パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「劇団ひとり」、もしかして○○賞?

2006-05-08 11:34:32 | Weblog
 事務所のすぐ近くの横断歩道で信号待ちをしていて青になったので渡ろうとしたら、自転車の後ろの荷台に女の子を載せた男の子――といっても、両方とも二十歳前後だが――が、私を追い抜きざま、「俺さあ、この信号、待ったことないよ」と後ろの女の子に話しかけていた。なるほどねえ、そういうこともあるのか。私は、ここの信号で待たなかったことはない。

「劇団ひとり」の小説本が売れているそうな。五つ程の短編集なのだが、太田光が「絶対直木賞だ」と「ひとり」の前で叫んでいた。私は、発売当初、小倉が絶賛しているのを聞いて本屋で最初の、落ちこぼれサラリーマンがホームレスを志願して……という話だけ立ち読みした。全部一人称小説だが、正直言って読みやすく、かつ面白かった。ただ、オチの構造が簡単なものなのだけれど、ちょっとよくわからなかった。伏線が張ってあるのだけれど、そのプロットのつながりが(立ち読みのせいもあったのだろうが)ちょっとおかしいと思ったのだ。
 それで、今朝、本屋に寄ったついでにもう一度、パラパラと他の話も覗いてみた。
 大体、最近の小説は、出だしが凝り過ぎていたり、あるいは私の趣味にあわなかったりすることが多いのだけれど、「ひとり」の小説はそれがない。単純ながら、私にとっては、趣味のよい出だしだ。後は端折って(笑)、ラストをパラパラと見る。「私」が、お爺さんと話しているが、すぐ近くにいるらしいお婆さんに聞こえるように話す、というオチ(?)のようだ。成る程、ホームレスの小説も、最後のオチで物語の構造が見えてくるという感じだったが、これは短編小説だったら、当然そうあるべきことだし、いいことなんじゃないだろうか。最近の読み手には、筋がわかりやすかったり、予想できたりするとそれだけでダメと言う奴が多いが……まあ、予想できてはつまらないが……その意味でいうと、私が読んだホームレスの話では、プロットの展開に疑問点がありながら、それでいて――というか、それ故にというべきかもしれないが――「ネタバレ」的な感じもなくもなかった。でも全体的に言えば、ネタバレや、読み手に見通されることを恐れて、わざとわかりにくく書いたりするよりはずっといい。

 しかし、太田光の「直木賞だ!」は見当ちがいでしょ。明らかに「芥川賞」の線だ。大体、短編作家なんだし。まあ、とれるかどうかは別として候補に上がってもいいと思う。でも、結局、もう少し洗練さが欲しい、次回を期待するとか言われて落選するのがオチじゃないかと思うが、洗練さなんて、「ひとり」の小説には必要無い。「ひとり」には、たしかに、「お話を作る」という、教わって身につくものではない才能というか、身についた何かがある。「洗練さ」なんか、その力がない人が、その代わりに求めるものに過ぎない。でも、芥川龍之介自身がそういう作家だったんで、しょうがないのかも。(谷崎潤一郎が、芥川を「おまいは、かっこつけてばかりで、お話が作れないじゃまいか」と批判したことは有名)