しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <和解のことば>

2024-07-20 | Ⅱコリント
「すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。」(Ⅱコリント5:19新改訳)

主はある時、王に一万タラントの負債を免除して頂いた家来の話をされた(マタイ18章)。一万タラントといえば、当時の貨幣で数万年分の給料に相当する。つまり無限大に等しい額である。この家来はあわれみ深い王によってそれを無しにしてもらったのである。主はなぜこのようなたとえを弟子たちにされたかといえば、人が神に対して犯した罪と背きの大きさを悟らせるためであった。人は言うかもしれない、「たかが木の実を食べただけではないか」と・・・。しかし、巨大な風船でも針一本でさせば破裂し、形を失う。神が創造された完全、精妙なこの世界、アダムはそれを針で刺してしまった。その責任は負わねばならない。▼くどいかもしれないが、私たち人間が神に対して犯した罪は、だれひとり想像できないほど大きく深いものである。それをつぐなうためには、永遠に罪を知らない神の子が、あたかも自分が罪を犯したかのように十字架につけられ、御父に捨てられ、のろわれなければならなかった。その結果、開かれたのが神と人が和解できるという十字架の道であった。▼つまり、人間によって破裂し、かたちをなくした創造世界だが、そこから姿を現したのが「神の愛」というとてつもない宝であった。それが福音の実体なのだ。教会が委(ゆだ)ねられている聖なる使命は、この道を世に示し、一人でも多くの人々をそこに招き入れることである。