みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#620 神の法第六戒

2020年11月25日 | 神の法
第6戒
国家の起源:預言的オフィス

238~
Origins of the State: Its Prophetic offices
The Sixth Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

歴史的に、神学者は、国家、すなわち市民政府の起源を、第6戒の中に、より正確には、人間の堕落の中にくり返し見出してきた。

堕落前に人は罪がなかったので、国家は必要なかった。

堕落後、神の罪に対する裁き故に、世界に死が入った。

人の罪を監視するために、罪の裁きにおいて、最高刑が死刑である刑罰を要求するために、国家が創造された。

故に、国家とは、堕落と再臨の間、人間を秩序の中に保つための神の絞首刑執行人であり、施設なのだ。

この考えは、国家を神の何か暫定的なものとして捉えるCullmannの中でこだまする。

Cullmannによると、キリストとキリスト教は、「ユダヤ人の神政主義的観念を・・サタン由来として」拒絶する。

さらに、「イエスは国家を神の国と同等である最後の施設と見做してはいない。

国家は未だに存在する時代に属してはいるが、神の国が到来するや消滅するもの。

国家はクリスチャンである必要はないが、限界を知っている必要がある。」

このことに密接に関係しているのがスコラ哲学やルター派の考えであり、自然の理由により国家を基盤とし、それ故、神との直接の連結において、かつ神に対する責務において国家を許容する。

もし国家の暫定的な特徴とは、国家の形態と関連性があるとわれわれが考えるのなら、ある意味において、この立場は正しい。

同じことは教会においても言えるだろう。

教会も、その形態において暫定的だ。

天において、あるいは最後の新創造において、司教、牧師、年長者、執事のオフィスはないだろう。

これは、教会はたかだか暫定的にすぎないということを意味しない。

同様に、国家もたかだか暫定的にすぎないとは言えない。

参考:

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです4

神の評価と比べれば人の評価は無に等しい



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