みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

The Believer’s Attitude towards Sickness, #10

2017年07月15日 | 聖書研究・信仰
4.神による鍛錬と病い


素晴らしい事実が聖書の中に見出される。

「異教徒」が癒されることは比較的簡単だ。

しかし、キリスト者が癒されることはそんなに簡単ではない。

未信者が主を求める時はいつでも直ちに癒されることが新約聖書に示されている。

癒しの恵みは、未信者だけでない、兄弟姉妹のためにもあるはずだ。

しかし、癒されないキリスト者もいると聖書に書いてある。

彼らの中には、トロピモ、テモテ、パウロが含まれる。

最高の兄弟たちだ。

パウロは病気のトロピモをミレトに残した(第2テモテ4:20)。

また、彼は少量のワインを使いテモテを元気づけ、頻回に襲う痛みを和らげた(第1テモテ5:23)。

パウロ自身も、体の中にあるとげに悩まされた(第2コリント12:7)。

とげの正体が何であれ、パウロの目に苦痛を与え、彼の肉を苦しめた。

指のとげでさえ痛いのに、彼の苦痛はどれ程のものだったのだろうか。

パウロのとげは、そんな小さなとげなどではなく、かなり大きなとげだった。

その不快ゆえに、パウロは自分の肉体を只々弱いものとして書き記した。

彼ら3人はずば抜けて優秀な兄弟だが、だれも癒されなかった。

彼らは病いに耐えるしかなかったのだ。