パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

コーエン兄弟か!

2008-04-08 15:34:19 | Weblog
 『悪党谷の二人』とかいう変な映画を見た。西部劇である。主人公はロバート・ミッチャムとジョージ・ケネディの二人。その他にも、出てくる人物は、みなどこかで見たような顔ばかりだ。

 例によってテレビで、途中から見たのだが、寅さん映画の冒頭の「夢のシーン」のような、現実感が極めて薄い場面が続く。どこかで見たような顔ばかり、というのもそれに拍車をかける。そのうち、ハハーンと思った。確信的に「夢」として演出しようとしている。

 ところが、何故か最初、これを、ハワード・ホークスの映画かと思ってしまった。『リオ・ブラボー』とか、あの手の系統だが、いくらなんでも、この現実感の無さはおかしいと思ったのだが、もしかしたら、自分の感性が変わってしまったのかもしれないと思ったりした。つまり、ホークス映画の本質は「夢」だったのではないかと。そこまでして、ハワード・ホークスの映画だと思い込まねばならない理由も無いのだが……。

 町の有力者でもある悪人が、老人を後ろから撃って殺す。ロバート・ミッチャムは、この撃たれた老人の友達で、保安官をしていたが、今はリタイヤして若い保安官に代っている。しかし、この保安官はまだ経験も貫禄もなく、犯人を捕まえても毅然とした態度をとれない。そこで、ロバート・ミッチャムは、かつて愛していたが今は他人の妻である女性に懇願され、正義を維持し、町の秩序を守るために立ち上がる……という話なのだが(この、かつて愛したことのある女性が忘れられなくて云々といったあたりが、『リオ・ブラボー』と混同した原因なのだが)、それはともかく、事件の数日後、頼り無い新米保安官にはっぱをかけるべく、一人のお婆さんが保安官事務所にやってくる。

 お婆さんは、極悪人に断固とした罰を与えるように要求する積もりだったのだが、事務所には保安官は不在なので、留置所の檻の中の犯人に直接、「早く吊るされるがいいわ」と言って非難する。これに対し犯人は、へらへら笑いながらお婆さんをからかい、お婆さんは白目を向き、「なんて失礼なことを!」と叫びながら、去ってゆく。

 去ってゆくお婆さんを檻の中から見届けた犯人は、おもむろに檻の扉を開ける。鍵はかかっていなかったのだ。そして、隣の部屋に行くと、椅子に縛られた保安官をひとしきりからかい、その後、ひとり悠々と保安官事務所を後にする。

 おかしいのは、この犯人は、仲間だか部下だかによってとっくに脱獄に成功してしまっているにもかかわらず、お婆さんがやってくるまで檻の中にいるのだ。まるで、お婆さんが自分のところに悪口を言いにやってくることを知っていて、それを待っていたかのようだ。

 このタガのはずれたような、奇妙なストーリーの展開は、まさに「夢」を確信的に演出しているかのようで、なんにせよ、不思議な映画だなーと思っていたら、シナリオは、○○・コーエンとなっていた。○○は覚えていないが、コーエン兄弟の片割れか?