山鉾が並ぶ新町通を下り 仏光寺通の手前にある舩鉾。

神功皇后がお腹に子どもを宿したまま朝鮮出兵し 皇子が凱旋まで産まれぬように祈願して男装で海戦して勝利 皇子を出産したという記紀神話から 鉾全体を船の形にしているそうです。

(夕方 雨が降ったのでビニールカバーが残念!)
舩鉾は以前(応仁の乱!以前)は2基あって 現在残るこの鉾は先祭(さきのまつり)のトリをつとめた『出陣の舩鉾』といい 元治元年(1864)に焼けて現在焼山となって見ることが出来ない 後祭(あとのまつり)『凱旋の舩鉾』と区別されていたそうです。

船首の飾りは「鷁(げき)」という 鵜に似た白い大型の水鳥の意匠で 風に抗って逞しく飛ぶため 「龍頭」と並んであらゆる艱難辛苦を乗り越えて旅を貫徹させるイメージから 船の守り神として船の舳先にその像を取り付けられるそうです。
(この項 はてなダイアリー を参照)
ちなみに古来より「龍頭鷁首(りゅうとうげきす)」と云って 2つペアで貴族の舟遊びなどの船の舳先を飾っていたといいます。
ってことは 焼山となったもう一つの大舩鉾の船首には「龍頭」が施されていたのでしょうか???

神功皇后がお腹に子どもを宿したまま朝鮮出兵し 皇子が凱旋まで産まれぬように祈願して男装で海戦して勝利 皇子を出産したという記紀神話から 鉾全体を船の形にしているそうです。

(夕方 雨が降ったのでビニールカバーが残念!)
舩鉾は以前(応仁の乱!以前)は2基あって 現在残るこの鉾は先祭(さきのまつり)のトリをつとめた『出陣の舩鉾』といい 元治元年(1864)に焼けて現在焼山となって見ることが出来ない 後祭(あとのまつり)『凱旋の舩鉾』と区別されていたそうです。

船首の飾りは「鷁(げき)」という 鵜に似た白い大型の水鳥の意匠で 風に抗って逞しく飛ぶため 「龍頭」と並んであらゆる艱難辛苦を乗り越えて旅を貫徹させるイメージから 船の守り神として船の舳先にその像を取り付けられるそうです。
(この項 はてなダイアリー を参照)
ちなみに古来より「龍頭鷁首(りゅうとうげきす)」と云って 2つペアで貴族の舟遊びなどの船の舳先を飾っていたといいます。
ってことは 焼山となったもう一つの大舩鉾の船首には「龍頭」が施されていたのでしょうか???