平成エンタメ研究所

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江戸川乱歩論~死や孤独は、そのままでは読者の絶望を誘う毒だが、薄めれば快楽的な刺激剤になる

2016年08月16日 | エッセイ・評論
 江戸川乱歩についての的確な文章を見つけた。
 中条省平氏の「反=近代文学史」(中公文庫)だ。
 引用すると、

『死や残虐や孤独は、そのままの濃度では読者の絶望を誘う毒だが、適度にうすめれば、香水の残り香のように、読む者の感覚と気分をたかめる快楽的な刺激剤となる。
 乱歩の小説の希薄さは、純粋な文学としては徹底性に欠ける弱点だったかもしれないが、その絶妙な濃度のさじ加減は、いまだに数多くの読者を引きつける小説づくりの秘法である』

 死や残虐や孤独を描いた乱歩。
 でも、それは探偵小説、怪奇小説という形式をとることで薄まっていたんですよね。
 もちろん、「芋虫」や「蟲」など、濃密な死や残虐や孤独を直接的に描いた作品はあるが、それらはごくわずか。
 乱歩の狂気は短編小説に凝縮され、長編小説になれば薄まり、明智探偵や怪人二十面相の登場によってさらに薄まる。
 そして、そんな薄まった作品が日常に生きるわれわれには適度な刺激で心地よい。
 中条氏の見事な比喩をもちいれば、〝香水の残り香〟のように。
 香水の残り香はいい匂いだが、香水そのものを嗅げばきついし、香水の原液になれば嗅げなくなるのと同じ。

 江戸川乱歩作品は、コミック・アニメ・映画など、たくさんのクリエイターがさまざまな形でリメイクしている。
 では、なぜ、こんなにリメイクされるのか?
 おそらく乱歩作品が<死や残虐や孤独といった原液を薄めたもの>だからだろう。
 乱歩作品を読んだクリエイターは、「何か薄口で物足りないな。自分ならこんなふうに味つけするのに」と考える。あるいは、乱歩作品を自分なりに掘り下げてみたくなる。
 これが乱歩作品が多くリメイクされる理由だろう。

 死、残虐、孤独……。
 これらは人間の本質であり、ルーツ。
 日常生活をおくるわれわれは、これらから目を背け、なるべく見ないようにしている。
 直視すれば、いたたまれないし、怖いですからね。
 だが、これらこそが作家が追及しなければならない文学的テーマである。


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