平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

深夜特急 沢木耕太郎~何の意味もなく、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことをやりたかったのだ

2013年03月13日 | エッセイ・評論
 ひさしぶりに沢木耕太郎「深夜特急」を読む。
 すると、こんな文章があった。
 バスでユーラシア大陸横断をする理由について語った文章だ。

「ほんのちょっぴり本音を吐けば、人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ。
 もしかしたら、私は「真剣に酔狂なことをする」という甚だしい矛盾を犯したかったのかもしれない。」

 これが若さであり、青春なんですね。
「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険活劇でもなく、まるで何の意味もなく……」
 つまり意味のないことにエネルギーを消費できること。
 バカげたことに時間を費やせること。
 そういう自分を、<酔狂>=少し恥じらいを込めてカッコイイと思えること。

 これはオトナ社会に対する反抗でもある。
 なぜならオトナ社会は、企業を見てみればわかるとおり、<意味のあること><有益なこと><効率のいいこと>を求めるものだから。
 オトナの目から見れば、ユーラシア大陸をバスで横断なんて、「何バカなことをやってるの?」「それで何の意味があるの?」となってしまう。
 だからこそ、敢えてオトナ社会に背を向けて、バカなことに真剣に取り組むことが粋でカッコイイ。

 もちろん、こうしたことが出来るのも若さゆえである。
 若者には溢れるばかりのエネルギーがあり、時間がある。
 人生の残り時間が少なくなってくると、少しは人様の役に立つことをして、自分が生きた爪痕を残したいなどと考えてしまう。
 しかし、いくら歳をとっても、「真剣に酔狂なこと」が出来る人は永遠に青春である。
 有益なことや効率に囚われている若者よりはずっと若い。

 沢木さんは、この作品の別のところで、「自分はまたひとつ自由になった」みたいなことを書かれていたが、<意味><有益>に囚われた時点で、その人は不自由になる。
 つまり社会に取り込まれるという点において。
 社会は、人に「意味のある行動をせよ」「賢明であれ」「金を稼げ」「記録を作れ」「効率よく時間を使え」と要求してくる。

 『深夜特急』は永遠の青春の書である。

 

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2 コメント

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Unknown (lemonwater2017)
2020-08-07 08:28:45
象が転んだです。
懐かしいですね。
確か沢木さんは、雨が降ってたとの理由だけで入社式を休み、僅か1日で会社を辞めたとか。
そういった感性の高い自由度が堪らないんですよね。
返信する
「象が転んだ」って (コウジ)
2020-08-07 09:28:02
象が転んださん

いつもありがとうございます。

「象が転んだ」は確か沢木さんの作品のタイトルでしたね。
「深夜特急」は今やバックパッカーのバイブル。
ノンフィクションに「私」を持ち込んだのも沢木さんの嚆矢。

何かまた読み返してみたくなりました。
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