01 | 日記
コメント欄でも書きましたが、

私が苦しい時期、

実家そばの小学生のときに遊んでいた公園や、両親や祖父母と遊んだ場所、

出身の小学校、自分が5歳くらいの写真を見たりして、

恋愛とか、恋人とか、結婚とか

そういうものと関係なく、

たた自分の興味や目の前のことだけで生きていた時代を

思い出す努力をしました。

そのときの自分の興味や、本来の性格など。

周囲の家族の接し方や、在り方など。

幼少の記憶は、良い人もいるでしょうし、思い出したくないという方も

いるでしょうから、あなたの一番良かった時代に戻ってみてください。

ただし、結婚や恋人との時間じゃなくてです。

自分本来、単体としての想い出です。

本来の自分を取り戻す作業、時間、これがとても大切でした。

離婚で価値観が崩壊し、何も信じられなくなり、

親との関係もおかしくなり、とにかく孤立したいときでしたから、

本来の自分の原点に戻る努力をしたのです。

そして、5歳のときの自分の写真を見て、イメージして、

優しく声をかけてあげて、大丈夫、大丈夫と。

インナーチャイルド療法というカウンセリング技法に近い方法なのですが、

自分の内部にある本来の自分、そして幼いときの自分へ

やさしく接してあげること、自分だけは自分の味方でいてあげること

そんな時間を通じて、本来の自分を取り戻していった時間でした。

結婚や、離婚、恋愛などを通して、どうしても誰かと一緒にいたり、

その幸せを感じ、それが崩壊した後では、

本来のあなたという人間を忘れてしまいます。

だから、本来の自分というのは何だったのか、

恋人がいなくても、楽しく生きていたときもあるはず。

そんな自分を見つけていく作業かもしれません。

きっと、本来のあなたに出会えるはず。
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常識など意味がない

2017-11-04 00:00:01 | 日記
あなたもきっとニュースで知っているでしょう。

日本の芸人でマラソンランナーの

猫ひろし さんがカンボジア人となり、

オリンピック選手となり、ほぼ最下位でも完走し、

カンボジアの若い選手たちに希望を与えたことを。

いろいろな意見はあるでしょうし、

実際に、カンボジアでも、批判も多く、

はじめは大変だったようです。

それでも彼のひたむきな努力と実力に

カンボジアのアスリートの注目と信頼を得たのだとか。

常識で考えることができるでしょうか。

でも、彼の人生の目標と、それにかける想いは

すべての苦難や批判を排除して、

オリンピック選手として、

そして、カンボジアの期待のアスリートとなったのです。

当然ですが、カンボジア国籍を取得して、

日本人であることをやめたわけです。

この世界情勢のなかで、アメリカやヨーロッパではなく、

カンボジア国籍を取得するだけの決意です。

良い悪い、理屈ではありません。

そういう人生を選択している人が実際にいるということです。

そのことが重要です。

世間の人は、きっと常識的に考えて。。とか、

いろいろ考えたでしょうが、

そんなことは関係ないということがわかります。

そして猫さんが満足なら、それでいいのです。

自分自身でそれを選択して、行動できることこそが

すごいではないですか。

あなたにできますか?

周囲の仕事が優秀な人にできますか?

学歴ある人にできますか?

YES な人の方が少ないでしょう。

それでも、自分の生き方ができる人がいる。

そのこと自体がすごいことで、

少なくとも、世間の常識など、大したことないのだ。

そして、それが正解ということでもない。

そういうことを理解してほしいのです。

離婚はたしかに苦しく、悲しく、辛く、むなしい。

でも、人生はそれだけではない。

結婚という慣習などどうでもいい。

それよりも、どう生きたいのかということを

結婚という前提でなく、

ゼロから考えなおしてほしいと感じます。
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身体の声

2017-11-02 00:00:01 | 日記
今日は少し、身体を動かすことの大切さについて

書いてみます。

身体を動かすことは、

とても大切なことですが、

どうしてもなかなかできないのも現実。

だからこれだけ〇〇ダイエットがはやるわけです。

まして、苦しみのなかで、日々沈む気持ちでは

余計に大変でしょう。

以前にも書いていますが、

そんなときでも、私はスポーツジムに入会して、

身体を立て直すことから始めました。

心はボロボロで、誰とも話したくはないし、

ジムに通うこと以外は何もできなかった。

でも、逆に、ジムに通うことだけに集中していました。

心は限界でも、身体だけは無理やりにも立て直そうと考えた結果です。

まして当時、新しい恋愛や、パートナーを求めようと思ったときにも

やはり外見は大切だとも思った記憶があります。

ジムでは、老若男女いますが、誰しもが運動に集中しています。

そして、何よりも前向きな姿勢が感じられます。

中には、障害で身体が不自由な方も、一生懸命に運動しています。

街なかでのカップルのいちゃいちゃした光景も見なくて良いし、

夫婦で来ている人も少ないと思います。

時間によっては、子供がいることもありますが、

最近女性にも人気のウエイトトレーニングや、マシントレーニングの場所は

基本的には大人ばかり。

毎日ジムに通うと、顔を合わせる人も同じです。

家庭があったりもするでしょうが、それでもジムの運動を優先している人たちだから、

それなりに、孤高な感じもするものです。

だから、自分が離婚で独り身であることを強く意識させられることも少ない。

毎日、ボロボロになるまで運動すれば

おなかも減ります。疲れて、よく眠れます。

身体のラインも引き締まります。

人間というのは、激しい運動をしながら、悩み、悲しみ、苦しむというような

同時に何かをするというのは難しい。

全力で運動している時間だけは、悩みからも解放されます。

身体が引き締まれば、カッコイイ、スポーツウエアや、シューズがほしくなったり、

ゆるくなった日常の服も買い替える必要が出てくるでしょう。

そして、大きなことは、自分の身体からの声を聴くことができるようになることです。

身体が締まると、食事や、身体の内面の状態に敏感になります。

それは心にも良い影響を与えだします。

身体が研ぎ澄まされて、心にも変化が出ます。

また離婚して何もかも失ったと感じ、自分の無力感を嫌というほどに感じた後でも、

運動すれば、身体は裏切らないし、生活スタイルを変えていくきっかけにもなります。

思い切って、ジムやヨガなど何かを無理やりはじめてみることは

立ち直る大きなきっかけになると思いますよ。

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