みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

Christ Our Life, #3

2015年11月20日 | 聖書研究・信仰
分かりやすい例を提示したい。

かつてアメリカのクリスチャン夫妻の家を訪れたことがある。

私は自分たちのために祈ってくれるように頼まれた。

理由を尋ねてみた。

「Neeさん、最近良くないことが続いているんです」

「子どもたちにイライラし過ぎて、この数週間一日に数回癇癪起こしています」

「本当に主を汚していると思う」

「お願いですから私たちに忍耐を与えて下さるように主に祈って頂けますか」

私は答えて言った。

「それはできない相談のひとつです」

彼らは聞いた。

「どういうことでしょうか」

私は答えた。

「確かなことがひとつあります」

「神はあなたがたの祈りに答えるつもりがないと言うことです」

彼らは驚いて言った。

「私たちがやりすぎたので、神は私たちが願っても聞き入れないとでもいうのですか」

「いいえ、全然違います」

「ひとつお尋ねしたいのですが、あなたがたはこの点についてお祈りしましたか」

「ええ、もちろん祈りましたよ」

「で、神は答えて下さいましたか」

「いいえ、答えてくれませんでした」

「どうしてか分かりますか」

「なぜなら、あなたがたに忍耐の必要がなかったからです」

そのとき、妻の目が燃え上がった。

彼女は言った。

「どういう意味ですか」

「忍耐が要らないのに、一日中イライラしているとは」

「何故ですか」

「必要なのは忍耐ではない」

私は答えた。

「キリストです」