知行取り以下の武士は拝領屋敷を分割して借地経営や畑を作ったりしていましたが、大岡忠相(大岡越前守)の与力の屋敷を借地した一人の儒学者が青木昆陽で、それが大岡の知るところとなり、そのことでサツマイモが関東に広まることになったのだそうです。維新後の徳川家は800万石から70万石の静岡藩に縮小されましたが、3万人近い幕臣は新政府に仕えるか、自分で商売農業をするか、無報酬で静岡藩に仕えるかと選択があったのですが、思いの外に新政府に仕えるものが少なく(武士の意地ですな)、さりとて静岡藩も5000人ほどのお抱え余力しかなかったので、大変だったそうです。
「鬼平の給与明細」安藤優一郎 ベスト新書
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