離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

プロセスを感じる

2017-09-28 00:00:01 | 日記
久しぶりにプロセスの話題です。

初めから読んでくれている方には

何度も書いているのでご存じと思います。

私自身の大きな軸として、

人として、

人智を超えた大きな力によって

生かされている 

と感じていることは

いつもお伝えしています。

生まれてから今の今までいろいろな経験を通して、

自分の努力だけでどうにかなることは少なく、

都度、予期しない出来事によって

人生は変化してきました。

またこれから先もそうでしょう。

離婚はたしかに辛い出来事で、望んではいませんでしたが、

そのことによって、

他の大きな変化がありました。

今では、この大きな変化を受け入れることができます。

また日常のことでも、「流れを見る」というように、

このプロセスを感じるだけで、見え方が変わってきます。

些細なことや、努力でどうにかなることは、

一生懸命やればいい。

でも、人生には、どうにもできないものがあって、

自分のコントロール以外の部分があると気づき、

それならば、その大きな流れに身を任すしかない。

それしか選択肢がないのなら、それしかない。

諦めとは違って、すっきりとそう覚悟する。

誰が決めたか知らないし、知ることのできない

人生ゲームのルールは変更不可能。

その上で、自分の人生を形作るプロセスを

あなたが信じても、信じなくても、

どちらでも構わないけれども、

それでも、あなたのコントロールできない出来事は起こるし、

望むことも、望まないことも起こる。

自分を取り巻くプロセスを深呼吸して感じて、

そして、いつも言うこと、

川の流れに葉っぱが揺られて、流れていくように。

オールを手放して、流れにのれば、ボートの船首は、川下を向いて

流れていくように。

自らの人生に抵抗するのではなく、

身を任せる感覚を身に着けることができると

すこしは気分が楽になるのではないかと思うのです。

私自身も10年以上かけて、右往左往、行ったり来たりしながら、

そういう感覚をもって、目指して生きてきました。

仙人や行者のようにはなれないけれども、

すこしだけは、世間の人たちよりは、手放せていると良いなと

そう感じながら日々を過ごしています。

深呼吸して、あなたの人生のプロセスを感じてみてくださいね。



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他人と比較する

2017-09-24 00:00:01 | 日記
離婚して、

苦しいときに、

どうしても他人と比較してしまいます。

それをダメだというのは簡単ですが、

実際には、比較してしまうから仕方がない。

他人の幸せそうな状況を比較して、

どうして自分は・・・・と落ち込む。

逆に、他人の幸せや、

それどころか他人の状況に無関心になろうとすることもあるでしょう。

他人と比較すると疲れるし、自己嫌悪に陥ることもあるので、

無関心になることで、自分を防御せざるを得なくなります。

一方で、

他人の不幸を探すということもあるでしょう。

自分ばかりが不幸じゃない。

他人はもっと、苦しいのだと。

テレビの災害や、事件や。。。と比較して、

自分はまだマシで、耐えることができると。

これも誰でもそうなのです。

もし、比較するなら、ただ比較するのではなくて、

人生とは何なのか、マシな自分はどう生きるのか

そうやって、もう一段、考えを進めることができれば

比較する意味もあるというものです。

どちらにしても、

自分自身が耐えるための反応です。

そのことに悩んだり、考えるよりは、

自分はそれだけ苦しいのだと気づいて、

自分自身に優しくなること。

誰に迷惑をかけるわけでもないから、

心のうちで、何をどう比較しようが、

今は、ただ自分自身を保つ方が先決。

それほどまで苦しい自分を、どんな方法でもいいから

自分自身で支えて、耐えていくことが一番のこと。

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自由になる

2017-09-21 00:00:01 | 日記
いつもお伝えしていますが、

私が離婚前後で変化したことは、

たくさんあります。


・人生の在り方

・仕事への在り方

・人間関係

・自分の軸

・・・・

人生の在り方という点では、

いつもお伝えしている人生のとらえ方が
大きく変化しました。

今日一日を一生懸命生きるということや、

そのことは先延ばしにしないことや

自分のために生きること

などなどです。

また、仕事への在り方という点では、

家族がいれば、多少やりたくないことでも

お金のため、収入、生活のために我慢もしますし、

生活レベルを上げるために、勉強も、社内の人間関係も

あらゆる点で努力しました。

でも、自分のために生き、人生ははかないのだと気づいてからは、

自分軸に沿って、仕事をするようになりました。

極力、残業時間を削り、自分の必要なことのために時間をつかう。

人生全体を考えたときに、私にとって、重要なことが何であるかを

考えぬいた結果、ライフスタイルが確立していきました。

また人間関係は大きく変化したひとつですが、

高校、大学、大学院とそれぞれの時代をともにしてきた仲間の

多くとは音信不通です。何も困らないと気づきました。

惰性でつながることはしません。仕事でも、友人でも年賀はがきなどの慣習はやめました。

お互いに必要としている相手であれば、今どき、SNSもあるわけで、

どんな方法でもつながることができます。

でも、ほんとうに自分を支えてくれた人、数人とは今でも会います。

また無理して人間関係を築くこともしないし、

仕事のために、興味もない二次会に参加して、時間を浪費することもなくなりました。

そして、離婚後にはじめた新しい趣味の仲間とは

とても充実した時間を過ごすようになりました。

以前の私は、バランス感覚があり、人間関係も、あらゆる方面で非常にうまく動きました。

しかし、偏っていてもいいし、日本の常識も慣習も、世界の一部のことであり、

まして自分の生活コミュニティーにおいては、大したレベルのことではないのですから、

それらにとらわれるのではなく、自分自身で選択してライフスタイルを構築して、

生きていけばよいと気づきました。

とらわれないといえば、ウソになるでしょうが、

少なくとも、できる限り自由に生きることを志向して、

日々の価値判断をするようになりました。

こんな大きな変化を起こせる機会は、病気や事故など余程の身体的ダメージを受けるか、

離婚のような精神的ダメージがないと、人間は考えることすらしないし、

まして変化することもないでしょう。

変化する必要性がないのですから、いくら本を読んでも、

自己啓発セミナーを受けても行動できるわけがありません。

あなたがほんとうに生き方を変えたいなら、

苦しい、悲しみに暮れる今がその機会です、

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苦しみを理解してくれない

2017-09-18 00:00:02 | 日記
離婚の苦しみや悲しみを

周囲は理解してくれないと感じるでしょう。

二次被害ともいうべき、

厳しい言葉を投げてきたり、

ひとつひとつイライラするような言葉。

早く立ち直るようにとか、

いつまでそんな顔しているのだとか、

自分に甘いだとか、

精神的に弱いだとか。。。。

ますます周囲の家族や、友人とも関わりたくなくなるかもしれません。

でもそれも多くの人が経験してきました。

私自身も同じでした。

だから、あなたが特別に弱いわけでも、未熟なのでもなく、

誰でも、それだけ苦しいし、同じように反応することが多いということは

知っておいてください。

そのうえで、あえて言うなら、

あなたの苦しみ、虚しさ、悲しみを察することができても、

同じように感じてくれる人はほとんどいないということ。

それを孤独といえば、そう表現もできるでしょうが、

そもそも人間とはそういう存在なのだと気づくこと、

人生へのとらえ方を再確認すること、

それがこの離婚で経験する学びのひとつだと思います。

排他的になり、刹那的になるということではありません。

その時間、経験をどうとらえて、どう認識して

自分の人生に反映していくかは個人で違います。

世捨て人になる人も、うつ病で倒れていく人も、

それをばねにして再起していく人もいるでしょう。

同じとは言いませんが、離婚というひとつの経験をして

この先をどう生きていくのかは、あなた自身に問われていることかもしれません。

周囲が決めることでもなく、正解があることでもなく、

ある意味で、一度失った今、このゼロ地点からどのようにも構築していくことができます。

お金があるなしも、仕事があるなしも、子供があるなしも、

いろいろな条件は違うはずですが、それでも、いつもお伝えしているように、

配られた手もちのカードで、勝負するしかないポーカーゲームと似ています。

泣いても、わめいても、カードは手持ちのみ。

周囲が理解してくれないと言ってみたところで、

やはり変化しません。なぜなら、周囲の人間も自分の枠から出ることができずにいるから。

手持ちカードがさっぱりダメでも、勝負していくしかない。

人生ゲームのルールなのだから仕方ない。

私は、少なくとも、そんなことを想いながら、

乗り越えてきたということです。

でも、あなたに強制するつもりも、これが正解ともいうつもりはないのです。

ただのひとつの例です。

あなたなら、どうやって折り合いをつけて、乗り越えていくのか、

それを真剣に考えてみてほしいと思います。

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何を大切にするのか

2017-09-15 00:00:01 | 日記
離婚の苦しみのなかでも、

家族と過ごした記憶、

子供との記憶は

あまりに悲しく、言葉にならないくらいの苦しみだと思います。

パートナーと出会い、恋愛し、新婚生活をおくり、

子供が生まれる・・・、

多くの人が憧れる人生の一部かもしれません。

それらを経験した人間にとって、

それを強制的に手放すなどという経験が

簡単に受け入れることができるはずはありません。

そして、日常生活の多くを、家族とともに過ごし、

その時間を大切にしてきたあなたにとって、

それ以外の枠などというものはとても小さくて、もしかするとありえないとも

感じるかもしれません。

頭では、理屈では理解できても、

その想い、枠から離れることができません。

そんなあなたの最も大切なものと質問すれば、

家族であり、子供であり、それらのためなら・・・という想いがあって

当然ですよね。

ただ、長い間、その想いだけを持ち続けていれば、

枠から出ることは難しい。

家族や子供への想いを、捨てる必要も、恨む必要もない。

あなたのその大切な想いはそのままで良いと思うけれども、

ふたつ目の大切なものがあってもいい。

いや、人生においては、あるべきだと思うのです。

自分中心の大切な想いや、新しいパートナーへの想いや

これまでの価値観や第一優先事項だけでなくて、

他にもあっていい。

以前書いてますが、家族やパートナーと共感してはいいけども、

同一体になって、自分が消えてしまうようなことでは

それはあなたの人生とはいえない。

相手への従属になってしまう。

もしそうだったとしても、今、あなたなりの人生をしっかりと

取り戻していく、少なくとも、その可能性について考えていくことが

この苦しみから抜けていく、折り合いをつけていく

ひとつの道ではないかと思うのです。

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どうしたらいいか・・・

2017-09-12 00:00:01 | 日記
離婚してから、どう生きていくのか・・・・

数限りなく、考えてきました。

いつもいうように、

ほんとうに多くの経験と学びの詰まった時間でした。

その間、変化していきながらも、

私自身もずっと苦しみ、悩み、悲しみを抱えて生きてきました。

少なくとも、理想の30代を生きたとは思えません。

ただ、全力で生きた とは言い切れます。

そして、おそらく、同じ周囲の人たちよりは、圧倒的な経験と学びをしたと思います。

生き方、価値観それらも大きく変化しました。

今、この現在を生きているのは、

苦しみぬいて、そして大きく変化した自分です。

離婚したばかりの人も

離婚を経験して数年を生きてきた人も

変化したと感じる人も

変化しない、先が見えないと感じる人も

先を考えたら生きていけないかもしれない。

今日一日をみて、歩んでいくしかないかもしれない。

私も同じですが、その積み重ねの結果が

この10年以上の歳月となりました。

あなたにもできるはず。

私が特別な人間ではないのは確かですから、

あなたも自分の人生を生きていけるはずです。

応援しています。
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生きるとは

2017-09-08 00:00:01 | 日記
苦しいとき、辛いとき、幸せなとき、楽しいとき、

そして今もずっと、生きるということ、人生ということについて

考え続けています。

苦しいときは、

この先どうでもいい

そう思った。

楽しいとき、幸せを感じたとき

このままずっと続いてほしいと思った。

幸せで楽しい旅行からの帰り道、

またパートナーと一緒に来たいと願った。

実現したこともあるし、

二度と実現しないこともあった。

人生で起こることは予測できない。

その一瞬を大切にするしかできない。

まともに先のことを不安に考えたら

とてもでないが、生きてはいけない。

気がくるってしまう。

今日の仕事や、明日の予定と違い

何年も先のことなど全くあてにはならないと気づいた。

震災や、自然災害、事故だけでなく、

病気も先のことは不明だ。

私は登山をしているが、今年もアルプスで何人もの方が亡くなっている。

でも誰もが出発のとき、山小屋に泊まったときには、

楽しく、そして何事もなく帰宅すると思っている。

まさか、帰れないとは考えない。

今年亡くなった方も、若い人もいるが、多くは70歳くらいの高齢の方が多い。

それだけの長い年月を生きてきて、紆余曲折あったはずでしょうし、

それで、登山で死ぬとは思っていないだろう。

なんだか人生はあっけないとも感じてしまう。

滑落の事故が多いが、さっきまで話していた仲間が

次の一歩の瞬間に、滑落して命がないとは到底想像できるものではない。

たった一歩で、生死が分かれているのだ。

人生ではほんとうに、何がどうなるかわからない。

悲観的なことばかりでなく、良い意味でもわからない。

コインは裏表あり、どちらが出るかは50%の確率。

裏が出続けたからといって、表が出ないということではない。

いつか表が出るときがくる。

そう信じて生きる以外に何ができようか。

そして少なくとも、確実に存在している今を全力で生きなければ、

全力で生きるときなど永遠に来ない。

いつもいうように、今しか存在しないのだから。




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日本の古い制度

2017-09-03 00:00:01 | 日記
先日、親権についてコメントしていた方がありました。

以前からブログでも書いておりますが、

私自身も調停を経験して、当時2歳の子供とは10年以上、会っていません。

私自身に落ち度がないにも関わらず、調停は何にもなりませんでした。

一方で、養育費だけは義務であり、未納なら給料の差し押さえすら可能ですが、

面会は義務ではありません。

当時の民生委員も無能でしたし、昭和初期からの制度も判例も時代錯誤です。

海外では共同親権が可能ですが、日本ではふつうはありません。

ほんとうに、あまりに時代錯誤な日本の法律や判例は

批判する気も起きないほどです。

先日も伝えましたが、これもひとつの枠、箱です。

その外に出ないと、とらわれます。

少なくとも、あなたが司法に携わるような偉い人でもなければ、

いやそれでも、制度を変更することなど不可能に近いわけです。

だからこそ、枠の外に出るしか方法がありません。

当時、私はこの国の政治も、制度も信用しないと決めました。

離婚以来、選挙には行かないと決めました。

それは今でも変わりません。

それとこれは違うと思うかもしれませんし、実際異なることですが、

当時の調停のあまりに不合理な制度に、当時の苦しみの中にいた私が

唯一できたことは、国に関係ないところで生きる、つまり国の枠から出るということであり、

それが選挙には二度と行かないという、自己満足的な抵抗でした。

世の中ではあくまで、選挙は義務で、民主主義をうたいますが、

そんなことは関係ないことが明白です。

政治家は自分のために動き、金を稼ぎ、国のことを真剣に考えている人がどれだけいることか。

これだけ震災や原発、自然災害の被災地が苦労していても、国の支援がいくらもないことや、

公害や殺人事件、事故の被害者の扱い、補償など、どの制度を見ても、

泣いている人がたくさんいるでしょう。

離婚だけの話ではないと痛感させられます。

どうにもできない制度や法律に嘆いても、結果は同じ。

前回同様ですが、箱から出るしかありません。

意識そのものを、枠から出すしか逃れられない。

私はそう思いますが、あなたはどうでしょうか。

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離婚という枠

2017-09-01 00:00:01 | 日記
離婚を経験すると、

どうしても、結婚しているかいないかという点

そして、離婚経験の有無という点

そういうことにとらわれてしまします。

街を歩けば、見ず知らずの人の指輪が気になり、

職場では、若い人の新婚の話や、結婚式という話題には

目をそむけたくなる。

離婚したことを知らない人からは、

奥様はどうしているか?とか

転勤すれば、一緒に行くのかという話題まで聞かれます。

普通は何気ないことですが、どうしても苦しくなります。

いちいち、説明するのも面倒です。

独身か既婚かの枠で話題は進み、

ある程度の年齢なら、結婚すればよいのにとかまで言われます。

私も当時、経験があるのですが、

離婚という事実を説明するのが面倒なので、

独身だと言うと、じゃあ、お金あるねとか、遊びたい放題だとか、

まるで未婚のように言われます。

相手はそう思い込んでいます。

ほんとうに、この枠から逃れるのは難しい。

私もいろいろ苦しみ、悩み、なんとも言えない周囲からの言葉や、枠に苦しんできたのですが、

ここから逃れるには、自分自身がその枠の外に出るしかありません。

既婚か未婚か、離婚経験があるかないか、

サラリーマンか、自営か、・・・

とにかく、世の中で当たり前のように考えられている枠の外に出る以外に

方法がありません。

その枠、箱の中にいる限りは、その箱の中のルールで生きるしかありません。

箱の外に出るしかありません。

それがいつもお伝えする、自分自身の軸であり、方向であり、思想です。

そしてその箱、枠から出るということは、その箱の中で生きている人たちとの別離も意味します。

以前、ブログでも書いていますが、

離婚前後で、周囲の人間関係は大きく変化し、離婚前、つまり学生時代の友人や職場の人たちとは

全く関係性がありません。

その一方で、枠の外、箱の外で生きている人たちと知り合い、友人となりました。

そして、箱はひとつではありません。

いろいろな箱があるはずです。

あなたは、今自分がいる箱、つまりこれまで生きてきた箱から出たいなら

簡単に出ることができます。

意識したらできます。

でも箱は強力な拘束力があるので、覚悟と努力がいります。

はじめのうちは、少し違和感もあるでしょう。

それでも、私は箱の外に出ました。

ときたま、箱の中に引き戻されそうになることもありますが、

箱の外で生きることを選びました。

そこにも、同じ価値観をもつ人たちがたくさんいて、

活き活きと生きている方がいます。

あなたがどうするかは、あなた次第です。
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