とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

11月の東京(下町を中心に)月島編

2007-11-20 11:04:13 | 写真日記
枝川を後にして、地下鉄一駅だけ乗って月島に行きました。
月島は言わずとしれたもんじゃ焼きの街ということになっています。
月島、佃島は古くからの街が残っていることでも知られています。
地下鉄を降りて、「もんじゃ焼きストリート」という看板を見ながら地上に出ました。

いきなり「月島もんじゃ協会」の看板が目に入りました。
早朝だったのでもちろん店自体は開いていませんでしたが、月島西中通り商店街は行けども行けどももんじゃのお店ばかりでした。
こんなに過当競争になっても経営ができているということはよほどのお客が入るんだろうと思いました。

  

この街は、路地もたくさんあり、その路地には家がびっしり詰まっていて、そこには確かに暮らしが息づいていました。
こういう風景が大好きでいつも写真に撮ってきます。
路地の向こうにはやはり高層ビルが見えます。
どういうアングルで撮っても高層ビルが目に入ってくるのがこの街の特徴なのかもしれません。

 

路地の奥に感じのいいもんじゃ焼きの看板を見つけました。
いかにも下町のもんじゃという感じだったので写真を撮りました。



もんじゃ焼きストリートを歩きながら意外なことに気づきました。
アーケードの屋根の上には、石の看板があって、その店の名前ともんじゃ焼きとは何の関係もないのです。

そこには時の流れが確かに存在していると思いました。
一つ前の街の風景が浮かんでくるような気がします。
この街にはいくつかの時代があったんでしょうね。

  

歩いていると小さな交番を見つけました。
この交番にもお巡りさんがいたんだろうな…三丁目の夕日に出てくるようなお巡りさんかな?と想像しました。

竹箒をもって店の前を掃除しているおじいさんもこの街には絵になる光景です。

 

どこまで行ってももんじゃ焼きばかりできりがないので、佃島方面に向かうことにしました。
誰かに道を尋ねようと思ったら、目の前に佃煮屋さんがあったので道を尋ねました。
「あっちの方だ」とつっけんどんに言われたのは、今まで歩いてきた道の方向です。
「また戻るのか…」と思いながら、東京の人の言い方ってけっこうきついよな…そんな思いもしながらとぼとぼともと来た道を歩いていきました。

地下鉄月島の駅を過ぎたあたりから古い家屋が目につき始めました。
とたんに元気が出てカメラでパチリパチリ…。

 

古い家屋に見とれて歩いていると突然、目の前に巨大な高層マンションが登場してきました。
本当に新しい物と古い物とが渾然一体になっているのが東京ですね。
でも、このマンションの一階外部分は路地があって、板張りになっていて渡し船のレプリカまでが置いてありました。
環境との共生というコンセプトがあるようです。
ここらへんもやっぱり都会的センスですね。
田舎のマンションはただ建てるだけという感じですけどね。

 

さらに歩を進めると意外な道路標識に出会いました。
道路をふさいで子どもの遊び場を確保するためのものです。
どの街にも子どもがいるのは当たり前だけど、子どものために考える工夫というものにありがたさを感じました。  
 


  

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月の東京(下町を中心に)枝川編

2007-11-20 00:07:23 | 写真日記
11月17日(土)18日(日)と東京に行ってきました。
もちろん、遊びではなくて仕事です。
午後1時の会議に間に合うために、田舎の駅を7時前に乗車しなくてはいけません。

 

新幹線に乗り継いで、一路東京です。

会議には何とか間に合って5時過ぎにやっと解放されました。
今回のホテルはお茶の水です。
次の日は、朝11時から会議が始まるので、それまでは自由時間です。

次の日にカメラを片手に出かけることにしています。
今回は、井筒監督の「パッチギLove&Peace」の舞台になった枝川に行こうと思っていました。
枝川にある朝鮮初級学校をどうしても見ておきたいと思いました。
映画の中でもチャンスが通う学校としても登場しますが、石原都政によって返還命令が出され、裁判になった学校です。
ぜひ直接目で見てきたいと思ったからです。

11時までにできるだけ見てまわりたいと思っていたので、朝6時半にホテルを出発しました。
お茶の水駅もちょっと魅力的だったのですが、数枚写真を撮っただけにしました。

  

地下鉄有楽町線に乗り。豊洲駅で降りてから歩くつもりでした。
神田、有楽町、地下鉄と乗り継いで、豊洲駅で降りました。
前の日に調べておいた勘だけで歩いていきました。
大きな橋を渡ったところが、目的の枝川です。

周囲には大きな建物と工場が建ち並び、「ぱっちぎ…」のイメージとはかけ離れた感じです。
どこなんだろう?と歩いていくとやっとめざす小学校が見えてきました。

 

校門にはもちろん鍵がかかっていたので、とにかく校舎を一周してみようと思い、歩いてみました。
周囲に木々が繁り、きれいな花が咲いている歴史ある学校でした。

 
 
1941年東京市当局によって、朝鮮人集合住宅がこの地に建てられて無理矢理住まわされた(言わば隔離政策)によってことによって枝川の歴史は始まります。
当時枝川はゴミ焼き場と消毒所の他には建物がなく、一面に葦の生い茂る埋め立てただけの荒れ地だったそうです。雨が降るとぬかるんで歩けないほどだったそうです。(「東京のコリアンタウン枝川物語」樹花舎)

高層団地や大きな倉庫が建ち並んでいるので、ここがどこの街かわからなくなりますが、路地に入って小さな玄関にかかってある朝鮮名を見ると間違いなく歴史を背負っている枝川だということがわかります。

  

さすがに表札を撮るのは失礼かと思い、路地を見て歩くことにしました。
枝川1丁目に生協があった(映画ぱっちぎにも出てきます)と聞いていたのでどこかな?と探してみました。
それらしきものは見あたりません。大通りに出て思わずあっと叫びそうになりました。
「この風景だ。」道幅は違うけど確かにこの風景だと思いました。



街を歩いていると銭湯の前で並んでいる人を見かけました。
「こんなに早くから銭湯なんだ」と思わずパチリ。
その横に学校支援の取り組みのポスターが貼ってあったのでそれも紹介します。

 

枝川橋のところに「うさぎ公園」という小さな公園がありました。
そこにはなぜか鶏が4羽もいました。
どこかで飼っているんだろうと思いながら、放し飼いにしていると野犬にやられないのか心配になりました。
この鶏が人に慣れていて、鶏の方から近寄ってきます。
えさをもらえると勘違いしたようです。

 

   
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする