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蒜山産十割蕎麦 @百夜月

記事のタイトルにはそぐいませんが、今日の話題の第一はこれ!


何年か後の歴史の教科書には2009年8月30日の総選挙のことが載ることでしょう。


さて、8月17日飛鳥路から奈良に帰ってきた日の夕食は、近鉄奈良近くの住宅街にある「百夜月(ももよづき)」さん。
百夜月という屋号は、祖父さまの住んでいる所(和歌山と三重と奈良の県境)の地名だそうです。

さっそく8月17日の記事に紹介しきれなかった蕎麦前を。。。

まずは蕎麦味噌と とこぶしをいただきました♪
ご自身のブログでも「一説には、蕎麦よりも人気があるといわれる」と紹介されていましたが、流石に美味しい!



続く逸品は鴨の蕎麦粉焼き。
薄っすらとまぶされた蕎麦粉によって 鴨の旨みが封じ込められています!



さて、最後は〆のお蕎麦。
せっかくの機会ですので お蕎麦は蒜山産の十割をお願いしました。



スッキリとした辛めのおつゆで美味しくいただきました♪
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「ひしや」の日光祢りようかん

今日の東京は台風11号の影響で、会社から帰る時は横殴りの雨
膝から下がグショグショで気持ちの悪い帰り路でした。

でも、そんな鬱陶しい気分を吹き飛ばす嬉しいお土産を会社の友人からいただきました♪

巷間「幻の…」と呼ばれる、日光は「ひしや」のねり羊羹です!



日頃甘いものはあまり食べないのですが、美味しいものは別腹!

竹皮の包装を剥くと、、、しっとりとした羊羹が顔を出します♪
まだ周りは砂糖が固まりきってないようですね!
砂糖が白く固まったのが好き!と仰るかたも少なくないようですが、個人的には底の方は固まりつつも上の側は瑞々しいこれ位の方が好きですね~



明治元年創業の一日に一釜分だけ作るこだわりの羊羹は 午前中には売切れてしまうほどの人気。
それもそのはず、お酒にも結構合うんですよ!



デパートなどには一切出回らない貴重品!
ラベルの登録商標の眠り猫もキッチュな羊羹です。
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飛鳥路 飛鳥寺・首塚~高松塚

今日の東京は曇り 後雨 
台風が近づいている影響で、4時過ぎから雨が降り始めました。

さて、写真は日本「最古の大仏」と云う飛鳥寺の飛鳥大仏。

飛鳥寺の前身と云われる「法興寺」の起源は、用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が排仏派の物部守屋との戦いに際し、「この戦いに勝利したら仏寺を建立する」との誓いを立て、その戦に勝利し建てたとされています。 



7世紀初頭、鞍作鳥(くらつくりのとり)の作とされる本尊の仏像は、国の重要文化財で「銅造釈迦如来坐像」という名前ですが、飛鳥大仏の通称の方がよく知られていますね。

飛鳥寺の境内を抜けた西側100mほどの所にあるのが入鹿の首塚。

学校では「大化の改新」と教わりましたが、今は乙巳の変(いっしのへん)と云うようですね! 

後の天智天皇=中大兄皇子や中臣鎌足らのクーデターによって、当時の権力者であった蘇我の入鹿が伝飛鳥板蓋宮で暗殺され、その切り落とされた首が、おおよそ600メートル北にある五輪塔の地まで飛んできました。

後の人々が入鹿の怨念を封ために建てられたとされるのが、入鹿の首塚の命名由来とありました。



五輪の石塔のバックは甘樫丘(あまかしのおか)。




飛鳥路の旅の仕上げに寄ったのが、1972年に極彩色の壁画が発見されたことで高松塚古墳。

現在は壁画を保護するために、隣接する壁画館でレプリカを見るしかありませんが、四神図(青龍・白虎・朱雀・玄武)や人物像などが精緻な筆致で描かれています。



飛鳥路から戻ってくると、高架化工事を終えたJR奈良駅前には懐かしい昔の奈良駅舎が夕陽を浴びてお出迎え!



鉄筋コンクリート造・タイル張りに寺院風の瓦屋根がついた和洋折衷様式の旧駅舎は昭和9年の建築。
JR奈良駅の高架化などに伴って取り壊しが検討されたそうですが、住民らの保存運動で、市が保存活用することが決まり、曳き家で20mほど移動して観光案内所として リニューアルオープンしました。
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太滷麺(ターロー麺) @新珍味

昨日、久しぶりに行った新珍味。
というのも、改装のため半年以上もお店が閉まってて、先日再開したとの情報を得て 会社の仲間とやってきました♪

頼んだのはもちろん「太滷麺」!
以前と比較すると、色が薄めになって心もちニンニクの香りが弱くなったような気がします。
 (以前の画像はこちらをクリック



改装前の店内は、錆びて動きの悪い鉄の窓枠や、高い所に木製のタンクがあって、チェーンを引っ張って流す形の和式トイレに、壁一面に貼られたお品書きなど、昭和の雰囲気を残していたのですが、みんな「綺麗」になってしまったのはチョッピリ残念。。。
中でも最近少なくなった赤いウィンナーを使ったタコ・ウィンナーがメニューから消えたのは寂しいですね~

一杯飲って外へ出ると、選挙最終日の最後のお願いをやっていました。
西口の芸術劇場前の公園は、〇山由紀夫目当ての人で一杯!



頭の上を沢山の報道のヘリが飛び交い、政権交代前夜とでもいうような、騒然とした雰囲気でした!
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飛鳥路 酒船石遺跡

今日の東京は晴れ!
昨日に続いて30℃を超える真夏日になりそうです!

住んでるマンションが大規模改修にあたるので、ベランダ緑化で這わせたゴーヤなども片づけなくてはならないので、外で作業をしていましたが、しかし、暑い!

暑いと言えば、明日が衆議院選挙の投票日。
勤め先のある池袋は、4年前の「郵政選挙」の「刺客第1号」が送り込まれた象徴的な選挙区。
今日の夕方は 東口には現政権党の漢字の読めない総裁が、駅を挟んだ西口にはかつて「宇宙人」と云われた次期首相が来て 火花を散らす…なんてのが職場でも話題になっています。


現世の火花はさておいて、17日に行った飛鳥路の続きです。

石舞台から酒船石に向かう途中の明日香村で、雑誌に紹介されていたお店もあったにはあったのですが、イマイチ食指が動かず酒船石遺跡までペダルを漕いで行きました。

写真の亀形石造物や小判型石造物は平成12年に発掘されたものですが、これら2つの石造物は栓があるので水を溜めたことは想像できますが、一体何に用いられたのかは全く見当がついていません。





上の写真ではあまり水が溜まってませんが、亀の尻尾のところの栓をすれば下のチケットの写真みたいになるんですね♪



下はお馴染みの酒船石。
先ほどの石造物の南側の小高い丘の上にある、長さ約5.5m、幅約2.3m、厚さ約1m花崗岩の石造物です。

上面に皿状のいくつかの窪みとそれを結ぶ溝が刻まれていて、酒を造る道具とか薬などを造るための道具など諸説あるようですが定かではありません。



手塚治虫の漫画(火の鳥?)にも使われていましたが、ホント 不思議な形ですね~

酒船石のある丘から下りてきたら丁度時分どき。
隣接する奈良県立万葉文化館(立派な建物! )に併設されている食堂でランチ!

古代米のカレーをいただきました♪
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飛鳥路 亀石~石舞台

JR奈良近くのホテルに手荷物を預けた後、近鉄に乗り換えて飛鳥駅前でレンタサイクルを借りて、灼熱の太陽のもとでサイクリング♪

まずは手近なところで「亀石」に


いつ、誰が、何のために作ったかなど、いずれも定かではない「亀石」。
改めて眺めてみると、カメというよりカエルに似てますね!

軽く給水してから、川原寺から明日香村役場の手前を曲がって、石舞台にやってきました。



近くに立つ人と比べると、石の大きさが分かります!
約30の石が積まれ、その総重量は2,300tに達すると云われています。

北西側に掘られた羨道の長さは約11m、幅は2.5m。石室内部に排水溝があります、




石棺を納めていた玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m。
押しつぶされそうな圧迫感が…



玄室から外に出ると、真夏の陽射し!



桜の頃も綺麗でしょうね♪
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木津川を越えて


8月17日、京都から奈良線に揺られ、かつて通い慣れた関西本線の要衝=木津に着く手前の木津川で撮りました。 

優美な姿の橋は、1950年(昭和25年)日本橋梁製の、長さ 383.6m、下路カンチレバートラス=日本ではゲルバー橋とも言われる 泉大橋、鉄道に並行して走る国道24号線です。

最近は近鉄を使うことが多いのですが、奈良線からこの橋が見えると 「あ~奈良にきたんだな」って気持ちがします。
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酢豚 @木蘭

今日の東京は時々雲が広がるものの、湿度が低く気持ちの良い晴れ!

朝から錦糸町まで出張ですが、こんな日の出張は気分も爽やかです♪

一仕事終えると そろそろ時分時♪
錦糸町駅から都バスに乗って 久しぶりに茗荷谷にある木蘭(ムーラン)にやってきました。

メニューを眺め、しばし考えてお願いしたのは「酢豚」!
黒酢はあまり得意ではないのですが、ここの酢豚は別格♪



熱々トロトロ…火傷しそうになりながら、カリッと揚がった肉を頬張る幸せ…

最後の〆はもちろん杏仁豆腐!


酸味の利いたジュレでお口もさっぱり♪

午後の仕事にも張り合いがでます!
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中華そば専門 新福菜館・本店


今日の東京はずいぶん涼しくなりました♪
昨夜も22℃とぐっすり眠れたし、日中も27℃位で湿度も低め!
窓を開けると、ミ~ン ミ~ンという夏の蝉から 涼やかな秋の虫の声に 主役も変わりつつあります♪

さて、写真のラーメンは、京都駅から程近い、東塩小路向畑町にある「中華そば専門 新福菜館・本店」
前から一度来てみたかったのですが、他にも美味しいものがたくさんあるので、ついつい後回しになっていましたが、やっと念願が叶いました!

中国浙江省出身の徐永俤さんが、昭和13年に屋台で始めたお店は、昭和19年には現在の場所にあったそうで、京都で一番古いラーメン屋さんだそうです。

驚愕したのは、なんといってもそのスープ!
見た目がとにかく真っ黒!
TVで見た「富山ブラック」もかくやと思うほどです。関西人が東京に来て初めてうどんを食べたときのカルチャーショックに通じるものがあるかもしれません。
関西圏では珍しい濃口醤油ならではの色なのですが、その見た目とは裏腹に、辛いとかしょっぱいとかそういうことはなく、決してコッテリしているわけではありません。 コクがあって旨いという感じです。
麺は、黄色味が強く鹹水の感じられる やや太目の丸いストレート麺。京都では有名?な近藤製麺のものだそうです。
ネットであちこち調べてみたら、スープは鶏がらと豚骨ベースの出汁に叉焼のタレ、そしてこだわりの濃口醤油を加わえているようですね。
出てきた丼を見ている間にも、やや太くて丸い麺にスープの色が染みていきます♪

叉焼は比較的脂身の多いタイプですが、薄切りのため脂はさほど気になりません。

近くの人が食べてましたが、「新福そば」という生卵入りのラーメンもありました。
生卵って云うと以前は??と思ってましたが、徳島では当たり前のように生卵をいれるのを知るにつけ、「まあバリエーションの一つ」くらいに思えるようになりました。

また、こちらではヤキメシも人気メニューの一つ! ラーメンと同じ濃口醤油で味付けをしているらしく、結構黒い色をしています。
量が多めなので 残念ながら今回は見送り。。。

今度はお隣の有名店「第一旭」にも行ってみようかな!
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五山送り火

葵祭・祇園祭・時代祭の京都三大祭に加えて京都四大行事と呼ばれる 五山送り火。

8月16日夜、夏の夜空にくっきりと浮かび上がる、「五山の送り火」は京の夏の終わりを告げる風物詩として全国的にも有名ですが、地元の人々にとっては祖先の精霊を送るという意味をもつお盆の行事という性格を忘れてはいけません。

荒神橋のたもとの河原でも、お爺ちゃん・お婆ちゃんからお孫さん等が並んで送り火を待つ傍らで、学生風の一団がお酒を飲みながら騒いでいて顰蹙をかっていました。



さて、送り火そのものは、お盆に冥府から帰ってきた祖霊を、再び冥府に送るという意味をもつ盆行事の一形態で、この行事が一般に広く行われるようになったのは、仏教が庶民の間に深く浸透した中世-室町時代以降であるといわれています。
記録を紐解くと、慶長8年(1603)の『慶長日件録』という古文書の7 月16日に、「晩に及び冷泉亭に行く、山々灯を焼く、見物に東河原に出でおわんぬ」という記述が初めて見られ、「山々灯を焼く」とあるのが鴨の河原から見られる大文字などの送り火であったと考えられています。

ところで、「送り火」の前につく、「五山」は東山如意ヶ嶽の「大文字」がもっともよく知られていますが、ほかに松ヶ崎西山・東山の「妙・法」、西賀茂船山の「船形」、金閣寺付近大北山(大文字山)の「左大文字」及び嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の「鳥居形」の五つを指します。
以前は「い」(市原野)、「一」(鳴滝)、「竹の先に鈴」(西山)、「蛇」(北嵯峨)、「長刀」(観音寺村)なども点されていたようですが、早くに途絶えたといわれています。

送り火の代表格といわれている「大文字」のはじまりは、平安初期・室町中期・江戸初期などの諸説がありますが、地元では銀閣寺から発見された古文書により室町中期に始められたという説も根強いようです。
この「大文字」。東山如意ケ嶽(にょいがたけ)の支峰大文字山(466メートル)の中腹にある「弘法大師堂」では、地元の浄土院のご住職が、大文字の点火と同時に、大の字中心部の火床「金尾(かなわ)」の近くで、すさまじい火勢の中で読経を続けるそうです。

こうして歴史を振り返れば、「送り火」にも自然と手を合わせられるようになりますね!


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