論理の方法を読み終えました。日本という国は仏教も資本主義も日本的に取り入れているということがよくわかりました。仏教に至っては、仏教本来が仏教であるがゆえにもっている戒律というものを、日本仏教の総本山でもある延暦寺が捨て去ることで、世界的に見て仏教からは逸脱し、仏教とは名ばかりの日本教になったということ。資本主義も日本的なるものが内在し(家族主義的な上下関係)、国家が市場に介入するという社会主義的な生き方になっているということです。世の中は規制だらけだし、一方で民間も問題が起きると行政に規制を依頼する。教科書も検定だしそれは社会主義以外の何者でもないということです。社会資本主義とでもいうのででょうかね日本の資本主義は。もっとも、世界的に見てアメリカ以外は多かれ少なかれ国家が民間の面倒を見るという流れはありますが。
「論理の方法 電子版」小室直樹 東洋経済新報社
小室直樹に戻って論理の方法を読んでいました。資本主義の原理を解説して古典派とケインズ派の違いを解説。次に資本主義は宗教改革によってキリスト教が生まれ変わったことによって始まったとその歴史を解説します。それはユダヤ教、キリスト教、イスラム教など一連の一神教の出自、違いに言及し、カトリックとプロテスタントの違いも解説します。
ジオスケープ・ジャパン地形写真家と巡る絶景ガイドを読んでいます。多くの絶景と言われる風景(人工ではなく自然にできた地形)ができるにはそれなりの(地質学的な)理由があります。日本の絶景を写真家が写しそれを地学的に解説してくれる本です。写真家の写真ですから、教科書的な写真とは違い、見応えがありますね。楽しい本です。
再び小室直樹です。論理の方法ー社会科学のためのモデルというタイトルです。氏に言わせると、日本人は論理に弱く、欧米諸国は問わず、中韓とも外交などで負けてしまうのです(最近読んだ別の本によると論理性が弱いのではなく、論理手順がまるっきり違っているのだそうです)。論理の方法とはモデル化ということだそうで、いかに周辺を削ぎ落として単純化するかという思考が必要だということです。ギリシャから始まった数学、ニュートンで開花した物理学では全てモデル化が基本になっているのだそうです。
読みかけの宇宙のエンドゲームをパラパラ読んでいました。10^100年後にはブラックホールすら消え果てた宇宙があるとのことです。ただし、これは宇宙が加速膨張していることが前提です。加速していないとブラックホールの蒸発のスピードが遅くなるので永遠に残るということになるそうです。ブラックホールは全てのものを飲み込む天体ですが、蒸発が進んである程度の小ささになると最後には爆発して消滅するのだそうです。ただその頃の宇宙は銀河も恒星も存在しないほぼ暗闇の、それも超激スカスカになっていますから誰かがどこかで見ているということではないそうです。ブラックホールが無くなった宇宙はニュートリノと光子が飛び交う世界らしいです。
数学嫌いな人のための数学を読了。純粋数学の解説ではなく、数学が社会科学にどう使われているかという観点から数学を案内しています。なので数学の話もさることながら、経済学や社会学の話もどんどん出て来て、それが面白いです。労働価値説というのはマルクス経済学の真髄ですが、古典経済学のリカードが規定したもので、マルクスはそれを丸呑みしたのだそうです。マルクスは失業は資本主義であれば必ず起こると解説していますが、古典経済学は失業は起きないという世の中を前提としているそうで、大恐慌時に古典経済学からは失業に対してコメントはなかったのだそうです。一方で、労働価値説における労働力は時間、人数で計算されますが、労働の質(熟練者と初心者の差など)を数字化することができていないのだそうです。なのでマルキストはそこはすっ飛ばしているということです。面白い、ためになる本でした。
「数学嫌いな人のための数学(新装版)電子版」小室直樹 東洋経済新報社
小室直樹は今日中に読み終えようと思っていましたが、家人が車の試乗を申し込んでいて、その試乗に行ったら結局その車を買うことになってしまい、新年車買い替えということになってしまいました。なのであまり読み進めず90%で終了です。明日は読み終えようと思っています。
小室直樹の数学嫌いな人のための数学を引き続き。数学の本でありますが、数学そのものとしての論理性をイスラエルの民(モーゼの十戒)の宗教性のところまで遡り、そこから経済、政治、社会学、宗教へと話を広げて行きます。数学のキモは必要条件、十分条件の理解だそうでこれを理解している人はほとんどいないと看破しています。確かにこれは頭がこんがらがってしまう話です。正と裏、逆、対偶というのも出て来ますね。欧米人は対偶の考え方が上手だそうです。経済政策も対偶で考えることが多いそうです。
小室直樹という在野の学者がいます。2010年に他界したのですが、氏の著作が新装版として今復権しています。以前に山本七平との対談、日本教の社会学を読みましたが、今回読み始めたのは数学嫌いな人のための数学です。氏は社会科学の全ての分野に精通している天才で、自身は京大理学部に進んだあと、各分野の最高の学者について学びました。自分は数学嫌いではなく数学苦手なので、この本を取ってみましたが、書かれているのは数学のことだけではなく数学から派生する社会学です。今日読んでストンと胸に落ちたのは、マックス・ヴェーバーの言の紹介です。氏は大塚久雄からヴェーバーを学びました。その一言は「最高の役人は最低の政治家である」というものです。
・・「役人という者は、朝から晩まで、答えのある問題の解決にだけ没頭しているものだから、そのように頭が出来上がってしまっている。だから、政治家には向かない」ということを彼(ヴェーバー)は言わんとしているのである。政治家の任務は、答えのない問題に取り組まなければならないことにある。解けないかもしれない問題にも対決しなければならない。それなのに役人は、良い役人として仕上げられた人であればあるほど、問題には答えがあり、解けるに決まっていると思い込んでいるものだから、答えのない問題、解けないかもしれない問題に直面すると途方に暮れ、尻尾を巻いて逃げ出してしまうのだ。だから、役人として仕上げられれば仕上げられるほど政治家には向かなく成り果てるのである。・・・ヴェーバーの言葉に耳を傾ける役人は皆無だろう。彼らは強い権力志向を持ち、中央・地方の政界へと身を転じるものも少なくない。そしてまた、特殊法人や大企業に天下る者も、以前から批判はありながらも、一向に少なくならない。こうして「最低の政治家」を戴く天下の日本という問題解決力のない国家が出来上がってしまったのだ。・・
目からウロコです。そう言えば確かに、官僚出身の総理大臣は・・。