mickey romance the next move?

2017-05-11 23:35:28 | Music Life
the mickey romance experiment


Mickey Romance について書くことはある意味とても簡単であり、ある意味とても難しい。なぜかといえば、彼自身がすでに多くのことを書き記しているからである。

例えばここに彼のツイートをまとめたものが2つある。

ツイートまとめ1(バンド編)

ツイートまとめ2(BIG BEAT編)

要するにこれらを読めば後は実際に彼の音楽を聴けばそれでいいのであって、それ以上加えることなど実は何もないのである。

これらを読んでわかることは、Mickey Romance にしても久留米に生まれ育った悪ガキたちの一人であり、バンドを始めるきっかけは「誰よりも目立ちたい」とか「女の子にモテたい」とかのありがちな理由だったり、コピーするのが面倒だから自分たちで曲を作ったとか、若気の至りを尽くしてライブ会場を出入り禁止になったりとか、武勇伝と呼ぶにはあまりに情けないようなことばかりやらかしてきたということである。こういった話は仲間同士でバンドを組んだ中高生にはよくありがちな話であり、さほど珍しいことではない。

だがしかし、そんな情けないバンド活動に、まるで映画のクライマックスのような、信じられないミラクルが起きるのである。

このようなエピソードに触れると、「やっぱり福岡は違うねえ、日本のロックの聖地だねえ」などと、その土地が持っている特殊性や空気感などについて語り始めてしまうが、もちろん、その土地が持つ力を否定するわけではないにせよ、まずは、音楽について語らねばならない。

久留米の悪ガキが何故に会場全体をシンガロングさせる楽曲を生み出し得たのか。その答の一つになるのが一人のレコード店主との出会いであろう。ファンタジックな世界に見られる「師匠と弟子」の物語が、余りある沢山のレコードを介して展開されてゆくのである。甘美でせつないポップスや呪いをかけられたロカビリー、そして情け容赦のないハードコアパンクまであらゆる音楽のエッセンスをそのワイズな嗅覚で嗅ぎ分けていきながら、久留米の悪ガキは Mickey Romance になっていくのである。

いくつかの紆余曲折を経てTEENAGE CONFIDENTIALが結成されたのは2002年。このとき彼は30歳を過ぎていた。FLAMIN GROOVIES の曲名に由来するこのバンドは2枚のアルバムを残したが、1stの「ROCK'N ROLL KISS」、2ndの「AFTER SCHOOL RENDEZVOUS」ともに、性急なビートと存分に鳴らし切られたギターサウンドとスタンダードナンバーになりうるようなポップでキャッチーなメロディーを備えた楽曲に満ちたこれらのアルバムは、日本のパンクロック/パワーポップ史に残る名盤である。このバンドがたった2枚しかアルバムを残し得なかったのはつくづく残念なことである。

  

TEENAGE CONFIDENTIAL解散後、Mickey Romanceはハードコアパンク界ではレジェンドであるthe swankys(私は知らなかった)の再結成ライブにあたり、サウンドディレクション的な役割を担うこととなる。本人の弁によれば、この体験がハードコアパンク人生で最も濃いものであったという。

その後は、mickey romance experimentやザ・センセーショナルズ、またはソロ名義であったり、The CleEmのギタリストとしてであったり音楽活動を続けてきたが、それらは今まで培ってきた自分のスタイルを打ち破ろうとする、まさに試行錯誤の連続であり、傍からは迷走とも取れるものであったかもしれない。そんな中、ロックンロールへの疑義であったり、いつまでも若い頃から変わろうとしないオヤジ連中に愛想をつかしたりで、今は音楽を捨てたかのように振る舞っているが、実は水面下で何かが始まろうとしているのかもしれない。

Mickey Romance 次の一手は?
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ホシナトオル 「broken records」

2017-04-19 23:50:08 | Music Life
ホシナトオル - 寝ても覚めても (audio only)


ホシナトオル 「broken records」

このアルバムは2、3年ほど前にリリースされたものだけれど、CD化されたときに手に入れて聴いている。

ジャケットのくたびれたクマのぬいぐるみに、もし見覚えがある人がいたら、その人はホシナトオルと私のご近所さんである。ご近所さんといえば、CDが届いた時にわかったのだが、私とホシナトオル氏は実はすぐ近くに住んでいるのである。それなのに実際に会ったことはなく、もっぱらネットでの細々としたやりとりのみをしている。そうした距離感がお互いにとっていいのだと思う。

「broken records」が出たときはシティポップの文脈で評価する向きが多かったし、「はっぴいえんど」や「サニーデイ・サービス」との類縁性についても語られていたような覚えがある。確かにサウンド的にはヤング・ラスカルズなど、シティ・ポップの創始者たちが影響を受けた音楽を思わせるようなものだったり、少し冷めた感じや気怠さだったり、両者に通じる部分はあるように思う。

60年代の「政治の季節」が終わって、いわゆる「祭りの後」の白々した雰囲気と現代の白けた空気というのもどこか似ているのかもしれないが、ホシナトオルの根底にある疲労感やニヒリズムはもっと深く複雑なもののように思える。

例えば、いつまでやっても終わらない仕事、そんなに気持ちの良くないセックス、どんなに眠ってもすっきりしない目覚め、どこへも連れて行ってくれない音楽やアート、全てを忘れさせてくれて弾けさせてくれるわけでもないアルコールなどなど、結局そんなものかと失望し、諦めてしまわざるをえないような、ぼやっとした感じ、ずるずるだらだらした感じ。

ある部分ではとてもいい加減なのに、ある部分にはとても不寛容、そんな真綿で首を絞められているような状況にあって、このままではジリ貧であると知っていても、ここから出たところで何かが好転するわけでもないこともわかっている。居場所はないわけではないし、声に出して訴えたい不満があるわけでもない。身動きできないほど縛られているわけではないのに、特に何かしたいわけでも、動きたいわけでもない。ただなんとなく疲れている。

このように、実は深刻で重い現実があるのに、それがまるで虚ろにふわふわと漂っているような手ごたえのない世界に向き合うにはサウンドとユーモアの感覚が必要だ。ホシナトオルの楽曲はその距離とバランス感覚において絶妙だ。

こんな世界をホシナトオルはくたびれたクマのぬいぐるみのように佇みながら歌う。自らも雨風にさらされ、埃にまみれながらもその歌は聴く者を時には激しく揺さぶりながらも優しく癒す。
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渡来宏明「POP MONOLITH」

2017-04-18 20:48:59 | Music Life
シューティングスター/渡来宏明 ポップモノリス(2016)より


渡来宏明の3枚目のソロアルバムは2枚組の大作であり、それには「POP MONOLITH」というタイトルがつけられた。

「モノリス」とはギリシャ語のモノスとリトスが結合した言葉で、直訳すれば「唯一の石」といったような意味になる。何もない砂漠のようなところにただ一つ屹立する孤高で巨大な石というようなもので、自然界にも存在するものであるが、多くの人々にとって「モノリス」といえば、アーサー・C・クラークが原作でスタンリー・キューブリックが映画化した「2001年宇宙の旅」に出現する漆黒の石板のような謎の物体を思い浮かべるだろうし、渡来宏明本人もそのようにイメージしていることは、本人の手になるジャケットを見れば明らかであろう。

渡来宏明は今回のアルバムでは前作「How to Rock」以上にバラエティに富んだ楽曲群を揃えていて、このことはザ・ビートルズの2枚組のアルバム、通称「ホワイト・アルバム」が意識されていることは言うまでもないが、さすがに4対1、オノ・ヨーコも加えれば5対1となる戦いには渡来宏明といえどもさすがに及ばずといったところである。しかしその戦いに勝利することがこのアルバムの一番の目的ではなく、「2001年宇宙の旅」のモノリスがそうであったように、それに触れた者に知恵を与え、生き方を変えること、もしくはありとあらゆるポップ・ミュージックの歴史の流れや様々な手法が蓄積されたアルバムを作ろうとしたのである。これはモノリスに知恵を授かった猿とも違い、ピラミッドのような偉大な過去の遺産を作り出した孤独な王様とも違い、音楽そのものが衰退している時代において、ポップ・ミュージックのあらゆる要素を遺伝子レベルに刻み込んだスター・チャイルドの出現に賭けているわけだ。

かつて詩人のマラルメは「世界は一冊の書物に至るために作られている」と言い、「究極の書物」を夢想した。同時にそのような「究極の書物」を書くことの不可能性を逆手に取り、未完であり、挫折に満ちた詩作を続けるというアイロニカルな態度を保った。

翻ってポップ・ミュージックの歴史を眺めてみれば、ザ・ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが挑み、1967年にリリースされるはずだったが挫折を余儀なくされた未完の「スマイル」というアルバムが、それゆえに「究極のポップ・ミュージック」として神聖視され、「もし完成していたらポップ・ミュージックの歴史は変わっていたに違いない」と長い間考えられてきたのである。これもまた一つのロマンティック・アイロニーであろう。

―古きものを打砕き
砕け散った破片を集めてつぎはぎの家を作る、
これなら人間にも出来ぬことはない。
籠や手桶をぶらさげて、石の上に石を積み、
滴に滴を加えていって、
それを人間は芸術と言い学問と呼んでいる。
神は無から創造する、だが俺たちは廃墟から創造する。
俺たちがなんであるか、俺たちに何が出来るかを知る前に、
俺たちはまずわが身を打砕かなくてはならないのだ。
―恐るべき運命よな。―がそれも止むを得ぬ。

(クリスティアン・ディートリッヒ・グラッベ「ドン・ジュアンとファウスト」)

未完の「スマイル」は、これまでにもビーチ・ボーイズマニアによって残された断片が編集され、数多くの「マイ・スマイル」が生み出されてきた。それが2004年にブライアン・ウィルソンのソロ名義で「スマイル」が「完成」されたとき、それさえも数多くの「マイ・スマイル」のヴァリエーションの一つでしかないようなものに思えたし、その「完成」によってポップ・ミュージックの歴史を変えることはできなかったのである。

それでは渡来宏明の「POP MONOLITH」はどうか。少なくとも彼はここにおいてアイロニカルな態度とは縁を切っている。これを聴いてポップ・ミュージックのあらゆる秘密を知り得た者はさらに新しいポップ・ミュージックをつくるだろう。しかし、ここから何も聴き取ることができなかった者は音楽的な実践をいつか諦めてしまうだろう。

衰退しているがゆえに、かえってどこにでもあふれかえっている現在の「音楽」が互いを写しながら虚ろに空間を漂っているその動きに耳を奪われていると、漆黒のモノリスは気づかれないままかもしれない(このジャケットのイラストはそのような現在を示唆しているように見えないか)。その存在に気づける者だけが新しいポップ・ミュージックの世界を切り開き、そのときにこそ音楽は以前持っていた力を取り戻すだろう。その時が来るまで「POP MONOLITH」はただ屹立し続ける。
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CHILDISH TONES NERD, GEEK & WEIRD

2017-04-15 21:17:42 | Music Life
CHILDISH TONES - BOYS DON'T CRY



Childish Tones 「NERD, GEEK & WEIRD」

Childish Tonesは、玩具楽器によるローファイなサウンドでガレージパンクを演奏するバンドである。

こういう発想自体は、酔っぱらったときなどに誰もが思いつくレベルのものであるが、実際にやってみるとなかなか難しく、面白がっているのは演奏している本人たちだけということになりがちなものである。ところが彼らの場合、この試みは例外的に成功していて、聴いていてもとても面白い。その面白さは彼らが音楽と非音楽の、あるいは楽音と非楽音の境界線上に立っているからだろう。実はこれこそが音楽の最も普遍的な立ち位置であるはずであって、そこにスリリングな面白さがあるはずなのである。自分が演奏しているものが音楽であり、楽音であることを微塵も疑ったことのない者のつくりだすものが退屈であるのは、つまりはそういうわけなのである。

また、境界線上に立つということは断ち切るということでもある。つまり、こどもは大人になるための連続した準備過程ではなく、玩具楽器は本物の楽器の代用品ではないのであって、こどもはこどもとしての自立した価値を持ち、玩具楽器は玩具楽器として独自の価値を持つ。


さて、ここで思い出されるのはギュンター・グラスの原作をフォルカー・シュレンドルフが映画化した「ブリキの太鼓」である。

3歳にして身体的な成長を止めた主人公オスカルは3歳の誕生日に買ってもらったブリキの太鼓を常に離さない。玩具であるブリキの太鼓に絶対的な価値を与え、その太鼓とともに成熟した子どもとして生き、権威や常識に安易に追従し安住する小市民の臆病さ、打算性、邪悪さや退廃を明るみに出していく。

Childish Tonesの音楽が時に凶暴さを垣間見せるのは、我々のそうした小市民的な感覚に原初的な力で揺さぶりをかけてくるからに他ならない。
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残骸

2016-07-02 00:09:31 | Music Life


リップスティック・ピックアップとポットの残骸を並べてみる。もう少しアートフルに並べてみたかったが、なかなか狙い通りにはいかないものであることよ。

なぜ、このような残骸があるかというと、最近、4本ばかりギターのリペアをしたからである。どこにリペアを依頼したかと言えば、近所にある西田製作所なのである。以前記事にしたときはまだプレオープンだったが、もうすでにオープンしてから1年以上も経過し、アンプ修理の専門店としての評価も確固たるものとなってきており、店に行くたびにリペアされるのを待っているアンプ群がどんどん増えているといった状態なのである。このようにアンプ専門店を謳っているのではあるが、電装系についてはギターのリペアも受け付けてくれるのである。ポットやスイッチ類もなるべく交換せずに洗浄で対応してくれるし、できうる限り希望を聞いてくれるのがよいのである。
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思わず検索したくなる……

2015-08-11 19:17:01 | Music Life
ヨッちゃんのギター・コレクションを全部並べてみた(short ver.)


ギタープレイヤーは多かれ少なかれギターコレクターという人種を憎んでいて、「奴らは金に飽かしてヴィンテージを買いあさり、相場を吊り上げた挙句、やることといったらそれを眺めて酒を飲むくらい。俺が持った方がよっぽどギターが生きるのに」と思っている。

ギターコレクターは多かれ少なかれギタープレイヤーが自分たちのことをよく思ってないことに気づいていて、「ジェフ・ベックならいざ知らず、お前ごときにそんなことを言う資格はない。お前の汚い手でさわられるくらいなら倉庫に死蔵されているほうがよっぽどギターのためだ」と思っている。

このようにギタープレイヤーとギターコレクターは相容れないものであったりするのだが、野村義男の中ではこの両者が共存しているように見える。共存しているというよりはうまく棲み分けられていると言うべきか。350本を超えるギターはこの棲み分けのために必要というわけだ。

野村義男が最近出した「思わず検索したくなるギターコレクション」という本は文字通り彼のギターコレクションを一冊にまとめたもの。このコレクションを見ても、いっさい手を加えないヴィンテージと様々な改造を施されたギターというような、本来は排他的な二項対立の図式となるところがそうならないのは彼のギターへの愛ゆえというところか。本人も「芯が通っていない」と言っているが、コレクションとしては体系化されていない無節操なものに見えてしまうのは、レスポールやストラトキャスターと同様にメロディーメイカーやミュージックランダーのようなギターも同等に愛せる、その愛のかたちが博愛であるためなのだ。

とはいえ、この野村義男であっても、プレイヤーとコレクターのせめぎあいの中で悲しみを感じることもあるようで、その心情は「ギターは消耗品でもあるから本当に大切なものは弾かなくなる。それはギターという楽器の残念な性かもしれない。」という言葉に表れているように思う。

さて、「だのじゃん」的には彼が所有しているダンエレクトロが気になるところであるが、オリジナルはコーラルのエレクトリックシタールとダブルネックの3923というモデルの2本。しかもこの3923に関してはオリジナルのハードケースも持っているのがとても羨ましい。そのほかはリイシューとジェリージョーンズが数本あるが、以前持っていたコーラルのファイアフライはこの本には掲載されていないので、すでに手放してしまったようだ。ダンエレクトロのギターは気に入っているようで、特に25インチスケールが弾きやすいとのこと。
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素晴らしき日本のエレキ

2015-07-12 23:26:21 | Music Life


ギターに関する本を見つければ、とりあえず手に取ってみるくらいのことはしておきたい。それが日本製ギターの本となればなおさらだ。というわけで、今回入手したのは「The History of Japanese Guitars」という本で、著者はフランク・マイヤーズというアメリカ人。「だのじゃん」的には「Drowning in Guitars!」の人ということになるのだが、彼は15年の歳月をかけて、地方のギターショップやアンティーク・ショップを回って手に入れた400本ほどのギターについて研究を重ねたという。そのサイトからも溢れ出ていた彼の日本製ギターへの耽溺ぶりがこうして一冊の本にまとまったというわけだ。

歴史的記述としては、日本エレキギターの草創期に大きく関わった人物(森岡一夫、松田童龍、松木三男など)についてや、ハワイアンからロカビリー、ロックンロールへという音楽的流行の変遷についてや、エレキブーム時のデータ的なものなどがあるが、松本や名古屋、浜松といった生産地について言及されているところは面白いと思う。

そしてこの本の大半を占めるのが当時の主要メーカーごとにまとめられたギターとカタログの画像なのだが、巻頭の謝辞を見ると、このあたりの資料を提供したのが、ビザールギターファンならだれでも知っているあのサイト、このサイトの人たちだったりするのである。

例えばこのページには、フランク・マイヤーズがこの本の取材のため来日したときの様子が記されている。

そのほか、ピックアップの画像がこれもまたメーカーごとにまとめられて掲載されていたり、当時の日本のギター販売の会社のリストが掲載されていたりするが、このあたりについてはあまりにも混沌としていてなかなか全容がつかめないこともあり、それゆえに本書の資料的価値を高めているように思う。

ちなみに、河合楽器の項目のところに、Coralのロングホーンモデルの写真が掲載されているが、ここはやはり「だのじゃん」的にはずせないところ。
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私の10曲(後編)

2015-06-03 21:27:46 | Music Life
5曲目  Arnold Schoenberg「Dank」
大学に入ると、私の関心の対象はおおげさにいえば「人間の文化的営みの歴史」になっていったので、音楽は変わらず聴いていたが、ミュージシャンになりたいとか、演奏したいとかではなく、関心は音楽史な方向に変わっていって、古代から現代までの音楽を網羅的にとらえてみたいと考えるようになった。もちろんロックばかりではなく、クラシックやジャズ、民俗音楽など、聴くことができるものは何でも聴くようになった。ちょうど古楽ブームがあって、バッハ以前の音楽にもアプローチしやすくなっていたし、ジャンル横断型の音楽研究もいろいろ出てきたしで、誰でもその気になりさえすれば、いろんな音楽に触れることができる環境は整いつつあったのだ。
私の場合、クラシックを聴くきっかけがマーラーなどの後期ロマン派だったこともあり、19世紀末の退廃だとか、狂気だとかエロスだとかに親しんでいたわけだが、それらが行き着くところまで行って、発表された当時にスキャンダルを巻き起こしたシェーンベルクの最初の歌曲をとりわけ偏愛するものである。

6曲目  Charles Trenet「La Mer」
フランス文学やヌーヴェル・ヴァーグが好きであるにも関わらず、第二外国語はドイツ語を選択してしまうというのが私の性格的な問題の一つではあるのだが、それはともかく、フランス語の勉強もしてみたいというわけで、まずは耳をフランス語に馴染ませるためにシャンソンを聴くことにした。有名曲を集めたコンピレーションのほか、エディット・ピアフやジュリエット・グレコのベストなどを廉価盤で手に入れて聴いているうちにシャンソンがだんだんと好きになってきて、自分が好きになった曲のいくつかがシャルル・トレネによるものだということを知った。「ラ・メール」はシャンソンを代表する曲だが、私はそこにマラルメやランボー、カミュやル・クレジオ、あるいはゴダールの、それぞれの「海」のイメージをみんな投影してしまって、私の中で勝手にふくらんでしまっている。それで結局フランス語はものにはならなかった。

7曲目  フリッパーズ・ギター「ドルフィン・ソング」
この曲を聴いたのが、まさに大学最後の夏休みだった。大学にいる間は誰よりも本を読み、音楽を聴き、映画も見、ものを考えてきたつもりだったが、私はそこから何も生み出すことができなかったし何も始めることができなかった。この曲の「ほんとのこと知りたいだけなのに、夏休みはもう終わり」という一節は忘れられない。

8曲目  ザ・コレクターズ「夢見る君と僕」
「嫌なことや嫌いなこと 大人たちを踏みつぶしてしまえ」という歌詞に示されるように、この曲は表向きはラブソングのようでありながら、その裏で思春期の少年に典型的な攻撃性を描くというダブルミーニングな構造を持っている。初めて聴いた頃は「こんな風に考えていた時期が私にもありました」的な感じで受け止めていたのが、社会人になってから改めて聴いてみると、かえってリアルに響いたということがあった。少年の頃に見かけた「大人たち」というのは親や教師くらいで、あとはもっと漠然としたものでしかなかったわけで、しかし会社みたいな組織に入ると、自分の親よりも年上の人間たちがたくさんいて、理不尽に周囲をひっかきまわしていたりするのを目の当たりにするわけで、しかもそれに対抗する術をこちらは持っていなかったりするわけで。

9曲目  b-flower「日曜日のミツバチ」
「別にとりたててすることもない」。

10曲目  J.S.バッハ「ゴールドベルク変奏曲」
人生の最後に聴きたいのはこの曲。もちろんグレン・グールドの演奏で。
大学生の頃は新プラトン主義な感じで自分の身体というものを持て余していた。プロティノスの言葉を借りれば「肉体のうちにあることを恥としていた」というわけだ。その頃の私は半分本気で「自分は音楽になりたい」と考えていた。今となってはもう、そんなことを考えているわけではないが、自分の肉体が滅びるときには魂は美しい音楽とともに空中に溶けていければいいと思う。
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私の10曲(前編)

2015-06-02 22:36:40 | Music Life
以前NHKで放映されていた「ミュージック・ポートレイト」という番組が好きでよく見ていた。これは対談形式の番組で、俳優や作家、あるいは芸術家として現在活躍している人たちが登場し、挫折から栄光へ、波乱万丈の半生を振り返りながら、その様々な局面で流れていた音楽や自分を励まし支えてくれた音楽を10曲ほど紹介するというものだった。人と音楽との関わりはとても興味深く、面白いものなので、私も「自分の10曲」を選んでみようと思ったのだが、5曲ほど選んだところで先に進めなくなってしまった。それというのも、私の人生には挫折はあっても栄光がなく、ドラマ的な要素がまるでないからだ。そんな私が選んだ10曲をここに。

1曲目  西城秀樹「ちぎれた愛」
小学校に入ったばかりの頃、どういうわけか西城秀樹に夢中になった。子供ながらにその激しいアクションとエモーショナルな歌唱に心を奪われたということなのだろうが、このまま歌い続けたらこの人は死んでしまうのではないかと、動悸が激しく高まるのを感じながらテレビを見ていたことを覚えている。今にして思えば「死にまで至る生の昂揚」というバタイユ的なエロティシズムを感じていたのかもしれない。
「ちぎれた愛」は西城秀樹が初めてヒットチャートの1位を獲得した曲であり、私が初めて買った歌謡曲のレコードでもある。

ちょうど同じ頃、「あこがれ共同隊」というドラマがあり、桜田淳子(中3トリオ)と郷ひろみ(新御三家)の共演ということでちょっとした話題になったのだが、これには西城秀樹も途中まで出演していた。私の記憶が確かならば、彼が演じたのは不治の病でありながら、だからこそ自分が生きていた証を残したいと長距離走のトレーニングを無理して続けた結果、心臓発作を起こして絶命してしまう青年だった。死んでしまうとわかっていながらも走り続けたこの青年の死は、このまま歌い続けたら死んでしまうかもしれない西城秀樹本人の姿と重なり、胸がしめつけられるような思いがした。

2曲目  イエロー・マジック・オーケストラ「TECHNOPOLIS」
西城秀樹に夢中になったといっても、その後はプラモデルや機械いじりの好きな、音楽とはむしろ無縁の子どもだった。そこに突如として現れたのがシンセサイザーだった。当時のシンセサイザーは子供が買えるようなものではなかったが、縦横に張り巡らされたケーブルやツマミなど、楽器というよりは音を合成する機械とでもいうべきその姿は、機械いじりの好きな子供を再び音楽に向かわせるには十分な魅力を備えていた。やがて江口寿史の「すすめ!!パイレーツ」に描かれていた「黄色魔術楽団」が実在するグループだと知り驚くことになる。
彼らの存在は音楽以外の様々な文化への入り口にもなってくれた。しかし、それだけではない。田舎者の少年が多少色気づいたとき、周囲に参照できるものがヤンキーの先輩しかいなかったところに、そうではない別の方向を示してくれたのだ。実のところ、それが一番大きいことだったかもしれない。

3曲目  Simon&Garfunkel「I am a Rock」
中学では部活動をやっていなかったので、自然と一人でいる時間が長くなった。その長い時間を、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすようになったのだが、そのせいか、だんだん周囲との違和感が増していくように感じられた。要するに思春期というわけで、「孤独が僕を、僕の親友にした」というわけである。
そんなときに私はこの歌と出会ったのだったが、つまらない連中と無駄に時間を過ごすくらいなら一人でいる方がはるかにマシだと思うようになっていった私に、この歌はまるで自分のことを歌っているように感じられた。誰とも関わらずに本を読むか音楽を聴くか、映画を見るだけの生活。大学に入学するくらいまでの間、「I am a Rock」はいわば私のテーマソングだった。

4曲目  The Beatles「Lucy in the Sky with Diamonds」
高校時代、同級生の友人たちとバンドを組んだ。音楽の趣味がバラバラな人間の集まりだったので、どんな曲を演奏するかさえ決めることができずに迷走し、初めて人前で演奏する機会を得たのは3年生のときの文化祭だった。ところがその年は、いつもより出場を希望するバンドが多かったため、うまいバンドは視聴覚室、へたなバンドは教室にそれぞれ振り分けるという、ちょっとしたオーディションをすることになったのだ。その日はヴォーカルの都合が悪く出られなかったので、代わりに私が歌うことにしたのだが、オーディション会場にいるのは実行委員が4、5人くらいだろうと思っていたのに、行ってみたらギャラリーが5、60人くらいは見に来ている感じで、その驚きと緊張ですっかり縮み上がった私は満足に声も出せない状態になり、そのまま挽回することもできず、不本意な演奏のまま終わってしまったのだった。このときに演奏したのがこの曲。あまりの情けなさに「自分は音楽を裏切ってしまった」という思いにしばらくの間苦しむこととなった。
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アンプ大名鑑(マーシャル編)

2015-04-26 21:23:21 | Music Life


「アンプ大名鑑(マーシャル編)」はマイケル・ドイルとニック・ボウコットの共著である「The History of Marshall The First Fifty Years」の翻訳である。マーシャルのオフィシャル・ブックという扱いで、工場見学などしたときにはお土産でもらえるそうだが、それにしては原著は誤記や誤植が多いらしい。そうであるならば、どうせ買うなら日本語版がよいということになるわけだ。この辺の事情は「Marshall Blog」を参照するべし。

この本はマーシャルの創設者ジム・マーシャルの伝記的な記述から始まる。その生い立ちやギタリスト達との交流などのエピソードから、この人物がとてもユニークで素晴らしい人物であることが伝わってくる。そしてこれらのエピソードの中にはもう一人のジム・マーシャル、つまりはジェイムズ・マーシャル・ヘンドリックスのことも出てくるのだが、これがとてもいい話で、ヘンドリックスもとてもいい人だったことがわかる。私としてはこれだけでも十分満足したのだが、一般的に言って、この本は読むものというよりはマーシャル好きが資料的に持っておくものだと思う。帯にも「必携」と書いてあるが「必読」とは書いてない。

中学生の頃の私は確かに「マーシャルの壁」を背にしてギターを弾きまくりたいと思っていたがそんな思いはどこへいったか、今となっては古くて小さいアンプを部屋の中で鳴らすのが好きになった。そういうわけなので、マーシャルの中ではカプリやマーキュリーといったアンプに魅かれるが、それらのアンプに対するこの本の記述には正直物足りなさを感じてしまう。こういう傍流の製品に対する偏愛のようなものが強く感じ取れたならば、私はこの本をもっと愛することができただろうと思う。

さて、フェンダー、マーシャルときたら、その次は何かということだが、Jim Elyeaによるかなり分厚いヴォックス本(Vox Amplifiers,The JMI Years)があるので、これが最有力候補となるだろう。
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