離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

できなくて当たり前

2016-01-06 00:00:01 | 日記
苦しみのどん底にあるとき、

なかなか動くこともできない。

食事も、睡眠も、仕事はもとより、

日常のちょっとしたことすらもできない。

以前にも書いたと思うが、

仕事のアポイントを

手帳に書くという、何も難しくないことでさえ

まともにできないこともある。

注意力が足りないなどというレベルではなく、

予定が入り、それを手帳に書き留めるという

ただそれだけのことに、思考が回らないのである。

それでも何とかがんばろうとするが、

もう身体も心もバラバラになり、

とても自分というひとつの人間として形になっていないような

まるで人間としての基本的な機能が果たせないような

そんな状態だ。

どうすればいいのかもわからないし、

そのことを誰かがわかってもくれない。

話をすれば友人も気をつかってはくれるだろうが、

ほんとうの意味での理解ではない。

何しろ、経験したことがないのだから無理はない。

つまり、これらのひとつひとつが

あなたを孤独に深くおとしていく。

だが、ここのブログを読んでいればわかるように、

多くの人が同じような想いを抱えて

苦しんでいる。


朗報なことは、

特別に新しいことでも、人類はじめてのことでもなく、

いずれは、折り合いがつけられる日がくるのだという

過去の実績もルートもあるのだということ。

逆に、あまりうれしくないのは、

だからといって、

あなたの苦しみが減るわけでも、

瞬時に悲しみが消えるのでもなく、

当面は、相当にしんどいのだということ。

そんな状況のなかで、

できないことは山のようにあり、

できることは少ないと思う。

だが、経験している人なら、だれでも認めるし

肯定すると思うのだが、

その中で、サバイバル、生き残る、耐え抜くだけで

十分にすごいことだし、

食事ができること

少しでも眠れること

まして仕事にいけること、

家事をすること

子供の世話をすること

子供に笑顔で接すること

これらすべてが、すごいことだということ。

だから、いろいろできなくて

当たり前、

無理なんです、それだけの苦しみを背負って

あれこれできるなんて。

今までと同じように生活するなんて。

できてなくて当たり前、

でも、十分にがんばっているし、耐えている。

私はあなたのそのがんばりを、

十分に認めています。

できるだけで十分、

自分なりで十分、

生きているだけで十分です。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする