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育児休業制度が実現した頃のお話

2016年02月14日 | 社会、読書
私が長男を出産したのは1989年11月。
国家公務員(研究職)で、宮城県のとある町に住んでいた。

当時、出産に関わる休暇は
産前6週間、産後8週間(多胎妊娠の場合は産後10週間)のみ。
一方、市立保育所は生後3ヶ月からの受け入れだった。
つまり、産休明けから生後3ヶ月までの保育をどうするかが深刻な問題だった。
その頃は生後8週間の乳児を預かるような私設の保育施設は無かった。

3歳の長女が既に市立保育所にお世話になっていたので
早くから先生方にお話ししてお願いして
11月生まれなら2月1日から、慣らし保育を経て受け入れて貰えることになった。

幸い長男は11月下旬に生まれてくれたため
産休明けから有給休暇を10日ほど取得させてもらって
何とか2月1日を迎えることができた。

この時点でゼロ歳児保育を実施している市立保育所は1カ所のみで
長女が通っている近所の保育所とは別の所だった。
朝、車の後部座席に固定した衣装ケースのベッドに長男を寝かせ
助手席に乗せた長女を一つ目の保育所に送ってから
長男を二つ目の保育所に連れて行き、出勤。
夕方は長女をピックアップしてから長男を迎えに行き、帰宅。

新年度4月から長女の通う近所の保育所に
新しくゼロ歳児クラスができることになってホッとしたのを思い出す。

元々、産前産後休暇は、母体の保護が目的である。
その後の保育の確保という観点は、全く無かったのである。

職場復帰してからは、組合の要求活動や署名活動に取り組み
満一歳までの育児休業制度の導入を働きかけ
最低限生後3ヶ月までは休めるようにしないと
保育に欠ける状態ができてしまう現実を強く訴えた。

働く女性の先輩達から続いてきた要求が実って
育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成3年法律第76号)(通称:育児介護休業法)が
遂に1991年に制定、1992年に施行された。

その後長野県下に転勤して、1995年に次男が生まれた。
満一歳までは育児休暇が取れるようになっていたが
私は保育所に預けられる生後3ヶ月までのひと月強だけ休んで
速やかに職場復帰した。

長男出産時に、職場復帰してすぐ
重要な会議でのディスカッション中に
専門用語が出てこなくて冷や汗をかいたりなど
しばらくは勘が戻らないことを経験していたからだ。

それでも有休の残日数を気にせずにすむのはありがたかった。

都会では年度途中でゼロ歳児保育に入所するのは非常に難しい。
満1歳までの育児休暇は、女性が出産後も働き続けるために
必要不可欠な制度だと確信している。

その後育児休暇が満3歳までに拡張された。
仕事の種類にもよるし、個人差もあるだろうが
長く休めば職場復帰も大変だろうなぁと思う。


当時も今も「三歳までは母の手で」と言われる。
幼子は母が育てるべきだという意味だ。

しかしそれは決して「三歳までは母だけの手で」
ということではないはずだ。

子供達3人を育てる際に、実に多くの方達の手を借りてきた。
手を借り知恵を借り、本当に多くのことを教えられながらの育児だった。
しかし常に「育児の司令塔は母」と考え判断し行動してきたつもり。

子育てにおいて、どれほど物理的に手を掛けるかよりも
どれだけ多くの心を掛けるかこそが大切なのではないだろうか。
働きながら3人を育ててきた私の実感は、そのようなものである。
コメント
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