あるリクエスト:
「ピアノもベースもナマ音(アンプもマイクも使っていない)
なんだから、ボーカルもマイクなしで聴かせてもらえませんか?
」
答え:
「ここで歌うのには、そのやり方に向いたレパートリーがないのでお断りします。
」
またある時、クラシックの歌手の方が私の歌っている録音を聴いて
「こんな声全然ダメね」とおっしゃったそうです。
クラシックの発声法からしたら、押したり引いたり囁いたりつぶしたりの入り混じった
歌唱法は、とても安定も完成もしていないものに聴こえるのかもしれませんね。
ハイチ救済のために立ち上がったミュージシャンたちが、
25年前アフリカン・エイドとして作られた"We Are The World"を再録音したものを、
YouTubeで聴きました。
それを聴いた25年前を知る人々の感想:
「知らない人が多いな。自分が年取ったな。全体に小粒になったな。」
・・・知らない若いシンガーの一人一人の声を聴いて(この場合、公平に数小節ずつソロを
取る、というやり方をしているので)「なんて魅力的な声の持ち主が多いんだろう!」と
私は感動。
しかもほとんどみんな(ラッパーは別として)発声が「渾身」です。
ですが、大声で怒鳴っているわけではありません。
25年前に、私も当時やっていたポップスバンドで、この曲をカバーしました。
もちろん遊びでね。3人しかいなかったし。
ちょうど、コンボ・バンドでビッグバンドのアレンジを何人分かずつ掛け持ちして、
それらしさをちょっと聴かせるみたいな感じ。
曲の中盤の、当時かなり売れっ子だったシンディー・ローパーが細くて硬質な高い声で
小気味良くシャウトするパートを取って楽しかったのを思い出しました。
今回このパートはセリーヌ・ディオン。どんなに歌ってもつぶれそうもない彼女の声は、
数曲続けて聴くとちょっと疲れてきたりするけど、やっぱり素晴らしいです。
声(音色と音量)は持っている財産。
それぞれの持ち味が、
それぞれの場所とコンビネーションで生きて、その場で(または録音で)聴く人が
心地よく過ごせたり感動できたりすれば、それで何も言うことはありません。