冬薔薇である。
秋の薔薇を詠んだとき、冬薔薇は「ふゆそうび」と読みたいと書いたことがある。

冬そうびは、どこかしら不完全に見える。
花びらが欠けていたり、花びらの縁が茶色かったりする。
そうであっても、薔薇は薔薇だ!

冬そうびには、あえて花言葉を与えたくは無い。
存在自体が、尊い。
ぼくはそう思っている。

「冬そうび疲れた肌の生めかし」

冬そうびは、陽射しのない日だって良い。
陽が当たらなくても、凛然としているのだ。

そうした画然と、空間を¥隔つ咲き方に憧憬するのである。

荒 野人
秋の薔薇を詠んだとき、冬薔薇は「ふゆそうび」と読みたいと書いたことがある。

冬そうびは、どこかしら不完全に見える。
花びらが欠けていたり、花びらの縁が茶色かったりする。
そうであっても、薔薇は薔薇だ!

冬そうびには、あえて花言葉を与えたくは無い。
存在自体が、尊い。
ぼくはそう思っている。

「冬そうび疲れた肌の生めかし」

冬そうびは、陽射しのない日だって良い。
陽が当たらなくても、凛然としているのだ。

そうした画然と、空間を¥隔つ咲き方に憧憬するのである。

荒 野人