さて、お待たせしてしまいましたが、
前回のつづきです。
たしかに、失ったものは
絶望するほどに大きなもので、
あなたの人生ではかけがえのないものです。
それはそうだと認めてしまいましょう。
そう、もうやってられないほどに苦しい。
孤独で、不安で、寂しいし、切ない。
過去の想い出も忘れられないし、
日々の生活もお金も体調も、何もかもしんどい。
まず、それは否定しないというところから入りましょう。
その上で、
あなたの10年後、20年後、死を前にしてい
人生を振り返ってみてください。
パートナーがいない
結婚していない
子供がいない
仕事がない
・・・
どれもこれも
残念だし、手に入れば良かったし、
もっといろいろな経験もできたし、楽しかったかもしれない。
でも、あなたの人生60年以上を振り返ったときに、
あなたの人生を考えて、
死んだときに、仮に、天国の神様に報告するときに、
その点だけを報告しますか?
離婚したから、私の人生は何もなかった。 と。
離婚したから、最悪だった。
パートナーができなかったから、
人生すべてはつまらなかったし、生きなければよかった。
・・・・
でも、神様は、客観的に冷静に、正確な報告を求めているとしましょう。
そこで、あらためて、考えてみます。
○○ができなかったから、絶望した。
人生で一番大きな出来事だった。
辛く、苦しく、悲しみを味わった。
それが10年も続いた。
でも、子供のときは、○○が楽しかった。
初めての恋人との思い出は〇○
新婚旅行は最高に幸せだった。
仕事はまあ人並みにできた。
お金はなかったけど、友人には恵まれたし、
自分なりに楽しめた。
パートナーと長くは続かなかったけれども、
趣味はたくさん、想う存分にして遊んだ、だれよりもやりきった。
小学生までは・・・
中学では、部活をがんばった。勉強はイマイチ。
10代はまあまあだったかな。
20代前半は最高、恋人もいた。
20代後半もまあまあ、結婚もできた。
30代は、離婚して、完全に絶望、厄だらけ、仕事もイマイチ。
40代は、ちょっと立ち直ってがんばった。
50代は、そこそこ振り切って、やりたいことした
60代は、お金がないけど、まあ気楽に過ごした。
・・・
つまり、
離婚という一点をとって、
パートナーを失ったという一点をとって、
自分の人生を、「最悪」と評価して、断定しますか?
神様にそのことだけを報告しましょうか?
神様からは、与えられた人生を、資源を、どうつかって何を学んで、
どう生きたのかを問われているのです。
まさに、ヴィクトール・フランクルがいうところの
どう生きるのかを問われている存在。
絶望も、悲しみも、不安も、孤独も、
すべては嘘ではなく、真実の感情です。
そして、なかったことにはならないし、
打ち消すこともない。
それらすべてを感じて、
今なお、悲しみ続けるなかで、不安を抱える中で、
これから、あなたはどう生きる方向へ向かいますか?
すぐには答えがでなくてもいいのです。
今日のお話が全てではありません。
神様がいるかいないかもどうでも良いのです。
人生を俯瞰して、事実を客観的に見つめる。
その視点の一助になればと思います。
答えは、あなたの中にしかありません。
・・・・
前回のつづきです。
たしかに、失ったものは
絶望するほどに大きなもので、
あなたの人生ではかけがえのないものです。
それはそうだと認めてしまいましょう。
そう、もうやってられないほどに苦しい。
孤独で、不安で、寂しいし、切ない。
過去の想い出も忘れられないし、
日々の生活もお金も体調も、何もかもしんどい。
まず、それは否定しないというところから入りましょう。
その上で、
あなたの10年後、20年後、死を前にしてい
人生を振り返ってみてください。
パートナーがいない
結婚していない
子供がいない
仕事がない
・・・
どれもこれも
残念だし、手に入れば良かったし、
もっといろいろな経験もできたし、楽しかったかもしれない。
でも、あなたの人生60年以上を振り返ったときに、
あなたの人生を考えて、
死んだときに、仮に、天国の神様に報告するときに、
その点だけを報告しますか?
離婚したから、私の人生は何もなかった。 と。
離婚したから、最悪だった。
パートナーができなかったから、
人生すべてはつまらなかったし、生きなければよかった。
・・・・
でも、神様は、客観的に冷静に、正確な報告を求めているとしましょう。
そこで、あらためて、考えてみます。
○○ができなかったから、絶望した。
人生で一番大きな出来事だった。
辛く、苦しく、悲しみを味わった。
それが10年も続いた。
でも、子供のときは、○○が楽しかった。
初めての恋人との思い出は〇○
新婚旅行は最高に幸せだった。
仕事はまあ人並みにできた。
お金はなかったけど、友人には恵まれたし、
自分なりに楽しめた。
パートナーと長くは続かなかったけれども、
趣味はたくさん、想う存分にして遊んだ、だれよりもやりきった。
小学生までは・・・
中学では、部活をがんばった。勉強はイマイチ。
10代はまあまあだったかな。
20代前半は最高、恋人もいた。
20代後半もまあまあ、結婚もできた。
30代は、離婚して、完全に絶望、厄だらけ、仕事もイマイチ。
40代は、ちょっと立ち直ってがんばった。
50代は、そこそこ振り切って、やりたいことした
60代は、お金がないけど、まあ気楽に過ごした。
・・・
つまり、
離婚という一点をとって、
パートナーを失ったという一点をとって、
自分の人生を、「最悪」と評価して、断定しますか?
神様にそのことだけを報告しましょうか?
神様からは、与えられた人生を、資源を、どうつかって何を学んで、
どう生きたのかを問われているのです。
まさに、ヴィクトール・フランクルがいうところの
どう生きるのかを問われている存在。
絶望も、悲しみも、不安も、孤独も、
すべては嘘ではなく、真実の感情です。
そして、なかったことにはならないし、
打ち消すこともない。
それらすべてを感じて、
今なお、悲しみ続けるなかで、不安を抱える中で、
これから、あなたはどう生きる方向へ向かいますか?
すぐには答えがでなくてもいいのです。
今日のお話が全てではありません。
神様がいるかいないかもどうでも良いのです。
人生を俯瞰して、事実を客観的に見つめる。
その視点の一助になればと思います。
答えは、あなたの中にしかありません。
・・・・