今日は疲れた。
くだらないことなのに、ちょっとしたことでがくがくと崩れてしまうメンタルの弱さ。
もうおばさんなのに…。
なんか思春期の女の子のようなこの頼りなさ、不安定さ。
ほんと、絵にならない。
というか、ひとから見たら、気持ちわるいだろうな。
このごろはほんとにごくたまにしか音楽は聴かないんだけど、今日はとにかく底まで落ち込みたくて、そういう曲を選んで聴きました。
落ち込む、というのとはちょっと違うかと思うけど
聴いた曲の中で一曲、とても哀しくなる曲がありました。
哀しい、じゃないな。せつない、か。
とてもせつなくなる曲、
杏里さんの『夏の月』。
これはわたしがほんとうに若い女性だった頃に聴いていた曲です。
元々、その頃のカメラのCMに使われていた曲で、そのCMも見てたしぼんやりとは知っていたと思うんだけど
どうしてこの曲をCDレンタルしたのかは
(↑その昔にレンタルCDからテープに落としたものを今までずっと持ってて、時々聴いているのです。)
よく覚えていない。
カラオケ(その時代はカラオケに行く機会が多かった)で上手く歌いたいから覚えたい、みたいなのもあって、そのころの流行りや好きな曲をいくつかレンタルショップでCD借りてテープを作ってたから、店頭のディスプレイで目について、たまたま選んだのかな。
それとももう記憶にはないんだけど、CM以外でどこかで耳にして(ラジオとか有線とか…)どうしても聴きたくて借りたんだろうか。
いやそれとも、CMで聴いた時点でものすごく好きになって、それで選んだんだっけ…
↑なんかこの理由だったような気がするけど。実際はやっぱりよくわかんないな。
すごくいい曲なんだけど、TVの音楽番組や歌番組ではそこまでばんばん流れてはいなかったような気がするし
いい曲なんだけど周りの認知度も意外と低くて(←わたしの周辺では、だけど。なんていうかある程度は知ってる人もいるけど、そこまでメジャーじゃないというか。)
カラオケでも『ほとんどの人が知ってて誰かが歌う、おなじみの曲』ではなくて、歌うと『へぇ~、こんな曲あったんだ』みたいに思われる曲というか。
で、とにかく…
CD借りて初めてまともにその全曲を聴いた曲だったと思うんだけど
この曲のせつない感じ、
ほんとうにそのころの若い自分なら似合う年齢だったんだ、と今は思わされるような曲。
まだ恋愛の似合う若い年齢。
その頃はこの曲を聴いて、色んなそのときの気持ちを味わっていたと思う。
…歳をとったら恋愛しちゃいけないのかというとそういうわけではないけど
本当に好きになったり、ものすごく感傷的になったり…恋愛で大きく感情が動いたり、『人生』が大きく変わりそうに感じたり、なにより明日には何かが変わっているかも知れない、という未知や可能性があったり…。
そういうのはやっぱり、若いときならではのことなんだと思う。
実際のそのころのわたしは、中身があまりにショボくて(今もそうだけど)
情けないくらいショボい恋愛のまねっこ、みたいなことしかできていなかったけれど。
いや、そのまねっこですらろくにできなかったけれど。
ただ、もっと高いものは見つめていたと思う。
今みたいに生活に追われているだけではなく。
…私のただの個人的なイメージや固定観念なのかも知れないけど、いまくらいの年齢になると、誰かのことを好きだと言ってもそれは恋愛よりは人間愛みたいな…なんていうか生活感に満ちたものというか…。
男女の、っていう部分の気持ちは若い頃より強くない気がする。
生活も考えて、現実的に考えていると思う。
今日この曲を聴いて、思ったのです。
この曲を聴き出した若い女性だったころ、恋愛に対してもほかのことについても
もっと生活よりなにか高いものを見ていた気がするし
誰かと別れても自分を大きく変えることも夢見られたし、実際にもうちょっと自分を信じていればできたかも知れないのに、とか
昔は、恋愛も似合う若さを持っていて…若いときならではの美しさや、若いときならではの強い感性も持っていたのに
もうそれは過ぎ去って失ったもので、二度と戻らないものなのね、と。
感性なんかは思い出しても、いまこの歳では似合わない、と思う。
『夏の月』というのは、月以外は誰も見ていないような、ふたりだけしか知らないふたりだけの時間、ふたりだけの関係、というような意味を歌っていますが
そんな風に、もう自分しか知らない若いころの自分や若いころの夢や思い出
それはもう自分の心の中だけの、美化された美しい風景なんだな、と思うと
ほんとうに胸がいたくなる感じです。誰も知らない。
そしてそのまま、現実にはシワシワに老いていく。
現実的に書くと、いまかいてることって、当たり前のことをただのひとりよがりにヒロイン気取りで書いてる気持ちわるい世界だと思うのですが
とても感傷的になって、書きたくなってしまったので書いてみました。
しかしこんなに感傷的になったりしても…
ああ気分が落ち込んで、憂さ憂さするだけだと、困るだけなのよね。
なんかでもちょっと現実逃避…してもいいんだけどし過ぎて現実に戻りたくなくなるとそれは困るから
老けた外見には似合わなくても心の中にはそういう慰めになる美化された世界も持ちつつ
表ではそんな気持ちの悪いものは出さずに、たくましく生きていかにゃいかんのよね。
ただ、今はもうちょっとだけ、感傷にひたっていよう。
くだらないことなのに、ちょっとしたことでがくがくと崩れてしまうメンタルの弱さ。
もうおばさんなのに…。
なんか思春期の女の子のようなこの頼りなさ、不安定さ。
ほんと、絵にならない。
というか、ひとから見たら、気持ちわるいだろうな。
このごろはほんとにごくたまにしか音楽は聴かないんだけど、今日はとにかく底まで落ち込みたくて、そういう曲を選んで聴きました。
落ち込む、というのとはちょっと違うかと思うけど
聴いた曲の中で一曲、とても哀しくなる曲がありました。
哀しい、じゃないな。せつない、か。
とてもせつなくなる曲、
杏里さんの『夏の月』。
これはわたしがほんとうに若い女性だった頃に聴いていた曲です。
元々、その頃のカメラのCMに使われていた曲で、そのCMも見てたしぼんやりとは知っていたと思うんだけど
どうしてこの曲をCDレンタルしたのかは
(↑その昔にレンタルCDからテープに落としたものを今までずっと持ってて、時々聴いているのです。)
よく覚えていない。
カラオケ(その時代はカラオケに行く機会が多かった)で上手く歌いたいから覚えたい、みたいなのもあって、そのころの流行りや好きな曲をいくつかレンタルショップでCD借りてテープを作ってたから、店頭のディスプレイで目について、たまたま選んだのかな。
それとももう記憶にはないんだけど、CM以外でどこかで耳にして(ラジオとか有線とか…)どうしても聴きたくて借りたんだろうか。
いやそれとも、CMで聴いた時点でものすごく好きになって、それで選んだんだっけ…
↑なんかこの理由だったような気がするけど。実際はやっぱりよくわかんないな。
すごくいい曲なんだけど、TVの音楽番組や歌番組ではそこまでばんばん流れてはいなかったような気がするし
いい曲なんだけど周りの認知度も意外と低くて(←わたしの周辺では、だけど。なんていうかある程度は知ってる人もいるけど、そこまでメジャーじゃないというか。)
カラオケでも『ほとんどの人が知ってて誰かが歌う、おなじみの曲』ではなくて、歌うと『へぇ~、こんな曲あったんだ』みたいに思われる曲というか。
で、とにかく…
CD借りて初めてまともにその全曲を聴いた曲だったと思うんだけど
この曲のせつない感じ、
ほんとうにそのころの若い自分なら似合う年齢だったんだ、と今は思わされるような曲。
まだ恋愛の似合う若い年齢。
その頃はこの曲を聴いて、色んなそのときの気持ちを味わっていたと思う。
…歳をとったら恋愛しちゃいけないのかというとそういうわけではないけど
本当に好きになったり、ものすごく感傷的になったり…恋愛で大きく感情が動いたり、『人生』が大きく変わりそうに感じたり、なにより明日には何かが変わっているかも知れない、という未知や可能性があったり…。
そういうのはやっぱり、若いときならではのことなんだと思う。
実際のそのころのわたしは、中身があまりにショボくて(今もそうだけど)
情けないくらいショボい恋愛のまねっこ、みたいなことしかできていなかったけれど。
いや、そのまねっこですらろくにできなかったけれど。
ただ、もっと高いものは見つめていたと思う。
今みたいに生活に追われているだけではなく。
…私のただの個人的なイメージや固定観念なのかも知れないけど、いまくらいの年齢になると、誰かのことを好きだと言ってもそれは恋愛よりは人間愛みたいな…なんていうか生活感に満ちたものというか…。
男女の、っていう部分の気持ちは若い頃より強くない気がする。
生活も考えて、現実的に考えていると思う。
今日この曲を聴いて、思ったのです。
この曲を聴き出した若い女性だったころ、恋愛に対してもほかのことについても
もっと生活よりなにか高いものを見ていた気がするし
誰かと別れても自分を大きく変えることも夢見られたし、実際にもうちょっと自分を信じていればできたかも知れないのに、とか
昔は、恋愛も似合う若さを持っていて…若いときならではの美しさや、若いときならではの強い感性も持っていたのに
もうそれは過ぎ去って失ったもので、二度と戻らないものなのね、と。
感性なんかは思い出しても、いまこの歳では似合わない、と思う。
『夏の月』というのは、月以外は誰も見ていないような、ふたりだけしか知らないふたりだけの時間、ふたりだけの関係、というような意味を歌っていますが
そんな風に、もう自分しか知らない若いころの自分や若いころの夢や思い出
それはもう自分の心の中だけの、美化された美しい風景なんだな、と思うと
ほんとうに胸がいたくなる感じです。誰も知らない。
そしてそのまま、現実にはシワシワに老いていく。
現実的に書くと、いまかいてることって、当たり前のことをただのひとりよがりにヒロイン気取りで書いてる気持ちわるい世界だと思うのですが
とても感傷的になって、書きたくなってしまったので書いてみました。
しかしこんなに感傷的になったりしても…
ああ気分が落ち込んで、憂さ憂さするだけだと、困るだけなのよね。
なんかでもちょっと現実逃避…してもいいんだけどし過ぎて現実に戻りたくなくなるとそれは困るから
老けた外見には似合わなくても心の中にはそういう慰めになる美化された世界も持ちつつ
表ではそんな気持ちの悪いものは出さずに、たくましく生きていかにゃいかんのよね。
ただ、今はもうちょっとだけ、感傷にひたっていよう。
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