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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

深夜特急 メナムから

2009年10月01日 | エッセイ・評論
 深夜特急「メナムから」

 旅は恋愛に似ていると言った人があったが、旅の根本的な目的とはその場所を好きになるということであろう。
 でも、心に響かない場所もある。
 沢木さんの場合はタイ・バンコク。
 これまでの香港・マカオとは違い、沢木さんにとってバンコクは「どこを歩いても、誰に会っても胸が熱くなることがない」街。

 沢木さんはバンコクについて次のような言葉を綴っていく。
 「いつまでたっても、バンコクという街は曖昧で、とりとめがなかった」
 「何かが足りない。同じように露店が群れてはいるが、香港の廟街に比べると、何かが足りないのだ」
 「どこをどう歩いてもここだという場所にぶつからない。私は毎日ただ惰性のようにバンコクの街を歩き廻ったが、しだいに退屈するようになってきた」

 バンコクの街から拒絶されているように思っている沢木さん。

 沢木さんの旅の姿勢とはこうである。
 それをこんな文章で表現している。
 「たまに笑顔を向けられ、ようやく関わり合えても、なぜか深いところで理解できたという確かな感じが持てない」
 「バンコクではどこかちぐはぐで、うまくいかない。バンコクの街の奥深いところに入り込めそうな糸ができかかると、突然、プツリと切れてしまう」
 沢木さんは<深い所で理解><奥深いところに入り込めそうな糸>という言葉を使っている。
 これが沢木さんの旅の姿勢なのだ。
 それは有名な観光地を見てまわるだけのうわっ面の旅ではない。
 <深い所で理解し共感しようとする姿勢>
 まさにノンフィクションライターならではの姿勢だが、数々の名作ノンフィクションを書いてきた沢木さんの力を以てしてもバンコクの街は理解不能だったらしい。
 それは相性の問題なのか、バンコクが何もない街だからなのか、その辺は分からない。
 ただ、この<深い所で理解し共感しようとする姿勢>は大事。
 われわれは観光地の名所めぐりをしてその街を理解したつもりになっていないか?
 考えてみると、この<深い所で理解し共感しようとする姿勢>って<恋愛>なんですね。
 だから「旅は恋愛に似ている」と言われるのかもしれない。


 過去記事
 「深夜特急 賽は踊る」はこちら
 「深夜特急 黄金宮殿」はこちら







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