日本列島は2000万年前にユーラシア大陸からバリバリっと剥がれて出来上がったものですが、大陸から持ってきた部分と、その後海のプレートが押し寄せてきて作られた部分、一度海に沈んでそこに堆積されて地面となった部分など色々な部分で構成されています。西日本は中央構造線よりも北側は大陸から持ってきた古い部分で、南側はフィリピンプレートによって付けられた部分でできています。東西を分けるフォッサマグナは西を糸魚川・静岡構造線で、東は概ね関東平野の東のヘリという感じの幅を持っているのですが、ここはかつて6000mを超える深海であり、それが埋まったものだそうです。諏訪湖は断層で出来ていて、中央構造線を12kmも横ずれさせています。今も年1.9㎝沈降しているそうです(周囲からの土砂流入で深さはないのですが)。ということなどなど、きれいなグラフィックで列島の成り立ちを学ぶことができて面白かったです。
「日本列島誕生のトリセツ」高橋典嗣監修 昭文社
買う気はなかったふらりと入った書店で遭遇して思わず買ってしまった日本列島誕生のトリセツを読んでいます。地図出版の昭文社のグラフィックにあふれた本で、専門書ではありませんが日本のあちらこちらの地学の名所スポットを紹介しながら列島誕生の秘密に迫る本です。面白くて没入しています。
日本人初のエベレスト登頂から50年を記念して、日本人によるエベレスト登頂の歴史を数人の著述家でノンフィクションしたこの本は、あまりにもその名を知られた山、エベレストの持っている特殊性をいかんなく説明しています。世界で最も登山が難しいと言われている世界第2位の高峰K2はエベレストよりも標高が200mほど低いのですが、実はこの200mはその辺の山の200mとはわけが違うのだそうです。とにかく急激に酸素濃度が落ちていくというデス・ゾーンなのだそうです。やはりエベレストが世界で一番難しいといえ、8848mという標高はあくまでも尊く高いのです。
「日本人とエベレスト 電子版」山と渓谷社
エベレストは世界最高峰が故に、多くの人たちの目標になりますが、バリエーションルートとか無酸素登頂が一通り終わってしまうと、登山家による登頂に価値はなくなってしまいます。現在はほぼ公募登山により登山が主流になっています。一方で七大陸最高峰を極めるというのもブームになっていて、公募登山でもこれを目的にしているものも多くあるそうです。日本人の野口健、石川直樹、山田淳はそれぞれ当時の七大陸最高峰制覇最少年齢記録を作りました。みな23歳前後ですが、今は13歳が登ったという話もあるそうで、山田淳はもうブレーキをかけないといけないのではないかと言っています。3人は七大陸最高峰制覇を目指しましたが、結果として最少年齢だったのでそれを目指したのではありませんでした。一方で、最高齢の登山は今も燦然と日本人に輝いています。男子では三浦雄一郎が70歳、75歳と自らの記録を塗り替えつつ2013年3度目の80歳で、女子では渡邉玉枝が2012年2度目の73歳(1度目は63歳)で登った記録です。まだ破られていないそうです。
貫田宗男さんという方は、エベレスト2回の登頂を含めヒマラヤを知り尽くした人です。イッテQ登山隊のコーディネーターでもあり、グレートヒマラヤのコーディネーターも務めています。この貫田さんのインタビューが載っていて現在の登山界の在り方について意見を述べていました。公募登山隊に肯定的で、フィックスロープと登高器を使ったエベレスト登山に対する批判も、それなりに登れる力量のある人にチャンスを与えるのでいいではないかというスタンスです。「空へ」という公募隊による大量遭難を描いたノンフィクションがあって(日本人、難波康子さんが2人目の日本人女子登頂を果たしながら亡くなりました)、公募隊を否定的に書いています。実はこの作者はこの公募隊に参加していたので、公募隊の内側から描いています。貫田さんの感想は、人の悪口やプライバシーの暴露に慎みがなく、読後感が良くなかったとしています。作者は取材を兼ねて顧客として参加していたのですが、ほかのガイドが救助に孤軍奮闘していたとき、応援を頼まれてもテントでひっくり返っていたのだといいます。「空へ」は読みましたが、そういう裏話を聞くと、ジャーナリストっていったい何なんだと思いますね。「空へ」の価値観が変わりました。
女性によるエベレスト初登頂が日本によってなされた後、ノーマルの南東陵だけではなく北東陵、南壁などバリエーションが開拓され、次は無酸素補給がブームとなります。超人と言われたラインハルト・メスナーによって80年代に8000m14座が無酸素補給で登頂されました。日本の登山隊も無酸素で2隊が奇しくもほぼ同時に登頂したりしました。ヒマラヤはほかにもたくさんの山があって、日本人もいくつもの未踏峰や壁を初登していますが、エベレストのように何回も多くの登山者が登るというのはさすがエベレストだと思います。
日本山岳会のエベレスト登頂のあとに、日本を沸かせたのは田部井淳子さんによる女性の登頂でした。田部井さんの前にはマナスルに登頂があり、8000m峰を女性が初めて登ったというのではありませんが、それでもエベレストに登ったというのは日本初のみならず世界初の快挙でした。しかし、その過程は一筋縄では進まず、多くの問題を乗り越えての登頂でした。田部井さんはその後、世界七大陸の最高峰を極めた世界初の女性ともなりました。
エベレストという山はいうまでもなく世界最高峰の山で、常人が登れる山ではありません。しかし、現在は公募登山という名目の混成チームが商業的に運営されていて、(自称)経験者なら参加することができます。フィックスロープが張られていて、登攀器を使えば容易に登ることができます。なので、エベレストの最後のヒラリーステップと呼ばれる難所では、渋滞が起きそのために体力を消耗して危機に陥る登山者も多々いるそうです。そのエベレストは1970年に日本として初めて登頂しました。かの植村直已が頂上に立ちました。この年は日本万博があって、そこでの上映を目的に三浦雄一郎のエベレスト大滑降も行われました(ただし頂上からではなくサウスコルから)。ここに日本エベレスト史が始まるのですが、そのことをノンフィクションした日本人とエベレストを読んでいます。
昨日から読み始めたアマテラスですが、いったん休んで読みかけの教養の化学をチビチビ読んでいました。新書版と違って大判で、色刷りの図や写真が解りやすくて面白いです。今日は酸と塩基の定義でした。