公開初日に「沈まぬ太陽」を観てきました。
3時間を超える超大作映画というのは久しぶりという感じがします。
途中に休憩が入る映画も久しぶりです。
昔は映写技術の問題もあってちょくちょくあったように思います。
そういえば、同じ原作者の山崎豊子Ⅲの作品の華麗なる一族も途中に休憩が入るほど長い映画だったように思います。
この原作が話題になったのは随分前のような気がします。
私の周囲でも随分話題になって「読んだか?」が時の挨拶のような時期がありました。
舞台になったのは、半国有の航空会社「国民航空」です。
現在会社存亡の危機に立たされている昔鶴のマークの航空会社を少しだけ彷彿させます。
時を経てやっと映画化に踏み切ったのです。
資金面でも相当な苦労があったのではないかと思います。
映画は1960年代の組合委員長時代と海外勤務時代、御巣鷹山墜落事故、の3つのエピソードが主人公恩地(渡辺謙)の頭の中をよぎるような感覚で描かれていきます。
あまり、ストーリーを語るのはどうかと思いますが、原作がすでにあるので少し説明を加えておきます。
60年代組合の委員長として賃金と勤務条件の改善の要求で交渉に望む恩地は、仲間の連帯の中でスト権行使も辞さない覚悟で全面勝利を勝ち取ります。
しかし、会社はその恩地に対して報復人事で望みます。パキスタンを皮切りに、イラン、ケニアと前例のない厳しい不当人事を繰り返します。
会社側は、本社勤務と引き替えに組合からの脱退と謝罪を求めてきます。
恩地は、任地での職務に専念しながら、自らの信念を貫き通します。
一方、かつて組合副委員長として恩地と共に闘った同期の行天(三浦友和)は、本社での重要なポストと引き換えに反組合の立場に荷担していきます。
この両者のその後の歩みを対照的に描いていきます。ここもこの映画の見所の一つかもしれません。
恩地は信念を貫き通すことと、家族の思いとの間で揺れている場面を描きますが、行天(三浦友和)は愛人美樹(松雪泰子)との関係は描きますが、家族は描かれていません。
映画のワンシーンで「恩地さんはあなたと違う」と行天に告げながら行天を愛し続ける美樹の心情はどんなんだろうと考えさせられます。
恩地にかけられた組合懐柔策はなかなか身につまされることが多かったように思います。
「悪いようにはしないから」「そろそろ身の振り方を考えてもいい時期では」「いつまでも肩肘はらなくても」「あなたのことを思って」幾度となく声をかけてくる誘惑があります。
全部が悪意からではないにしろ、組合つぶしは世の常です。
やりがいのない海外勤務を繰り返されても、恩地はそのつど、職務全うの信念を貫き通します。ケニアでは、航空交渉が打ち切られた後も勤務を命じられます。
ここでは、恩地はハンティングに夢中になっています。
原作を読んだ時にはこの場面がどうも納得がいきませんでした。
妻子を日本に残している恩地がどうして動物たちの命を奪うことに夢中になっているのかわかりませんでした。
でも、今回映画を観ていくなかで、恩地の中に解離がおきているのではないかと思えました。
解離とは耐えられない苦痛から逃れるために、感情や意識といった自我が分離した状態で、自分を制御出来なくなる極端な精神的なストレスを前にすると、現実にある自分と違う自分を感じてしまうようなことです。
児童虐待を受けると、痛みを自分のことと感じられなくなるということも言われています。
また乳幼児期にネガティブな感情も含めてしっかり受け止められるような愛着経験を持たないで成長すると、感情をコントロールできなくて、怒りと憎しみだけが表に出てしまうような「切れやすい」子どもになる危険性も指摘されています。
自分に与えられた、不利益な扱いに対して、不満を強く訴えるのではなく、職務を全うすることで信念を貫き通そうとする恩地の心にいろんな攻撃性が出ても理解できることではないかと思われます。
国民航空が引き起こした御巣鷹山での航空史上最大のジャンボ機墜落事故。会社側と遺族側の熾烈な争い。遺族のお世話係として矢面に立たされる恩地。
利便性と合理性だけを追求するあまり、巡業員の削減、勤務超過など安全性に配慮しない実態が事故を引き起こしたことはしっかり、述べられています。
でも、この御巣鷹山の教訓はその後も生かされることなく、JR福知山線の事故へとつながるのです。利益追求と利用者の安全性は企業の論理からは矛盾するものらしいのです。
国民航空の再生については政府が立ち上がることになります。
でも、正論が持ち上がって、自分たちの足下に炎が舞い上がってくるとまた、一悶着あるというのが世の常のようです。
映画の根底に貫かれているのは社会的な正義感と信念を貫き通した人間の生きざまと、利権と利潤追求のためなら何でもする政財界に翻弄される庶民の生活です。
久しぶりに骨太の映画を観ました。
今日、公開ですのでぜひ観に行ってください。
3時間を超える超大作映画というのは久しぶりという感じがします。
途中に休憩が入る映画も久しぶりです。
昔は映写技術の問題もあってちょくちょくあったように思います。
そういえば、同じ原作者の山崎豊子Ⅲの作品の華麗なる一族も途中に休憩が入るほど長い映画だったように思います。
この原作が話題になったのは随分前のような気がします。
私の周囲でも随分話題になって「読んだか?」が時の挨拶のような時期がありました。
舞台になったのは、半国有の航空会社「国民航空」です。
現在会社存亡の危機に立たされている昔鶴のマークの航空会社を少しだけ彷彿させます。
時を経てやっと映画化に踏み切ったのです。
資金面でも相当な苦労があったのではないかと思います。
映画は1960年代の組合委員長時代と海外勤務時代、御巣鷹山墜落事故、の3つのエピソードが主人公恩地(渡辺謙)の頭の中をよぎるような感覚で描かれていきます。
あまり、ストーリーを語るのはどうかと思いますが、原作がすでにあるので少し説明を加えておきます。
60年代組合の委員長として賃金と勤務条件の改善の要求で交渉に望む恩地は、仲間の連帯の中でスト権行使も辞さない覚悟で全面勝利を勝ち取ります。
しかし、会社はその恩地に対して報復人事で望みます。パキスタンを皮切りに、イラン、ケニアと前例のない厳しい不当人事を繰り返します。
会社側は、本社勤務と引き替えに組合からの脱退と謝罪を求めてきます。
恩地は、任地での職務に専念しながら、自らの信念を貫き通します。
一方、かつて組合副委員長として恩地と共に闘った同期の行天(三浦友和)は、本社での重要なポストと引き換えに反組合の立場に荷担していきます。
この両者のその後の歩みを対照的に描いていきます。ここもこの映画の見所の一つかもしれません。
恩地は信念を貫き通すことと、家族の思いとの間で揺れている場面を描きますが、行天(三浦友和)は愛人美樹(松雪泰子)との関係は描きますが、家族は描かれていません。
映画のワンシーンで「恩地さんはあなたと違う」と行天に告げながら行天を愛し続ける美樹の心情はどんなんだろうと考えさせられます。
恩地にかけられた組合懐柔策はなかなか身につまされることが多かったように思います。
「悪いようにはしないから」「そろそろ身の振り方を考えてもいい時期では」「いつまでも肩肘はらなくても」「あなたのことを思って」幾度となく声をかけてくる誘惑があります。
全部が悪意からではないにしろ、組合つぶしは世の常です。
やりがいのない海外勤務を繰り返されても、恩地はそのつど、職務全うの信念を貫き通します。ケニアでは、航空交渉が打ち切られた後も勤務を命じられます。
ここでは、恩地はハンティングに夢中になっています。
原作を読んだ時にはこの場面がどうも納得がいきませんでした。
妻子を日本に残している恩地がどうして動物たちの命を奪うことに夢中になっているのかわかりませんでした。
でも、今回映画を観ていくなかで、恩地の中に解離がおきているのではないかと思えました。
解離とは耐えられない苦痛から逃れるために、感情や意識といった自我が分離した状態で、自分を制御出来なくなる極端な精神的なストレスを前にすると、現実にある自分と違う自分を感じてしまうようなことです。
児童虐待を受けると、痛みを自分のことと感じられなくなるということも言われています。
また乳幼児期にネガティブな感情も含めてしっかり受け止められるような愛着経験を持たないで成長すると、感情をコントロールできなくて、怒りと憎しみだけが表に出てしまうような「切れやすい」子どもになる危険性も指摘されています。
自分に与えられた、不利益な扱いに対して、不満を強く訴えるのではなく、職務を全うすることで信念を貫き通そうとする恩地の心にいろんな攻撃性が出ても理解できることではないかと思われます。
国民航空が引き起こした御巣鷹山での航空史上最大のジャンボ機墜落事故。会社側と遺族側の熾烈な争い。遺族のお世話係として矢面に立たされる恩地。
利便性と合理性だけを追求するあまり、巡業員の削減、勤務超過など安全性に配慮しない実態が事故を引き起こしたことはしっかり、述べられています。
でも、この御巣鷹山の教訓はその後も生かされることなく、JR福知山線の事故へとつながるのです。利益追求と利用者の安全性は企業の論理からは矛盾するものらしいのです。
国民航空の再生については政府が立ち上がることになります。
でも、正論が持ち上がって、自分たちの足下に炎が舞い上がってくるとまた、一悶着あるというのが世の常のようです。
映画の根底に貫かれているのは社会的な正義感と信念を貫き通した人間の生きざまと、利権と利潤追求のためなら何でもする政財界に翻弄される庶民の生活です。
久しぶりに骨太の映画を観ました。
今日、公開ですのでぜひ観に行ってください。