goo blog サービス終了のお知らせ 

Works in Progress

2015-03-02 20:01:29 | Music Life
ギターアンプ修理の「西田製作所」が3月中旬以降のグランド・オープンに向けて準備中である。現在は仮オープンで、修理とモディファイ、レンタルのみの受付とのこと。

「西田製作所」はJR横浜線相模原駅の南口を出て、相模原一丁目の信号を右折、しばらく行くとイタリア料理の店があるのだが、そのビルの2階にある。店主の西田さんは以前から本業の傍らアンプの修理をしていて、その仕事ぶりには定評があった。そういうわけなので、満を持しての開業という感じなのである。私もアンプの修理をお願いしたことがあったが、そのアンプのどこが問題で、だからこういう処置をしたということについてきちんとした説明をしていただけたので、以来とても信頼している。

アンプの修理というと、問題点を特定することが意外に難しかったりする場合があり、アンプ修理を謳っている店であってもなんとなく真空管を交換するだけでお茶を濁すということも少なからずあったりするので、きちんと修理できる西田製作所のような店が自宅の近くにできるということはとても嬉しいことなのである。

西田製作所のサイトはこのブログにブックマークしてある。

チープなギターを弾く10人

2015-01-11 22:40:11 | Music Life
先日「チープなギターをプレイする10人のロックスター」という記事を見つけた。なんでもランキングする世の中ではあるが、まさかこのようなテーマのランキングまであるとは世も末というか、思いもかけないことで、「だのじゃん」的には大変うれしいことだった。

これには「これらの有名ロックスターたちは何故チープなギターを演奏するのか」というテクストが添えられていて、そこには Junk Is Always Best というカート・コベインの発言が引用されたりもしているが、一部の例外を除いて、ミュージシャンがステージでもチープなギターを普通に演奏するようになったのは、やはりカート・コベインというか、オルタナ以降というのが一般的な見方なのだろうと思う。オルタナというからには、ギターだって誰もが使うギブソンやフェンダーではなく、シルヴァートーンだのケントだのエアラインだのユニヴォックスだのといった、だれも見向きもしないようなギターを使わねばならないというわけだ。

ここでチープなギターとはどういうギターのことをさしているのかというと、ギブソンのメロディーメイカーやフェンダーのスターキャスターなども含まれていることから、いわゆるビザールギターというわけではなくて、初心者向けのスチューデント・モデルや不人気のため安く手に入れられるギターということのようだが、いずれにせよ、これらのいわゆるチープなギターが有名ロックスターに愛用されたことによって、今となってはチープではなくなった(プレミアがついて高価になった)というのがオチ。

それでは選ばれた10人は誰なのかをみてみると、筆頭にあがっているのはやはりジミー・ペイジ。次いでホワイト・ストライプスのジャック・ホワイト、ブラック・キーズのダン・オーバックと続く。当然、カート・コベインやアニー・クラーク、ベック・ハンセン、はたまたデヴィッド・ボウイなども選ばれていて、それはそれで妥当なところだと思うが、ジョーン・ジェットやジョニー・グリーンウッドが入っているのは意外な感じがする。むしろアート・リンゼイやジョン・スペンサーあたりが選ばれるべきではなかったか、と思ったりもするのだが、この手のランキングはそういうもので、あれこれ突っ込みを入れつつ、ああでもないこうでもないと考えるのが楽しみというものなわけで。

アンプ大名鑑(フェンダー編)

2014-09-15 17:24:56 | Music Life


ギターアンプというと、日本では住宅事情のせいで「置き場所がない」とか「大きな音が出せない」とか、ついそういった話になりがちだし、VOXのAmplugみたいなヘッドフォン・アンプが進化しているということもあって、今となっては「無用の長物」的な扱いを受けたりもするが、こうした事情はどこかに置いて、せめて本の中だけでも、心ゆくまでレオ・フェンダーが残したギターアンプの素晴らしさを堪能したいもの。

この本はトム・ウィーラーが著した「The Soul of Tone : Celebrating 60 years of Fender Amps」の邦訳で、スペースシャワーブックスが限定2000部で出したもの。「アンプ大名鑑(フェンダー編)」という邦題になったのは、少し前に出した「フェンダー大名鑑」にあわせたのだろう。両者とも網羅的な内容なので、それはそれで「大名鑑」と呼ぶにふさわしいものではあるが、姉妹編とすることでクロスセルを狙った販売戦略という面もあるわけ。

それはともかくとして、ギターアンプの本を構成する要素には、一般的にいって1.回路図、2.スペック、3.ヴィジュアルなどがあり、これらの諸要素のうちどれを重視するかによって、その本が自作マニア向けなのか、フルオリ志向のコレクター向けなのか、あるいはギターアンプの機能美を鑑賞するのが趣味の好事家向けなのかが決まってくる。

それでは「アンプ大名鑑」はどこをターゲットとしているかというと、先述の3要素でいえば、回路図は掲載されていないので自作マニア向けの本でないことは明らかである。その意味ではコレクターや好事家向けではあるのだが、ソリッドステートよりもチューブ、プリント基板よりもP to P配線、現行品よりもヴィンテージがよいと思っていたり、あるいは全体を見ないでコンデンサのようなパーツにだけ異常なこだわりを見せたりするようなコレクターに対しては批判的である。

実のところこの本はフェンダーの60年におよぶアンプ開発史に加え、そのアンプから放たれた音にどれだけの人が魅了されてきたかを物語るものであり、それらを開発に携わった人々の証言やフェンダーのアンプを愛用しているミュージシャンたちのコメントを数多く集めることによって語らせたところに最大の特徴があると言えるだろう。そのぶん分厚くなっているが、興味深い話が多いので楽しく読むことができる。

ギターを弾くプラント

2014-06-09 21:31:13 | Music Life


Facebookのニュースフィードに飛び込んできたのはロバート・プラントがギターを抱えている画像だった。ギターを抱えているだけでも珍しいのに、そのギターをよくよく見てみれば、シルバートーンのドルフィンノーズであるという、にわかには信じがたい画像なのであった。他にもロバート・プラントがギターを抱えている画像はあるかと探してみると、意外にもいろいろと出てくる。その中にはペイジのレスポールやダブルネックSGを弾いているのもあったりして、実はプラント、全然ギターと無縁というわけではないようだ。

それでは、ロバート・プラントのギターの腕前はいかがなものなのか。彼が演奏している映像が見つかったのでここに埋めておく。

Robert Plant playing Elvis guitar at Christopher Ameruoso photo shoot


この映像では、「Shades of Elvis」という写真集の著者であるChristopher Ameruosoと語り合いながら、エルヴィスの肖像画があしらわれたテイラーのギターをつまびくプラントの姿が見られる。

「Shades of Elvis」は文字通り、各界の有名人にエルヴィスみたいなサングラスをかけさせ、その姿を写真に収めたもので、エルヴィスの熱狂的なファンであるプラントも被写体になっている。

Rolling Stonesと私

2014-05-06 00:03:23 | Music Life
ローリング・ストーンズが8年ぶりの来日公演をしてから2ヶ月が過ぎた。その間に私が何をしていたかといえば、ロン・ウッドが加入してからのストーンズのアルバムをせっせと買い揃えていたのであった。今まで1枚も持っていなかったというのもどうかと思うが、中学生の頃に「スティル・ライフ」からストーンズを聴き始めたといっても、好きになった曲は60年代のものだったし、高校生の頃に友人から借りた「ギミー・シェルター」(収録曲が「ベガーズ・バンケット」、「レット・イット・ブリード」、そして「ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット」からセレクトされた日本独自の編集盤)や当時NHK-FMで放送された1973年のブリュッセル・アフェアーのライブを聴いたことによって、ストーンズはミック・テイラー在籍時こそが最高で、それさえ聴いておけばいいのだと長い間思ってきたのだから、仕方のないことでもあったわけだ。

その後、「サタニック・マジェスティーズ」を聴いたことが契機となり、サイケデリックな頃のストーンズが一番だと思うようになったが、このあたりの経緯は多少説明が必要となるかもしれない。その昔、私のようなビートルズファンにとって、ローリング・ストーンズがどのような存在だったかといえば、ライバルなんてものではなく、二番煎じでしかなかった。最近でもポール・マッカートニーが「ストーンズはビートルズの真似をして成功した」と発言して物議をかもしたが、そういう認識が抜きがたくあったのだ。その典型が「サタニック・マジェスティーズ」で、これは「サージェント・ペパーズ」を真似ただけの、聴くだけ無駄な駄作中の駄作であるなどと散々な酷評を受けてきた。私もこうした評価を真に受けて、「サタニック・マジェスティーズ」は聴くに値しないものなんだと長い間思い込まされていたのだが、でもそれを実際に聴いてみると、確かに意識して真似をした部分もあるとは思うけれど、全然違うものだと思ったし、ある意味「サージェント・ペパーズ」よりも面白いと感じたわけで、この発見から同時期のサイケデリックなストーンズを聴いていくにつれ、むしろ私はいわば「ベガーズ前派」とでも呼ぶべき立場になっていったというわけ。このへんは、当時のいい加減な音楽評論への憤りのような感情も加わっているので、その点は差し引かなければならないが。

The Rolling Stones - We Love You (Official Music Video)


いずれにしてもロン・ウッド期に注目するきっかけは訪れないまま、ロン・ウッド加入後のストーンズのアルバムは1枚も所有することなく過ごしてきたのだけれども、そうでありながら今回揃えてしまおうという気になったのは、やはり来日公演で生身のストーンズを見たせいなのだろう。

活動期間からいって当然のことながら、ストーンズのアルバムは膨大な枚数にのぼるが、オリジナルアルバムだけを拾ってみれば実はそれほどでもない。ロン・ウッド期であれば「ブラック・アンド・ブルー」から「ア・ビガー・バン」までの10枚ですんでしまう。今回この10枚をひととおり聴いてみて思ったのは、ロン・ウッド期はロン・ウッド期なりの素晴らしさがあるということだ。もちろん、楽曲にしろ、アルバムの構成にしろ、同じようなフォーマットを使いまわしているという面は確かにあるのだが、「サム・ガールズ」は素晴らしいアルバムだと思うし、今のところの最後のアルバムである「ア・ビガー・バン」も素晴らしい。しかし、そのことは私の今までの思い込みを覆すまでには至らなかった。やはり私は依然としてブライアン・ジョーンズがいた頃のストーンズが好きなまま、そこは変わらなかったわけなんだけれども。

セザンヌとフリークビート

2014-04-20 15:03:57 | Music Life
セザンヌは若い頃、クールベから影響を受けたせいなのか、パレットナイフを用いてキャンバスに分厚く絵の具を盛り上げていた。描く主題も「殺人」のような、暗く、異常なものが多いのだが、それは現実社会との接点を失った当時のサロンへの反抗であり、筆致の痕跡をなくし、ひたすらなめらかな画面にするアカデミックな絵画技法への抵抗でもあった。



この、絵の具を厚塗りする技法をセザンヌは「クイヤルド(Couillarde)」と呼んだ。クイヤルドとは「大きい睾丸」という意味らしく、日本語では「デカキン画法」などと訳されることが多いのだが、いずれにしてもこうしたネーミングは、高校生がバンド名を決める時にウケを狙って下品な名前にしてしまうというような若気の至りに近いものがある。

若気の至りと言えば、60年代のガレージロックやフリークビートも、よりラウドに、より凶暴にギターをかき鳴らし、ドラムを叩き、ヴォーカルが叫ぶことで、ビリビリ、ザラザラしたノイジーで耳障りなサウンドを作り出すのだから、セザンヌの「クイヤルド」みたいなものだと言えなくもない。いわば「クイヤルドビート」というわけだ。睾丸は言い換えれば「ふぐり」だから、フリークビートは「ふぐりビート」と言い換えてもいいはずだ。

ここにザ・カラバッシュという一つのバンドが存在する。このバンドはザ・パイロンズ解散後の流れで結成されたバンドで、フリークビートを標榜している。ザ・パイロンズはメンバーの出身地である広島を流れる太田川にちなみ「太田川ビート」を標榜していたが、そもそもパイロンズという名前の由来は「自然を円筒、球、円錐によって扱え」というセザンヌの言葉ではなかったか。

 

音楽を円錐によって扱うこと。我々はパイロンがカラーコーンという呼称でより一般的であることを知っている。このコーンはconeで、つまりは円錐という意味であるが、松ぼっくりという意味もある。ぼっくりとは何か、それは「ふぐり」が転訛したものだという説がある。

そしてザ・カラバッシュとなるわけだが、Calabashとはヒョウタンという意味である。ヒョウタンは楽器の素材とされることが多いが、そもそもカラバッシュという名前の由来は「自然を円筒、球、円錐によって扱え」というセザンヌの言葉ではなかったか。

 

音楽を球(タマ)によって扱うこと。我々はヒョウタンに似た実をつけるヒョウタングサがオオイヌノフグリと呼ばれることを知っている。このように、ザ・パイロンズからザ・カラバッシュに至る過程にも「ふぐり」が潜在するのである。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」ように、フリークビートには「ふぐり(睾丸)」が潜在していることを知っているザ・カラバッシュの演奏を聴いてみよう。ソニックスのカバーでThe Witch。ギターとベースがロングホーンという「だのじゃん」的にも嬉しい編成。しかし残念ながら、ザ・カラバッシュは現在活動休止中。



テセウスの船

2013-10-12 20:09:30 | Music Life


西田製作所に預けていたGUILDのアンプT1-RVTが先日戻ってきた。手に入れた時からリヴァーブをかけると歪んだり、全体的にノイズが乗っていたりといった症状が出ていたので、今回一通り診てもらったのだが、その原因は真空管にあり、それを交換したらアンプは見事に復活した。

今回は真空管の交換程度で済んだわけだが、50~60年代あたりの古いアンプを安心して使うためには、いくつか部品を交換しなければならない場合がある。電解コンデンサや抵抗、ケーブル、場合によってはスピーカーも。ギターアンプを電子部品の集合体として考えれば、同じ規格の部品と交換するのであれば同じ結果になるはずだが、悩ましいのは部品を交換した場合、そのアンプを今までのアンプと同じものであるとみなしていいのかどうか、あるいはここまでの交換ならよいが、これを交換してしまったらそれまでのアンプではなくなる、というような部品はどれか、境界線はどこかというような、そのアンプをそのアンプたらしめている本質は何かという、存在論的な問題が生じてくることだ。

存在論的な問題といっても言い換えれば、フルオリジナル以外同一とみなさないのか、回路や外観が本質で、それに変更がなければ部品が交換されていても同一とみなすか、ということである。アリストテレスを援用すれば、事物の本質を担うのは事物を構成している素材としての質料ではなく、素材の構成を制御している本質的な存在構造としての形相であるとされるが、なるほどそうかと思いつつも話はそう簡単にはいかない。私はフルオリジナルにこだわっているわけではないが、外観や回路の変更はしたくないし、なるべくなら部品の交換もしないですませたい、というのが基本的なスタンスではある。現行品であれば同じ部品が容易に手に入るのでそれほど問題にはならないが、それがフェンダーのツイード期のヴィンテージアンプともなれば、やはりオレンジ色のアストロンが他のコンデンサに交換されていたりするのは多少なりともがっかりしてしまうということはあるだろう。古いアンプになればなるほど同じ部品が手に入らなくなり、部品の交換ができなくなるということはそれが壊れてしまったらそれで終わりということで、長い時間の経過は、あるものに生命的な有限性・一回性を与えてしまうものなのである。

もう一つの問題がある。あるものの部品が全て交換されたとして、それでも同じものといえるのか、また、交換された古い部品を集めてつくられたものはいったい何なのか、という問題。これはいわゆる「テセウスの船」という、古代ギリシャからある問題なのだが、再びアリストテレスを援用するならば、質料が違っても形相や目的が同一であれば同一とみなしてもよいという立場に立てば部品が全て交換されたものも同じものといえるし、質料も同一でなければ同じものとはみなせないという立場であれば古い部品を集めてつくられたもののほうこそが同じものということになる。

これはつまるところ、リイシューがいいか、ヴィンテージがいいかという議論になってくるのであって、どちらにこだわるかは人それぞれということになるのだが、古代ギリシャから人々はそんなことばかり議論していたというわけ。

The Strat in the Attic

2013-09-29 10:38:50 | Music Life
「The Strat in the Attic」、日本語にすれば「屋根裏部屋のストラトキャスター」。ディーク・ディッカーソンが書いた本のタイトルだ。

ギター収集が病のレベルに達した人間なら、

「屋根裏の物置を整理したら、その片隅にギターケースらしきものが見つかった。開けてみると、その中に入っていたのはストラトキャスターの54年モデルであった」

というような夢物語を一度は頭の中に思い浮かべるに違いないが、このタイトルが示す通り、ebayのような大規模ネットオークションサイトがある現在でも、物置やクローゼットの中、あるいはベッドの下にしまいこまれているレアなギターはアメリカにはまだまだたくさんあるようだ。

ディーク・ディッカーソンは、自他ともに認めるギター・ギーク(オタク)。彼および彼の友人たちは一体どのような手段を使って珍しくも貴重なギターを収集したのか、その追跡の物語を集めたものが「The Strat in the Attic」なのだ。

彼のやり方は、もちろんebayやヴィンテージ・ギター・ショップの広告をつぶさに見ることから始まり、インターネットも利用するが、彼が探しているギターは市場に出てこないばかりか、検索してもヒットしないものが多いため、所有している本人かその家族(もしくは遺族)にコンタクトを取り、交渉しながら手に入れるという、わりと昔ながらの「足を使う」やり方だ。このやり方の面白いところは、そのギターの来歴や、所有者がそれを使っていた頃の思い出話が聞けたりするところで、ギターを手に入れるまでの過程がそのまま人と音楽、あるいは人と楽器の歴史を豊かに彩るエピソードとなるのである。この本には「ギター考古学のスリリングな物語」というサブタイトルがつけられているが、ここでいう考古学とは、何万年も前の化石を発掘するかのように、ずっとしまいこまれていたギターを掘り起こし、その背景にある様々な文脈を読み解いていくということだろう。

「だのじゃん」ではダンエレクトロ関連ということで、リンク・レイのギターリンとジミ・ヘンドリックスのコーラル・エレクトリック・シタールについてはすでに記事にさせてもらったのだが、今回ついでにこの本そのものを紹介しようと思った次第。

ラリーアッサラーム

2012-09-04 21:33:29 | Music Life
ラリーアッサラーム(4/9)「LOVE ON THE PLANET 」


もう4月も終わり、ゴールデンウィークをどう過ごそうかと期待に胸を躍らせている頃、ラリーアッサラームは新宿は歌舞伎町にやってきた。
この日、Crawdaddy Clubでおこなわれたライヴは、生まれたばかりのアルバム「BLACK VIRGINS」の発売記念イベントであり、元レッド・ウォリアーズのSHAKEが名付け親である新しいバンド「化石の森」のお披露目でもあった。

ラリーアッサラームは仙台を中心に活動しているミュージシャン。中近東テイストの入ったヴィジュアル系といった感じのルックスのため、FACEBOOKではその筋からのフレンド申請が絶えないという。

私がラリーアッサラームと初めて言葉を交わしたのはいつのことだったかを思い返してみると、2009年のことだった。ミクシィのダンエレクトロ・コミュニティで彼の存在を知り、私のほうからマイミクの申請をしたところ、彼がこの「だのじゃん」を読んでいてくれたことを知り、嬉しかったことを覚えている。この映像ではダンエレクトロではなくテレキャスターを弾いているが、ラリーアッサラームといえばエレクトリック・シタールなのである。最近はベルズーキのボディだけをオークションで落札したそう。いつかベルズーキを抱えて歌う彼の姿を見ることができるかもしれない。



この4月のライヴで初めてラリーアッサラームとリアルに会い、話をしたのだったが、受付で配られた「白松がモナカ」で気持ちもほぐれ、いい雰囲気でとてもいいひと時を過ごせたのだった。私の両親がともに宮城出身なので、子どもの頃は毎年宮城で過ごしていたといったこともあり、この日の彼との交流は、多少大げさに言えば東北の地につながる人間同士の魂の交感というようなものでもあったのである。

Crawdaddy Clubの店内にはギターが何本も壁にかけられていて、そのなかにはダンエレクトロが2本あったので撮影したのだったが、きれいに撮れなかった。





ザ・モンキーズ1980

2012-03-03 17:05:28 | Music Life
モンキーズといえばコダックのCMを思い出すという私は昭和42年生まれなんだが、私くらいの世代の人間でリアルタイムで聴けたわけでもないのに、モンキーズが洋楽初体験だったりするケースが多いのはそういうことなわけ。

コダックが昔のヒット曲を使ってCMを製作したのは1980年頃。ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」から始まって、ザ・モンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」やジャン&ディーンの「サーフ・シティ」、そしてザ・ダイアモンズの「リトル・ダーリン」まで、4作からなるシリーズがあったのだ。

これらのCMが私に与えた影響は意外に大きい。それまで最新のヒット曲こそが最高と思い、誰よりも早く新曲の情報を手に入れ、誰よりも早く聴き、知っていることがステイタスだった私に、自分が生まれた頃につくられた昔の音楽の素晴らしさを教えてくれたのだから。

これらのCMと前後してモンキーズのTVショーも再放送されて、もちろん私は毎回楽しくその番組を見ていたわけだが、基本コミカルなものでありながらも、時代を反映してなのか、時折シュールでサイケでナンセンスな展開を見せることもあったこのモンキーズ・ショーを見ることで、知らないうちに60年代後半のサイケデリックな音楽や映像を受け入れる準備ができていたのではないかと思う。

そして1980年の終わり、私はジョン・レノンの死をきっかけにビートルズを知ることになるのだが、ビートルズにのめりこんでいくうちに、ビートルズ以前のロックンロール、チャック・ベリーやエルヴィス、バディ・ホリーなどの存在を知ったり、ストーンズやフー、ビーチ・ボーイズといった同時代のライバル的なグループの存在を知ったり、そして60年代後半のサイケデリック・ロック、さらにはツェッペリン、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンなど、ビートルズ以降のハード・ロックやプログレッシヴ・ロックの存在を知ったり、というように、いつのまにかロックの歴史を追体験していくようになっていた。

コダックのCMを見たことによる、昔の音楽は素晴らしいという発見は、やがて同時代の音楽なんてゴミだという価値観の形成へとつながっていった。「ロッキング・オン」の渋谷陽一からの影響もあって、レッド・ツェッペリンとキング・クリムゾンこそが究極で、これらを聴けばロックは卒業してもいいと思うようになった。こうした偏見にとらわれたまま、私はしばらくロックを一切聴かなくなり、そのかわりにクラシックばかり聴くようになった。

いわゆるクラヲタの大学生だった私は、ある日フリッパーズ・ギターを知ったのだった。のちに私は彼らを通じてポップ・ミュージックの奥深さを改めて思い知らされることになるわけだが、そんな彼らのラストアルバムには「ヘッド博士の世界塔」というタイトルがつけられていた。彼らは私と同世代だから同じようにモンキーズ体験をしたのだろう。そこから何も生み出せなかった私と日本のロック史上に残るアルバムを作り上げた彼らという、この差は一体どうしてなんだと嫉妬に狂った時期もあったかもしれないが、それも今となっては遠い昔のこと。