自転車に乗ろう♪

自転車のこと、ロードレースのこと、庭のこと、日々の暮らしのことなど。    HN:Emmy(えむえむ)

限界はない : 岡崎朋美選手のこと

2009年12月16日 | 暮らし、その他
12月14日のスポーツ大陸(NHK総合)にスピードスケートの岡崎朋美選手が出ていた。

22歳から4回連続でオリンピックに出場し、38歳の今シーズン、
5回目のオリンピックをめざしている。
2006年のトリノオリンピックが終わったら引退も考えていたが、
0.05秒差の4位でメダルを逃した無念さから、競技を続けることを決心。

今シーズンは5月からハードな陸上トレーニングに励み、フォームの改造に取り組み、
ワールドカップ出場のための代表選考レースに臨んだ。
「ベテランの自分が4人の代表枠に入るには2位にならなければならない。」
との言葉通り、20台前半のライバル達を押さえて2位となった。

岡崎選手が話していた中で一番印象的だった言葉。

   限界は無いって思います。
   体力の限界ってありそうでない。
   自分が限界だと思ったらそれ以上は行けないです。

ランス・アームストロング 38歳
ミハエル・シューマッハ  41歳
そして
岡崎朋美 38歳

周囲からは「年齢限界説」が聞こえてくるはずだが、
自分自身が限界だと思わない限りは伸びていける。

多分それは真実だ。

とても励まされる。
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2010年F1のシートあれこれ

2009年12月15日 | モータースポーツ
先週、小林可夢偉選手が来季のシートを手に入れたようだとの情報が出た。
どうやらザウバーらしい。
同時に、中嶋一貴選手がステファンGPに乗れるのではとの話も。
情報源

ステファンGPはまだチーム自体の来季参戦が確定していないので、一貴のことはどうなるか分からないが、
可夢偉の方は「関係者が祝杯を挙げた」というくらい、確かなことらしい。

日曜日には、ミハエル・シューマッハがメルセデスGPで現役復帰するとの情報が、
ドイツのメディアから発信された。
少し前にシューマッハの父が
「彼は非常にハードなトレーニングを積んでいる。目的無しにそのようなことをする男ではない。」
と語っていたし、こちらも相当確かっぽい。
シューマッハの現役復帰はやっぱりワクワクする。
最近はやたらとチーム子飼いの新人を乗せる傾向があって、
2009年の鈴鹿での「単独クラッシュの嵐」は世界最高峰のカテゴリとしては大変見苦しかった。
最高のマシン+最高のドライビングテクニックこそ、F1の魅力なのだから、
彼の復帰でまた面白くなりそうだ。

シューマッハのカムバックを次男に話したら、
「あの人を思い出すね。」
そういわれて私の頭に浮かんだのは・・・ランスだ!
でも次男はマンセルのことを思い出したのだそうだ。
どちらにしても、大いに活躍するのを期待しているっていうことだ^^


その日曜日の夜、佐藤琢磨選手がロータスとの交渉が実らず、シートを得られなかったことが明らかになった。
琢磨さんの公式サイトで本人からの報告が掲載されたのだ。
残念の一言だ。

トヨタ育成ドライバーの可夢偉と一貴がシート獲得競争において
トヨタの全面的なバックアップを得ているのは周知の事実だ。

「最後は政治力」とはよく言われることだが、
琢磨さんと明暗が分かれていることは、やはり「政治力」の差なのだろうな・・・。

琢磨さん、負けるな!!
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ロードバイクへの道 5

2009年12月14日 | 自転車
過去日記シリーズの5回目

2009年8月7日(金)

ブリジストン・アンカーのサイトで改めて取扱店を調べ、
家から一番近いお店に問い合わせました。

「あれは評判の良い品ですよ。うちでも5台くらい売りました。
メーカー在庫は・・・2台、ですね。」
とテキパキ調べてくれました。
すごく感じの良いそのお店は、しかし我が家から車で40分掛かります。

アフターケアーの利便性など購入後の問題を相談する中で、
市内の自転車店を紹介してくれました。

滅茶苦茶腕が良くて、非常に信頼できる自転車屋だというR徳さん。
実は少し前から市内の自転車屋さん情報をネットで探し、
R徳さんの名前も知っていたので、
以後はR徳さんに相談することにしました。


夜、夫にロードバイクを買いたいと切り出しました。
「自分勝手に突っ走るな。」と強くたしなめられました。

具体的な見通しが立ってから話そうと考えて、ここまで相談していなかったのですが、
「他人ならいざ知らず、結論ありき的な物事の進め方は無いでしょう!
僕を信頼も尊重もしていないことになる。」
と言われて、ぐうの音も出ませんでした。

実際、今後、色々な場面で協力してもらいたいことがいっぱいあるのに、
猪突猛進的で回りのこと、周りの人に全く気持ちが向いていませんでした。

ゴメンナサイ!!!
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ロードバイクへの道 4

2009年12月13日 | 自転車
過去日記シリーズの4回目。

2009年8月6日(木)

昼休みに、自転車ショップに行きました。
市内では一番大きな専門店ですが、
ロードバイク、クロスバイクは全部で10台位しか置いてありません。

私が良いなと思っているブリジストン・アンカー・ウーマンは取り扱っていないとのことで、
どうしてもということなら付き合いのある別のショップを経由して仕入れることは出来るそうです。
高い買い物だから実物を見てからにしたいし、急がずに慎重に検討します。

ちなみに別メーカーのレディスモデルが1台ありました。
フジというメーカーで、富士自転車という日本のメーカーが身売り(?)して
今は米国の会社なんだそうです。
大きなレースにも出ている質の高いロードバイクを作っていて市販車の人気も高いとか。

詳しい経緯は分かりませんが、
高い技術力を持ったメーカーが日本の会社ではなくなったことに
「頭脳流出」を連想し、
何だかもの悲しい気分になりました。
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ロードバイクへの道 3

2009年12月12日 | 自転車
過去日記シリーズの3回目です。

2009年7月25日(土)

午前中、約1時間10kmほど自転車で走りました。
曇っていても蒸し暑いです。
先週のルートを途中まで行き、踏切を渡らずに線路際を進んだら、
舗装が切れて砂利道になったので、そこから引き返しました。

橋のたもとで一休み。ペットボトルに入れた水はぬるかったけれど美味しかったです。



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2009年8月5日(水)

ネットで買ったサイクルコンピュータを箱から出して使い方をチェックしました。
普通はロードバイクをGETしてからこういうアクセサリーを揃えるんでしょうけど、
とりあえず今乗ってるシティサイクルに付けて使ってみようと思っています。

心拍計もありで4000円は「え、こんな値段で買えるの?」という安さでした。

効果的で安全な有酸素運動が出来そうです♪♪

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ロードバイクへの道 2

2009年12月11日 | 自転車
過去日記シリーズの2回目です。

2009年7月18日(土)

自転車で近所のサイクリングロードを走ってみました。
サイクリングロードとは言っても、アスファルトにひびが入って
そこにびっちり草が生えてしまい、路面荒れ模様の道なのですが、
千曲川の流れに沿って下流へとず~っと行ってみました。

気持ちよかったです。
汗もいっぱいかきました。
大がかりな道路工事で通行止めの場所にぶち当たり、
そこで引き返して往復55分でした。

走ってみたら、ジム(数ヶ月前に退会)でバイクをこぐよりもずっと爽快で、
運動量的には変わらない感じです。
ただちょっと問題が生じて、専用のインナーパンツを買おうと思っています(苦笑)。

-------------------------------

7月19日(日)

次男とサイクリングへ行きました。
昨日の千曲川沿いのサイクリングロードをもっと先まで。
行き止まりになった場所は手前から迂回し、過去に走ったことのある次男が裏道に誘導してくれました。

10:30スタートで、約1時間走ったところの公園で休憩。
設置された案内ボードによると走行距離は約15kmです。
次男が近くのコンビニへひとっ走りしてクーリッシュとポテチを買ってきてくれました♪



11:50、そろそろ帰ろうかというタイミングで雨がザーっと降ってきたので、
10分ほど待って雨をやり過ごしてから出発しました。


写真は帰る途中のサイクリングロードで、左側に千曲川が奥から手前に向かって流れています。
つまり帰りはずっと登り坂です。


13:30帰宅。
往復で30kmを走破して、自転車走行距離自己最高記録を大幅に更新しましたが、
「行きはよいよい、帰りはこわい」とはまさにこのことで、後半は相当きつかったです。

でもすごく楽しかった!!

筋肉痛対策で夜までしつこくストレッチをしました(笑)。


走ってみて、もしも買うならクロスバイクの方が現実的な気がしてきました。
クロスバイクでも50km/h位までは出るし、
私はハイスピードは怖くてせいぜい30km/h程度でしょうから
ロードバイクにするメリットが余りないかも、です(汗)。
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私見(フミの移籍関係)

2009年12月10日 | サイクル・ロードレース
世の中には様々な立場や価値観があり、
それによって様々な意見があることは当然だと考えていることを、
初めに断っておく。


あるサイトで、フミの移籍問題に関して
「仮にも2年間、多くの経験と最高の器材を与えてくれたスキル・シマノに対して、
恩を仇で返すような行動を取るべきではない。」
といった趣旨のコメントがあった。

「恩」とは何だろう?

チームと選手は、契約に基づいた「ギブ・アンド・テイク」の関係だと私は思っている。
基本は「対等」であるべきだと。
勿論、現実的には、選手の立場は相対的に弱い。
「雇ってやるのだからありがたく思え」という意識がチーム側にはあるように見える。

選手の働きがチームの期待したレベルに達しなければ、チームは契約を延長しない、
つまりそのシーズン限りで選手は放出(解雇)される。

では逆に、チームの待遇が自分の働きに対して不十分だと、選手が判断したとき、
選手には契約を打ち切る権利があるか?
その権利がないというのが、今回の移籍問題の原因ではないだろうか。

チームの期待に応えられなかったにもかかわらず契約を延長してくれたというのなら、
まあ多少「恩」を感じるのもありかもしれない。
それだって、チームとして総合的に見てその選手を使うメリットがなければ
絶対に契約しないという事実を忘れてはならない。

この2シーズン、今年のツールまでで、フミがエースを務めたレースはいくつあったのだろう?
山岳賞を獲ったルート・ドゥ・スッドでは第1ステージで逃げて2位になったから
その後のステージではチームメイトのアシストも受けられたのだったと思う。
詳しいことは部外者には分からないにしても、
「恩」を感じなければならないほどフミが厚遇されていたようには見えない。

チーム内での自分の位置付け、役割、ギャラに加えて、
監督陣やチームメイトの顔ぶれが自分の成長にとってベストなのかどうか。
選手として走れる期間は決して長くないから、1年という時間は貴重だ。
よりよい環境で走りたい、走ろうとする(そのために移籍する)ことは、
選手としてはとてもまっとうなことだと、私は思う。


今回揉めてしまった原因を想像するに、次のどちらかだったのではないだろうか?
・フミは移籍の希望をスキル・シマノに伝えていた。しかしスキル・シマノ側が、その希望を黙殺した。
もしくは
・ある人物を通して移籍の希望を伝えていたはずなのに、その人物が握りつぶしてスキル・シマノ側に伝わらなかった。

フミがラジオシャックと契約を結んだのが11月の初めで、
その時点で、フミはスキル・シマノ側が契約を延長しないことを了解したと信じていた。
それなのに2010年のスキル・シマノの選手として発表がされてしまった。

心が離れてしまった婚約者を無理に縛り付けても、お互いが不幸になるだけだ。
選手とチームの関係も、同じこと。
円満解決に向けてスキル・シマノ側には、是非とも建設的な大人の対応を期待したい。

すでにチーム合宿も順次始まっている。
早期に解決してフミからの朗報がもたらされることを祈っている。
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ロードバイクへの道 1

2009年12月09日 | 自転車
私がそもそも何故ロードバイクに乗ることになったのか、記録の意味で
本ブログ開設前に書いていた日記から時間を追って転載していく。

歳末特別企画、全10回の予定です(^-^)


2009年7月15日(水)の日記

門前の小僧習わぬ経を読む? 
老いては子に従え? 
ミイラ取りがミイラになる? 
牛に牽かれて善光寺?? 

などなど取り混ぜたような経緯で、
このところ毎晩ツール・ド・フランスのライブ放送に熱中しています。


そもそもは、今年になって次男が自転車に興味を持ち、
粘られた末に3月にロードバイクを買い与えました。
同時進行で彼がスカパーのロードレース中継を録画しては観ていて、
私も見るともなく時々観ていました。

だんだんルールやレースの駆け引き、選手名なども分かって面白くなってきたところで、
7月になって名前だけは知っているツール・ド・フランスが始まりました。
今回は日本人選手が二人参戦しています。
それがどれほど画期的なことかを知り、
スタート地点のモナコで佐藤琢磨選手と2選手とのやりとりが報道されたあたりから
ぐぐっと興味が激増してきました。

そして第2ステージ。

新城選手のステージ5位フィニッシュを目の当たりにして、
以後、毎晩欠かさずに観ています。
JSportsのサイトも充実しているし、解説もわかりやすくて面白く、
ぐいぐい引き込まれてしまいます。


ここ数日は「自分もロードバイクで走ってみたい!!」という欲望がむくむくと頭をもたげて、
ちょっとヤバイです。
エントリーモデルでも最低で7万円くらいするし、
それ以前に乗りこなせるのか自信がありません。
次男に「私も乗ってみたいかも♪」と言ったら、
「お母さんがロードバイクって、惨めだと思う。」
と情け容赦のないコメントが(汗)。

勢いで買っちゃうことだけは厳に謹んで、
まずはママチャリでバランス感覚を取り戻してから再度考えることにします。

(中継の解説の中で、ロードバイクとママチャリは全く別の乗り物です、と強調していました。
きっとそうなのだと思います。
全く別の乗り物を体感したいので、
ゲットするならクロスバイクではなくロードバイクです。)
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レポート3 :J SPORTS ツール・ド・フランス トークイベント

2009年12月08日 | サイクル・ロードレース
レポート2の続き

16:13 フミの退場と入れ替わりに、浅田顕さんが入場。



新城選手の活躍を中心にトークが弾む。

新城選手のビデオメッセージが流れる。
「フランスでチーム合宿中です。
来年もいい走りをして、中継を見てくださる皆さんに手を振りたいです。」


・浅田さんから見た新城選手
一年で成長できる量には限界があるが、
今年はアムステルゴールドレース(100km以上に及ぶ逃げ)、
ダンケルク総合9位、新人賞と本当に素晴らしい活躍で、ツール出場を獲得した。
二回りくらい成長した。

・今中さんから見た新城選手
彼には地脚(ぢあし)がある。プロの+2時間を全力で走る力がある。

・ツールの第2ステージについてサッシャさんと栗村さん
サッシャ:一位争いに集中していたら栗村さんが「新城!」って言ってその瞬間に気が付いた。
もう正直「カベンディッシュはどうでもいいっ!」て思いましたよね。日本中がそう思ったんじゃないでしょうか。
栗村:あれで実況解説のスタンスががらっと変わってしまった。
それまでは一位だけをみていたらよかったのが、もう、後ろが気になって、気が散ってしょうがない(笑)。

栗村:来年はどこかのレースで勝つだろうと思う。 (一同大きく頷く。)

16:33 第1部終了。今中さん、浅田さん、栗村さん退場。


16:40 第2部 2010ツール・ド・フランス ルートプレゼンテーション
ベルナール・イノー氏登場。

ビデオ映像で2010年ツールのルート紹介を映写。
イノー氏の挨拶。



17:00 栗村さん、浅田さん登壇し、4人でトークショー。
栗村:イノーさんは僕のアイドルなんです(*^_^*)



栗村さんは顔を上気させてポ~~となっていて、この後は進行役としてあまり機能せず。

○イノー氏の話
・集団のボスであることについて。全ての場面において一番でなければならない。
山岳でも、スプリントでも。

・無線について。
選手はインディペンデントであるべきだ。
自転車競技の選手を育てることについて、
18歳で、栄養に関して、上手く走ることに関して、トレーニング法に関して、学ばせ、
20歳でインディペンデントにする。
ところが選手が峠の下り方も知らない。
選手を取り囲む人々にも教えないといけない。

・別府、新城両選手へのアドバイス、感想
日本の指導者(栗村、浅田さんのこと)を信頼している(ので、特にアドバイスはない)。
2人のツール出場は大変喜ばしいことだ。
彼らは単に出場しただけではなく、自分たちの存在をしっかり見せてくれた。
シャンゼリゼは本当に素晴らしかった。
二人の活躍が、若い日本人選手達のモチベーションになって欲しい。
自分よりも強い選手と走って上達して欲しい。




17:25 ジャパン・カップの話題あれこれ。

(メモはここまで)

17:50 今中さん、フミ、砂田弓弦さん登壇。


左からイノー氏、通訳の細田さん、砂田さん、今中さん、フミ、浅田さん


フミはオフィシャルメモリアルパーカーを着用。

プレゼントコーナー。
イノー氏が走ったツールのDVD、砂田さんの写真集、ツールの4賞ジャージ(出演者全員のサイン入り)の抽選会。

すごい豪華プレゼント。
当選した皆さん、おめでとうございます!

他にツールのキャップが100名にプレゼントされた。(観客数は350名)



18:10 サッシャさんと栗村さんが「閉会の言葉」
栗村:だけど・・・気になりますよね・・・別府選手。
  別府選手が一番走りやすい、いい形になってほしいですね。

二人でブツブツと話ながらステージ右手の退場口へ進み、
「お疲れ様でした」と手を振って退場。 18:15


18:25 外はすっかり暗くなり、ザーザーと冷たい雨が降っていたが、
満ち足りたあったかい気持ちで豊洲駅へと歩き出した。(完)

*********************

○今回のイベントはJSportsで放映される。初回放送は12月24日22:00~23:30。

イノー氏のインタビュー記事も参考に(トークショーの内容と重なる部分多し)。


豊洲から新橋までゆりかもめの最前座席に座ることができた♪
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レポート2 :J SPORTS ツール・ド・フランス トークイベント

2009年12月07日 | サイクル・ロードレース
レポート1のつづき。



○フミの話
・ツールのプレゼンについて。元チームメイト、ランスとか、が向こうから声を掛けてくれて嬉しかった。

・ツールで一番嬉しかったことは、5年間の区切りとして、自分の力を出し切れたこと。
第3ステージではチームメイトのために仕事をして自分自身も8位入賞できた。
第19ステージでは自分のために走って7位になった。
そして最終ステージで、世界に別府史之をアピールすることが出来た。

・シャンゼリゼの逃げでは(7人の)中に非協力的な人がいた。
だから「ちぎってやるっ!」って思って、最後は本当にちぎってやった(笑)。

[ということは4人の中に非協力的な人がいたわけね。もしかして小さい人とか?]

えっと、小さい人というか大きい人というか、フ・・?まあまあ・・・(笑)

  (7人にしたのも最後3人にしたのもフミだったとのこと)



・7人の逃げが決まったときの気持ち。
やっちゃったな! また、はまった!っていう感じ。
フランス語でジュセクジュプという、まさにそうだった。

・ステージが進むにつれて、どんどん調子があがったことについて。
[今中:絞れてきて、レースがトレーニングになっちゃっていたようだけれど?]

後半どんどん楽になっていった。
チームオーダーとして1週目はセーブしていこうという作戦だったけれど、
後から考えるとちょっと勿体なかったかも。



続いてフミへの質問コーナーになった。
最初に
「来季については調整中です。いずれ皆さんにお話しできるようになるけれど、
今日はこの話は、ここまでで。」
とフミからの発言があった。
具体的なことは無くても、フミが自分の進みたい道へ行くために粘っている現状を
フミの口から直接知らせてもらえて、嬉しかった。

さて、質問コーナー!
フミと直接お話しできるチャンスだ!!
でも全く準備をしていなかったから、手を挙げられない。
何かないか、何かないか(焦)?
場違いではなくて、フミが気持ちよく答えられて、他の観客の方達も興味あるようなこと・・。

一人目の質問者が質問を始めたが、全く耳に入らない。

その時、ひらめいた。そうだ、つい最近ブログに書いたあの話題だ!

サッシャさんが
「それじゃ、次の質問ある方?」
一瞬手を挙げるのが遅れて、別の方が当てられて
「一日に何時間くらい自転車に乗りますか?」
いい質問だけど、フミの答えが私にはほとんど入ってこない。
次だ、次は絶対に・・・・!

サッシャさんが
「はい、では他に質問したい方は?」
と言いかけた時から右手をいっぱいに挙げてひらひらと振って「はいはいはい!」
と小さく声まで出してアピール。

あな嬉しや!サッシャさん、当ててくださいました\(^_^)/

私の質問は要約すると
「チーム内無線が禁止の方向で、来シーズンの世界戦では禁止になるらしいですが、
それによってレースはどう変わるのでしょうか?」

フミの答えは
・今は選手一人一人が(将棋の)駒で、コントロールされている。
それで実はミスコミュニケーションが多くなっている。
無線が無くてもプロなら集団の中できちっとコミュニケーションはとれるはずだし別に問題はない。
今はレースがコントロールされて展開が読めてしまう。無線が無くなるのは逃げる選手にとっては有利に働く。

きっとエキサイティングになると思いますよ^^
↑最後の一行は、しっかり私の目をみて答えてくれた(*^_^*)



折角のフミの答えなのでしっかり受け止めたいという思いと、
忘れたくないからメモを取りたいという気持ちが交錯して、
フミが答えてくれている間、自分の中ではちょっとパニックだった。
でも、これだけで、今回のイベントに参加した甲斐があったと大満足♪♪

もう一人の質問に答えて、質問コーナーは終了。
フミから次のような締めくくりのコメントがあった。

・今年のツールで走ることができて、アマからプロへ、そしてツールへと上がってきた。
それぞれの段階でいっぱい苦労があって、ステップアップするのは決して簡単ではなかったけれど、
ツールを走ってまた一段階上がった。
これで新しい人生を始められる、新しい別府史之になる。
もちろん自転車を続けていくので
これからも応援よろしくお願いします!

16:13 フミ退場。

レポート3に続く。
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レポート1 :J SPORTS ツール・ド・フランス トークイベント

2009年12月06日 | サイクル・ロードレース


12月5日 土曜日。

J SPORTS ツール・ド・フランス スペシャルトーク in TOKYO
に行ってきた。

11月20日の記事も参照

午前中はお台場で別の用事を済ませて、13:00前に豊洲に到着。
会場のユナイテッドシネマ豊洲に直行して、チケットを発券してから
ゆっくり昼食。
建物の中は暖房で暑いので、開場までの時間を隣接した公園で過ごす。



13:58に会場入り口へ行くと、「15分遅れます」とのこと。
後で分かったことだが、司会のサッシャさんが時間を間違えて遅刻したらしい(笑)。

14:17 入場。
前から3列目の真ん中辺りと、抜群の良席だ♪

14:30 スクリーンに2009ツールの最終ステージの様子が映し出された。
シャンゼリゼ通りに入った、残り53.9km地点からだ。


フミがアタックした場面では場内から拍手が起こり、
早くも気分が高揚する。

15:15 司会進行役のサッシャさんと栗村修さんが登場して、イベントが始まった。



今中大介さん、続いて、フミが呼び入れられて、
ツール・ド・フランスにまつわるフリートークが弾む。



以下は、メモに基づいて覚えていること。
聞き間違いやうろ覚えも多いので、不正確な部分もあることを予めお断りしておく。


○フミの話
・ツールでは海外メディアからたくさん取材を受けたが、ステージが進むにつれて、その内容が変わってきた。
最初は日本の文化とか日本における自転車の占める位置などを訊かれていたが、
だんだん、レースそのものに関しての取材になった。



・第19ステージについて。あの時は自分に余力があるのが分かった。何かやってやろうと思った。
レース後、ヒンカピーが
「あの7位はすごい!8位になった時は、まだ認めていなかったけれど、
あの7位で本物だと思った。」と言ってくれた。
何人もの他チームの監督も同様の事を言ってくれた。

・第19ステージではフレイレの前には(チームがずっと仕事をしていたから)入れない。
だからフレイレのすぐ後が自分の位置と考えて頑張った。

・自転車レースでは、前にいる選手が正しい。後ろの選手が何か(文句を)言うのは御法度なんだ。

[栗村:世界戦での位置取りからも別府選手のステータスが上がったと実感した。]

・ツール以前に5年間プロとしてやってきて、自分の知名度もあがった。

・自転車は前に前に行かなくちゃいけない。とにかく前が有利。

・世界戦ではクネゴが来て「お前、頑張ってるな~」なんて話しかけてきたり、
知り合いがいっぱいいるから、あんな苦しそうな顔をして走っているけれど、
実は集団の中で走っていて楽しい。

・日本からの応援が多くて嬉しかった。
それだけではなくて、外国人の方がいっぱい、日本の国旗を振って応援してくれる。
今中さんの時の(日の丸)をまだ持っていたのかも(笑)。

今中:だって13年も前だよ~?(笑)

----------------

レポート2 に続く。
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無線機の使用が禁止の方向へ

2009年12月03日 | サイクル・ロードレース
UCI(国際自転車競技連合)が、2010年以降、
ロードレース競技中におけるチーム内の無線機使用を段階的に禁止して行くそうだ。
(詳細はこちら

先日読んだ「ツール・ド・フランス 勝利の礎」によると
チーム内無線も最初はチームリーダーだけが着けていた。
それをメンバー全員が装着するようにした最初の監督が、著者のブリュニール氏だという。
ジャージのポケットはボトル運びのために空けておく必要があったために、
特注でショーツに無線機を入れるポケットを付けたそうだ。

無線機使用によってレース中の「臨機応変さ」が格段にスピーディーになった。
そして司令塔である監督の重要度が増した。
その一方で選手一人一人の自主性(?)が損なわれて、
レース展開がパターン化して面白くないという意見もあるという。

チーム無線のないレースを見たことがないので、
どちらが面白いのか、どちらが良いのか、まだ私には分からない。
ブリュニール氏のような、
緻密にレースを組み立てて、頭の回転と無線を駆使してきた監督にとっては
厳しいルール変更だと思うが。


差し当たって2010年の世界選手権はチーム内無線禁止になるそうだ。

人数が多ければ多いほど、チーム内での迅速なコミュニケーションにおける
無線の重要性がより大きいだろうから、
日本のように少人数チーム(おそらくは3人)としては
むしろ有利になるかもしれない。
あるいは多人数チームなら一人を「メッセンジャー要員」にしてしまうかも。

やっぱり、やってみないとどうなるのか分からないや。
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デカソフト

2009年12月01日 | 暮らし、その他
11月29日(日)に精進湖から帰る途中のこと。

休憩したパーキングエリアでソフトクリームを食べたくなった。
ミニサイズが200円、レギュラーサイズが250円で
一番大きなデカソフトが300円だ。
50円差なら、たっぷり食べたいし、デカソフトを注文した。

受け取った瞬間、ズシリ、と重さを感じた。
げっ、ヤバイかも・・・。
普通のソフトクリームの3倍はある。
数年前に鈴鹿サーキットで、
機械の不調で大盛りになってしまったソフトクリームを食べたことがあるが、
それよりもずっとすごいボリュームだ。

車の運転席に戻って食べ始めた。
食べても食べても無くならない。
途中からだんだん味が分からなくなってきた。
夏と違って気温も低めなため、ほとんど融けることもなく、
あくまでもしっかりしている(汗)。

黙々と取り組んで
結局食べ終わるのに15分くらいかかった。

人生最大のソフトクリームと出会ったのは中央道八ヶ岳PA(下り線)。

次回はレギュラーサイズにしよう(^^;)
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