今は昔、9700型大型コンピュータ有りき。
この写真は昭和48年(1973年?)頃の勤務していた会社の大型コンピュータ1号機出荷祝いです。
今からかれこれ40年も前の出来事です。私も歳をとったものです。
この当時のコンピュータはメモリが8Kから32K位が普通でした。プレーテッドワイヤメモリと云う名称で「電源を落としても記憶が消えない」当時これが売りでした。
右の背の高いキャビネットがCPUで正面にメンテナンスパネルが有ります。CPUは20cmx15cmくらいの基板が200枚程度バックパネルというモジュールに収納されています。基板は確か100ピンくらいのコネクタがありモジュールのピンに刺さる構造でした。
モジュールのピンはラッピングワイヤでそれぞれが結線されています。
基板に搭載されているICはDTL、TTLが主でそのほかにTR、CAP、RES等てすべてディスクリート部品です。
今のようにCPUのLSI等は有りません。
当時、CPUキャビネットを一人で5日間くらいでブリングアップしてテストまで行って居ました。
メンテナンスパネルでレジスタやメモリにデータを書いたり読んだり、サイクルでシーケンスを進めたりして動くようにするのです。
若かったので1週間2回くらいの徹夜はやりましたが、今はもう無理です。
モジュールのワイヤリングが間違って居るときは悲劇です。それを見つけるのは回路図とオシロスコープ、自分のスキルが頼りです、テストフロアには別の人間が同じようにテストしていますから、動く基板を借りたりしてやっていました。基板を交換して動かない時はワイヤリングミスの可能性がありいやな予感を感じたものです。
トラブルを追いかける時、ひらめきがないと同じ所に戻ってきて堂々巡りになってしまいます。
少し時間を空けるなどした方がいのですが、あせって居るのでそんな余裕はなかったですね。
トラブルが見つかるとそれまでの疲れは一辺に吹き飛びます。
大型コンピュータは銀行や保険会社等の納入されホストコンピュータとして使われます。
でも、今はどうなのでしょう、大型ホストコンピュータなんて存在するのでしょうか?
今や浦島太郎で分かりません。クレイなんて大型コンピュータがありました今は昔でもう消えた?
NEC、日立、富士通が大型コンピュータの製造を競っていた頃も有りましたが、最近はそんな
話題も目、耳にしません。
今はパソコンの性能が良い時代ですから、パソコン間をLANでつないで十分な機能を得ることが出来るでしょうから。
「今は昔」です。
すごい進歩です。
ングに実装された磁気ヘッドを思い出します。
CDC製のdisk装置でしたが、時々クラッシュして大変苦労しました。
64MBもあれば大きい方でしたが、現在のHDDと比べ物にならないほど
大型で、洗濯機並みの大きさです。
高価なエアフィルタを定期的に交換するなど、手間とお金のかかる
機械でした。
本格的ディスクオペレーティングシステム、私もハードディスクの製造に係わりました。設計はアメリカで最初ノックダウンでその後、部品を国産化しました。しかし、磁気ヘッドだけは置き換えが出来ませんでした。P社と試作の話を進めていたのですが、技術的に難しく断念した思い出が有ります。
磁気ディスク上でヘッドのコア部分が浮上する機能がうまく働かないとデータの書き込みも読み出しも出来ませんし、最悪の場合はヘッドクラッシュを起こし高価なディスクがパーになってしまいます。
今から考えるとやらなくて良かったのではと思います。
古い話です。
「日本のコンピュータ」というサイトも興味深いです。
http://www.ipsj.or.jp/museum/computer/index.html
かなり多数の実物を知っているのが不思議に感じます。
永続の鍵は、何なんだろうと、やぼな頭が働いてしまいます。
開発力(技術力の差)
運営(資金力)
マ-ケッティング(市場動向の変化対応)
日本メ-カ-間の競争
(韓国、サムスンの様な集中が、生き残れるのかな-?)
senshuさんありがとうございます。
後でゆっくり読んでみます。
DEMO Programが既にInstallされているので
そのListを探しているところです。
先ず、Programを勉強して、理解し、
次に、ProjectOpenして、同じ様に動作するか
確認しようとしています。
http://den-nekonoko.blog.so-net.ne.jp/2010-12-23
で買ったまま触っていませんでした。
先ほどXPが転けてインストール(上書きして)手間取っていました。
(H&G)SZTP NT ドライバーがないという表示がいつも出ていたのですが、ファイアフォックスをアップデートすると立ち上がらなくなってしまいました。
OUKは私が入社した頃は6Cサーボと呼ばれた磁気テープ装置の生産が全盛期で作れば売れてしまう、正に殿様商売が出来る良い?時代でした。その後5カ年計画が打ち出され飛ぶ鳥落とす様な勢いでしたが、その5カ年も過ぎない内に状況はおかしくなって行きました。
当時はOUKが製造、日本ユニバック(今の日本ユニシス)が販売メンテナンスを行っていました。
その後の事はPDFに書いてある通りです。
私の働いて工場は今はスーパ(ダイエイ)になっています。生き残りは大変ですね。
公開されていました。本当に便利な時代です。
http://museum.ipsj.or.jp/guide/pdf/magazine/IPSJ-MGN440917.pdf
ユニバック(後にOKIと合併、強調?)が有りました。私は、Hに3年勤務しましたが、自己都合で退社しました。OUKをご存知との事などから
同じくらいの年齢と思いました。
これからも、よろしくお願い致します。
改めまして今後ともよろしくお願い致します。
OUKは16年ほど前に解散して今は有りません。
O社に十二年間勤務しておりましたので、この名前には
思い入れがあります。