離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

不安になる

2019-10-28 00:00:01 | 日記
不安について語った本はたくさんある。

その不安を解消するための方法もたくさん提案されているし、

そのいくつかは役に立つかもしれない。

不安というものが行き過ぎれば、生活できないし、支障となる。

いくつかの方法で、

一時的に和らぐことや、忘れることもある。

だが、結局、どこまでいっても不安はなくらない。

幸せであればあるほど、それを失うことは怖い。

大切なパートナーや子供がいれば、

事故にあわないか、犯罪にあわないか、病気にならないか・・・

言葉に出さずとも、不安になる。

独りになったらなったで、

これから先のことや、そもそも現在の生活自体が不安になる。

でもやはり不安のなかで生活はしたくないし、

不安で眠れない夜はつらい。

だからどうにかこうにか、やり過ごそうとする。

もちろん、私自身もそうだし、大方がそうではないだろうか。

離婚という苦しみを経験したから、もうなんでも怖くないなんてこともない。

そう考えていくと、どこまでも不安はなくらなず、

そもそも、どうして自分が生まれて、いつ死ぬのかすらわからないなかで

とても不安定ななかで、生きているのだということ自体が謎であるし、不安になる。

不安というものを隠そうにも、ないものにすることもできないのならば、

いっそのこと、不安であると自分で認めてしまうほうが楽になるようにも思う。

そして人間の行動原理の裏には、不安があることは間違いない。

いろいろな不安があるからこそ、何かしようとする。

それくらいに不安というものは強い力がある。

私自身は、不安や心配を感じたときに、言葉にしてしまう。

誰に言うのではなく、自分に言って、現状を認めてしまう。

できることはするし、できないことは、もともとどうにもできない。

不安であることを自分で自分に隠すとために、いろいろとおかしな行動をするよりは、

不安を抱えている前提で、対処するほうがよほどまともな行動になるように思うのです。

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どうしようもない

2019-10-20 00:00:01 | 日記
離婚して、世の中の不条理さや、不合理を

たくさん感じてきた。

結婚が法的なものなら、離婚もそうであって、

調停も、裁判もそう。

それにかかわる人も仕事のひとつであって、

裁かれる人、判断される人の人生に最後まで関わることはない。

たくさんある事例のひとつでしかない。

だが、どうすることもできないことに対応する術はないだろう。

少なくともこの資本主義の法的国家にいるのだから。

いつもいうように、他人を変えることはできない。

それを求めれば、永久に苦しむしかない。

不条理なことを認めるとか、

間違っていることをそのままにするのかとか

相手を許すのかなど

そういうことを言う人、考える人もいるだろうが、

そうではない。

「ゆるす」というのは、自分をこのような苦しみに追いやった相手や

不条理な約束を押し付けてきた相手や、弁護士や、法律に対して

行うものではないのだ。

「ゆるす」「許し」は、

自分で自分に対して行うもの、自分のためのものなのだ。

真面目な人ほど、自分を許すというのが難しい。

だが、自分で自分を責めて、罵って、

自己否定しても、得るものはゼロなうえに、

失うものが多い。

要するに、正しいとか正しくないとか、

相手が悪いならそれでよいし、

すべてをそのまま、ある意味で棚上げして、

その上で、自分自身を自分で許す

これは今日明日でできるものでもないし、

簡単に頭で理解していればよいというものでもない。

長い時間をかけて、苦しみながらも、

自分を許すプロセスを歩むということになる。

他人は変えられないし、変わらない。

社会も、環境も、法律も弱者の見方でもないし、正義の見方とも限らない。

そのうえで、そこに発生する苦しみから

自分を解放して、自分を解き放ち、新たな人生を創生するために、

他の誰でもない、自分で自分を許す

哲学的、道徳的なことを伝えているのではありません。

あなたが考えぬいた先には、きっと同じところに行きつくのではないでしょうか。

それしか方法がないのだと。

だから、強制もしないし、これが正解だと押し付けることもしません。

もしかしたら、そんな方向性もあるのかもしれないと感じていただいて、

自分自身で試して、考えて、ご自身なりの気づきにつながればと思います。






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何を信じるのか。。。。

2019-10-16 00:00:01 | 日記
これまでも、私が苦しみに耐えていたときに、

本、セミナー、いろいろともがいてきたことを伝えました。

そして、それでも答えに行きつかなかったことも。

もちろん、無駄ではありません。

その結果、今がありますし、答えはなくとも、

学びにはなっています。

あなたの今の苦しみが和らぐのであれば、何を信じても良いと思います。

宗教でも、スピリチュアルでも、なんでも。

以前に書いていますが、私もスピリチュアルや宗教もたくさん学びました。

オラクルカードやタロットカードをいくつか買って、

真面目に使ってました。

苦しみにあるとき、なんでもよいのです。

今を耐えて、凌いで、やり過ごせるなら、

犯罪以外なら、なんでも活用してみるしかありません。

ただ、必ず、後戻りできるようにしておきましょう。

少なくとも、自分では理路整然としているようでも、

理系の私がロジカルに、合理的に考えているようでも、

隙もなく、完全な方法だと考えても、

グリーフにある状態は、やはり冷静ではないことが多い。

あとから考えると、どうしてこんなことを考えたのか、信じたのか、行動をしたのか・・・

そんなことはたくさん出てきます。

それくらいに、当時の自分では判断できないくらいに

冷静ではないのです。

だから、何を信じても良いし、どう行動しても良いですが、

必ず、戻れる程度にしましょう。

グリーフにあるとき、自分が絶対だと思った価値観は、

グリーフを抜けたとき、けしてそうではないことが多いということは事実です。

私自身、多くの事例がありました。

後戻りできない行動は、絶対に避けてほしい。

冷静さを取り戻し、グリーフを抜けて

新しい人生を歩むときに、足かせとならないようにしたいものです。

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なるほど・・・

2019-10-13 00:00:01 | 日記
ちょうど1週間くらいのWEB記事で見て、

私自身が考えさせられたものがあった。

知らない人も多いかもしれないが、

当時は、有名塾の有名先生で佐藤先生、通称金ぴか先生という方がいた。

一コマの授業で200万ともいわれる名物先生。

テレビにもたくさん出ていたし、教育に力を注いだ方。

その方が、晩年は生活保護となり、孤独死して発見されたというのだ。

2億の豪邸を立てたり、外車を持ったりと、派手であったらしいが、

いすれにしても、

当時はカリスマ先生。

人間とはほんとうに最後までわからないと感じた。

いつもいうことだが、

離婚したとき、親権をとる方、養育費を払う方、

子供と会えない、・・・、

残る住宅ローンに苦しむ人


いろいろいるだろう。

だが、死ぬときはわからない。

自分に嘘なく、誠実に生きたら、後悔はないのではないか。

逆に、相手を責め、そのときは、相手を出し抜き、

調停や、裁判で勝ち、まるで人生に勝ったかのように感じたとしても、

死ぬときに、自分がどう感じて死ぬかどうかである。

少なくとも、私は曇りなく終わりたい。

自分の人生を全力で生きたと感じたい。

金ぴか先生がどう感じたのかはわからないが、

亡くなる直前の8月までインタビューを受け、

やせこけた写真が残っている。

最後まで、自分の人生を教育的観点で晒してくれたのではないかとも記事にはあった。

真実は不明だが、

人は最後に向けて生きているとすれば、

そのときに、どうあるか? これが大切な指標ではないかと思う出来事でした。

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考えないことにする

2019-10-09 00:00:01 | 日記
私たちは、人生というものについて

深く考えれば、考えるほどに

わけがわからなくなる。

いつも言うように、

気づいたら生まれていて、そのゴールは問答無用に死であり、

働かないと収入が得られず、どんなに健康的に生活していても

病気になったり、災害にあったり。

大切な人との別れがある。

このことについて、考えたら生きていけない。

人生というものに疑問を持ったら、どうにもならない。

だから、考えないことにする。

考えても答えのない問いだから。

じゃあ、人生なんて意味がないとか、何をしてもむなしいというのは

これもまた少し違うのではないか。

今ある目の前の、瞬間しか確実なものはなく、

それだって数秒後にどうなるかは確実ではない。

朝、目が覚める保証などどこにもない。

家を出て、夕方に自宅に戻れる保証もない。

屋根がある家に住み、電気、水があり、食事がとれる、

布団で横になれることは、当たり前ではない。

それができない人がどれだけ世界中、そしてこの日本にもいるだろうか。

自分に与えられた時間を大切に生きることの意味を考える。

人生について考えないことにするのではなく、

考えたうえで、できることをする。

その貴重さに気づく。

離婚はたしかに苦しく、虚しさを感じる。

だが、壮大な人生の時間のなかで、結婚も離婚もまたひとつにすぎない。

悲しいことは感情だが、そしてそれがすべてであるかのように感じてしまうが、

実際、耐えているなかで、それがすべてであるのだが、

人生全体を俯瞰して、一段も二段も高いところから眺めてみると、

答えのない人生への問いに、正解ではなく、

歩むべき方向が見えてくるかもしれない。

今日は少し哲学的な話になってしまいましたが、

この離婚の苦しみを乗り越えていくためには、

人生という壮大な時間のなかで、その意味を考えていかないとならないのではないかと思うのです。

少なくとも、私自身は、離婚という事実、子供と会えないという不条理について、

自分の人生や、生きるという大きな枠のなかの、ひとつの出来事として位置づけていくなかで、

歩んできたように思います。

これもまたひとつの対処方法として、今日はお伝えしました。



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私は・・・・

2019-10-05 00:00:01 | 日記
今日は、何度が伝えている

I(アイ)メッセージについて。

周囲でコミュニケーションのトラブルになるのを良く聞いてみてほしい。

また自分が気分が悪くなる、イラつく相手の言動を見てほしい。

相手に反論したり、言い返したくなるようなとき、

相手の言葉を考えてほしい。

その多くが、You(ユー)メッセージだろう。

あなたは、こうでなければいけない

あなたは、ここが悪い

あなたは、自分に〇〇してくれない。

あなたは。。あなたは。。。

相手をコントロールする言葉。

意図的であれ、無意識であれ、

あなたは(You)という言葉は、相手に強制力がある。

一方で、I(アイ)メッセージ。

私は〇〇のように思う、考える、感じる。

私はあなたに〇〇のようにしてほしい。(でも、それを強制もしないし、決めるのはあなた自身)

私は、私は・・・

これは、同じことを伝えるとしても、違うメッセージとなる。

人は誰しも自分の意見や感情を表現することは許されるだろう。

だが、それは自分の考え、感情であって、相手に強制するものでも、できるものでもない。

なぜなら、相手は同じではない。

その根底には、相手の人生と、自分の人生は異なるし、別物であるということがある。

相手の人生を自分の人生に引き込むなんて無責任なことができるはずがない。本来は。

でも、職場でも、友人でも、他人でも

多くの人の会話を聞いてみてほしい。

多くがYouメッセージだと気づけるだろう。

要するに、だからミスコミュニケーションとなる。

たまに、しっかりとIメッセージができている人がいる。

ものすごく、周囲から好感があるだろうし、すがすがしいコミュニケーションと感じているのではないか。

本来、Iメッセージができていれば、喧嘩などしない。

自分の言葉が受け入れられるかどうか、合うか合わないかであり、

相手をコントロールしないのだから。

相手をコントロールしようとするから喧嘩になる。相手は反発して当然なのだから。

他人はコントロールできない。

これは他人は当然ながら、親子だろうが、夫婦でも恋人でも。

相手をコントロールしようと無意識にしているときもあるだろう。

だが、どのレベルで相手の人生に責任がもてるというのだろうか。

極端な話だが、

健康のためには、あまり脂質の多いものを食べない方が良い、

今日は無駄遣いはやめて、ゴージャスな料理にしないで、節約しよう。
豪華な食事はお互いの記念日にしよう。

一見すると、当たり前な意見にも感じる。

というか、多くがこんな感じの会話だろう。

だが、どうして、相手が数日以内に死ぬことになろうと知ることができるだろうか。

どうして、相手が急病になって、おいしい食事ができなくなると知ることができるだろうか。

どうして、その記念日を迎えることが永遠にできないと知ることができようか。

あくまで極端な例ではあるが、

自分の未来はおろか、相手の人生の未来に責任などもてないし、知る由もない。

大切なことは、今、この瞬間であり、

確実なものは、今この瞬間しかない。

それを考えたとき、

相手の人生をコントロールするようなことができるだろうか。

あなたは、Youメッセージを使うことが適切だと考えるかどうか。


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本質を考える

2019-10-01 00:00:01 | 日記
離婚して、元パートナーへの想いが消えると、

今度は、新しいパートナーが見つかるだろうかとか、

再婚できるだろうか

私自身もそうでしたが、

早く再婚して、

失った形を取り返して、

元の軌道に戻って、

離婚という事実をなかったことにして、

新しく生きたいと思いました。

でも突き詰めていくと、

そんな形には意味がないということがわかります。

恋人がほしい、再婚したい

それはそれで良いと思います。

だけれども、一番あなたが求めているのは

何でしょうか?

心から安心できる相手だったり、

ほんとうに自分を理解してくれる相手、

行きつく先は、結婚とは限らず、死ぬまで恋人でも良いかもしれません。

たしかに日本では結婚していれば、会社の補助や優遇もあるでしょう。

恋人は親族とは認められません。

でもまずそんなこととは関係なく、

あなたが求めている本当の関係性や、環境、生活とは何かと考える時間が必要です。

何を人生で求め、何を相手に求めているのか、

離婚はそのあなたのどの価値観にあってなかったのか、どんな理由からこうなったのか、

自分を責めるのではなく、単に卑下するのでもなく、

本質的に何を求めていたのか、そしてこれから何を求めていくのか、

有名な言葉、正確ではないですが、

同じことをして、違う結果を求めるのはありえない

というのがあります。

だからこそ、自分の価値観、軸を見直して、再出発が必要なのです。

これは、あなたの価値観が間違っているということではなく、

相手の価値観があなたの価値観と一致していなかっただけかもしれませんし、

とにかく、立ち止まり、自分を見直す時間をとることをお勧めします。

ほんとうに自分が向かうべきところ、求めているもの

これを考えぬく必要があると思うのです。


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