KYという言葉があるように日本人は他人との同調力が強い。
明確な自己主張をせず、空気を読んで他人に合わせてしまう。
これがいいことか悪いことかはわからないが、過度の同調は心をむしばむ。
自分が変だなと思っていても、他人が良しとすれば、自分も追認する。
完全な自己否定。
結果、起きるのは<自己喪失>あるいは<自己嫌悪>だ。
あるいは過度の同調は、今回の赤根祐輔君のように人を<透明人間>にする。
他人と合わせているうちに、自分はONE OF THEMになり、カメレオンのようにまわりの景色と同化する。
同調は他人から自分を守るための行為だが、同時に心は悲鳴をあげる。
<透明人間>であることに耐えられなくなって、「自分はここにいるんだよ!」「みんな見てよ!」と叫びたくなる。
赤根君の場合は漫画という形で。
漫画で描かれていることが現実に起これば、まわりが騒ぎ出す。
この漫画を描いているのは誰だ? とウワサになる。
これは<透明人間>にとって心地よい存在確認だ。
それは劇場型犯罪の犯人が、警察やマスコミが騒いでいるのを見て喜ぶのと似ている。
そう言えば、<酒鬼薔薇聖斗事件>の少年Aは自分のことを<透明な存在>と呼んでいた。
描いたことが現実に起こるというのは、「20世紀少年」でも描かれたが、根本は<オウム真理教事件>だ。
彼らはハルマゲドンという予言を実現するためにサリンを撒いた。
この作品は現代の心の病理を描いているんですね。
それが<サイコパス>という言葉に集約されている。
では、こんな病理に対する処方箋は何か?
彩未(北川景子)は叫ぶ。
「先生はここにいます! 先生はサイコパスです!」
「あのブログに書いてあることは全部本当です!」
まずは、本当の自分をさらけ出すこと。
こうすることで、<透明人間>から<ここにいる人間>になることが出来るし、本当の自分に戻ることが出来る。
「自分は、みんなが言っていることは間違ってると思います!」と叫ぶことや、空気を読んで笑わないことや、極端な所では「自分はヘンタイです!」と宣言することで、心は解放される。
本当の自分をさらけ出すことによって、離れていく人もいるだろう。
しかし、本当の自分を受け入れてくれる人もいる。
そんな人たちとの繋がりこそが本当に繋がりだ。
偽りの自分で繋がっている関係なんて本当の繋がりではない。
そして彩未はさらに深いことを語る。
「先生は笑いたくもないし、泣きたくもない。みんなに嫌われないようにしているけど、好かれたくもない。殺したいけど殺さない。さて、どっちの先生が本当で、どっちがウソでしょう?」
人間とは矛盾した存在なのだ。
善もあれば悪もある。弱さもあれば強さもある。崇高な部分もあれば卑しい部分もある。
彩未はこの矛盾する両面を認めて、折り合いをつけながら生きていけと語る。
これが次のせりふ。
「人間はどこへ逃げようと自分から逃げることなんてできないのよ! ウソと本当がクリームのように溶け合って生きているのが人間だからです!」
さて、われわれは彩未の言葉から何を考えるだろう?
彩未は生徒達に語っているが、実はわれわれにも語りかけている。
<本当の自分をさらけ出すこと>と<矛盾した自分に折り合いをつけながら生きていくこと>。
こうすることで、人は<透明人間>でない<本当の自分>を生きていくことが出来るように思う。
この作品、次に彩未が何を叫ぶのか、楽しみになってきた!
明確な自己主張をせず、空気を読んで他人に合わせてしまう。
これがいいことか悪いことかはわからないが、過度の同調は心をむしばむ。
自分が変だなと思っていても、他人が良しとすれば、自分も追認する。
完全な自己否定。
結果、起きるのは<自己喪失>あるいは<自己嫌悪>だ。
あるいは過度の同調は、今回の赤根祐輔君のように人を<透明人間>にする。
他人と合わせているうちに、自分はONE OF THEMになり、カメレオンのようにまわりの景色と同化する。
同調は他人から自分を守るための行為だが、同時に心は悲鳴をあげる。
<透明人間>であることに耐えられなくなって、「自分はここにいるんだよ!」「みんな見てよ!」と叫びたくなる。
赤根君の場合は漫画という形で。
漫画で描かれていることが現実に起これば、まわりが騒ぎ出す。
この漫画を描いているのは誰だ? とウワサになる。
これは<透明人間>にとって心地よい存在確認だ。
それは劇場型犯罪の犯人が、警察やマスコミが騒いでいるのを見て喜ぶのと似ている。
そう言えば、<酒鬼薔薇聖斗事件>の少年Aは自分のことを<透明な存在>と呼んでいた。
描いたことが現実に起こるというのは、「20世紀少年」でも描かれたが、根本は<オウム真理教事件>だ。
彼らはハルマゲドンという予言を実現するためにサリンを撒いた。
この作品は現代の心の病理を描いているんですね。
それが<サイコパス>という言葉に集約されている。
では、こんな病理に対する処方箋は何か?
彩未(北川景子)は叫ぶ。
「先生はここにいます! 先生はサイコパスです!」
「あのブログに書いてあることは全部本当です!」
まずは、本当の自分をさらけ出すこと。
こうすることで、<透明人間>から<ここにいる人間>になることが出来るし、本当の自分に戻ることが出来る。
「自分は、みんなが言っていることは間違ってると思います!」と叫ぶことや、空気を読んで笑わないことや、極端な所では「自分はヘンタイです!」と宣言することで、心は解放される。
本当の自分をさらけ出すことによって、離れていく人もいるだろう。
しかし、本当の自分を受け入れてくれる人もいる。
そんな人たちとの繋がりこそが本当に繋がりだ。
偽りの自分で繋がっている関係なんて本当の繋がりではない。
そして彩未はさらに深いことを語る。
「先生は笑いたくもないし、泣きたくもない。みんなに嫌われないようにしているけど、好かれたくもない。殺したいけど殺さない。さて、どっちの先生が本当で、どっちがウソでしょう?」
人間とは矛盾した存在なのだ。
善もあれば悪もある。弱さもあれば強さもある。崇高な部分もあれば卑しい部分もある。
彩未はこの矛盾する両面を認めて、折り合いをつけながら生きていけと語る。
これが次のせりふ。
「人間はどこへ逃げようと自分から逃げることなんてできないのよ! ウソと本当がクリームのように溶け合って生きているのが人間だからです!」
さて、われわれは彩未の言葉から何を考えるだろう?
彩未は生徒達に語っているが、実はわれわれにも語りかけている。
<本当の自分をさらけ出すこと>と<矛盾した自分に折り合いをつけながら生きていくこと>。
こうすることで、人は<透明人間>でない<本当の自分>を生きていくことが出来るように思う。
この作品、次に彩未が何を叫ぶのか、楽しみになってきた!
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