離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

新しいこと

2020-02-27 01:01:01 | 日記
今日は少し、いつもと違う話題で
気軽に読んでほしい。

先日、はじめての経験をしました。

トレーニングジムでは有名なGOLDGYM。
黄色い看板のやつです。

そのジムはカリフォルニアからスタートした世界規模のジムですが、
日本でも最近はどこでも見ますね。
さてそのジム主催というかワールドワイドで開催されている
マッスルコンテストが近くで開催されるのを知って、
6000円のA席で観戦した。
要するにボディービルの大会。

野球もサッカーも見ないし、ライブにも行かないが、
なぜか見てみようと思った。
以前はボディビルにも興味はないし、
まして観戦するなど考えたこともない。
ふとメールマガジンで知って、行ってみようと感じたから、
そのまま行動しただけである。

最近のフィットネスブームは、男性だけでなく、
特に女性がすごいことになっているが、
私自身もパーソナルトレーナーに教えてもらうくらい、筋トレも好きだし、
そもそもトレイルランや登山、ボルダリングの身体能力向上ために身体を鍛えている。

観戦の感想は、とにかく面白かった。
まず、以前ではありえない環境にいる自分に対して。
そして見るものすべてがはじめてで新鮮であり、こんな世界があるのだと知った。
選手は世界中から来ている。
私が知らないだけで、全力で戦っている世界が目の前にはあった。

そして何よりも、筋力は才能や生い立ち、そんなものに関係ないことだ。
筋トレをしても、簡単に腹筋は割れないし、良い身体にはならない。
想像を絶するような管理された食事、睡眠、トレーニングと
ライフスタイルすべてを自己管理できなければ、完成しない。
才能とか、運動神経と関係なく、地道な努力をした証拠である。
多くのことが努力で報われないし、裏切ることもある、
才能や生まれの影響もある、不公平だらけだが、
筋肉は裏切らない という言葉が流行っているように
自分の努力次第で結果が得られる数少ないものかもしれない。
それゆえに、自分の自信につながるから、
自己肯定感の向上が得られるのでしょう。

海外の人の考えでは、マッチョは、自己管理できている人しか到達しないという意味で、
それだけしっかりしたライフスタイルができる人という評価らしい。
また、ジムで毎日トレーニングできるくらいのお金と仕事ができる人でもある証拠だという。

自分でトレーニングしてわかったが、たしかに簡単にはいかない。
食事も気を付けても、あのような身体には到底近づかない。

筋トレの話ばかりだが、伝えたいのは
新しいものを見てみる勇気と、行動が大切だということ。
はじめての経験は、あなたにきっと新しい価値観を教えてくれる。
今までと違う価値観の人と触れることは、新たな可能性を広げることにもなる。
あなたのまわりで、いままでの自分では考えられないうようなことに
扉を開けてみると、変化のきっかけとなるかもしれない。
動けないときはそのままでいいし、無理の必要性はない。
もし変化したい、何かしたい、そう思えるようになってきたら、
新しいことに向かってみるのはおすすめだ。





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世界の見方

2020-02-24 01:00:00 | 日記
連日のウィルス問題で、

世界のメディアを見ることがあるだろうか。

以前にも書いているが、私はドラマやお笑いは見ない。
ドキュメンタリーかニュースだけだが、
特にBSNHKのワールドニュースを見る。

このウィルス問題で、日本の政府の対応に対して、
世界のメディアが批判している。

震災のときの東電のメルトダウンと同じ隠蔽体質とすらも。
前例主義、役人主義、縦割り・・・ イレギュラーに対応できない制度、国。

ずっと私は書いているが、もう国内の視点で見ていたら
人生どころか、日常生活ですらまともな価値観とは言えない。

離婚という人生の大事件を乗り終えていくために
新たな価値観が必要なことは伝えていますが、
あなたの周囲はこれまでのあなたの価値観と合う人が多い。
趣味でも、会社でも友人でも、これまでのあなたの価値観と合うからそこにいたのであって、

これからあなたが国内だけでなく、世界の大きな視点で物事をとらえ、

幸せとか、生き方とか、人生とかを再構築していくうえで、
今の枠からは飛び出すことが大切かもしれない。

多様性を認め、いろいろな生き方や価値観で生きている人に触れること
自らも固定観念にとらわれない生き方をしていく。
私自身が今でも見習い中であるが、
親や世間から言われてきた価値観を見直し、
会社の人たちの価値観から離れ、以前の友人はほとんど縁がない。

絶望と底知れぬ苦悩を経験し、人生の真実の一部に気づき、
自ら試行錯誤してきた10年以上の歳月を経て、
新しい価値観、軸を作りながら、悩みながら生きてきたのだから。

いつも言うことですが、
平和ぼけして、幸せぼけした、順風満帆な方と同じ生き方はできない。
それが悪いわけでもない。批判するつもりもない。

ただ、私とは生き方が違うし、価値観が違う。
それが私の軸となり、また固定されたものでもなく、今後も変化していくのだろう。












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意味を決める

2020-02-20 01:00:01 | 日記
最近は、ほんとうにいろいろなニュースがある。

ウィルス問題で、街からはマスクが消えた。
たしかに近所の薬局のどこにもない。
ネットで高額で売る人もいるというから、一部の買占めも要因のひとつだろう。
だが、普通の家だって、家族分の1カ月分ともなれば、少なからず量が必要であるから、
買占めたくなくても、買わざるを得ない。
他人は二の次である。

また、芸能人の不倫や薬物事件は毎日のようにあるし、
離婚のニュースも多い。
世の中の人は、単なる他人事で、ドラマを見るのと変わらないような感覚だろう。
芸能人でなければニュースにもならないが、
我々の周囲でも、不倫や薬物に関わる人がたくさんいるのが現実だろう。

要するに、人間というのは、そういうものだということ。
聖人君子でもないし、強さもあるし、弱さもある。

他人よりも身内を優先する場合がほとんどで、
自分よりも他人を優先できる人はわずかだ。

不倫なんて、相手の家庭を壊すことを考えれば、おすすめできないが、
それでもこれだけ多いのは、やはり自分が中心の証拠である。
だが批判も難しい。なぜなら、いつもいうように、他人は変えられないのだから、
他人の人生に介入するなんて中途半端なことはできない。
そしてその責任は自分でとるしかない。
いつも言うが、人生は自分自身でしか生きられない。

これらの最近のニュースをみて、くだらないと思うことも、
人生に絶望することも、刹那的に生きることもできるでしょう。
だが、結局のところ、どう生きるのかはその人次第。

人間、人生を正しく認識して、そのルールは絶対であるという基盤のもとに、
じゃあ、どうするのか?どうしたいのか?
そこが大切ではないだろうか。

いつも言うのだが、人生は、トランプゲームと同じで
配られたカードで勝負するしかない。しかも一度しかプレーできない。
死ぬこと以外はすべてかすり傷 というようなことを言っている方がいるが、
実際にそうだと私も思う。
かつて、聖路加病院の日野原先生は、クリスチャンだが、
死が最大の試練、課題だとしたら、人生で起こることはその練習にすぎないとも
言っていた。

人生は何が起こるかわからない。
離婚を経験したのだから、そのことは実体験としてわかると思う。
離婚は良い出来事ではないかもしれないが、
それは、良いことも悪いことも同じように未来はわからないということも示している。
将来の自分の生き方こそが、離婚を良いものにも悪いものにもしていくのだと思う。

過去の出来事に意味を与えることができるとすれば、
それは現在の、そして将来の在り方がその意味をつくる。

新しい、素敵な人生になれば、離婚もまたターニングポイントとなるであろし、
別れた相手とのことも、人生に大切な出会いであったことにもなるかもしれない。

それで残りの人生が崩れてしまえば、ただ辛い出来事で終わってしまう。
厳しい言葉になるが、やはりどう自分が生きていくのか、
それが未来を決めていくのではないだろうか。







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見つめるのは自分の内側

2020-02-11 12:00:01 | 日記
対人関係で、多くの人が苦悩している。

職場でも、家族でも、ご近所でも、友人でも

そして、恋人や夫婦でも。

多くの人が、相手に要求しているからなのです。

人間だから、誰しも不安になったり、心配になったり、

イライラしたり、腹が立ったり、そういう感情はあるものです。

そんなときに、自分ではなく相手に原因を求める。

相手が〇〇してくれない、相手が〇〇するから、

相手の言葉が・・・、相手の態度が・・・、

冷静になって考えてみると、

たとえば、自分が上機嫌で、最高に幸せな気分のとき、

絶好調のときは、たいていの相手のことには我慢できるのではないだろうか、

大抵のことには寛容になれるのではないだろうか。

そして、寛容ではないとき、それは自分自身に余裕がないときではないだろうか。

相手に原因を求めるのは一番安易で簡単な方法で、

自分は傷つかないし、自分は悪くない、相手のせいだから。

他責の人というのは、そうやって生きてきている。

離婚した相手が、もしあなたのことを責めているなら、

それは他責の人かもしれない。

だからといって、自責して、自分で自分を苦しめるように言っているのではありません。

それで自己責任だと自分で追い詰める必要もありません。

ただ、他人、相手に自分の感情の原因を求めてしまうと、

いつも言うように他人は変えられないのだから、

長い間、自分の感情を他人にコントロールされてしまうようなものでないだろうか

自分の感情の主人公は自分の内にあるのであって、外にはない。もちろん他人は本来は関係ない。

間接的には関与するだろうか、最終的に自分の感情を決めるのは自分でしかない。

言われなくても、誰でもわかるのに、

はじめに書いたように、多くの人が相手のせいにする。

どうにもならない相手のせいで、自分の感情を左右されるなんて、なんとも無駄ではないか。

他人は変えられない。

どんなに説得しようとも、どんなにお願いしたところで、

相手も含めて、変えられるのは自分のことだけなのだ。

このことが本質的に理解できるようになると、

他人をコントロールすることがなくなり、とっても気持ちが楽になるはずだ。

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