義時(小栗旬)は言った。
「父上と母上の思いを引き継ぎます」
父・時政(坂東彌十郎)の思いとは、和田義盛(横田栄司)に言った言葉。
「後は託した。北条を、鎌倉を引っ張っていくのはお前だ」
義盛は忘れてしまったが……笑
母・りく(宮沢りえ)の思いとは、
「手に届く所にあるのなら(権力を)手をのばしてお取りなさい」
結果、三浦義村(山本耕史)のアシストもあって、義時は二代目執権に。
権力をもった義時は一連の事件の根源である平賀朝雅(山中崇)を成敗する。
確かに平賀朝雅が北条政範(中川翼)の毒殺をしなければ、
畠山重忠(中川大志)が謀反人として死ぬことはなかったし、
朝雅の存在がなければ、りくや時政も鎌倉殿交代を考えなかった。
まあ、朝雅自身は主体的に関わったわけではないんですけどね。
政範毒殺は後鳥羽上皇(尾上松也)にそそのかされたようなものだし、
本人は四代目・鎌倉殿になる気などなかった。
ある意味、悲劇である。
そして後鳥羽上皇は「義時」の名を認知することになる。
後鳥羽上皇 VS 義時の戦いの始まりか?
……………………………………………………
時政が別れの際に語った言葉は「うぐいす」の話だった。
時政は政治家向きの人ではなかったんですね。
うぐいすの鳴き声に喜びを見出すような人だった。
一方、りくは「権力をお取りなさい」
りくの方が政治家向きでギラギラしている。
さて、ここで、りくの生涯を掘り下げてみよう。
りくは「都の女」で、最後まで板東に馴染めなかったのか?
そんなことはなかったようだ。
政子(小池栄子)と実衣(宮澤エマ)と昔語りをするりく。
それなりに楽しいことがあったようだ。
こんなことも言っていた。
「北条家に嫁いだことはわたしの誇りです」
そして義時は言った。
「あなたはすでに板東の女です」
りくを僕なりに解釈すれば、りくは半分「都の女」で半分「板東の女」だった。
こんな感じだろうか?
これは救いである。
一生板東に馴染めず、北条に嫁いだことも後悔していたら、りくの生涯は浮かばれない。
一方、「半分」という所が三谷幸さんのリアリズム。
………………………………………………
義時は時政とりくについて語った。
りくに対しては恨み節。
「ずっと父の手を握っていたかったのに、あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」
時政に対しては無念。
「父上は常に前にいた。父上の背中を見てここまで来た」
義時にとっては時政が前にいることが救いだったんですね。
誰かの後についていくのは、ある意味、楽。
義時は補佐官タイプだから尚更だ。
義時は補佐官として、頼朝(大泉洋)、時政を支え、時に諫めた。
ところが今後は自分が先頭に立って引っ張っていかなくてはならない。
これは孤独だ。
義時はさらに重い荷物を背負うことになってしまった。
義時、時政、りく、いずれも深い人間描写ですね。
決して薄っぺらに描かれていない。
……………………………………
あとは補足的に。
義時は泰時(坂口健太郎)の反面教師になろうとしているようだ。
それを泰時の妻・初(福地桃子)は見抜いている。
「父上は自分のようになるなと言っているのです」
頼朝や時政の背中を見て生きて来た義時は泰時に自分の背中を見せている。
義時の背中を見た泰時は何を学ぶのだろう?
時政は最後まで起請文を書かなかった実朝(柿澤勇人)をほめた。
「鎌倉殿の芯の強さ、感服いたしました!」
芯の強さはリーダーの資質なんですね。
覚悟、腹が据わっていると言ってもいい。
気弱な実朝だが、気弱なことはやさしさでもある。
やさしさと芯の強さを兼ね備えれば、実朝は名君になれるかもしれない。
時政のことでは政子、時政は政治を捨てた。
「父をお許し下さい。わたしは娘として言っているのです!」
「流罪のお計らい。息子として御礼申し上げます」
「娘」と「息子」に戻った政子と時政。
政治がなければ、時政、義時、政子は親子でいられた。
一方で「政治に私情をはさむことは出来ません」と言い切る義時は立派だ。
今の政治家に聞かせてやりたい。
「父上と母上の思いを引き継ぎます」
父・時政(坂東彌十郎)の思いとは、和田義盛(横田栄司)に言った言葉。
「後は託した。北条を、鎌倉を引っ張っていくのはお前だ」
義盛は忘れてしまったが……笑
母・りく(宮沢りえ)の思いとは、
「手に届く所にあるのなら(権力を)手をのばしてお取りなさい」
結果、三浦義村(山本耕史)のアシストもあって、義時は二代目執権に。
権力をもった義時は一連の事件の根源である平賀朝雅(山中崇)を成敗する。
確かに平賀朝雅が北条政範(中川翼)の毒殺をしなければ、
畠山重忠(中川大志)が謀反人として死ぬことはなかったし、
朝雅の存在がなければ、りくや時政も鎌倉殿交代を考えなかった。
まあ、朝雅自身は主体的に関わったわけではないんですけどね。
政範毒殺は後鳥羽上皇(尾上松也)にそそのかされたようなものだし、
本人は四代目・鎌倉殿になる気などなかった。
ある意味、悲劇である。
そして後鳥羽上皇は「義時」の名を認知することになる。
後鳥羽上皇 VS 義時の戦いの始まりか?
……………………………………………………
時政が別れの際に語った言葉は「うぐいす」の話だった。
時政は政治家向きの人ではなかったんですね。
うぐいすの鳴き声に喜びを見出すような人だった。
一方、りくは「権力をお取りなさい」
りくの方が政治家向きでギラギラしている。
さて、ここで、りくの生涯を掘り下げてみよう。
りくは「都の女」で、最後まで板東に馴染めなかったのか?
そんなことはなかったようだ。
政子(小池栄子)と実衣(宮澤エマ)と昔語りをするりく。
それなりに楽しいことがあったようだ。
こんなことも言っていた。
「北条家に嫁いだことはわたしの誇りです」
そして義時は言った。
「あなたはすでに板東の女です」
りくを僕なりに解釈すれば、りくは半分「都の女」で半分「板東の女」だった。
こんな感じだろうか?
これは救いである。
一生板東に馴染めず、北条に嫁いだことも後悔していたら、りくの生涯は浮かばれない。
一方、「半分」という所が三谷幸さんのリアリズム。
………………………………………………
義時は時政とりくについて語った。
りくに対しては恨み節。
「ずっと父の手を握っていたかったのに、あなたがその機会を奪った。お恨み申し上げます」
時政に対しては無念。
「父上は常に前にいた。父上の背中を見てここまで来た」
義時にとっては時政が前にいることが救いだったんですね。
誰かの後についていくのは、ある意味、楽。
義時は補佐官タイプだから尚更だ。
義時は補佐官として、頼朝(大泉洋)、時政を支え、時に諫めた。
ところが今後は自分が先頭に立って引っ張っていかなくてはならない。
これは孤独だ。
義時はさらに重い荷物を背負うことになってしまった。
義時、時政、りく、いずれも深い人間描写ですね。
決して薄っぺらに描かれていない。
……………………………………
あとは補足的に。
義時は泰時(坂口健太郎)の反面教師になろうとしているようだ。
それを泰時の妻・初(福地桃子)は見抜いている。
「父上は自分のようになるなと言っているのです」
頼朝や時政の背中を見て生きて来た義時は泰時に自分の背中を見せている。
義時の背中を見た泰時は何を学ぶのだろう?
時政は最後まで起請文を書かなかった実朝(柿澤勇人)をほめた。
「鎌倉殿の芯の強さ、感服いたしました!」
芯の強さはリーダーの資質なんですね。
覚悟、腹が据わっていると言ってもいい。
気弱な実朝だが、気弱なことはやさしさでもある。
やさしさと芯の強さを兼ね備えれば、実朝は名君になれるかもしれない。
時政のことでは政子、時政は政治を捨てた。
「父をお許し下さい。わたしは娘として言っているのです!」
「流罪のお計らい。息子として御礼申し上げます」
「娘」と「息子」に戻った政子と時政。
政治がなければ、時政、義時、政子は親子でいられた。
一方で「政治に私情をはさむことは出来ません」と言い切る義時は立派だ。
今の政治家に聞かせてやりたい。
時政、りく夫妻は殺されることなく伊豆に追放となり、義時は2代目執権になることを私たちは史実として知っています。
しかしながら、義時は時政を討ち取るつもりでいましたし、しばらくの間は執権になろうとはしていませんでした。
>りくは「権力をお取りなさい」。りくの方が政治家向きでギラギラしている。
りくの方が権力欲をストレートに表現している、と言ってもよいでしょう。
義時は御家人達の思いを慮っており、むしろ義時の方が政治家だろうと思います。
父・時政については「北条は身内に甘い」と思われないために、「討ち取る」姿勢を示す。
結局、時政の処遇は実朝や文官たちに委ね、結果として助命されることになりました。
執権就任についても、予想どおり御家人の中から「自分が執権の座に就くために父親を追い落としたのか」という声が出ましたが、ここは腹をくくり「義村のアシストもあって」乗り切りました。
>権力をもった義時は一連の事件の根源である平賀朝雅を成敗する。
>後鳥羽上皇 VS 義時の戦いの始まりか?
「死ぬどんどん」も今後の主な退場予定者は和田義盛くらいですので、そろそろ「承久の乱」を見据えた展開になってゆくのでしょう。
ところで、今回楽しめたのは山本千尋さん(トウ)と山本耕史さん(義村)とが繰り広げた立ち回り。
「元世界女王」の千尋さんは無論のこと、耕史さんも立ち回りは見事。
そう言えば、私は見ていませんでしたが「新選組」では土方歳三を演じていたのでしたね。
二人の勝負は、トウは任務失敗、義村は負傷してトウを取り逃がしたところで「痛み分け」。
しかし、一旦は窮地に立ったトウに脱出の隙を与えたのが「オレの女になれ」とのひと言。笑
さすが、実朝に「後腐れのない、おなごとの別れ方」について「楽しかった思い出しか残さない」と講釈しただけのことはあります。
>泰時の妻・初は見抜いている。「父上は自分のようになるなと言っているのです」
初もさすがに義村の娘で賢い。
後の「名執権」泰時を支えたのは彼女だった、ということでしょうか。
いつもありがとうございます。
本当に複雑になって来ましたよね。
特に義時。
・「北条は身内に甘い」と思われたら御家人の不満が募る。
だから時政を討つ。
・しかし息子としては討ちたくない。
・こうなったの根源は、りくであり、平賀朝雅。
だから、今後の禍根を残さないためにりくと朝雅を討つ。
・鎌倉をこれ以上、混乱させないためには自分が執権になるしかない。
・自分はすでに非道に手を染めているので、最後までこの業を背負う。
・息子、泰時には同じことを繰り返してほしくない。
矛盾に満ちた複雑な人物像です。
そして、これが三谷さんの描きたかった人物像なんでしょうね。
たとえば「信長=魔王」みたいな単純描写では深さがありませんし。
義村VSトウ。
見応えがありましたね。
単純にトウがしくじって逃げるくらいの描写でもよかったのですが、結構、尺を使って描いていました。
こういうシーンがあるとドラマにメリハリが出て来ますよね。
山本千尋さんに見せ場を作ったのかもしれません。