平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

「光る君へ」 第38回「まぶしき闇」~権力を持つことで生じる闇。呆然とする道長と涙するまひろ。

2024年10月07日 | 大河ドラマ・時代劇
「いかなる時も我々を信頼して下さる帝であってほしい。それは敦成様だ。
 家の繁栄のために言っているのではないぞ。
 なすべきは揺るぎなき力を持って民のため良き政をおこなうことだ」

 道長(柄本佑)は敦康親王(渡邉櫂)が帝だと自分の地位を揺るがす者が現れて、
 世が乱れると考えている。

 新たな懸念もあった。
 仲睦まじい彰子(見上愛)と敦康。
 この関係は、まさに『源氏物語』の藤壺と光源氏ではないか。
 今のままだと藤壺と光源氏のように彰子と敦康は密通してしまうかもしれない。
 だから敦康をすぐに元服させ、藤壺から追い出す必要があった。

 悩みながらも非情な決断を下さなければならない道長。
 そんな道長に伊周(三浦翔平)は──
「何もかもおまえのせいだー!」
 直接、呪詛されてしまう。
 伊周は呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしくなっている。

・誰かを排除すること。
・誰かの恨みを買うこと。
 権力を持つとはそういうことなのだ。
 私欲ではなく、すべては民のため帝のためと考えていても、それは免れない。
 不満な者は必ず出て来る。
 いい人ではたちまち政敵からしてやられてしまう。

 伊周に憎しみを向けられて呆然とする道長。
 これに涙するまひろ・藤式部(吉高由里子)。
 憎しみを向けられるような存在に道長をしてしまったのは、他ならぬまひろなのだ。
 ふたりは、民のため世のためにそれぞれの役割を果たそうと誓い合った。
 ………………………………………………

 まひろも作家として上りつめた結果、周囲の人を失うことになった。
・娘の賢子(梨里花)。
・ききょう・清少納言(ファーストサマーウィカ)。
 あくまで現状の話で、関係は今後変わるかもしれないが、
 何かを得れば何かを失う。
 それが世の常だ。

 そんな中、彰子の女房・宮の宣旨(小林きな子)の言葉が胸にしみる。
「(働くのは)生きるためであろう?」
「今日もよく働いた。はやく休もう」

 世のため、民のため、帝のため、中宮様のため。
 これらを取っ払った所にある働く真実。
 すべては生きるため。
 人生はこれくらいシンプルであった方がいいのかもしれない。

 逃げた雀の話をした子供の頃のまひろと三郎のような姿がシンプルで幸せなのかもしれない。


※追記
 書くことの意味については、和泉式部(泉里香)が思い出させてくれた。
「書くことでおのれの悲しみを救うことができる」
「書くことで命を生き継ぐことができる」

※追記
 和泉式部はたくましい。
 藤壺に入ると、たちまち頼通(大野遥斗)に色目を使い始めた。
 迷うまひろとは対照的に、彼女は現実を楽しんでいる。

※追記
 清少納言は過去に生きているが、辛辣さは失っていない。
 まひろに会って、
「光る君の物語に引き込まれました」
「まひろさまは根がお暗い」笑
「光る君のしつこいいやらしさにあきれ果てました」笑
「男のうつけぶりを笑い飛ばしています」
 ここまでは毒舌も混じった作品論・作家論だが、この後がストレートパンチ!
 中宮・定子を否定する存在として、
「わたしは腹を立てておりますのよ、まひろ様に」
「源氏の物語を恨んでおりますの」
 怒りと恨みをぶつけた。


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13 コメント

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藤壺女御:光源氏=彰子:敦康親王? (TEPO)
2024-10-07 11:01:31
まひろに対するききょう・清少納言の反応―「文学」としては一応評価する一方で敵対者として恨み言をぶつける―は予想どおり。
私だけではなく、ほとんどの人はそう予想したことでしょう。

いかにして道長を「闇落ち」させることなく「敦康親王の排斥」という課題に直面させるのか。
伊周を「悪役」として強調するところまでは予想の範囲内でした。
それにしても「呪詛を重ねて消耗し、頭がおかしく」なった伊周を「怪演」した三浦翔平さんは中々のもの。
三浦さんは、道長暗殺計画を隆家に阻止された時点で―その後の台本をまだ渡されていなかった―伊周は憑き物が落ちたように大人しくなるのだと思っていたそうです。
まあ、ここまで来るといよいよ伊周の先は長くはなく、おそらく来週で退場でしょう。

藤壺女御:光源氏=彰子:敦康親王
なるほど、こう来ましたか。
伊周の脅威が無くなれば敦康を排斥する理由も無くなりそうなところですが、道長としてはこれを放置することはできません。
敦康はまだあどけない少年ですが、彰子と身体的に接触する場面には既視感が。
まだ幼かった頃の一条天皇が定子の衣服の中に潜り込んで遊び戯れていました。
ここから成人した一条帝の定子溺愛までは一直線でした。

「次期東宮」問題に対してやはり彰子は敦康を推していました。
それは、一条天皇の意思に従うということであると同時に、彰子自身が敦康を「愛して」いたからでもある。
この「愛」は、無論現時点では「良き継母として」の愛情でしょうが、道長はこれが「男女の愛(恋)」に発展する危険性を見る。

この先、道長と彰子との間には父子対立が起こり、まひろは板挟みになりそうです。
おそらく、まひろは彰子の思いに寄り添うことになるのでしょう。ただし
公式ガイドブックを元にしたネタバレ予想情報―無論実際のドラマがその通りになるとは限らない―では、道長はまひろに『源氏物語』で「藤壺女御・光源氏の不倫(継母との恋)」を設定したことを責める場面があるとのことです。
道長にしてみれば、彰子が藤壺女御に感情移入するようなことがあれば一大事。
この予想情報どおりだとすれば、まひろは道長側の懸念も充分に理解することになるので、どう感じ、どう考え、どう行動することになるのでしょうか。
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あと2ヶ月で終わりますね (megumi)
2024-10-07 20:39:04
コウジさん こんばんは。

あまり期待していなかったにも関わらず、飽きること無く見ています。

紫式部と清少納言。
同列にされていますが、長編小説と随筆では重みも労力も違うでしょう。

定子皇后の光の部分だけを書き、自慢話。
かたや、数多くの人物を登場させて
ねっとりじっとりと男女の機微や帝の子でありながら朝廷での身の処し方なども書かねばなりません。
よくぞ、齟齬の無いプロットが出来上がったものだと思います。
続きをどう書こうかと思案するまひろ、大変でしたでしょう。
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インパクト ()
2024-10-07 20:45:38
 コウジさんやTEPOさんの深い考察を読んだ後では、気が引けるのですが、冒頭の清少納言のアップは、ちょっと恐かったです。滑稽さも感じましたが。
 私の場合、1週間ぶりに観る時、前話の終わりは忘れています。なので、いきなり清少納言のアップでしたので、虚を突かれました。《ああ、そうだった。清少納言の書評を受けなければならなかったんだぁ。
 まひろ自身も、清少納言の評価を聞くのは怖いと思いますが、最も評価を受けたい相手だったのでしょうね。
 清少納言の「恨んでいる」という言葉は、一番の誉め言葉だったのかもしれませんね。(清少納言がその意図をもって発したのか?は分かりませんが)
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あっ! ()
2024-10-07 20:53:00
 最後の一文の表現に悩んでいた後、コメントをアップしたら、megumiさんのコメントがアップされているではありませんか!
 「コウジさんやTEPOさんの深い考察を読んだ後」と書いた時点で、megumiさんのコメントを読んでいなかったのです。決して、megumiさんの考察が深くないと言っているのではありません。
 ……という釈明をしても、ドツボに嵌まるだけのような気もしますが……
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理想化 (2020-08-15 21:49)
2024-10-07 21:52:08
>「光る君の物語に引き込まれました」
>「まひろさまは根がお暗い」笑
>「光る君のしつこいいやらしさにあきれ果てました」笑
>「男のうつけぶりを笑い飛ばしています」

ネットでは、多くの人が、このあたりのききょうの言葉を「ききょうもまひろの物語を評価している」としているようですが、わたしは逆だと思いました。
美しいものを愛でるききょうさんは、定子皇后も理想化しています。ききょうが守りたい定子の姿は、理想化された幻想なのですが、ききょうは頑としてそれを認めようとせず、「正しい歴史認識」だと考えています。
一方、源氏の君の物語には「いやらしさ」や「男のうつけ」も含まれています。いわば理想化されていない人間の姿で、ききょうにとっては、軽蔑すべきもの、排除すべきものでしょう。
そんな軽蔑すべき排除すべきものが、帝の心を捉えているやりきれなさ、怒りだと見ました。
ひょっとして、ききょうも呪詛方面に行きかねないような、そんな印象を受けました。

それにしても、仲良く縁側に座ってお菓子を食べていたふたりが、こうなってしまいましたか。
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物語と現実 (コウジ)
2024-10-08 09:35:30
TEPOさん

いつもありがとうございます。

この作品には「物語と現実」という裏テーマがあるんですよね。
・現実を題材にして物語にする~たとえば若紫。
・物語が現実に影響を及ぼす~たとえば今回の道長の敦康を彰子から遠ざけようとする行動。

平安の為政者たちは「歴史」を教訓にして、自分を律したり、政治をおこなったりして来ましたが、「物語」も同じような存在になりそうです。
そう言えば、前回の朗読シーンで、事実を書き連ねた「日本紀(歴史書)」よりも人間の心の機微を描いた「物語」の方が優れている、という描写がありましたね。

彰子の覚醒もそうですが、「物語(源氏物語)」が現実でどんどん力を持って来ています。
……………………………………
僕もネット情報で目にするのですが、この後、道長と彰子は対立するようですね。
おっしゃるとおり、この対立でまひろはどうふるまうのでしょうね。

おかしくなった伊周。
呪詛は自分に戻って来るようですよね。
三浦翔平さんに呪詛の指導している先生は、本当に呪詛をすると戻って来るので、呪詛の言葉を少し変えるように指導しているそうです。

それにしても伊周の呪詛は効かない……。
おそらく道長の力が強くてはね返されてしまうのでしょうが、「伊周は呪詛の仕方を明子に習った方がいい」というXのポストには笑ってしまいました。
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古典を掘り下げていきたい (コウジ)
2024-10-08 10:00:39
megumiさん

いつもありがとうございます。

「清盛」の映像が汚すぎるので視聴をやめたmegumiさんとしては、今回の雅な映像はハマったのではないでしょうか。

僕は、むかし大河ドラマで挿入される歌舞音曲のシーンが苦手で、「そんなことはどうでもいいから早く物語を進めろ」と思っていたのですが、最近は歳をとったせいか、歌舞音曲のシーンに魅せられるようになりました。

megumiさんは以前、古典の授業のせいで「枕草子」が嫌いになったとおっしゃっていましたよね。
僕も教科書に載っていた「はるはあけぼの」くらいしか知らないのですが、これを機に読んでみたいと思っています。

>齟齬の無いプロットが出来上がったものだと思います。
おそらく人物像がしっかり描かれているからなんでしょうね。
ただ全体を通してみると、ホラーがあったり、ギャグがあったり、政治闘争があったりと、バラエティに富んだ内容。
これが連載小説の宿命なのですが、人の人生も理路整然とはいかないので、その方がリアルなのでしょう。

この作品を機に古典をいろいろ掘り下げてみたいと考えています。
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清少納言の心を抉った「源氏物語」 (コウジ)
2024-10-08 10:13:34
英さん

いつもありがとうございます。

>1週間ぶりに観る時、前話の終わりは忘れています。
1話完結でない連続ドラマのマイナス点ですよね。
最近、僕はnetflixなどの配信で、ドラマやアニメをイッキ見しているので、それを痛切に感じます。

「恨んでいる」「腹を立てている」
これはストレートな言葉でしたね。
同時に、おっしゃるとおり清少納言からこのような言葉を引き出したということは、『源氏物語』がそれだけ彼女にインパクトを与えた証拠。
取るに足らない作品なら鼻で笑って終わりにしてしまいます。

ある意味、最高の褒め言葉だと言えるでしょうね。
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本物の文学 (コウジ)
2024-10-08 10:31:57
2020-08-15 21:49さん

いつもありがとうございます。

・人の心の光を描くか。闇を描くか。
・理想的で美しい人間を描くか。醜く滑稽な人間を描くか。
これで文学の方向性は変わって来るんですよね。

まあ、理想的で美しい人間が堕落したり、醜く滑稽な人間が美しい行為をする所に「文学」があるのですが。

清少納言の評価については、英さんの所でも書きましたが、清少納言の心を激しく揺さぶったという点で最高に評価しているのではないでしょうか。
つまり、好き嫌いは別にして、清少納言にとって『源氏物語』は本物だった、ということですね。
取るに足らない作品だったらスルーして終わりです。
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ちょっと違うかもしれません (megumi)
2024-10-08 10:53:07
コウジさん おはようございます。

>古典の授業のせいで「枕草子」が嫌いになったとおっしゃっていましたよね。

と言うより、国語教師の切って捨てるような言い方に共感しました。
特に、その教師を敬愛していたわけでは無いですが
よくぞ言ってくれたという感じです。
鼻持ちならない清少納言に同性として反発していたような気がします。


来年はともかく、再来年の大河ドラマ『豊臣兄弟』に全く興味が湧きません。
昨年も全話スルーしました。
「戦国時代はもうやめましょう」と言いたいです。
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