小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

中古車物語 (小説)(上)

2020-07-16 03:27:50 | 小説
中古車物語

宮田誠一は、しがない小説家である.
彼は、医学部出で、以前は、内科医だった。
しかし、彼は、教授を殿様とする、日本の、封建的な、医療界に、嫌気がさして、医者をやめてしまったのである。
元々、彼は、医者になりたいと、熱烈に、思っていたわけではない。
彼は、子供の頃から、体か弱く、自分の体なのに、自分では、薬を手に入れられず、一生、医者に、ペコペコ頭を下げ続ける、屈辱が耐えきれなかったのである。
それで、自分が医者になってやろうと思ったのである。
そういう動機で、医学部に入ったので、将来に対しても、医者として、バリバリ働こう、という夢も思いもなかった。
医師なんて、誰がやったって同じだし、八百屋と、全く変わりない、十年一日の、同じ事の繰り返しじゃないか。
そんな仕事を一生の仕事にするのは、バカバカしい。
大学三年で、基礎医学が始まってから、彼は、そう思うようになっていった。
医学部三年のある時。
(小説家になろう)
そんな、インスピレーションが、突然、起こったのである。
その想念は、みるみるうちに、彼の心を、とらえてしまった。
その日の内に、もう彼は、医者ではなく、小説家として、生きて行こうと思うようになった。
その日から、彼は、小説を書き始めた。
しかし、せっかく、入った医学部でもあるので、医学部は、ちゃんと、卒業して、国家試験にも、通っておこうと、学問を疎かにしなかった。
そして、六年間の、医学部は、ちゃんと、勉強し、そして、卒業して、医師国家試験にも、通った。
それと同時に、彼は、文壇に、小説を発表するようになった。
しかし、作家として、生きていくのは、並大抵のことではなく、生活は、苦しかった。
俗に言われる、筆一本は修羅の道、であった。
なので、二年、研修した後、内科医として、数年、勤務した後は、健康診断などの、医師のアルバイトをしながら、小説を書き続けた。

平成27年も、師走になった。
平成27年は、四月の頃は、体調が良く、小説創作が、はかどった。
しかし、6月頃から、体調が、悪くなり、6月、7月、8月、9月、と、全く何も出来ない状態になった。頭が冴えず、書きたいことは、あっても、書く意欲が起こらないのである。
意欲が、起こらない状態で、無理に書いても、いい作品は、書けない。
というか、文章が、頭から出で来ないので、「あらすじ」、程度の、雑な文にしかならないのである。
そもそも、彼には、精神の波があって、意欲が出る時は、観念奔放で、次々と、アイデアが、湧き上がるのだが、意欲が出ない時は、何をしても、意欲は、出ない。
彼は、小説が、書けなくなると、うつ病になった。
うつ病になると、ますます、意欲が出なくなるから、それが、悪循環になった。
なので、平成27年の、夏は、暗い夏だった。
小説が、書けないのなら、生きていても仕方がない、とまで、彼は思っているので、死のうかとも、思った。
しかし、奇跡的に、10月から、体調が、よくなり出した。
それで、小説を書き出した。
いったん、書き出すと、一作品、書き上げても、次々に、書かずには、おれなくなった。
彼は、小説を書いている時だけが、生きている時だから、無理もない。
逆に、書いていない時は、生きていても、彼の精神は死んでいるのも、同様だった。
「書ける時に、書いておかなけば」
そういう、あせり、から、彼は書いた。
一分、一秒、が、惜しくなった。
それで、おかげて、10月から、5作品、書くことが出来た。
それと、健康、体調、管理のために、冬でも、彼は、週に、二回は、温水プールで、二時間、泳ぎ、週に、二回は、市の体育館の、トレーニング室で、筋トレ、や、トレッドミルで、ランニングした。
平成27年も、12月になり、大晦日になった。
一般の人なら、年末年始の週は、休養できる、ほっとする、週なのだろうが、彼にとっては、年末年始は、不便きわまりない週だった。
市の体育館も閉まってしまうし、図書館も、閉まってしまう。
体を鍛えていないと、覿面、体調が悪くなる。
物書きにとっては、年末年始など、関係ない。
気分が乗っていれば、年末年始、だの、お盆、だのは、関係ない。
ただ、がむしゃらに、書くだけである。
しかし、体育館や図書館などの公共施設が、使えなくなるので、仕方なく、年末年始の週は、書くのを中止した。
テレビを見ても、つまらない、番組ばかり、である。

年が明けて、平成28年になった。
年明けの、4日から、彼は、書きかけの、小説の続きを書き出した。
正月休みが明けて、ほっとしているのだから、世間の人間と、感覚が逆である。
しかし、彼は、あることが、気にかかっていた。
それは、彼の乗っている、車の車検が、平成28年の、2月11日で、切れることである。
こういう些事さえ、彼には、気分が乗って、小説が、書ける時には、うっとうしかった。
だいたい、車検は、10万円くらいだろう、と思っていた。
いつも、そうだったからだ。
しかし、去年は、ある時、バックした時に、電信柱に、車をぶつけてしまい、車の後ろが、少し凹んでしまった。その時から、電気系統が故障したのか、ドライブにギアチェンジすると、「D」の、ランプが点かなくなった。
しかし、運転には、問題ないので、そのまま、乗っていた。
彼の車は、旧型マーチだった。
彼は、面倒なことは、つい、後回しにしてしまう。
しかし、車を運転していて、ふと、今回の車検は、いくら、かかるのだろうか、と、試しに、日産のディーラー店に、入ってみた。
平成28年の、1月11日である。
乗っている車は、平成24年に、アパートの、近くの、日産のディーラー系の中古車店で、買った。
ディーラー系の中古車店は、自社工場を持っていて、アフターサービスが良かった。
彼は、車の車種とかは、全然、興味が無く、知らなかった。
その時には、すでに、新型マーチも、出ていたが、新型マーチは、車幅が、広くなってしまって、まるで、カボチャのようで、彼には、不恰好にしか、見えなかった。
よく、あんな、不恰好な車を買う気がするものだと、彼は世間の人間の感覚が、全く、わからなかった。
それに、車幅が広いと、車庫入れ、とか、駐車場に、車を駐車する時、両隣りの車に接触しないよう、気をつけないと、ならない。
駐車場では、どこでも、出来るだけ、小さなスペースで、出来るだけ、多くの、車を止められるようにしようとするから、駐車のスペースの幅が小さくなってしまう。
さらに、公道を走っていても、バイクは、車の横をスイスイ抜いていくし、自転車が走っていたら、追い越さねばならない。その時にも、車幅が狭い方が、接触しにくい、し、気も使わない。
一時停止で、路上駐車する時でも、車幅が、狭い方が、他車の迷惑にならない。
そういう、実用上の理由でも、彼は、車幅の狭い車にしたかったのである。
それで、日産の、ディーラー系の中古車店で、買う時には、あえて、新型マーチの中古車もあるのに、旧型マーチを、探してもらったのである。
それで、表示価格25万、走行距離、4万kmの旧型マーチが、あったので、即、それに決めた。保証は、一年つきで、車検は、2年だった。
諸経費は、10万円だった。ので、合計は、35万円だった。
安い方である。
しかし、買った、平成24年の夏に、エンジンのトラブルが起こってしまった。
さらには、電気系統のトラブルも起こった。
しかし、1年、保証の約束は、誠実に守ってくれて、修理してくれた。
車検は、2年だったので、平成26年の時に、車検を、受けたが、あらかじめ、かかる費用を見積もってもらったが、10万円だった。
10万なら、買い替える必要もないと思い、10万で、車検を通して、乗りつづけた。
しかし、今回の車検は、いくら、かかるだろうかと、彼は、急に気になり出したのである。
それで、急いで、修理をやってくれる、日産のディーラー店に、行ってみた。
平成28年の、1月11日である。
車検は、2月11日で、切れるから、あと、1ヶ月である。
「車検にかかる費用、見積もってもらえませんか?」
と彼は聞いた。
「はい。わかりました」
と、店の人が言った。
店では、新車を売っているが、店の裏に、修理場があって、修理工が、働いている。
彼は、自動車の、修理工を立派だと思っていた。
毎日、油にまみれ、汚れた服で働いて。
働く、とは、ああいうことを、言うものだ、と彼は思っていた。
一時間、くらいして、店の人が、やって来た。
それで、見積もりの明細を見せてくれた。
部品交換と、工賃が、バーと、並んでいて、合計で、18万円だった。
彼は、あせった。
彼は、車検にかかる費用が、10万、程度なら、買い替えることなく、乗り継ごうと思っていた。
彼は、車の事情については、素人だか、それでも。
しかし、18万ともなれば、もう少し、金を出せば、中古車が買える。
ボロボロになった、車を、18万も出して、乗り続けるよりは、あらたに中古車を買い替えようと、思った。
彼は、カーマニアでは、さらさらなく、車は、移動する手段という目的でしかなかった。
なので、彼は、軽自動車を、欲しがってもいた。
軽自動車は、660ccで、燃費が、普通自動車より、いい。
最近、ガソリン価格が、どんどん、下がってきて、1リットル、100円を切るほどにまでなったとはいえ、旧型マーチは、彼が、オイル交換などしないことも、あるだろうが、あきらかに燃費が悪く、レギュラー満タンにしても、300km、も走らないで、ガソリンスタンドに入らねばならなかった。
レギュラー満タンにする時、だいたい、30リットル、入れるので、1リットルで、10km、ということになる。
これは、明らかに燃費が悪い。
それに比べると、軽自動車は、最新の性能の良いのだと、1リットルで、35km、とか、テレビで宣伝している。最新の軽自動車でなくても、軽自動車の方が、燃費がいいのは、明らかである。彼は、以前、ネットで検索したら、軽自動車の燃費は、最新のでなくても、1リットルで、20kmとか、書かれてあるのを見ていた。
それで、軽自動車をうらやましく思っていた。
そこで、彼は、ボロボロになった、車を、車検のために、18万も出して、乗り続けるよりは、あらたに軽自動車、の中古車、を買い替えようと、思った。
ともかく、車検まで時間がない。
それで、彼は、急いで、平成24年に、旧型マーチを、買った、日産の、ディーラー系の中古車店に行った。
売った時の人は、居て、彼を覚えていた。
「車検が、あと、一ヶ月で、切れるので、日産に行って、車検にかかる費用を見積もってもらったら、18万円と言われました。買い替えたいと思います。中古車で、軽自動車で、良いの、ないですか?」
と、彼は聞いた。
「わかりました」
そう言って、店長は、ネットで検索してくれた。そして、
「店にも、軽自動車、置いてありますけれど、見てみますか?」
と、言ってくれた。
「はい。ぜひ、見たいです」
と、彼は言った。
軽自動車は、4台ほど、置いてあった。
それは。
ピノ(平成21年式。69.8万円)
デイズ(平成25年式。68.0万円)
オッティ(平成23年式。48.6万円)
モコ(平成21年式。64.8万円)
の、4台であった。
彼は、軽自動車でも、車幅が狭い、小さな車が、欲しかった。
ピノとオッティは、比較的、車幅が狭かった。
しかし、何か、しっくりしなかった。
車幅や、車体の大きさから見ると、軽自動車といっても、旧型マーチと、ほとんど、変わりない。
車は、一度、決めて買ったら、最低、4年は、使うことになる。だろう。
ディーラー系の中古車店の車は、値段は、高目だが、値段が高い、ということは、故障しにくい、ということでもある。
しかも、年式も、結構、新しい。
保証は、一年ついているが、一年以上、経ったら、もう保証なしである。
しかし、一年以上、経った後で、故障が、出てきても、修理の値段は、事故でも、起こさない限り、5万を超すことは、まずない。
中古車は、安いのだと、表示価格15万とかのもある。それに、諸費用10万を入れると、25万になる。修理したら、その箇所は、壊れず、そのうちに、別の部位が、故障してくることになる。それも、修理代に、5万を超すことは、まずない。
だから、いったん、中古車を買ったら、4年は、最低、買った車に乗ることになる。
だから、中古車、選びは、慎重にしなければ、と彼は思った。
それで、彼は、日産のディーラー系の中古車店を出た。
小田急線の左に沿って走る、国道467号線は、両側に、やたらと、中古車屋が多い。
中古車通り、と言われているくらいである。
ともかく、書きかけの小説を、早く、書き続けたい、ため、車選びに、時間をかけている暇は、なかった。
彼の気は焦った。
個人でやっている中古車店は、信用できない。
国道467号線を、少し北に行った所に、ガルバーが見えてきた。
ガルバーは、中古車買い取りの大手だが、中古車販売とも、看板に書いてあった。
それで、彼は、ガルバーに入った。
「いらっしゃいませ」
店員が出てきた。
「あのー。この車、売れないでしょうか?」
ガルバーは、買い取りも、やっているので、一応、今、彼の、乗っている、旧型マーチを査定してもらった。
旧型マーチは、外観は、傷があるが、まだまだ、実感として、走れるのである。
走行距離も、6万5千80kmと、少ない。
それに、買った、購入時から、二回、車検を通していて、車検では、大体、10万円くらいかかる、が、車検を通す時に、古くなった、部品は、交換している。
だから、実感として、まだ走れるような気がするのである。
それに、車体に、大きな傷はあるが、オーディオとか、バッテリーとか、あらゆる部品を、ばらして、その部品に、価値は無いのか、とも思った。
実際、車検の時は、こまごました、部品を交換するが、その部品は、必ずしも、新品ではなく、中古ということもあり、ともかく、規格にあったもの、を、修理の時、修理工場でも、探すから、車ごと、売れなくても、車をバラして、部品を、とっておく、ということは、しないのか、とも、思った。
実際、街を走っていても、旧型マーチは、まだ結構、見かける。
ああいう車が、車検を通す時に、部品交換が、必要になることも、あるだろう。
古い型の車の部品は、見つかりにくい。だから、部品にも、価値はあるんではないだろうかと、彼は、思っていた。
しかし、値段は、つかなかった。
中古車の価値は、性能とか、まだ走れる、とかいう点で決められるのではなく、車市場で人気のある車種、年式の新しさ、で決まる、ということは、彼も知っていた。
なので、廃車しかない、と、あきらめた。
「あの。中古車、探しているんですけど・・・」
彼は、中古車の購入に、気持ちを切り替えた。
「では、どうぞ。お入り下さい」
店員が言った。
言われて、彼は、店の中に入った。
ガルバーなら、日産のディーラー系の中古車店と違って、全ての、メーカーの中古車があるはずである。
「どういう、お車をお探しでしょうか?」
店員が聞いた。
「軽自動車を探しているんです。軽自動車の方が、燃費がいいですよね。僕は、軽自動車について、全く、知らないので。燃費が良いのが欲しいんです。どういうのが、いいでしょうか?あと、一ヶ月で、今、乗っている、マーチの、車検が切れますので」
と彼は、聞いた。
「ご予算的には、いくらくらいを考えておられるのでしょうか?」
店員が聞いた。
「そうですね。車体価格は、30万から、40万、くらいですね」
と彼は言った。
「わかりました。では、検索してみます」
そう言って、店員は、ネット検索し始めた。
しばしして。
「そうですね。ラバンで、40万円の車が、見つかりました。これは、どうでしょうか?」
そう言って、店員は、プリントした紙を、彼に渡した。
軽自動車だから、当然、排気量は、660ccである。
年式は、平成17年式。走行距離は、5万3千km。だった。
「ラバンとは、どういう車でしょうか?」
彼は、軽自動車に関する知識が、無いので、単純な質問をした。
「そうですね。大体、アルトと、構造は、同じですよ。アルト、を、女性向けに、デザインした、車で、女性に人気の車です。乗ってる人も女性が多いですね」
と、店員は、言った。
アルト、と言われても、彼は、アルトも、良く知らなかった。アルトの名前だけは、テレビのコマーシャルで、何回か、聞いたことがあるので、知っていたが。
「実際、見てみたいですね」
と、彼は言った。
車幅とか、全長とか、車高とか、車体の大きさ、とかは、写真だけでは、わからなかった。
「ちょっと、待っていて下さい」
と店員は言った。
店員は、店から見える、国道467号線に視線を向けた。
そして、しばし、待った。
店の、すぐ前には、信号機のある交差点があった。
国道467号線の、進行方向の信号機が赤になった。
たくさん、流れていた車が、赤信号で、止まった。
「あっ。お客さん。見て下さい。今、信号待ちで、停車している車の、三番目が、ラバンです」
そう言って、店員は、窓の外を、指さした。
彼は、言われて、その方を見た。
車体は、軽自動車にしては、まあ、普通な方だった。
日産のディーラー系中古車店で、見た、軽自動車より、は、明らかに、コンパクトに見えた。
車体の格好も悪くない。
(これなら、いいや)
と、彼は、一瞬で、思った。
「じゃあ、そのラバンにします」
と彼は言った。
「じゃあ、これに、署名して、サインして下さい」
店員は、そう言って、売買契約書を出した。
売買契約書といっても、車の写真に、彼の住所、年齢、性別、携帯番号、が、記載されてあって、諸経費の、大まかな内訳が、書いてある、簡単なものだった。
諸経費は、普通、10万円くらいなのに、なぜか、30万、と高かった。
「諸経費が高いですね。どうしてですか?」
彼は、疑問に思って聞いた。
「これは、特選車ですので。車検も2年ついてますし、半年のフルサポートが、ついていますので・・・。それに、我が社では、色々なサービスがついていますので・・・」
と店員は、言った。
諸経費が、30万と、高いのが、疑問だった。
しかし、彼は、車のことなど、はやく片づけて、小説を書きたいと、思っていたので、気が急いていた。
ディーラー系の中古車店とか、個人の中古車店なら、大体、諸経費は、10万円である。
しかし、ガルバーでは、そういう、やり方なのだろう、と、わからないままに、決めることにした。
車両本体価格40万で、諸経費30万円、なら、合計70万である。
そして、実際、合計、きっちり70万円だった。
個人とか、ディーラー系の中古車店なら、合計70万といえば、車両本体価格60万で、諸経費10万円である。
車両本体価格60万円、なら、しっかりした車だろう、と、彼は思った。
ただ、ガルバーは、他の中古車店とは、やり方が、違うのだろう、思った。
ともかく、信用することにした。
なんせ、ガルバーは、車買い取りの、大手なのだから。
しかし、彼は、印鑑は、持っていなかった。
「印鑑は、持ってきていません」
彼がそう言うと、
「では、母印でも構いません」
と、店員は言った。
彼は、名前の後ろに、二ヵ所、母印を押した。
「納車は、一月の下旬頃になると思います」
店員は、そう言って、いくつかの書類を彼に渡した。
「では、出来るだけ、早く、印鑑証明と住民票を持ってきて下さい」
店員が言った。
「では、明日、持ってきます」
と彼は言った。
もう、外は真っ暗だった。
彼は、書類を入れた、ガルバーの封筒を持って、アパートに帰った。
(はあ。やっと、これで、面倒な、車の買い替えが終わった)
と彼は、ほっとした。
そして、ニュースを見て寝た。

翌日になった。
手続きは、できるだけ早く、すませたいと思っていたので、彼は、午前中に、市役所に、住民票と、印鑑証明を、とりに行った。
そして、取った。
そして、銀行で、ガルバーの指定口座に、70万円、入金した。
そして、その領収書と、印鑑を持って、ガルバーに行った。
「こんにちはー」
と、彼は声を出して、店に入った。
店には、昨日の店員がいた。
「住民票、印鑑証明、それと、印鑑、それと、70万円、入金した、領収書を持ってきました」
そう言って、彼は、それらを差し出した。
「これは、これは。早く手続きして下さって、ありがとうごさいます」
と店員は、言った。
彼は、ガルバーを出た。
そして、図書館に行って、小説の続きを書き始めた。

一週間、経ち、二週間、経った。
しかし、ガルバーからは、何の連絡も来なかった。
二週間、して、ちょっと、納車の連絡が、遅いな、と彼は、疑問を持ち出した。
それで、ガルバーから、受けとった、書類の入った封筒を、見てみた。
普通、中古車の買い替え、なんて、簡単で、そんな、様々な、手続きなど、無いものである。
そして、あらためて読んでみた。
そして、驚いた。
封筒の中の書類は、5枚、あった。
それは。
売買契約書。
計算書。
使用済自動車の取引契約に関するご案内。
使用済自動車引取契約書。
ご契約に関する重要事項案内書。
の、5枚だった。
使用済自動車の取引契約に関するご案内、と、使用済自動車引取契約書、とは、要するに、あと、数日で車検切れとなる、今、乗っている、旧型マーチを、ガルバーで、廃車にする、という手続き、だった。
計算書とは、諸経費の内訳が、おおまかに書かれていた。
彼が、まず驚いたのは、A4サイズの、売買契約書である。
彼が、ガルバーの担当と、話した時は、売買契約書を担当の店員が、出して、二ヵ所に、
「はい。ここと、ここの二ヵ所に、サインして下さい。印鑑が無いなら、母印で結構です」
の一言だけ、だった。
売買契約書は、彼の、名前と、住所、生年月日が、書かれていて、車の写真が載っていて、単に、その車を、買う、という、契約だけだと思っていた。
売買契約書には、裏に何も書いてないと思っていた。
表だけだと思っていた。
しかし、裏面もあったのである。
購入する時、店員は、裏面もあるなどとは、一言も言わなかった。
実際、売買契約書の表面には、「裏面もあります」とか、「裏面もあわせて、内容を十分、お読みください」とかの、記載は、全く無い。
しかし、売買契約書をひっくり返してみると、「契約条項」、と書いてあって、第1条から、第22条まで、びっしりと、契約事項が、書かれてあった。
しかも、極めて、小さな字で、しかも、字の濃さが、極めて薄くて、極めて、読みにくい。
しかも、裏面には、赤字で、「表面もあわせて、内容を十分お読みください」、と書いてある。
これは、明らかに、おかしい。
売買契約書の表は、購入する車の、写真と、値段の簡単な、内訳が、書いてあるだけである。
こんな表面は、「内容を十分お読みください」などと、書かなくても、一目で、時間にすれば、2分もかからず、読めてしまう。
しかし、裏面の、「契約条項」、は、見落としてしまうかと思われるほどの、極めて小さな、字で、しかも、字の濃さが、極めて薄い。
読みにくいこと、限りない。
こんな、読みにくい、文章は、普通の人は、読みにくいから、読み始めたとしても、途中で、まず、投げたしてしまうだろう。
それで、彼は、急いで、コンビニに行って、コピー機で、売買契約書の裏面を、「文字の濃さ」、を、「自動」ではなく、「一番、濃い」、設定にして、コピーした。そうしたら、文字は、濃くなって、読みやすくなった。彼は、さらに、そのコピーを、「一番、濃い」、設定にして、コピーした。そうしたら、読める、普通の濃さの文字になった。
そうやって、二度、コピーしても、文字化けすることは、全くなかった。
さらに、文字も、極めて小さく、行間も、ほとんど無いくらい、で、読みにくいので、濃くコピーした、のを、A3サイズに、二倍に、拡大コピーした。
それで、やっと、読みやすい、文章に出来た。
彼は、急いで、それを持って、アパートに帰って、読んだ。
甲(彼)、と乙(ガルバー)の、契約内容が、びっしりと書かれてあった。
一言で、いって、「契約条項」の、内容は、全て、乙(ガルバー)に有利な内容だった。
まあ、契約とは、ほとんどが、そういうものだか。
そして、裏面には、しっかりと、「表面もあわせて、内容を十分お読みください」、と、赤字で書いてあった。
これは、明らかに、おかしい。
表面の、説明は、個条書きで、読む、というより、見れは、わかるだけである。
しかし、裏面の、「契約条項」、は、甲(彼)と、乙(ガルバー)の、さまざまな、事柄に関した約束で、その文章は、抽象的で、まるで、法律の条文のようであり、専門用語も、まじえていて、極めて理解しにくい、意味のわかりにくい、文章である。
実際、彼は、「契約条項」、を何度も、読んだが、理解できない,内容が、いくつもあった。
ここに、至って、彼は、ガルバーに不審を抱き出した。
本来なら、22項目もある、しかも、びっしりと書かれた、抽象的な、専門用語もまじえた、分かりにくい、裏面の、「契約条項」、の、方をこそ、しっかりと、読むよう、注意喚起すべきなのだから、表面に、赤字で、「裏面もあわせて、内容を十分お読みください」、と書くべきはずだ。しかし、ガルバーの売買契約書は、まるで、その逆である。しかも、店員は、裏面もあることを、知っているのに、そのことは、一言も言わなかったのである。
ここに、至って、彼は、ガルバーに不審を抱き出した。
さらに、「ご契約に関する重要事項案内書」も、読んでみた。
「重要」という言葉は、入っているが、何の説明も無く、サインや、印鑑を押すこともなかった。
なので、どうでもいいパンフレットのようなものだと、彼は思っていた。
8項目あったが、5番目に、キャンセルについて、という項目があった。
それによると、契約した、翌日までは、キャンセル出来るが、翌々日、以降になると、実費を支払うことで、キャンセル可能、と書いてあった。
これは、納得できる。
契約したら、自動車を整備したり、手続きを始めるから、途中で、キャンセルしたい、と思ったら、それらにかかる費用は、契約した人が払う、というのは、筋が通っている。
しかし、無償のキャンセルは、翌日まで、で、翌々日からは、車の整備や法的手続きのため、実費を支払わなければ、ならない、というのは、重要なことである。
こういう、重要なことを、パンフレットのように、添えて、何も言わず、渡す、というのは、不誠実である。
重要なことなのに、一言も説明しないのだから。
さらに。「ご契約に関する重要事項案内書」にも、裏面があった。
裏面には、「返品についてのご案内」と、書かれてあった。
それによると。
ガルバーで、車を買うと、納車した後でも、返品できる、サービスがある、というのだ。
その返品条件は、納車後、100日、以内。走行距離1万キロ以内、ということだった。
100日と言えば、3ヶ月と、10日で、100日で、1万キロ走れる人は、まず、いないだろう。
その他にも、合計9項目、返品の条件、が書いてあったが、要するに、ぶつけたりしていなく、購入時の、状態であれば、100日、以内なら、返品できる、というのだ。
これを読んだ時、もちろん、彼は、素晴らしいサービスがあるもんだ、とは、思わなかった。
そんな、バカな、という思いだった。
返品サービスといっても、購入時の全額が返品されるわけではない。
車両表示価格の、5%、支払う、義務がある、という条件だった。
諸経費も、返す、ということだった。
車を購入する総費用は、車体表示価格と、諸経費である。
ガルバーでは、(ガルバーに限らず)、中古車販売では、車の値段が安いように、見せかけるために、表示価格は、出来るだけ、低く、表示してある。
それで、諸経費が、大体、10万円、くらい、というのが、多い。
ガルバーの場合、特に、表示価格を低くしている。
彼の、契約したラバンは、車体表示価格40万円である。
そして、諸経費が、30万だった。
この諸経費が、高すぎる、と、彼は、最初、疑問に思った。
では、ガルバーの、返品サービスを利用すると、納車して、彼の車になって、自由に乗っても、100日以内なら、車体価格40万の5%だから、2万円、支払えば、68万円、返して貰える、ということになる。
素晴らしいサービスである。
しかし、これは、おかしい。
世の中に、うまい話など、あるはずが無い。
こんな、サービスをしたら、レンタカーや、カーリース業が、やっていけなくなる。
ガルバーで、中古車を買えば、2万円で、100日、車を借りられるのである。
そんな、バカな話は無い、と彼は、思った。
世の中に、うまい話など、あるはずが無い。
それで、彼は、ネットで、ガルバーの評判を、検索して、調べてみた。
すると、ガルバーは、「詐欺」とか、「悪質」とか、「ガルバーで、絶対、車を買っては、いけません」とか、無限とも、いえる、悪評が、出てきた。
ネットの情報は、いい加減なのも、あるが、こういう悪評は、実際に、購入して、体験した人が、書いているので、かなり、信頼できる面もある。
それで、彼は、急いで、ガルバーに行った。
店には、彼の担当者がいた。
「いらっしやいませ」
店員は、笑顔で、対応した。
彼は、店員と、向かい合わせに、テーブルに座った。
「整備も進んで、もうすぐ納車できますよ」
店員は、ニコニコ、笑って言った。
「いえ。今日は、そういう要件ではなくて、聞きたいことがあって、やって来ました」
と、彼は言った。
「何でしょうか?」
店員が聞いた。
「返品サービスのことです」
彼は言った。
「納車した後でも、100日、以内なら、返品できるんですか?」
彼は聞いた。
すると、途端に、営業マンの顔が曇った。
「返品サービスをする人は、ほとんど、いませんよ」
営業マンは、不愛想に言った。
「どうしてですか?」
彼は聞いた。
「返品サービスは、仕事で海外出張になったり、病気や怪我で、病院に入院することになったり、した人だけにしか認めていません。買ったけれど、やっぱり気が変わった、という理由での、返品は、受けつけていません」
と、営業マンは言った。
ここに至って、彼は、完全に、ガルバーに、だまされた、と確信した。
返品条件の、9項目には、そんなことは、書かれていない。
売買契約書の、裏面の、「契約条項」にも、そんなことは、書かれていない。
彼はアパートに帰った。
だまされた、と、彼は思った。
それで、その日は寝た。

翌日になった。
もっと、最初にガルバーの評判をネットで、検索しておけば良かった、と後悔した。
しかし、彼は、こうも、考えた。
ネットで、ガルバーの悪評は、多すぎる。
しかし、そういう人達は、ガルバーで、中古車を買って、後悔している人達だけだ。
ガルバーで、中古車を買って、問題がなかった人だって、いるはずだ。
しかし、問題がなかった人は、多くの場合、ネットに、書き込みなどしない、ものだ。
好事門を出でず、悪事千里を走る、である。
確かに、営業マンは、どんな分野でも、客との契約をとった、多さが、営業マンの能力、成績、と評価される。
だから、仕事熱心な営業マンは、丁寧な説明など、わざと、しないで、良いことばかり言って、契約を早くとろうとする。
そして、契約を多くとった社員が、優秀と会社で評価される。
それが、営業マンの仕事というものだ。
それに、ネットで、悪評が多いとはいえ、たかが、中古車販売、である。
金額も、70万、払っている。
そうそう、簡単には、故障など、しない、だろうとも、彼は考えた。
それに、ラバンに決めてから、彼は、街を運転する時、軽自動車に関心が出て、運転する時は、つい軽自動車を見るようになっていた。
ラバンは、軽自動車でも、いい車だと、彼は思っていた。
もう、乗りかかった船、というか車で、引き返すことが出来ないのだから、仕方がないとも思った。
それで、その日は寝た。
しかし、何か、しっくりしない、不快な気持があった。
一度、決めて買ったら、最低、4年は、使うことになる。
しかも、70万円も、払っているのである。
故障しても、修理代は、高くても、10万など、いかない。
10万かかる修理など、まずない。
故障した年式の古い中古車など、中古車買い取り店へ持って行っても、値段がつかないか、極めて、安い値段で、買い取られるのが、オチである。
だから、一度、買った中古車は、故障しても、修理して、乗り続けるしか、ないのである。
そして、修理すると、修理した個所は、大丈夫になるから、乗り続けられることになる。
そうして、また、何か月か、一年近く、乗っていると、別の部位が故障してくる。
そして、その時も、やはり、修理である。
だから、中古車を一度、買ったら、最低、4~5年は、乗り続けることになる。
だから、中古車、選びは、慎重にするべきなのだ。
不快な思いで、運転していると、精神的にも良くない。
事故も、起こりかねない、かもしれない。
そう考えると、やっぱり、彼は、契約した中古車のことが気になりだした。
それで、ガルバーの、お客様相談センターに電話した。
彼は、まず、一般論を聞いてみようと思ったので、発信者番号非通知でかけた。
すると、女の対応者が出た。
「はい。ガルバーです」
「ガルバーの返品サービスについて、聞きたいのですが?」
彼は言った。
「はい。どんなことでしょうか?」
「ガルバーで、車を買うと、納車後でも、返品サービスは、ありますね?」
「ええ」
「その返品の条件とは、納車後、100日以内で、走行距離が1万キロ以内で、返品条件は、9項目ありますが、それを満たしていれば、返品できる、と、書いてありますが、本当ですか?」
「はい。本当です」
担当は、書面通りのことを答えた。
「私は、今、ガルバーで、中古車を買う契約を、すでにしました。もうすぐ納車です。しかし、気が変わって、返品したいと、思うようになったんです。しかし、そのことを、店の人に、言ったら、ダメだと、言われたんです。店員は、こう言ったんです。『返品サービスは、仕事で海外出張になったり、病気や怪我で、病院に入院することになったり、と、よほどの事情のある人だけにしか認めていません。買ったけれど、やっぱり気が変わった、という理由での、返品は、受けつけていません』と。しかし、こんなことは、9項目ある、返品サービスの条件に書いてありませんが、おかしいんじゃないですか?」
「お客様のお名前と電話番号を教えて頂けませんか?それと、お客様が、買った、ガルバーの店を教えて頂けませんか?」
「はい。私の名前は、宮田誠一です。電話番号は、090-1234-5678です。中古車を買ったガルバーの店は、××です」
「わかりました。店長に連絡して、事情を聞いてみます。連絡が取れ次第、折り返し、連絡致します」
そう言って、ガルバーの本部の対応者は、電話を切った。
彼は、ネットで、中古車を買った、ガルバーの店を検索してみた。
彼は、店長には、あったことがなかった。
店舗のホームページも、あった。
担当の顔写真も、店長の顔写真も載っていて、月並みな、宣伝が書いてあった。
営業マンは、若く、笑顔だが、店長は、ちょっと、こわそうな顔つきだった。
しばしして、携帯が、トルルルルッとなった。
急いで、彼は、携帯に出た。
「宮田誠一さまで、いらっしゃいますか?」
「はい。そうです。先ほど、返品サービスのことで、お聞きしました」
「店は、今日は休みだそうです。店長の携帯に電話したところ、返品サービスの件については、明日、店長が説明する、とのことです。それでよろしいでしょうか?」
「はい」
「午後2時で、よろしいでしょうか?」
「はい」
彼は、ついでに、一言、加えた。
「あなた。ネットでのガルバーの評判、調べたこと、ありますか?」
「いえ。ありません」
「あなた。自分の会社の、評判も、調べようともしなんですか?「ガルバー」、「評判」、で検索してご覧なさい。悪評がバーと出てきますよ」
そう言って、彼は、電話を切った。
明日、店長は、どう出るか。
そのことを思いながら、彼は、その晩、寝た。

翌日になった。
その日、ちょうど、納車の日だった。
つまり、店に車が届いて、その日から、契約したラバンが、彼の所有物になる日だった。
午後1時30分に、彼はアパートを出た。
ガルバーは、近く、5分で着いた。
車検切れ間近の彼の、旧型マーチを、ガルバーの店に入れようとすると、店長が出てきた。
ひきつった笑顔だった。
「やあ。宮田さんですね。私は、店長の、××です」
と、彼は、言った。
店に入るや、直ぐに、彼は、店長と、テーブルに、向かい合わせに、座った。
若い、営業マンは、いなかった。
「話は、本部から聞きました。解約したいということですね」
「はい。そうです」
「それは、どういう理由で、でしょうか?」
「あなた。ネットで、ガルバーの評判を、検索したこと、ありますか?」
「え、ええ。まあ」
「ネットで悪評が多過ぎます。それで、ガルバーが信用できなくなってしまったんです」
「そうですか」
「渡された、返品についてのご案内、によると、納車後、100日以内で、走行距離が1万キロ以内であれば、返品できる、と、渡されたパンフレットには、書いてあります。返品条件が、九つ、ありますが、要するに、買った時の状態であれば、返品できる、となっています。全額、返金ではなく、車両本体価格の5%、つまり、私の場合は、車両本体価格は、40万円ですから、2万、支払えば、返品できる、ということになります。しかし、ここの店営業の人は、『返品サービスは、仕事で海外出張になったり、病気や怪我で、病院に入院することになったり、した人だけにしか認めていません。買ったけれど、やっぱり気が変わった、という理由での、返品は、受けつけていません』、と、言いました。9つの、返品条件には、そんな事は、どこにも書いてありません。それで、本部、つまり、ガルバーの、お客様相談センターに、聞いてみたところ、そんな条件があるとは、言いませんでした。つまり、渡された書類に書いてあることと、営業マンの言うことと、ガルバーの本部が、言うことが、全く、食い違っているじゃ、ありませんか。それで、信用できなくなったんです」
店員は、黙って聞いていた。
彼は、A4サイズの、売買契約書を取り出して、テーブルに置いた。
そして、売買契約書の裏面を見せた。
そして、裏面の、「契約条項」を、濃くコピーした、A4サイズのコピー紙と、さらに、A4サイズを、2倍に拡大した、A3サイズの、コピー紙を、置いた。
彼は、店で渡された、「契約条項」と、それを、濃くコピーした、同じ、A4サイズの、コピー紙を並べた。
ガルバーで、渡された、「契約条項」は、極めて、小さな字で、しかも、極めて、薄い。
「これは、コンビニのコピー機で、濃度を、自動、ではなく、手動で、一番濃い、設定にして、コピーしたものです。原本と、コピーした物と、どっちが、読みやすいと思いますか?」
彼は聞いた。
「それは、コピーした方ですね」
と、店長は、ひきつった笑い顔で言った。
「そうですよ。私が言うと、私の主観になってしまいます。しかし、これを、第三者、100人に、見せて、どっちの方が、読みやすいか、と、聞いたら、間違いなく、100人中、100人、が、コピーした方が、読みやすいと、言うと思いますよ。そうは思いませんか?」
「そうですね」
と、店長は、ひきつった笑い顔で言った。
「この、契約条項は、ガルバーの会社の方針で、全国450店舗で、こうやっているのでしょう。このコピーのように、読みやすく出来るのに、ガルバーでは、わざと、文字を薄くして、読みにくくしているとしか、思えません。そして、A4サイズの大きさに、22条もの、文章が、びっしり書かれています。その内容は、甲(彼)と、乙(ガルバー)の、さまざまな、事柄に関した約束で、その文章は、抽象的で、まるで、法律の条文のようであり、専門用語も、まじえていて、極めて理解しにくい、意味のわかりにくい、文章です。そして、ともかく文章が多い。A4サイズの大きさでは、字が小さくて、行間も、ほとんど、ありません。これでは、読みにくいので、僕は、A4を、2倍のA3に拡大コピーしました」
そう言って、彼は、A3サイズの「契約条項」を差し出した。
「これなら、読みやすいですよね。読めますよね」
「え、ええ」
「僕は、この、契約条項、を、何度も、繰り返し、読みました。内容は、甲(彼)と、乙(ガルバー)の、さまざまな、事柄に関した約束です。そして、契約の内容は、全て、乙(ガルバー)、に、有利な条件になっています。しかも、文章は、抽象的で、専門用語も、使っていて、意味が、極めて、わかりにくいです。僕は、何度も、読みましたが、いまだに、意味がわからない、ところが、いくつもあります。しかも、同じようなことが、二度も書かれていたりされています。これも、おかしい。丁寧に読んでも、理解できにくいです」
店長は、黙って聞いていた。
「これは、僕の推測ですが、ガルバーは、わざと、字を薄くして、読みにくい契約条項にしているのでは、ないでしょうか。そして、同じような、内容の文章を、二回も繰り返して、書いている。これは、わざと、字数を増やして、わざと、A4の用紙に、びっしり、書くことで、字を、わざと、小さくして、読みにくくしているのではないでしょうか。多くの人は、原本だけ読むだけでしょう。手間をかけて、コピーして、読みやすく、することなど、しないでしょう。きわめて薄い字でも、コピー機で、手動で、濃い設定にして、コピーすれば、濃い、普通の濃さの字に出来る、ということを、知らない人もいるでしょう。これでは、22条の、契約条項、のうち、第3条、あたりで、読みにくい、と、投げ出してしまって、読まない人の方が、圧倒的に多いと思います」
と、彼は、強い口調で言った。
そして、彼は、契約条項の原本をひっくり返した。
契約条項の裏が、表面で、売買契約書、と書いてある。
そこには、車の写真と、車の年式、走行距離などの、車のことと、諸経費の内訳や、サービスなどが、簡潔に個条書きで、書かれていた。
彼は、売買契約書、を指差した。
「この表面の、売買契約書、と書かれた、表面には、どこにも、裏面もあります、とか、裏面も、よく読んで下さい、とかの注意書きが、一言も書かれていません。裏面もあって、裏面には、重要な、契約条項、が、びっしり、書かれているのですから、裏面も、よく読んで下さい、と、書く方が、常識的では、ないでしょうか?しかも、担当者は、購入時に、裏面もあります、とか、裏面も、読んでおいて下さい、とも、一言もいいませんでしたよ。ただ単に、表面の、二ヵ所に、『サインして下さい、印鑑がなければ、母印で結構です』、の一言しか、言いませんでしたよ。営業マンは、当然、裏面があって、重要な、契約条項が、びっしり、書かれていることは、知っています。なら、裏面も、ありますから、よく読んでおいて下さい、と口頭で、一言、いっても、いいじゃないですか。というより、言うべきなんじゃないですか。あるいは、紙をひっくり返して見せるだけでも、いいじゃないですか。裏面の、契約条項の、第22条では、クーリングオフできない、という極めて重要なことも、書いてあります。それで、『サインして下さい』のたった一言ですよ。僕は、売買契約書には、裏面があるとは、全く思っていませんでした。多くの人も、表面だけで、裏面は無い、と、思ってしまう人や、裏面に気づかない人は多いと思いますよ。しかも、裏面の、契約条項は、すべて、ガルバーに有利なことです。これは、都合の悪いことは、説明しないで、騙して、契約を急がせている、詐欺的なやり方と、言っても、何ら、言い過ぎてはないと、思います。このことに関して、どう思いますか?」
と、彼は、強い口調で言った。
店長は、答えられず、ひきつった顔で、ニヤニヤしている。
彼は、続けて言った。
「しかも、裏面の、契約条項の上には、赤字で、囲って、表面もあわせて、内容を十分お読みください、と書いてあります」
そう言って、彼は、表面を裏返して、裏面にして、その部分を指差した。
「これは、ヘタな漫才より、おかしい。表面の、売買契約書は、車の写真と、購入者の氏名、住所、そして、走行距離などの、車のおおまかな説明と、そして、売買に関することが、個条書きの、短い文で、書いてあります。こんなのは、読む必要も無く、一目、見れば、一分以内で確認できます。内容を十分、読むべきなのは、裏面の、契約条項です。内容も重要なことが、書かれていて、しかも、甲(買い手)、乙(ガルバー)、が、どうこう、という契約内容が、22条も、びっしりと、紙面、いっぱいに書かれてあります。しかも、文章は、六法全書の文章のように、抽象的で、わかりにくい。僕は、これを、濃くコピーして、それを2倍に拡大して、そして、何度も、読みました。しかし、何度、読んでも、内容が、わからない個所が、いくつもあります。これは、常識的に考えても、全く、おかしい。普通なら、表面に、裏面もあわせて、内容を十分お読みください、と書くのが、普通の感覚ではないでしょうか。この売買契約書、自体が、おかしい。そして、契約の仕方もおかしい。これは、私の主観ですから、私が、おかしい、と思っているだけです。では、客観的に見て、おかしいか、まとも、か、警察署に行って、警察官に聞いて、警察官の判断を求めてみましょうか?」
と、彼は、一気に捲し立てた。
店長は、グウの根も出なかった。
「わかりました。では、納車後、返品サービスを行わせて、いただきます。それで、よろしいでしょうか?」
「ええ。そう、お願いします」
店長は、納車の合意書の用紙をテーブルの上に、差し出した。
彼は、それに、サインして、印を押した。
これで、70万のラバンは、彼の物になった。
「では、一応、ラバンが、届いていますので。ご覧になりますか?」
「ええ」
彼は店長と、ともに、立ち上がった。
そして、店を出た。
店の前には、グレーの、写真通りの、ラバンが、置いてあった。
店長は、ドアを開けて、車の内部を見せた。
フットブレーキまで、きれいに拭いて、ピカピカだった。
しかし、そのことは、ネットに書いてあって、知っていたので、驚かなかった。
ボンネットも、開けた。
きれいに、拭かれていて、しかも、見た目でも、エンジンだの、バッテリーだの、見える部品は、新しそうに見えた。
彼は、一瞬、このまま、買ってしまいたい、欲求が、起こった。
しかし、彼は、その気持ちを自制した。
そして、再び、店に入った。
店長も、それを、察してか、また、販売を促すような、態度になった。
そして説明しだした。
「保証期間は、半年です。フルサポートですので、六ヶ月までに、故障が起こったら、上限、20万円までは、無料で、修理いたします」
と、店長は、言った。
彼は、また、驚いた。
フルサポート、というのなら、上限など無いものだと思っていた。
「上限20万、という制約があるのですか?」
「ええ」
「それも、購入する時、聞きませんでした。し、書類のどこにも、書いてないじゃないですか」
「でも、エンジンの故障とか、高い修理でも、20万を越す修理というのは、まず、ありませんので・・・」
これで、彼のガルバーに対する、信頼は、完全に無くなった。
ディーラー系の中古車店で、保証といったら、普通、上限などなく、買い手の責任でなく、車が故障したのなら、修理費は、無制限である。
ともかく、ガルバーは、都合の悪いことは、説明しないで、契約が、成立した後、買い手が、質問すると、情報を小出しにしてくる。
「では、納車後、返品サービスをお願いします」
と、彼は言った。
「わかりました」
店長は、解約合意書をテーブルの上に置いた。
彼は、それに署名し、印鑑を押した。
「では、車両本体価格40万円の5%の手数料、2万円を引いた、68万円を、今週中に、振り込みさせていただきます」
と、店長が言った。
彼は、解約合意書を含めた、書類を、まとめて、袋に入れて、店を出た。
ガルバーは、中古車買い取り店として、始まって、今は、全国、450店舗もある。
テレビでCMもしている。
そして、買い取りだけでなく、中古車販売もするようになった。
しかし、大手だから、といって、信用できない、ということは、以前、協力出版という形で小説集を、出版した、文芸社の、悪質さ、から、知っていた。
大手新聞のほとんどに、デカデカと、広告を載せているから、信用できるように思いやすい。
しかし、莫大な、広告料を新聞社に払ってくれる、ありがたい広告主には、新聞は、その広告主の、悪口など、書かないものなのだ。
というか、書けないものだ。
つまり、新聞も、インチキである。
ガルバーの場合、コンビニや、マクドナルドなと、と同じ、フランチャイズ形式の会社であり、全国に450店舗あるが、本部(フランチャイザー)は、何も知らなく、全国の店舗では、大都市に近い所では、直営店と、地方では、ガルバーの、名前を借りた、加盟店(フランチャイジー)がある。
しかし、本部では、何も知らなく、加盟店が(直営店もだが)、勝手なことをしている、のである。
そして、売買の、売り上げの成績がいい所を本部は、喜んでいる。
しかし、本部は、個々の店舗の実態は知らない。
なので、販売方法が、おかしいと思ったら、本部に連絡すれば、本部は、客の苦情から、個々の店舗の事情を知る。
そして、本部は、その店舗に注意する。
本部からの、注意を、個々の店舗は、おそれているので、本部に、連絡すれば、まず、問題は、解決する、という、のが、実態なのだ。
要は、直営店であろうが、加盟店(フランチャイジー)であろうが、店長の性格が誠実であるか、どうか、にかかっているのだ。
彼は、「はあ。疲れた」と、呟いて、アパートに帰った。
そして寝た。
翌日になった。
二月に入って、車検切れ、まで、あと、10日となった。
また、ゼロから、中古車を探さなくてはならない。
面倒くさいな、と、彼は思った。
しかし、仕方がない。
しかし、ラバンを見たことで、彼は、ラバンを気に入ってしまった。
ラバンは、スズキ自動車なので、スズキのディーラー系の中古車店を彼は、ネットで、探した。
わりと、近くに、スズキの、ディーラー系の中古車店があった。
それで、行こうと出かけた。
しかし、国道467号線は、中古車通り、と、言われるくらい、道路の左右に、無数の中古車店があった。
中古車は、よく探せば、安くて、長持ちのする、いい車を見つけられることが出来る。
しかし、彼は、小説を書く毎日だったので、時間が惜しく、車探しに、時間をかけたくなかった。
国道467号線は、いくつもの、中古車屋が、たくさんすぎるほど、並んでいた。
なので、必然、運転しながら、左右の、中古車店を見ながら、走行した。
左右を、見ながら、走行するので、前を、見たら、赤信号で、前の車が止まっていた。
彼は、「あっ」と、言って、思わず、急ブレーキをかけた。
その日は、雨で、路面が濡れていた。
その上、彼の、車検切れまで、あと、10日の、日産マーチは、タイヤが、すり減って、ブレーキをかけても、スリップした。
あわや、というところで、彼の車は、前の車のギリギリ手前で、止まってくれた。
ほっと、安心した。
もう少しで、前の車に、ぶつかる、ところだった。
それで、彼は、その後は、注意しながら、走行した。
実は、彼は、以前から、小さくて、明らかに、軽自動車と思える、車が置いてある、ある個人の中古車店を、うらやましそうに、見て知っていた。
表示価格19万とある。
しかし、個人経営の中古車屋は、信用できない、と思いこんでいたので、個人経営の中古車屋で、買う気は、毛頭なかった。
とりあえず、気に入った、スズキのラバンが欲しいので、スズキのディーラーを探して、買うしかない、と思っていた。
ディーラー系の中古車店は、アフターサービスがいいからである。
そのぶん、値段が、高目だが、表示価格10万とかの、激安車は、諸経費が10万円、くらい、かかって、合計20万円くらいになり、1年、以内に、色々と、故障個所が出てきて、結局は、修理に次ぐ、修理となってまう。
なので、多少、高目でも、信頼できる、ディーラー系の中古車店の中古車を買った方が、いいと信じ込んでいた。
表示価格19万の軽自動車が、置いてある、中古車店は、売り場面積も小さく、店も小さい上、古く、汚く、とても信頼できそうもない、と思っていた。
しかし、彼は、買う気はないが、一応、聞くだけ、聞いてみようと思った。
なので、彼は、その中古車販売店に、入った。
表示価格19万の軽自動車を、見てみると、それは、驚いたことに、年式の古い、ラバンだった。
普通、中古車店に、車を入れると、お客さん、が来たことを知って、店の方から、人が出てくる、ものだが、誰も出てこない。
人が、いないのか、と思って、戸を開いた。
「こんにちはー」
と言って。
店の中も、汚く、車を修理する場のように、タイヤや、自動車の部品が、散らかっていた。
しかし、店の中には、小さなデスクがあり、不愛想な親爺が一人、座っていた。
「こんにちはー」
と、彼は、再度、挨拶した。
「はい」
親爺は、不愛想に、一言、返事した。
親爺は、彼を、訝しそうに、眺めた。
その店は、中古車の販売と、一緒に、買い取りもやっていた。
それは、店の看板に、「自動車、買い取り。販売」と、あったからだ。
彼は、他店で、査定0円、と評価された、車検切れ直前の、マーチを、売れるかどうか、試しに聞いてみた。
外観は、傷があるが、まだまだ、実感として、走れるのである。
走行距離も、6万5千080kmと、少ない。
それに、買った、購入時から、二回、車検を通していて、車検では、大体、10万円くらいかかる、が、車検を通す時に、古くなった、部品は、交換している。
だから、実感として、まだ走れるような気がするのである。
それに、車体に、大きな傷はあるが、オーディオとか、バッテリーとか、あらゆる部品を、ばらして、その部品に、価値は無いのか、とも思った。
実際、車検の時は、こまごました、部品を交換するが、その部品は、必ずしも、新品ではなく、中古ということもあり、ともかく、規格にあったもの、を、修理の時、修理工でも、探すから、車ごと、売れなくても、車をバラして、部品を、とっておく、ということは、しないのか、とも、思った。
実際、街を走っていても、旧型マーチは、まだ結構、見かける。
ああいう車は、車検を通す時に、部品交換が、必要になることも、あるだろう。
古い型の車の部品は、見つかりにくい、から、部品にも、価値はあるんではないだろうかと、彼は、思っていた。
それで、彼は、店の親爺に、
「あのマーチ、売りたいんですけど・・・」
と、聞いてみた。だが、
「ああ。うちは旧型マーチは、買わないよ」
の一言で、かたずけられてしまった。
しかし、それは、なかば、予想していたことであった。
以前、車買い取り店で、旧型マーチを、売ろうとしたら、即、断られてしまった、経験があるからだ。
彼は、車や、中古車業界、の事情には、全く、知識が無い。
少し、調べたところ、ただ、走れるから、という理由では、中古車買い取り店では、買わない。市場で、人気のある車、要するに、市場で売れている車、ということが、車の価値を決めている、ということなのだ。
彼の感覚からすると、新型マーチは、車幅が広くなってしまって、どう見ても、不恰好になってしまった、としか、見えなかった。
よく、あんな、不恰好な車に乗る気になるな、と新型マーチを買う人の気持ちが、彼には、全く、分からなかった。
新型マーチも、出で、かなりになるので、新型マーチの、中古車も、あって、そこそこの値段で売られているのだが、彼は、新型マーチの、あの外見の格好悪さ、から、あえて、旧型マーチを買ったのである。
なぜ、日産自動車は、バランスのとれた旧型マーチを、太らせて、不恰好に、モデルチェンジしてしまったのか、が、どう考えても、わからなかった。
ともかく、店の親爺に、買い取れない、と、言われ、中古車買い取り屋で、以前、査定してもらっても、値段がつかず、0円、だったので、もう、廃車とするしか、他に方法は、ない。
彼にしても、もともと、そう言われることは、覚悟してた。
試しに、聞いてみただけである。
彼は、気持ちを切り替えて、店頭に、置いてある、表示価格19万円の、ラバンについて、一応、聞いてみた。
「あの、店頭に置いてある、表示価格19万円の、ラバンについて、教えて下さい」
と彼は、聞いた。
「あれは、平成14年式。走行距離は、6万8千km。車検は2年つき」
と、親爺は言った。
「諸経費は、いくら、かかるんですか?」
彼は聞いた。
「諸経費は、10万円だよ」
と言って、親爺は、明細をコピーして、渡してくれた。
その内訳には、こう書かれてあった。
車両本体価格・・190000円
消費税・・15200円
登録料・・32400円
持ち込み料・・0円
車庫証明・・0円
行政書士料・・3780円
ナンバー代・・4140円
自動車税・・0円
自動車重量税・・8800円
自賠責保険・・27240円
リサイクル料金・・8980円
支払い総額・・290540円
「アフターサービスの保証は、つかないんですか?」
と、彼は聞いた。親爺は、すぐに、
「アフターサービスの保証はないよ。でも、最近の車は、しっかり出来ているから、まず、故障しないよ」
と言った。
彼は、アフターサービスの保証が、つかないことが、気にかかった。
しかし、中古車の保証は、半年か、長くても、一年くらいである。
保障をつければ、安心して乗れるが、考えてみれば、彼は、年間の走行距離が、5千km、と少ない。
保証を、つけると、聞くと、安心できるような、感覚になるが、半年の、保証期間に、故障が、起こらなければ、保証を、つけても、意味がない。
保証期間の半年を、過ぎてしまえば、中古車販売店は、あとは、もう天下御免で、ある。
半年の、保障期間を過ぎて、故障が、起こったら、後は、自腹で修理しなくてはならない。その場合は、半年の保証付き、で買っても、保証なし、で買っても、同じなのだ。
そして、彼は、年間の走行距離が、5千km、と少ない。
半年で、故障が、出でくる可能性は、少ない。
ならば、保証は、つけても、つけなくても、同じようなもの、とも言える。
むしろ、かえって、保障期間が、たった半年では、半年程度は、ギリギリ、もつような、適当な中古の、部品で、済ましている、ということだって、考えられる。
半年の、保証付き、というと、感覚的に、安心、という感覚になるが、よく考えてみれば、何とか、半年は、故障しない、安い部品で、出来ている、とも、考えられる。
しかし、車検2年つき、は、魅力だった。
親爺の、木訥な言い方、は、何か、誠実そうに見えた。
何より、押し売りしようと、しない、し、契約を、急かそうともしない点が信用できそうに見えた。
それで彼は、思わず、
「あなたは、何だか、誠実そうな感じがします」
と、言った。
その言葉に嬉しくなったのだろう。
親爺は、話し出した。
「私はね、ずっと。車の営業畑で、やってきたんだ。営業になると、どうしても、売り上げが、営業の人間の成績になってしまうんだ。だから、営業では、急かしたり、悪い点は言わないで、良いこと、ばかり言って、早く契約を、とりたがる傾向になってしまうんだ。しかし、そうすると、後で、お客さんと、トラブルに、なることも起こることも、あるからね。私は、良い点も、悪い点も、事実を述べる方針にしているんだ」
と、親爺は言った。
「そうですか。わかりました。では、ちょっと、考えてみます」
と、彼は言った。
「そう。じゃあ、買う気になったら、住民票と、印鑑証明を持ってきて下さい」
親爺が言った。
彼は、店を出た。

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中古車物語 (小説)(下)

2020-07-16 03:26:04 | 小説
翌日になった。
彼は、昨日の、表示価格19万のラバンの置いてある、中古車店に、行ってみた。
買ってみようかという気持ちが少し、起こっていた。
「こんにちはー」
そう言って、彼は、店の戸を、ガラリと開けた。
昨日の、親爺は、いなかった。
代わりに、机に、きれいな女性が座っていた。
「いらっしゃいませー」
女は、満面の笑顔で、挨拶した。
「お車を、お探しでしょうか?」
女が聞いた。
「あの。昨日、来たんです。表に出ている、表示価格19万の、ラバンを買おうか、どうしようかと、迷っていて・・・。もう少し、話を聞きたいと思って・・・。昨日の、おやじさんは、いないんですか?あなたは、店員さんですか?」
彼は聞いた。
「あっ。そうでしたか。父は、今日、腰痛で、整形外科の治療の日でいません」
と、女が言った。
「では、あなたは、昨日の、おやじさんの、娘さんなんですね?」
彼が聞いた。
「え、ええ。そうです」
女が答えた。
「お父さんは、腰痛なんですか?」
彼が聞いた。
「え、ええ。父は、気丈夫なので、弱音は、決して、口にしない性格なんです。でも、父も歳ですし、坐骨神経痛で椎間板ヘルニアの手術も、したんです。幸い、坐骨神経痛の痛みは、無くなりましたが、今度は腰痛が出てきて、整形外科に通院しているんです」
と、女が言った。
「そうだったんですか。それは、大変ですね」
と、彼は、慰めた。
「あ、あの。お客様」
彼女は、おそるおそるの口調で口を開いた。
「はい。何でしょうか?」
「差し出がましいことを言って、恐縮ですが・・・。お車。どうか、買っていただけないでしょうか。お願いです」
そう言って、彼女は、深く頭を下げた。
なぜ、彼女が、そう懇願するのか、彼には、分からなかった。
「そうですね・・・。僕も、迷っているんです。ディーラー系の中古車店で、買えば、多少、高くても、一年間の、保証のアフターサービスがつきますが・・・。ここは、保証がつかないですから・・・」
と、彼は言った。
「あ、あの。お客様」
「はい。何ですか?」
「あ、あの・・・。一年間の・・・アフターサービスは・・・つけさせて頂きます」
彼女は、そうは言ったものの、なにか自信なさそうで、彼女の顔は、不安そうだった。
本当に、一年間の、アフターサービスが、つくのか、彼も不安になった。
しかし、彼女も、誠実そうで、ウソをつく人間には見えなかった。
なので、彼は決断した。
「そうですか。では、決めました。買います」
彼は、彼女を信じて、そう言った。
「ありがとうございます」
彼女は、嬉しそうな顔で、ペコリと頭を下げた。
彼女は、彼に名刺を渡した。
「松本中古車店。松本美奈子」、と書いてあり、固定電話と、携帯電話の、電話番号が、書かれてあった。
「では、住民票と、印鑑証明を持ってきます。それと、これから、すぐに指定口座に29万円、振り込みます」
そう言って、彼は、店を出た。
そして、彼は、そのまま、銀行に行って、店の指定口座に、29万円、振り込んだ。
そして、市役所に行って、住民票と、印鑑証明をとって、店に行った。
「住民票と、印鑑証明をもってきました。それと、29万円も、振り込みました」
そう言って、彼は、住民票と、印鑑証明と、29万円の、振り込み領収書を渡した。
「ありがとうございます。では、さっそく、手続きさせていただきます」
彼女は、嬉しそうに言った。
マーチの車検切れまで、あと、10日である。
大丈夫かな、間に合うかな、と、彼は心配になった。
しかし、もう決めてしまったのだから、仕方がない。
彼は、気持ちを切り替えて、中断していた、小説創作に取り組んだ。

一週間後、店から、彼の携帯に電話がかかってきた。
「お客様。お車の整備と、手続きが、完了して、車が届きました」
彼女の声だった。
「わかりました。では、すぐに、とりに行きます」
車検切れ前に、納車できて、彼はほっとした。
彼は、急いで、店に行った。
ラバンには、軽自動車の、黄色のナンバープレートがつけられてあった。
女が笑顔で店から出てきた。
「いやー。車検切れまで、あと、三日ですので、間に合うか心配だったんですよ。早く手続きしてくれて、どうもありがとうございます」
「いえ」
と、彼女は、照れくさそうな顔をした。
「では、このマーチは、廃車にして下さい」
「はい。わかりました」
「これが、車検証と、自賠責保険です」
と、彼女は言って、車検証と、自賠責保険を彼に渡した。
「色々と、ありがとうございました」
そう言って、彼は、ラバンに乗り込んだ。
彼は、エンジンを駆け、ギアをD(ドライブ)に入れた。
そして、左のウィンカーを点滅させた。
彼女は、急いで、店の前の、歩道に出た。
そして、右を見て、右からの、車が無いことを確かめると、「どうぞ」、と手で合図した。
彼は、店から出て、左折して、大通りの国道467号線に出た。
「お気をつけて」
彼女は、嬉しそうに言って、いつまでも、深く頭を下げていた。
彼は、軽自動車を買うのは、初めてだった。
しかし、彼は、ずっと、以前に、レンタカーで、軽自動車を借りて、運転したことがあったので、軽自動車も、1200ccの自動車と、たいして変わりない、ことは、知っていた。
もちろん、やはり、軽自動車になると、エンジンの排気量が、660ccになるから、加速は、少し遅めになる。
しかし、軽自動車は、小回りが効くので、ハンドル操作が楽になった。
彼は、車の運転は、せっかちな所があり、旧型マーチでは、どうしても、スピードを出してしまいやすかった。
しかし、軽自動車は、あまり、スピードが出ないので、安全運転のためにも、良かった。
車幅も、狭いので、車庫入れ、や、駐車も、隣りの車に、気を使わないで、出来るようになった。
そもそも、彼は、自動車は、買い物や、市の体育館など、ほとんど市内での、日用の雑用でしか、乗らない。高速道路を走ることも、ほとんどない。
年間の、走行距離は、5千km、くらいしかなかった。
なので、彼は、あらゆる点で、軽自動車にして良かった、と、感じた。
そんなことで、快適な毎日が過ぎて行った。
しかしである。
中古車を購入して、三週間した、ある日のことである。
彼は、週に、二回は、二時間くらい、市の体育館のトレーニング・ルームで、筋トレや、ランニングをしていたのだが、その日、二時間のトレーニングが、終わって、アパートに帰ろうと車に乗ったら、エンジンは、かかるが、ギアが入らなくなってしまった、のである。
彼は、焦った。
何回か、入れようとしてみたが、どうしても、ギアが入らない。
仕方がないので、彼は、あきらめて、JAFに電話した。
「もしもし。神奈川JAFですか?」
「はい。そうです。どうなされました?」
「ギアが入らないんです」
「そうですか。今、どちらに、いらっしゃいますか?」
「××体育館の駐車場です」
「お車は、何ですか?それと、車のナンバーは?」
「車は青いラバンです。車のナンバーは、湘南あ、の、1234です」
「わかりました。すぐに、行きます」
中古車店の親爺は、誠実な人だが、営業畑で整備には、詳しくないのだから、仕方ないな、と彼は思った。
20分くらいして、JAFの、車が来た。
JAFの人は、車の、メンテナンスの知識がある。
「ちょっと、拝見させて下さい」
そう言って、JAFの人は、ラバンに乗って、エンジンを駆け、ギアを、色々と、調べた。
そして、車から、出た。
「そうですね。応急処置として、一応、今は、ギアが入れられるようにしました。しかし、このまま、乗り続けることは、出来ません。これは、ミッション全部、交換しか、ないですね」
そう、JAFの人は言った。
「ミッション交換だと、いくらくらい、かかりますか?」
「そうですね。ミッション、交換となると、かなりの額、かかりますね」
「どのくらい、かかりますか?」
「まあ。一概には、言えませんが、結構かかりますね」
JAFの人は、発言することによって生じる説明責任を避けるためか、大まかな金額も、具体的には、言わなかった。
「そうですか。わかりました。どうもありがとうございました」
彼は、ラバンに乗って、アパートに向かった。
JAFの車も、途中で、故障が、起こらないように、彼のアパートまで、ついて来てくれた。
無事に、アパートに、辿り着いた。
「ありがとうごさいました」
「いえ。お気をつけて下さい。出来るだけ早く修理した方がいいですよ」
そう言って、JAFの人は、去って行った。
翌日になった。
彼は、中古車店に、車で行こうと、思ったが、ギアを入れようとしてみたら、入らなかった。
これはもう、ミッション交換しか、方法が無いのだろうと、彼は、素人ながら思った。
それで、彼は、自転車で、中古車店に、行った。
「こんにちはー」
店に着くと、彼は、店の戸を開けた。
「あっ。宮田さん。いらっしゃいませー。ラバンの調子は、どうですか?」
彼女は、嬉しそうな顔つきで聞いた。
どうですか、と、質問の形で聞いたが、彼女は、ラバンの調子は、良いと思っているのだろう。
それを思うと、そして、彼女の笑顔を見ていると、宮田は、言いづらい気持ちになった。
彼女が、困る顔を彼は、見たくなかったからである。
しかし、やはり、言わないでいるわけには、いかない。
彼は、ちょっと、ためらったが、口を開いた。
「実は。ちょっと、あまり、言いたくないことなんですが、言います。昨日、ミッションが故障してしまったんです。それで、JAFの人に、来てもらったんです。そしたら、ミッションを交換しなければ、ならない、と言ったんです。昨日は、JAFの人の、応急手当で、戻って来れましたが、今日も、ギアが入らないんです。ミッション交換は、いくらくらいするのかと、ネットで検索してみましたが、かなりの値段です。言いにくいんですが、一年の、アフターサービスつき、ということで、買ったので、修理していただけないでしょうか?」
と、彼は、聞いた。
すると、彼女の顔が、一気に、青ざめた。
「そうでしたか。まことに申し訳ありません。何と、謝ったら、いいか・・・。申し訳ありませんでした」
彼女は、ペコペコと何度も、頭を下げた。
「いえ。そんなに、謝る必要はありませんよ。これは、事務的なことですから。買って、まだ、三週間ですから、アフターサービスを、していただければ、私としては、何も言う気は、ありません」
と、彼は、言った。
「わかりました。では。アフターサービスについて、ちょっと、おりいった、お話を、したいので、家に上がっていただけないでしょうか?」
と、彼女は、言った。
彼は、首を傾げた。
アフターサービスは、単に、事務的なことなのに、なんで、おりいった話をしたり、家に入らなくてはならないのだろうか、と彼は疑問に思った。
しかし、ともかく、彼女の言うことを、聞いて、彼は、店に、つながっている、家に入った。
通された部屋は、六畳の畳の部屋だった。
「ちょっと、お待ち下さい」
そう言って、彼女は、奥に行った。
彼は、立ったまま、彼女を待った。
すぐに、彼女は、お茶を持ってきた。
「どうぞ、お座り下さい」
彼女に言われて、彼は、畳の上に、座った。
「粗茶ですが、よろしかったら、どうぞ、お飲み下さい」
そう言って、彼女は、お茶の入った湯呑みを差し出した。
彼は、湯呑みを、受けとって、ズズズーと飲んだ。
「この度は、まことに申し訳ありませんでした」
彼女は、そう言って、両手をついて、土下座のように、頭を、畳に擦りつけるように、して、謝った。
「いえ。そんなに、謝る必要は、ありませんよ。中古車ですから、故障することは、結構、あることです。これは、単なる事務的な質問です。私は、アフターサービスについて、聞きたいだけです」
と、彼は淡々と言った。
「アフターサービスに、ついて、ですね。は、はい。わかりました」
単なる事務的なことなのに、彼女は、深刻な顔つきだった。

彼には、どういうことなのか、さっぱり、わからなかった。
彼女は、ついと、立ち上がった。
そして、彼女は、いきなり、着ていた、ブラウスを脱ぎ、そして、スカートも、脱いだ。
彼は、びっくりした。
驚きのあまり、声が出なかった。
彼女は、ブラジャーと、パンティーだけになった。
そして、腰を降ろして、畳の上に、仰向けに寝た。
「あ、あの。お客様。アフターサービスについて、ですが。たいへん、申し訳ないのですが、お金が無いのです。許して下さい。ですから、私を、なんなりと、お客様が、満足いくまで、何でも、好きになさって下さい。これが、私の、アフターサービスです」
彼女は、目をつぶって、そう言った。
彼女の体は、プルプル震えていた。
彼は、途方に暮れて、しばし、目の前で、ブラジャーと、パンティーだけで、脚をピッチリ閉じて、体を震わせている、彼女を、首を傾げて見ていた。
「あ、あの。お客様。こんな、アフターサービスでは、駄目でしょうか?」
彼女は、声を震わせながら、聞いた。
「美奈子さん。そういうことでは、ないのです。ともかく、起きて、服を着て下さい」
そう言って、彼は、彼女を起こした。
「さあ。ともかく、服を着て下さい」
彼は、催促するように言った。
だが、そう彼が、言っても、彼女は、ためらっている。
なので、彼は、彼女を起こし、彼女に、スカートを履かせ、ブラウスも着せた。
彼女は、それには、抵抗しようと、しなかった。
彼女が、服を着ているので、彼は、ほっと、一安心した。
「あなたは、真面目そうな人間に見えます。何か、事情がありそうですね。よろしかったら、話してもらえませんか?」
彼が聞いた。
情にほだされたのか、彼女は、話し出した。
「あ、あの。実は。父には、ガンがあるのです。半年前に、頭痛と、吐き気、を訴えるようになったのです。父は、医者には、かかりたくない、と言ったのですが、私が、強引に、近くの市立病院に連れて行きました。病院では、脳のMRIを、撮ってくれました。その結果。お医者さまの、話では、脳幹という、極めて手術しにくい所にあるガンなのだそうです。私は多くの、脳外科医の先生に、手術を頼みました。しかし、成功する確率は、極めて低く、成功率は、良くて10%らしいんです。むしろ、手術をすれば、死ぬ確率の方が、圧倒的に高い、と言うのです。それで、どの先生も、手術を引き受けてくれません。私は、全国の病院を探し回りました。そうしたら、かろうじて、福島孝徳先生という、自称、天才脳外科医の先生が、引き受けてくださいました。しかし、福島孝徳先生は、ブラックジャックのように、手術料として、一億円、払って欲しい、と言ったのです。私の母は、私が、幼い頃、死んで、父は、男手一つで、私を育てて、くれたんです。私にとっては、かけがえのない父です。ですから、何としても、一億円、貯めたいんです」
彼女は、切々と語った。
「なるほど。そうだったんですか。そんな事情があったんですか」
彼は、納得した。
「それで、お父さんは、今、どうしているんですか?」
彼は聞いた。
「父は、脳幹部海綿状血管腫、というガン、だそうで、一週間前から、呼吸が困難になり、手足も、思うように動かなくなってきたので、一週間前から、福島孝記念病院に、緊急入院したんです」
「そうだったんですか」
彼は、しばし、腕組みして、考え込んだ。
そして、決断した。
「美奈子さん。一億円など、このような、規模の小さい、中古車店では、貯めるのに、十年以上、かかってしまいます。その間に、お父さんは、死んでしまうかも、しれない。それに、あなたの、健気な心は、立派ですが、そんなことをしていることを、お父さんが知ったら、悲しみますよ」
と、彼は言った。
「でも、他に、方法が無いんです」
と、彼女は、目に涙を浮かべながら言った。
彼は、しばし、腕組みしながら考えて込んだが、よし、と、決断した。
「美奈子さん。僕は、一介の小説家です。収入も、微々たるものです。しかし、僕は、5年前まで、医者をやっていました。内科医でした。しかし、僕は、凝り性な性格で、卒後の、二年間の、研修の時には、脳外科の手術も、手伝ったことがあります。医師免許を持っていれば、法的には、経験が無くても、何科をやっても、どんな医療行為をやっても、いいのです。僕が、今から、必死で、脳外科の医局に入って、脳手術の技術を身につけます。そして、どんな腕のいい脳外科医でも、手術をためらって、やらない、というのなら、僕が執刀します。それでも、いいですか?」
と、彼は聞いた。
「本当ですか。そんなことを、して下さるのなら、感謝しきれません」
と、彼女は、言った。
「しかし、腕のいい、ベテランの脳外科医でも、成功率は、10%以下、というのなら、脳外科の素人の僕では、成功率は、もっと低くなり、1%以下になってしまうかも、しれません。それでも、いいですか?」
彼は聞いた。
「先生に、お任せします。先生が手術して下さるのなら、手術が、失敗しても、感謝こそすれ、恨んだり、不服を言ったりは、決してしません」
彼女は、強い口調で言った。
その時、美奈子の携帯電話がピピピッとなった。
「はい。松本美奈子です」
「もしもし。松本美奈子さんですか。こちらは、福島孝徳記念病院です。たった今、お父さんの容態が急変しました。MRIをとったところ、脳幹に出来ている海綿状血管腫が、出血を起こして、突然、脳浮腫を起こしました。今、ステロイドと、グリセロールという薬で、処置していますが、脳圧が、下がりません。危篤状態です。どうしても、やらなければならない重要な用事が、ないのなら、いや、あっても、ぜひとも、病院に来て下さい」
「わかりました。すぐ行きます」
そう言って、美奈子は、携帯を切った。
「宮田さん。父が危篤なので、今から、福島孝徳記念病院に行きます」
「僕も行きます。いいでしょうか?」
「助かります。お願いします」
そう言って、美奈子は、日産キューブに乗った。
宮田も、助手席に乗った。
美奈子は、急いで、キューブのエンジンを駆けた。
そして、国道に出た。
焦っているため、つい、スピードが、速くなってしまう。
しかし、運の悪いことに、ちょうど、渋滞の時間だった。
これでは、彼女は、もしかすると、親の死に目に会えないかもしれない。
「美奈子さん」
「はい。何でしょうか?」
「次の信号を右に曲がって下さい。僕のアパートがあります」
「どうして、宮田さんの、アパートに行くのですか?」
「この渋滞では、いつ、病院につくか、わかりません。僕は、オートバイが好きで、ホンダのCB750を持っています。ナナハンなら、車より、加速がいいですし、オートバイなら車の脇をすり抜けて行けます」
「そうだったんですか。では、お願いします」
こうして、次の信号で、美奈子は、右折した。
彼のアパートは、右折して、直ぐにあった。
「あれが、僕のアパートです」
と、宮田が指差した。
美奈子は、アパートの前で、車を止めた。
駐車場には、大きな、ホンダCB750が置いてあった。
彼は、車を出た。
そして、フルフェイスのヘルメットを被った。
そして、オートバイに跨った。
「さあ。美奈子さん。ヘルメットを被って下さい」
そう言って、彼は、彼女に、フルフェイスのヘルメットを渡した。
彼女は、フルフェイスのヘルメットを被った。
「さあ。後ろに乗って下さい」
宮田が言った。
言われて、彼女は、宮田の後ろに乗った。
「しっかり、つかまっていて下さい。飛ばしますから」
「ええ」
彼女は、宮田の後ろに、跨り、体を彼にピッタリくっつけ、両手を、前に回して、両手をギュッと、握り締めた。
「僕は、病院までの、道は、わかりません。ですから、右折とか、左折とか、美奈子さんが、カーナビになって、僕に、教えて下さい」
「はい」
と、美奈子は、答えた。
宮田は、スターターを始動させた。
バルルルルッと、750ccのエンジンが、重厚な、唸り声を上げた。
「では、行きます」
そう言って、彼のオートバイは、走り出した。
国道467号線は、渋滞だったが、彼は、歩道と車の間の路肩を、スイスイ抜いていった。
オートバイは、こういう時、有利だった。
渋滞が、抜けると、彼は、思いっきり、スロットルを全開にした。
美奈子は、彼に、言われたように、交差点や、信号機のある交差点に、近づくと、「次は右」、とか、「次は左」、とか、彼に言った。
黄色信号から、赤信号に変わりかけ、の時には、止まらなかった。
止まっているひまは、無かった。
ようやく、福島孝徳記念病院に着いた。
彼は、オートバイを止めた。
二人は、急いで、病院に入った。
受け付けは、美奈子の、顔パスで、通った。
「松本美奈子さん。早く行ってあげて下さい。お父さんが重態です」
と、受け付けの事務員が言った。
病室には、「面会謝絶」と書かれた札が、かかっていた。
「松本美奈子さん。ずいぶん早かったですね。待っていました。すぐに、お父さんに会って下さい」
看護師が、待っていて、言った。
「はい」
宮田も、病室に入ろうとした。
「あなたは、誰ですか?」
看護師が聞いた。
「彼女と、親しい者です」
と、宮田は言った。
「お願いです。彼も、父との面会を許可して下さい。彼も、お医者さんなんです」
と、美奈子が、言った。
「そうですか。わかりまた」
と、看護師は言った。

病室では、白衣を着た、三人の医師が、患者を取り囲んでいた。
患者は、気管切開して、酸素ボンベのチューブで酸素を送っている状態だった。
「美奈子さん。言いにくいですが、お父さんの容態は、悪いです。脳圧は、少し、下がりました。しかし、今度、出血したら、命が無いかもしれません」
と、医師の一人が言った。
「おとうさん」
と、美奈子は、泣きながら、父親に飛びついた。
「あなたは誰ですか?」
と、別の医師が宮田に聞いた。
「私の友人です。お医者さんです」
と、美奈子が答えた。
「どうして手術しないのですか。ここは、福島孝徳先生の病院でしょう?」
宮田が聞いた。
「この患者は、脳幹の、ど真ん中に出来た、巨大海綿状血管腫です。福島先生でも、この患者は、手術したら、失敗する可能性90%だから、しない方針にしているのです。今、福島先生は、アメリカのデューク大学に居ます」
と、医師は言った。
「これが、MRI画像です」
と言って、脳のMRI画像を、見せた。
脳幹の、ど真ん中に、直径5cmほどの、大きな腫瘍があった。
「福島孝徳先生だって、神様じゃないんだ。You-Tubeとか、テレビでは、成功例だけを、華々しく放送しているけれど、失敗した例だって、かなりあるんです」
と、別の医師が言った。
「そんなことは、大方、予想していましたよ。しかし、90%、不可能、というのなら、10%、は、成功する確率があるって、ことじゃないですか。何で、あなた方は手術しないんですか?」
彼は、医師たちに、向かって、訴えた。
「我々の技術は、残念ながら、福島先生より、はるかに劣ります。我々が、手術したら、まず脳幹を傷つけてしまいます。そうしたら今より、もっと、症状が、悪化して、様々な麻痺が出るか、あるいは、下手をすれば、死にます。そんなことは、患者にとって、可哀想じゃないですか。しかし、手術しないで、懸命に、ターミナルケアに徹すれば、あと、一ヶ月は、生きられるでしょう。ならば、その方を選ぶのが、患者のためなのは、当然じゃないですか?」
と、一人の医師が言った。
「そうですか。では。あなた方に聞きたい。もし、あなた方が、この患者の立ち場だったとしたら、どうしますか。たった一ヶ月間、こんな何も出来ない状態で、生き延びて、そして、むざむざ、死んでいく方を選ぶのですか。その方が、嬉しいんですか。手術すれば、成功する可能性が、ゼロではないというのに」
そう言っても、どの医師も、黙っていた。
彼は、さらに続けて言った。
「あなた方は、さかんに患者のため、と言っているが・・・。本当の理由は・・・。自分の、脳外科医としての、経歴に、失敗して、患者を死なせた、手術症例を、一症例でも、増やしたくない、というのが、本音なんじゃないですか?」
うぐっ、と、医師たちは、黙ってしまった。
その時、彼に、とんでもない、考えが、起こった。
彼は、それを、堂々と言った。
「では、僕が手術します。それなら、いいですか?」
途端に、医師たちが、一斉に、目を大きく見開いて彼を見た。
医師たちは、途端に態度を変えた。
「あなたは、医者というが、脳外科も出来るのですか?」
「脳外科の経験は、何年ですか?」
「脳腫瘍の摘出手術は、何症例したことがありますか?」
次々と質問が飛んできた。
「僕は、五年前まで、内科医でした。脳外科の手術は、研修医の時に、三回だけ、ベテランの執刀医の横で、手伝いをしただけです」
「バカげたことだ。そんなのは、キチガイ沙汰だ。そんな程度の経験では、やる前から、完全に、失敗するとわかりきった手術じゃないか」
医師が、怒鳴りつけた。
「そうでしょうね。脳外科の素人の僕が手術したら、まず、間違いなく、失敗するでしょう。成功する確率なんて、1%、以下でしょう。福島先生が、やっても、成功する確率は、10%だ。ド素人の僕がやれば、成功する確率は、もっと低くなり、1%以下でしょう。しかし、1%以下でも、可能性が0でないのなら、僕は挑戦する。僕は、何事でも、今まで、そういう信念で生きてきました」
その時である。
美奈子の父親が、近くにいた、美奈子のスカートを、引っ張った。
美奈子は、振り返って、ベッドに寝ている父親を見た。
美奈子の父親が、苦しそうな表情で、さかんに口をパクパク、動かしていた。
呼吸が出来ず、気管切開していて、気管切開した、咽喉から、酸素を送っている状態だった。
「お父さん。何か言いたいの?」
美奈子が、五十音図の、ひらがなの文字盤を、父親の前に立てた。
「父は、四肢不全麻痺で、言葉も出ませんが、かろうじて、右手だけは、動かせるので、五十音図の、ひらがなの文字盤で、意志を伝えているのです」
と、美奈子が宮田に説明した。
患者は、手を震わせながら、ゆっくりと、右手を持ち上げた。
そして、五十音図の、ひらがなの文字盤を、ゆっくりと、指を震わせながら、一文字、一文字、指さし出した。
ちょうど、ワープロのように、ある文字を指差すと、次は、別の文字を指差していった。
それが、つながって短い文章になった。
美奈子は、患者が、指差した、文字を、確認するように、大きな声で言った。

「み」「や」「た」「せ」「ん」「せ」「い」「し」「ゅ」「じ」「ゅ」「つ」「し」「て」「く」「だ」「さ」「い」
美奈子は、そう言うと、振り返って、宮田や、医師たちを見た。
「先生。お願いです。手術して下さい。父は、手術を望んでいます」
美奈子は、三人の、脳外科医たちに、訴えた。
「し、しかし・・・みすみす失敗して、患者を死なせる手術というは・・・」
医師たちは、ためらっていた。
すると、また、患者は、美奈子のスカートを、引っ張った。
「お父さん。何か言いたいの?」
美奈子が、また、五十音図の、ひらがなの文字盤を、父親の前に立てた。
患者は、また、ゆっくりと、右手を持ち上げた。
そして、また、五十音図の、ひらがなの文字盤を、ゆっくりと、指を震わせながら、一文字、一文字、指さし出した。
美奈子は、また、同じように、患者が、指差した、文字を、確認するように、大きな声で言った。
「ど」「う」「せ」「し」「ぬ」「の」「な」「ら」「や」「さ」「し」「い」「み」「や」「た」「せ」「ん」「せ」「い」「に」「し」「ゅ」「じ」「ゅ」「つ」「し」「て」「ほ」「し」「い」
そう、大きな声で美奈子は、言った。
美奈子は、振り返った。
「患者は、脳外科の素人の僕の手術を、望んでいます。その意思表示が確認されました。私が、執刀しても、いいですね?」
彼は、三人の、脳外科医に聞いた。
「わかりました。患者の希望です。先生が手術して下さい」
医師の一人が言った。
すぐに、患者は、二人の看護婦によって、手術室に送られた。
彼は、手術室に向かった。
「僕は、脳外科の素人です。どうか、先生たちも、協力して下さい」
そう、彼は、三人の脳外科医に訴えた。
了解したのか、三人の医師たちは、手術室について行った。
青い手術服に着替え、手を消毒した。
頭は、紙のキャップで、覆い、そしてマスクをした。
そして、看護婦に手術用の手袋をはめてもらった。
人間の皮膚は、目に見えない、無数の好気性の在住菌が付着しているので、その侵入を出来る限り、防ぐためである。
三人の脳外科のドクターも、手術服に着替えていた。
「では、脳幹部海綿状血管腫の摘出手術を行います」
そう宮田は、言った。
「バカげたことだ」
「わざわざ、患者を殺す手術だ」
「医師といっても、脳外科の素人が、こともあろうに、脳幹の巨大腫瘍の摘出手術をするなんて・・・」
医師たちが、ボソッと、そう呟いた。
彼は、福島孝徳先生の手術方法は、福島孝徳先生の、You-Tubeや、ホームページ、書籍などを、ほとんど、読んでいたので、知識としては、頭では、知っていた。
彼は、顕微鏡を見ながら、耳の後ろに、福島式鍵穴手術の、小さな穴を開けた。
そして、硬膜を切開した。
脳の内部が見えてきた。
(少しでも、神経や血管を傷つけたら、患者は死ぬぞ)
彼は、そう自分に言い聞かせた。
彼は、バイポーラ―を使って、脳幹に迫って行った。
何か、神経のようなものが見えてきた。
脳12神経の一つであることには、間違いはない。
(これは、一体、何神経だろう?)
医者とはいえ、脳外科の素人の彼には、さっぱり、わからなかった。
「先生。これは、何の神経ですか?」
彼は、モニター画像を見ている、脳外科医たちに、聞いた。
だが、教えてくれなかった。
その神経の上にも、また、別の神経が出てきた。
(あっ。さっきのは、副神経で、これは、迷走神経だ)
この時、信じられないことが、起こった。
大学三年の時の、解剖学実習の脳の解剖の時の光景が、彼の脳裡に、ありありと明瞭に、思い出されてきたのである。そして、分厚い解剖学の教科書の、脳の1ページ1ページも、すべて明瞭に。
(これが橋で、ここが、中脳水道だ)
解剖学実習の時は、解剖学の単位を取るために、しっかり勉強して、脳の構造や、神経、血管を、必死で覚えた。
しかし、人間の記憶力というものは、使わないでいると、大まかなことは、覚えていても、細かいことは、忘れていくものである。
しかし、その時の、光景が、なぜか、明瞭に蘇ってきたのである。
これは、彼にとって、非常に、不思議なことだった。
さらに、バイポーラ―で、脳の中を、進めて行くと、茶色く変色した、汚い塊が、出てきた。
「これだ。これが、腫瘍だ」
彼は、大声で言った。
「そうですよね。先生」
彼は、モニター画像を見ていた、三人の、脳外科医に聞いた。
「ああ。そうだね」
医師たちが言った。
彼は、You-Tubeで、見た、福島孝徳先生の、やり方、のように、巨大腫瘍を、少しずつ、慎重に、切っては、とっていった。
彼は、一年に、数回は、ビーフステーキを食べることがあったが、肉でない、脂身は、きれいに、ナイフで、切り取っていた。
その脂身の、剥し方は、ほとんど、数ミクロンという単位で、ほとんど神業だった。
しかしである。
腫瘍の一部が、脳の太い血管に、べったりと、癒着していた。
(これは、剥して大丈夫だろうか、出血しないだろうか)
彼は、迷った。
手術を開始して、かなりの時間が経っていた。
彼の額は、汗でダラダラだった。
看護婦が、彼の額の汗を拭いてくれた。
「先生たち。教えて下さい。これは、剥さない方がいいのですか?」
彼は大声で聞いた。
「その判断は、我々にも出来ない」
一人の脳外科医が言った。
(困ったな)
彼は、立ち往生してしまった。
彼は、剥すべきか、剥さないべきか、考え込んでしまった。
その時である。
(剥しなさい)
そういう声が、どこから、ともなく、聞こえてきた。
彼は、三人の、脳外科医を見た。
「今、先生方のうち、誰か、剥しなさい、と、言いましたか?」
彼は、モニター画像を見ている三人の脳外科医に聞いた。
「いや。そんなこと、誰も言っていないよ」
と、医師たちは、言った。
(剥しなさい。大丈夫です)
再び、声が聞こえてきた。
幻聴だろうか、と、彼は思った。
(剥しなさい。大丈夫です)
幻聴は、何度も聞こえて、止まらない。
これは、神の声だろうか、などと、彼は、疑ったが、彼は、いかなる宗教も信じていない無神論者だった。
なので、こんなのは、神の声なんかでは、なく、神経が疲れたための、錯覚だろうと思った。
(剥しなさい。大丈夫です)
しかし幻聴は、何度も聞こえて、止まらない。
ちょうど、統合失調患者が幻聴には、打ち勝てない、で行動してしまうように、彼の手は、その幻聴に負けて、剥しにかかっていた。
すると、血管に、べったりと、こびりついていた、腫瘍が、スーと、剥がれていった。
彼の手は、彼の意志とは関係なく、勝手に動いている、といった感じだった。
彼は、まるで、奇跡を見ている思いだった。
彼は、ほっとしたが、まだまだ、腫瘍は、残っている。
彼は、また、慎重に、腫瘍を、小さく、切っては、とっていった。
些細な、一本の神経、一本の血管でも、傷つけることは、出来ない。
それは、死に直結する。
脳は、外側の大脳皮質は、代償機能があるので、一部、傷ついても、左脳の傷なら、右脳が、代償し、リハビリによって訓練すると、かなり、傷ついた直後の麻痺や、体の機能障害は、回復する、ことがある。
しかし、脳幹は、脳の、ど真ん中にあり、その外側の、大脳皮質と、神経で、連絡をとっていて、さらに、脳12神経が、入り込んでいて、呼吸など、生命維持の、ほとんどの、中枢が集まっている部位なのである。
脳幹は、下方へは、太い脊髄神経へと、そのまま、移行する。
そして、脳幹の機能不全が、脳死、であり、もはや、死んだ状態となる。
彼が、さらに、慎重に腫瘍をとっていった時である。
信じられないことが起こり出した。
ある腫瘍の塊を、そっと、引っ張った時である。
すーっと、腫瘍の大きな塊が、きれいに、剥がれていったのである。
それは、まるで、幼稚園の時やった、いも掘りで、さつまいも、の見えている、小さな頭の部分を、軽く引っ張ったら、さつまいも全部が、するっと、とれたのと同じような感覚だった。
「おおっ」
手術野の、モニター画像を見ていた、三人のドクターは、思わず、感嘆の声を出した。
しかも、幸い、どこの血管も傷つけてないらしく、出血は、全く起こらなかった。
彼は、バイポーラ―で、とれた腫瘍の奥を探ってみた。
もう、腫瘍は、無かった。
彼は、もう、クタクタに疲れていた。
「腫瘍は、とれました。あとの処置は、お願いします」
そう言って、彼は、椅子から立ち上がった。
「わかりました。後の処置は、やります」
モニター画像を見ていた、脳外科の医師たちが、彼に代わって、手術椅子に座った。
あとは、硬膜の処置と、手術の初めに、くり抜いた、小さな、頭蓋骨を、元通りに、はめて、縫合するだけである。
彼は、手術室から出た。
「先生。どうでしたか。父は。手術は?」
美奈子が、駆け寄ってきて聞いた。
「腫瘍はとれました。出血もありませんでした。しかし、結果は、どうなるか、僕には、わかりません」
「ありがとうございます。先生」
そう言って、美奈子は、彼の手を握って、ドドドドーと涙を流した。
「待って下さい。成功したか、どうかは、まだ、わかりませんので」
彼は、手術の結果が、まだ、わからないので、美奈子の先走りの、感謝を制した。
もう、夜の12時を過ぎて、午前2時になっていた。
7時間の手術だった。
その時、手術室に点灯していた、「手術中」の赤ランプが、消えた。
看護師、二人によって、患者が、点滴されたまま、ストレッチャーに乗せられて、出てきた。
「お父さん」
そう言って、美奈子は、父親に駆け寄った。
しかし、全身麻酔をしているので、意識はない。
患者は、元通り、個室のベッドに、点滴と、気管切開の管をつけた、状態で、戻された。
「先生。どうですか。患者は?」
宮田が三人の脳外科医に聞いた。
「対光反射、その他の、生命反射は、あります。しかし、成功したかどうか、麻痺や、機能不全が回復するかどうかは、麻酔が切れてからでないと、何とも、言えません」
脳外科医が言った。
「では、僕は、家に帰ります。美奈子さんは、このまま病院に残りますか。どうしますか?」
宮田が聞いた。
「先生。オートバイで、ですか?」
「ええ」
「精神的にも肉体的にも、疲れ切った状態で、大きなオートバイを運転するのは、危険です。タクシーを呼びます」
そう言って、美奈子は、スマートフォンで、タクシーを呼んだ。
すぐに、タクシーが来た。
「では、僕は、家に帰ります。美奈子さんは、どうますか?」
彼が聞いた。
「一人で乗っても、二人で乗っても、タクシーの料金は、同じです。私としては、もう少し、父に着いていたいのですが。麻酔が切れて、結果を待つだけなら、病院に居ても仕方ありません。私も、眠いので、一緒に乗せて下さい」
そう言って、美奈子もタクシーに乗り込んだ。
タクシーは、夜中の高速を飛ばした。

数日後。
美奈子は、病院に言った。
彼も、オートバイをとりに、病院に行った。
手術の経過は順調だった。
MRI画像でも、きれいに、腫瘍が無くなっていた。
脳幹を圧迫していた、巨大腫瘍がとれたので、脳幹の呼吸などの生命中枢が、回復して、自発呼吸が出来るようになり、咽喉に開けられていた気管切開は、閉じられていた。
手足も動かせるようになっていた。
「先生。手術は、奇跡的な成功です。しかし、脳外科医でない、元内科医の医師に、手術をさせた、ということが、マスコミに知られたら、病院の責任問題になります。病院の評判にも影響が出てしまいます。ここは、どうか、我々が手術した、ということに、していただけないでしょうか?」
そう、脳外科医たちは、彼に頼んだ。
「ええ。構いません。手術が成功したのは、僕の実力なんかではなく、単なる、まぐれ、ですから」
こうして、福島孝徳記念病院、および、そこの脳外科医たちは、マスコミの注目の的になった。
美奈子の父親は、リハビリの後、退院した。
「四肢不全麻痺、の、寝たきり、気管切開からの、通常の生活への、奇跡的生還」
と、マスコミは、大々的に報道した。
脳外科医たちは、得意げに、手術のことを語った。
しかし、新聞記者が、美奈子に、「お父さんが、奇跡的な生還をした、今の心境を語ってくれませんか」、と質問した時、美奈子は、つい、「手術したのは、実は、宮田先生という、無名の、元内科医の先生です」、と、口を滑らしてしまった。
それが、また、マスコミで、大々的に、スクープとして、報道された。
しかし、教授を殿様とした、ピラミッド型の、旧弊的な、日本の医学界は、
「たまたまの、まぐれだ」
と、全く相手にしなかった。
しかし、実力主義のアメリカでは、違った。
「奇跡の手をもつ男」
と、宮田誠一の名が、アメリカの、ニューヨーク・タイムズに、報道された。
アメリカの、デューク大学、ハーバード大学、そして、フランスの、マルセイユ大学、ドイツのフランクフルト大学、スウェーデンのカロリンスカ大学、などから、「ぜひ、我が大学の脳外科の、主任教授になって下さい」、という手紙が、宮田誠一の元に殺到した。
しかし、宮田は、「小説創作が忙しい。あの手術は、まぐれだった」、という理由で、全部、断った。
マスコミに、「先生の信念は、何ですか?」、と聞かれたので、彼は、
「1に努力。2に努力。3も努力。土曜、日曜、祭日は、いっさい、休まない。冬休み、夏休み、春休み、は、いっさい、とらない。一週間で、8日、働く」、と、答えた。
幸い、小説創作は、はかどった。
ラバンも、修理工場で、安く修理して、もらったら、ミッションの修理も、3万円で、すんだ。
軽自動車は、速度が出ないので、それが、かえって、良かった。
今までの、1200ccの、旧型マーチでは、スピードが出るし、加速もいいので、つい、黄信号でも、止まらなかいことが多かったが、軽自動車は、慣れてしまうと、時速40km/hで、走るのが、普通、という感覚になるので、信号を、ちゃんと、守るようになった。




平成28年2月22日(月)擱筆

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沖縄バスガイド物語 (小説)(1)

2020-07-16 02:53:05 | 小説
沖縄バスガイド物語

大東徹は小説家を目指す医者である。
彼は、大学は、地元の横浜市立大学医学部に、入りたかったのだが、残念ながら落ちて、第二志望で合格できた奈良県の公立医学部に入った。大学に入る前に、徹は、過敏性腸症候群という、つらい腸の病気が発症していた。元々、喘息で心身ともに過敏で、虚弱体質の徹には、この病気の発症は、必然に近かったものだろう。そのため、余所の土地での狭い寒いアパートで、病気をかかえての大学生活は、大変だった。夏休みや、冬休み、など実家の鎌倉の家にもどると、ほっとして、腸の具合も良くなった。徹にとって、この鎌倉の家は、気分が休まる唯一の場所だった。ここの家は徹が中学一年の時に出来た。それまでは埼玉県の公団住宅に住んでいた。徹は鎌倉が好きだった。中学、高校は、東京の私立J学園の寮で過ごした。中学生の夏休みには、自転車で、由比ガ浜へ出て、海沿いの市営プールや、由比ガ浜の海水浴場で、よく泳いだ。由比ガ浜へは自転車で30分で行けた。徹は大学を卒業すると、すぐに関東にUターンした。そして千葉の国立病院で二年間、研修した。その後、鎌倉の隣の、藤沢市に、ちょうどいい病院の求人があったので、藤沢市に引っ越した。徹は湘南が好きなのである。実家の鎌倉の家にも、車で20分で行ける。極めて便利だと徹は喜んだ。しかし、病院の勤務医の仕事は嫌いで、あまり身が入らなかった。それで、そこの病院も二年でやめてしまった。徹は、真面目で、何かをやり出すと、とことん頑張る性格なのだが、大学時代に、小説を書く喜びを知って、小説を書き出して、大学を卒業する時には、もう小説家になることしか考えていなかった。ただ、プロ作家として、筆一本で食べていく自信はなかったので、アルバイト医として生活費を稼ぎ、余暇に、小説創作に取り組んだ。

医者のアルバイトは、健康診断や、病院当直、常勤医が休みの時の代診医などである。今は、インターネットで、そういう医者のアルバイトを紹介する斡旋業者がたくさんある。医者のアルバイトは、時給も日給もいい。なので、週に二回も働けば、食べていけるのである。そうやって、徹は、週二回、働いて、他の日は、机に向かって小説を書いた。徹としては、そんな生活に満足していた。アパートの一人暮らしも、気楽だった。鎌倉の実家は、疲れた時の体の休息によかった。徹は、そんな生活に満足していた。しかし、父親は、息子が、常勤医にならないことが気に食わなかった。

そんなある日のことだった。
机に向かって小説を書いていると、母親から電話がかかってきた。
「沖縄に引っ越すことになった」
母親が唐突に言ってきた。徹は別に驚かなかった。どうせ決めたのは、父親である。父親は家庭の絶対支配者で、今までも、何でも自己中心に勝手なことをやってきたからである。徹が大学生の時、母親と二人で5~6回、沖縄に旅行に行っている。沖縄は、別に父親でなくても、日本人なら、みな好きな所である。気候は亜熱帯で、一年を通して温かく、本土のように冬という季節がなく、夏も、湿度の高い、蒸し暑い本土の夏と違って、カラッとしている。ちょうどハワイに似ている。日本の中で住むのには一番、快適な所である。海は透き通ったエメラルドグリーンである。難点といえば、台風が発生しやすいというところか。さらに、父親は、自分の父親が太平洋戦争で沖縄で軍人として玉砕していることを誇っていた。沖縄平和記念公園の、「平和の礎」にも、徹の祖父の名前は刻まれている。そういうわけで父親は異常に沖縄を好いていた。母親の言うところによると、父親は、一人で沖縄に行って、マンション購入の仮契約をし、鎌倉の家を売ることを不動産に頼んでいたらしい。つまり、母親にも、息子にも知らせず、秘密のうちに、計画を進め、鎌倉の家に、買い手が出来た時に、沖縄のマンションの購入も、正式に契約したらしい。息子も社会人になって独立したし、老後は、快適な沖縄で夫婦で暮らそうということだろう。しかし、まがりなりにも家を売って、引っ越す、というは、小さなことではない。普通の家庭だったら、家族には、あらかじめ、その計画を話すというのが、常識ある大人の行動である。父親は、母親や息子に、前もって知らせたら、反対されるかもしれないことを恐れて、秘密裏のうちに、行動し、話がまとまって、後戻りできない時点になって、母親と息子に、話そうと計画していたのである。そして、その通りになったのである。しかし、そういう、やり方は、常識的な大人の行動とは言い難い。父親は、そういう非常識な、自己中心的な性格なのである。父親は、息子が医学部を卒業するまで、学費と生活費の仕送りをした。しかし息子は、長年の父親の横暴に、耐えに耐えてきたので、大学を卒業して、研修病院に就職し、親から金銭的に自立するようになると、今までの恨みを、晴らすように、一気に父親の愚劣さを批判し出した。それが気に食わなかったことも、父親が、沖縄に引っ越そうと思った理由の一つである。
父親は、医学部を卒業した息子が、どこかの病院の常勤医となって、月曜日から金曜日まで働き、勤続年数とともにベテラン医となり、社会的地位も収入も高くなり、結婚して子供を生み、ローンで立派な家を建てる、ということを期待していた。それが父親が、息子に期待していた生き方だった。常勤医となって一つの病院に勤務し、社会的地位のしっかりした医者になることが一人前の人間となることで、アルバイト医、では、情けないと息子を叱った。

しかし息子は、過敏性腸症候群という辛い病気に悩まされていた。その病気のために息子は大学を一年間、休学した。それほど、この病気は辛い病気なのである。医者の仕事は、結構、心身ともにストレスがかかる。健康な医者なら、常勤医で働きながら、余暇に小説を書く、という両立も出来るだろう。実際、そうしている人もいる。しかし、彼には両立は出来なかった。

両立が出来ないとなると、医者を選ぶか、小説創作を選ぶかのどちらかとなる。彼は、ためらいなく小説を書くことの方を選んだ。彼は医者の仕事は、生活費のためと割り切って、アルバイト医となった。アルバイト医となると、ぐっと精神的に楽になり、また小説を書く時間も、ぐっと増え、思うさま小説を書くことが出来るようになった。給料は、常勤医の時よりぐっと減ったが、そんなことは彼にとって、どうでもいいことだった。息子としては、そんな生活に満足していたのだが、父親は、それが不満だった。ちゃんと常勤医として働くことが、立派で一人前であることで、アルバイト医では情けない、と愚痴を言い続けた。医学部6年間は、学費と生活費を出してやったのに、そういう風に、自分の思い通りにならないことが癪で、家を売り飛ばして、沖縄に引っ越すのは、息子に対する嫌がらせもあった。独り身の息子にとって実家は便利な所だった。病気になっても休むことが出来るし、厖大な医学書を置いておくことも出来た。厖大な量の医学書を置いておけることが、息子にとっては有難かったのである。彼は本を捨てることが出来ない性格であるし、医者の免許を持っていれば、何科をやってもいいのであるから、アルバイト医となった息子にとっては、厖大な医学書は、大切な物だった。アルバイト医の彼にとっては、独学で他の科を勉強すれば、多少は、他の科にも対応できるから、アルバイトの幅も増える。息子のアパートは、文学書でいっぱいで、置く所がなかった。両親が沖縄に引っ越すことになったので、息子はやむなく車で実家に行って、医学書を選別し、どうしても最低限、必要なものを選んで、残りの医学書は捨てた。医学書を捨てることは、彼には泣く思いだった。だから、父親の意地悪は見事、成功したのである。
父親は、もの凄く業が深い人間なので、嫌っている人間には、悪魔のような意地悪を平気でするのである。父親は、一つの病院に就職せず、自分を罵ってくる息子を嫌っているので、息子に、土地と家を相続させたくないのである。
引越しの表向きの理由は、歳をとって、庭の手入れが、しにくくなった、ことと、寒い冬が体にこたえるから、健康のため、と言っているが、本音は、もっと、どろどろとした憎しみと業の深さなのである。
確かに父親は、息子と同じように、喘息があり、寒い冬が苦手ではあるが、日本橋の同愛記念病院の、あるアレルギー専門医をかかりつけの名医として、長年、慕って、通院してきているのである。沖縄に行ってしまっては、信頼する名医にも、かかれなくなってしまう。それに、いくら本土の冬が寒いとはいえ、湘南地方、鎌倉は、日本の中でも、冬でも過ごしやすい土地である。さらには、息子という、恐ろしいほど優秀な医者が身近にいるではないか。これほど頼もしい存在はない。健康で、困った時には、優秀な医者である、息子が、適切なアドバイスが出来るではないか。沖縄に行ってしまっては、それらの事が全部、なくなってしまう。

母親は、といえば。母親は沖縄に、特に行きたいとは思っていない。母親は健康で、本土の冬でも別に問題なく過ごせる。母親は、人間関係で、何事にも積極的で、本土で付き合いのある交友関係が多い。なので、沖縄に引っ越すのは、むしろ反対であった。母親は、父親とは正反対の性格で、外向的で、誰とでも、すぐ友達になれる。日曜日には、かかさず教会に行き、教会関係や、ボランティアや、海外医療協力隊JOCSの活動にも、熱心である。しかし女なのに、我が強く、堂々と自己主張する。こう言うといい性格のように聞こえかねないが、母親は息子に対しては、勝手なことを言うのである。なので、息子は母親も非常に嫌っているのである。母親は父親と結婚してからは、専業主婦で、一度も働いたことがない。全て父親の収入のおかげで生活してきた。父親は内弁慶で、家庭の独裁者なので、母親は、父親の言う事には、逆らえないのである。父親と意見が食い違って、口論になると、父親は、「誰が食わせてやっているのだ」と、怒鳴りつける。こう言われると母親は逆らえない。なので、沖縄に引っ越すことも、不本意ながら従うしかないのである。父親の暴君ぶりといったら、それは、凄まじいもので、家庭内では完全な独裁者である。なので、息子は、電話でも父親とは話さない。息子は父親に、母親を通して、用件を伝えるのである。まるで天皇のようである。あるいは三角貿易と言うべきか。オウム真理教の事件が起こった時、父親の独裁ぶりが麻原に似ているので、息子は、それ以来、父親を、「尊氏」と呼んでいる。母親は、いってみれば外報部長である。息子は、あくまで、外報部長である母親を通してしか、尊氏と話しをしないのである。

そんなわけで、息子は、父親も母親も嫌っていたので、二人が沖縄に行くのは、別に何とも思わなかった。ただ医学書を捨てなくてはならないことが、辛かった。それと、独り身で、胃腸と喘息の病気を持っているので、病気になった時、休養する場所がなくなってしまうことが、非常に残念だった。

父親は、ある一流企業で、課長代理→課長→部長代理→部長、と、問題なく昇進し、部長で定年退職した。鎌倉に家を建てたのは、父親の、母と姉の住んでいる家が、鎌倉だからである。鎌倉の家は、父親の母の家から歩いて二分と目と鼻の先である。要するに、老いた母親のために、父親は鎌倉の土地を選んだのである。父親の父親は、太平洋戦争で軍人として死んだ。沖縄戦で玉砕したのである。なので、その名前は、沖縄の平和記念公園の平和の礎に、刻まれている。家が出来て、引っ越したのは、徹が中学一年の時だった。それまでは埼玉県の公団住宅に住んでいた。父親の母は、体は丈夫だが、父親の姉は、ビッコだった。子供の頃、小児麻痺に罹り、それ以来、ずっと足をひきずって歩いてきた。だが伯母は、子供の頃から、琴を習い、琴の先生だった。祖母の家に行くと、いつも琴の音が聞こえてくる。祖母の家に入ると、お弟子さんが、2、3人いて、伯母に琴を習っていた。伯母は、ビッコであるために、結婚することが出来なかった。父の兄は、喘息がひどかった。喘息のため、日常生活や社会生活が人並みに送れず、小さな工場で働いていた。父親が、自分の母親の家の近くに家を建てたいと思ったのは、母親と、病弱な二人の兄姉を心配してである。父親は、健康かといえば、そうではなく、やはり喘息で、だが、兄のように、ひどくはなく、日常生活や社会生活に支障をきたすことはなかった。その息子の徹も喘息である。つまり、父親の家系が喘息なのである。伯父は、鎌倉に家が出来て、引っ越す前に喘息重積発作で死んでしまい、伯母も、家を建てた四年後、つまり徹が高校一年の時に、交通事故で車にはねられて死んでしまった。あとには祖母が残された。祖母は長生きした。そして徹が大学四年生の時に、85歳て死んだ。もう祖母の家には誰もいなくなった。なので、父親は祖母の家を売り払った。

徹はアルバイト医になって、小説を書きながら生活していたが、最初の一年くらいはよかったが、だんだん過敏性腸症候群が悪くなってきて、うつ病になってきた。うつ病になると、全く小説が書けなくなる。さらに、悪いことに、厚生省の方針として、精神科は、精神保健指定医でないと、常勤でも、非常勤でも、働きにくい情勢になってきた。精神科医の求人でも、「精神保健指定医に限る」という条件が目立つようになってきた。徹は将来について不安を感じ出した。これでは精神科のアルバイトも出来なくなる。うつ病のため、時間があっても、小説が書けない。

それで彼は、医者の斡旋業者に頼んで、神奈川県のはずれにある、ある精神病院に就職することにした。理由は、精神保健指定医の国家資格を取るためである。
指定医の国家資格を取るためには、8症例のレポートを書くことと、精神病院に五年、常勤医として勤務している、ということが条件なのである。彼の場合、研修病院で二年、常勤医として働き、民間病院でも、二年、常勤医として働いているので、合計、四年、精神病院で勤務した経歴がある。だから、あと一年、常勤医として勤務すれば、指定医の資格取得のための、勤務歴の条件が満たされる。あとは、8症例のレポートを厚生省に提出して、審査され、通れば、指定医となれるのである。常勤医になるのは、不本意だったが、彼は、どうせ、いつかは指定医の資格は取ろうと思っていた。のである。だが、常勤といっても、自由な時間が欲しかったので週4日の勤務で働く契約をした。週4日で、朝9時から夕方5時まで働くと、一日、8時間労働になる。週に8×4=32時間なら、常勤医と見なされるのである。指定医の資格を取る、キャリアの条件は、あと一年だし、8症例のレポートは、二年から三年やれば、取れるものである。人生は、まだまだ長い。医者はサラリーマンのように定年が無いから、やろうと思えば、80歳になっても、やれる。なので、指定医の資格を取るまで、二年から三年は、我慢しようと思った。どのみち、いつかは指定医の資格を取る予定であったのである。なので、そういう条件で、彼は、県のはずれにある精神病院に就職した。給料は、少なめだったが、指定医を取るという条件で我慢した。

そこは、350床なので、まあまあの中堅病院である。始めのうちから、彼は、はりきって頑張った。各病棟の患者、全ての名前と、病名と、出してる薬をノートして覚えた。隔離患者や拘束患者は、毎日、診察してカルテに病状を記載しなければならないので、彼は全ての病棟の、隔離、拘束患者の記載をした。院長は、やる気のある医者が来た、と思ったらしく、嬉しそうだった。だが医局には馴染めなかった。ここは院長が慈愛会医科大学出身で、4~5人の常勤医も、慈愛会医科大学出ばかりの医者である。皆、慈愛医大の精神科に籍を置いている。要するに、慈愛医大の関連病院である。話の話題といったら、慈愛医大の精神科の教授や人事の動向の話ばかりである。あとはソープランドの話ばかりである。彼はいかにも、余所者という感じだった。ただ、一人の綺麗な女医は、一人ぼっちの彼を可哀相に思ってか、親切に声をかけてくれた。だが、日を経るごとにだんだん様子がおかしいことに、彼は気づき出した。彼にも、80人ほど、担当患者が任された。それは、彼が来るまで、院長が担当していた患者で、彼が来てからは、院長と彼とで一緒に診察するようになった。

指定医の国家資格を取るためには、厚生省が決めた、三日間の講習に出席しなればならない。三日で5万の講習料がかかる。彼が、講習を受けることを院長に言うと、院長は途端に苦い顔になるのである。
「指定医とりたいのー?」
と他人事のように、素っ気なく言う。それに、彼には、新しい入院患者を担当させてくれない。指定医のためのレポートは、入院から退院まで、診察していることが基本なのである。必ずしも、入院から退院まで、でなくてもいいのだが、入院か、退院のどちらかは入っていなければならないのである。彼は、院長に、新しく入ってくる入院患者を担当させて欲しい、と訴えた。だが院長は、あやふやな、答弁でちゃんと答えない。彼はだんだん院長の人格を疑うようになっていった。
ある時、彼は、ある病棟の婦長に、わざと、ふざけた事を言った。そしたら婦長は、目を丸くして、
「どうして、そんなウソを言うのー?」
と言った。そして、
「もう、だまされませんよ。私達みんな、院長にだまされて、入ってきたんだから」
と言った。ここで、初めて、彼は、院長の人格がおかしいことを気づかされた。しかし、どうして指定医の資格を取らせてくれないかの理由は、まだわからなかった。レポートは、自分が、担当して、診察、治療した患者であることが条件なのである。そして、そのレポートには、院長のサインがなくては、ならないのである。逆に言うなら、他の医者が担当した患者で、自分は治療に全くかかわってなくても、そして、他の医者が代筆したレポートでも、院長のサインがあれば、大丈夫なのである。それは、厚生省だって、調べようがないのである。カルテを見れば、誰が担当したかは、わかる。しかし、わざわざ、そんなことをする時間は厚生省にはない。だからレポートが、書けるかどうかは、病院の絶対権力者である院長の胸先三寸なのである。
ある日、院長の悪質性を決定づけることが起きた。
それは、ある医局会議の時である。
話題が、ある常勤医M氏のレポートのことなった。M医師は、
「8症例のうち7症例は集まったけれど小児のいいレポートがなくてね。なのでS先生が担当した患者でS先生が書いてくれたレポートを院長にサインしてもらった」
と、笑いながら言った。M先生としては、他の医師たちに軽い気持ちで言ったのだろう。皆は、ははは、と笑った。彼は、怒り心頭に達した。彼は院長をジロリとにらみつけた。彼が、いつも、レポートのことについて陳情しに院長室に行くと、
「レポートは、自分がちゃんと担当したものでなくてはならない。君の受けもっている患者は僕との共同診療だから・・・」
とか、
「レポートは厳格なもので、ちゃんと自分が担当した患者のレポートでないと、指定医を申請する医者にも、サインする僕にも、大きな責任というものが、かかっているんだ」
とか、偉そうなことを言っていた。
それが、この、とんでもない、完全な代筆のレポートを、院長が平気でサインしていたのである。彼は、怒り心頭に達して院長をジロリとにらみつけた。
院長は、あわてて、彼の刺すような憎しみの視線から目をそらして、と誤魔化し笑いをした。彼は、こいつは、とんでもないイカサマ野郎だと思った。しかし、どうして彼にだけは、指定医を取らせたくないのかは、医療界に詳しくない彼には、分らなかった。彼が思いつく範囲では、その理由は、指定医の資格を取って、すぐ辞められることを、おそれているからだろう、というのが、一番であるが。それ以外にも、学閥による感情的な差別もあるだろうとは、思っていた。彼は、本を買い、ネットで調べ、また、大学時代の友人の医者や、就職の仲介をした、医者の斡旋業者などに、聞いてみた。それによると、指定医の資格を取って、すぐに辞められることを、おそれているから、というのも、理由の一つだが、病院に常勤医が多くいると、法的に病院の施設基準が上がり、病院の評価が高くなるから、とか、病院は町から、かなり離れた山の中で、求人を募集しても、なかなか応募する人がいないから、とか、常勤医は慈愛医大から、研修が終わった後の二年間だけの派遣で来る医師が多く、常勤医の確保に困っているから、とかが理由だった。安い給料での飼い殺し、とまで言われた。
もう、それからは、彼は真面目に働くのがバカバカしくなって、サボタージュに徹した。それまで、やっいてた、全病棟の、隔離患者、拘束患者の記載もやめた。病棟を回っての診察もやめた。朝、来てから、仕事が終わる5時まで、医局で一人、本を読むか、ノートに書いた小説をワープロに変換したりしていた。その頃は、彼は、小説は、ワープロでは書けず、ノートに書いて、それをワープロに変換していた。ドアも手で開けず、足で蹴っとばすことにした。元々、常勤医たちは、慈愛会医大に籍を置く、慈愛医大出の医者ばかりで、仲間内の話ばかりなので、彼は、彼らとは、それまでも全く口を聞いていない。話すことと、いったら、朝の、「おはようございます」と帰る時の、「お先に失礼します」の挨拶だけである。彼らも、彼は眼中に無く、彼が何をしていても、知ったこっちゃない。なのであるから、別に何も問題は起こらない。時々、レントゲンを撮る患者が出て、
「お手すきの先生がいらっしゃいましたら、レントゲン室に来てください」
と院内放送が流れていた。レントゲンの撮影は、法的に医師でなくてはならないからである。それまで彼は、その放送が流れると、急いで駆けつけていた。そして、レントゲンのスイッチを押していた。しかし、それもシカトすることに決めた。そうしたって、やめさせられる心配はないのである。彼は、常勤医がいると、病院の評価が上がる、という施設基準のためだけに、安給料で、飼い殺しにするため雇われている身分なのだから。そうしたら、今度は、院内放送をする病院の事務員までが、露骨に、
「大東先生。レントゲン室までお出で下さい」
と名指しで放送するようになった。人をバカにするのもほどがある。

それまでも、彼は院長の人格や病院の経営方針に問題があると、感じていた。精神病院では、看護婦を増やすことによって、施設基準を上げることにより、診療報酬を上げるというのが、ほとんどの精神病院の方針なのに、この病院では、人件費を切りつめたくて、看護婦はあまり採用せず、給料の安い、外国人労働者をヘルパーとして雇っていた。そのため、痴呆症の老人の病状が良くなると、困るとまで言っていた。痴呆の度合いは、長谷川式簡易スケールという、簡単な質問で、おおまかに分るのである。なぜ、病状が良くなると困るか、というと、痴呆の度合いが悪いと、拘束されていても、患者は文句を言わないが、病気が改善してくると、意識がしっかりしてきて、拘束をはずしてください、と泣いて訴えるようになるのである。しかし、拘束ははずせない。それは、拘束をはずして自由に歩かせると、転倒する恐れがあり、転倒すると、頭を打ったり、大腿骨の頚部を骨折する危険が出てくるからである。だから拘束するのである。普通、精神科において拘束するケースというのは、自殺や他人への暴力行為を起こす可能性のある患者にするものなのだが、この病院では、院長の、経費や人件費を少なくしたいという方針のため、看護婦が少なく人手が足りず、そのために、転倒予防のために拘束する患者が多いのである。法律の条文の解釈は、抽象的であり、拘束する目的が、怪我の予防なのであるから、違法とは言えないのである。しかし、可哀相なのは、意識が、かなり、しっかりしているのに、一日中、ベッドに縛られている老人患者である。そういう、おかしな事は、いくらでもある。しかし彼は、指定医の資格を取ることが目的であって、病院の経営方針にまで、口を出す気はなかった。しかし、指定医の資格が取れないとあれば、これは、別問題であり、まさに怒り心頭に発する、である。
彼は、これから、どうするかで迷った。週4日勤務であるから、病院に行かなくてはならない。しかし、病院の、医局の中では、慈愛医大のドクター達のお喋りがうるさくて、とても小説など書けるものではない。時間を無駄にしないよう、本を読もうと思っても、やはりドクター達の会話がうるさく、雰囲気としても、本は読めない。しかも、お喋りの話題といったら、川崎のソープランドのだれそれちゃん、が、どうのこうの、の話ばかりである。精神的レベルが低い。聞いてて吐き気がする。週4日間、病院でボケーとしている毎日。残りの三日は、机に向かって小説を書こうとしてみたが、気分が悪く、体調も悪くなり、はかどらない。だんだん、精神がまいってきて、うつ病になってきた。そうすると、ますます小説は、書けなくなる。不眠症になり、過敏性腸症候群も悪化して、腸の動きが悪くなり、食べられなくなった。それでも病院には行かなくてはならない。
そんな毎日の中で、ある日、彼は沖縄のことが頭に浮かんできた。

家を売り飛ばして、沖縄に行ってしまった父親と母親ではあるが。
人間の心理の法則であるが、人は二人の人間を同時に嫌うことは出来ないのである。
ある嫌いなAさんがいたとする。そこに、もっと嫌いなBさんが現れて、頭の中が、Bさんに対する嫌悪でいっぱいになると、Aさんに対する憎しみは、減っていくのである。この心理をテーマにした小説が、室生犀星の「兄妹」である。
彼は沖縄の両親に電話してみた。出たのは父親だった。それまでは、息子は父親を特に嫌っていて、電話で話すのも、母親とだけだった。だが、父親と話すことにも、ためらいを感じなかった。院長という、もっと嫌いな人間がいるからである。息子は、父親に、ある精神病院に常勤医として勤務していること、院長が指定医の資格を取らてくれないこと、それで悩んでいること、心身ともに参って悩んでいること、などを全部、話した。父親は息子が電話してきたことに喜んだ。そして、常勤医として勤務していることも。そして、悩んでいるなら、一度、沖縄に来てはどうか、と勧めた。息子も沖縄へ行こうと思った。

沖縄に行くのは、初めてである。それで、どうせ沖縄に行くのなら、一回の旅行で、沖縄のことを全部、とまではいかなくても、出来るだけ知っておこうと彼は思った。小説家は、何でも知っていた方がいいのである。彼は内向的な人間で、内向的な人間というのは、自分の興味のあることには深く関心を持つが、興味のないことには、関心を持てない性格なのである。しかし、彼は、大学時代に、小説家になろうと思い決めてからは、どんな事でも、全てのことに関心を持とうと、思うようになったのである。まず、図書館に行って、沖縄に関する旅行ガイドや、本を探した。しかし、手ごろなのがない。それで、書店に行って、那覇市の地図と、旅行ガイドを数冊、買った。親の住んでいるマンションは、首里城に近い。彼は、那覇市の国際通りや、親の家の周辺の道路、首里城や、北部、南部、などの観光施設などを、覚えた。自分の住んでいる街より、知らない土地の方が、新鮮なので、その土地の、文化、産業、歴史、などには、自分の住んでいる街より興味が出るのである。彼は数日、沖縄のことを調べて過ごした。

   ☆   ☆   ☆

沖縄に行く日が来た。
だが彼はさほど、嬉しくはなかった。小説創作も、はかどらず、指定医の資格も取れないので、将来の見通しが暗かったからである。しかし、仕事のことは、ひとまず忘れることにした。羽田空港へ行くのは久しぶりである。病院に就職する前のバイト医をしていた時、仕事で四国と、北海道に二度行っただけである。彼は、旅行がそれほど好きではなかった。嫌いではないが。外向的人間にとっては、世界に対する関心は、実際に、自分が世界の国々に行って、その土地を見るという行動の形をとるが、内向的人間にとっては、世界に対する関心は、本を読むことになるのである。なので彼はまだ、一度も海外に行ったことがない。
羽田空港に着いたら、沖縄行きの便は、一時間半、あとだった。彼はジャンボジェット機が轟音を立てて離陸するのを見るのが好きだった。ので、それを見ていた。つい、空港の中のレストランを見ていると、どの店も美味そうで、食べたくなるのだが、彼は、腹を空かせておいて、沖縄のソーキ蕎麦を食べようと思ったので、羽田空港では何も食べなかった。いよいよ、フライトの時間がやってきた。飛行機に乗るのは久しぶりである。彼は、飛行機の操縦を一度、してみたかったので、スチュワーデスに、
「あの。飛行機。操縦させてくれませんか?」
と頼んでみたが、
「駄目です」
と無碍に断られてしまった。それで仕方なく、席に着いた。幸い、彼は窓際だった。飛行機は、空港の中を回って、やがて滑走路についた。だんだん加速していく。飛行機の加速と同時に彼の興奮も加速していく。主翼がバサバサ揺れる。ついに、フッと振動がなくなり、飛行機が上に傾き、離陸した。気持ちがいい。彼はこの離陸の瞬間が好きだった。他の乗客は、無事に離陸してほっとするのだろうが、彼は逆だった。
「あーあ。無事に離陸しちゃったよ」
と残念に思うのだった。刺激のない毎日を過ごしている彼は、刺激に餓えていた。それで、飛行中に事故が起こってくれることを心待ちにしているのである。あるいは、この飛行機がハイジャックされないかと期待していた。ハイジャックされたら、彼は、隙をうかがって、ハイジャック犯達に、身近にあるものを盾にして、突っ込んでいくつもりだった。彼は命知らずでもある。これは英雄気取りではない。彼にはハイジャックに関して持論があった。そもそも、ハイジャック犯なんていうのは、思想犯である。凶悪犯ではない。犯罪を成功させるには、自分は死ぬ気、人は平気で殺す気、の覚悟がしっかりなければならない。彼はハイジャック犯に平気で人を殺せる覚悟があるとは思っていない。宮本武蔵の言うように、敵だって怖がっているのである。はたして、一瞬の隙を狙って、タックルしてくる乗客を、正確に打ち抜く、瞬間的な正確な判断力があるか、の勝負である。威嚇は簡単である。しかし、人を殺す、というのは、自分も殺人犯になるということである。だから、彼らだって、容易には客を殺せない。心理的な駆け引きである。ハイジャックを確実に成功させるには、まず乗客の一人に、拳銃なりナイフなりで、軽傷をおわせるか、ビンタするなり、殴るなりして、自分は死ぬ気、人は平気で殺す気、の覚悟があることを見せつけておく必要がある。つまり、ハイジャック犯は、紳士的である可能性があるのである。それと乗客も腰抜けである。拳銃で威嚇された途端、男なら金玉、女なら卵巣が、縮み上がってしまうからよくないのである。見た目には、わざとキャーとか悲鳴を上げて脅えていることを演じてもいいが、そうすればハイジャック犯も、気を緩めるからであるが、心の中では戦闘態勢の準備を開始すべきなのである。彼が金玉、縮み上がらないのは、彼が空手という武術を身につけているからではない。空手の技なんて、双方とも狂気の精神状態の時には、何の役にも立たない。そうではない。本当の武術家とは、戦いになった時の判断力が正確に出来る人間のことをいうのである。つまり頭脳的な戦術家である。敵の覚悟の度合い、心理状態、および、自分の敏捷性、腕力、などを冷静に判断して、戦いの時に、もっとも最良な手段を選択できる能力のある人間が武術家なのである。空手の技を訓練するのは、そういう精神の訓練の現われ、に過ぎないのである。つまり、一般に認識されているのとは、逆なのである。空手の技を身につけてから、それから、どう戦うかを考えるのではなく、まず、あらゆる戦いにおいて、戦い方を考えてしまい、その思いが空手なり、他の武術なりを、形として訓練する、というのが本当の武術家なのである。だから本当の武術家は、猪突猛進的な無謀なことはしない。
しかし、飛行機は無事、離陸してしまった。ハイジャック犯も現れる様子もない。それで仕方なく彼は、窓から外を見た。斜めから東京湾と、東京の街がミニチュアのように小さく見える。飛行機が上昇していくのにつれて、建物や車などが、だんだん小さくなっていく。やがて、成層圏を越すと、雲の上に出る。雲の絨毯が、一面に敷かれているように見える。主翼が時々、バサバサ揺れる。彼は、外の冷たい空気に当たりたくて、「未来少年コナン」のように、主翼に、しっかり、つかまりながら、主翼の先の方に行ってみたくて仕方がなくなった。それで、手を上げて、スチュワーデスを呼んだ。
「はい。何でございましょうか?」
スチュワーデスが小走りにやってきて、笑顔で聞いてくる。
「あの。外に出たいんで、窓を開けて貰えませんか?」
彼がそう言うと、明るかったスチュワーデスの顔が途端に渋くなった。
「駄目です」
そう、一言いって、スチュワーデスは去っていった。国内線のスチュワーデスは、ケチなのである。これが、国際線のスチュワーデスなら、
「オオ。ジャパニーズ。サムライ。ハラキリ。カミカゼ。カッイイネ。オーケー」
と言って許可してくれるのだが。それで、残念ながら、彼は、雲の絨毯を見て我慢することにした。沖縄への、フライトは、2時間40分なので、やがて飛行機は高度を下げていく。雲の間から、島が見え出した。
「ああ。やっと沖縄本島に来たな」
という実感が沸いてくる。
飛行機はさらに地上に近づいて、着陸態勢に入る。彼の隣に座っていた、ばあさんは、
「どうか無事に着陸して下さいますように。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
と数珠を出して、ジャラジャラと揉んで一心に祈っていた。他の客も、無事に着陸して欲しそうな顔をしている。しかし、彼だけは違った。彼は、出来たら車輪が出ずに、胴体着陸してくれることを、切に願った。胴体着陸というものを体験してみたかったのである。しかし、残念なことに、無事に那覇空港に着陸してしまった。
「ああ。快適な空の旅でした。阿弥陀様。有難うございます」
などと、彼の隣のばあさんは、ペコペコ頭を下げ、阿弥陀仏に感謝していた。しかし、彼にとっては、スリルも何もない、つまらない空の旅なので、全然、面白くなかった。那覇空港に着くと、もう沖縄への旅は、済んでしまったような気がした。それで、もう帰ろうかとも、思ったが、わざわざ沖縄に来たのだから、親のマンションに行こうと思い直した。
沖縄は暖かい。こりゃー住むのにはいいわな、と彼は思った。沖縄のことは、あらかじめ、調べておいたので、大体わかっている。あとは、実物を見て確認するだけである。彼は、親に携帯で電話した。
「今、那覇空港に着いた。これから、行く」
とだけ言った。彼は、親に出迎えなどされたくなかったからである。そんな仰々しいことは、ウザッたい。親は何につけ恩着せがましいのである。

彼は、那覇空港から出ている、モノレール(ユイレール)に乗った。高い位置から、沖縄の町がよく見える。このまま、終着駅である、首里駅、に親の住んでいるマンションがあるのだが、彼は途中の国際通りに、さしかかった、県庁前駅で降りた。一応、国際通りを見ておこうと思ったのである。何のことはない。土産物売り店ばかりである。歩いているうちに腹が減ってきたので、彼は何か食べようと思った。だが何だか様子がおかしい。どの飲食店にも、「ヤマトンチュと米軍はお断り」と書いてある。周りの人々も、何だか彼を胡散臭そうに見る。それで彼はきまりが悪くなって、あわてて、身近にある飲食店に入った。「チャンプルー」という名前の飯屋だった。
「めんそーれ」
と店の親父が元気良く、挨拶した。
「こんにちは」
と彼も、挨拶した。店には、左に、ひめゆりの塔の写真、と右に東条英機の写真が飾ってあった。ひめゆりの塔の写真を飾るのは、分るが、なぜ東条英機の写真を飾るのかは、彼は分らなかった。ともかく、彼はテーブルの一つについた。
「あんた。ヤマトンチュだろ」
店の親父がギロリと彼をにらんで言った。
「え、ええ。でも、どうして分るんですか?」
「ヤマトンチュは顔つきと仕草で、すぐわかるんけに。それに、あんた、ひめゆりの塔の写真と、東条英機の写真を見ても、何とも反応しなかったじゃろが。ウチナンチュなら、ひめゆりの塔の写真を見れば、すぐに涙ぐみ、東条英機の写真を見ると、憎しみの目でにらみつけるからね・・・」
そう言って親父は、無愛想に、メニューをドサッとテーブルの上に放り投げた。彼はそっと、メニューを開いた。メニューには、色々とあった。「ソーキ蕎麦・500円」と書いてあった。彼は、豚の角煮の入った、沖縄のソーキ蕎麦を食べてみたいと思っていたので、
「あ、あの。ソーキ蕎麦、下さい」
と言った。すると親父は拒否するように厳しい顔で手を振った。親父はメニューをめくって見せた。すると、メニューの後ろの方に、「ヤマトンチュ用蕎麦・2000円」と書いてあった。それ以外にも、見殺しラーメン、とか、火炎放射器焼き焼き肉とか、ぶっそうな名前のメニューが書いてある。
「さあ。どれにするあるね」
と親父は強行に迫った。彼は、恐れを感じて、
「あ、あの。ヤマトンチュ用蕎麦を下さい」
と小声で言った。親父は、無愛想に、厨房に戻っていった。しかし、蕎麦一杯が、2000円とは、ちょっと高すぎる。彼は、店の異様な雰囲気に恐れを感じ出した。店には、ニ、三人、客がいたが、余所者を見るように胡散臭そうに彼をジロジロ見つめている。やがて、店の親父が、料理を持ってきた。親父は、無愛想に、ドンと丼をテーブルの上に置いた。わりと大きい。麺もたくさん入ってるし、豚の角煮も、入っている。彼は、なるほど、と思った。ヤマトンチュには、本場の、沖縄そばを、食べさせてやろうという親父の親切な思いなのだろう、と彼は嬉しくなった。なら、2000円という高い値段も納得がいく。彼は、割り箸をパキンと割って、麺をつまんで口に入れた。その時である。彼の隣に座っていた、貧相な男が、こそっと彼に耳打ちした。
「あんた。気いつけんさい。ヤマトンチュ用蕎麦には、青酸カリが入っていることがあるけん」
彼は、真っ青になって、ブバッと蕎麦を吐き出した。彼は、店の親父に2000円払って、急いで店を出た。沖縄人(ウチナンチュ)の本土人(ヤマトンチュ)に対する、憎しみは、相当なものなのだなと、彼は思い知らされた。

彼は、再び、国際通りに出た。すると、ボロボロの蓑をまとった女が道端に座っていた。
「ははあ。乞食だな。沖縄は暖かいから、乞食が住むにはもってこいだな」
と彼は思った。すると、学校帰りの子供達が、乞食女の前を通りかかった。
「やーい。ヤマトンチュ女」
と言って子供たちは、寄ってたかって、女に石を投げ出した。彼は急いで女の所に駆けつけた。
「やめんか」
彼は子供たちに向かって怒鳴った。その声の大きさに、子供たちは驚いて、蜘蛛の子を散らすように、逃げていった。
「一体、どうしたんですか?」
彼は屈みこんで乞食女に聞いた。すると女は、わっと泣き出した。驚いたことにボロ布の下はピンクのビキニだった。女は涙ぐみながら話し出した。
「私、一年前に本土から、格安パック旅行で、沖縄に来たんです。それでホテルに泊まって、さっそく、その日に海を見に行ったんです。エメラルドグリーンの海を見に。あまりにも美しいので私は時間が経つのも忘れて海を眺めていたんです。しかし、夕方、ホテルにもどってきたら、荷物も財布も全部なくなっていたんです。私は驚きました。すぐにホテルの人に言いましたが、ホテルの人は相手にしてくれません。私は、ビキニのまま、警察に行きました。でも、そこでも相手にしてくれません。ウチナンチュ(沖縄人)の人達は、ヤマトンチュ(本土人)を憎んでいて、ヤマトンチュの観光客だとわかると、身ぐるみ剥いでしまうんです。それほど沖縄人の本土人に対する恨みは激しいんです。沖縄には産業がありません。沖縄への格安パック旅行というのは、実は、ヤマトンチュをおびき寄せて、キャッシュカードから、何から何まで、身ぐるみ剥いでしまう、沖縄県の組織的な犯罪なんです。沖縄県警も、それを黙認しています。沖縄県警に訴えても、県知事に訴えても相手にしてくれません。私は、身ぐるみ剥がされて、帰りの旅費もないので、乞食になるしかなくなってしまったんです。そういう人はたくさんいます」
そう言って女は、わっと泣き出した。
「そうだったんですか。沖縄への格安パック旅行が、やけに安いと思ったら、そういう仕組みだったんですか」
彼はそう呟いた。そして、財布から、五万円だした。
「さあ。これで東京への航空券は、買えるでしょう。これをあげますから、飛行機で本土に帰りなさい」
そう言って彼は、五万円、女に握らせた。彼女はわっと泣き出した。
「あ、有難うございます。ご恩は一生、忘れません。これで本土に帰れます」
と泣きながらペコペコ頭を下げた。
「あなたも格安旅行で来たのですか?」
女が聞いた。
「いえ。違います。親に会いに来たんです」
彼は首を振って答えた。
「お父さんとお母さんが、沖縄に住んでいるのですか?」
女が聞いた。
「ええ」
彼は答えた。
「ご両親は、よく沖縄に住めますわね。あなたはウチナンチュですか?」
「いえ。違います。ヤマトンチュです」
「何か、沖縄とつながりがありますか?」
女は首を傾げて聞いた。
「そうですね。祖父が沖縄戦で、終戦直前に沖縄で玉砕しています」
彼は答えた。
「それだわ。あなたは、きっと、おじいさんが沖縄戦で玉砕したから、大目に見られているのよ。平和の礎に、名前が書いてある人の子孫は、沖縄を守ったということで、ヤマトンチュでも、大目にみてくれているんです」
女は、そう説明した。
「本当に有難うございます。これで、やっと本土に帰れます」
そう言いながら、女は何度もペコペコ頭を下げた。

これによって、彼はあらためて、ウチナンチュ(沖縄人)のヤマトンチュ(本土人)に対する憎しみの激しさを知ったのである。
その時、ちょうど、米軍のヘリコプターが、ババババッと、大きな爆音をたてながら、地上、近くに降りてきた。国際通りにいたウチナンチュ達は、一斉に、ヘリコプターに向かって、
「米軍は、沖縄から出ていけー」
と拳を振り上げて叫んだ。すると、米軍のヘリコプターに乗っていたアメリカ人は、ズガガガガーと、機銃掃射をしてきた。国際通りに出ていた人達は、あわてて店の中に隠れた。
大東徹も女を連れて、公設市場の中に隠れた。
ヘリコプターは、市役所の前の広場に着陸した。中から、おもむろに、レイバンのサングラスをした、マドロスパイプを燻らせている、長身の男が、出てきた。男は拡声器を口に当てて言った。
「オキナワノ、ミナサン。ムダナテイコウハ、ヤメテ、ブキヲステテ、テヲアゲテ、ゼンイン、デテキナサイ。ソウシナイト、ゼンイン、ゲリラトミナシ、シャサツシマス」
そう言って、四人のアメリカ人が、国際通りにやってきた。ガムをクチャクチャ噛みながら。国際通りは、水を打ったようにシーンと静まりかえっている。四人のアメリカ人は、ガムをクチャクチャ噛みながら、我が物顔にノッシ、ノッシとのし歩いた。その時、ある、土産物店から、石が四人に向かって投げられた。
コーン・コロコロ。
と石は、転がって四人の米兵の前で止まった。四人の米兵は、ピタリと足を止めた。マドロスパイプを咥えていた、隊長らしき男が、火炎放射器を持った白人に、顎をしゃくって合図した。合図された米兵は、その店の戸を開けると、火炎放射器をブオオオオーと店の中に放射した。
「うぎゃー」
店の主人と思われる老人が、火達磨になって、転がるように店から出てきた。
「た、助けてくれー」
老人は、救いの手を求めるように、米兵たちに向かって、手を差し出した。しかし、米兵は、クチャクチャ、ガムを噛みながら、容赦なく目の前の、老人に、さらに、火炎放射器をブババババーと浴びせかけた。
「うぎゃー」
始めは、のたうちまわっていた老人は、だんだん動かなくなっていった。それでも、米兵は火炎放射器を拭きかけ続けた。ついに、老人は全く動かなくなった。それはもう、人間の原型をとどめていなかった。そこにあるのは黒焦げの死体だった。
「サア、コレデ、オドシデナイコトガ、ワカッタデショウ。サア、ミンナ、ブキヲステテ、テヲアゲテ、デテキナサイ」
レイバンのサングラスをかけた、マドロスパイプを咥えた、米兵が拡声器を使って言った。
公設市場に身を潜めていた彼は、スックと立ち上がって、歩き出した。
「お、おい。ヤマトンチュ。何をする気だ」
公設市場の親爺が、焦って彼の腕を掴んで引き止めようとした。だが彼は、親爺の腕を振り払った。
「おい。親爺。ちょっとこれを借りるぜ」
そう言って彼は、大きな鉄の鍋を手にした。
「な、何をする気だ?ヤマトンチュ」
親爺が聞いた。
「俺は俺の意志でやりたいようにする」
そう言って、彼は店を出て、国際通りに、一人、立ちはだかった。米兵達は、すぐに彼に視線を向けた。
「ヤットヒトリ、デデキマシタネ。サア、テヲアゲナサイ」
米兵は拳銃を彼に向けて忠告した。だが彼は手を上げようとしない。
「サア。ハヤク、テヲアゲナサイ。サモナイト、ブキヲモッテイルト、ナミシマスヨ」
そう言って、米兵の一人がバキューン、バキューンと空に向かって拳銃で威嚇射撃した。
「やめなよ。弱い者いじめは」
彼はそう言って、ツカツカと米兵達の方に歩み寄って行った。
「ワレワレノシジニ、シタガワナイノデスネ」
そう言うや、米兵は、彼の方に向かって、バキューン、バキューンと射撃してきた。始めは威嚇射撃だったが、だんだん米兵達は、本気で彼を狙って撃ってきた。彼は、鉄の鍋を顔の前に構えて盾にして、腰を低くして、左右にジグザグに、米兵達に向かって、突進していった。バキューン、バキューンと撃ってくる拳銃の弾が、カキーン、カキーンと鍋に弾き返された。
彼は、拳銃で撃ってくる米兵にタックルした。
「オー、マイ、ゴッド」
米兵は、彼の強烈なタックルを受けて倒れた。
「キエー」
彼は、米兵の首にビシッと手刀をぶち込んだ。そして米兵が持っていた拳銃を奪い取り、米兵の右手を背中に捻り上げて、米兵の背中に回って、米兵を盾にした。そして、拳銃を米兵の頭に突きつけた。
「さあ。貴様ら、全員、武器をこっちに寄こせ。さもないと、こいつの命がないぞ」
そう言って、彼は、拳銃の銃口をグリグリと米兵の頭に押しつけた。
「オー。マイ。ゴッド。ブキヲステテクダサイ」
米兵は、オロオロした様子で、仲間の三人の米兵達に、ペコペコ頭を下げて哀願した。
「シ、シカタアリマセーン」
三人の米兵達は、口惜しそうに、火炎放射器、機関銃、拳銃、などを、彼の方に放って寄こした。
「ほら。親爺。これを隠しとけ」
そう言って、彼は、拳銃や機関銃を、近くのスーベニールショップに放り込んだ。店の中では、サササッと音がした。店の中にいたウチナンチュの親爺が受け取ったのだろう。
これで武器はなくなった。
彼は、盾にしてた米兵の腕を思い切り、後ろに捻り上げ、グリッと関節を捻った。
「ウギャー」
米兵が悲鳴を上げた。肘の靭帯が切れたのだろう。
彼はスックと立ち上がった。三人の米兵は、ササッと彼を取り囲んだ。
「ユー。クレイジーネ。ニチベイアンポデス。ダレガニホンヲ、マモッテヤッテイルトオモッテイルノデスカ。ユルシマセーン」
そう言って、三人の米兵は身構えた。
「コノオトコハ、モト、WBAヘビー級ボクシングノ、チャンピオンデス」
そう言ってマドロスパイプを咥えたレイバンのサングラスをかけた男が、右隣の黒人の米兵を指差した。その黒人の男は、クラウチングスタイルで、拳を顔の前で構えた。
「コノオトコハ、モト、AWAノ、プロレスリングノ、チャンピオンデース」
そう言ってマドロスパイプを咥えたレイバンのサングラスをかけた男は、左隣の白人の男を指差した。指差された白人の巨漢男は、大きく手を広げて身構えた。
「ソシテ、ワタシハ、モト、プロフットポールノ、クォーターバックデス」
マドロスパイプを咥えた男は、自分を指差して言った。
「You go to hell ネ」
そう言って、三人は、ジリジリと彼に詰め寄ってきた。三人の米兵は、同時に、わっと彼に襲いかかった。
元ヘビー級ボクサーの黒人は左のジャブを繰り出してきた。彼はそれをウィービングで、サッと避けると、キエーという、鋭い気合と共に、横蹴りを黒人の腹に蹴りいれた。
「ウガー」
黒人は、もんどりうって地に伏した。黒人は倒れたまま、白目を開けて全身をピクピク痙攣させている。それを見て、残りの二人はゴクリと唾を呑み込んだ。
次に、元プロレスラーの巨漢男とマドロスパイプの男が、ジリジリと間合いを詰めて、わっと襲い掛かってきた。
「キエー」
彼は裂帛の気合と共に、元プロレスラーの男の金的を蹴り上げた。
「ウギャー」
元プロレスラーの男は、天地の裂けるような悲鳴を上げて、倒れ伏した。
元フットボーラーの顔が青ざめた。彼は慎重にジリジリと彼に詰め寄って行き、わっと彼にタックルしようとした。
「チェストー」
彼は、それをスッと避けると、裂帛の気合と共に、彼の人中に正拳突きを叩き込んだ。タックルしようとして、掴みかかろうとしたのが、カウンターになって、威力倍増し、一撃で男は地に倒れた。
「ガ、ガッデーム。サノバビッチ」
マドロスパイプの男は、鼻血を出しながらフラフラと立ち上がると、倒れている二人の男を助け起こした。腕をへし折られた米兵と、彼に一撃で倒された三人の米兵は、ヨロヨロとふらつきながら、ヘリコプターの方に戻ろうと踵を返した。
「ユー。リトル、ストロングネ。バット、オボエテイナサイ。アイ、シャル、リターン」
とレイバンのサングラスをかけた男は、振り向いて、負け惜しみの、捨てセリフを言った。四人は、ヨロヨロと覚束ない足どりで、ヘリコプターに乗り込んだ。バババババッとヘリコプターが始動し、宙に舞い上がった。ヘリコプターは向きを変え、ズガガガガーと彼を狙って、機銃掃射してきた。
「おい。親爺。機関銃を寄こせ」
彼は、機関銃を放り込んだ店の親爺に言った。
「へ、へい」
親爺は、恐る恐る機関銃を彼に渡した。彼は機関銃を受け取ると、ヘリコプター目掛けて、ズガガガガーと撃ち込んだ。それがヘリコプターのガソリンタンクに命中し、ヘリコプターは、ボワッと炎上した。
「ガッデーム。サノバビッチ」
ヘリコプターに乗っていた米兵の口惜しそうな声が聞こえてきた。
炎上したヘリコプターは、フラフラと飛行し、ついに、地上に墜落し、ボワンと炎上した。
その時、国際通りの両側の店に、隠れていた人々が、
「うわー。やったあー。ざまあみろ」
という歓喜の雄叫びを上げて出て来た。彼らは、しばし、快感の余韻に浸っていたが、それが鎮まると、ようやく、もとの落ち着きを取り戻し始めた。
彼らは、みな、はっと気づいたかのように彼の方に振り向いた。みな、彼に向かって恭しく頭を下げた。その中で、一人、仙人のような白髪の老人が、つかつかと彼の方に歩み寄ってきた。
「わしは、この島の長老の金城知念尚敬というもんじゃ。今年で120歳になる。あんた。すまんかったの。余所者あつかいして、意地悪してしもうて」
老人は深々と頭を下げた。
「いえ。いいんです。人間として当然のことをしたまでです」
彼は、何も無かったかのように平然と答えた。
「ヤマトンチュにも、わしら、のために身を挺して戦ってくれる者もおるもんじゃな。どうも、わしらは、ヤマトンチュに対して、偏見を持っておったようじゃ。すまん」
そう言って老人は、飯屋「チャンプルー」の親爺をジロリと見た。
「おい。ぬしゃー。まだ、料理に、ヤマトンチュ用とウチナンチュ用と区別ば、つけとるんか?」
「へ、へい」
親爺は、決まり悪そうに言った。
「もう、やめんか。ヤマトンチュいじめは。何度も言うたじゃろうが」
「へ、へい」
親爺は決まり悪そうに返事した。
「これでもう、安心して、何でも食べんしゃい。沖縄の料理は、うまいけに」
そう言って長老は深々と頭を下げた。
「そうして頂けると助かります。それと、出来れば・・・」
そう言って彼は言葉を濁して、ビキニの女を見た。ビキニの女性は、彼の方に駆け寄ってきて、彼の腕をヒシッと掴んだ。
長老は、ビキニの女を見た。
「ああ。あんさんには、本当にすまんことをした。許してくれろ。もう、ヤマトンチュの観光客の身ぐるみ剥ぐようなことは、させんけに。わしが、県知事に、よう言うとくわ」
そう言って、老人は、彼女に頭を下げた。
「あ、有難うございます」
彼女は老人に頭をさげた。そして、潤んだ瞳で大東を見た。
「あ、有難うございます。あなたは、私の命の恩人です。ご恩は一生、忘れません。あ、あの。どうかお名前を教えて下さい」
女は恭しく彼に言った。
「いえ。名乗るほどの者ではありません」
彼は毅然として答えた。
「で、でも。それでは私の気持ちが、おさまりません」
女は強い語調で言った。彼女は、彼が名前を言うまで納得しないだろう、と彼は思った。
「そうですか。私は、大東徹という者です」
「そ、そうですか。あ、あの。よろしかったら、携帯電話を貸して貰えないでしょうか」
彼女は、身ぐるみ剥がされて、何一つ持っていない。何か、重要な連絡があるのだろうと彼は思って、彼は、彼女に携帯電話を貸した。すると、彼女は、携帯をひったくるようにして、彼に背を向けた。彼女は、何やらカチャカチャと携帯を操作している様子である。
「な、何をしてるんですか?」
彼は、彼女が何をしているのか、知ろうと、彼女の前に回り込もうとしたが、彼女はササッと彼に背を向けた。さらに、彼が回り込もうとすると、彼女は、またササッと位置を変えて彼に背を向けた。彼は諦めた。
しばし、彼女は、携帯をカチャカチャと操作してから、やっと彼に振り向いて、彼に携帯電話を渡した。
「一体、何をしたんですか?」
彼は彼女に聞いたが、彼女は、モジモジして黙っている。仕方なく、彼は、携帯を調べた。すると、電話帳に、新たに「秋本京子」と登録されていた。携帯番号と、メールアドレス、住所、が書き込まれていた。さらに、送信BOXを開けてみると、「秋本京子」へのメールが送られていた。そのメールには、こう書かれていた。
「秋本京子様。東京でまた、ぜひお会いしたいです。よろしくお願い致します。大東徹」
彼は、あっけにとられて、彼女の顔を見た。
「あ、あの。私。東京に帰ったら、すぐに携帯に何かメールが来ていないか調べます。友達はきっと、私の失踪を心配して、メールしてくれてると思いますから」
「まいったなあ」
彼は、困惑した顔つきで、彼女を見た。
「どんな人が私のことを心配してくれてるかしら。楽しみだわ」
彼女は独り言のようにいった。
「あんさん。あんさん」
国際通りの衣料品店の婆さんが出て来た。
「今まで、すまんかったの。本土に帰るなら、これを着ていきんしゃい」
そう言って、婆さんは、沖縄の紅型衣装を彼女に手渡した。
「まあ。有難うございます」
婆さんは、女が被っていたボロ布をとって、紅型染めウミナイビを、彼女に着せた。紅型衣装を着た彼女は、見違えるように綺麗に見えた。
「よう。似合うとる。あんたにぴったしじゃ」
婆さんは、しげしげと、女を見つめた。婆さんは続けて言った。
「これは、琉球国の王妃が着ていた、紅型染めウミナイビじゃけん。売らないで、店に飾っておいた物じゃけん」
彼女は、目を丸くした。
「ええっ。そうなんですか。そんな貴重な物いただくわけにはいきません」
彼女は、あわてて紅型衣装を脱ごうとした。婆さんは、あわてて、それを制した。
「ええんじゃ。あんたには、さんざん意地悪してしもうたでの。わしの気持ちじゃ。せめてもの、わびとして、受け取ってくんしゃれ」
婆さんは申し訳なさそうに言った。
「あ、有難うございます」
彼女も恭しく、お辞儀した。
婆さんは、彼女の右の耳に、デイゴの花を差した。沖縄の県花は、デイゴなのである。デイゴの花を右に差すのは、未婚の女で、既婚の女は左に差すのである。
「よう似合うとる」
婆さんは、彼女を見て嬉しそうに言った。
彼女は、隣にいた彼にそっと寄り添って、彼の腕をヒシッと掴んだ。
「よう似合うとる」
婆さんは、またニコニコして嬉しそうに言った。
「あ、あの。お婆さん。何が似合っているんですか?」
彼女は、嬉しそうな顔で、婆さんに聞いた。
「勇気のある逞しい男と美しい女子が、二人並んでいるところがじゃ」
婆さんは、嬉しそうに答えた。
「ですって。大東さん」
と言って彼女は、彼を嬉しそうに見た。
彼はやれやれという顔をした。彼はポケットから、携帯を取り出して、沖縄発羽田行きのフライトを確認した。羽田行きの便は、次のが最終便だった。
「秋本京子さん。羽田行きの便、次のが最終便ですよ。急がないと」
彼は那覇空港の方を指差して彼女に促した。
「そうですか。大東さん。色々、お世話になりました。有難うございました」
そう言って彼女は、やっと彼から手を離して、ペコリとお辞儀した。
彼は手を上げて国際通りを走っているタクシーを止めた。沖縄県には電車というものがないので、移動の手段は、車しかないのである。なので、タクシーが多く、その料金は本土のタクシーより安い。
彼はタクシーの後部座席を開けた。彼女は後部座席に乗った。
「ちょっと待ちんしゃい」
その時、婆さんが、慌てて止めた。婆さんは、急いで店の中に入った。
そして、すぐに大きな袋を持って出て来た。
「ほれ。紅芋の、ちんすこう、じゃけん。ぎょうさん持って行きんしゃい」
そう言って、婆さんは、彼女に、紅芋のちんすこうがいっぱい詰まった袋を渡した。
ちんすこう、とは、沖縄のクッキーのようなものであるが、これが美味いのである。それは、もっともで、ちんすこう、は、琉球国の王族の、お菓子として、作られたものなのである。
「有難うございます。お婆さん」
そう言って彼女は、ちんすこう、の入った袋を胸に抱きかかえた。そして、彼に振り返った。
「大東さん。さんざん、お世話になりました。また、東京でお会い出来る日を楽しみにしています。では、さようなら」
そう言い残して、タクシーは、那覇空港めざして走り出した。彼女は、名残惜しそうに、後ろを振り返って、いつまでも彼に手を振った。
だんだん、タクシーが遠ざかっていって、とうとう見えなくなった。

   ☆   ☆   ☆

彼は踵を返して、モノレール(ユイレール)に乗った。モノレールは、国際通りの真上を通って、やがて首里城の方へ向かった。すぐに、モノレールは、終点の、首里駅についた。その後も、モノレールは、つなげるようで、工事中だった。彼は、アパートで那覇市の地図を買って、親の家の周辺は覚えていたので、親のマンションはすぐにわかった。茶色の10階建てのマンションである。その向こうには首里城が見えた。親の部屋は、8階である。彼はチャイムを押して、部屋に入った。

父親と母親が出迎えた。部屋は思っていた以上に豪華だった。10畳の和室に、寝室、ダイニング、バス、トイレ、キッチン、の他に、一人誰かが住めるほど大きい部屋があった。二人で住むのには、あまりに広すぎる。

ちょうど、一つの客室が、机と本棚と、ベッドと押入れ、があって、一人、誰かが暮らすことが出来る。つまり息子の部屋用なのである。父親は、老後は、沖縄に住んで、息子にも、沖縄に住んで、親の面倒を見て貰いたいと思っているのである。これが父親のしたたかな計算だった。確かに、息子は、冷え性で、過敏性腸症候群で、喘息で、本土の冬は厳しい。出来ることなら、一年中、温かい沖縄は、住むのに魅力的な土地だった。アレルギー体質なので、沖縄なら花粉症に悩まされることもない。しかし、沖縄では仕事がない。病院の勤務は、まっぴらである。大きな書店もないし、図書館も、いいのがない。何事にも不便である。だから、彼は沖縄に移り住む気は全くなかった。
父親は、沖縄へ来ても、相変わらず、一日中、ごろ寝で、テレビを観ている生活だった。
彼は、翌日から、せっかく沖縄に来たのだから、観光バスで、名所を見ることにした。

   ☆   ☆   ☆

翌日になった。彼は朝早く起きて、家を出た。そして、ユイレールに乗って、県庁前駅で降りた。彼は、今日は、北部へ行こうと思った。
北部コースは、琉球村→万座毛→ちゅら海水族館→OKINAWAフルーツらんど、である。
バスセンターには、早く着いてしまった。彼は用心深い、というか、神経質なので、時間には早く行くのである。バスセンターのベンチに座って待っていると、一人のもの凄い綺麗なバスガイドがやって来た。
「あ、あの。座ってもよろしいでしょうか?」
バスガイドが聞いた。
「え、ええ」
彼は焦って答えた。バスガイドは彼の隣に座った。
「あ、あの。大東さん。昨日は、有難うございました。スッキリしました」
バスガイドは頬を赤らめて言った。
「えっ。何のことですか?」
彼は彼女の言うことの意味が分からなくて聞き返した。
「あの。昨日、米兵達をやっつけてくださったことです」
彼女は言った。
「ああ。あれですか。僕は人間として当然のことをしたまでです。そんなに気を使わないで下さい」
彼は、あっさりと言った。
「いえ。そんなこと、ありません。本当に昨日は、胸のわだかまりがとれて、すごく嬉しかったんです」
彼女はニコッと笑って言った。
『ははあ。彼女はきっと、米軍基地に反対している人なんだろう』
と彼は思った。というより、沖縄県民で米軍基地に賛成している人は、まずいないだろう。
「そうですよね。米軍は厚かましいですですよね」
彼も相槌を打った。彼女は、しんみりと身の上を語り出した。
「私が、高校生の時、親友の宮城順子さんが、帰宅途中に米兵達に犯されて殺されました。私は泣いて悲しみました。しかし、米軍は、日米地位協定を盾にとって、公務中であるといって、身柄を沖縄県警に引き渡しません。米軍の中では、裁判が行われましたが無罪放免です。私の悲しみは憎しみに変わりました。米軍は日米地位協定を盾にとって、やりたい放題です。私は、この矛盾を政府に訴えました。しかし政府は何もしてくれません。私は、米軍の横暴に立ち上がろうと決心しました。それで、反米軍基地の会、というグループを作りました。私がリーダーになりました。米軍の横暴に対するビラ配り、抗議運動、署名活動、などをしました。すると、米兵達は、私達に、嫌がらせをするようになりました。家の前にジープでやって来て、アメリカのハードロックをボリュームを目一杯あげて鳴らしてみたり、自転車通学しているところを、トラックがもの凄いスピードで幅寄せしてきたり、してきました。私達は何回も転ばされました。私達は、さらに抗議活動をするようになりました。すると、ある日、反米軍基地の会、の会員である石嶺有紀さんが行方不明になりました。私は、米軍との関係ではないかと思い、警察にそのことを知らせましたが、米軍は、知らないと言うだけでした。かけがいのない友達がどうなっているのかを思うと夜も眠れない日々を私は送っています」
彼女は、そう語って、ハアと溜め息をついた。
「そうだったんですか。その行方不明の友達は、まず米軍と関係があるんだと僕も思います」
彼は相槌をおもむろに打った。
「あっ。ごめんなさい。つい、愚痴を言ってしまって。今日は、どちらへ観光に行かれるのですか?」
バスガイドが聞いた。
「そうですね。ちゅら海水族館がある北部へ行こうと思っています」
彼は答えた。
「そうですか。それは嬉しいですわ。今日、私は北部の案内をする日なんです。暗い話をしてしまって、すみませんでした。今日は、うんと沖縄のきれいな海をお楽しみ下さい。今日のお客さんは、大阪の老人会の人達と大東さんだけです」

彼女と話している間に、観光バスは、すでに来ていて、バスのドアは開いていた。
彼はバスガイドと一緒に、バスに乗り込んだ。バスには、すでに大阪の老人会の観光客が乗っていた。
ちょうどバスの発車時間になった。
バルルルルッとバスのエンジンがかかり、バスは、ゆっくりと、バスセンターから、動き出した。バスは、北部へ向かう、国道58号線を走っていった。
「みなさん。お早うございます」
バスガイドが元気良く挨拶した。
「お早うございます」
客達も元気良く挨拶した。
「本日は、琉球沖縄観光バス、北部コース、をご利用して下さいまして有難うございます。心よりお礼、申し上げます。本日は、どうぞ、ごゆっくり、沖縄の美しい海と名所をお楽しみ下さい。今日、参ります場所は、琉球村→万座毛→ちゅら海水族館→OKINAWAフルーツらんど、です。所要時間は約600分で、バスセンターに着くのは、夕方の6時頃になります。運転手は、赤嶺太郎で、案内は、私、知念多香子がさせて頂きます」
バスガイドが、月並みな挨拶をした。
知念多香子という名前なのか。と彼はあらためて彼女を見た。あらためて見るバスガイドは、この上なく美しかった。バスガイドの制服がピッタリと体にフィットしていて、極めてセクシーに見えた。しかし、彼女は芯が強い。綺麗な、美しい顔立ちの裏に、米軍という巨大な悪と戦う強い心を秘めているのである。
バスは那覇市内を出て、浦添市に入った。左手に、沖縄の美しいエメラルドグリーンの海が見えてきた。本土の濁った海と違って、その海は実に美しかった。
「うわー。綺麗な海だ」
客達は、身を乗り出して、沖縄の海を驚きの眼差しで見て、歓声を上げた。
バスガイドは、嬉しそうな顔になった。
浦添市を出ると、バスは宜野湾市に入った。
右手に、物々しい囲いが見えてきた。高い鉄柵のフェンスの向こうには、広々とした芝生の中に、ポツン、ポツンと洋風の家が建っている。米軍施設である。やがて、その中に滑走路が見えてきた。
「右手に見えますのが、普天間飛行場です」
バスガイドは、悲しそうな口調で言った。
その時、米軍の戦闘機の編隊が、ゴオオオオッという爆音をたてて、普天間飛行場に向かって、地上すれすれに飛行していった。高速の飛行によるドップラー効果のため、その爆音は凄まじかった。ちょうど、近くの小学校で、休み時間で校庭で、キャッ、キャッと楽しく遊んでいた生徒達は、急に顔が恐怖にひきつり出した。
「うわーん。怖いよう。怖いよう」
そう叫びながら、子供達は、泣きながら、校庭を逃げ惑った。
「さあ。みんな。遊びは中止よ。早く校舎に入って」
教師達が、校庭に出てきて、泣き惑う子供達をヒシッと抱きしめて校舎に連れ込んだ。校庭はシーンと静まりかえった。バリバリバリという爆音とともに、戦闘機の編隊は去っていった。
「今のように、米軍の戦闘機の訓練のため、住民達は騒音に悩まされています。そして、沖縄の住民は、いつも、戦闘機が民家の上に落ちてきはしないか、という恐怖感に脅えています」
バスガイドは、ハアと溜め息をついて言った。
「ガイドさん。そう、落ち込まんでくんさい。わしら、本土人も、米軍の横暴には怒っているけんに」
乗客の一人が言った。
すると、それに呼応するように、乗客達は、
「おう。そうだ。そうだ。米軍は酷いよな」
と皆が、言い出した。
「あ、有難うございます。本土の方々にそう言って頂けると、励まされます」
そう言ってバスガイドは、涙を拭った。
「では、気を取り直して、歌でも歌いましょう。どなたか歌いたい方は、いらっしゃいますか?」
バスガイドが笑顔で聞いた。だが誰も挙手しようとしない。本土人は、恥ずかしがり屋なのである。そこへいくと沖縄人は気さくだった。
「ええがな。ええがな。それよりも、あんたはんの歌が聞きたいわ」
乗客の一人が言った。
「そうですか。では、お言葉に甘えて歌わせて頂きます」
そう言ってバスガイドは、マイクをしっかり握りしめた。そして歌い出した。
「サー君は野中のデイゴの花か サーユイユイ♪
くれて帰ればヤレホニ引きとめる 又ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ サー♪
嬉しはずかし浮名をたてて サーユイユイ ♪
主は白百合ヤレホニままならぬ 又ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ♪
サー沖縄よいとこ一度はおいで サーユイユイ♪
緑の島よ 又ハーリヌ チンダラ カヌシャマヨ♪
サー米軍。出て行け。ちゅら海守れ。サーユイユイ♪
出て行け。平和の島、沖縄から サーユイユイ♪」
バスガイドは、熱唱した。それは、沖縄独特の、ゆったりとした、しかし哀調のある、非常に澄んだ歌声だった。
客達は、我を忘れて、その歌に聞きほれていたが、バスガイドが歌い終わると、一斉に、パチパチと拍手した。
「いやー。いい歌やなー。綺麗な歌声やなー」
乗客の一人が言った。

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沖縄バスガイド物語 (小説)(2)

2020-07-16 02:51:37 | 小説
「それにしても、あんさん。歌も上手いが、綺麗やなー。歌手になれるで」
別の客が言った。
「あ、有難うございます」
バスガイドは、ニコッと笑ってペコリとお辞儀した。
「あっ。あれは何なんだ?」
乗客の一人が身を乗り出して、指差して言った。彼も、客が指差した右手の方を見た。米軍基地の金網の前に、ズラーと、人の背丈ほどのベニヤ板が並んでいた。一体、あれは何なんだろうと、大東も疑問に思った。
「ガイドさん。あれは、一体、何なんですか?」
乗客の一人が聞いた。
「はい。右手に見えますのは、抗議人間看板でございます。こちらからは見えませんが、あの看板の裏側には、座り込みして、抗議している人間の絵が描かれています。私たち、沖縄県民は、よく座り込みのデモをしますが、いつも抗議しているのだということを示すために、抗議している沖縄県民の絵を描いて、立てたのです」
バスガイドは言った。
「へー。なるほど。案山子みたいだな。誰が、そんなことを始めたんですか?」
乗客の一人が聞いた。
「はい。それは私達です。私が、高校生の時、私の親友が、帰宅途中に米兵達に陵辱されて殺されました。しかし、米軍は、日米地位協定を盾にとって、公務中であるといって、身柄を沖縄県警に引き渡しません。米軍の中では、裁判が行われましたが無罪放免です。私の悲しみは憎しみに変わりました。米軍は日米地位協定を盾にとり、やりたい放題です。私は、この矛盾を政府に訴えました。しかし政府は何もしてくれません。私は、米軍の横暴に立ち上がろうと決心しました。それで、反米軍基地の会、というグループを作りました。そして私がリーダーになりました。米軍の横暴に対するビラ配り、抗議運動、署名活動、などをしました。すると、米兵達は、私達に、嫌がらせをするようになりました。家の前にジープでやって来て、アメリカのハードロックをボリュームを目一杯あげて鳴らしてみたり、自転車通学しているところを、トラックがもの凄いスピードで幅寄せしてきたり、してきました。私達は何回も転ばされました。私達は、さらに抗議活動をするようになりました。あの抗議人間看板も、抗議活動の一つとして作りました」
バスガイドは言った。
「へー。あんさん。綺麗なわりには勇気があるんやな」
乗客の一人が言った。
よく見ると、抗議人間看板には、どれも無数の小さな穴が開いていた。
「看板に小さな穴が開いているけれど、あれは何なんですか?」
乗客の一人が聞いた。
「はい。あれは米兵達が、ライフルで撃って出来た穴です。米兵達は、抗議人間看板を、見つけると、いい射撃訓練の的が出来た、と言って、面白がって撃つようになってしまったんです」
バスガイドは溜め息まじりに言った。
「そりゃー、ひどい。米軍はひどい事しやがるな」
乗客の一人が言った。
「そうだ。そうだ。それは、ひどい」
と皆も口々に言った。
「有難うございます。本土の方々にそう言って頂けると、私達も、どんな辛く苦しくても戦おうという勇気が出ます」
そう言ってバスガイドはペコリと頭を下げた。

   ☆   ☆   ☆

そうこうしている内にバスは、琉球村に着いた。
琉球村は、沖縄文化の体験テーマパークで、古い民家や屋敷で集落を復元したもので、その中では、三線体験、本格琉装体験、紅型体験、などを有料で、やっていた。
「皆様。お疲れさまでした。琉球村に到着いたしました。40分と、短いですが、どうぞ、古きよき沖縄の生活を体験してみて下さい」
バスガイドが言った。
皆がバスから降りた。大東も降りた。
「あんたはん。あんたはん」
降りた乗客の一人がバスガイドに声をかけた。
「はい。何でしょうか?」
バスガイドが聞き返した。
「すまんが、あんたはんも、来てくれまへんか」
乗客が言った。
「えっ。どうしてですか?」
バスガイドは、首を傾げて聞き返した。
「本格琉装体験っていうの、あるやろ。あんたはんに、琉球の紅型衣装を着て欲しいんや。そして、それをぜひ、写真に撮りたいんや」
乗客は言った。
「そうや。そうや。ぜひ、頼んまさ」
乗客達は口々に言った。
「わ、わかりました」
バスガイドは、少し照れくさそうに、頬を赤らめて答えた。そしてバスから降りた。
乗客達とバスガイドは、琉球村に入った。
本格琉装体験の場所は、琉球村の入り口のすぐ近くにあった。
「さあ。琉球の紅型衣装を着てくんなはれ」
乗客の一人が言った。
「は、はい」
バスガイドは、そう言うと、着付けする部屋に入った。
しばし、ゴソゴソと音がしていたが、10分くらいして、バスガイドが出て来た。
彼女は、鮮やかな紅型衣裳を着て出て来た。それは、琉球王朝時代に高貴な人達しか身につけられない本格的な紅型衣裳だった。
「おおっ」
皆が一斉に歓喜の声をあげた。
「綺麗やなー。まるで竜宮城の乙姫みたいや」
皆は、我を忘れて、美しい琉球衣装のバスガイドを見入った。
バスガイドも、少し誇らしげな様子だった。
カシャ。カシャ。
皆は、デジカメや携帯のカメラで、琉球衣装姿のバスガイドを撮影した。
バスガイドの顔は、ほんのり紅潮していた。
「ビキニ姿も綺麗やろなー」
禿頭の老人が唐突に言った。バスガイドは真っ赤になった。
「しかし、ここにビキニなんぞ、あるわけもないしな。残念やな」
乗客の一人が言った。
「いや。あるで」
禿頭の老人が、さりげなくカバンからビキニを取り出した。
それは、ハイビスカスの模様が描かれた鮮やかなビキニだった。
バスガイドは、ギョッとして目を丸くした。
「なんで、ビキニなんか持っとるんや?」
乗客の一人が聞いた。
「いやな。国際通りを見物していたら、鮮やかな色のビキニが目にとまっての。つい、理由もなく買ってしもうたんじゃ」
禿頭の老人が言った。
「あんさんが着たら、きっと似合うやろな。しかし、ビキニを着てくれ、とまでは頼めんしな。さびしいが、しゃあないわ」
禿頭の老人がさびしそうに言った。
「そうや。そこまで頼むのは、あつかましいわ」
乗客の一人がたしなめた。
「そうやな。そんな、あつかましいこと頼んだらた、あかんな。バチが当たるけん」
禿頭の老人は、そう言って、さびしそうにビキニをカバンの中に入れようとした。
「しかし残念やな」
乗客の一人がボソッと言った。
その場の雰囲気が急に、さびしくなった。
「わ、わかりました。我が琉球沖縄バスでは、お客様に対するサービスをモットーにしています。き、着ます」
バスガイドはあわてて言った。
「おおっ。そうか。着てくんしゃるか。すまんのう」
そう言って、禿頭の老人は、仕舞いかけたビキニを嬉しそうな顔で、バスガイドに渡した。
バスガイドは、ビキニを受け取ると、あわてて、着付けする部屋に入った。
しはし、ゴソゴソ音がしていたが、バスガイドが出て来た。ハイビスカスの模様の入ったセクシーなビキニを着ていた。
「おおっ」
皆は、皆は目を丸くして、ビキニ姿のバスガイドを見入った。
引き締まったウェスト。ボリュームのある胸と腰。それに続く、しなやかな太腿。それは、まさにグラビアアイドルそのものだった。
「き、綺麗やー」
乗客達は、食い入るようにビキニ姿のバスガイドを見入った。
カシャ。カシャ。
乗客達は、一斉に、デジカメで、ビキニ姿のバスガイドを撮影し出した。
バスガイドは、恥ずかしそうに、モジモジと手のやり場に困惑した。
「ガイドさん。すまんが両手を頭の後ろに回して、髪を掻き揚げるポーズをとってくれんかね」
禿頭の老人が言った。
言われて、バスガイドは、そっと、両手を頭の後ろに回して、髪を掻き揚げるポーズをとった。
ビキニの輪郭があらわになった。
カシャ。カシャ。カシャ。
乗客達は、バスガイドの間近に迫って、貪るように、デジカメのシャッターを切った。
「ああっ。あんまり、そんなに近くでは・・・」
バスガイドは、もどかしそうに腰を引いた。
だが乗客達は、デジカメでバスガイドの胸や腰や、太腿などを間近でカシャ、カシャと撮影し続けた。
老人の一人が、いきなり彼女の太腿に抱きついた。
「ああっ。柔らかい女子の温もりや」
「ああっ。な、何をなさるんですか?」
「バスガイドさん。わしは、肺ガンを宣告されてての。あと半年の命なんじゃ。この世の思い出に、少し触らせてくれんかの」
老人はさびしそうな口調でポツリと呟いた。
「わしも肝ガンであと半年の命なんじゃ」
別の老人が言った。
「わしも、前立腺ガンが全身に転移して、医者にも見離されておるんじゃ。可哀相な老人と憐れんでくんされ」
そう言って皆が彼女に抱きつきだした。老人達は、思うさまバスガイドの尻を撫でたり、胸を触ったりした。
「ああっ。そ、そんなことは・・・」
バスガイドは身を引こうとしたが、老人達は、思うさまバスガイドの体を触りまくった。
「ああ。柔らかい、温かい女子の肌じゃ。これで、わしはもう何も思い残すことなく死ねるわ」
一人の老人が言った。
「わしもじゃ」
「わしもじゃ」
老人達は口々に言った。
「あ、あの。もう、そろそろ出発の時間です」
バスガイドは、顔を真っ赤にして言った。
「おお。そうか。すまん。すまん」
そう言って乗客達は、バスガイドから離れた。
バスガイドは、急いで、着付けする部屋に入った。
しばし、ゴソゴソと着替えの音がしていたが、すぐに元の制服姿のバスガイドが出て来た。
一難去って、やっとほっとしたような表情だった。
「さあ。バスにもどりましょう」
バスガイドが言った。
言われて皆はバスにもどった。
結局、琉球村では、バスガイドの写真撮影だけで終わった。

皆かバスに乗った。
バスのエンジンが、ブルルルルッとかかり、バスが動き出した。
皆は、嬉しそうに、デジカメや携帯のカメラで撮ったバスガイドの写真を、心ゆくまで眺めているといった様子である。
次の目的地は、万座毛である。
「バスガイドさん」
禿頭の客がバスガイドに話しかけた。
「はい。何でしょうか?」
バスガイドが聞き返した。
「あの。ビキニ。返して貰えんでしょうか?あれ、わしの物やで」
禿頭の老人が言った。
「あ、ああ。あのビキニですね。す、すみません。あれは、着替え所に忘れてきてしまいまして・・・」
バスガイドは焦って言った。
「何でウソ言いますねん。あんたはんのポケットが膨らんでいて、ビキニの一部が、ポケットから、はみ出して見えてますよってに」
禿頭の老人が言った。
「あ、ああ。そうでした。間違えました。すみません」
そう言って、バスガイドは、恐る恐る、震える手でポケットからビキニを取り出すと、禿頭の老人に渡した。禿頭の老人は、ビキニを受け取ると、ビキニに鼻先をつけてクンクンと鼻をヒクつかせた。そして、
「ああ。いい匂いや」
と酩酊した口調で言った。
「わしにも嗅がせてくれ」
「わしにも」
乗客達は、皆、禿頭の老人に言った。
「わかった。わかった。じゃあ、皆に順番に回していくけん」
禿頭の老人は皆に言った。バスガイドの顔が青ざめた。その時。
「あっ。み、皆さん。左の海をよく見て下さい。今、クジラがジャンプするのが見えました」
バスガイドは焦って右手で左側の海を指差した。
どれどれ、と皆は、左手の海を見た。
「見えませんがな。バスガイドさん」
乗客が言った。
「沖の方です。クジラは慶良間諸島周辺で見られますが、本土から見られることは、めったにありません。非常に貴重な体験です。皆さんは幸運です。しっかりと沖の方を眺め続けて下さい。そのうち、必ず、また姿を見せます」
バスガイドはあわててまくしたてた。
乗客達は、目を凝らして沖の方を眺め続けたが、クジラはなかなか姿を見せなかった。
そうこうしている内に、バスは、次の目的地である万座毛に着いた。
「みなさん。万座毛に着きました。万座毛は、高さ30mの切り立った珊瑚礁の断崖です。これは、琉球王朝の尚敬王が、万人を座らせるにことが出来る、と言ったことから、その名前がつきました。美しい東シナ海をどうぞ、ごゆるりとご覧下さい」
バスガイドがそう説明した。
乗客達は、ゾロゾロと降りていった。
「結局、クジラは見えんかったの」
乗客達は残念そうに言った。
禿頭の老人が降りようとすると、バスガイドは、
「あ、あの・・・」
と言って、老人を呼び止めた。
皆が降りてしまった後、バスガイドは、老人に、耳打ちした。
「あ、あのビキニ、売って頂けないでしょうか。私、気に入ってしまったので」
と小さな声で耳打ちした。
「そうですか。わしも気に入ってしまったのですが・・・。まあ、仕方ありまへんな。お金はいりまへんわ」
そう言って禿頭の老人は、バスガイドにビキニを渡した。
「あ、有難うございます」
バスガイドはビキニを受け取ると、ほっと一安心したように胸を撫で下ろした。
禿頭の老人が降りた後、バスの最後部に乗っていた大東も降りた。
「知念多香子さん。すみません。本土の人間はスケベばかりで。私は本土人として、非常に恥ずかしいです。本土人として、心よりお詫び致します」
そう言って彼は、恭しくバスガイドに頭を下げた。
「い、いえ。いいんです。気にしてません。本土人でも、大東さんのように、礼儀正しい方もいらっしゃいますから」
バスガイドは、溜め息をついて、そう答えた。

万座毛は、高さ30mの切り立った珊瑚礁の断崖だった。あそこから落ちたら確実に死ぬだろうな、と彼は感じて、身震いした。しかし、広大なエメラルドグリーンの東シナ海の眺めは絶景だった。

ただ海を見るだけなので、ここは10分くらいで、皆、引き返してきた。
次の目的地は、美ら海水族館だった。

乗客達は、やや疲れてきたと見え、黙って左手に見える海をボンヤリと眺めていた。
那覇市の国際通りの賑わいと対象に、もうここまで遠く来ると、所々にポツン・ポツンとリゾートホテルが、建っているだけで、右手は、山や雑木林で、他には何もない、うらさびしい光景だった。
「バスガイドはん。何か歌ってくれんかの?」
乗客の一人が言った。
「はい。わかりました。どんな歌がいいでしょうか?」
バスガイドは聞き返した。
「そうやな。沖縄出身の歌手の歌がいいな」
乗客の一人が言った。
「そうや。そうや」
皆は口々に言った。
「わかりました。誰の歌がいいでしょうか?」
バスガイドは聞き返した。
「上原多香子の歌がいいがな」
「いや。安室奈美恵を頼んます」
「いや。絶対、夏川里美や」
「ついでに南沙織も」
乗客達は、口々に自分の好きな沖縄出身の歌手の名前をあげた。
バスの中は、まるで小学校の修学旅行の生徒のような感じだった。
「わ、わかりました」
バスガイドは、リクエストされた、上原多香子、安室奈美恵、夏川里美、南沙織の歌を休む暇なく、歌い続けた。
そうこうしている内に、バスは、ちゅら海水族館に着いた。
バスガイドは歌うのをやめた。
「はい。皆さん。ちゅら海水族館に着きました。休憩時間は、一時間です。どうぞ、ごゆっくり、楽しんできて下さい」
バスガイドが言った。
「いやー。あんさん。歌、うまいなー」
「あんさんなら、歌手になれるで」
乗客達は、口々に勝手なことを言って、降りていった。
バスの最後部に乗っていた大東も最後に降りた。
「知念多香子さん。すみません。本土の人間は我が儘ばかり言って。私は本土人として、非常に恥ずかしいです。本土人として、心よりお詫び致します」
そう言って彼は、本土人を代表して頭を下げ謝罪した。
「い、いえ。いいんです。気にしてません。私、歌、歌うの好きですから」
バスガイドは、息を切らしながら答えた。

美ら海水族館は、沖縄本島北西部の本部半島備瀬崎近くにある国営沖縄記念公園の中にある、4階建ての延床面積 19,199m²の巨大水族館である。東シナ海の海が、すぐその先にあり、西には、間近に伊江島が見えた。館内には、「珊瑚の海」「熱帯魚の海」「黒潮の海」「サメ博士の部屋」などがあり、それが、水族館を見る順路だった。「珊瑚の海」では、約70種の造礁サンゴが飼育されており、珊瑚の近くで生息している生物達が、太陽光が刺し込む大きな水槽の中で揺らめいていた。「熱帯魚の海」では、約200種の鮮やかな色の熱帯魚が、太陽光が刺し込む水槽の中で、ゆったりと泳ぎ回っていた。「黒潮の海」では、ジンベエザメや、マンタ(イトマキエイ科の軟骨魚)、マグロ、カツオなどの黒潮を棲家とする魚が、泳ぎ回っていた。「サメ博士の部屋」では、人食い鮫であるオオメジロザメが泳いでいる水槽があり、その他に、サメに関する様々な展示物が羅列されていた。彼は、海は好きだったが、カラフルな色の熱帯魚を見ても、それほど美しいとは思わなかった。だが彼は何事にも興味を持っているので、一通り、丹念に見た。
約一時間かけて、水族館を大急ぎで一通り見て回ると、彼は急いでバスにもどった。他の客達は、皆すでにバスにもどっていた。彼が乗ると、バスのドアが閉まり、ブルルルルッとエンジンが始動して、バスは動き出した。

次の目的地は、最後の、OKINAWAフルーツらんど、である。

「バスガイドさん。また歌って下さらんか」
乗客達が言った。
「は、はい。わかりました」
バスガイドは、そう言って、また沖縄出身の歌手の歌を熱唱し始めた。
どうやら、乗客達は、沖縄の自然や文化より、バスガイドの方に関心があるらしい。
こういう下品なことばかり要求するから、ヤマトンチュ(本土人)はウチナンチュ(沖縄人)に嫌われるんだな、と彼は、残念に思った。
バスは本部半島の中の道を突っ切って走った。
ちゅら海水族館からOKINAWAフルーツらんど、までは10kmも無く、すぐに着いた。

OKINAWAフルーツらんど、は、亜熱帯の果樹が生い茂り、木や芝には、珍しい鳥が、木にとまっていたり、芝に、はべっていたりして、いかにも南国という感じだった。それは、旧約聖書のアダムとイブの住んでいた楽園を連想させた。しかし、やはり、作られた人工楽園という感も否めなかった。ここの滞在時間は、20分だった。他の客達は、フルーツらんどのカフェで、一服したり、フルーツを食べたりした。彼は、早足で、園内を一通り見て回った。ちょうど時間ギリギリで彼はバスにもどった。あとは、高速道路の沖縄自動車道を那覇市まで、一気に走ってもどるだけである。
「皆さん。お疲れさまでした」
戻ってくる乗客達にバスガイドは、丁寧に笑顔で、お辞儀した。乗客達は、次々にバスに乗り込んでいった。
バスが動き出すと、乗客達は、また、バスガイドに歌をリクエストした。
「バスガイドさん。はいさいヨイサー、を歌ってくれんかね」
乗客の一人がリクエストした。
「はい。わかりました」
バスガイドは、はいさいヨイサーを踊りも入れて歌った。
少し、嬉しそうだった。
パチパチと拍手が起こった。
「じゃあ、ついでに、変なおじさん、も歌ってくれんかね」
「踊りも入れて」
別の乗客がリクエストした。
「は、はい。わかりました」
バスガイドは、リクエストされた、変なおじさん、を歌わされた。
そうこうしている内に、バスは、高速道路の沖縄自動車道に入った。
乗客達は、疲れからグーグーいびきをかきながら居眠りした。
バスは一気に那覇市のバスセンターまで、もどった。
「みなさん。お疲れさまでした。もうすぐバスセンターです」
バスガイドが、言うと、みな、目を覚ました。
「本日は、琉球沖縄バス、北部コースをご利用いただきまして、まことに有難うございました。いかがでしたでしょうか」
バスガイドが丁寧にお辞儀して聞いた。
「ああ。凄く楽しかったで」
「あんさんのこと、忘れんで」
乗客達は、口々に勝手なことを言った。
「有難うございました」
バスガイドは丁寧にお辞儀した。
ようやく、バスは、バスセンターに止まった。乗客達は次々と降りていった。
バスの最後部に乗っていた大東も降りた。
「知念多香子さん。すみません。本土の人間は礼儀知らずばかりで。私は本土人として、非常に恥ずかしいです。本土人として、心よりお詫び致します」
そう言って彼は、恭しくバスガイドに頭を下げた。
「い、いえ。いいんです。気にしてません。本土人でも、大東さんのように、礼儀正しい方もいらっしゃいますから」
バスガイドは、溜め息をついて、そう答えた。

   ☆   ☆   ☆

その時、バスガイドのポケットの中で携帯の着信音がピピッと鳴った。
「あっ。すみません」
そう言って、バスガイドは、ポケットから、携帯電話を取り出して、携帯を耳に当てた。
「もしもし・・・」
しばし、ガイドは相手と話していたが、
「はい。わかりました」
と言って携帯を切った。
「どうしたんですか?」
「あの。米軍から、反米軍基地の会の代表である私と話し合いがしたいので、明日、来て貰えないかという米軍からの連絡です」
彼は瞬時に、米軍の策謀の匂いを感じとった。
「それで、行くと言ったんですか?」
「ええ」
「あなたは、1995年の、米兵の少女強姦事件を忘れたのですか?」
「もちろん、知っています。でも、ああいう事件は、極めて、例外的にまれに起こってしまった哀しい事件です。そういう例外的な事件をもって、米軍のすべてを悪だと決めつけてしまうのは、いけないことだと思います」
彼女は自信を持って言った。
「そうですか。では、私も同行しても、いいでしょうか?」
彼はおもむろに聞いた。
「ええ。大東さんのような方が一緒にいて下さると心強いです。でも、大東さんを基地の中に入れてくれるでしょうか?」
「では、聞いてみてはどうでしょうか。私も、今日から反米軍基地の会に入ります」
「有難うございます。では、聞いてみます」
そう言って彼女は、携帯をピピピッと操作して耳に当てた。
「もしもし。反基地の会の代表の知念多香子です。明日の話し合いに、もう一人、会員の方を同行させて、貰ってもよろしいでしょうか?」
しばしの間の時間が経過した。
「はい。それはどうも、有難うございます」
「どうだったんですか?」
「はい。構わない、ということです」
「そうですか。では、明日、私も同行します」
「有難うございます。大東さんのような方が、いてくださると心強いです。でも貴重なお時間を割いてしまって申し訳ありません」
「いえ。気にしないで下さい。それより明日は何時に、来てくれと米軍は言ってきましたか?」
「正午です」
「どこの米軍基地ですか?」
「キャンプ・シュワブです」
「そうですか。では、明日の午前10時にここで合いませんか。私が車で来ます。それでよろしいでしょうか?」
「ええ」
そういうことで、その日は、彼と彼女は別れた。万一の用心のために、お互いの携帯電話の番号とメールアドレスを教えあった。
彼は、ユイレールに乗って、親のマンションに帰った。
その日の夕食はゴーヤ・チャンプルーだった。彼は、ゴーヤ・チャンプルーが嫌いだった。苦いからである。

   ☆   ☆   ☆

翌日になった。
彼はレンタカーを借りて、午前10時にバスセンターに行った。彼女はすでに来ていた。
「やあ。知念多香子さん。おはようございます」
「おはようございます。大東さん」
彼は助手席のロックを解いた。彼女が助手席に乗り込むと、彼はさっそく、エンジンを駆けて、車を出した。
「有難うございます。大東さんのような方が、いてくださると心強いです。でも貴重なお時間を、私のために割かせてしまって申し訳ないです」
彼女はペコリと頭を下げた。
「いえ。気にしないで下さい」
彼は、手を振った。
キャンプ・シュワブは、昨日、行った北部の方にあり、宜野座村と名護市にまたがっている総合演習基地である。昨日、通った、高速道路の沖縄自動車道を一気に走るだけである。距離にして、約50kmである。普天間飛行場の左を通り、嘉手納基地の左を通り、スイスイと彼は高速道を飛ばした。助手席にはバスガイドがいる。彼は、憧れのバスガイドとドライブしているようで爽快な気分になった。
「いやー。嬉しいなー。憧れの知念多香子さんと、ドライブしているようで」
彼は、ことさら自分の思いを述べた。
「私も嬉しいです」
彼女も頬を赤くして答えた。そうこうしているうちに、車はすぐにキャンプ・シュワブに着いた。営門の両側には、米兵が物々しく立っていた。微動だにしない。しかしその目つきは鋭かった。彼は、レンタカーを近くの駐車場に止めた。二人は、車から降りて、営門に向かった。
彼は米兵の一人に話しかけた。
「ハウドユドウ。米軍から昨日、知念さんと、話し合いがしたい、と連絡があって、やって来ました。私は付き添いの大東という者です」
という意味のことを彼は英語で米兵の一人に話しかけた。
米兵は、携帯電話を取り出すと、何やら英語で話した。話し終えると、米兵は、
「ウェイタ、モーメント」
と言った。
しばしすると、一台の米軍の車がやって来た。営門の前で止まると、一人の米兵が降りてやって来た。
「ヤア、ヨク、オイデクダサイマシタ。ドウゾ、オハイリクダサイ」
その米兵は日本語が達者だった。
言われて、二人は営門を通った。
「サア、ドウゾ、ノッテクダサイ」
そう言って、米兵は、車の後部座席のドアを開けた。
「乗りましょう」
彼がバスガイドに言った。
「ええ」
バスガイドが答えた。
二人は、米軍の車の後部座席に乗った。
米兵は、運転席に乗ると、エンジンを駆けた。
車は米軍基地の広い敷地内を走り出した。広大な芝生の中を幅広い道路が縦横に走り、信号機や、バス停まである。標識は、全て英語で書かれていて、公園では、米兵達が野球をしていた。そこは、もう日本ではなく、完全なアメリカの町だった。芝生の中にポツリ、ポツリと、テラスホウスや、ゴージャスな建物が並んでいる。米兵達の住まいだろう。
やがて、車は、大きな建物の前で止まった。
「サア。ツキマシタ。オリテクダサイ」
運転していた米兵に言われて、彼と彼女は車から降りた。
「ココガ、シレイホンブ、デス」
米兵が建物を指差して言った。
二人は、米兵のあとについて、建物の中に入って行った。
「サア、ココデス」
そう言って、米兵は、扉を開けた。
大きな部屋の中には、大きな机とソファーがあり、星条旗が厳かに立てられていた。壁には、沖縄返還前の高等弁務官の写真が厳かに飾られていた。
「サア、オスワリクダサイ」
米兵に言われて、大東と彼女は、ソファーに座った。
米兵は、紅茶を二人の前の大理石のテーブルに置いた。
「ソレデハ、シバラクオマチクダサイ。沖縄米軍基地司令官ノ、マクドナルド大佐ガオミエニナリマス」
と言って米兵は部屋を出て行った。
しばしして、戸が開き、正装の軍人が部屋に入ってきた。
「ハジメマシテ。ワタシガ、沖縄米軍基地司令官ノ、マクドナルド、トイウモノデス」
そう言って、軍人は、手を差し出した。
彼女と大東も、ソファーから立ち上がった。
「はじめまして。反基地の会代表の、知念多香子と申します」
と彼女は言って、彼と握手した。
「はじめまして。私は、反基地の会のメンバーの大東徹という者です」
そう言って、大東も、彼と握手した。
司令官は、机をはさんで、向かい合わせにソファーに座った。
「サア。ドウゾ、オスワリクダサイ」
司令官は言った。
大東と彼女はソファーに座った。
「ワガ、ベイグンハ、ソウオン、ホカ、サマザマナコトデ、オキナワケンミンノミナサンニ、ゴメイワクヲオカケシテ、タイヘン、モウシワケナクオモッテイマス」
そう言って大佐は深々と頭を下げた。
司令官は続けて言った。
「ワガ、米軍トシテモ、ゴ迷惑ヲオカケシテイル、沖縄県民ニタイスル、配慮ノ、教育ハ、徹底シテヤッテオリマス。シカシ、ザンネンナコトニ、イチブノ、米兵ガ、オキナワケンミン、二、イヤガラセヲシテイルヨウデス。ソノヨウナモノタチガ、ワカリマシタラ、軍法会議ニカケテ、キビシクショブンスルツモリデス」
そう言って大佐は深々と頭を下げた。
「キョウ、オヨビシマシタノハ、行方不明ニナッテイル、アナタガタノ仲間ノ、石嶺有紀サン、ガ、ミツカッタカラデス。ソノ報告ニ、オヨビシマシタ」
「えっ。石嶺有紀さんが見つかったんですか?」
彼女は、目を丸くして身を乗り出した。
「エエ」
「彼女は、今、どこにいるんですか?」
「ココノ、基地ノ中ニイマス」
「一体、どういうことなんですか?」
彼女は、せっつくように聞いた。
「彼女ハ、独身ノ、米兵ヲ、好キニナッテシマッテ、イッショニ暮ラシテイタノデス」
「では、なぜ、彼女は連絡をよこさなかったでしょうか?」
「彼女ハ、米兵ト、結婚シタイトマデ、思ッテイマス。シカシ、彼女ノ、両親ハ、ベイグンヲ嫌ッテイテ、トテモ、結婚ナド認メテクレナイカラ、報告デキナカッタ、トイッテイマス」
「本当ですか。ちょっと信じられません」
知念多香子が言った。
「デハ、彼女ニアッテ、タシカメマスカ?」
「ええ。ぜひお願いします」
「デハ、コチラヘ、イラシテクダサイ」
そう言って司令官はソファーから立ち上がった。大東と彼女も立ち上がった。
司令官は大東と彼女を、部屋の隅に連れて行った。
部屋の隅の壁には、プッシュボタンがあった。司令官はプッシュボタンをピッ、ピッ、ピッと押した。すると、部屋の隅にある扉が開いた。扉の中は、地下へ降りる階段になっていた。
「サア。イキマショウ」
司令官が言った。
彼と彼女は、司令官と共に、その階段を降りていった。階段の下には、また扉があった。
「ココデス。オハイリクダサイ」
そう言って、司令官は扉を開けた。
中は大きな劇場のようになっていて、野戦服を着た海兵隊員たちが、大勢、椅子に座っていた。
海兵隊たちは、サッと彼女と大東の方に視線を投げた。
まず彼女が入り、次いで大東が入った。その時だった。
「あっ」
大東は、思わず声を出した。彼が入るやいなや、いきなりドアの後ろに隠れていた、米兵二人がサッと飛び出して、彼の腕を捩じ上げ、手首に手錠をかけてしまったのである。
一瞬のことだった。
「な、何をするんだ」
彼は、咄嗟に叫んだが、手錠をかけられているうえ、二人の米兵にガッシリ取り押さえられてしまっているので、どうすることも出来ない。
「あっ。大東さん」
先に入った彼女が、振り向いて言った。
その時。ドアの後ろに隠れていた、もう一人の米兵が、飛び出して、サッと彼女の両腕を背中に捩じ上げ、手錠をかけた。
米兵は、彼女の頭にピストルの銃口を突きつけた。
「何をするんですか。これは、一体、どういうことですか」
大東は、司令官に怒鳴りつけるように聞いた。
「コノ地下室デハ、手錠ヲスルノガ、規則ナノデス」
司令官は笑って言った。
だまされた、と大東は瞬時に思った。しかし、手錠をかけられているうえ、彼女を人質にとられているため、どうすることも出来ない。
「くそっ」
大東は舌打ちした。
司令官は、大東の口にガムテープを貼った。そして、手錠をもう一つ、取り出して、片手に手錠をし、もう一方を鉄の柱につなぎ止めた。

海兵隊達は酒を飲んだり、タバコを吸ったりしながら、談笑していた。
「石嶺有紀さんは、どこにいるんですか?」
彼女は、手錠をされて、銃口を突きつけられつつも、ひるむことなく、司令官に聞いた。
「アソコデス」
司令官は、冷ややかに笑って、前方のカーテンを指した。一人の米兵がサッとカーテンを開いた。
「ああっ」
大東は、思わず声を洩らした。彼女も。
そこには、全裸の女が爪先立ちで、吊るされていた。
「あっ。石嶺有紀さん」
知念多香子は、体を揺すって、叫んだ。
「あっ。知念多香子さん」
全裸で吊るされている石嶺有紀も、瞬時に呼応した。
「一体、どういうことなのですか?」
知念多香子は、裸で吊るされている石嶺有紀、と司令官に聞いた。
司令官はニヤニヤ笑って答えない。
石嶺有紀は、わっと泣き叫びながら、語り出した。
「知念さん。三ヶ月前に、私の家にいきなり米兵達が、やって来て、私を縛って、車でここに連れてこられたんです。私は米兵達に、さんざん弄ばれました。そして、身も心もボロボロになって虚ろになってからは、拷問の毎日です。米軍は日本人を人間とは思っていません。虫ケラと思っているのです。基地開放のフェスティバルの日には、さかんに、日本人に、トモダチ、トモダチなどと言って笑顔を振りまいていますが、あれは、米軍の表の顔です。知念さん。あなたもだまされて、連れてこられてしまったのですね」
そう言って彼女はわっと、泣き出した。
「あ、あなた達は・・・それでも人間ですか」
彼女は憤怒の目で、司令官をにらみつけた。
「アハハハハ。日米安保ノ、邪魔ヲスル、ジャップハ、コウナルノデス」
司令官は笑って言った。
「サア。ハジメナサイ」
司令官は、そう言って椅子に座った。
一人の米兵が、鞭を持って、彼女の背後に立った。米兵は、ガムをクチャクチャ噛みながら、鞭を振り上げると、吊るされている女の尻めがけて、鞭を振り下ろした。
ビシーン。
鞭は、激しい炸裂音を立てて吊るされている女の白い尻に当たった。
「ああー」
女は激しい悲鳴を上げた。尻がピクピク震えている。鞭打たれた所は、赤く痛々しい鞭の跡がついた。
「アッハハハ」
米兵達は、ウイスキーを飲みながら、ショーを観賞するように笑った。
「モットヤリナサイ」
司令官が命じた。
鞭を持っている米兵は、さらにもう一発、鞭で女の尻を叩いた。
ビシーン。
鞭は、また激しい炸裂音を立てて吊るされている女の白い尻に当たった。
「ああー」
女は、また激しい悲鳴を上げた。
「や、やめて下さい。こんなこと」
知念多香子が、強い口調で、司令官に訴えた。
「ヤメテホシイデスカ」
司令官は、ニヤニヤ笑いながら言った。
「当然です」
知念多香子は、毅然とした口調で言った。
「ダッタラ、アナタガ、彼女ノ、身代リニナリマスカ。ソウシタラ、彼女ノ鞭ウチハ、ヤメテアゲマス」
司令官は、淫靡な目で彼女を見て、ニヤニヤ笑って言った。
「わ、わかりました。み、身代わりになります」
知念多香子は、毅然とした口調で言った。
しかし、その声は震えていた。
「デハ、マズ、服ヲゼンブ脱イデクダサイ」
司令官が言った。
「その前に、石嶺有紀さんの吊りを、降ろして下さい」
知念多香子は、毅然とした口調で言った。
「オーケー」
司令官は、そう言うや、彼女の後ろで、鞭を持っている米兵に視線を向けた。
「サア。彼女ヲ、オロシテヤリナサイ」
言われて米兵は、台の上に乗って、手錠のかかった石嶺有紀を吊りから降ろした。米兵は、クチャクチャ、ガムを噛みながら、彼女の頭にピストルの銃口を当てた。司令官は、知念多香子に目を向けた。
「サア、オロシマシタヨ。ハヤク、ストリップショー、ヲ、ハジメナサイ」
そう言って、司令官は、知念多香子を、ステージの上にあがらせた。米兵達は淫靡な視線を彼女に向けた。
だが彼女は、困惑した表情で竦んでしまっている。無理もない。花も恥らう乙女が、どうして、憎んであまりある米兵達の前で、裸になることが出来よう。その、もどかしげな態度は、米兵達の欲情を余計、刺激した。米兵達は、ピュー、ピュー、口笛を鳴らしながら、彼女が脱ぐのを催促した。
「サア、ハヤク、脱ギナサイ」
司令官は、ハサミを取り出すと、石嶺有紀の髪を挟んだ。
そうして、ジョキンと一部を切った。美しい黒髪がバサリと床に落ちた。
「ああっ」
知念多香子は、目を見張った。
「サア、脱ガナイト、モット切リマスヨ」
そう言って、司令官は、また、ハサミで石嶺有紀の髪を挟んだ。
「知念さん。私のことは構わないで。私はもう、死ぬ覚悟です」
石嶺有紀は知念多香子に訴えた。そして、司令官に目を向けた。
「マクドナルドさん。お願いです。私はどんな責めも受けます。だから、知念多香子さんは許してあげて下さい」
石嶺有紀は、司令官に背後から胸を揉まれながら、疲れきった虚ろな目を司令官に向けて哀願した。
「ダメデス。日米安保ノ、ジャマヲスル、ジャップハ、ユルシマセーン」
司令官は、ウイスキーを飲みながら言った。
「わ、わかりました。その代わり石嶺有紀さんを虐めないで下さい」
知念多香子は、そう言うと、手を震わせながら、ブラウスのホックをはずし始めた。
「オオー」
米兵達は、ピー、ピーと歓喜の口笛を鳴らして囃したてた。
彼女は、ブラウスを脱ぎ、震える手で、スカートも脱いだ。
米兵達は淫靡な目を彼女に向けている。
とうとう彼女はブラジャーとパンティーだけになった。
彼女のふくよかな胸に米兵達は、ゴクリと唾を呑んだ。
彼女は、もうこれ以上は耐えられないといった様子で手で体を覆った。
「サア。ソレモ脱ギナサイ」
司令官が命じた。
だが知念多香子は、もう耐えられない、といった様子で、立ち竦んでしまった。
「フフフ。ソレモ脱ギナサイ」
司令官は、ふてぶてしく命じた。だが、彼女は、下着だけの体を手で覆い、クナクナと座り込んでしまった。
「も、もう許して下さい」
彼女は、涙ながらに訴えた。
「フフフ。ソウデスカ。ワカリマシタ。ナラ、下着ハ、イイデショウ」
「あ、有難うございます」
彼女は信じられないという目で司令官を見た。
「フフフ。マア、イズレ、アナタハ、自分カラ、下着ヲ、脱ギタイトイウデショウ」
司令官はふてぶてしく言った。
そして、米兵達に、目配せした。
四人の米兵が、ニヤリと笑って、バッグを持って、ステージに上がって、蹲っている彼女をグイと掴んで立たせた。そして、舞台の後ろの壁に、彼女を大の字に押し付けた。
「な、何をするんですか?」
彼女は不安げな口調で聞いた。だが、米兵達は答えない。米兵達は、バッグから鉄のプレートの付いている鉄製の枷を取り出した。そして大の字に伸ばされた彼女の手首と足首に、その枷を取り付けた。そして、そのプレートに開いてある四ヶ所の穴にネジを指し込み、ドライバーで、プレートを壁に固定した。

これで、彼女は、下着姿のまま、壁に大の字に固定されてしまった。もう彼女は、動くことが出来ない。
「い、一体、こんなことをして、何をしようとするのですか?」
彼女は恐怖に脅えた口調で聞いた。だが米兵は黙っている。米兵達は、バッグから風船をたくさん取り出した。そして、息を吹き込んで風船を、どんどん膨らませていった。一つ一つの風船は、拳くらいの大きさで、あまり大きくは膨らませない。そういう小さい風船を無数に作った。それが終わると米兵達は、ニヤリと笑って、両面粘着テープで、風船を彼女の手首から肩まで、隙間なく貼りつけていった。風船は、彼女の腕の上側と下側に貼りつけていった。
「な、何をするのです?」
彼女が脅えた表情で聞いた。だが米兵は答えない。黙々と風船を彼女の腕に貼りつづけるだけである。両腕の上下に、小さい風船がいっぱい貼りつけられた。
米兵達は、今度は、彼女の脇腹から、足首まで、彼女の体の外側に黙々と、小さな風船を取りつけていった。そして、今度は、彼女の足の内側に、足首から、太腿の付け根まで、小さい風船をつけていった。次に、米兵は彼女の髪の毛に風船をくっつけた。彼女の顔の両側にも二つの風船がとりつけられた。彼女の体の輪郭の外側は、小さな無数の風船で一杯になった。それは、まるで、看板を縁取ったネオンサインの様だった。
「こ、こんな事をして、一体、何をしようというのです?」
彼女は、不安げな口調で聞いた。だが、四人の米兵達は、ステージから降りて席にもどってしまった。
「フフフ。何ヲ、スルト思イマスカ?」
司令官が、ふてぶてしい口調で彼女に聞いた。
「わ、わかりません」
彼女は、困惑した表情で答えた。
「スリリングナ、楽シイ、遊ビデス。ワレワレ、米軍ハ、キチノ騒音デ、沖縄ノミナサンニ、ゴ迷惑ヲ、ヲカケシテイマスカラ、ソノオワビデス」
司令官は、したたかな口調で言った。
そう言うや、司令官は、米兵達の方を振り向いて、
「サア。ハジメナサイ」
と言った。
米兵達は、椅子から立ち上がって、後ろの壁の前に移動して、ズラリと一列に並んだ。
「サア。ハジメナサイ。スコープ、ヲ、ツケナイデ、撃テルモノハ、イチカイキュウ、アガリマス」
司令官が言った。
一人の米兵が、ライフルにスコープをつけて、銃口を彼女に向けて構えた。
彼女は、やっと、風船をとりつけられた意味を解した。
「や、やめてー。そ、そんな恐ろしいこと」
彼女は、張り裂けんばかりに大声で叫んだ。
体がワナワナ小刻みに震えている。
「フフ。体ヲ動カスト、弾ガアタリマスヨ」
司令官は、ふてぶてしい口調で言った。
米兵は、ライフルに顔をくっつけて、スコープを覗きながら、ゆっくりと引き金を引いた。
ズキューン。
ライフルの弾の発射の音と、同時に、パーンと彼女の手首の所の風船が割れた。
「ああー」
彼女は、驚天動地の悲鳴を上げた。
「オー。ベリー。ナイス」
米兵達は、ピューピュー、口笛を吹いた。
「next」
司令官が言った。
二番目の米兵が、ライフルを構えた。スコープつきである。
米兵は、ライフルに顔をくっつけて、スコープを覗きながら、ゆっくりと引き金を引いた。
ズキューン。
パーン。
彼女の脇腹にとりつけられた風船が割れた。
「ひいー」
彼女は、顔を引き攣らせて叫んだ。
「オー。ベリー。ナイス」
米兵達は、ピューピュー、口笛を吹いた。
そうやって、米兵達は、次々に彼女の体にとりつけられた風船を割っていった。
なかには、風船を外す者もいて、
「オー。ミステイク」
と口惜しそうに言った。彼女は、
「ひいー」
と、ひときわ戦慄の叫びを上げた。
弾が外れることもあるということが、彼女の恐怖心を、実感として、ことさら煽ったのだろう。しかし、もしかすると、それは、彼女を怖がらせようという意図で、米兵が、わざと外したのかもしれない。しかし、彼女には、その真偽を知る由もない。
だが、概ね風船を外す者はいなかった。
彼女の体に取り付けられた風船は、どんどん割れていった。
あとは、彼女の髪の毛に取り付けられた、顔の両側の風船である。
「や、やめてー。お願い」
彼女は、彼女は恐怖に顔を引き攣らせて叫んだ。
だが、米兵は、ガムをクチャクチャ噛みながらライフルにスコープをつけて、銃口を彼女に向けて構えた。
そして、引き金を引いた。
ズキューン。
彼女の頭の右側につけられていた風船が、パーンと割れた。
「ひいー」
彼女は、ガクガク全身を震わせた。
「お願い。もうやめてー」
彼女は泣きじゃくりながら叫んだ。
「サア、アトヒトツデス」
司令官が言った。
次の米兵が、ライフルにスコープをつけて、銃口を彼女に向けて構えた。
彼女は、恐怖に目をつぶった。
米兵はライフルの引き金を引いた。
ズキューン。
彼女の頭の左側につけられていた風船が、パーンと割れた。
「ひいー」
彼女は、ひときわ高い叫び声を上げた。
「ウチソコナッタモノモイルガ、マア、オオムネ、ヨロシイ」
司令官は、米兵達の射撃の能力に満足しているような口調で言った。
彼女は、恐怖心で疲れ果てた、という様子で、ガックリ項垂れていた。
「go」
司令官が米兵に目配せした。
四人の米兵達が、ステージに昇って、彼女の方へ歩み寄った。
やっと、これで、恐怖の射撃が終わったのだと彼女は思ったのだろう。彼女は、疲れ果てている表情のうちにも、ほっと溜め息をついた。
だが様子が変である。米兵達は、また、風船を膨らませて、彼女の体に、両面テープで、風船を、くっつけ出した。
彼女は恐怖に顔を引き攣らせた。
「や、やめてー」
彼女は悲痛な叫び声を上げた。
だが米兵達は、聞く耳を持たない。あたかも飾りつけを楽しむように、ガムをクチャクチャ噛みながら、風船を彼女の体につけていった。また、彼女の体には、風船がたくさん取り付けられた。
米兵達は、仕事を終えると、皆の方にもどって行った。
司令官はニヤリと笑った。
「サア、今度ハ、ミナ、イッセイニ撃チナサイ」
言われて米兵達は、皆、一列になって、ライフルを構えた。
「や、やめてー」
彼女は、恐怖に顔を引き攣らせて言った。
だが司令官は、パイプを燻らせながら、眺めている。
「ready・・・」
司令官が言った。
米兵達は、ライフルの引き金に指をかけた。
「go」
ズガガガガー。バキューン。バキューン。
一斉に、ライフルが撃ち放たれた。
彼女の体の風船は、一瞬にして、全て割れた。
「ひいー」
彼女は、激しい叫び声を上げた。
今度は、外れた弾はなかった。
「very good」
司令官が、満足げな表情で言った。
司令官は、また米兵に目配せした。
「サア、三度目デス」
司令官が言った。
四人の米兵達が、彼女の方へ歩み寄った。そして、また風船を膨らませ出した。
「も、もう。やめて下さい」
彼女は、泣きじゃくりながら叫んだ。
「デハ、シタギヲ、ヌギマスカ。ソレナラバ、ヤメマス」
司令官は、ふてぶてしい口調で彼女に聞いた。
「ぬ、脱ぎます」
彼女は、泣きながら言った。
司令官は、フフフと笑った。
「彼女ヲ、壁カラ、オロシテヤリナサイ」
司令官は、風船を膨らませていた米兵達に言った。
「OK」
米兵達は、楽しそうに、彼女を壁に固定している手錠と足錠をはずした。
彼女は、手錠と足錠を外されると、ガックリと床に倒れ伏した。
もう精神的に疲労困憊しきっているといった様子である。
「everybody sit down」
司令官が皆に言った。
米兵達は、元のように椅子に座った。
「フフフ。彼女ノ、ストリップヲ、ビデオニ、撮ッテオキナサイ」
司令官が命じた。
米兵の一人がニヤリと笑って、ビデオカメラを彼女に向けて、スイッチを入れた。
皆、好奇心満々、といった目つきである。
「サア、下着ヲ、脱ギナサイ」
司令官が彼女に命じた。
命じられて、彼女は力なく起き上がった。
彼女は、恐る恐る、両手を背中に回して、ブラジャーのホックを外し、ブラジャーを外した。
ふくよかな乳房が顕になった。
彼女はブラジャーを外すと、急いで乳房を覆った。
「オオー」
米兵達は、ピューピュー口笛を鳴らした。
「サア、パンティーモ、脱ギナサイ」
司令官が命じた。
彼女は、立ち上がり、中腰になるとパンティーを抜き取った。そして、また急いで床に座り込んだ。
彼女は、胸と秘部を手でギュッと覆った。
「オオー。very sexy」
米兵達は、ピューピュー口笛を鳴らした。
司令官は、近くにいた米兵に目配せした。
米兵は、ニヤリと笑って、洗面器を持って彼女の所に行った。
洗面器には、ぬるま湯が満たされており、ハサミ、剃刀、石鹸、タオル、などが入っていた。
米兵は、ニヤリと笑って、彼女の前にそれを置いた。
彼女は、それを見て、
「ああー」
と、声を上げた。
「フフフ。サア、アソコノ毛ヲ、剃リナサイ」
司令官が彼女に命じた。
だが、彼女は、ワナワナ体を震わせて、ためらっている。
「サア。ハヤク、ソリナサイ。サモナイト、soldier タチニ、ソラセマスヨ。ドッチニシマスカ」
司令官が彼女に判断を迫った。
「わ、わかりました。そ、剃ります」
彼女は、声を震わせて言った。
彼女は、洗面器をとると、クルリと米兵達に背中を向けた。
それは当然であろう。アソコの毛を剃るには、脚を大きく開かなくてはならない。アソコが丸見えになってしまう。どうしてそんな姿を米兵達に晒せよう。
彼女が後ろを向いたことに対しては、司令官は何も言わなかった。
彼女は毛を剃るために、ハサミをとって、大きく脚を開いた。
「ああー」
彼女は、羞恥の声を上げた。
花恥らう乙女が、後ろ向きとはいえ、丸裸で、脚を大きく開いているのである。
どうして、そんな屈辱に耐えられよう。
彼女は、ワナワナと毛を剃っていった。
剃り終わると、彼女は、急いでピタッと足を閉じた。
「サア、前ヲ向キナサイ」
司令官が命じた。
だが彼女は、両手で胸を覆ってワナワナ震えている。
「前ヲ向キナサイ」
司令官が、また命じた。
だが彼女は竦んでしまっている。
「ソウデスカ。ナラ、ウシロ向キノママデ、イイデショウ」
司令官が、以外にも彼女に情けをかけた。
彼女は、ほっとしたように、溜め息をついた。だが、それも一瞬だった。
「デハ、ヨツンバイニナリナサイ」
司令官が命じた。
彼女の体がビクッと震えた。
そんな格好になったら、尻もアソコも丸見えになってしまう。
彼女は恐怖に竦んだ。
「ゆ、許して下さい。そんなことだけは」
彼女は、声を震わせて言った。
司令官がニヤリと笑って、米兵の一人に目配せした。
米兵はニヤリと笑って、スコープつきのライフルに顔をくっつけた。
ズキューン。
パーンと、洗面器が弾け飛んだ。
「ああー」
彼女は体をガクガク震わせた。
「サア、イウコトヲ聞カナイト、マタ、撃チマスヨ」
司令官が言った。
恐怖感が恥を上回ったのだろう。彼女は、司令官に言われたように、両手を前について四つん這いになった。
フフフ、と司令官が笑った。
「サア、顔ヲ、床ニツケナサイ」
司令官が、命じた。
彼女は、体をプルプル震わせて、顔を床につけた。
彼女の大きな尻がモッコリと高く上がった。
「ahahahaha」
米兵達は、腹をかかえて笑った。
「サア、モット足ヲ開キナサイ」
彼女は、プルプル体を震わせながら、膝を開いていった。
尻の割れ目がパックリ開き、尻の穴も、アソコも、米兵達に、丸見えになった。
「ahahahaha」
米兵達は笑った。
「フフフ。尻ノ穴ガ、丸見エデスヨ」
彼女の羞恥心を煽るように、司令官がことさら言った。
「ああー」
彼女は、屈辱の極みから、激しく叫んだ。
尻がプルプル震えている。
「フフフ。イマノ気持チハ、ドウデスカ」
司令官が笑いながら聞いた。
「く、口惜しい。恥ずかしい。も、もう、いっそ死にたい」
彼女は、尻をプルプル震わせながら言った。
「フフフ。ジャップハ、恥ヲ、ナニヨリオソレマス」
司令官は米兵達に向かって説明した。
「フフフ。コレデスンダト思ッタラ、オオマチガイデス」
司令官はふてぶてしい口調で彼女に言った。
「イスヲ、ステージ、ニノセテ、彼女ヲ、トリマクヨウニ並ベナサイ」
司令官は米兵達に言った。
米兵達は、立ち上がって、司令官に言われたように、椅子をステージの上にあげ、彼女を取り巻くように椅子を並べた。
「椅子ニ、座リナサイ」
司令官が言った。
米兵達は椅子に座った。彼女は、米兵達に取り囲まれて、胸と秘部を手で覆ってオドオドしている。
米兵達は、膝組みして、丸裸で胸と秘部を手で覆ってオドオドしている彼女をニヤニヤ笑って眺めている。
「アナタハ、マダ、米軍基地、反対運動ヲシマスカ?」
司令官が聞いた。
彼女は、眉を寄せて黙っている。
「サア、コタエナサイ」
司令官は、厳しい口調で彼女に詰め寄った。
「・・・」
だが彼女は、唇を噛みしめて黙っている。
「ソウデスカ。デハ、シカタアリマセン」
司令官は、そう言って、石嶺有紀を、つかんでいる米兵に目配せした。
米兵は、ニヤリと笑って、石嶺有紀の髪の一部をハサミで挟んだ。
「ああっ」
知念多香子は、思わず、驚嘆の声を上げた。
「いいの。知念さん。私はどうなっても」
石嶺有紀は涙ながらに訴えた。
知念多香子は、唇を噛みしめた。
司令官は、ニヤリと笑って、石嶺有紀を、つかんでいる米兵に目配せした。
米兵はニヤニヤ笑いながら、ジョキンと石嶺有紀の髪を切った。
「ああっ」
知念多香子は声を出した。
「わ、かかりました」
知念多香子は、ガックリと首を落として言った。
「ナニヲ、ワカッタノデスカ?具体的ニイッテクダサイ」
司令官は、ニヤニヤ笑いながら聞いた。
「も、もう基地反対運動はやめます」
彼女は涙ながらに言った。
「フフフ。ワカレバイイノデス」
司令官は不敵な口調で言った。
「アナタハ、日米安保ノ、妨害ヲシテキタノデス。罰ヲウケナサイ」
司令官は不敵な口調で言った。
彼女は、石嶺有紀をチラッと見た。
米兵は、ニヤニヤ笑いながら彼女の髪をハサミで挟んでいる。
石嶺有紀を人質にとられている以上、知念多香子は米軍に従うしかなかった。
「サア、犬ノヨウニ、ヨツンバイニナッテ、コッチニキナサイ」
司令官が言った。
知念多香子は、ワナワナ体を震わせながら、四つん這いになって、這って司令官の前に行った。
「フフフ。靴ヲ舐メナサイ」
そう言って司令官は、膝組みして、右の皮靴を彼女の鼻先に突き出した。
「サア。靴ヲキレイニシナサイ」
司令官は、ニヤついた口調で言った。
彼女は、切れ長の美しい瞳から涙を流しながら、司令官の靴を一心に舌で舐めた。
これ以上の屈辱があるであろうか。沖縄の自然、平和を愛し、敢然と、米軍基地に反対していた勇気ある女性が、今や、丸裸の四つん這いになって、尻の穴まで晒し、米兵の靴を舌で舐めているのである。
「サア。全員ノ靴ヲ、舐メナサイ」
彼女は、四つん這いのまま、米兵、全員の靴を舐めてまわった。
彼女は、全員の靴を舐めると、グッタリと、倒れ伏してしまった。
「フフフ。コレデオワッタト、思ッタラ、ビッグミステイク、デス」
そう言って、司令官は、米兵に目配せした。
米兵はニヤリと笑った。米兵は、部屋を出ると、ガラガラと、ステージに大きな金網の檻を運んできた。

   ☆   ☆   ☆

「サア。ハイリナサイ」
司令官が彼女に命じた。
そう言われても、彼女は、疲れきって、床にグッタリうつ伏せになっている。
司令官は米兵に目配せした。
米兵は、彼女を立たせ、檻の扉を開けて、彼女を檻の中に入れた。そして、扉を閉めて鍵をかけた。彼女は、疲れ果てて、檻の中で、うつ伏せになり、微動だにしない。この場合、彼女にとっては、檻の中に閉じ込められた方が、米兵に弄ばれる心配がないだけ、マシだったのだろう。そんな気持ちからだろう。彼女は、グッタリと檻の中で、うつ伏せになった。
そんな彼女を見て、司令官は、ニヤリと笑った。
「フフフ。アレヲ、モッテキナサイ」
司令官が、米兵に命じた。
米兵は、ニヤリと笑って、部屋を出ると、何やらベールで覆われた物を持ってきた。
四角い形をしている。それが二つある。
「サア。ヨクミナサイ」
司令官は、彼女に言った。
彼女は、虚ろな瞳を檻の前に置かれた、二つの物に向けた。
米兵が、一つの方のベールをサッと、取り去った。
「ああー」
彼女は悲鳴を上げた。
なんとベールの中には、小さなアクリルケースがあり、ハブが、薄気味悪く、うねうねと、とぐろを巻いていた。体長は2mくらいある。彼女は、顔をそらすようにしながらも、薄気味悪いハブを見た。
米兵は、ニヤリと笑い、隣にある、もう一つのベールもサッと取った。そっちの方も、アクリルケースで、中にはマングースがいた。ハブは沖縄に生息する、攻撃性の強い毒ヘビである。
滝沢馬琴の「椿説弓張月」にも、「マムシの殊に大きなるものをハブと唱ふ」とある。
マングースは、ジャコウネコ科のイタチに似た動物で、肉食であり、動きが敏捷で、毒ヘビであるハブをも恐れず、一瞬で攻撃して捕食してしまう。マングースは、元々、インドやスリランカに生息していたのだが、沖縄のハブ退治のために、1910年に、沖縄に移入されたのである。実際、かわいい顔をしているのに、マングースはハブを捕らえてしまうのである。以前は、マングースとハブとの戦いを、沖縄の観光として、本土人に見せていたのだか、最近は、残酷だから、という理由で、あまり行われなくなった。
司令官は、ニヤリと笑って、米兵に合図した。
米兵も、ニヤリと笑った。米兵は、ハブの入ったアクリルケースを、彼女の入っている檻の扉の所に持っていった。そして、檻の扉を開けると、ハブの入ったアクリルケースの蓋を開けて、ハブを、檻の中に放り込んだ。ハブは、ドサッと、檻の中に入れられた。そして米兵は、檻の扉を閉めた。
「ひいー。きゃー」
彼女は天を裂くような悲鳴を上げた。彼女は、檻の隅に身をピッタリつけた。美しい白い裸身がブルブル震えている。米兵達は、
「ahahahaha」
と笑った。しかし、彼女にしてみれば、これは発狂しかねないほどのことだった。無理もない。ハブに襲いかかられて、噛まれたら彼女は死んでしまうのである。
「や、やめてー。お願い。助けてー」
彼女は、金網に体を押しつけて叫んだ。
司令官は、葉巻をふかしながら、見世物でも見るように、余裕の表情で、檻の中の彼女を眺めている。
「ダメデス。アナタハ、檻カラ出ルコトハ出来マセン」
司令官は意地悪く言った。
「た、助けてー」
彼女は、狂ったように叫んだ。
ハブは、時々、鎌首をもたげて、赤い舌をチョロチョロと気味悪く出している。ハブは興味本位からか、ウネウネと少しずつ、彼女に近づいてきた。
そして、とうとう彼女の足の所に這ってやって来た。ハブが頭を彼女の足の上に乗せた。
「ひいー」
彼女は、驚天動地の叫び声を上げた。
ハブは女の肌の温もりを心地いいと感じたのか、彼女の足に巻きつきながら、シューシューと赤い舌を出しながら、女の体によじ登りだした。
「ひいー」
「きゃー」
「助けてー」
彼女は声を限りに叫んだ。しかし、振り払うことは出来ない。ハブは、人間が振り払おうとすると噛みついてくるからである。
彼女は、ハブに噛みつかれないように、銅像になったかのように、体を動かさずに、じっとしている。しかし顔だけは悲痛に歪んでいる。
このままいけば、彼女は、ギリシャ神話のラオコーンの像のようになってしまいかねない。
「マ、マングース、を入れてー」
彼女は叫んだ。檻から出られない以上、マングースにハブを仕留めて、もらうより、他に方法がない。
「フフフ。イレテアゲテモ、イイデスガ、ソノ前ニ、質問ガアリマス」
と言って、司令官は言葉を止めた。
「な、何ですか?質問って」
彼女は、せっつくように司令官に聞いた。
「アナタハ、沖縄ノ、米軍基地ニツイテ、ドウ思ッテイマスカ?」
司令官は余裕の口調で彼女に聞いた。
「わ、私が間違っていました。日米安保条約は日米間で、しっかりと決められた条約です。アメリカ様は、日本を守って下さっておられます。感情的に、アメリカ様の基地の反対運動をしていた私の考えが、100%、完全に間違っていました。これからは、どうぞ、ご自由に、訓練なさって下さい。で、ですから、早く、マングースを入れて下さい」
彼女は大きな声で、早口で喋った。
「フフフ。ワカレバ、イイノデス」
司令官は余裕の口調で彼女に言った。
「デハ、アナタノ考エヲ、証拠トシテ、録音シテオキマス。モウ一度、イッテクダサイ」
そう言って司令官は、ポケットから、紙切れを取り出して、彼女に見せた。
その紙切れには、こう書かれてあった。
「私は、反米軍基地の会の代表の知念多香子です。私は、今日、キャンプ・シュワブの海兵隊の訓練を見学させていただきました。アメリカの海兵隊は、日本の自衛隊と違い、米国法で認められた正式の軍隊です。その訓練の様子は世界各地で起こっているテロとの戦いにそなえ、過酷で真剣そのものです。感情的に、基地反対活動をするのは、間違いだと気づきました。私は今後、いっさい、基地反対の活動はいたしません。基地反対活動をしている皆さんも、どうか目を覚まして下さい」
司令官は、その紙切れを彼女に見せながら、彼女の口元にテープレコーダーを近づけた。
「サア。イッテクダサイ」
司令官はテープレコーダーのスイッチに手をかけた。
彼女は、一瞬、躊躇したが、ハブが、またズルリと彼女の体を這い登った。ハブは彼女の右の太腿に巻きついて、鎌首をもたげて、シューシューと赤い舌を出している。
「ひいー。い、言います。言います」
司令官はニヤリと笑い、カチリとテープレコーダーのスイッチを入れた。
彼女は、紙切れに書いてある文章を、早口で読んだ。
「私は、反米軍基地の会の代表の知念多香子です。私は、今日、キャンプ・シュワブの海兵隊の訓練を見学させていただきました。アメリカの海兵隊は、日本の自衛隊と違い、米国法で認められた正式の軍隊です。その訓練の様子は世界各地で起こっているテロとの戦いにそなえ、過酷で真剣そのものです。感情的に、基地反対活動をするのは、間違いだと気づきました。私は今後、いっさい、基地反対の活動はいたしません。基地反対活動をしている皆さんも、どうか目を覚まして下さい」
その口調は真剣そのものだった。
司令官はテープレコーダーのスイッチを切った。
ハブがまた、ズルリと彼女の体を這い登った。
「ひいー。は、早く、マングースを入れて下さい」
彼女は、激しく訴えた。
「フフフ。ワカリマシタ。イッタコトハ、チャント、守ッテクダサイヨ」
そう言って司令官は、米兵に目配せした。
米兵は、ニヤリと笑い、マングースの入ったアクリルケースを持って、檻の扉を開けた。
そして、アクリルケースの蓋を開けて、マングースを檻の中に入れた。そして、すぐに檻の扉を閉めた。
檻の中にマングースが入ると、ハブはサッと鎌首をマングースの方に向けた。ハブはスルスルと彼女の体から降りて、マングースに対して身構えた。
マングースとハブは、しばし、にらみ合っていたが、マングースがサッと目にも止まらぬ速さで、ハブに襲いかかった。一瞬で、マングースはハブの頭に噛みついた。だが、一噛みでは、ハブの息の根は止められなかった。
彼女は、檻の隅の金網に体をピタリとくっつけて、
「きゃー」
「ひー」
と叫びながら、体を震わせて見ていた。
マングースは、サッとハブから離れ、また慎重にハブの様子をうかがった。隙を狙って、マングースは、もう一度、電光石火の速さで、ハブの頭に噛みついた。それを、三回、四回、と繰り返した。噛みつかれても、ハブの生命力は強靭だったが、だんだん動きが鈍くなり、ついに息絶えて動かなくなった。マングースの勝利である。
檻の中では、頭を食いちぎられて動かなくなったハブの死体が気味悪く、横たわっている。死んでも大きな毒蛇の死体は気味が悪い。マングースは、食い千切ったハブの頭をムシャムシャ食べている。
「フフフ。約束ハ、守ッテクダサイヨ。守ラナイト、アナタノ家ニ、毎晩、ハブ、ガ、出ルカモシレマセンヨ」
司令官が、余裕の口調で言った。
彼女は、全身の力が抜けたように、ズルズルと、へたり込んだ。
「わーん。わーん。わーん。わーん」
彼女は、突っ伏して、泣き出した。
無理もない。
彼女の胸中は、拷問に屈してしまった自責の念で、いっぱいだったのだろう。
彼女にとって米軍基地反対活動は、彼女の命がけの使命だった。
それを、ハブ怖さに、米軍に屈服してしまったのである。
命がけで使命を守ろうとする勇敢な人間は、拷問に屈してしまうと虚無状態になってしまう。
その後、手のひらを返して、また、活動を始めることは、物理的に出来ないことはないが、誇り高い勇敢な人間にとっては、拷問に屈してしまった後ろめたさから、出来ないのである。
その心理を見透かしているかのように、司令官はニヤリと笑った。
「サア。彼女ヲ、檻カラ出シテアゲナサイ」
司令官は米兵に命じた。
二人の米兵がニヤリと笑って、檻の扉を開けた。そして檻の中に入った。
米兵は、丸裸で泣いている彼女の前に、立った。
「プリーズ。スタンドアップ。ミス、チネンタカコ」
米兵は笑いながら、礼儀正しい口調で言った。
しかし彼女は答えず、黙っている。答える気力もないのだろう。
二人の米兵は、両手を広げて、眉を寄せて、困ったというジェスチャアをした。
「take it easy」
そう言って、米兵は彼女の両手と両足を持って、彼女を檻から外へ運び出した。
そして檻の前の床に彼女を降ろした。
米兵は、彼女の着物を持ってきて、彼女に渡した。彼女は、涙を拭って、パンティーを履き、ブラジャーを着けた。そして、スカートを履き、ブラウスを着た。彼女は憔悴した表情で黙っている。
司令官は石嶺有紀を取り押さえていた、米兵に目配せした。
石嶺有紀を取り押さえていた、米兵が彼女を知念多香子の所に連れて行った。
「サア。二人ヲ、家マデ、送ッテヤリナサイ」
司令官が言った。
「yes sir」
米兵は答えた。
司令官は、彼女達が今日のことは、口外しないとタカをくくっているのだろう。実際、彼女が警察に行って、今日の事を訴えたところで証拠がない。荒唐無稽な彼女の作り話と警察に思われてしまうのがオチだろう。
「今日ハ、ゴクロウサマデシタ。気ヲツケテ、オカエリクダサイ」
司令官は、礼儀正しい口調で二人に行った。
「サア。彼女タチヲ、家ニ送ッテアゲナサイ」
司令官は、兵士にそう命じた。
二人の米兵が、彼女達を連れて部屋を出ようとした。
「待って下さい」
知念多香子がピタリと足を止めた。
「ナンデスカ」
司令官が聞き返した。
「大東さんは返して下さらないのですか?」
知念多香子が聞いた。
「フフフ。安心シテ、クダサイ。彼モ、チャントアトデ、返シマスカラ」
司令官は含み笑いして言った。
アトデ、という言葉から、彼女は直ぐに直観したのだろう。司令官を睨みつけた。
「わかったわ。大東さんも、檻に入れてハブを入れて、恐がらせて、基地反対運動をやめるよう誓わせるのね」
彼女は強い語調で言った。
「オー。ソンナコトハ、アリマセン。楽シイゲームヲ、サセテアゲルダケデス」
司令官は笑いながら言った。
「何が楽しいゲームですか。あれは、ゲームなんかじゃありません。拷問です」
彼女は憎しみの目で司令官に訴えた。
「フフフ。ハヤク、連レテイキナサイ」
司令官は彼女の訴えを無視して、米兵に命じた。米兵達は、彼女達の腕をガッシリと掴むと、彼女達を部屋から連れ出した。

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沖縄バスガイド物語 (小説)(3)

2020-07-16 02:47:58 | 小説
あとには、口にガムテープを貼られ、手錠をかけられた大東が残された。
司令官は、顎でしゃくって米兵に命じた。米兵は、大東をつなぎとめていた柱から手錠を外した。そして司令官の方へ彼を連れて行った。大東は逆らおうとはしなかった。
大東は司令官の前に立たされた。
「フフフ。バカナ、ジャップメ」
そう言って司令官はビシッ、ビシッと大東をビンタした。
「フフフ。今度ハ、オマエノバンダ」
そう言って司令官は大東の口からガムテープを剥がした。
司令官は大東の肩を突いて、彼を檻の方へ連れて行った。大東は逆らおうとしなかった。
檻の前に着いた時だった。
「ギャアー」
司令官は悲鳴を上げた。
大東が手錠をされたまま、後ろ手で、素早く司令官のズボンのチャックを降ろし、手を入れて、金玉をつかんだのである。
「help」
司令官は叫んだ。
「ふふふ。やめて欲しかったら、手錠を外しな」
大東は、不敵な口調で司令官に言って、つかんだ金玉をまた力の限りグリッとひねった。
「ギャアー」
司令官はまた悲鳴を上げた。
「ワ、ワカリマシタ。ハズシマス」
そう言って司令官は、ワナワナと震える手で大東の手錠を外した。
彼はサッと司令官の後ろに回り込むと、司令官の両手を背中に捻り上げて、手錠をかけてしまった。そして、ピストルを抜きとって司令官の背中に銃口を押しつけた。
「全員にホールドアップするよう命令しろ。さもないと、お前を打つぞ」
大東は、銃口を司令官の後頭部にグリグリ押しつけて言った。
「ウ、撃タナイデクダサイ」
司令官は弱々しく訴えた。
「everyone hold up」
司令官が、海兵隊達に言った。
海兵隊達は、全員ホールドアップした。
「よし。それじゃあ、両手を頭の上に乗せろ」
大東は英語で、海兵隊達に命じた。海兵隊達は、両手を頭の上に乗せた。
「よし。じゃあ、次は一人ずつ、左手だけで、ライフルやマシンガンを拾って頭の上にあげろ。まずはお前からだ」
そう言って、大東は左側の一番前にいた海兵隊員に命令した。
「おかしなマネをしてみろ。こいつの命がないぞ」
そう言って、大東は、銃口を司令官の後頭部にグリグリ押しつけた。
左側の一番前にいた海兵隊は、大東の言った通りライフルを左手で拾って頭の上にあげた。
「よし。それを、こっちへ投げてよこせ。投げたら直ぐに左手を頭の上に乗せろ」
大東は英語で、そう命じた。米兵は、ライフルを大東の方へ放り投げた。そして左手を頭の上に乗せた。
そうやって、一人一人、次々と、大東は、海兵隊に、ライフルやマシンガンを自分の方に投げさせた。もう、彼らに武器はなかった。
大東はマシンガンの一つを拾った。
「よし。全員、来ている服を脱いで素っ裸になれ」
という意味のことを大東は英語で言った。
司令官を人質にとられている以上、仕方がない。海兵隊達は、服を脱いで全員、素っ裸になった。
「よし。全員、両手を頭の上に乗せろ」
大東は素っ裸の海兵隊達に命じた。海兵隊達は、全員、両手を頭の上に乗せた。
「おい。貴様。服を全部、集めてこっちへ持ってこい」
大東は、近くにいた海兵隊の一人に命じた。命じられた海兵隊員は、服を拾い集めて、大東の所へ持ってきた。
「よし。貴様も元の所にもどって、両手を頭の上に乗せろ」
大東が命じた。海兵隊員は、元の所にもどって、両手を頭の上に乗せた。
「貴様はこの中に入っていろ」
大東は後ろ手に手錠をかけられた司令官を檻の中に、突き飛ばして入れた。そして、檻の扉を閉めた。
「オオー。ハブ、ハ、入レナイデクダサイ」
司令官は、ペコペコ頭を下げて大東に哀願した。
「ふふふ。安心しろ。ハブは、入れないでやる」
大東は余裕の口調で言った。
「アリガトウゴザイマス」
司令官は、ペコペコ頭を下げた。
大東は、集められた米兵全員の服の中から手錠を取り出した。そして、それを素っ裸の海兵隊達に、放り投げた。
「二人ずつ向き合え」
大東は素っ裸の海兵隊達に命じた。海兵隊達は、命令されたように、二人ずつ向き合った。
「一人のヤツが、右手を頭の上に乗せたまま、左手で手錠を拾い、相手の右手に手錠をかけろ」
大東は英語で、そう命じた。海兵隊達は、命令されたように、右手を頭の上に乗せたまま、左手で手錠を拾い、相手の右手に手錠をかけた。
「よし。今度は、手錠をかけたヤツが右手を頭の上に乗せ、左手を相手に差し出せ」
大東が命じた。
手錠をかけた海兵隊達は右手を頭の上に乗せ、左手を相手に差し出した。
「よし。手錠をかけられたヤツは、相手の左手に手錠をかけろ」
大東が命じた。
手錠をかけられてる海兵隊員達は、相手の左手に手錠をかけた。
海兵隊達は、素っ裸で、二人ずつ手錠でつながれた。
一体、何をする気なのだろうと、海兵隊員達は困惑した表情である。
「では、お強い海兵隊さん達に日頃の訓練の成果を見せてもらいましょうか」
大東は余裕の表情でニヤリと笑った。
「手錠でつながれた相手と真剣勝負だ。どっちか片方がノックアウトされるまで戦いな。負けたヤツは、檻の中でハブと戦ってもらうぜ。ただし、マングースは、入れないからな」
大東は、大声で言った。
「オー。ノー」
米兵達は、困惑して叫んだ。
「さあ。始めろ」
大東は、ズガガガガーとマシンガンで威嚇射撃した。
海兵隊たちは、仕方なく相手と向き合った。そして、戦い始めた。負けた方は、ハブの入った檻の中に入れられる、という恐怖から、海兵隊達は狂ったように戦いだした。ルールも何もない。壮絶なバトルが繰りひろげられた。
海兵隊たちは、力一杯、相手の顔を殴ったり、関節を捻ったり、噛みついたりと、真剣そのものだった。
「ギャー」
「ウガー」
兵士達は叫び声を上げながら戦い続けた。
チェーンで手と手をつながれているため、戦いをやめることは出来ない。プロレスのチェーン・デスマッチである。
20分もすると、もうお互い、ヨロヨロだった。兵士達は、顔は血だらけで、ボコボコだった。もう戦う気力もなくなったように、バタバタと倒れていった。
かろうじて勝った方も、顔は血だらけ、でヘトヘトに疲れはてていた。
「よし。勝った方のヤツは、倒れている兵士と重なってディープキスして労わってやれ」
大東が命じた。
かろうじて勝った方の兵士は、
「オー。ノー」
と叫びながらも、ヨロヨロと倒れている兵士の上に裸同士で重なってディープキスした。
「よし。今度はフェラチオだ。しっかり、しゃぶってやれ」
大東が命じた。
「オー。ノー」
と叫びながらも、勝った海兵隊は、負けた海兵隊のマラをしゃぶり始めた。
アメリカ人は、ホモが多い。というより、ほとんがホモである。だんだん彼らは、ハアハアと興奮していった。
彼らは、ほとんどが精神変調をきたし始めていた。
「ふふふ。これが、本当のホモダチ作戦よ」
大東は余裕の口調で笑った。
「もう、こいつらは、使い物にならんな」
大東は吐き捨てるように言った。
「ふふふ。これは貴様らの悪事の絶対的な証拠になるぜ」
そう言って彼は知念多香子を弄んだのを撮ったビデオカメラを拾った。
「さあ。貴様は、オレと来い」
そう言って大東は、檻を開けて、手錠をされた司令官を連れ出した。
大東は、拳銃とマシンガンとビデオカメラを持って、司令官を連れて、地下室を出た。
司令室にもどった大東は、後ろ手に手錠をかけられた司令官をデスクの椅子に座らせた。
「貴様はヘリコプターの操縦が出来るだろうな?」
大東が聞いた。
「イ、イエス」
司令官は、ワナワナ震えながら答えた。
「よし。ヘリコプターを、この司令官室の前まで、運んでくるよう命令しろ」
大東は、拳銃を司令官に突きつけて言った。
沖縄最高司令官は、マイクで、そのように命令した。
やがて、ゴーという音がして、バリバリバリとヘリコプターが着陸するのが、窓から見えた。
「沖縄の全ての米軍基地に、こう言え。これから特別事態を想定した訓練を行う、と」
司令官はマイクで声を震わせて言った。
「イエッサー」
「イエッサー」
と各司令部から返事が来た。
「ふふふ。では、次は、沖縄の全ての基地の司令部に、全ての爆撃機を出動するよう連絡しろ」
彼は拳銃を沖縄最高司令官の頭に突きつけて言った。
「ナ、ナゼ、ソンナ事ヲスルノデスカ?」
司令官が、聞き返した。
「いいから、言う通りにすれば、いいんだ」
彼は拳銃を沖縄最高司令官の頭に突きつけて言った。
司令官はマイクで、そのように言った。
大東は、防毒マスクを司令官に着けさせ、自分も防毒マスクを着けた。
「よし。ヘリコプターに乗り込むぞ。おかしなマネをしたらマシンガンで殺すからな。オレは、命が惜しくないから、始末が悪いぞ」
「ワ、ワカリマシタ。撃タナイデクダサイ」
彼は、司令室の窓を開け、後ろ手に手錠をされた司令官を外に出した、そして、続いて彼も司令室を出た。幸い、人目はなかった。
大東は司令官と共にヘリコプターに乗り込んだ。
彼はコクピットに司令官を座らせて、手錠を外した。
「さあ。操縦して離陸させろ」
司令官は、ヘリコプターを操縦した。
バリバリバリと、大きな音をたててヘリコプターは空中に浮上した。
回りを見ると、さっきの司令官の命令によって、爆撃機が空中で待機している。
「もっと高度をあげろ」
彼はピストルを司令官に突きつけて言った。
ヘリコプターは高度を上げていった。
キャンプ・シュワブの基地の上は爆撃機でいっぱいである。沖縄の他の基地でも、同じ状況だろう。
大東は、不敵に笑った。
「では、こう言え。これから、合図するから、合図と同時に沖縄の米軍基地の全ての司令塔、滑走路、戦闘機めがけて爆弾を落とせ、と」
「オー。ソンナコト、命令シテモ、キクハズハアリマセン」
「いいから、言う通りに指令を出すんだ」
彼はピストルを司令官のこめかみに突きつけて言った。
司令官は、声を震わせて、マイクで指令した。
「Why?」
「Why?」
「Why?」
Whyの返事が次々ともどってきた。
当然といえば当然である。
大東は、ふふふ、と不敵に笑った。
「ふふふ。では、こう言え。テロが一気に襲ってきた事態を想定しての訓練だと。爆弾は、今日の訓練のために、全て中身を抜いてある。爆弾の中身は空っぽだから、安全だと」
彼はピストルを司令官のこめかみにグリグリと突きつけて言った。
司令官は、声を震わせて、大東の言ったことをマイクで指令した。
「OK」
「イエッサー」
という返事が返ってきた。
大東は指令マイクを口に当てた。
「ready・・・」
数秒の間をおいて、
「start」
彼は流暢な発音で言った。
ドッカーン。
ドッカーン。
ドッガーン。
爆弾が一気に、基地の司令塔や滑走路や戦闘機に炸裂した。
基地はメチャクチャである。
「オー。マイ、ゴッド」
「マッド」
「Are youクレイジー?」
非難や疑問の返事がどっとやってきた。
大東はマイクを切った。
司令官は震える手で操縦した。
空から見ると、キャンプ・シュワブも、キャンプ・ハンセンも、北部訓練場も嘉手納弾薬庫も、普天間飛行場も、もうもうと火の手があがっている。
「ガハハハハ」
と大東は豪快に笑った。
「オー。マイ、ゴッド」
司令官はパニック状態である。
「ふふふ。バカなヤツめ。お前が知念多香子さんや、基地反対運動の人達に、あんなことをするから、こうなるんだ」
「オー。アレハ、私ノ意志デハアリマセン」
「では、誰の意志だ?」
「コ、国防長官ノ、イシデス」
「ふふふ。まあ、せいぜい醜い罪のなすり合いをしな」
大東は不敵な口調で言った。
飛行機が普天間飛行場の上に来た時、司令官は、いきなりヘリコプターのドアを開けようとした。パラシュートで基地内に降りようというのだろう。
「おっと」
大東は司令官を捕まえた。
「ふふふ。基地内に逃げ込んで、日米地位協定で、逃げるつもりだろうが、そうはいかないぜ。ちゃんと運転しろ」
言われて、司令官は、コクピットにもどり、ヘリコプターを操縦した。
ヘリコプターが、沖縄県警本部の上に来た。
「よし。ここに着陸しろ」
大東に言われて、司令官はヘリコプターの高度を下げていった。
ババババッと大きな爆音がして、ヘリコプターは沖縄県警の前に着陸した。
大東は、ヘリコプターのドアを開けて、司令官を連れて沖縄県警本部に入った。
知念多香子がいた。今日の米軍のことを訴えに来たのだろう。
「あっ。大東さん。無事だったんですね。ハブの檻に入れられませんでしたか?」
彼女は、心配そうに彼に聞いた。
「いえ。大丈夫です」
「そうですか。それは、よかったですね」
彼女は、ほっと胸を撫で下ろした。
「知念さん。今日の米軍のことを訴えに来たのですね」
「ええ。でも、警察は信じてくれません。証拠もありませんし。そんな荒唐無稽なこと、ウソだと言って・・・」
「安心して下さい。ちゃんと証拠を持ってきました」
大東はビデオカメラをとり出した。
「あの。今、テレビで緊急ニュースで、沖縄の全米軍基地が爆破されて、原因はまだ分らない、とのことですが、一体、何があったんですか?」
彼女が聞いた。
「それは、これから説明します」
彼は、警察署長に今日、あった事を、全て話した。
「これが、その証拠のビデオです。これに、知念さんが嬲られている映像が写っています。こいつが、米兵達を楽しませるために、撮ったのです」
そう言って大東は、ビデオカメラを警察署長に渡した。警察署長は、ビデオを早回しで見た。
そこには、知念多香子がされた風船威嚇射撃や、ハブの檻、などの映像が写っていた。
それを見て、警察署長もようやく納得したようだった。
「オー。アレハ国防長官ノ命令デス。私ノ命令、デハアリマセン」
司令官はワナワナ震えながら言った。
「早く指令本部室の地下室へ向かった方がいいですよ。海兵隊員達が、瀕死の状態で倒れてますから。早く病院で手当てしないと、死んでしまいますよ。地下室の開け方は、こいつが知っています。檻には、知念さんの指紋も出てきますから、それも確実な証拠になります」
大東は言った。
「わかりました」
警察署長は、電話をかけた。何かたどたどしい英語で喋った。
「米軍の警察も、日米合同捜査に同意しました。すぐに、キャンプ・シュワブに向かいます。あなた達も参考人として、同行して頂けないでしょうか?」
「ええ」
彼と彼女は、二つ返事で答えた。
米軍にとっても、どうして基地が爆破されたのかは、わからない。事実を知っている沖縄県警の協力を受け入れるというのは、当然だろう。
大東と彼女と、司令官を乗せた、パトカーが4台、警察本部を出で、キャンプ・シュワブに直行した。
4台のパトカーは、沖縄高速道をフルスピードで走った。
パトカーはキャンプ・シュワブの営門を通った。すぐに司令官室に着いた。司令室の前にはMPが何人もいた。
MPと共に、大東と知念多香子と警察官は、司令室に入った。
司令官が壁のプッシュボタンの暗証番号を押すと、地下室のドアが開いた。
MPと警察は、急いで地下室に降りた。
地下室には、素っ裸で、血だらけの海兵隊達が、二人ずつ手錠でつながれて、倒れていた。彼らは虫の息だった。すぐに、海兵隊達は、基地内の病院へ運ばれた。檻からは知念多香子の指紋も検出された。これで米軍の犯罪は決定的になった。
すぐに、NHKはじめ、全てのテレビ局、新聞社がやって来た。
大東は事実を淡々と述べた。
一通り捜査が終わると、大東と彼女は、パトカーで、警察本部に送り届けられた。
大東はユイレールで、親のマンションにもどった。
テレビでは、緊急ニュースとして、米軍の基地破壊のニュースが報じられていた。
だが、大東は、いい加減、さすがに疲れていたので、パジャマに着替えて寝た。

   ☆   ☆   ☆

翌日の新聞の一面は、全新聞社ともに、当然、沖縄の米軍基地の破壊と米軍の犯罪に関するものだった。テレビのニュースも、一日中、在沖米軍基地と米軍の犯罪に関するニュースだった。それは日本だけでなく、アメリカはもちろん、世界各国のニュース、新聞がアメリカ軍の組織的犯罪を報じた。
決定的な物的証拠があるため、日米地位協定もクソもない。検察は、米軍の悪質な組織的犯罪として、米軍を起訴した。海兵隊員たちも、見て楽しんでいたのだから、当然、犯罪者である。
日本人の反米感情が爆発した。
一方、大東の行為は米軍基地から逃れるための正当防衛として検察は起訴しなかった。
臨時国会が開かれた。総理大臣、外務大臣は、激しくアメリカに抗議した。アメリカ大統領は、とりあえず日本に謝罪し、事実関係を徹底的に調査すると報告した。
大東は、メディアにしゃしゃり出るのが嫌いだったので、マスコミのインタビューは、全て拒否した。



平成24年5月6日(日)擱筆

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小説家の憂鬱 (エッセイ)(上)

2020-07-13 12:29:57 | 小説
小説家の憂鬱

彼は自称、小説家である。自称、と言ったのは、彼はまだ、一回だけ、自費出版で一冊、本を出した事はあるが、それ以来、本を出版していないからである。つまり商業出版の本を出した事が無いからである。一般の人の感覚でもそうだろうが、小説家と自他共に認められるのは、何かの文学賞を取り、書き下ろしで商業出版の本を出したり、週刊誌の連載小説で、小説を書き続け、一定のファンの読者層を獲得し、世間で知名度を博し、コンスタントに毎年、文庫本を、何冊か出し、その印税によって、生活している人を小説家と自他共に小説家と呼ぶからである。つまりはプロ作家である。そういう点からすると彼は他人が、小説家と、認めるかどうかは怪しい。
しかし彼が、小説家を自称するのは、彼にとっては、抵抗がなかった。なぜなら。確かに、彼は、世間の知名度も無いし、印税も全く無い。つまりアマチュアである。しかし、彼は、学生時代から、ずっと小説を書いてきて、社会人になっても、毎年、コンスタントに、何作か小説を書き上げて、完成させ、ホームページに発表しているからである。彼の念頭には小説を書くことしか無いのである。そして、それを毎年、続けてきているので、彼は自分を小説家と自称することに抵抗を感じていないのである。完成させてホームページに出している小説も100作以上になっている。彼は死ぬまで、小説を書き続ける強い信念を持っている。だから、彼は自分を小説家と自称することに抵抗を感じていないのである。
それに彼には、プロ作家になることに抵抗を感じている面もあるのである。彼は過敏性腸症候群という苦しい病気をもっており、そもそも子供の頃から、喘息の虚弱体質で、彼はもはや睡眠薬を飲まなければ、一日たりとも眠れず、また過敏性腸症候群によって、うつ病が頻発して起こり、とても連載小説を書きつづける体力などないことを痛感しているからである。勿論、彼も、今までに名のある小説新人賞に三回ほど、応募してみたことがある。しかし、三回とも予選にも通らずに落ちた。勿論、残念ではあったが、彼はあながち落胆しなかった。新人賞に通るためには選考委員に認められるものを書かなくてはならない。単なる面白さではダメなのである。しかも筋の巧妙さ、奥の深い視点のあるものでなければ、文学性が無いということで落ちるのは目に見えていた。そういう奥の深い、(あるいは斬新な、あるいは鋭い)視点を持っている人は幸いである。また、たとえ新人賞を一作とっても、その人の感性が世間の人に受け入れられなければ、一作作家として終わりである。
世間で名をなしている作家は自分の感性が世間の読者の感性と、一致している幸運な人と言える。振り返ってみるに、彼は、表現したいものというものを持っていた。彼は、大学に入るまで小説というものを一度も書いたことが無く、また書き方もわからず、作文から小説を書き始めた。大学で文芸部に入る事を親しい友達に誘われたが、彼はかなり躊躇した。文芸部に入るには小説を書かなくてはならない。と彼は思っていたからである。しかし、彼は誘われたから文芸部に入ったのではない。それまで彼は表現したい潜在意識が強くあったのである。ただ、小説を書く技術がないため、それは、はるか彼方の夢でしかなかったのである。大学に入って、人生の虚しさを感じ出すと同時に、表現したい欲求がどんどん募っていった。それがついに爆発したのである。文芸部に誘われていたという事も幸いした。彼は書き出した。小説など書けないから、作文もどきの小説から始めた。そして作文ではあっても、何作か作品が出来た。それ以来、彼の創作にかける情熱は、どんどん強くなっていった。たとえ作文もどきの小説とはいっても、作品は作品である。作品を書き上げて、完成させると、自分にも、作品を書く能力はあるんだ、という強い自信になった。それが創作の情熱を強めた。書きたいものがあっても、書く技術がないだけである。なら書く技術を磨けばいい。書く技術を習得するには、実際に骨を折って作品を書くことと、優れた作品を熟読することだと思った。それで彼は手当たり次第に、名作を片っ端から読み出した。そして、骨を折って作品を書いた。彼は先天的倒錯者だったので、エロティックな小説を書きたいと思っていて、また書けるとも思っていた。しかし、書く技術がない。それでも挑戦して書いてみたが、幼稚になってしまい、自分にはとても、エロティックな小説は書けないと思った。またエロティックな作品を書く事を受け入れることも出来なかった。それで恋愛小説的なものを書いた。それは、彼が書きたいものでもあり、また、書けるものでもあった。彼は恋愛小説を書いていこうと思った。大学の時には、勉強が忙しく、そのため、長編は、とても書けず、掌編小説、短編小説しか書けなかった。
彼は、小学二年生の時、一度、国語の授業の時間に創作をする課題が出されたことがある。教科書に載っていた、ある作品の続きを書いてみなさい、という課題だったが、この時、筆が走りに走った。書いていて面白くなってきて、書きながら笑ってしまうほどであった。なので、彼には子供の時から、創作の才能が十分、あったのかもしれない。それに気づき、それ一筋に夢中になって小説を書いていたなら、小学校、中学校、高校と、どんどん書く技術がついていき、プロ作家にまでなれたかもしれない。しかし、その国語の創作の授業は一回だけであって、それ一回きりで、一度の楽しみとして終わってしまった。彼には、他にも勉強やら、運動やら、遊び、やら、色々やりたいことがあった。小学生の創作なんて遊びに、価値があるとも思えなかった。もし、創作の授業が一回だけでなく、何度も行なわれたら、彼の人生は変わったものになったかもしれない。
大学生になって、やっと彼は自分の本当にやりたいものに気づき、遅ればせで不利な条件ながら、ついに決断し、書きはじめたのである。一度、火がついた創作欲は、もう燃えさかる一方だった。そもそも彼は、何かをし出すと、それにとりつかれてしまって、無我夢中で邁進する性格でもある。
彼は医学部を卒業して医者になった。医学は深い理論があり、非常に面白いものである。彼は一時は、医学に夢中になったこともあるが、やはり、自分のしたい事は、結局は創作で、それに戻った。
社会人になると、もはや躊躇いがなくなり、エロティックなものも書いてみるようになった。すると書けた。一作、書くと、それが自信となる。彼は次々とエロティックな小説を書いた。書き上げる事の喜びと、書けることの自信との相乗効果で、彼はエロティックなものにだけに焦点を当てて、書くようになった。もはや、彼は、一生、エロティックなものを書き続けられる自信がつくほどにまでなった。文芸的なものは書かなかったが、彼は作品を書いていれば、それで満足であり、またエロティックなものは、嫌々、書いているのではなく、書きたいから書いているのであり、書き上げた時には十分、満足できるからである。それに歳をとると性欲が低下して、エロティックなものは書きたくても書けなくなるのではないか、という心配のため、若く性欲がある内に、エロティックなものを書いておこうという考えもあった。
彼は精神科を選んだ。それは精神科は比較的、楽だからと思ったからである。彼は二年の研修の後、精神保健指定医の資格を取るという条件で、少ない給料で、常勤で田舎の精神病院に就職した。だが、院長はしたたかで、精神保健指定医の資格をとって辞められることを怖れ、彼に指定医の資格を取らせなかった。彼は指定医だけは取っておこと思っていたのである。精神科では、精神保健指定医という国家資格がないと、給料も低く、就職も難しいのである。医者の求人も指定医の資格があることが絶対の条件である場合が多い。つまり指定医の資格がないと、就職できないのである。何度、院長に交渉にいっても、「そのうち取らせる。そのうち取らせる」と言いながら、結局は取らせてくれない。政治家の「前向きに対処します。前向きに対処します」と言いながら、結局は、何もしないのと同じである。結局、彼は、一つの病院に医者の数が多いと、病院の評価があがるため、そのための手段として採用されたのに過ぎなかった。また学閥の強い田舎の病院で、医師を募集しても医者がなかなか医者が来ない。そのための用心のためでもある。つまりは、飼い殺しである。唯一の、医者集めの手段は、院長の出身大学の医局に、数100万、教授に渡して、「どうか医者を一年、派遣させて下さい」と、教授に頼みこむしかないのである。そこの病院は学閥が強く、彼は一人ぼっちだった。彼など、空気同様いないに等しい。そんな中、大学の医局から派遣されてきた女医だけは、彼を可哀相に思ってか、優しい言葉をかけてくれた。その頃、精神科専門医という、新しい資格を学会がつくった。そして、古参の医者は、「精神科専門医の資格のためのレポートには協力しますよ」と彼にしたたかに笑って言った。これは思いやりなんかではない。精神科専門医は、精神保健指定医と違って、学会が認めるだけの資格で、ほとんど何の権限もない。では、なぜ、そんな事を言うかというと、精神科専門医のレポートにサインすると、精神科の指導医という肩書きができるからである。つまりは、自分の事しか考えていないのである。ウソで飼い殺しにしようとする悪徳な院長、偽善者の指定医、などの集まりの病院に、もう身も心も疲れはてて、彼は病院を辞めた。それで、医者の斡旋業者に頼んで、非常勤で働いたり、健康診断や当直などのアルバイトで、やっていくことにした。また、どこの病院に常勤で就職しても、病院の院長などというものは騙すことしか考えていない医者がほとんどである。なので彼は指定医の資格はもう諦めた。
だか、常勤をやめて、時間的に自由になると、ほっとした。元々、小説を書くことが、彼の人生の一番の目的であり、指定医だけは、医師免許と同じように、精神科医として、やっていくためには、なくてはならないものだったから、それだけには何としてもこだわっていたのであるが、そのこだわりが無くなると、ほっとした。精神的ストレスも無くなり、小説もどんどん書けるようになった。指定医取得で悩んでいた時は、身も心もボロボロで、うつ気味であり、小説も書けなかった。しかし、それを吹っ切って自由になると、精神が実にリラックスした。彼は、毎日、家の近くの図書館で、朝から、図書館が締まるまで、机に向かって小説を書いた。
図書館とは、healing space of the soul とも言われる。つまり魂が癒される場所という意味である。なぜ図書館かというと、図書観の方が緊張感が出るからである。それに彼は、頚椎の湾曲が少なく、直線ぎみであり、肩が凝りやすい体質でもあるからである。
彼は小説を書いた。しかし彼には、実生活というものが、ほとんど無い。元々、内向的な性格の上、過敏性腸症候群のため、友達がいない。仮に友達を無理して作っても疲れてしまうだけである。そのため、彼の小説は、頭で考えた空想的なものが多かった。しかし、彼は、子供の時、喘息の施設に二度ほど、計三年入っていたことがあり、そこでは本当の友達が出来たし、保母さんは、憧れの異性でもあった。そういう現実の体験を元に、それからイメージを膨らませて、小説を書いた。これは何も、彼だけに、いえる事ではない。ライナ・マリア・リルケも言っているが、もし、どうしても書く事がなくなっても、少年期の体験だけは、書く事が出来るのである。
彼は机に向かって、一日中、ウンウン頭を唸らせながら小説を書いた。書いている時だけが、彼にとって幸せな時であった。不思議なことに、もはや学生時代に書けた掌編小説というものが書けなくなってしまった。掌編は、ただ短いだけの小説ではない。掌編はラストが、キリッと纏まるかが、全てであり、それが上手くいくと、掌編といえども、小宇宙、ミクロコスモスの一つの世界になるのである。学生の時、それが出来たのは、長い小説を書く時間が無く、掌編しか書けず、まさに必要が発明の母だったのである。しかし小説も、ある程度の長さを越すと、もはや、ラストをどうするか、ということは重要でなくなってくる。中身のボリュームが長い小説の、美味しさだからである。
そして、ある程度、長く書いた段階になると、もっともっと、いくらでも話が続けられることに気がついた。しかし彼は遅筆なので、一つの小説を延々と長く書くより、ある程度の所で切り上げて、次の小説を書いた。一年で、一作だけの長編というのは、さびしく、それをするくらいなら、短めの小説を五作、書きたかったからである。それは、多くの作品を書く事によって、自分に自信がつくからである。また、話によっては、長い作品を書いていると、色々イメージが沸いてくるが、中には惰性で、話がつまらなくなってくる性格のものもある。つまり、原稿用紙の枚数は多くても、キリッとラストを纏める方がいい掌編的な性格の小説もあるのである。
これのいい例がある。それは梶原一騎の漫画である。梶原一騎の漫画のほとんどは、ある所でクライマックスに達する。そこで終わりにした方が、しぶいのだが、長編の連載ということで、クライマックスの後でも、話を考えて、つづけて書かなくてはならない。例を挙げれば、「巨人の星」では、大リーグボール一号を完成した時、あるいは、花形満が、大リーグボールを打った時が、「巨人の星」の絶頂のクライマックスであり、そこで終わりにした方がいいのであるが、連載漫画は続きを書かなくてはならない。そして、クライマックスの後では質が低下しているのである。他の作品では。「夕やけ番長」は、七巻の、赤城忠治と鮫川巨鯨との対決がクライマックスであり、「侍ジャイアンツ」では、番場番が巨人とのケンカに勝った時がクライマックスであり、「愛と誠」では、高原由紀のリンチが終わった時が、クライマックスである。(もっとも、愛と誠、では、ラストが見事に決まっているが)
プロと違い、アマチュアだと、きりのいいクライマックスで、お仕舞いにすることが出来るから有利なのである。
しかし時には、新しい小説を書こうと思っても、どうしても書けない時もある。
小説を完成させて、ホームページに出した時は最高の快感であり、大得意である。だが、その後、すぐ、話が思いついてくれればいいのだが、書けないと、一日経ち、二日経つ内に、だんだん、憂鬱になってくるのである。
不思議なことに完成させてホームページに出してしまって、数日経ってからでは、つづきを書こうと思っても、後の祭りであり、書けなくなってしまうのである。これは非常に怖いことである。こんなことなら、話を切り上げないで、もっと長く話をつづけた方が良かったと、つくづく後悔することもよくあった。
作家とは、書いている時だけが生きている時であり、書けない時の作家は、まさに地獄の苦しみである、プロ作家なら皆そうであろう。哲学者のメルロ・ポンティーが言っているように、作家にとっては、今、書いている作品こそが全てであり、過去の作品は作家にとって、墓場であり、過去の栄光にいくら浸っていても何の感慨も受けない。
彼は小説を書けない時は、ブログの記事をストックとして書くか、本を読んだ。読むのは、ほとんど小説である。ただ読むのは、楽しみのためというより、自分が小説を書くヒントになる本を読んだ。また大作家の小説を読むことは、小説を書くファイトにもなる。
そういう考えで彼は、読む本を選んでいるので、必ずしも全ての本を読んでいる文学通ではない。一読して、ああ、楽しかったで、翌日になると忘れてしまうような作品は読まない。文学青年は、ドフトエフスキーとか、トルストイとかの大長編を読むが、大長編は自分の身につかない。それよりも掌編、短編で、重みがあり、ストーリーを忘れないような印象の強い作品を読む方が、自分の創作の勉強にはいいのである。
また、何も小説に限らず、ある単語や、ある場面が小説のヒントになることがある。ネタ探しのアンテナを絶えず張っていれば、小説のアイデアが沸くことがあるのである。これは何も、読書だけに限らず、日常生活で、絶えず小説のネタを探す気持ちで生活していれば、アイデアが沸くことがあるのである。インスピレーションとは、努力によって起こるのである。ボケーと待っていては、インスピレーションが降臨してくることはない。誰でも、そんなドラマになるような生活を送っているわけではない。人は、一生に一つは小説を書ける、と、よく言われるが、それは、言葉を返せば、たった一つ、というほど、人の一生に、小説になるようなドラマチックな事は起こらない、という事である。
そういうわけで、職業作家として、小説を書き続けるには、ドラマチックな事が自分に起こってくれるのを指を咥えて待っていては書けない。勿論、日常、人との付き合いが多い行動的な人は、日常の雑感であるエッセイを書く事はできる。しかし、小説は書けないし、エッセイにしても、芸術性の高いエッセイが書けるかどうかは、わからない。
そこで、プロ作家として、小説を書きつづけるには、積極的に、今や昔に起こった事件、人物などで、小説になりそうなものを、徹底的に調べて、頭を絞ってストーリーを考えて、小説に仕立てるのである。推理作家では、平和な土地に、わざと凶悪な犯罪を、頭を捻って考え出さなくてはならない。平和な土地に住んでいる人にとっては迷惑かもしれない。
彼は、以前、新宿のカルチャー教室で、「取材の仕方」という教室に出たことがある。三回の講義で、一回目は、口の悪い元、編集者で、取材の仕方の話をせず、自分の言いたい政治的な主張を乱暴にぶちまけただけだった。そのためか、二回目からは、100人いた受講者が、10人くらいに、ぐっと減ってしまった。しかし二回目からの講義は良かった。二回目は、作家の嵐山光三郎先生だった。先生は、ちやんと、取材の仕方の講義をした。彼はこんな事を言った。
「作家は、小説に限らず、何かものを書く時、取材しなくてはならず、取材の費用は自腹を切らなくてはならない。だから、原稿料が入っても、取材の費用で、差し引きゼロとなってしまう。では、どうやって収入を得るか、というと、連載した作品が単行本や文庫本になり、本が売れることによって、その印税が作家の収入源となる」
これは、全ての小説で言えることではない。小説には、取材などしなくても、資料がなくても書けるものもある。しかし、念入りな取材をして、資料を集めなくては書けない作品もある。氏は後者のような作品を書くことが多いのだろう。実際、氏の作品には、そういうものが多い。
アメリカを舞台に小説を書こうと思ったら、やはりアメリカに行かなくてはならないだろう。今は、インターネットで、画像や文献を集めることは容易である。しかし、その場所の空気、雰囲気、人々の様子、町並み、などをリアルに書くためには、実際に行って実感しなければ書けない。百聞は一見に如かず、である。だから、本格的な小説を書くためには、取材の費用を先行投資として払わなくてはならないのである。最も、海外旅行が好きで、色々な所に趣味も兼ねて行っている人は、その点、有利である。作家は何事にも旺盛な好奇心を持っていて、仕事のためではなく、どうしても調べたり、行ってみたりしてしまうような好奇心旺盛な行動的な人が有利なのである。
そういう点、彼は小説創作に不利だった。アマチュアで、収入をはじめから考えていないのだから、取材の先行投資は、小説を書くために支払うだけのものとなる。彼は小説を書くのが好きだが、取材のために、かなりの金を払ってまで、本格的な小説を書きたい、とまでは、思っていなかった。そこで、映画と同じように、安上がりで書ける小説となると、ポルノ小説となるのである。だから彼が妄想的なエロティックな作品ばかり書く事になるのも、必然の結果だった。そして、彼は妄想的なエロティックな作品を書くことに、満足しているのであるから、なおさらである。
さらに、彼は、孤独で友達がいない。孤独であるということは、小説家の良い特性ともいえるが、それは精神的な孤独であって、物理的に話し相手がいない、ということは、小説を書く上で、極めて不利である。人との会話や、付き合いは、それだけで、上手く加工すると小説になりうる可能性がある。また、一人の人間は、その人の視点で世界をみているから、つまり、一人の人間は無限の情報を持っているから、一人の友達がいるということは、自分とは違った視点の、無限の情報を持った人から、無限の情報を聞きだせるということである。そういう点でも彼は小説創作に不利だった。たとえば、ある場所から、ある場所へ車で行く時、友達は、いい抜け道を知っているかもしれない。何か困った時にも、どうすればいいかも、友達が、そういう経験をして知っているなら、教えてもらう事も出来る。近くに美味い焼き肉屋があって気がつかなくても、友達は知っているかもしれない。そういう、あらゆる事で、一人でも友達がいると、非常に有利なのである。しかし、それは、友達を情報入手のための手段として利用することである。彼は人を自分の目的のために利用することが嫌いだった。しかし、それならば、彼だって、彼という視点を持った一人の人間だから、友達が知らない事で、彼が知っている事を教えてやればいい。ギブ アンド テーク である。しかし彼は、内向的な性格で、自分の関心のある事には、熱中してしまって、知識もあるが、それ以外の世事には疎いのである。外向的な人間は、その逆で、世事には広いが、一つの事に熱中してしまう、という事がない場合がほとんどなのである。また内向的な人間は外向的な人間のように、世事の全てに、広く関心を持っていないため、話が噛み合わないのである。噛み合わない、だけでなく、疲れてしまうのである。そもそも友達との雑談というものが苦痛で、一人で自分の好きな事をしている時だけに、心が落ち着き、和らぐのであるから、友達というものを作れないのである。それに内向的な人間は無心になって遊ぶという事も苦手である。そのため彼の情報入手は、子供の頃から書店や図書館の本やネットだった。また、友達がいないと、夏休みの旅行という事も出来にくいから、ますます世間知らずになってしまう。勿論、旅行や遊びは、一人でしても違法ではない。しかし、やはり旅行は友達と行くのが楽しく、それが普通であり、一人で行くのは虚しいし、恥ずかしい。遊びも、友達とするのが、一般的である。一人でボーリングに行っても、一人で屋外バーベキューを焼いても違法ではない。しかし夏祭りも一人で行って、一人で金魚すくいをするというは虚しいものである。さらに、夏の海水浴場のナンパというものも、男二人なら、恥ずかしくはなく、友達同士の女二人に声を掛けることも出来やすいが、一人では、困難を極める。それでも、京本政樹のような超美形なら、可能だろうが、残念なことに、神は彼に、平均的な容貌しか与えなかったのである。そういうことで、一人というのは、生きていく上で、極めて不利なのである。ただでさえ、そうなのに、過敏性腸症候群が発症してからは、彼の人づきあいは、さらに困難になっていった。そもそも内向的な人間は、集団帰属本能が無いのである。
内向的な人間は、一つの事をやり出すと、それに凝ってしまい、幅広い世事に疎く、また無心に遊ぶ事が苦手なのである。
そういうことで、彼は、常勤で働くのをやめてから、ほとんど毎日、図書館で小説を書くようになった。図書館にいる時が、唯一、心の和む時間だった。
彼は、図書館で、あらゆる分野の書棚の本の背表紙を眺めるのが好きだった。出来る事なら、図書館にある全ての本を読みつくしたい衝動に駆られるのだった。どんな事にも理論がある。それを学びたいのである。しかし、彼にとっては、読むことより、作品を作ることの方が絶対的に価値が上だったので、一日中、机に向かって、小説を書いていた。彼は、遅筆で、また、体調に非常に左右されるため、一日かけて、原稿用紙一枚しか書けない時もあった。一日、原稿用紙10枚、書ければ多い方だった。また、アイデアが浮かばない時など、一日かけて、一行も書けない時もあった。それは彼が文章をスムースにつなげ、ストーリーにも頭を捻って、最高のものにしようとの、凝り性の性格のためだった。そのため彼の作品は非常にスムースに読める。彼は文体を持っていると自負していた。では、文体とは何か、というと、それは、人によって定義が異なるだろうが、まあ、文章の読みやすさ、と言っていいだろう。ひとつの文を書くと、次の文は、前の文を引き継いだものとならなくてはならない。一つの文は、次の文章を決定する。だから、次の文章は、前の文章に責任を持ったものでなくてはならない。軽い気持ちで、一文を書くと、その後の話の展開が大きく変わってしまうこともあるのである。文体にこだわると、そういう事まで起こってしまうのである。この事を雑にしてしまうと、本人には、わかっても、他人には読みにくい文章になってしまう。そういう人は、自分の書きたい事を、無考えに次々、書いて、読む人のことは、考えていない。自分の書きたい事を目一杯書いて、自己満足し、読む人は、かってにどうぞ、という、デリカシーの無い性格である。一方、文体を持っている人、特に彼のように、読まれることを、絶えず意識して書いている凝り性の人は、どうしても筆が遅くなる。そういう人は、読者を意識するあまり、自分の書いた作品が、読者に読んで欲しい、という意識が非常に強いのである。音楽には、絶対音感というものが先天的にあって、それが無い人は作曲することが出来ないそうだ。それと同様、文章にも、絶対文感というものがあって、それが無い人は、作品を書く事が出来ないそうだ。もっとも、作品を書く時に、一番大切なのは、書き手の精神的コンディションであって、精神的コンディションが良好な時は、速く書いても、文体が滑らかで、ストーリーも崩れず、見事な作品を書く事が出来る。彼の場合、過敏性腸症候群による体調不良のため、精神的コンディションが、悪い時の方が多いので、筆が遅いのである。彼も精神的コンディションがいい時は、頭より手の方が先に走って止まらない、という事も経験している。
人生の時間は限られている。その限られた時間の中で、何をするか、という決断に人間はいつも、さらされている。彼にとって、それは作品を書く事だったので、一日、原稿用紙一枚しか書けなくとも、彼は読むことより、書く事をとった。そのため、図書館にある膨大な本は、背表紙を見るだけにとどまった。残念だが仕方がない。
彼は、図書館にある、松本清張とか山本周五郎とか、その他、多作の大作家の全集を見ると、よくこんなに沢山、作品を書けたなと驚きを持って感心した。彼は一生、創作一筋に打ち込んでも、絶対、これほどまでの分量は書けないだろうと、残念ながら確信していた。それは、今までの創作のペースから考えて、どんなに無理してでも、彼らほどの分量は書けないと、残念ながら確信していた。
そして、もちろん嫉妬の感情も起こった。しかし、それは、そんなに激しいものではなかった。彼の創作の動機は、名誉欲でもなければ、金銭欲でもない。創作は自分との戦いであり、自分にしか書けないもの、そして自分がどうしても表現したいものの作品化であったからである。もっともそれは、どんな作家でも持っている感情だろう。同じジャンル、たとえば、推理小説を書く作家なら、すぐれた推理小説の大家に、質、量、において嫉妬する事もあるだろう。しかし、恋愛小説の作家が推理小説の大家に嫉妬するということが、あるだろうか。作家は自分の好みのジャンルの作品を創って表現したがっている。それが自分の価値観であるからである。特に個性の強い作品を書く作家にとっては、創作は自分との戦いだろう。だから、違う別のジャンルの作家に対する嫉妬というものは、あるだろうが、そんなに激しいものではないのではなかろうか。実際の所、それは、各作家によって異なるだろう。たとえば野球選手が、日本一のサッカー選手に嫉妬するということがあるだろうか、という疑問と同じである。野球選手は野球に価値をもっていて、サッカーには価値をもっていないだろう。作家が一番、幸福を感じる時は、自分が表現したいと思っていた作品を見事に完成することができた時であろう。ともかく膨大な多作の作家の全集を見ると、自分の創作に対するファイトは、間違いなく起こる。
そして彼は、過敏性腸症候群であり、不眠や鬱に悩まされており、創作にとって著しく肉体的、精神的、条件が悪い。彼は、キリスト教の教えにある、タラントの喩え、通り、自分に与えられたタラントを精一杯、努力して発揮する事が、自分にとって大切な事なのだと、かなり達観していた。自分は、大作家の十分の一のタラントしか、与えられていない。しかし、量は少なくても、自分に与えられたタラントを精一杯、努力して発揮することが、価値のあることなのだ、と思っていた。

そんなことで彼は、仕事のある日以外は、図書館の机に向かって、じっと座ってノートに向き合っていた。彼は、パソコンにそのまま入力して書くという事が出来なかった。これは作家の気質もあるだろうが、ワープロが使えても、ワープロで文章を書くということが、どうしても出来ない作家というが、プロ作家にもいる。長年、文章を鉛筆で原稿用紙に書いてきた習慣のため、文章を書くという脳の働きが、原稿用紙に、文字を一文字、一文字、筆に圧力をかけて、原稿用紙の升目を埋めていく、という方法と一体化してしまっているからである。そういう人には、たとえワープロが使えても、文章は筆でしか書けない。また小説のアイデアが、筆で原稿用紙に文字を書いているうちに、沸いてくる、などという習慣が身についている人には、どうしてもワープロでは書けない。ワープロで、キーを押す動作では、文章も作品も軽くなってしまい、重い、魂の入った文は、書けないという人もいるだろう。特に、ワープロが出来る前から、書いていた人には、そういう人が多い。彼も、はじめはそうだった。ワープロが使えるようになっても、今までの習慣から、どうしても文章はノートに鉛筆でしか、書けなかった。それで、彼は鉛筆で文章を書いて、それをワープロに写す、というようにして書いていた。文章を書くという脳の機能と、その手段は、一体化しているからである。しかし、だんだんワープロを頻繁に使っているうちに、ワープロでも書けるようになってきた。ワープロのキーを押す、という方法が、文章を書くという脳の機能に適応しだしてきたのである。すると一旦、ワープロで文章を書くという方法が、文章を書く脳の機能と一体化してしまうと、今度は逆に、鉛筆で、ノートに書くということは、おっくうになっていった。
彼は、小説を書く時、必ず、何冊かの、読みかけや、既読の文庫本を横に置いていた。
作家は小説を書く時、特にストーリーを考える時、何をヒントにしているだろうか。おそらく、毎日の生活の中での、何かの出来事をヒントに、それを想像の力で膨らませたり、加工させたり、変形させたりして、お話を考えているのでは、なかろうか。しかし彼には実生活というものがない。人との付き合いが全く無いのである。それで、彼は小説のヒントを、生活ではなく、虚構の小説の中に求めた。彼が小説を書き出した時の、ストーリーを考えるヒントも、小説を読むことであったが、その後も、彼には生活というものが無いため、ストーリーのヒント探しとして文学作品を読んだのである。そして、ある作品なり、作家なりが気に入ると、これは自分の創作のために、吸収することが出来ないかと、徹底的に精読した。彼の読んだ小説には赤い傍線が一杯書き込まれている。彼は小説を自分の創作の能力を広げる勉強の目的で読んだのである。彼は、日本の近代小説で、短めのものを読んだ。それは、彼の書きたいもの、書けるものの性格からして、筋が複雑に入り組んだ推理小説は、無理だと諦めていたからであり、また推理小説を書きたいとも思ってもいなかったからである。さらに、長編の推理小説は、読んで数日すれば、忘れてしまう。推理小説とは、読む人を、ハラハラさせ、面白がらせるために書かれたものであり、読むには面白いが、少なくとも彼の小説の勉強には、向かないかったからである。同様に外国の長編小説も読まなかった。外国を舞台にした小説を書く気はないからである。しかし、日本の古典は、筋は入り組んでいなくても、一文、一文に味があった。彼もストーリーの奇抜さではなく、文章や作品自体に味のあるものを、書きたかったからである。
そもそも、小説の勉強をするには、日本の古典を読むことである、というのは、よく言われる事である。
一つの作品や作家が気に入ると、彼はとことん精読した。自分にも、こういう小説なら、書けるのではないか、と共感できるような作品を見つけると、大変な喜びだった。しかし、それに習って、書こうとしてみも、やはり無理だった。彼は世事に疎く、観念ばかり肥大していて、世を描写することが出来なかったからである。やはり小説を書くには、思想を深く持っているより、世のあらゆる雑事を、幅広く知っていなくては、駄目なのである。彼は自分の創作の肥やしにならないと諦めた作家の作品は、読まなくなり、さらに別の、自分の創作の肥やしとなるような作品、作家を探した。それを見つけると、彼は、今度こそ、と一心に精読した。だが、書く段になると、やはり書けなかった。そういう風に、彼は多くの作家の作品を、次々に鞍替えして読んでいった。そのため、古典や文章の味が分かるようになった。つまり、彼は、小説を鑑賞する能力が、結果として身についたのである。
気に入った小説を横に置いておくと、自分も、こういう作品を書きたい、という創作のファイトになった。だから彼は、書く時、既読か読みかけの小説を横において置くのである。

だが、彼は、いざ小説を書こうとすると、結局は、自分の頭の中にある空想を駆使して搾り出すしかなかった。そして、一つの小説を書く事は、一つのパターンの発見だった。彼は、発見した一つのパターンを元に、別の新しい小説を書いた。そうやっているうちに、いくつかのパターンを持つようになった。

   ☆   ☆   ☆

平成21年の冬になった。
冬は彼にとって地獄の季節だった。冷え性で便秘症の彼にとって、一冬、乗り越せるかどうかは、動物の越冬にも近かった。蒸し暑い夏が過ぎ、爽やかな秋も過ぎ、日の暮れるのが早くなって、寒い日になってくると、だんだん元気がなくなって、胃腸の具合も悪くなってくるのだった。そうなると創作も出来なくなってくる。精神が活き活きとしている時には、筆がどんどん走るのだが、元気がなくなってくると、書けなくなってくるのだった。
だが、書けない時でも、書きたい気持ちは、逆に一層、強まった。むしろ書けない時の方が、書きたい創作意欲が激しくなった。
彼の家から少し離れた所に市民体育館があった。
「肉体的条件が悪いから創作できないのだ。ならば体を鍛えて肉体的条件を良くすればいい」
そう思って、彼は市民体育館のトレーニング室で、マシントレーニングをする事にした。以前から、彼は体を鍛える必要を感じてはいたが、億劫がって、やらなかったのである。だが、とうとう彼は決断した。トレーニング室は、一回、300円で、何時間でも出来る。だが、彼は、運動は、いくつか出来たが、技の訓練だけに価値があって、基礎体力を侮っていたためしなかった。彼は、今、はじめて、基礎体力を鍛える重要性に気がついたのである。それで彼は、基礎体力のトレーニングをするようになった。しかし今まで、基礎体力のトレーニングをしてこなかったため、彼の体力はサラリーマンとほとんど変わりなかった。バーベルもよう、持ち上げられないし、続かない。何より、単調きわまりない。彼には、こういう単調なトレーニングが苦手だった。というか性に合っていなかった。体育館の近くには、通年やっている温水プールもあった。そこで、温水プールで泳いでもみた。しかし、水泳もマイペースで、出来てしまう、休みたくなったら休めるので、あまり、運動したという実感は得られなかった。
そもそもマシントレーニングにしても水泳にしても汗を流さない。こういう一人でマイペースで出来る運動では、休みたい時に休めてしまう。それでは、大した運動にならない。それに単調で面白くない。もっと、汗をかくような激しい運動で、やって面白いものをやろう。そう思って彼は、テニススクールに入ることにした。テニスは、かなり以前にも、やったことがあり、ラリーがつづくほどにまでなっていたのだが。普通の人なら何でもないだろうが、持久力の無い彼には、90分の1レッスンでヘトヘトに疲れてしまい、これは、ちょっと無理だと諦めていたのである。しかも彼は、何かの集団に入るという事が、嫌いだった。それで、ネットで探してみると、スクールに入らなくても、一回、三千円で、好きな時に受けられるスポットレッスンというのをやっている所があったので、そこで、レッスンを受けることにした。そこは屋外コートだった。ので、雨が降ると出来ない。長くテニスをしていなかったが、数回、練習するうちにカンをとり戻した。今度は、技術よりも、体力強化が目的たった。90分という時間は、ちょうど良かった。終わる時には、全身、汗びっしょり、だった。プレーが終わった後に飲むスポーツドリンクは最高だった。プレーが終わって、図書館にもどってくると、心身ともに絶好調だった。ただ運動していなかったため不快な足の筋肉痛が、数日、続いた。心身は好調になるが、足の筋肉痛がつらい。だが、しかし、テニスは、彼の怠けていた心肺機能をも鍛えた。そもそも、一人きりでやる運動と違って面白い。こうして彼は、テニスを、始めるようになった。そこは車で20分の所だった。また、テニス自体が、面白くなっていった。一回のレッスンには必ず、何かの発見があった。そんなことで、彼はテニスを始めるようになった。ゴルフ場が隣接している清閑な所である。通う道には、果樹園があったり、田んぼがあったりして、図書館にばかりいる彼は、この行き帰りの風景に季節の安らぎを感じた。運転していて後ろ姿の女子高生を見ると、つい目が行ってしまうのだった。テニススクールに通うようになって、日が経つにつれ、だんだん足腰が強くなっていった。心臓も強くなり、体が丈夫になっていった。地獄の冬も難なく乗り越えられた。それまで彼にとって、冬は地獄の季節だった。アパートが断熱材が使ってなく、寒く、エアコンの暖房を入れても寒い。風邪をひくと、便秘症のため、こじらす事が多く、二週間以上も寝たままの日々が続くこともあった。腸が動かないため、食べられないし、吐き気さえ起こる。そういう時は心身まいって、熱がひくのを、一日中、布団の中で寝て待つしかなかった。
だが、その冬の12月になると、夏のような活気が起こらず、図書館で机に向かっていても、創作の筆は進まなくなった。腹痛も出てきた。
ある日ふと、彼は、ハワイに行ってみようと思い立った。それまで彼は一度も海外に行った事がなかった。遊びのため、海外に行きたいとも思わなかったからである。しかし一日、机に向かっていても一向に筆が進まない。これでは生きている時間が勿体ない。確かに図書館は暖房が効いているが、体が芯から暖かくはならない。なら、湿度が高くなく、気温が高い、この世の理想の常夏のハワイへ行ってみよう。そうすれば書けるかもしれない。一度くらいは外国にも行ってみよう。行ったら何か、小説のヒントが思いつくかもしれない。彼は思い立ったらすぐ衝動的に行動する性格があるので、彼は図書館を出て、駅の近くの旅行代理店に向かった。
旅行代理店の前には、パック旅行のチラシがたくさん並んであった。安い。ハワイ一週間、7万とある。

彼は、パック旅行に一度も行った事がないので、飛行機代と一週間のホテル宿泊費込みで、7万でハワイに行ける事が信じられないほどだった。彼は、店に入った。そして椅子に座った。受け付けの女性は広末涼子のような、きれいな人だった。
「あの。ハワイ行きたいんですけど・・・」
彼は彼女に言った。
「ご出発の日にちは、いつですか?」
広末涼子のような、きれいな女の受け付けの人が聞いた。
「今週中は、出来ますか?」
彼は思い立つと、すぐ行動する性格があるので、そう言った。
「パスポートは、持っていますか?」
広末涼子が聞いた。
「持っていません」
「パスポート取るのに10日、位かかります」
彼はパスポートについて全然、知らなかった。勿論、海外に行くには、パスポートが必要である、という事は知っていた。しかし、パスポートは、直ぐ取れるものだと思っていた。今は、十二月の中旬だから、となると、早くても年末ということになる。
「じゃあ、早くても年末になりますね」
彼は言った。
「ええ。でも年末、年始は、混みますから料金が高くなります」
そう言って彼女は、出発日と料金の書かれた表を出した。確かに、年末、年始の出発だと、同じ7日でも、20万以上と倍以上、値段が高くなる。それでは、とても行く気にはなれない。
「高いですね」
「ええ。出発日を、少しずらす事は出来ますか?」
「ええ。出来ます」
「では、6日の出発ですと、一週間7万というのが、一番早くて、あります」
「では、それでお願い致します」
こうして決まった。
「いくらでもいいですので、いくらか、前金を頂けないでしょうか?」
彼女は前金を求めた。
「どの位ですか?」
「3万円位、いただけないでしょうか?」
財布には5万あったので、彼は3万、渡した。
「病気になったり、万一の時の保険がありますが、それには入りますか?」
そう言って彼女は、その保険も見せたが、彼はそれには入らないことにした。保険料は一万近くかかり、そうやって、次々とオプションをつけていくと高くなってしまう。彼は7万できっちり、おさめたかった。
「あらかじめ円をドルに替えておいた方がいいと思いますが、空港でも出来ますが、どうしますか?」
「じゃあ、お願いします」
彼は心配性なので、万一、空港で、両替が出来ない事を心配して、あらかじめドルに替えておくことにした。
「いくら替えますか?」
「いくらくらいがいいでしょうか?」
彼は逆に聞き返した。
「そうですね。ディナーショーや、食事や、レジャーなどで、10万円くらい持って行った方がいいでしょう」
「じゃあ、10万、ドルに替えて下さい」
彼はレジャーを楽しむ気もないし、食事も、高級レストランではなく、安物で済ますつもりだったが、心配性のため、万一のため、10万、ドルに替えておくことにした。両替は別に金がかかるわけではない。ホテルは、オアフイーストホテルというワイキキビーチに近い所だった。彼女は、ホテルの地図や旅券、案内などを彼に渡した。
こうしてハワイに行く事が決まった。
彼は、急いで書店に入り、ハワイの旅行ガイドブックをニ、三冊買った。旅行用の英会話のガイドブックもあったが、パラパラッとめくってみたが、中学生程度の英会話で、ほとんど全部、知ってるので無駄なので買わなかった。彼は自転車で図書館に戻り、図書館でもハワイに関する本を持ってきた。どうせ行くなら、ハワイに関することは、あらかじめ調べ尽くしておきたかったからである。寒くて、腹も痛くて創作もはかどらない。彼はワイキキの町の道路とホテルを覚えた。色々なレジャーもあったが、それには興味がなかった。
翌日、彼はパスポートを取るために、戸籍謄本が必要なので、車で鎌倉の市役所に行った。本厚木のサティーに、パスポートを申請する所があるので、戸籍謄本を受け取ると、そのまま本厚木に向かった。パスポートは一週間くらいで出来るとのことだった。申し込みが終わると彼は家に戻った。ネットも使って、ハワイに関する情報を調べた。沖縄に以前、行った時も、行く前に沖縄を徹底的に調べてから行った。しかし、今度は外国である。言語がどうなっているのか、とか、チップはどうなってるのか、とかネット喫茶はあるのか、とかは、わからなかった。一番気になったのは、パソコンの電源である。電圧はそれぞれの国によって違い、ハワイは110ボルト、60Hzである。コンセントの差込口の二つの穴の長さが違う。ネットで検索すると、海外でパソコンを使うには、それぞれの国に合わせた変圧器が必要とあった。パソコンが使えなくては、ハワイに行く意味がない。遊ぶために行くのではなく、寒くて小説が書けないから、暖かいハワイならきっと書けるだろうと思って、そのために行くのである。彼は急いでパソコンショップに行った。海外対応変圧器というのが売ってあった。2千円少しである。コンセントの二つの差込口の長さが違うので、
「これでハワイでパソコン使えますか」
と店の人に聞いたが、使えると言ったので、信じることにした。
一週間して、パスポートが出来たので、本厚木に取りに行った。旅行代理店でも、10万円分のドルができていたので、受けとった。1ドル=約100円だから、1万ドルである。アメリカの札を見るのは、はじめてだった。これでもう準備が整った。
寒くて小説を書けないので、小説を読んだりハワイに関する本を読んだ。
そして働いたり、テニススクールに行って、テニスをしたりした。
数日して、咽喉に抵抗を感じるようになった。それが、だんだん悪化して、熱を出してしまった。急いで、かかりつけの医院に行った。インフルエンザだった。彼は秋にインフルエンザの予防接種を受けていたが、かかってしまったのである。風邪薬と解熱剤を出してもらい点滴を受けた。そして、家に帰って、布団に入って寝た。頭痛がして、だるく、咽喉が痛い。彼は頻繁にうがいをして、咽喉についているインフルエンザウイルスを早く追い出そうとした。だがなかなか、咽喉の痛みがとれない。そのため、何日も寝たままの生活がつづいた。一週間くらいして、ようやく熱が下がりだした。ちょうど、年末になっていた。大晦日の夜には、藤沢の白旗神社に行った。初詣に来ている人が何人もいた。除夜の鐘が聞こえ出した。神社では、甘酒と、味噌おでんを、ただで配っていた。これが美味く彼は三本、食べた。焚き火をしていて、木材がパチパチと音をたてながら激しく燃え盛り、真っ黒な空に金砂子を噴き上げていた。彼は、神社の階段を登り、
「今年も小説がたくさん書けますように」
と祈願した。そして車で家に戻って、また布団の中に入った。まだ、咽喉に軽い違和感があったため、熱がぶりかえさないように慎重を期したのである。熱を出したまま、ハワイへ行くのでは、何も出来ないから、ハワイへ行く意味がない。そのため正月は寝正月になった。

ハワイへの出発日の1月6日(水)になった。
夜、9時の出発だった。家から成田空港までは電車で2時間かかる。出発の1時間前には空港に着いているようにと、あったので、6時に出ればいい。だが彼はゆとりをもって、3時に家を出た。空港に着いたのは5時少し過ぎだった。彼は出発ロビーの前の椅子に座って、電光掲示板を眺めた。世界各国への飛行機が次々に出発していくのが、表示されている。長い時間、待った後、ようやく出発時間に近づいた。搭乗口が開くと彼は直ぐに入った。手荷物検査では、ハサミとペットボトルをとられた。また、しばし待って、ようやく飛行機へ乗る時間になった。ゲートから飛行機に乗るバスに乗り、飛行機に乗った。彼の席は右側の窓側だった。いよいよ飛行機が動き出した。飛行機は、滑走路の上をゆっくり動きながら、いよいよ離陸のため、加速度をつけて全速力で走り出した。彼は、飛行機が離陸する時の主翼がバサバサ揺れ、フワッと大空に舞い上がる感覚が好きだった。今回は、夜のせいもあって、離陸する瞬間はわからなかった。気づいたら離陸していた。真っ暗な空の中から、夜の町の電灯によって、下の町がまるでミニチュアの町のように見える。やがて飛行機は千葉県の九十九里浜を越えて、太平洋の上の雲の中へと入っていった。これから7時間の空の旅である。スチュワーデスは、日本語が話せない。しばしして、スチュワーデスが、ワゴンを押しながら、やってきた。
「ビーフ オー チキン?」
意味がわからなかった。隣の人が、
「機内食で、ビーフかチキンか、どっちがいいかって聞いているんですよ」
と教えてくれた。彼はチキンにした。便秘で腹が張って、食事はあまり食べないようにしようと思っていたのだが、機内食なるものは、はじめてなので食べることにした。蓋を開けると、いかにも美味そうだった。それで全部、食べた。彼は睡眠薬を飲まねば眠れないので、眠れないことは覚悟していた。やる事がないので、持ってきた、読みかけの文庫本を取り出して読んだ。体調が悪いので、なかなか読み進めない。彼は、文庫本を読んでは、真っ黒の窓の外の夜空を見た。彼は泳力に自信があったので、ハワイくらい泳いで行けるなどと思った。しかし、それは、飛行機の上から見下ろした穏やかに見える海だからであって、現実の太平洋の荒波を泳ぎ渡る事など不可能である。ただ太平洋のど真ん中で、泳いだら、どんなに気持ちが良くて痛快かと思った。機内の前方に、パネルがあって、今、日本とハワイの間のどの辺りを飛んでいるか、が表示されていた。考えてみれば、彼は国内線には何度か、乗った事があるが、1、2時間で着くが、今回は7時間である。トイレに行くため席を立ったら、かなりの客が寝ていた。文庫本を2、3冊持っていったが、もし持っていかなかったら、この単調さには、耐えられなかっただろう。本を読んでいても、退屈になってくる。長い夜中の真っ暗な空の中のフライトがつづいた。日本時間と現地時間とでは時差がある。彼は腕時計を取り出して、時間をハワイの現地時間に合わせた。ハワイには朝の8時に到着の予定である。彼は写真家がシャッターチャンスを待つように、真っ暗な夜が明けて、太陽が水平線の上に表れる瞬間を待った。6時頃である。周りが明るくなり出した。水平線の彼方に、小さなオレンジ色の発光体が見え、それは徐々に大きくなっていった。夜明けだった。感無量だった。飛行機は雲の上を飛んでいるので、太平洋の海は見えなかった。一面の雲は、まるで柔らかいベッドのようで、この上になら乗っても落ちないような気がした。ハワイに近くなってきたこの海はさぞやきれいだろうと思われた。スチュワーデスが、朝食を運んできた。わりと軽いものだった。飛行機は高度を下げていき、雲の中に入っていった。乗っかることが出来ると思っていた分厚い雲のベッドは、その中に入ってみると、やはり薄い水滴の集まりだった。飛行機はその薄い水滴を切って飛行した。高度が下がるにしたがって、青い海原が見え出した。感無量だった。島が見えた。おそらくニイハウ島かカウアイ島だろう。機内アナウンサーがあり、やがて飛行機はホノルル空港に着いた。曇り空である。着陸の音がして、飛行機が止まった時、はじめて外国に来たという実感が沸いた。税関を通り、旅行会社で指示された場所に行った。空を見上げると曇り空で少し残念だった。だが、温かい。まさに真夏である。旅行会社のバスに乗って、アロハタワーへ向かった。時間が惜しく、直ぐにホテルに行って荷物を預け、ワイキキビーチに行ってみたかった。ワイキキビーチの海水浴場を早く見たい衝動が強かった。だが、パック旅行の特典として、バス旅行、か、クルーザー乗船か、ダイヤモンドヘッドの早朝散策か、ワイキキ市内旅行の一つをただで出来ることになっていた。10時から、アロハタワーから、バスが出るという。なので、2時間待って、バス旅行をすることにした。行き先は、モルアナガーデンと、ドールプランテーションと、ハレイワである。つまりオワフ島を北西に向かうバス旅行である。モルアナガーデンは、傘のような変わった形の木がある公園で、合歓の木であるが、その木は日本のコマーシャルにも使ったことがあり、有名な木だった。ドールプランテーションは、パイナップルの観光所であり、ハレイワは、ハワイの北西の町で、サーフィンの町だった。これで、だいたいオワフ島の主要部は見れる。モルアナガーデンの、合歓の木は、確かに変わった形の木である。だが、たいして面白いとも思わなかった。次のドールプランテーションも。次のハレイワは、波が高くなることもあって、サーファー達がやってくる町だった。町といっても、道の両側に店が並んでいるだけである。男のバスガイトの説明によると、日系人で、かき氷の店を出したところ、これが売れて、今でも、その息子が店をやっている、とのことだった。また、ハレイワの町はサーファーが来るついでに出来た町である。サーフィンの場所は、ハレイワの町とは、少し離れている。サーファーのために、サーフ場へ直通する道をつくろうと役所が計画したところ、ハレイワの町は大反対した。直通道路が出来てしまうと、サーファーはサーフ場に車で直通して、ハレイワの町に寄らなくなる可能性を心配したのである。しかし、実際、直通道路が出来てもサーファーは、ハレイワの町に寄るので、心配は取り越し苦労におわった、とのことである。再びバスに乗って、ホノルルに向かった。ホノルルに着いたらホテルに荷物を預けてから、日が暮れる前に急いで今日中にワイキキビーチへ行こうと気持ちが焦った。ホノルルに着いたのは5時だった。地図を見ながら、オアフイーストホテルに向かった。まだ外は明るい。激安パック旅行のホテルだから、たいしたホテルではないだろうと思っていたが、結構いいホテルだった。部屋は7階だった。

彼は部屋に荷物を置くと、急いで、トランクス一枚で、半袖のジャケットを羽織り、サンダルでホテルを出た。ワイキキビーチを見たい気持ちが焦って、小走りに走った。地図通り、ワイキキビーチに面した高層のハイアットリージェンシーホテルの傍らを過ぎると、海沿いのカラカウア通りがあった。それを渡るともうワイキキビーチだった。5時半。まだ明るい。海水浴客はまだまだいる。はじめて見るワイキキビーチは感無量だった。ビキニの女もたくさんいる。しかし、彼は欧米人の女のビキニ姿には何も感じなかった。そもそも彼は欧米人に異性としての魅力を感じていなかった。顔にしても、日本人のような丸顔ではなく、細く狭まって、やたら鼻だけ高い。体が大きいため、尻の肉や太腿に過剰の肉がつきすぎている。乳房も、過ぎたるは及ばざるが如し、で、垂れるほど大きくなると美しくない。何でも大きければいいというものではない。戦闘機にしても、大きな物だと太って余分なものまでついてくるが、コンパクトに纏まったゼロ戦の方が美しい。それに彼女らは恥の概念がない。彼女らにとっては、見せることが、アピールすることが、価値観なのだろうが、恥じらいの気持ちが全くなくなった人には趣、もののあわれ、が無い。勿論、ハワイは観光地であり、開放的になるため、各国からやってくるのだが、それにしても、日本の女は、まだ恥じらいを持っている。このことは民族の精神構造と深く関わっている。アメリカは、男も女も互いに求め合うが、日本人は男も女も、心に秘めていても、なかなか言い出せない。夏目漱石の、「それから」にしても、向田邦子の、「あ・うん」にしても、そうである。葉隠れの恋愛観はにはこう書かれている。
「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候。会いてからは恋の丈が低し。一生、忍んで思い死することこそ恋の本意なれ」
と説いている。なので、ワイキキビーチの女には幻滅した。ビーチも、海の色は青くてきれいだが、遠浅でかなり沖に出ても背が立つ。これでは泳ぐ面白さもない。彼はビーチ沿いの砂浜を東の端から西のシェラトンワイキキホテルの辺りまで歩いた。東には、ダイヤモンドヘッドが見える。ハワイ旅行のパンフレットの典型的な写真は、この位置あたりから撮ったものである。彼はホテルにもどった。急いでパソコンを取り出した。コンセントの差込口は片方が少し長く、これでパソコンが使えるだろうかと心配していたのだが、変圧器をつなげば、問題なくパソコンは使えた。ほっとした。彼がハワイへ行った目的は、寒い日本では小説が書けなくて、温かい所なら、書けるだろうと思って、それが一番の目的だった。これで一週間、時間を無駄にしないですむ。彼はさっそく小説のつづきを書いた。やはり、寒い日本と違って、筆がどんどん進んだ。腹の痛みも消えた。日本の夏は、やたら蒸し暑く、湿度が高いが、ハワイはカラッと暖かくて、住むには最高の場所である。もしハワイに住む事が出来たなら、彼はハワイに移住したいと思った。だが、仕事がない。それが彼がハワイに移住できない唯一の関所だった。町には結構、乞食もいた。温かくて、乞食にとっても住むには理想の場所だろう。彼はあることが気になって、筆を置いて、部屋を出た。それは、このホテルにプールがあるということである。もう夜の8時だったが、急いでフロントに下りてプールの場所へ行った。プールは、小さいが四角い、十分泳げるプールだった。水深も深い。幼い毛唐の男の子と女の子が、はしゃいでいた。ワイキキビーチ沿いの高級ホテルのプールは、レジャープールばかりで、芋洗いで、混んでいて、とても泳げるものではない。彼はさっそくプールに入って、泳いだ。プールは夜9時までだった。プールから上がると、彼はトランクスに半袖で、近くのコンビニに行った。金は極力、かけないつもりだった。ので食料は全てこのコンビニで買うことにした。食べ物を見てると、どれも美味そうに見えてくる。少し大きめのサンドイッチと、ジュースとパックに入った西瓜を買った。日本のサンドイッチは、パンの耳は切るが、ハワイのコンビニのサンドイッチは、パンの耳までついていた。ホテルに帰って食べた。サンドイッチが美味い。食べたら直ぐに、小説のつづきを書き出した。12時にベッドに横になって、睡眠薬を飲んだ。だが、今までの寒い日本の冬から、一気に真夏になってしまったため、体内時計がおかしくなったのか、2時に目が覚めた。横になっていても眠れる気配が感じられない。それで、また机に向かって小説を書いた。寒い日本と違って、スラスラと筆が進んだ。やはりハワイに来てよかったと、つくづく感じた。眠気が起こらないので、時間の経つのも忘れて書いた。窓の外がうっすらと明るくなり出した。夜明けだった。時計を見ると6時である。

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小説家の憂鬱 (エッセイ)(下)

2020-07-13 12:27:17 | 小説
7日(木)の2日目ハワイの朝である。
少し眠気が出てきたのでベッドに横になった。うとうとと眠気が起こり出した。ちょっと眠って目が覚めると10時30分だった。彼は、急いでホテルのプールに行った。小説を書きにハワイへ来たとはいえ、せっかくリゾート地に来たのだから、少しは楽しもうとの思いもあった。ホテルは高級ではないわりには、プールはいい。彼は泳ぐのが好きで、ここのホテルのプールが気に入ってしまった。一日、一時間は泳ごうと思った。プールでは、昨日の毛唐の子供が二人、はしゃいでいた。足も底につかないのに、溺れずに何とか足をバタバタさせて水に浮いている。彼はプールを休みなく何度も往復して泳いだ。温水プールで泳ぐのは、つまらないが、常夏のハワイのホテルのプールでは泳ぎがいがある。プールサイドには、日光浴をしている欧米人もいる。時計がないので、時間がわからない。気持ちがいいので、つい長く泳いでしまう。そろそろ一時間くらい経っただろうと思ってプールから上がった。ちょうど一時間だった。部屋にもどってシャワーを浴びて、ワイキキビーチに行った。ホテルからビーチまでは、5分と近かった。彼は一日、一度はワイキキビーチを見ることにした。しかし欧米人のビキニ姿には、魅力を感じなかった。しかし、一時間はワイキキビーチを見た。ハワイでは、雨も降るが、スコールといってパラパラの雨ですぐ止んでしまうので、傘も、ほとんど必要ないくらいだった。ビーチに人がいる間は、ビーチに居たかったが、体調がよく、小説が書けるので、一時間くらいでホテルに戻った。帰りがけに、コンビニに寄って、昨日、食べて、美味かった、耳つきの大きなサンドイッチとジュースを買った。そして机に向かって小説のつづきを書いた。夜の12時過ぎまで書いた。少し眠気が出てきたので1時に睡眠薬を飲んで、ベッドに横になった。だが、3時に起きてしまった。眠れそうもないので、机に向かって小説のつづきを書いた。しばらくすると、外が薄っすらと明るくなり出した。時計を見ると6時45分。4時間近く、書きつづけたことになる。

1月8日(金)。三日目のハワイである。
窓から、外を見ると、最寄りのABCストアー(コンビニ)が開いている。ハワイのコンビニは、日本のように24時間やっていない。夜1時に閉まって、朝6時に開く。ハワイにはホテルにも町にも自動販売機というのもがない。少し、疲れてきて、ベッドに横になった。いつしか、うとうととなって眠っていた。起きたのは、9時40分で、2時間40分、眠れた。プールに行って一時間、泳いだ。ハワイに来たのは、小説を書くためだったが、泳いで体力をつけ、体を焼いて体を丈夫にする目的もあった。そして、泳ぎ終わってからワイキキビーチに行った。大きなヨットがいつも、止まっている。ビーチの入り口には、サーフボードを貸す人が立っている。レンタル料はいくらなのか、希望者には教えて指導料も取るのだろう。彼には、そういう、ありきたりなレジャーは全く興味なかった。ハワイのガイドブックにも色々なレジャーが載っていた。スカイダイビング、セスナ機の操縦。などである。しかし、スカイダイビングは、安全のため、指導者に抱かれてダイブするのであり、セスナ機の操縦も、当然、パイロットが同乗して、パイロットの指導のもと、操縦させてくれるだけのものだった。彼は、そういう安全な誰にでも出来る事には興味がなかった。スリルがない。金もかなりかかるとなれば、なおさらである。彼は極力、金をかけない方針だったので、レジャーは何もしなかった。ただビーチは、タダだし、ビキニ姿の女を見れるので、海とビキニ姿の女が見れるワイキキビーチには、一日、一度は行った。帰りに、ワイキキビーチの前のマクドナルドに寄った。ストロベリーシェイクを注文した。日本のSサイズが、Mサイズ以上ほどもある。シェイクだけで腹一杯になってしまうほどである。周りの欧米人は、すさまじく太っている人が多い。体重100kgは、越しているだろう。彼がハワイへ来て驚いたのは、欧米人がこんな肥満体の人々ばかりだということだった。男も女も、まるで妊娠しているかのように、でっぷり太っている。余計な脂肪の塊を30kgくらい、腹の前に抱えているようなものである。みっともない。本人も生活に不便だろう。それでもダイエットしようとも見受けられない。ああまで悲惨な体型になってしまっても、何とも思っていないように見受けられる。一体、どういう精神構造なのか。きわめて鈍感、無感覚としか、思えない。日本の女は、痩せたい願望のない女は、いないといっていいほどである。痩せたいあまり、拒食症の患者も多い。ここらへんからも日本人と西洋人の精神の違いがわかる。つまり、日本人は、恥ずかしがり屋であり、劣等感が強く、ナルシストであり、美意識をもっている。が、西洋人は、おおらか過ぎて、恥じの概念が無く、鈍感で、美意識が無い。としか言いようがない。やはり日本人はデリケートな感性なのだ。マクドナルドを出て、ホテルに向かった。コンビニでサンドイッチとジュースを買ってホテルにもどった。机に向かって小説を書く。12時すぎまで書いて、睡眠薬を飲んで1時にベッドに横になった。だが眠れない。いつまでたっても眠れない。予想外に不眠症になってしまった。ハワイに来た日には、絶好調だったのだが、だんだん、こちらの生活に慣れてきて、しかしそれは、にわか順応のため、体調がかえって崩れだしのである。眠れないので、苦しく、何か気を紛らわそうとテレビをつけてみた。が、面白いものは無かった。眠れないので気を紛らわそうと外へ出て、少し夜中のホノルルの町を歩いた。ホテルにもどってベッドに横になると、いつしか、うとうとし出した。眠りが浅いため、嫌な夢を見る。一度、起きるが、また眠る。目が覚めた時には、夜がとっくに明けて日がさんさんと、さしていた。時計を見ると、12時45分だった。

1月9日(土)。4日目のハワイである。
目が覚めてから机に向かってねばったが、寝不足で小説が書けない。そのため、2時にホテルのプールに行った。ビーチサイドに黒いビキニ姿の日本人がいた。嬉しい。彼はプールに入って泳いだ。やはり日本人のビキニ姿が彼にとっては一番、魅力的だった。彼は彼女に得意の力泳を見せたくて、休みなく泳いだ。2時間、泳ぎつづけた。水泳もランニングと同じように、ある時間、泳いで、デッドポイントを越すと、もう疲れなくなる。プールから上がり、部屋にもどって、横になった。疲れのため眠れた。その日はワイキキビーチには行かなかった。ビーチをサンダルで長時間、歩きすぎたため、足の甲の皮が擦りむけて痛かったからである。ワイキキビーチにも魅力を感じてもいなかった。だんだんハワイでの体調が悪くなって、来た日には、ウソのように消えた過敏性腸症候群の腹痛も起こり出した。少し小説を書く。その夜も眠れなかった。12時を過ぎ、3時になっても、眠気が起きてこない。気を紛らわすため、文庫本を持って、ホテルのロビーの椅子に座って、読んでみた。だが、気分が悪く、頭が冴えないため、読み進められない。ワイキキビーチの前の24時間やっているマクドナルドへ行った。3時半で、朝マックのメニューである。ストロベリーシェイクを注文する。彼は、疲れてヘトヘトになった時は、即効性のブドウ糖補給のために、マクドナルドのシェイクを飲むことが多かった。文庫本を読んでみるが、頭が冴えないため、なかなか読み進めない。仕方なく、ホテルに戻って、ベッドに横になった。眠気が起こってくれて、眠る。だが7時に起きる。不眠の時は、眠れても、睡眠時間が2時間ていどで、短く、目覚めた時の不快感はとても鬱陶しい。

1月10日(日)。ハワイ5日目の朝である。
あすの朝、ホノルル空港を出発する。もう今日がハワイ最後の日である。ワイキキビーチを見ておこうと、ビーチに行く。一時間くらいビーチを歩く。そしてホテルにもどる。旅行会社がやっているトロリーバスという市内を走るオープンバスに、滞在中、ただで乗れたのだが、そんなものに乗っても、面白くなさそうで、また時間が勿体なく、彼は一度もトロリーバスに乗らなかった。彼にとって、人生は時間との戦いだった。同じ時間を過ごすのなら、一番、有意義なことをする。彼にとって、一番、有意義なことは小説を書くことだった。それに彼は、単に遊ぶことに虚しさを感じるのだった。遊ぶことの意味がわからなかった。これは子供の頃からで、彼にとって生まれつきのものだった。学生時代も、いかなる遊びも彼を魅さなかった。彼には、麻雀に嵩じている生徒の心理が、どうしても、わからなかった。勉強は新しい事を知れるので面白い。なぜ、こんな面白い事をやらないで、麻雀などという、同じことの繰り返しが面白いのか、彼にはわからなかった。ゲームセンターも競馬も競輪も、いかなるものも彼を魅さなかった。彼には、彼らは、人生を無駄に過ごしている人にしか見えなかった。ホテルにもどると、机に向かって小説のつづきを書いたが、途中で、一番いいストーリーの選択に迷って、それが、どうしても思いつかないので、気晴らしにホテルのプールに行った。ここのホテルのプールには、小さな円形の温かいジェットバスがついていた。毛唐の子供が二人、ジェットバスではしゃいでいた。そして嬉しいことに昨日とは別の日本人のビキニ姿の女の人がジェットバスにいた。彼女は一人でジェットバスにもたれていた。彼はプールに入って、泳いだ。しばしすると、彼女がプールに入ってきた。彼は黒いゴーグルをしていたため、平泳ぎで、水中の彼女の体を見た。水中から彼女のビキニ姿のしなやかな体が見える。セクシーである。目の保養になった。2時間くらい泳いで上がり、部屋にもどった。明日の朝、9時前にホテルを出なければならないので、荷物をまとめた。その後、少し机に向かって小説の続きを書いた。夜、11時30分に寝る。が、1時30分に目が覚める。横になっていても眠れないので、文庫本を持って、ワイキキピーチの前のマクドナルドに行く。3時である。朝マックを食べる。文庫本を読むが、頭が冴えず、なかなか読み進めない。のでホテルにもどる。ホテルのロビーで本を読むが、やはり読み進めない。

1月11日(月)。帰国の日である。
いよいよ、今日、帰国である。不眠のまま、朝を迎える。空港への送迎バスは、ホテルから三分くらいの近い所である。今日でハワイとお別れとなると、さびしくなってワイキキビーチに行った。ちょうど日の開けた6時である。不眠で疲れているので、砂浜に仰向けになって、日光浴をする。一時間くらいしてからホテルにもどる。バスに乗り遅れたら大変である。そのため、彼は昨夜、ホテルの時計のアラームとモーニングコールをセットしておいた。しかし、8時に旅行会社の人から、電話で連絡があり、8時30分には、旅行会社の人が部屋にやってきた。旅行会社の人も遅刻者を一人も出さないよう細心の注意を払っていた。8時40分にホテルをチェックアウトした。そして、8時45分にバス乗り場へ着いた。彼が一番だった。結局、ハワイでは、ホテルで小説ばかり書いていた。それと、一日、一時間のホテルのプールでの水泳と一時間のワイキキビーチ散歩だった。だが、彼は、それが目的だったので、目的を予想以上に達成できて嬉しかった。ハワイへ来てつくづく良かったと感じた。また、次の冬にも来ようかと思った。別にハワイでなくても温かい所ならいいのである。しかし、ハワイはカラッと晴れていて、蒸し暑くなく、過ごすには最高の場所である。沖縄も冬でも暖かいが、風が強く、雲の日が多く、また台風の銀座通りで、気圧の変動も激しく、ハワイほどには快適ではない。パック旅行の帰りの客達が、ゾロゾロとやってきた。9時に旅行会社のバスが来た。全員、そろっている事を旅行会社の人がチェックして、バスはホノルル空港へと発車した。

高速道路を通って10分くらいでホノルル空港へ着いた。飛行機は12時発である。直ぐに税関を通って、出発ゲートの前の椅子に座って飛行機を待った。出発まで2時間半ある。慣れない土地での旅の疲れがどっと出て、一時間ちょっと眠っていた。飛行機の席は窓側だった。ともかく、旅の間、熱が出たりせず無事に済んでほっとした。ましてや、小説を予想通り、かなりの分量、書けて旅行は成功だった。彼は今まで、過敏性腸症候群のため、外国旅行は色々と困難だろうと思っていた。だが今回の旅行で自信がついた。また、寒い冬は、ハワイか、どこかの暖かい国に、旅行に行こうと思った。帰りの飛行機は、さびしくもあり、旅行が無事おわって、ほっとした気分でもあった。7時間の空の旅で成田空港に着いたのは午後7時だった。税関を通った所に両替所があった。彼は財布の中のドル紙幣と硬貨を両替所に差し出した。6日間の旅行で、ほとんど金を使ってないので、7万円くらい、円にもどせた。ただ両替できるのは紙幣だけであり、硬貨は両替できなかった。彼は硬貨を使い慣れていなかったので、全て紙幣で買い物をした。そのため、おつりの硬貨がジャラジャラあった。しかし紙幣は最低が約100円の1ドル紙幣であり、硬貨は、一番、高いのでも約25円のクォーター硬貨であるため、硬貨は、かなりジャラジャラあったが、たいした金額にはならない。アメリカの硬貨は、日本のどこの銀行でも両替することが出来ない。そのため捨てるしかない。しかし、たいした金額ではない。旅行代理店の人も、その事を教えてくれてもよかったのに、と彼は思った。直通バスで帰ろうかとも思ったが、やはり成田エクスプレスで帰った。半袖で行ったので寒い。アパートに入ると一週間、使っていなかったせいか、部屋がものすごく寒い。エアコンの暖房をつけて、風呂を沸かした。風呂に入って、温まると、ほっとした。もう10時だったので、コンビニで夕食を買って、食べて寝た。彼の布団は万年床ではあるが、やはり、自分の布団の方が気が落ち着いた。その晩、彼はぐっすりと眠った。

こうして彼の平成22年は、ハワイ旅行から始まった。
翌日からは、また、朝8時30分に起きて、9時から図書館で、小説の続きを書いた。もうハワイで大部分を書いていたので、つづきを書くのは楽だった。3日くらい書いて完成させた。ワープロで小説を書くようになった、彼の小説の書き方は、こんな風だった。まず、大まかな筋を考えて書き始める。ある程度、書いた時点で、ストーリーに迷ったら、練習として、軽い気持ちで試しに続きを書いてみる。失敗したら、書き直せばいいや、という思いで書く。しかし、軽い気持ちで書いた、練習、が結局は話の続きになってしまうのである。練習、といえども頭を捻って筋を考えて書くので、練習、が結局は続きになってしまうのである。肩の力を抜いてダメ元で、書いてみると、かえって上手くいってしまうのである。そんな事の繰り返しで、書き進めて小説を完成させた。完成させて、はじめて全文を読み直してみる。つまり読者の立場になって読んでみるのである。しっくりしない言葉は直す。ストーリーを途中から、考え直したものでは、話、全体に矛盾がないよう、はじめの方を書き直したり、伏線をつけたりする。書いている時には、きちんとした文を書いているつもりでも、書き終わった後で読み返すと、しっくり合っていない言葉というのも、見つかるのである。もっと形容詞や地の文を入れてボリュームを増やしたい、とも思う。し、もっと話を続けることも出来ると思いながらも、それをやってしまうと、きりがなくなってしまう。彼は一つの作品を長々と書き続けるより、作品の数をもっともっと増やしたいので、残念に思いつつも、区切りのいい所で終わりにする。そしてホームページにアップする。もっと形容詞や地の文を入れてボリュームを増やしたり、続きを書くことは、いつかは出来るという思いもある。ホームページにアップすると、一仕事、終えたような気になり、ほっとする。だが、一度、ホームページに完成した作品としてアップしてしまうと、ボリュームを増やしたり、続きを書こうという意欲がなくなってしまうのである。どうしても書けないのである。やはり書いている途中では気分が乗っていて、続きを書くことも出来るのだが、完成させてホームページにアップしてしまうと、それは、もはや過去の完成した作品となり、気分の乗りも途切れてしまい、興が冷めてしまい、どうしても書けなくなってしまうのである。
ともかく彼は、12月から、書きあぐねていた小説を完成させホームページにアップした。1月21日である。さらに続けて、彼は新しい小説にとりかかった。一月も小寒を過ぎ、大寒も過ぎ、これから温かくなっていくと思うと、精神的に落ち着いた。書き始めた新しい小説も、順調に筆が進んでいった。
彼がいつも通っている図書館の隣には中学校があった。いつも威勢のいい掛け声を出して野球の練習をしている。ユニフォームもきちんと揃っている上に、ピッチングマシンまである。それは野球だけではなく、軟式テニスでも、陸上競技のマットもである。金があるのだろう。というより、これが普通の中学校なのである。彼の中学は、私立で、入学者は一クラスで約40人しかなかった。しかも、豊富な部活も無く、部活は、サッカー部、バスケットボール部、テニス部の三つだけだった。創立者は我の強い性格で、野球は、チームワークのスポーツではないため、皆で協力することが大切である、という学校の教育方針に反しているという理由でつくらなかった。確かにサッカーやバスケットボールは、絶えず、皆が動いていて、プレー中は、いつでも全員、協力している、とはいえる。その点、野球は、ピッチャーとバッターの対決のように見える。勿論、ランナーが塁に出ていれば、ピッチャーは、ランナーの盗塁にそなえて、プレーは、連続してはいるが。やはり、ランナーがいない時や、いてもそうであるが、野球は、ピッチャーとバッターの勝負という個人プレーと見える。しかし野球も団体競技で、チームワークが大切なスポーツであることは、野球を知っている人なら誰だって知っている。創立者は、そもそも野球やスポーツにどのくらい関心があり、知っていたのかは、わからないが、スポーツに関しては素人で、野球も見た目で、協力し合うスポーツではない、と、おそらく思ったのだろう。入学者が少なく、月謝を上げても、経営が苦しく、部活にも、何でも、十分な予算を出せないのである。そういう彼の母校に比べると、普通の中学校の生徒は、活き活きとして見えた。若さがあり、青春の汗がある。清々しい姿に見えた。だが中学生の実態を知っているわけではないので、実際の彼らがどうなのかは知らない。教室に入り、また家に帰っても、全科目の詰め込み勉強である。大人は学生をスネカジリなどと言うが、彼は、全くそうは思っておらず、むしろ、毎日、勉強している彼らを尊敬さえしていた。社会人になって自立すれば、人間として一人前と大人は思っているのだろうが、ほとんどの仕事は、慣れてしまえば、あとは惰性であり、毎日、同じことの繰り返しであり、仕事が終われば、ズルズルしていられる社会人の方が、生活費を働き出しているだけで、だらけているようにしか見えなかった。なので彼は、一意専心、勉強に、運動に、励んでいる中学生を見ると、自分も、気を入れて真剣に生きなくてはならないと、創作のファイトが起こるのだった。

1月が過ぎ、2月になった。テニススクールは、今までやってた所はやめて、アパートに一番近い所にすることにした。理由は。今まで通っていた所は、スクールに入会しなくても1レッスン=3000円で、好きな時に受けれたからである。
拘束されることの嫌いな彼には、その点が良かったのである。
だが、レッスンはボレーの練習ばかりで、ストロークが少なく、彼はそれを不満に思っていたのである。テニスの気持ちよさはグランドストロークの打ち合いである。しかも屋外コートなので、雨が降れば出来なくなり、風が強いと、ボールが風に流されてしまう。そんな事も不満だった。しかし、新しいスクールは、屋内であり、どしゃ降りの雨が降っていても出来る。強風があっても、その影響を受けない。しかも、グランドストロークの打ち合いが多い。御意見箱というのが置いてあって、おそらくグランドストロークの打ち合いを、もっと増やして欲しいと、多くの生徒が書いて入れたのだろう。車で5分と近い。それで彼は、図書館で小説を書き続けて、ストーリーに難渋すると気分転換に80分のレッスンを受けて、また図書館にもどって、続きを書くようになった。彼が運動するのは、楽しみのためもあるが、それ以上に、足腰を鍛え、冷え性、便秘症を改善し、持久力をつける健康維持の目的の方が強かった。ランニングが出来ればよかったのだが、彼は腸が引き攣っていて、走っていると、脇腹が痛くなってくる。市民体育館のマシントレーニングは、ハードな上、単調でつまらない。短時間で手軽に出来て、体を鍛えられるとなるとテニスくらいしかなかった。そして実際、テニスで汗を流すと、足腰が強くなり、持久力もついて、足が軽くなり、歩いたり、階段を登ったりするのが、億劫でなくなるのである。駅でも、エスカレーターでなく、階段を登っても息切れしなくなるのである。こんなことなら、もっと早くから運動の習慣をつけとけば、良かったと彼は思った。今まで彼は、運動する時間も創作のために惜しんでいたのだが、心身ともに健康でなければ、創作もはかどらない。
2月の中旬になり、確定申告がはじまったので、源泉徴収票を持って税務署に行った。彼は、時間が惜しいため、あまり働かないので、年収は少ない。金より時間が大切だからである。そのため、税金が30万くらい、もどってきた。
2月に車の車検がきれるので、ディーラーに行って、車検にかかる費用を見積もってもらった。
彼は、6年前に、この車を激安中古車店で、30万円で買った。車体に大きな傷があるが、彼には、そんな事はどうでもいい事だった。大きな傷があるため、それで安くなっていて、性能には問題がなかった。それで、最低の金額で、車検を通し、今まで6年間、乗ってきたのである。車検は、12万円くらいだった。表示価格12万の激安中古車に買い換える事は面倒くさくてしなかった。表示価格12万といっても、諸経費が10万円くらいかかり、22万円になる。表示価格12万の激安車は、買った時は問題なく走れるが、何か車に欠陥がある可能性があり、乗ってしばらくすると、部品を交換しなくてはならなくなって、結局、高くなってしまう事があるからだ。彼はそれを怖れた。車検は今回も12万くらいだった。

2月が過ぎて3月になった。
温かくなっていくのはいいが、この時期になると、杉花粉が飛び始める。アレルギー体質の彼には、毎年、それが悩みの種だった。彼の花粉症は、すさまじく、くしゃみ、鼻水、鼻づまり、が一時も止まらず、小説を書くどころか、何も出来なくなくなる。だが幸い、今年は、気象庁の天気予報で、杉花粉が少ないと予想され、また、実際、花粉の飛散量が少なかった。そのため、花粉症に悩まされることが無くすんだ。もっとも、アレルギー疾患は、色々な要素が関係していて、体が丈夫だと、アレルゲンに晒されても症状が出ないこともあるのである。運動するようになって、体が丈夫になったため、鼻炎の症状が出なくなった可能性もある。

彼の通っている図書館には、パソコン専用の座席が10席あった。コンセントの差込口があり、しかもブースで区切られているので、集中するには良かった。エアコンもだいたい適温で調子がいい。しかし、この10席はすぐにうまってしまうので、彼は朝8時30分に起きて、図書館が開く9時前に、図書館の前で待っていた。他に、パソコンが使える図書館は、車で30分くらいの所にあったが、パソコンが使えるのは2席で、しかもブースの区切りも無い。さらに空調も悪く、蒸し暑い。以前、パソコンではなく、鉛筆で小説を書いていた時は、この図書館も利用することもあったのだが、パソコンで小説を書くようになると、この図書館には行かなくなった。遅く起きて、パソコンを使える10席がうまってしまうと、小説が書けない。それで、パソコンを使える、図書館を以前から、探していたのだが、なかなか、いい図書館はなかった。車を止める駐車代も、勿体ない。月に2日、図書館には休館日があった。
ある日、彼が図書館に行くと、その日は休館日で、閉まっていた。

彼は隣の市の中央市民図書館に行ってみた。車で30分くらいだった。そこの図書館は、パソコンを使える席がたくさんあった。しかし空調は悪い。しかし夜、8時までやっている。しかも、田舎のため、駐車代も一日600円と安い。さらには、図書館の隣にレンタルビデオ店があって、その駐車場がある。田舎のため、駐車しても文句は言われなさそうである。彼は、いい図書館を見つけたことに喜んだ。彼は、家の近くの図書館で、パソコン席がうまってしまった時には、その図書館に行くようになった。

小説は順調に進んだ。彼は、小説を書く時、二作、同時に書くこともあった。一作を書いていて、ストーリーに行きづまったら、もう一作の方を書くのである。ストーリーに行き詰まった時、ウンウン頭を捻っていると、疲れてしまう。そういう時は、ある時間、休んでみて、そして、あらためて創作を再開すると、いいストーリーが、いとも簡単に思いつく事が多いのである。だから、小説をたくさん書こうと思うなら、二作、同時に書いた方が、精神的に疲れないのである。しかし、一作、書いていて気分が乗ってくると、どうしても、その作品だけに集中してしまうこともある。しかし一作だけしか書いてない時は、疲れる時もある。今回は彼は一作しか、書いていなかった。なので、ストーリーに迷うと、疲れた。ストーリーに迷った時は、机に向かってワープロをじっと眺めていても、余計、疲れてしまう。そういう時は、頭を切り替えることが必要である。彼は、ストーリーに迷うと、席を離れ、図書館のロビーで、ジュースを飲んで一休みした。そうして書き進めているうちに、どんどん興が乗ってきた。これもエロティックな小説である。彼は最高なエロティックさを表現しようと意気込んだ。書いている内に彼も興奮してきた。書きながら自分の作品に興奮するというのも、おかしな話だが、そういう事はあるのである。人は誰でも、自分にとって最も興奮する性欲の状況というものがある。エッチな話なら何でも興奮するというものではない。書くということは、自分が最も興奮するシチュエーションを作ろうとするのだから、それに興奮するということは、十分、あり得ることなのである。

図書館で書いていて、あまりに興奮が嵩じてくると、精液がたまってきて、息が荒くなり、心臓がドキドキしてきて、居ても立ってもいられなくなる。そうなると、もう小説創作どころではなくなってしまう。そんな時、彼は、アパートにもどって、自慰して、激しく高まった興奮を落ち着かせることもあった。しかしエロティクな小説の創作の原動力は、他ならぬ性欲である。精液を出してしまうと、また精液が溜るまで、待たねばならない。それで、精液を出してしまった日は、書けなくなる。しかし、一日も経って、また書き始めると、だんだん興奮してきて精液が溜ってくる。エロティックな小説を書くということは、性欲を創り出すということでもある。溜った性欲のはけ口としてエロティックな作品を書く、というのが一般に言われることであるが、その逆もあり得るのである。つまり、エロティックな作品を書いているうちに性欲が高まるということもあるのである。

小説は、原稿用紙150枚を越え、そろそろラストにしようと思った。もっと長くしようと思えば、出来たが、書き出してから、もう二ヶ月近くになる。もっと、新しい他の作品を書きたくて、そろそろ終わりにしようと思った。ラストに少し手こずりながら、満足のいくように書き上げた。最高に嬉しかった。全文を読み直し、しっくりしない所を書き直し、完成させた。そして、3月半ばにホームページにアップした。ホームページにアップした時が最高の快感である。これは、長いし、いい出来だと思ったので、どこかの出版社に投稿しようかとも思った。
小説を完成させた時は、最高の快感だった。だが、予想もしない事が起こったのである。彼は気分一新して、新しい小説を書こうと思った。だが書けないのである。その理由は彼もわかっていた。それは。彼は、エロティックな小説は、もう十分、書いて、いささか満足してきたのである。それと。勿論、いくつかの構想もあったが、ストーリーは今まで、書いてきた、パターンと違う斬新なものに、したかったが、それがどうしても思いつかないのである。作家は皆、そう思っているのではないだろうか。それは作家の、脱皮して飛躍したいという気持ちである。彼はエロティックな小説を書くことには、何の劣等感も感じていなかった。むしろ、こういう作品が書けるのは自分だけ、という自慢さえ持っていた。しかしストーリーは、今まで書いてきたのとは違う斬新なものにしたかった。しかし、それがどうしても思いつかないのである。
彼は、原稿用紙100枚、前後の小説を年間10作は書くつもりでいた。そうでないと作品の数が少なくなってしまう。一年で10作なら、5年で50作である。それも、予定通り上手くいけば、のはなしである。これはプロ作家に比べると明らかに少ない。彼はプロ作家には、作品の数では嫉妬していた。プロ作家では、月、5百枚、書く人もいる。月、5百枚となると、月に300ページの長編小説の本、一冊、書けることになる。作家の筆の速さは人によって違うが、一日、80枚、書く人もいる。一週間で、長編一冊、書き上げてしまう人もいる。(最もこれは例外的に速い人の場合だが)それに比べると彼はあまりに遅筆だった。プロ作家は、週刊誌に連載小説を何本ももっている。そして、締め切りには間に合わせなくてはならない。そういうプレッシャーがあるから、脳からノルアドレナリンが大量に分泌され、質を落さずに、作品をたくさん書くことが出来るのであろう。しかも、取材し、込み入ったストーリーを考えなくては、ならない。彼は図書館で、一人の作家のズラーと並んだ文学全集を見ると、嫉妬も感じたが、超人に見えてくるのだった。自分は、一生、創作一筋に打ち込んでも、こんなにたくさん書くことは出来ない。絶対、無理である。彼は、根性、を信念としていたが、やはり、どう考えても物理的に無理である。これは、やはりプロ作家は、締め切りがあって、緊張した精神状態にあるから、書けるのだとしか思えなかった。しかし多作のプロ作家の全集を見ると、創作のファイトが沸く。

彼は二ヶ月かけて、160枚の小説を書き上げた後、さて、新しい作品を書こうと思って、机に向かったのだが、書けないのである。どうしても、今までと違う斬新なストーリーが思いつかないのである。季節は、3月下旬で、暖かくなっていくので、体調も良くなり、書けるだろうと思っていたのだが、書けない。やはり、それは、彼には、実生活というものがなく、頭を捻って空想だけで、ストーリーを考え出してきたからだろう。その限界に達したのである。彼は焦った。作家は、誰でも、自分の好きで得意なジャンルというものがある。そして基本的には、自分の好きで得意なジャンルの作品しか、書けない。自分の気質に合わないものを書く気は起こらないのである。しかしストーリーは、新しいものに変えていく。そうでなければ、書く面白さがないからである。読者にしてもストーリーがマンネリ化していくと、厭きられてもくる。谷崎潤一郎も、デビューした時は、自分の表現したいエロティックな衝動を、設定を変え、ストーリーを変え、筆の向くまま、書きまくっていった。それらはエロティックであっても、立派な純文学作品である。というより谷崎潤一郎が表現したかったのは、谷崎の生まれつきの気質である、女性崇拝のマゾヒズムである。はじめのうちは谷崎も意気揚々と、斬新なストーリーの作品を矢継ぎ早に書きまくって、発表していった。しかし、だんだん、ストーリーに行き詰まりだした。マンネリ化しだして、作品の質も、デビュー当時のものに比べると、はるかに落ちていった。ついに谷崎は、「金色の死」という作品で、ストーリーが行き詰ったことを、告白した小説まで書き出した。彼にも、そのスランプが起こり出したのである。彼は、それまで、実にたくさんの文学作品を読んでいた。それは小説を書くための勉強として、読んだのである。好きな作品、自分にも書けそうな作品、は何回も精読した。それは将来、創作に行き詰った時のために、その作品を手本として、小説を書いてみようというストック、スランプになった時のための準備でもあった。だが読むのと書くのとでは大違いだった。読んでいると、案外、簡単に手本の小説に似たような作品が書けるような気がするのである。しかし、実際に、書こうとすると、書けないのである。彼は何もエロティックな作品だけを書きたいと思っているわけではない。ストーリーのしっかりした面白い作品を書ければ、それで全く不満はないのである。たとえば、女が一人も出てこない野球小説でも、それを書ければ、それで満足なのである。だが彼は、今までエロティックな小説ばかり書いてきたため、どう書いていいかわからない。確かに、書こうと思えば、野球のシーンを書くことは出来るだろう。しかし小説とは、しっかりしたストーリーがある、面白いお話でなくてはならない。彼は、途中で、ストーリーに行き詰って、作品が失敗することを何より恐れた。実際、彼は今まで、途中でストーリーが思いつかなくなって、失敗した作品も少ならからずあった。遅筆の彼にとって、人生は時間との戦いであった。

また作家は、小説のストーリーが思いついても、今まで書いてきた作品より、明らかにレベルが落ちるとわかる作品はどうしても書く気が起きないのである。また何か、今までの作品とは違うものでなくては創作意欲は起こらない。今までとは違う作品を作り続けるという点で、作家は、やはり、「作る人」である。
彼は、図書館で毎日、ウンウン頭を酷使して、新しい小説のストーリーを考えた。だが、どうしても思いつかない。彼は、何か書いていれば、満足なのである。逆に、書けなくなったら死に等しい。彼は、ホームページに発表した小説のうち、どれかの作品で、もっとストーリーをつづけてみようかとも思った。だが、気を入れて、しっかりラストをつけてしまって完成させ、ホームページに発表してしまった作品は、どうしても続きを書くことが出来なかった。創作は、書いている時は、気分が乗っていて、作者は生き生きしているのだが、一旦、その流れが途切れてしまうと、どうしても書けなくなってしまう。彼は、後悔した。こんなことなら、完成を焦らず、もっと書き続けて、もっともっと長編にすれば、よかったと後悔した。だがもう遅い。はじめは、焦燥感が強かったが、書けない日が何日か続くうちに、だんだん精神が疲弊してきた。ちょうど白蟻が一刻一刻と家を蝕んでいくように、無駄に過ごしている一刻一刻の時間が人生を蝕んでいくのが、彼には耐えられなかった。

さらに悪いことが起きた。彼は常勤での病院勤務医をやめてから、ネットの医者の紹介業者を通して、アルバイトで働いていた。今は医者の斡旋業者が無数にある。病院や医院の代診の募集がネットに乗り、それに応募して、仕事するという形である。要するに、派遣労働の医者である。しかし、組織に所属することの嫌いな彼には、その方が気が楽でよかった。しかし、厚生省のある医者いじめの方針によって、あるアルバイトの仕事が出来なくなってしまったのである。彼は、働くのは、嫌いではなかった。毎日、一人きりで机に向かっている彼にとって、労働は人との、社会との、つながりであった。また働くことは精神に気合が入る効果があった。働くのは嫌だが、働くと気持ちが充実する、というのは誰でも感じていることだろう。しかし、仕事が厚生省の医者いじめによって、出来なくなってしまったのである。彼は精神病院の勤務医をした経験しかなかったので、出来る仕事は限られていた。法的には医師免許を持っていれば何科をすることも出来る。しかし、開腹手術をやったことがなければ、外科の当直は、募集があっても出来ない。そして、日本の医学界は封建的であり、ある科の技術や知識を身につけるためには、大学の医局の教授にお願い申して、医局に入って、薄給で徒弟的に先輩医師から、教わるしか方法がないのである。医局の拘束性は強く、自分の時間がほとんど無くなってしまう。これでは小説を書く時間がなくなってしまう。そのため彼は医局に入る気はなかった。こうして仕事もなくなり、収入も無くなってしまった。収入が無い不安も彼を悩ませた。図書館に行って、机に向かっていても、いいアイデアが生まれない。彼は小説が書けない時は、本を読むようにしていた。そのため、時間を無駄にしないようにと本を読んだ。しかし気分が落ち込んでいるので、なかなか読み進められない。単調で、はりの無い生活のため、体調も悪くなっていった。
3月が過ぎ4月になった。だが、心身の不調はさらに悪化していった。不眠になり、睡眠薬を飲んでも寝つけなくなりだした。4月は何も出来なかった。

5月になった。だが、彼は家に閉じこもりの毎日だった。うつ病で、夜中一睡も出来なくなり、昼間は、眠気で頭がボーとして、冴えずアイデアも沸かず、意欲も起こらなくなった。書けなくなった作家は死に等しい。彼はいつか、うつ病が良くなってくれることを期待した。しかし、待てども待てども、一向に良くなる兆しは見えない。本を読む気力も起こらない。もう、彼は、開きなおって、創作は一時中止して、休むことにした。そもそも、うつ病患者に対してすべきアドバイスとは、いったん現実の悩みを意識して忘れてみることなのである。うつ病患者は、真面目な性格のため悩み事を何とか解決しようと絶えず考えており、しかし、解決策はないから、いたずらに頭を酷使して疲労させているのである。いわば、自分で病気の悪循環をつくってしまっているのである。だから、うつ病になった時には、ひとます現実の悩みを忘れてしまう、ということを勧めるのである。なので、彼は自分にもそれをした。
開き直ってしばらくすると、心の重荷がとれて、精神の苦痛がなくなってきた。毎日、昼も夜も、寝巻きのまま、布団に入って寝ながらテレビを見る毎日になった。彼は子供の頃から、絶えず何かに、打ち込んで生きてきて、何もしないで怠けるという生活には苦痛と罪悪感を感じるのだった。ある日、所用があって、関内に行った。帰りに伊勢崎町に寄ってみた。伊勢崎町に行くのは久しぶりだった。横浜中央図書館に行ってみようと、京浜急行の黄金町の方へ向かって歩いた。何と伊勢崎町の商店や貸しビルで、閉店している店が、かなりあった。ここの街も何かの理由で不況になっているのだろう。中央図書館の方へ曲がると、何とストリップ劇場が出来ていた。彼は今までストリップショーというものを見たことがない。そのため、どんなものなのか、わからない。それで、一度は見ておこうと入ってみた。また、小説のヒントにもなるかもしれない。とも思った。5千円で時間の制限はない。踊り子が5人いて、音楽に合わせて、踊りながら脱いでいく。最後には全裸になりアソコまで全部、見せる。だが彼は幻滅した。音楽がガンガン鳴っていてうるさい。そこにあるのは単に、踊り子の開放感とショーのスターとしての満足感だけである。そこにはエロティシズムは全くない。そもそも、男は解放しきった女にエロティシズムを感じないのである。そこにあるのは単に物理的な女の裸体だけである。エロティシズムとは、逆説的なもので、女が隠そうとすると男は見たいと思い、女が見せたいと思うと興が冷めて見たくなくなってしまうのである。男は、女の、裸を見られることを恥らう精神や仕草にエロティシズムを感じるのである。せっかく5千円、払ったので、三時間くらい見てから、劇場を出た。かえって女に幻滅してしまって、不快な気分になった。

七月になった。だが、あいかわらず、うつ病の毎日である。やるべき事をやらないで単に遊ぶということに、彼は罪悪感を感じるのだが、何もしない毎日というのは耐えられず、土曜か日曜には、大磯ロングビーチに行った。彼は夏の女の解放的なビキニ姿が好きだった。もちろん、泳ぐのも好きである。夏にビキニ姿の女を見ないというのは勿体ない。わざわざ混む土日に行くのは、客がたくさん来るからである。だがビキニ姿の女を見ても性欲は起こらなかった。小説が書けないと自分の存在価値がないように思うからである。大磯ロングビーチでは、日曜日に、コミュニケーションパフォーマンスというアトラクションがあった。四人の女が、チアリーダーのような格好で、子供とゲームをやるのである。その中で、ユッチンというかわいい、きれいな女性がいた。彼女は非常に明るい天真爛漫な面白い女性だった。彼はユッチンを好きになってしまった。

八月になった。今年は記録的な猛暑の連続で37度を越す猛暑日がつづいた。寝苦しくて、夜は一睡も出来ない。毎日、寝てテレビを見ているだけの毎日となった。そのため、久しぶりに高校野球をほとんど毎日、見ることになった。
九月になった。だが、今年は、九月になっても猛暑日がつづいて、うつ病はつづいた。それでも、九月も半ばを過ぎると暑さが和らいできた。それでテニスをするようになった。彼は胃腸病のため、夏はとてもテニスは出来ないが、暑くなければテニスが出来るのである。
十月になった。
だんだん体調が良くなってきた。奥歯の付け根が腫れてきたので、歯医者に行った。神経をとった歯なので痛みはない。しかし、歯槽骨に黴菌が入ってしまっているので、歯科治療をすることになった。彼は歯科治療が、勿論、すべての人と同じように嫌いだった。だが、歯科治療にも楽しみがあった。それは歯科助手のきれいな女の人に、やさしく歯を掃除してもらえるのが気持ちよかったのである。歯科治療を受けた時に、パッと小説のインスピレーションが閃いた。一瞬で、全てのストーリーが思いついた。その喜びといったら、いいようがない。ストーリーが思いつけば、あとはもう、こっちのものである。ストーリーが頭にあれば描く自信はある。それで彼は、虫歯をヒントにして、小説を書き出した。体調も良くなってきて、他にも、小説を書き始めた。10月26日に、小説が完成した。タイトルは、「虫歯物語」とした。ホームページに出してしまう危険は、十分知っていたが、これは長く書き続けられる性質の小説ではない。それに、意欲が出てきて他の小説も、書いている。それで、10月26日に、「虫歯物語」というタイトルでホームページにアップした。ここに至って、やっと、うつ病が治り始めた。夜、眠れるようになり、頭も冴え、意欲も出てきた。彼は、また図書館に通うようになった。小説は順調に進んだ。今も書いている。さて、これからどうなることか。今年もあと、一月半である。と現在までを書いて、彼はひとまず筆を置くこととした。



平成22年11月15日(月)擱筆

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団地の思い出・他8編 (エッセイ)

2020-07-13 11:47:50 | 小説
団地の思い出

 小学四年の時のことを書いておこう。私はその一年を東京に程近いところにある公団住宅で過ごし、団地の中の小学校に通った。私は小学校を四回も転校したが、この団地こそ、私が物心ついてから、小学二年の一学期まで過ごした、ふるさとである。二年の二学期から三年の終わりまで、ある理由で親から離れて、ある施設で過ごし、四年から再び団地に戻ってきたのである。新学年の当日から、みんなガヤガヤさわいでいた。私はこういう無秩序な無政府状態が一番ニガ手なので、「はやく先生が来て静かになってくれないかな」とばかり思っていた。担任となる先生は、新しくこの学校に赴任してきた先生らしく、どんな先生だろう、優しい先生だといいな、と思った。
教師が来た。女の先生だった。私は先生を見るや、ほっとすると同時に、何か、先生が男でなく、女であることがうれしかった。そもそも教師というものは、きびしいものであって男にふさわしい職業と考えていたので、(知性においても腕力においても)女の教師というのは、それだけで単純でない、複雑な感情を起こさせる。ちょっとでもスキあれば、いじめてやろうというような。平均的な容姿はかえって親しみを増した。特に優しくもなく、キビしくもなく、くもりのない良識的な性格は、うれしくもあり、少し寂しくもあった。なぜ小学校の教師を選んだのか、とても興味があって知りたかったが、もちろんそんな失礼なことを聞くことなど出来ない。先生が女であることのうれしさは、授業が女の透き通った、やさしい音色で聞けることの喜びだった。女というものは存在しているだけで人の心をなごませる花のようなものなのだ。先生としては、生徒はよけいな事など考えずに、学科の勉強に励めばよく、自分の存在は、むしろ無にしようとする。が、生徒としては、よけいな事の方に関心が向く。彼女は、こだわりのない良識的な性格だった。肉づきのいいことが、自分を小四の生徒に、性愛の対象にしている、などとは思わなかっただろう。こだわりのない性格とあいまって、彼女はよくジャージで教壇に立つことがあった。本人はその方がリラックスできるからだろうが、肉体の起伏がジャージに貼りついて、水着のようにあらわになって、一部の生徒を悩ましているとも知らずに。
生きることに少しのギモンも感じず、生徒はおとなしく素直に勉学に励み、彼女が規定しているところの立派な大人に指導することが、彼女が自分の役割と信じて疑わない、澄んだ単純さ、が彼女の魅力だった。女の魅力とは、物事を複雑に考えない平明さにある。単純な性格の人は人の心を複雑にする。
こっちは彼女を女とみているから、あの胸の中に抱かれて、優しい愛撫をうけたいと思ったり、こっそり着替えを覗きたいと思ったり、逆にそんなことを実行して鬼のように叱られたいと思ったりした。
 (詩)
ある時の国語の時間の時、詩を書く課題を出した。テーマは自由だった。が、私は大変困惑した。私は詩というものがチンプンカンプンだった。散文はわかっても、韻文の詩はさっぱりわからない。子供ながらに学問には敬意を払っていたので、文学として認められた詩人や、その詩には芸術的価値があるんだろうとは信じていた。しかし、私はそれまで詩と言うものを読んで感動はおろか理解出来たものさえ一つも無かった。また、詩というものを書いてみたいという欲求など全くなかった。詩という、分けの分からないものは受け付けられなかった。そんな生徒に、詩をつくれなどというのは無理難題である。詩というからには詩らしいものでなくてはならない。詩というものは、末尾の言葉を反復し、分けの分からないものだった。分けのわかるものは詩ではないと思った。分けの分からないものなど創りようが無い。ので、大変困った。詩は絵で言うならピカソの絵のようなシュールレアリズムな物のように見えた。他の人を見るに、自分に理解できないものでも、それらしいものを雰囲気で創ってしまえる。しかし私にはあらゆる事において、そのような恥知らずなことは私の心にこびりついている良心から絶対できなかった。詩というものは鑑賞力のない者にとっては何か分けの分からない気取った気障な言葉の羅列に見えてしまう。が、鑑賞力のある人間から見れば一字一句たりとも取り替えることのできない、言葉を組み合わせて造られた高等芸術なのだろう。分からないだけにその神秘性から、小説や随筆などの散文の言語芸術より、もっと高尚なものなのだろうと思った。道は二つに一つしかない。自分の良心に妥協して、詩らしいものを書くか、己の良心に忠実に、「私には詩はつくれません」と書いて白紙答案を出すか。である。しかし白紙答案を出す勇気も持てなかった。みんなそれぞれ何か書いている雰囲気なのに自分だけ何も書かなかったら気まずいし、みんな書いているのに私一人だけ書いてなかったら、後で呼び出されて、「どうして何も書かないの。」と注意されるのでは、とも思った。それほど私は気が小さかった。結局、何も書かないまま提出した。後で呼び出されて注意されるかもしれないことは覚悟していた。結局私はしかられることより、自分の良心に偽らないことの方をとった。教卓にみなの答案が集められると、先生は一通りざっと目を通した。
この後、信じがたい事態が起こった。
先生は、和やかな口調で、
「とてもいい答案があります。書いた人の名前は言いませんが、これから読みますからよく聞いていて下さい。題は、ふくろう、という題です。」
と言って滔々と読み始めた。優れた詩才の持ち主を自分のクラスの生徒の中に見出した喜びと、みなに詩とはこういうものだということを伝えて発奮させたいという思い。の他に、半ば詩に感動して我を忘れて、気分は言葉に感情を込めて無心に謳い上げる一人の詩の朗読者に高揚していた。先生の朗読だけが滔々と流れている静かな教室の中で突然、先生の前にいた一人の生徒が大声をあげて笑い出した。咄嗟にこんな厳粛な授業中に大声で笑うなんて、なんて不謹慎な、と思った。先生もそう思ったのではないかと思ったが、先生の対応は違っていた。あまりに笑い声が大きい上、笑いつづけるのをやめないので何事かとの疑問が起こったのだろう。首を伸ばし、
「ん。なに。どうしたの。」
と、笑っている生徒に聞いた。彼は机上にのっている国語の教科書の後ろの方の、あるページを言って、
「これとまったく同じ。」
と言って笑いを止めた。先生は青ざめた顔つきになり、いそいで生徒が言ったページを開いて、生徒が書いた模範答案と、教科書に採用されている高名詩人の作による詩とが同一のものであるかどうかを検証しだした。皆もそのページを一斉に開いて、そこに書かれている詩を読み出した。私もそのページを開いてみたが、私は詩はわからないし、聞いても何の感慨も起こらないので、開いても内容は頭を素通りして何もとどまらなかった。ただ「ふくろう」という題まで同じであることに仰天した。生徒の作品が完全な教科書の盗作であることを確かめると先生の顔は前と一変して鬼のような怒気で満ち満ちた。そして盗作した生徒の名前を名指しして、立ち上がり、拳を握り締めて悪漢生徒の方に駆け寄った。
「どういうつもりだ。」
怒りのため、握り締めた拳が飛んできそうなほどだった。不良生徒は、恐れて教室から逃げ出した。不良生徒を取り逃がしたため先生は仕方なく教壇に戻ったが、とても授業を続けられる雰囲気ではなかった。われわれ生徒のほうは傍観者のゆとりがあったが、先生はとてもそんな落ち着いた気持ちには戻れなかった。人の心というものは全く推測できないものである。盗作した生徒はクラスの中で友達とふざけることはあっても大それた、教師の手に負えない逸脱したことをするようなことはなかった。私は特に気が小さかったので、まず何よりもそんなことを平気で行える神経の図太さにあっけにとられた。カンニングもここまでいくと、気の小さい私には、無神経さ、の、強さが勇壮なものにさえ見えた。盗作するなら出来るだけバレないよう、人知れぬところにあるものを持って来るべきであり、タイトルはもちろん、内容も小学生の力量のものと思われるよう、少し表現も未熟にするべきだ。然るに彼は学校で使っている教科書から、タイトルから内容まで丸写しした。いったいどういう神経をしているのだ。授業が進んで、その詩にあたれば、ばれることは保障されているではないか。その時怒られる事が怖くはないのだろうか。いかに頭の弱い犯罪者でもここまで知恵を働かすことをしない者はいないだろう。いったい彼の精神構造はどうなっているのか。全く理解に苦しむ。
 だが同時に私は他の生徒は、おそらく気づいていないだろう先生の気まずさに何とも、くすぐったい心地よさを感じていた。それはこうである。数多い生徒の作品の中から本物の詩人の作品を選び出せた先生の鑑識眼。さすが教師というものは本物を見出せる鑑識眼の頭の良さがあるんだな、と感心させられた。特に私は詩はチンプンカンプンだったので詩の鑑識眼を持っている先生を仰ぎ見る思いだった。ピカソの絵と、ピカソの絵を見てピカソモドキの絵を描いた中学生の絵、とを仮に私が見せられたとしたら私は価値の判断を誤るだろう。
盗作した生徒は恐ろしい無神経からなのだろうが、これは結果として先生の実力を生徒がテストするという不埒なイタズラになっている。それが面白かった。先生は合格であり、また失格でもある。詩人の価値ある詩を見逃さなかった点は合格である。しかし盗作された詩は韻を持った難しい抒情詩であり、とても小学生の国語力で作り出せるものではない。小学生にしては出来すぎているという鑑識眼は当然持っていなくてはならない。それが出来ず、まんまと騙されてしまった鑑識眼のなさを皆に知られてしまったようなものである。
(野球解説者)
昼の給食の時、先生は教壇で黙ってみんなと食べた。食事中は休み時間と同じだから、みんなはワイワイ騒ぎながら食べた。彼らは食べる事と喋る事のどちらの方がよりうれしいのか、私にはわからない。やはり両方うれしいのだろう。喋る楽しみを優先させるために、食べるのを後にする生徒というのはいない。給食が終わった後の昼休みの時がみなのエネルギーが最高潮に爆発する時だった。みな、それぞれ自分の好きな事をする。一部の、よほど運動好きな生徒はグランドに出て行く。が、休み時間は30分と短く、またグランドは教室と少し離れていたので、わざわざグランドに出て行く面倒くささを嫌い、教室がグランドと化す。狭い教室の中を歓声を上げながら駆け回る。
 他人の席の所有権を侵すことは出来ないから、気の合う友達の隣の席に着くことは出来にくい場合もある。が、そこの席の子が駆けずり回っていれば可能である。だが彼らは誰とでもわけ隔てなく話せるし、前後左右の席の子はすでに管鮑の交わりであるからさほど不満足を感じない。
 先生は昼休み、教員室へ戻る事もあったが教室に残ってデスクワークしている事も多かった。教員室に戻らないで、教壇にいると一人の生徒がいつも先生の所にやってくる。そして先生にプロ野球の解説をエンエンと始めるのである。どこのチームの何という選手はどうだの、それぞれのチームの特徴だの、勝敗の予測、だのを得々と語り聞かせるのである。私も野球マンガは好きだったし、プロ野球でも有名な選手は知っていた。しかし彼はよほどプロ野球の試合はテレビで欠かさず見ているのか、その知識量は相当なものだった。私も当時はプロ野球はけっこう好きで、テレビで試合を見ることは多かった。しかし、防御率だの、自責点、だの難しい用語は全くわからなかった。プロ野球はリーグ戦だから優位の順というものも全くわからなかった。他の男の生徒もプロ野球は概ね好きで、試合はテレビで見ていたが、彼ほど深く知っている生徒はいなかった。し、小学生の関心は多岐にわたるからプロ野球だけにそんなに強い関心をもっている子はいない。しかし彼は自分の知識を誇示したい欲求が強く、生徒の中でプロ野球の事を語り合える友を作れなかった。そこで先生が彼の知識誇示欲求の餌食となった。先生が昼休みに教員室に戻らないで教壇にいると、その子が先生の所にやって来て、プロ野球の解説をトクトクと始めるのである。実に嬉しそうな自慢げな表情である。私が聞いていてもサッパリわからない。ましてや女はプロ野球になんて興味を持ってない子の方が多い。先生もプロ野球に関心がないことは、何一つ、自分の方から意見を言えない事からわかる。
 昼休み、先生が教室に残っている時は一人で何かのデスクワークをしたがっているのに、先生は心の広い性格だったので、話し相手のいない生徒の話かけを無下に断ることが出来ず、彼に付き合って相槌を打っていた。この生徒が先生をどう思っていたかはわからないが、人間は関心のない事でも、相手に合わせるために相槌を打つこともあるという事を知っていたのだろうか。生徒たちははしゃぎまわったり、ペチャクチャお喋りしたり、自分達の話題に夢中だから先生は眼中に無い。
 私は昼休み一人ぼっちだったので、この悲劇はいやでも目にとまり、先生を同情するとともに、先生の心の深さに感心し、また、小学校の先生という職業も決して楽なものではないな、としみじみ思った。
(友達)
勉強は全科とも良くなかったが、勉強が出来ないという事に劣等感をまったく感じなかったので、何とも思わなかった。自分は将来、何になるんだろうと他人事のように考えたが、全く分からなかった。父親がサラリーマンだったので、自分も将来はサラリーマンになるんだろうな、と思っていた。小学四年生だったから、資本主義経済の仕組みなんてバクゼンとしか分からなかった。サラリーマンになるなら、どこの会社でも似たようなもので、ガリ勉になっていい大学に入れば、一流会社に入れるのだろうけれど、出世欲など全く無かったので、ムキになってガリ勉になって、一流会社に入りたいなどという気持ちは起こらなかった。また、一流会社に入るという目的のためにセッセと勉強している生徒がひどくエゴイスティックで魅力の無い、つまらない人間に見えた。母親も教育ママではなかったのでテストで悪い点をとっても全く叱られなかった。また、生徒の中にはガリ勉とも違って勉強しなくても全科トップの成績の秀才もいた。もちろん、私もそういう生徒は、すごいな、と思い、うらやましく思った。しかし私は秀才に対してもさほど引け目もシットも感じなかった。彼ら(外向的人間)は、学科の成績は良くても、人間心理の洞察力がこっけいなほどニブくて鈍感だと思うことがしょっちゅうあったからだ。それにくらべると私は性格が神経質だろうからだろうが、生徒の本心を一瞬のうちに察知してしまう。無理して努力して考察するのではなく、直観力によってピーンと反射的に気づいてしまうのである。またクラス会議の時の生徒の思想的な発言でも、少しでも道理に外れた不正確な点があると瞬時にそれを察知した。彼らは友達が多いから物事に関しては何でも知っている。しかし抽象的、観念的な思考力や人間心理の洞察力は私の方がずっと優れていると内心思っていた。クラスの誰も気づかない事を自分一人気づいていることには多少、優越感を感じた。秀才に対しても劣等感を感じなかったのは、物事の本質を見抜く能力は私の方が優れているという自負があったからだ。しかし私は途中から入った転校生であり、もともと内気で気が小さく、クラスの中で堂々と自分の考えを述べることなどとても出来る性格ではなかった。また、他の生徒のように自己主張したいという欲求なども起こらなかった。いじめられてはいなかったし、また、現代のような陰湿ないじめはなかった。何が嬉しいんだか知らないが、みんな毎日ピクニックのようにはしゃぎ、ふざけあっていた。そもそも私は学校というものが嫌いだった。怖くさえあった。あの黴くさい校舎。一時たりとも笑いを止める事なく喋りつづけずにはおれない、あの物凄いエネルギー。それは他の生徒にとっては、学校へ来る楽しみなのだろうが、もともと喘息で内気でエネルギーの無い私にとっては得体の知れない恐怖でしかなかった。他の人にとっては友達と話すことが楽しみなのだろうが、私にとっては友達と話すことは苦痛以外の何物でもなかった。他の人は無限に話題があるが、私には彼らの百分の一くらいしか話題が無く、いつ話題が途切れるかを恐れながらそれが、ばれないように冷や汗タラタラ流しながら、あたかも分かっているかのように相槌打つ会話など苦痛以外の何物でもない。だからといって私は彼らをバカにして一人、超然とした態度をとっていたわけではない。私とてみんなと同じように、たくさん友達をつくってワイワイはしゃぎ合いたかったことか。昼休みになると必ず、校庭に出てキャッチボールする二人組の生徒がどんなに羨ましかったことか。
 観念的な、物事の本質を見抜く直観力や人間心理の洞察力は人一倍秀でていると思いながらも、人の考えに誤りを見出しても、それは心の内に秘めて、自分の考えというものは絶対言わなかった。あいつは自己主張する生意気なやつだ、と思われるのが怖かったし、みんなと違う考え方をする異分子だと思われて仲間はずれにされるのが怖かったからだ。だから私は机に座ってじっとしている有っても見えない空気のような存在だった。
 それに私は自分の直観力を心の内で誇っていたわけではない。そんなものを誇る気持ちなど全く起こらなかった。そんなヘンテコな能力が何の役に立つというのだ。何の誇りになるというのだ。そんなものより、気兼ねなく話し合える一人の友達の方が、どんなに長時間しゃべりつづけても疲れない精神的体力の方が、ドッヂボールやソフトボールのようにみんなとやる運動についていける肉体的体力の方が、どれほど羨ましかったことか。
 友達といえば、類は友を呼ぶで、四人くらい私と同じようにやや内気な子と友達になることは出来た。といっても、私の方から、「友達になって」と声をかける勇気などない。普通の子は、「友達になって」などという事などしない。数人でお喋りしている人達を見るとスッといつの間にか会話に加わっていて、その時からもう友達関係である。これを誰彼ともなく出来るので、クラス全員と友達になるのもわけはないのである。しかし私にはそんな神業はとても出来ない。掃除当番とか、小グループに分かれて勉強するような機会が、友達をつくれる、ありがたい唯一の機会だった。こういう機会ではいやでも話さなくてはならない。そして私は人と話すのはニガ手だが、こういう小グループに入れられた時に話せないほどの内気ではなかった。だからといって、その機会に小グループのみんなと友達になれたわけではない。あまりにも元気な子とは、その場では何とか話せても、それがおわってバラバラになってしまえば、元気な子は元気な子の集団に戻り、爆発するように、ふざけあい、笑いあう。彼ら、彼女らにとっては、その時こそが心が休まる時なのだろう。しかし私はとてもじゃないが、そんな中に入っていく勇気などない。かりに無理して入っていったとしても彼らの爆発的なエネルギーについていけず、弾き飛ばされるだけで、スゴスゴと、出来るだけ気づかれないようさりげなく去っていく事になるのは目に見えていた。しかし一回でも話す機会を持てた事は大きな前進だった。それまでは廊下で出会っても挨拶も出来なかったが、一回話した後では挨拶なら出来るようになれる。
 また私もそういう、あまりにもエネルギーの差がありすぎる子とは親しい友達になりたいとは思わなかった。つかれるだけである。小グループでまとまる機会には、話していても疲れない、エネルギーがほどほどの子と話す機会を持てて友達になれることが嬉しかった。いや、必ずしもエネルギーの多い少ないが友達になれるかどうかの条件ではなかった。もちろんエネルギーの少ない子は波長が合いやすく友達になりやすかった。しかしエネルギーが多いかどうかよりも性格が合うかどうかが大きかった。エネルギー過多の子はたいてい私と話をしていても退屈してしまい、自然と疎遠になってしまう。彼らは休みなくギャースカ騒ぎつづける子でないとダメなのである。ギャースカ人間はギャースカしてない人間を胡散臭げな目で見る。ギャースカ人間は、人間とは絶えずギャースカするものだと思っているから、ギャースカしてない人間を見ると不可解に思ってしまうのである。
 しかし中にはクラスの誰とでも話せる外交的な子なのに、性格的に話が会う子もいた。同情してくれているわけではない。そういう子は性格が大らかでのんびりしていた。
(津田)
クラスの中でどの子が一番かわいいかという品評会は、当然あったが、私は一回か二回程度、友達が話しているのを関心なさそうな素振りを見せて聞いていた。うちのクラスでは津田という子が一番かわいいというのが男の側の圧倒的な意見だった。しかもクラスのレベルだけではなく、学校中でも、津田はかわいいということになっているらしい。同じクラスだから当然私は津田を知っている。確かにかわいい、というか、きれい、といって誤りはない。しかし私は何でそんなに男に人気があるのかわからなかった。私は内心、津田とは別の、ちょっと背の高い、ロングヘアーの子に恋焦がれていて、その子が一番かわいいと思っていた。口数は多くは無いがしっかりした性格で、少し大人っぽさを感じさせた。それがいっそう、魅力的だった。何度、彼女を想像の内に思い描いたことか。
 それに比べて、津田は、かわいいといっても間違いではないが、見ようによっては平均的な容姿で、何でみんなが津田、津田、というのか不思議で仕方がなかった。津田は平均的な背丈で、髪は茶色で、両頬にはトレードマークのように適度なソバカスがついていた。津田はともかく開けっぴろげで明るい子だった。男女問わず誰とでも話し、男のように大声で笑う。女らしさ、や、つつましさ、というものが感じられなかった。男のようにはしゃぐ性格だったからともかく目立つ性格だった。女は女同士でまとまりがちだったが、津田はそうではなく、男の誰とでも話す。男も津田と話すのは面白い。津田は男を異性として意識することが無く、自然体で活発で明るいのである。津田の魅力とは、容姿の美しさもあるだろうが、それ以上に性格の魅力なのだろう。
 男と接する機会が多いから男の方でも女といえば津田が一番最初に意識されてしまうのだろう。小学四年の当時には、そうは思わなかったが、今思い返すと、津田の明るい屈託ない笑顔ばかりが魅力的に思い出され、当時、恋焦がれていた子の魅力は、今では全く色褪せてしまっている。やっぱりみんなの価値基準の方が私より上だったのだ。人間の魅力とは、容姿よりも性格なのだ。
 津田は性愛の対象にもなっていた。こだわりの無い性格だから、水着姿を男に見られても抵抗を感じていなかった。団地の中の小学校だったので生徒はほとんどが団地に住んでいた。私は四階だったが、津田は、目と鼻の先の団地の一階に住んでいた。学校の行き帰りの時、津田の家の前を通る。私は津田とは親しい仲ではなかったので、万一、学校外で津田と出会ったら気恥ずかしいなと思ってヒヤヒヤしていた。ある時、友達が津田の噂をしていた。それによると津田は夏は、裸でベッドに寝ていることもあって、津田の裸姿を見た生徒がいるというのである。団地は狭いし、家族もいるのだからウソなんじゃないかと思った。しかし津田の家は一階なので、通りがかれば中は見えるし、津田のあけすけな性格からすると、むし暑い夏には風呂上りなど、そんな格好でベッドに横になる事もひょっとするとあるかもしれない、とも思った。夏、見に行こうぜ、などとも友達は言う。思わず津田が裸で家の中を歩いている姿が想像されてしまい、心臓が高鳴る。もし本当なら、こんな素晴らしいことはないので、ぜひ見に行きたいと思った。それ以来、津田の裸の噂が本当なのかどうか、気になって仕方がなくなった。津田の裸が想像でイメージされてしまう事も彼女の魅力の一つとなった。こんなデマも津田の性格のおおらかさだからこそ起こりうるのである。
(掃除)
クラスで私はほとんど目立たない存在だった。が、もともと内気で小心な性格だったため、別に何ともなかった。成績はどの科もパッとしなかったが図工だけはいつもよかった。几帳面な性格のため、絵を写実的に丁寧に描くのでそれが評価された。夏休みに、後楽園球場に、巨人、中日戦を親と見に行ったので、「夏休みの思い出」というテーマを出された時、後楽園球場を思い出しながら描いた。そしたら先生がうまい、と誉めてくれて、みんながゾロゾロ、私の絵を見に来た。クラスの中で一番目立つヤツで、毎日、教室に鳴り響くほどでかい声でジョークばっかり言ってるヤツが来て、「うっまーい」と歓声を上げた。私は彼のようなエネルギーの化け物のような生徒には、相手にしてもらえることは一度も無いだろうな、と思っていてたので無上に嬉しかった。もう一つ驚いたことがあった。私はあんまり目立ちたくないため、あんまり丁寧に描いて突出することを恐れてたので、わざと力を抜いてテキトーに描いたのだ。それが予想以上に評価されたことが、驚きだった。他の生徒は押し並べて絵が下手である。彼らは子供の頃から外で遊んでいて、性格が、荒削りで大雑把だった。が、私は三歳の時からずっと喘息で性格も内気で、人と遊ぶことが無く、いつも家でプラモデルを作ったり、おもちゃを作ったり、地図を筆写したりしていたので、几帳面な性格とあいまって、図画工作だけはいい成績だった。しかし私としてはそんな事よりもクラスの人気者に声をかけてもらえた事の方が、ずっと嬉しく、図工の成績何かどうでもよかった。
 嬉しかった事といえばもう一つある。私は物心ついた時からずっとこの団地で育ってきた。だから私のふるさとはこの団地である。小学校に入った時も、当然この小学校で六年過ごすことになるんだろうと思っていた。しかし三才で発症した私の喘息は治らず、ガンコにつづき、多くの医者にかかっても、いろいろな治療法を試みても治らなかった。私の喘息は父方の遺伝によるもので父も父の兄も喘息だった。特に伯父の喘息はひどく、発作で一晩中眠れない日などしょっちゅうだった。結婚することもなく、小さな会社でひっそり働き、最期は喘息重責発作が止まらずに死んでしまった。私は子供の頃から他の元気な生徒のように自分の人生というものを夢を持って建設的に考えることは出来なかった。伯父のそんな最期を聞き、また、自分を省みても一時たりとも発作止めの吸入器を手放すことが出来ない自分を思うと、私も伯父と同じように人並みのまともな人生など送れないだろうと子供心に思っていた。だが親は何とか私の喘息を治そうと治療法を探していた。それで二つ離れた県に、喘息児専用の病院つきの施設があると聞き、小学校三年の一年間、私は親と離れて、その施設で過ごす事になった。
 だから私は小学校二年の一学期まで団地の小学校に通い、一年半、その施設で過ごした後、四年で再び団地の小学校に戻ってきたのである。小学校一年、二年の時は、友達などほとんどいなく、別にいじめられは、しなかったが、学校嫌いはひどかった。友達を自由自在につくれて、いっつも大声で笑っている元気な他の生徒というものが、それの出来ない馬力のない私には不気味でこわかった。三年の一年間を親と離れて、施設で生活する事になることを聞かされた時はさみしさで泣いた。しかし入ってみたら、わりとすぐ慣れた。みんな私と同じ喘息児で、エネルギーが無いヤツが多く、劣等感に悩まされることから解放された。友達も出来たし、虚弱集団だから集団スポーツにも参加できて、運動も好きになれた。しかし四年でもどってきたら元の木阿弥に戻ってしまった。やっぱり健康な人間の集団では、精神的にも体力的にも、ついていけるほどのエネルギーは無かった。しかし一年半、親から離れて施設で過ごした事は、多少は効果があった。
 二年の時、私は津田と同じクラスだった。話したことなど一度も無かったが、津田は女なのに活発で目立つ子だったので、いやでも印象に残った。
 四年で戻ってきた時、偶然にも再び津田と同じクラスになった。津田は目立つ子なので、私は津田のことは憶えていたが、私は、居ても居なくてもわからない様な存在だったので二年のわずかな一時期、津田と同じクラスにいた事など、津田は憶えていないだろうと思っていた。四年の始めの時、自己紹介など無かった。クラスが上がったため、クラス変えが行われて、顔ぶれが変わったとはいえ、一つの同じ学校の中であり、しかもすでに三年過ぎている。クラス変えしても、再び一緒のクラスになったヤツもいる。さらに彼らの友達をつくるエネルギーはとどまるところを知らないから、同じ学年の生徒間では、みんなだいたい知っていて、友達関係が出来ているから、先生の方でもあらためて自己紹介させる必要など無い、と思ったのだろう。
 実際、彼らは四年の始めの日から、うるさいほどガヤガヤ騒いでいた。転校生が来れば当然自己紹介させるが、私は二年の一学期までは居て、戻ってきた生徒であり、あらためて自己紹介させる必要は無い、と思ったのか、ちょうど四年の新学期から戻ってきたので、気づかず、見落としたのか、それともクラス替えが行われた新学年のはじめだから、新しいクラスメートという条件は皆同じだから特に転校生として自己紹介させる必要はないと思ったのか、それはわからない。しかしあんなガヤガヤした集団の中で一人ポツンとしてしまう性格の私には一人だけ自己紹介をさせられるなんて恥ずかしいことをさせられずにすんで、むしろ助かった。しかし生徒の中では私を知ってるヤツなどいないから、他の生徒は、私を「見たことないやつだな。どっかから転校して来たやつなのかな」と見ていた。というより一人でポツンとしている私など居ても居なくてもどうでもいいような存在だったから、そんな関心さえ持つヤツもいなかった、と言った方が正確である。こうなると、一年半過ごした喘息児の施設が懐かしくなる。あそこでは、みんな私と同じ喘息もちで劣等感を感じないですんだし、エネルギーも私と同じように少ない子が多かったから、心を開いて笑い合える友達もたくさん出来た。というより、施設の子は全員知ってて、誰とでも話せた。むしろ何もしないで一人でポツンとしていろ、と言われたらその方が苦痛で、いつも友達とふざけあったり、遊んだりしていて、自然体で、疲れずに楽しく生活できた。自分の言いたい事も堂々と言えた。エネルギーのない喘息児、といっても絶えずベッドに寝ている半病人じゃない。発作が起こらない時は普通の子と同じである。寮のとなりに病院があり、医者や看護婦がいて、発作が起こって止まらなくなれば、寮の保母さんが来てくれて処置してくれる。喘息は、いつ発作が起こるかわからない予期不安、発作が起こった時、いつ止まってくれるだろうかという不安感が関与しているのだが、施設ではそういう不安が無いから、ちょっとやそっとのことでは発作は起こらないから、みんないつも元気で、普通の子と変わりないのである。だが、やはり平時でも世間一般の健康な子と比べると精神的、肉体的エネルギーは劣る。
 四年で団地の小学校に戻って世間一般の健康な子の中に放り込まれた時、つくづくそれを感じた。私はまた再び一人でポツンとする内気で無口な子に戻ってしまった。一年半の治療で、多少の自信がついたとはいえ、彼らの圧倒的なエネルギーにはとてもついてはいけなかった。
 しかし喘息の施設で一年半過ごした経験は、私に元気な子に対する見方を変えた。オレ達は好きで一人でポツンとしてるんじゃない。一人でポツンしてるオレ達を変人のように見るけれど、オレ達だって君らのようにワイワイふざけあいたいんだ。友達になりたいんだ。だけど君らのようなケタはずれなエネルギーが無くてついていけないから仕方なくポツンとしてるんだ。お前らにオレ達のつらさがわかってたまるか。勝手にバカみたいにギャースカ騒いでろ。
 性格が合うわずかな子とは友達になれたけど、本心で語り合えるほどにはなれなかった。せっかく出来たわずかな友達は大切にしたかったから、出来るだけ彼らに合わせるようにした。もともと孤独には慣れていたので学校を離れれば一人でいても寂しくはなかった。私はまた、家で一人で遊ぶ内気な子にもどった。だが学校の中で一人ぼっちというのは寂しかった。私は「空気」のような存在だったが、別にそれでかまわなかった。
 私は二年の時、津田と同じクラスだったことを憶えていたが、津田の方ではその事を憶えているのかどうかが、ずっと気にかかっていた。
 二年の時は私は一人も友達のいない全く人の目につかない生徒だった。一方、津田は男女問わず、無数の友達がいて、いつも笑い合っていた。だから私の事なんか憶えていないだろうと思った。
 ある掃除当番の時だった。十人くらいだった。その中に津田がいた。男は概してふざけたり、とぐろをまいて、お喋りしていた。津田は一人でまじめに掃除していた。私も黙って掃除していた。津田は明るすぎて、私のような内気で無口な人間が話しかけるのは恐れ多いことだと思った。津田に話しかける資格があるのは、無限のエネルギーがある子に限られるのだ。そんな事を思って机を運んでいた時だった。津田が突然、みなに聞こえるほどの大きな声で言った。
「私、浅野君、知ってるよ。二年の時、同じクラスだったもん。三年の時どこ行ってたの?」
あのときほど嬉しかったことはない。





細雪

 大学の時の、ある印象深い女性を書いてをこうと思う。私は出来ることなら家に一番近いところにある医学部に入りたかった。しかしこの大学は、けっこう偏差値が高く、私の学力ではギリギリだった。受験したがダメだった。国公立は二校、受験できたので、もう一校はどこにしようか、たいへん迷った。私は、できることなら、関東の大学に入りたかったので、第二志望は関東で、できるだけ偏差値の低い、私の実力では入れる可能性のあるところを受けたかった。偏差値だけでいうなら、群馬大学の医学部は、可能性があった。しかし、二次試験が、なぜか、英、数、国、と、小論文だった。ふつう、医学部の二次試験は、英、数、理、である。二次試験に小論文を入れるのは、わかるが、理科がなく、国語というのには、首をかしげた。別に、大学入試の方針は、大学にまかされているのだから、国語の能力が大切だ、と考える大学の方針に、こちらがケチをつける筋合いはない。だが、これは、私個人にとっては、大変な問題だった。私は、子供の頃から、内向的、超観念的、な、性格だったため、理数系の科目は、好きで、実力も平均以上にあった。しかし、世間に対する幅広い関心という、普通の人間なら、誰でももっているものがなかったため、社会や国語は、全然ダメだった。ほとんどの人間はこれと逆である。人間にせよ、動物にせよ、生き物、というものは、絶えず、外界に関心が向き、世間のことは何でも知っているのが当然、というのが、健康な自然の人間である。外界に関心が向きにくい、というのは、どこか病んでいる人間である。外界に関心が向かないという欠陥があると、社会や小論文は悲惨なことになる。たとえ偏差値で可能性が十分あっても試験はカケであり、落ちたのでは話にならない。それで、私は悩んだ末、結局、安全策をとり、第二志望は二次試験が、英、数、理、で、小論文のない、関西の公立大学を受けた。そして何とか無事合格できた。それで関西へいくことになった。さびしいイナカの大学である。もっとも、日本の観光地であり、外国人が日本に来たなら、まず、必ず来るところである。日本文化の発祥の地である。から、歴史的遺跡がある。しかし、京都は、おもむき、も、にぎやかさ、もあるが、あそこは、観光地として行くのはいい地であっても、住むのはいい地とは思えない。ひたすらさびしい。一応、デパートの売り子のねーちゃんはきれいだが。胃病をもっていたため、激しい医学のつめこみ勉強をやり通せるか、心配で、さかんに誘ってくれた部活にも入らなかった。スポーツは、嫌いではなく、いろいろできるスポーツもあったが、試合に勝ったからといって何になるんだといった、ナナメな見方をする感性でもあった。そもそも、人とガヤガヤ話すのが、慰めにならず、苦痛になる性格なのだから、部活など入っても何にもならない。土、日、は、必ず県庁のある市へ行って図書館で勉強した。市は、イナカといっても、にぎやかさの点で、ずっとマシだった。自分は雑踏の中にコドクを感じる感性ではなく、むしろ、雑踏の中に安心感を感じる感性だった。友人などというものは自分にはつくれない。話題がすぐ尽きて、すぐに、冷や汗を流しながら、ない話題をムリして探す、というのも、つかれるだけで、また相手にそういう無理をしているなと、気づかれるのも、みじめで、つらかった。結局、自分の住家は、コドクにしかないのだとあきらめた。しかし、人とうまく、なじめない性格の持ち主は、私一人だけではなく、百人のクラス中、五人くらいはいた。奇しくもその五人は、百人中、一人も出ない、授業に出る、という共通の性格をもっていた。やはり、みな、人とワイワイできない自分の性格にひけめを感じていた。また、勉強熱心、という性格も共通していた。私は文系科目がニガ手だったので文系の学問に飢えていた。むさぼるように、勉強して、学問を身につけてやろうと思った。点取り競争とも、社会的出世、とも違う。純粋な知識欲である。卒後、レベルの高い別の大学の医局に入るため、成績をよくしようと考える人は、基礎、臨床、の三年からの成績はがんばるが、成績表に関係のない、教養課程、には、手を抜く、という合理主義者である。しかし、三年からは、ひたすら無味乾燥な医学一辺倒であり、私が学びたかったのは、教養課程でやる、幅広い学問である。人と打ち解けにくい性格の他の四人も、それぞれどこかのクラブに入り(ほとんど静か系のクラブ)、クラブの中で友達をつくっていった。
入学式の翌日、親睦会として、観光地を数カ所、まわり、昼食の時、一人ずつ、自己紹介をしていった。斜め左の、少し離れたところにいる女の人に目が行った。物静かで、口数少なく、ものすごく、魅力的で、きれいな人だった。スポーツなど当然ニガ手だろう。(一目みれば、印象で、その人の性格は、かなり、推測できるものである)ワイワイ、ガヤガヤした所で、ゲラゲラ笑う、ことなどとても出来る性格ではない。コドクさ、を持っており人と話す時は、一言はなしては、顔を赤らめそうな感じだった。馬力がなく、多くの人とガヤガヤした所にいると、つかれてしまうだろう。静かな人と一対一で話すぶんには、話題に困ることはなさそうな性格である。内気であるというのを人にさとられるのを恐れていそうで、コドクに徹する強さなどはなく、静か系のクラブに入った。その人のすべてが私には魅力にみえた。その人の属性が、すべて、私には魅力にみえた。現役ではなく、一浪で入った、という学力のレベルから、名前、から、果ては、その人の出身地、までか、魅力的に思えてきた。私は思わず、食事の箸を止め、その人を見ずにはいられなかった。伏せ目がちで、顔を赤らめ、緊張している。その人が、家に帰った時の様子までが想像される。机に向かって、一人で、サラサラと静かに勉強している様子が想像される。もちろん勉強というのは、そういう風にするものが、普通だが、友達とゲタゲタ雑談しながら勉強して、やがて雑談の方がメインになって、壊れていくという情景は想像できない。また、女でも、一人なら、リラックスするだろうから、胡座をかいたり、ベッドにねころんで勉強するということもあるだろうが、あの人には、そういう姿はイメージされない。棋士が対局している姿は、まさに、ロダンの「考える人」だが、あの人が、静かに一人、勉強している姿を写真家がとって、「勉強する人」というタイトルをつけて、応募したら、入選しそうな感じである。そして、現役ではなく、一浪した、という学力も、なぜか魅力に見えてくる。だいたい、真面目で、控えめな性格の人といいうのは、クラスのトップには、ならないものである。試験情報集めに血眼になるということもないから、皆が知ってる情報を知らずにワリを食う、ということも十分ある。でも、大学入試、には、全総力をあげて、かかっただろうが、現役でなく、一浪で入った。もちろん、阪大、京大医学部、は、まず学力的にムリだろう。阪大、や、京大、は、よほど、先天的な秀才、か、あるいは、徳田虎雄氏のように、異常な執念家、でないとムリである。人をけおとしてまで、自分がわりこむ、とか、あるいは(人をけおとす、ことを美徳、と、思っている人もいる)そういう性格、がないから、である。コツコツ一人で自分の目標に向かって、努力するタイプである。物事に対する過剰な執着心(何が何でも、という性格)が、ないから、現役、で、自分の番号がなくても、
「ザンネン。来年がんばろう。」
と、タンタンとした気持ち、なのである。家に帰ると、母親に、
「どうだった?」
と、聞かれて、それに対して、
「ダメだった。何とかがんばって来年入る。」
と、あっさりした会話、で、用意されていた、おかしらつきの鯛と赤飯は、ザンネン会、と、名が変わって、ささやかに食べられる。そして、その後、テレビドラマ、をみて、数日、読書、(か何か知らないが、好きなことをして)再び机に黙々と向かうのである。合格者名に、自分の名前、が無かった時、メラメラと燃え上がるような、怒り、で、拳を握りしめ、
「お、おのれ。よくも、あれだけ勉強したのに、落とすとは…。このウラミはらさでおくべきか。」
と、のろって、夜、赤門にションベンをかけに行くタイプではない。ましてや、火をつけたり、手榴弾を放り込みたくなるような感性ではない。徳田虎雄氏のように、橋の上から川をみて、一瞬ひきこまれそうになった、というようなドラマ的な感情の人でもない。図々しさ、や、自我主張の欲、というものがないのである。当然合格をみた時、跳び上がって、はしゃぎまわることもしない。ただ電話で、
「お母さん。あったよ。」
という。
「よかったね。早く帰っておいで。お祝いするから。」
「うん。」
…である。
何と、ささやかで、人間的魅力があることか。当然医者になっても、博士号をとることに血眼になることもしない。教授の御機嫌をとったり、教授の草履を冬の日にフトコロの中に入れて、あたためて、教授にホロリと涙を流させてやろう、という、見え透いた、わざとらしい芝居をする性格ではない。
そもそも、あの人は存在自体が、詩、のような人だった。あの人が、白樺林の中を一人、切り株に座っている。すると、もうそれだけで、詩、なのである。リスがちょこっと、出てくる。すると、あの人が、リスに微笑して、話しかける。そんな自然と一つになれる感性を持っていた。これを写真家がとって、「森の中の少女」と、タイトルをつければ、入選しそうである。自分は美しい、という自意識をもっていると、ダメ、である。どんなに無邪気にリスと話しても、ナルシシズムの存在は、自然の中で異物となる。口数多く、人と話しをしていないと、生きていない、と思う感性の人もダメである。木は話をしない。鳥は多くを語らない。それと同じように、なにもしないで、黙って座っていることに、それだけに、安心感とよろこびを感じられるような感性でないとダメである。森の一部とはならない。そもそも、あの人は体力がない。疲れやすそうである。自然が彼女をいざなうのである。
「人と話していても、つかれちゃうだろ。つかれたら、いつでも来なよ。僕達が静かになぐさめてあげる。」
と、森がいざなうのである。
しかし、やがて、あの人は森を出て行く。社会に入ったら人は友達をつくらねばならない。社会の中で、まわりが、みんな友達をつくって、ガヤガヤしているのに、一人きりでいるコドクさに耐えるのは、神経の弱い人間には、耐えられるものではない。また、私は集団帰属本能が、ゼロ、だから、ある社会に入れられると、コドクさに耐えられない、ために、仕方なく、冷や汗タラタラ流して、ネタが尽きるのを恐れながらでも友達をつくらねば、と思うことはあっても、その必要がなければ、私は何の集団にも帰属したい、と思わない。人と話をしても全然面白くなく、バカバカしいと思うだけである。つかれるだけである。あそこのアイスクリーム屋の味はどうだの、北海道のタラバガニ、は、どうだの、と、無限に問われても、答えようがない。話しを合わすため、近所のアイスクリーム屋に行くくらいなら、まだいいが、タラバガニの取材に北海道へ行くほどの時間はない。それでも、せめて、話題が、近所のアイスクリーム屋と北海道のタラバガニ、だけにとどまってくれるのなら、タラバガニ取材旅行に北海道に一度くらいは、行ってもいい。しかし、彼らの話題は、北海道のタラバガニの次は、一足飛びに沖縄に移り、その次はヨーロッパである。これでは身がいくつあっても足りない。しかも、実際に北海道に行ってタラバガニを食っていなくてはならないのである。冷や汗タラタラ流しながら、相槌うつだけのロボットに話しかけても相手もあまり面白くあるまい。私の友達づきあい、は、ほんの少しの人との、コドクの寂しさに耐えられない、ための、義理のものだった。いやいや、人と話し、一人で自分のやりたいことをやっている時が、一番楽しい。しかし、人間というものは、人とタラバガニ論争をするのが一番楽しいらしい。
しかし、あの人はタラバガニにも関心を持っているのだ。沖縄もヨーロッパも同様である。世界の事象のどこをつついても、一見識、自分の意見を持っている。だから、あの人は、お義理で友達をつくろうとしているのではなく、人と話をすることに、楽しさを感じられる人なのである。ただ、あまり、極左テロ的発言はしない。中傷に花をさかすこともしない。静かな言葉のキャチボールが楽しいのだ。あの人が、人と話しているところを写真家がとって、「会話を楽しむ女」とタイトルをつけて出品したら入選しそうである。ただ、カラオケは、きっとニガ手だろう。
「○○、何かうたいなよ。」
といわれたら、あの人は顔を赤くして、
「わ、私。歌だけはちょっとにがてなの。」
と手を振って、断りそうである。まかり間違っても、マイクをひったくって、
「私にもうたわせてよ。」
というタイプではない。
あの人は、内気で勉強家だから、読書家、というようにも、一見したら、見えそうかもしれないが、あの人は読書に凝るタイプではない。読書家であるためには、現実逃避的で、コドク好きと、開き直る性格、でないと無理である。もっとも好きな作家や、作品はあるだろうが…。また、詩、を書いたり、小説を書こうと思ったりするタイプでもない。これも、やはり、完全な現実嫌いでないと、のめりこむ決断をもてない。やはり、読書家や、創作家は、暗い人間でないとムリである。あの人は繊細な感性を持っているが、現実嫌いではないのだ。自分にできる範囲で、現実と関わり、現実をよくし、そして現実を楽しもうと思っている感性なのだ。読書家や、創作家、は、出家した僧、世捨て人、的でないとムリである。加えて、創作家になるには、自分の作品が世間に認められたい、という、強い我執がないとムリである。あの人には、そういう強い我執もない。何事に対しても強い、執着心がなく、あっさりしている。だいたい、医学部に入ったのも、ねじり鉢巻して、「何が何でも医学部」と、自分に言い聞かせたタイプではない。どの科でも、学力が高く、理数系もでき、モギ試験の偏差値で、国公立の医学部に入れる可能性が十分あったから、進路指導の時、先生に、
「君なら十分医学部に入れるよ。どうかね。ひとつ医学部を受けてみては。」
といわれて、
「はい。ではそうします。」
といったような感じである。こういう性格の人は、責任感も強いから、教師の一言も、真に受けて、その期待にこたえなくては、と思ってしまいがちなものである。
彼女は卒業して、小児科に入局した。やはり、母性本能のなせるわざである。女にとって小児科、は、憧れの科なのである。しかし、あこがれつつも、小児科、を、選ばない、女医もいる。小児科、は、内科、で、診断が難しく、責任感が重く、勉強嫌いな人には向かない。彼女は、この決断をするのにさほど、悩みはしなかっただろう。というのは、彼女が、自分の性格的適性を省みて、自分の能力、向学心、が、小児科、に、十分耐える、と判断したのは、主観的にも、客観的にも、その判断に誤り、は、見出せないからである。彼女の担当になった子供こそ、幸せなこと限りない。あんな魅力的な、きれいな女医に、ちやほやしてもらえるのだから。うらやましい、というか、こにくらしい、というか。
「うわー。きれいな先生だー。ラッキー。」
と子供の患者が言うか、は、紙の上で書くのは容易だが、現実には、言わないだろう。それは、子供の気恥ずかしさ、から、というより、彼女はきれいだが、静かで、真面目で、あんまり、患者と友達のようになって、ゲラゲラと大声上げて、ふざけっこするタイプではないからだ。私が子供の患者だったら、胸さわったり、スカートめくったり、いろんなイタズラしたくてウズウズするのだが。彼女には、出世欲がないから、博士号をとることに血眼になることもない。しかし、真面目な向学心もある臨床医だから、日々の診療から、興味をひくテーマがいくつも見つかって、
「よし。このテーマを深く調べてみたら、興味深い、因果関係、が、見つかるかもしれない。」
と思い、教授にそれを聞いてみると、
「うん。それは、なかなかいいところに目をつけたね。ひとつ、それをテーマに論文にまとめてみたらどうかね。」
といわれて、熱心に、丁寧に、論文をまとめ、博士号をとる、ということは、十分ありえるだろう。こういうのが本当の博士号なのだが、本人は、博士号というものに、たいして気にかけていない。誤りのない、的確な、臨床医になる、ということの方に価値を置いている。逆に医学博士という肩書きを求めることに汲々としている勉強嫌いな人間がムリして書いた論文はたいした価値がないことのほうが多い。
だいたい、彼女の家族構成を私は知らない。母親と、静かに会話しているくらい、だけがイメージされる。母親も静かそうな性格に思われる。
「おかみさん。いきのいい鯵が入ったよ。どうかね。」
「もう百円まけてくれたら、買うけどねー。」
なんて魚屋との駆け引き、は、しそうもない。お手伝いさんまではいないだろうが、静かなスーパーで静かに買い物するのだろう。やはりメンデルの遺伝の法則で、彼女の静かな性格は、母親の静かな性格の遺伝なのだろう。彼女の父親は、どうもイメージされてこない。つい、彼女は、母親だけの母子家庭、に、イメージされてしまう。しかし、考えてみれば、父親も当然いるはずだ。やはりバナナのたたき売りをしているとは思えない。中堅事務職だろう。彼女に兄弟は、いるのか、わからないが、箱入りの一人っ子、のような気もするが、いるとしたら姉妹の女兄弟ではなく、兄か弟の男兄弟だろう。女兄弟がいると、外向的になりやすい。
彼女は大変魅力あったが、(だからこうして書いているのだが)性欲的欲求は彼女に対して起こらなかった。彼女は食も細そうで、少しやせ気味で、おとなしすぎる。何か厳粛な高貴性が漂っていて、不徳な精神は、はじき返されてしまい。不徳なものとは無関係な人間、という感じである。






池の周り一周

 今となっては昔の話だが、小学校五年生の春のことである。私は祖父の家で一時期を過ごした。一時期、といってもほんの二、三ヶ月である。
 ある時、厳しい祖父がめずらしくも車で広い公園に花見に連れて行ってくれた。二人の親戚が一緒で、私はオマケみたいなものだった。あらかじめ連絡をとっていたらしく、公園には車で祖父の親戚の人が数人きていた。遠い親戚なので私にとってどのような関係なのかもまったくわからなかった。ふだんはなかなか会える機会をもてないので花見が久闊を叙すよい理由となった。私はオマケのようなものである。公園には遠方が見えないくらいの大きな池があった。親戚と祖父は何か大人の話があるらしく、私は何をするともなくポツンとしていた。すると、向こうから来た人達の中の一人の女性が、
「ねえ。池を一周してこない」
と言ってくれた。私はこの誘いに、わが耳を疑うほどのうれしさを感じた。女と話しながら歩く、という経験など一度もしたことがなかった。引っ込み思案で友達付き合いといえば、少数の、自分と同じような内気な男の友達、数人くらいだった。
 彼女は私の肩に手をかけて、ピッタリ寄り添うように歩き出した。彼女のあたたかい手の感触に私は夢心地のような気分だった。彼女の顔をまともに見ることも恥ずかしくて、私は何か申し訳なさ、さえ、感じていた。私は彼女が、たのまれたので、お義理で子供の相手をしているのだろうと思った。どう考えても、私は自分が女に相手にされる要素など何一つない、ということには子供ながら、絶対の確信を持っていた。器量に引け目を感じていたし、性格も内気で暗かった。性格が、神経質で、人の言葉を単純に信じるということは絶対出来ず、人の言葉の真偽を絶えず揣摩憶測する習慣が自然についていた。
彼女は私の手を握ったり、後ろから抱きかかえるようにしてみたり、さかんにスキンシップする。女の柔らかい体の感触を背に感じ、私はボーとした気分だった。彼女は自分の方からは、話さず、私に話題を求めてきた。私は彼女がどうしてこんなに親切にしてくれるのか、不思議で仕方がなかった。彼女の温かい言葉やスキンシップが、どう考えてもお義理のものとは感じられなかった。いったい、なぜ、彼女が私にこんなに親しくしてくれるのか不思議で仕方がなかった。もしかすると彼女は、保母さんのような、子供を相手にする仕事を希望していて、子供をうまく相手にする技術の練習のために私に親切にしてくれているのでは、とも考えた。ほかに考えようがない。私が何か言うと、
「フーン。すごいねー」
と相槌をうってくれる。理解できない人間の心理というものは気味が悪いものだ。私は何か、分不相応に感じ、どうでもいい子供ためにこんなに時間を割いてくれる彼女に申し訳ない気持ちさえ起こって、
「時間だいじょうぶですか?」
と、おそるおそる聞いたが、彼女は、
「もうちょっと、こうして行こうよ」
と言って、二人だけの時間を出来るだけ長くしようと、歩を遅くしている。
子供の頃はイヤな思い出ばかりで、あの時の見知らぬ女性との、池の周りの一周が、ひときわうれしい思い出として残っている。
大人になった今、考えればなんのことなくわかる。女が性的快感を得るためには男の存在が必要なだけだ。私に、かわいさ、を感じてはいなかっただろう。しかし私は子供の頃から過度に神経質で、疑い深く、現実と食い違うほど低く自分を自己採点していたことに気づかされた経験も何度もあった。彼女が私をどう思っていたかは、わからない。しかし、ただ一つ彼女も私に魅力を感じた点もあったのだろう。それは、私が内気で無口で、この子になら何をしても、何を言っても、心の中にしまいこんでしまうだろうから、何をしても安全だろう、と思ったに違いない。実際、私は、人間のおしゃべり、というものを嫌っていて自分の心にしまいこんでしまう性格である。






夜の保母

 ある思いで深い女性を書いておこう。できればもっと時間をかけて物語的に構想も練って書きたいのだが。ともかく、書こう、と思った時に書いてしまわないと一生かけないことになる。小学校五年の時である。私は小児ゼンソク治療のため親から離れて、寮が隣についた小さな学校へ入った。ここで小学校卒業までの一年半を過ごした。誰にとってもそうだろうが、子供の頃の一年という期間は大人になってしまって、もはや何の新たな感動もない、同じことの繰り返しの一年の十倍くらいの量を持っている。思い出は尽きない。もちろん、嫌な思い出も、目一杯たくさんあるが、それはあまり書きたくない。やはり、楽しい思い出を書きたい。
寮には保母さんがいた。若いきれいな保母さんも多かった。転入して、ある部屋に入れられた。ここの施設は小一から小六までだった。私が入れられた部屋は四年から六年までの、六人の部屋である。入所している子はゼンソク7~8割、腎疾患2割、あとよくわからない難病の子もいた。腎疾患の子はステロイドをのんでいるため、特有のステロイド顔貌になる、のでわかる。医者になった今、思い返してみると、ああ、あの子は、あの病気だったんだなと分る。大学の臨床実習の時、小児科をまわった時、何とも昔の自分を見ているような、懐かしさを感じた。
別に少年鑑別所でもないし、転校生への洗礼、というのは、中学ならあるかもしれないが、小学校ではさすがにない。それでも腕力が一番強いやつがやはりボス的存在となり、力による、親分子分的関係はあった。が、それも無邪気で面白いとも思った。共和制はあまり面白くない。先天的に、ふざけ、が好きな性格だったので別にモンダイなくすんなりと部屋のヤツともなじめた。夜はよく眠れた。私はちょっとや、そっとの物音でおきてしまうような体質ではなかった。が、ある夜中、あまりにペチャクチャする話し声に起こされた。うるさいなー。ねむれねーじゃねーか。と、おこった経験はあの時がはじめてで、その後はない。一年下(四年)の腕白で元気なヤツが夜間の見回りにきた保母さんとペチャクチャしゃべっていたのだ。もう数人、起きて、その話しに参加していた。私は寝たふりをして、その会話に聞き耳を立てた。その子は、見回りのきれいな保母さんに、
「おい。脱げよ。」
と、さかんに要求している。昼間は友達のような関係の保母さんに、夜中であることをいいことにストリップを要求している。なんちゅーヤツだと思った。男は心の中じゃみんなそういう男として当然の願望は持っている。しかし、それを行動に移す勇気を持っているヤツなどありえない、と思っていた。女がそれを受け入れるはずもないだろうし、以後、スケベと見られ、ケーベツの目で見られることがこわくないのだろうか。私を含め平均的な男はそこまでの蛮勇は持ってないのが普通だ。第一、女がそんな要求に応じるはずがないではないか。直情径行とはこういう性格をいうのだろう。しかし、全世界の男の願望を、照れることも、恐れることもなく代弁したこの少年に最大の敬意を払わずにはおれない気持ちだった。勇気の徳の勲章を与えても別におかしくはないと思った。それに保母さんにそんな事をいったら、その保母さんが他の人に言わないという保障はないではないか。判断は保母さんの胸中一つであり、その気まぐれにひねもすおびえて暮らさなくてはならないではないか。もし、他の保母さんに話して、バーとうわさが広がって、あの子は夜の見回りで、「脱げ。脱げ。」なんて言うのよ。なんてことがモンダイになって軍法会議で銃殺刑、ということになったらどうするというのだ。しかし彼は、ためらいなく、呼び捨てにして、
「おい。○○。脱げよ。全部脱げ。」
と言いつづける。
「脱げよ。ほんとは脱ぎたいんだろ。」
とまで付け加える。実に計算家でもある。単細胞ではない。事実彼は学科の勉強にはたいして身を入れてなかったがバカではない。小4の性知識は、まだ全然不十分だが、ヌード写真の存在は知っているし、そもそも女の裸というのは奇麗なものであり、女が脱いでいくというプロセスは大変興奮させられるものである。それは男の側の理論であり、見方であるが、女にとっても、恥ずかしくはあるが、男に裸をみられたいという願望もあるのではないか、という想像もやはり男なら誰でもするものである。だがやはり女の心理というものは女でなくては分らないものである。実際、保母さんにも、いろんなタイプがいる。真面目で、「脱げ。」なんていわれたら、本気でおこりそうな人だっている。
しかしこの保母さんはきれいで真面目ではあるが、堅物ではなく、面白みもあった。そもそもこの子の要求に、叱るのではなく、笑いながらいなし、説得している。
「ねー。赤ちゃんはどうやって生まれるか知ってる?」
「赤ちゃんはどうやって生まれるか知りたい?」
というように、彼の要求をその方に、むけようとしていた。彼女も赤ちゃんがどうやって生まれるか、教えたがっているような感じである。小4、小5、の知識では赤ちゃんは性的な行為に関係がある、というバクゼンとした程度の知識である。寝耳で聞いていた私は、赤ちゃんがどうやって生まれるか、なんてキョーミなく、十分なキスをすりゃ、女の体に変調が起こって生まれるんだろ、くらいに思っていた。
私も、ひたすら、彼女が脱ぐことを受け入れることを心待ちにしていたのだから、あまり向学心がある人間とはいえない。場の雰囲気として、本当に彼女が脱ぐ可能性がないとはいいきれない感じだったので非常に緊張感があった。だが結局は彼女は笑ってすりかわした。怒ってないところが彼女の面白さである。小4の子供に性教育をしようといういささかふざけたところも、今思い返せば彼女の面白さである。しかしやはりどう要求してもこの商談は成立しなかったことは間違いない。彼も、「脱げ。脱げ。」の一点張りでなく、彼女のいうように、
「どうして赤ちゃんは生まれるの?」
と素直に聞いていれば、彼女を脱がすことはできなくても、もうちょっと、彼女をとどめておくことはできたろうに。そもそもこういう会話の時間を持てるということだけで十分楽しいではないか。彼女もこのワルガキにつきあって物理的に脱ぎはしなかったが精神的には脱いでいたようなものではないか。たいていの保母さんなら、叱って去るだけである。
結局、「脱げ。脱げ。」の一点張りで、「赤ちゃんの生まれ方」を質問しなかった向学心のなさから彼女は笑いながらも多少の失望と、不満足感をもって逃げるように去ってしまった。夜の美人保母さんのストリップショーは結局ムリだった。もともと彼女の良識的性格から考えてもまずこのカケは無理だろうと思っていたが、ひょっとすると、万が一には、という気持ちはあって、それが大変なエロティシズムを作っていた。だがやはりサンタクロースはケチだった。
翌日になれば、もう昨夜のことなどなかったかのように友達カンカクである。もちろん昼間に、「脱げ。」などとは言わない。昼間、脱ぐなどということはありえない、ことは双方ともにわかっている。夜だから誰にもわからないから女も気を許すのでは、との彼の計算だからである。しかし、昼になれば、昨日の敵は今日の友、というような感じで笑いあっている光景は面白い。こういう面白い子が、つまらない世の中を面白くしているのである。



女神

ふとしたきっかけで、10年も前の夏のある日の記憶が私のまぶたの内にあらわれた。それは永遠的ななにかである。私はその時、名状しがたい、ある永遠的なものを感じた。伊豆の臨海プールへ行った時のことだった。入り口で切符を買うのを待っていた。ほとんど肌の色に近いワンピースの水着の女性が手すりにかるくもたれている。なにげない表情の中にしずかなプライドと満足感がみえた。彼女はだまったまま、口元にかすかな微笑をたたえ、何を見るともなく二度とこない夏の一日を満喫していた。時おり、入場券を買う客の方へ顔を向けた。友達と水をかけあう姿は想像できない。動作がほとんどない。おとなしすぎる。日に焼けたあとがまったくみられない白い肌。かってな想像だが、そしてたぶん間違っていないだろうが彼女は泳ぎをしらないだろう。読書に熱中するようにもみえない。都会から来たものしずかなOLなのだろう。彼女は時間の存在と残酷さを知っているのだ。私は彼女の微笑の中にあるさびしさを感じとった。潮風が彼女の頬を時折うった。しかし彼女はそれを少しも意にかいさなかった。太陽が彼女の体をやいた。彼女はそれに身をまかせていた。だがいかなるものも彼女にふれることはできなかった。彼女もいかなる現実的なものを心の中で拒否していた。しかし、さびしさの中に彼女は何かを強く求めていた。私のような拙い書き手で彼女にすまない。しかし私は彼女をこの小さな文の中で永遠に若く、美しく生きつづける。




鼎談

深緑の五月のある風景。
ある駅つづきの、わりと大きな野外休憩場。私はベンチにこしかけた。少しはなれた所に直径6mくらいの大きなメビウスの輪のような彫刻があった。光のあたっている面が黒光りしている。そこに三人の女学生がたわむれている。二人が彫刻にのっているところを残りの一人が写真にとっている。やはり季節が彼女達にたわむれの行為を促すのだろう。キルケゴールの言う、あらゆるもののうちで最も美しい女性の青春、を彼女達は直感している。鼎談は最も友情の情景にふさわしい。二人は孤独、四人は雑多になる。二人の友情を残りの一人が写真にとり、三枚の写真が出来る。美しい友情の風景である。






階段の上の女神

 女子高生が二人、建物の前の少し高い階段ん上で、近くのコンビニで買ったパンと飲み物を食べている。わざとやっているのか、わざとではないのかはわからない。自分らが歩行者の目線より高いところにいることはわかっているはず。暗黙の了解のロマンファンタジーの新手の遊び、かもしれない。「ねえ。ちょっと休んでいかない。」なんて言っているかもしれない。その勇気ある決断はえらい。方向性はまちがっていない。積極的にすすめるべきことではない。永遠性とは、人の記憶の中に自分が組み込まれること、ともいえる。二人はみごとに永遠性を勝ちとっている。





詩人にならなかった人

詩を書きそうな人だった。詩をかける人だった。細くて弱そうな人だった。だがその人は詩を書かなかった。なぜなら詩をかく人間は(芸術家は)暗い人間と思われることをその人は知っていたから。すばらしい芸術をつくるのに十分な美しい感性をその人はもっていた。しかし、その人はかろうじてこの世の中でみなと生きていけるたくましさ(およそその人の属性で最も不似合いな言葉)をもっていた。またもとうとした。その人は一人でいる時も孤独におちいらなかった。でもその人を現実に保つ生命の綱は糸のように細い。その糸がきれた時、その人は詩をかきだすだろう。なぜ世の中は詩よりも会話を大事にするのだろう。世の中と私とでは価値が反対だ。この世に詩人として生まれてきた人には詩をかかせるべきだ。だが糸が切れない以上、その人は詩をかかない。自分が生きた詩人であることをその人は生きている間に気づくだろうか。気づいてくれない、のでは、との心配が私の手を動かす。

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自由学園の同窓会 (エッセイ)

2020-07-13 11:33:51 | 小説
自由学園の同窓会

平成21年の9月の最後の日曜日である。
私は机に向かって小説を書いていた。すると電話が鳴った。
「はい。浅野です」
「Y・Oです。知ってる?学園時代の同級生の」
「ああ。知ってるよ」
「あのさー。10月31日の土曜日、学園のホームカミングデーという公式行事があって、今年は俺達のクラスが行く事になってるんだけど、来れる?」
「ああ。行ってもいいよ」
「それから、その晩、名栗の旅館に泊まるんだけど、それはどう?」
「そうねー。泊まってもいいよ」
「わあ。それは嬉しい。よかったらメールアドレス教えてくれる?」
「いいよー」
と言って私はメールアドレスを言った。少しすると直ぐにメールが来た。自由学園とは卒業以来ずっと音信不通だったのに、どうして私のアパートの電話番号がわかったのか、については、たいして疑問に思わなかった。沖縄の母親に電話したのだろう。母親は自由学園の卒業生で、卒業後も自由学園と結構、つながりを持っている。そのルートで探し当てたのだろう。母親に電話して確かめたが、やはりそうだった。私は、ぜひ行こうと思った。奈良県立医科大学の卒業生名簿も送られてくるが、当然、全員が医者である。科が違っても同じ仕事なので大して興味がない。それに較べると自由学園の卒業生は、人によって色々な仕事に就いているだろうから、中学、高校と一緒にすごした同級生が、どんな仕事をしているかには興味があった。そもそも医者の世界は狭い。厚生省の診療報酬引き下げの締め付けと医療者側のイタチごっこ、がほとんど全てで、あまり日本の経済の影響を受けない。しかし公務員でなく、民間で働いている人は今の不況の日本の経済と、もろに戦っているだろうから、私よりずっと実感として世間を知っているだろう。その生の声も聞きたかった。しかし、私は緊張した所だと腸が動かなくなるので、泊まろうかどうかは迷った。そのあと、メールが何回か送られてきた。旅館で宴会をやった後、泊まらず車で帰るヤツがいて、数人は一緒にその車で帰るそうなので、私も乗せてってもらおうかとも思った。が、せっかく旅館に行くなら、泊まりたいという気持ちもあった。なので、泊まるという事にして、体調が悪かったら、泊まらず帰ろうと思った。メールでは、服装がネクタイで来て下さいだの、カジュアルでいいだのとの連絡だった。何か生徒達に自己紹介する事もあるのかもしれないと思って、何を話そうかと考えた。

そうこうしているうちに10月30日の金曜日になった。
いよいよ明日、自由学園へ行くと思うと緊張した。最近、上手く眠れる日と眠れない日があって、眠れるよう祈りたいほどの気持ちだった。だが眠気は起こっても、眠れない。時計を見るのが怖いので、パソコンをつけてインターネットのヤフーを見たら、朝の三時を過ぎている。こりゃー困ったな、と思った。明日は10時に自由学園に着かねばならない。駅すぱあと、で調べると、駅から、ひばりが丘の駅まで一時間44分かかる。では朝7時に起きなくてはならない。私はテレビと電話と携帯の三つにあるアラームを7時にセットしておいた。どうしても眠れない時は、デニーズに行って、ステーキ御前とチョコレートサンデーを食べると、眠れるのである。しかし、そうすると翌日、腹が張ってしまう。しかしどうしても眠れないので、駅前のコンビニに車で行って、少なめの焼きソバと焼き鳥とプリンを買って家に戻った。
「どうか、これで眠れますように」
そう思って布団の中で食べて、布団をかぶって目を瞑った。

   ☆  ☆  ☆

携帯の音で7時に目が覚めさせられた。
「ありがたい。眠れた」
眠れて良かった。食べた量も少なく腹もそう張っていない。歯を磨き、二週間前に転んで怪我した膝小僧の処置をして、7時半に家を出た。8時発の電車にのった。ちょうどギリギリに着くだろうと思った。戸塚で湘南新宿ラインに乗り、池袋で西部池袋線に乗った。どうせ便は出ないだろうから、学園の昼食や旅館の宴会では、あまり食べないようにしようと思った。全部、食べてたら腹が張って苦しくなって、そのため喋れなくなるだろうから。9時半に、ひばりが丘についた。久しぶりである。街もかなり変わっていて自由学園への行き方がわからない。なので、駅前のタクシーで行く事にした。タクシーに乗り、運転手に、
「自由学園まで」
と言った。すぐに着いた。9時40分である。守衛に正門の前に張ってある張り紙を指差して、
「HCDにきました」
とやや横柄な口調で言った。
「どうぞ」
と言われて敷地内に入った。誰もいない。私が一番である。だが、すぐに一人目が来た。私は一目でわかった。
「T・Mだろ」
「ああ」
だが相手は私をわからず、
「誰?」
と聞いた。
「浅野だよ」
「ああ。ジャガか」
「そうだよ。オレお前すぐ、わかったぜ」
人が来ないので彼に話しかけた。
「仕事なにしてるの」
「プータローだよ」
「うそー」
私はとても信じられなかった。
「いや。本当だよ」
そう言ってもまだ信じられない。冗談、言ってるんだろうと思った。
「お前、何してるの」
「医者だよ」
私は恥ずかしく小声で言った。相手は何も言わない。ので色々、質問した。
「子供いる?」
「いる。5人」
「ええー」
吃驚した。
「それで扶養義務はあるの?」
「ない」
次に少し大柄になったO・Nが来た。
「よう」
「やあ」
「ミュージシャンだろ」
「違うよ」
「え?だって、そう聞いたよ」
「違うよ」
「じゃ何してるの?」
「会社やってる」
「ふーん」

次にI・Mが来た。髪が白く老けてしまっている。
「よう」
挨拶したが黙っている。
「何してるの?」
「・・・」
「結婚してるでしょ」
彼は首を振った。
「テレビに出たって聞いたよ。何、話したの?」
「何も話してないよ」
「じゃ何でテレビに出たの?」
「観客として行っただけ」
なあんだ、と思った。

男子部の委員長らしいのが来た。
「こちらへいらして下さい」
私達、4人は彼に着いて行った。体育館の右横に新しい建物が出来ていて、そこに入った。食堂である。その二階の一つの会議室のような部屋に入った。H・Tが来た。彼は高等科を卒業した後、学部へ行かずミュージッシャンになった男である。
「よう(私)」
「やあ」
「すげーじゃん。Whikipediaまでのっちゃって」
「・・・」
「ホームページとブログ何回か見たよ」
「そう」
「飛行機で色んな所いくの楽しい?それとも面倒くさい?」
「まあ、楽しいね。飛行機のるの好きだから」
「結婚してるでしょ」
「うん。子供が男子部にいる」
「ええっ。そうなの」

その時、ドドッとみんながやって来た。
「ようー。ジャガー。久しぶり」
O・Mがふざけた、でっかい声で言った。
「ははは」
私は可笑しくなって笑った。かなり太ってしまっている。彼は親が大きな漬物屋で、私は彼の家にも行ったことがある。クラス1のふざけ者である。私の学園時代のあだ名は、ジャガである。何かジャガーというと格好いいように聞こえるが、ジャガイモの略である。O・Mは初等部からで、初等部からのヤツは、みな運動神経が良く、羨ましかった。しかし、あんなに太ってしまっては運動はもう出来ないだろう。というより、運動していれば、あんなに太ったりはしない。

男子部の委員長が来た。真面目そうで冗談など彼に言えるのかと首を傾げたくなった。
「先輩方の時の自治区域はどうでしたか」
私達に質問した。
「今の時代の君達はねー、ラフだろうげどねー。僕達の時は、そりゃーすこぐ真面目だったんだよ。もう、時間になるとサッと行って黙々と働いていたんだ」
私は、気分がハイになっていたので、冗談を言った。
「あ。こいつ。朝から頭がちょっとおかしくて・・・」
とO・Mがからかい半分に私を制した。
「では礼拝が始まりますので、いらして下さい」
委員長に言われて、我々はゾロゾロとついて行った。
礼拝は昔と変わらぬ体育館でやった。我々は生徒の後ろに座った。生徒達を見るとボーとして、覇気のある表情をしたヤツが誰もいない。賛美歌を歌った。我々が壇上に並んで一人ずつ自己紹介をすることになった。私は、簡単な自己紹介くらいあるだろうと思っていたから、何を話そうか、用意していた。しょっぱなから鳥居みゆきのヒット・エンド・ラーンをやろうと本気で思っていたが、何と名前だけである。バカにされてるような気がした。卒業生にたいしたヤツ何か、いないと思ってるのだろう。せめて私だけがジーパンによれよれの上着でスニーカーという普段着のラフな格好である事が救いだった。同級生は、みな大人になって角がとれた、というのか、人間が出来たというのか、おとなしく、つまらなくなってしまっている。私一人だけが、いまだに反抗期である。おそらく一生、反抗期で角がとれないだろう。角をとるつもりもない。
私達より22年前の卒業生も数人来ていた。その一人が少し話した。わかりきった事ばかり言って全然、面白くない。欠伸が出そうになった。私達のクラスから二人が話をした。これも全然、面白くない。わかりきった事ばかりである。分かりきった事でも、面白く話せば、面白くなるのだが、感情が入ってない。
その後、高三の委員長の話があったが、全然つまらない、というか、何いってるんだかわらなかった。
やっと礼拝が終わって、元の部屋にもどった。前にはH・Sがいた。彼の家はかなり大きな農場で牛を飼っていた。彼が一番早く、結婚したという事は母親から聞いていた。母親は学園とのつながりを持ってて、それで学園の情報を手に入れられた。
「牧場どう?」
「なくなった」
「ええっ。どうして?」
「経営できなくなった」
「じゃ仕事、何してるの?」
「介護の仕事してる」
「ふーん」
「ジャガは?」
「精神科医」
「どう?」
「これから高齢化社会で認知症の患者も増えるし、今がこんな時代だから、若者の人格障害も多くなって、需要はあるよ。リストカットなんて、かなりの子がするようになっちゃったじゃない」
「僕の長女もリストカットするよ」
吃驚仰天した。
「ええっ。どうして?」
「・・・」
「な、何で?」
「腕に傷がいっぱいある」
あまり根掘り葉掘り聞くと失礼で、相手もあまり言いたくないだろうからそれ以上は聞かなかった。
「昼食になりましたので、来て下さい」
委員長が入ってきて言った。我々は委員長について食堂に入っていった。
「適当に席について下さい」
私は、空いている席を見つけるのが下手なので、みな席に着いたのに一人とり残された。幸い、一つ空いている席があった。となりに教師がいる。
「ここ。いいですか?」
「うん。いいよ」
それで、その教師の隣の席に座った。食事が始まった。私は緊張している所だと消化管が動かなくなり、今晩、旅館に泊まって、また食べる事になるだろうから、腹が張らないように昼食は食べないようにしようかと思っていたが、やはり食べない訳にもいかず、半分くらい食べた。
「先生のお名前は?」
「辻村」
「そうですか」
なにか聞いた事のある名前である。はっと思い出した。私達が学生の時、学校に来た生物の先生の名前である。
「えっ?もしかして辻村先生ですか?」
「そうだよ」
吃驚した。私は先生の顔をまじまじと見た。変わっていない。髪も黒々としていて、顔も変わっていない。むしろ、私のクラスの同級生の方が、何と禿げて、腹が出て、老けてしまっているヤツの多いことか。私は感動した。
「うわー。お久しぶりです。先生、覚えてますよ。先生、正義感が強くて、寮でサボって、遊んでるワルと話し合っているの見て、すごい正義感の強い先生だなーと感心してたんです」
先生は、いかにも学園に似合いそうな先生だから、無理もないと思った。私は続けざまに、一方的に昔の思い出を語った。先生は黙ってにこやかに笑って聞いていた。
「今でも、ワルはいますか?」
「いない」
「無断借用とか、下級生いじめ、とか今でもありますか?」
「ない」
前や近くにも生徒が座っているのに、一言も話さず、感情も全く無い表情で黙々と食事し、まるでロボットのようである。私がベラベラ質問していると、先生は私の話をとぎるように言った。
「あまり、そういう事を言わないで。今は昔とは違って、そういう事は無いから」
何だか私は、少し虚しくなった。私達の頃は、ワルもいて、良い生徒もいて、ケンカしてドラマがあった。今の生徒は、まるで飼いならされた大人しい犬の集団のようである。若者のエネルギーはものすごい物である。そして、それをスポーツなり、遊びなり、あらゆる事に発散する事に価値があるのである。少なくとも私はそう思う。学校は変わったとつくづく感じた。
「冗談言ったり、笑ったりしたら、いけないって教育してるんだろうか?」
と思った。共産主義国家でも国民はエネルギーがある。ここの学校は共産主義以下である。反抗する生徒が出ないよう去勢しているのだろうか。生徒はみんなボケーとして、目に若さの輝きやエネルギーが全く感じられない。

食事が終わった。
食堂の前の芝生の中で記念写真をとった。私としては、サイドキックの姿を撮影してもらいたかったのだが、無理そうな雰囲気だったので、大人しく前列に並んだ。私は、こういう記念撮影というものが嫌いである。
記念撮影の後、学園の中を歩いて見て回った。男子部の大学部の委員長と女子部の大学部の委員長が案内した。女子部の委員長は黒い上下そろいのスーツだった。女の脚線美が後ろから見えて、尻がムッチリしていて、うわっ、セクシーと、思わず、ちんちんが勃起した。実は私は二年前に用事があって車で学園の近くに来たことがあるので、建物の様子は知っていた。
「私ね。二年前に学園に来た事があるよ。それで大芝生とか、大体見てるから知ってるよ」
「守衛は?」
「いた。卒業したから部外者で入れないけど、夕方だったもので、守衛がすぐいなくなってしまったから、入っちゃった」
誰もあんまり喋らない。ので私は後ろから委員長二人に話しかけた。
「いやー。うらやましいな。若くて。私も人生、もう一度、やり直したいよ」
委員長、二人はニコッと微笑んだ。大体、一通り回った。次に女子部に行った。女子部は昔から真面目で、今も真面目そうだった。私は女子中学生を見ると、ロリコンの血が騒いで胸がキュンとせつなくなるのだが、自由学園の女子部の生徒を見ても何も感じなかった。女子部は昔は制服が無かったが、今は制服が出来たようである。さすがに女子部はミニスカにルーズソックスの生徒はいない。私は委員長に聞いた。
「さすがにミニスカの子はいませんね。ミニスカを履く生徒はいますか?」
「少しだけど、いました。それとスカートの丈も短くなってきてます」
「ルーズソックスの生徒は?」
「履いてた人も僅かに、いましたが、ほとんどの生徒は履きません」
はは、女子部も変わったな、と思った。確かにミニスカにルーズソックスの生徒は見かけられない。
「じゃあ、娘にミニスカにルーズソックスを履かせたくない親もいるだろうから、それを売りにすればいいじゃない。娘にミニスカとルーズソックスを履かせたくない親は、ぜひ我が子を自由学園に入れて下さい、って宣伝すればいいじゃない」
などと私は委員長に言った。あながち冗談だけではないが、委員長はニコリと微笑んだだけだった。どう考えても自分が真面目な卒業生とは思えない。学園にいた時は真面目な優等生だったのに。生徒の時は、真面目だったが、大人になって不良になってしまったとしか思えない。みなと逆である。学園を一周して、羽仁吉一記念ホールという新しく出来た建物で、お茶の会をする事になった。右隣には、T・Kがいる。彼は自由学園の国語の先生である。私は、勿論、書く事の方が好きだが、読むのも好きで、近代文学は、ほとんど全部、読んで知ってるし、古典も多少、知っている。私は国語の先生になれる自信がある。それで、文学論を話せるかな、と多少期待してた。
「どんな事、教えてるの」
「夏目漱石」
「夏目漱石は、僕は、それから、が一番好きだよ。あれは姦通小説じゃない」
「・・・」
「学園にいた時、太宰治とか読んでいたじゃない。文学に入るヤツは大抵、太宰から入るんだよね」
「・・・」
「好きな作家は?」
「・・・。思想家の本、読んでいる」
と言って、三人ほど、名前をあげた。全然、知らない。何か、言いたくなさそうな感じである。しらけてる。
左隣にはH・Tがいた。彼は何か年をとったのか、学園時代のエネルギーが無い。彼はスキーを子供の頃からやっていて物凄く上手かった。ウェーデルンもコブ斜面も何でも出来た。SAJのバッジテストをしたら、1級は当然とれるだろう。その上の準指導員も取れるだろう。
「スキーやってる?」
「やってない」
「どうして?」
「忙しいから」
あれだけ出来るのに、やらないというのは勿体ない。私があれだけ出来たら、毎年、一と冬に二回は行く。運動にもなる。そもそも、卒業後、運動をしているヤツがいない。だから、老けてしまうのだ。タバコに酒に麻雀に、休日はごろ寝しているのだろう。私は絶対、老いたくない。だから、そんな物には、全て無縁である。運動もしている。水泳にテニスに空手である。水泳は2km、3kmなんて楽々である。そして私は老いに対する戦いが面白くさえある。いかに自分を鍛えて、老いないようにするか、この戦いに私はやりがいを感じている。
若さのエネルギーがあったヤツがどんどん老いていくのを見てると情けなくなってきた。私はH・Tに言った。
「オレ。空手できるよ。見せてやろうか」
「うん。見せて」
私は立ち上がり、正拳逆突きと、サイドキックをやって見せた。
「すごい」
「流派は何?」
「そうだね。まあ松涛館流だね。一週間だけ道場に通って、あとは一人で練習した」
ここでも私達のクラスより22年上のクラスの卒業生の一人の話があった。これも、ドつまらなくて、聞くのがバカバカしくなってきた。最後に教師が一列に並んで名前と教えてる教科を言った。もう、これで学校の行事は終わりである。バカにされてるような気がした。せっかく、鳥居みゆきのヒット・エンド・ラーンをブチかましてやろうと思っていたのに。帰る時、一人の教師が、
「やあ。久しぶりだね」
と声を掛けてきた。白髪でわからなかったが、はっと気がついた。矢野先生である。今は学園長をしている。矢野先生は資産家の息子である。自由学園を卒業した後オックスフォード大学を出て、学園に戻ってきて自由学園で英語の教師になった。ちょうど私達の時、戻ってきて学園の教師になった。女子部のかわいい卒業生と結婚して、家を建て、車はフォルクスワーゲンに乗っていた。資産家の息子だから、そういう芸当が出来るのである。しかし正義感が強く、男子部は坊主刈りなのに、当時は、坊主刈り、とは言いがたい位の長さの生徒もいた。それで、バリカンを持って寮に乗り込んできた事もあった。先生は、髪は白くなったが、変わっていない。懐かしさが込み上げてきた。
「いやー。先生。お久しぶり」
「先生、かわいい奥さんをちゃっかり物にして、フォルクスワーゲンに乗って、いい御身分でしたねー」
と笑って言った。先生も嬉しそうに笑った。しかし考えてみれば、今は学園長である。
こうして学校の行事は全て終わった。あとは卒業生がやってるという名栗の旅館での同窓会である。

5人、車で来たヤツがいたので、その車で行く事になっていた。しばし私達は校門の前で待った。

お通夜みたいである。みんな、何も話さない。昔だったら、人が二人いたら、無限のお喋りが始まったのに。何か若さがなくなってしまったようで、私は苛立たしくなった。
「何だよ。元気ないな。オレなんか絶対、老いたくないから体、鍛えてるよ」
そう言って、連続回し蹴りと横蹴りをした。
「すげーな。よく、そんなに足、上がるな」
と一人が言った。車が来た。私は、同窓会の幹事のワゴン車に乗った。助手席一人、後部席三人、その後ろ一人、運転者一人の六人乗った。車の中でも、私が話さないと、みんな黙っている。一人が、うつ病について聞いてきた。ので、私は色々話した。

「うつ病と、落ち込みとは違うんだよね。誰だって人生で一度も落ち込まないヤツなんていないよ。それで、落ち込んでる時、あー、オレ今、うつだよ、って言うじゃない。でもそれは、それでいいんだよ。弱音を吐く事で、一種の自己治療をしてるようなものだから」
「じゃあ、うつ病と落ち込みの違いは、どうやって見分けるの」
「そうだね。うつ病の人には、頑張れ、という言葉が、一番つらいんだよ。だって、うつ病ってのは、本人が頑張ろう、頑張ろう、と思っていても頑張れない病気なんだから。だからね、患者に、頑張れって言ってみて、つらく感じたら、それは、うつ病で、そうじゃなく、何とも感じなかったり、頑張ろうという気持ちが起こったら、それは落ち込みだね」
「なるほど。そういう方法で診断してるの?」
「いや。そんな事はしてないよ。ただ、そうやったら一番、はっきりとわかるだろうけどね」
「じゃあ、どういう方法で診断してるの?」
「そうね。色々な質問事項を書いたものに○×をつけさせて、ある点、以上だったら、うつ病ってわかるよ」
「なるほど」
「でもね。患者の話を聞いてれば、うつ病かどうかはわかるよ。うつ病の人は、食欲でないし、眠れないし、性欲もおこらないし。それに、うつ病になる人は病前性格がだいたい決まっててね。デリケートで、弱く、完全主義で、責任感が強く、罪悪感を感じやすいから」
「じゃあ、お前みたいな性格じゃない」
「そうだよ。だから僕は何回もうつ病になったよ」
彼は微笑した。
「それとねー。精神科医でも、やっぱり、うつ病の患者に、頑張れ、って言う人いるね。やっぱりねー、元気な人間には、うつ病はわからない場合があるね。それでねー、うつ病を一番よく解る人といったら、やっぱり自分がうつ病を経験した患者とか医者だね」
「オレもうつ病になって、医者にかかった事あるけど、何かあやふやでね。それで、うつ病を経験した医者ってのを本で見つけたから、その医者にかかったら理解してくれて、それで良くなったよ」
「そう。よくドクターショッピングはよくない、とか言うじゃない。でもあれは違うね。やっぱりねー、相性の合う医者を探さないとダメだね。相性の合わない医者にいくらついててもダメだね」
私は続けて言った。
「それとねー、うつ病になってる人ってのはねー、自分の好きな事、たとえばテニスだとかテレビ観る事だとかは出来るんだよねー。だから、怠け病と社会に誤解されるんだよ。うつ病ってのは社会の偏見が作り出している病気だからね」
等等と、話しているうちに熱が入ってきた。それ以外でも、ざっくばらんに色々な事を話した。

そんな事を話している内に旅館に着いた。4時半に学園を出て、一時間かかって、着いたのは5時半くらいである。ここは男子部の卒業生が経営している旅館である。紅葉しはじめた木々に囲まれ、すぐ傍にサラサラと流れる清流がある。都会から離れた清閑な場所である。旅館も大きく立派である。一度、こういう旅館に来てみたかったのである。勿論、かわいい彼女と一緒に。
しかし、このように都会から離れた場所に来る客が、どの位いるだろうか。宿泊料も高いし、経営は成り立っているのだろうか、と思った。特別、景色がいいわけでもないし、いい見所や名所、旧跡があるわけでもない。場所にブランドが無い。

後続車も着いて全員、そろったので旅館に入った。
食事の前に一風呂浴びるヤツも数人いた。私は入らなかった。おちんちんを見られるのが恥ずかしかったからである。風呂に入ったヤツもすぐ出てきた。大広間に全員が集まった。私は隅の方に座った。食事が運ばれてきた。幹事が挨拶して食事が始まった。食べても便は出ないだろうし、それによって腹が張るのを怖れていて、食べないつもりだったが、やはり美味そうな料理を目の前にすると、食べてしまった。私は味覚音痴なので、料理の美味さは分からない。しかし、コンビニ弁当やファミリーレストランの食事、都会のレストランの食事よりは明らかに旨いのは、わかる。

食事も半ばになると、幹事が挨拶して、一人一人の卒業後の人生のあらましを述べる事になった。
初めに指名されたのは、朝、最初に会った、子供が5人いて、バツ2で今はプーローと言ったT・Mである。プータローなどウソだと思っていたが、本当だった。彼は二回、結婚して、二度とも離婚し、子供は5人いて、前は芸能関係の仕事をしていたが、リストラされ、第二種免許を取りタクシーの運転手になった。しかし客を乗せて走っている時、事故を起こしてしまいタクシー会社をリストラされてしまった。今は職が無く、パソコンも持っておらず、職安に通っているという。
その次に誰かが指名され、話した。
私は三番目に指名されて話した。
中には会社を経営している者もいたが、親が社長で跡を継いでいるだけである。
父親が大きな漬物屋だったヤツも跡を継いで漬物屋になった。従業員が4人いる。
「売り上げが多くても、手取りの収入が少なく、経営が厳しいが。しかしリストラはしない」
と言ったのが印象に残っている。勤務医なんて、不況になっても、まず日本経済の影響を受けない。やっかいなのは、厚生省の診療報酬引き下げで、それと医療者側のイタチごっこである。厚生省の締め付けで出来ていた仕事が出来なくなる事もある。しかし医師免許があると、何科をやってもいいから転科すればいいし、また地方では医師不足で困っているから、贅沢を言わなければ職に困るという事はない。だから医者は世間知らずな面があるのである。だから世間の現状を知りたくて同窓会に出席したのである。
一人、年商40億の会社を経営しているヤツがいた。大したものである。
他は、大体、地味な会社員である。あるヤツは、大学部卒業後、ある会社に就職してその後、ロンドンに行き、帰国してから、リストラされ、ビルの管理の仕事についた。仕事に必要なため、勉強して電気工事士の資格を取ったが、第二種の電気工事士の資格がなくてはダメで、その資格を取ろうとしていると言った。
概ね皆、最初に就職した会社は転職している。そして結婚して子供もいるのが多いが、離婚したり、現在、離婚を考えて弁護士をつけて、協議中というのが非常に多い。むしろ、家庭生活が上手くいっている人の方が三人程度と、少ない。
そんな事で、話しているうちに8時半になった。

大宴会場を使えるのは、8時半までだったので、別の部屋に移動した。
私は部屋の隅で、H・Tと少し話した。彼は高等科を卒業してからミュージッシャンになった。彼は学園中から、もう将来はミュージッシャンになる事に決めていた。実際、彼は学園中から賛美歌のピアノを弾いていたし、特にジャズに惹きつけられていた。作曲もし、CDも出している。さらにWhikipediaに彼の名前が載っている。子供を男子部に入れている。しかし聞くと、近く離婚するという。理由は知らない。さらに本人から、色々な薬物に手を出した、と聞いて吃驚した。芸能人やミュージッシャンなら薬物に手を出すのは、わかるが、彼はそんなメジャーな世界のミュージッシャンではない。そんなにストレスがかかるとも思えない。それで色々、聞いてみた。
「ええっ。薬物やったの?」
「うん」
「どうして?」
「・・・」
私には、その理由が分からなかった。H・Tは言った。
「お前だって、東大医学部とか出てる医者には劣等感、感じるだろう?」
「いや。感じないよ」
私は自信を持って言った。
「彼らは人間コンピューター。独創性とか創造性が特に優れているわけじゃない。教授も言ってたけどね、彼らは大量の文献を読ませると、それを読んで理解するスピードは速い。でも独創性とか創造性が特に優れているわけじゃない。教授が言ってたけど、彼らも勿論、発見とかする事はあるけど、それは、ほとんど二番煎じ。彼らが何か発見した時には、その発見はもうすでに他の誰かが発見しているというケースがほとんどだって」
「つまり情報処理能力が速いってことだろ」
「そう。私もね、東大出の医者を何人か見てきたけどね、物事の本質が全然、分かってないヤツがいるからねー」
「そうだよな。政治家なんて東大出ててもバカな事するヤツいるもんな」
私は口に出して言わなかったが心の中で異論を唱えた。
「それは違う。東大出の政治家はワルなのであって、バカじゃない。しかし東大出の医者の中には、本当に物事の本質が分からないバカがいるのである」
彼は医者の世界を知らないから無理はない。医者の世界では東大出も私立も関係ない。医学部に入学する時の成績と、卒業する時の成績と、卒業後、伸びるかどうか、この三つは全く関係ないのである。そもそも医師国家試験にしても、東大生でも落ちるヤツはいるし、私立医学部の学生でも通るヤツはいる。さらに言えば医者なんて、知性的な仕事でも何でもない。もっとも、私が東大出の医者に劣等感を感じないのは、口にこそ出さね、今までずっと小説を書いてきて、これからも一生書くつもりだからである。しかし彼はそうは私を見ていないようだった。そして言った。
「音楽の世界でもね、劣等感、感じるんだよ。周りは、どこどこ音楽大学出とか、そういうのばっかりだからね。オレは音楽大学、出てないから」
「そうかなー。だって音楽っていうのは、いい曲か悪い曲かのどっちかじゃない。学歴なんて関係ないんじゃないの?」
と言っても彼は首を縦に振らない。私は聞いた。
「音楽の才能ってのは、先天的なもので絶対音感があるかどうかでしょ」
「違う」
「どう違うの」
「絶対音感というのはね、先天的な才能じゃない。誰でも身につけられる。三歳までに、ドレミと聞いて、ピアノを見ないでドレミを打てるかどうか、なんだよ」
と彼は言ったが、あまり納得できない気分だった。私は、素晴らしい曲を作曲できる才能は天才だけのものだと思っているからである。

ふと見ると、移動した部屋で、残りのヤツが卒業後の人生を語っていた。私は急いで、そっちの部屋に行った。H・Tもその部屋に移った。残りの数名が卒業後の人生を語った。
出席者全員が語り終わると、ざっくばらんな話しになった。
私の隣には、クラスで秀才のH・N君がいた。彼は学校時代、私より秀才だった。父親が東芝の商品開発の研究部門の秀才で、彼の秀才は父親ゆずりだった。彼に本気で受験勉強させれば、東大理三も合格できるかもしれない。少なくとも東大の理系学部は確実に入れる。中学3年の修養会の時、堂々と「将来は経済学者になろうと思う」と彼は言った。クラスのみなが聞いていても全く違和感がない。学園時代は、フランス語、ドイツ語、を独学で勉強していた。それほどの秀才だった。しかし彼は大学部に進学した。私は母親から、H・N君が、大学部卒業後、東工大に行ったと聞いたので、聞いてみた。
「H・N君。学部卒業後、東工大に行ったんでしょ」
「いや。行ってないよ」
「えっ。そうなの。今、何してるの?」
「携帯のソフト作ってる」
私は携帯のソフトとはどんな物なのかと少し考えてみて私のイメージを言った。
「ソフトっていうと、パソコンのソフトが頭に浮かぶけど。でも携帯とパソコンは、ほとんど、つながってるでしょ。何かパソコンでソフトを作って、それを携帯に送ってる、ってイメージがするんだけど、どうなの?」
「そう。その通りだよ」
そう言って彼は携帯の画面を見せてくれた。スキーのモーグルの連続写真が写っている。彼ほどの秀才にはもっと大物になって欲しかった。
「いやー。H・N君には経済学者になって欲しかったな」
私は残念そうに言った。彼は苦笑いしている。
「経済学者になりたかった、というのは父親の反動でしょ?」
「うん。そう」
彼の父親は理系の秀才で彼も理系の秀才だったため、自分に無い大きなものを目指しているのだと思っていた。理系の研究者は、商品開発という小さなものを対象とするが、経済学者の研究対象は日本さらには世界という、この上なく大きな生命体である。夢が大きいなと思った。だが今は携帯のソフトの設計者である。結婚もしている。
「子供いる?」
「いるよ。進学校に通わせている」
「それもしかたないよね」
「君のように目的を達成した人間って羨ましいよ」
言われて私は照れ笑いした。確かに、当時の目的は達成したが、そのあと本当の目的が見つかって私は一心に奮闘しているのである。しかし小説創作の事は言わなかった。

幹事が、今日、来なかったヤツの近況を言った。同じく理系の秀才のKは弁理士になったそうだ。スポーツ万能だったOは、浅草でバーテンダーをしている。その他も、学生時代は、能力も志もエネルギーもあったヤツが、何とも、およそ学生時代の頃とは似つかわない地味な仕事をしているので、寂しくなってきた。

もう11時になっていた。O・Mはこれから車で帰る。明日、仕事があるからである。私も昼御飯も、夕食と食べて、緊張しているので便が全然、出ず、擬似性腸閉塞で腹が張って苦しく、もう十分、同級生の話も聞いたので、一泊する予定だったが、帰ろうと思った。私は便秘で腹が張ると苦しくなって、うまく喋れなくなる。それでO・Mに頼んだ。
「ねえ。車、乗せてってよ」
「ダメだよ。4人も連れてくから、乗る場所ないよ」
「オレ、体重、軽いから大丈夫だよ」
「・・・」
「じゃトランクの中でいいから」
だがO・Mはウンと言わない。
「だってもう電車ないぜ」
「飯能駅に車とめてある」
私は見え透いたウソを言った。
「おーい。ジャガが逃げようとしてるぞ」
彼は皆に聞こえるように言った。もう私も諦めた。別に人見知りで泊まりたくないのではない。緊張した所だと便が出なくなって腹が張って苦しくなるから、泊まりたくないのである。しかし腹の張りの度合いは、そうひどくない。たった一泊である。明日の昼には自由になれるのである。それに、せっかく行った旅館には一泊したいというアンビバレントな思いもあった。それで、諦めて泊まる事にした。緩下剤を飲んで、トイレに行って、いきんでみた。しかし出ない。何度もいきんだ。すると、少しだが、ガスが出た。便は出ないが腸が動いた感じが伝わってきた。腹の張りが、少し軽くなった。やった、これなら明日なんとかなるだろうと思った。もう皆寝ている。人がいる所だと、どうせ緊張して、眠れないから徹夜しようかと思った。だが布団に入ってみた。やはり喋りつづけて、疲れたのか、ほっとした。睡眠薬を飲んでみようかと思った。睡眠薬を飲んで、眠れればいいが、眠れないと、翌日、眠くなってボーとなるので、どうしようかと迷った。多分、眠れないだろうが、もう自棄になって睡眠薬を飲んだ。

        ☆  ☆  ☆

翌朝、目を覚ました。
「やった、眠れた」
朝、目覚めて一番に感じた喜びは、眠れた喜びである。今日、帰れるから、もう怖い物なしである。時計を見ると7時である。私は起きて旅館の土産売り場を見たり、旅館の屋上の風呂を覗いてみた。クラスのヤツがいなかったら入ろうと思っていたが、一人、入っているヤツY、がいたのでやめた。私は旅館を出て、外に出た。木々が紅葉しはじめ、黄色く色づき始めていた。清流がサラサラと流れていて、心が和む。Yが出てきた。風呂から出て、外の景色を見に来たのだろう。彼は学園時代、スポーツ万能で、私は彼を羨んでいた。しかし、今は、ほとんどスポーツはしていないという。ゴルフとサッカーをたまにやる程度だと言う。
Sがランニングから、帰ってきた。こんな旅館に来てまでランニングをするとは、大したヤツだと思った。昨日、聞いて知っていたが、彼はホノルルマラソンに出場する予定で、毎日、走っているという。

もう、そろそろ朝食になるだろうと旅館に戻った。座敷に入るともう、すでに何人かいた。朝食は、和風で量が少なかったので全部、食べた。
そして我々は旅館を出た。
「またいらして下さい」
と旅館の女将が言ったが、同じ旅館に二度行くつもりはない。我々は車に分乗して名栗の植林地に行った。そこは自由学園の所有地で、学園の時、一週間、労働に行った事がある。かなりの労働量だったが、労働の喜びをつくづく感じて楽しかった。山の中の小屋に寝泊りするので、食事は自炊で、風呂もドラム缶である。しかし、一週間だけだから楽しかったのであって、あれが本職になって、毎日、あんな肉体労働だったら、たまったものじゃない。
それにしても、何でわざわざ植林地を見学に行くのだろうか。単に近いからか。それほど見たいとも思わない。
だんだん山の中に入っていって、鬱蒼とした高い杉の木が見え出した。道もドライブウェイでカーブの連続である。自転車族が多い。坂道で、よくこんな所まで来るなと思った。
「あれって、いいよな。確実に足の筋力鍛えられるから。でもよくこんな坂道じゃ、かなり疲れるだろう」
「そんな事ないよ。性能がいいから、疲れないらしいよ」
「ええっ。そうなの?じゃ、趣味でやってるの」
「でしょ。でも当然、足も鍛えられるだろうね」
「あの自転車ね、いいのだと100万以上するのもあるよ」
「ええー」
私は吃驚した。そして次は暴走族が通った。爆音をならして、改造してあって、どう見ても健全な二輪愛好会とは思えない。暴走族は、こんな田舎道までよく来るものだ。しかしコーナーリングが面白いだろうし、警察もやってこないだろう。しかし暴走族とは自己顕示欲が強くて自分らを人に見せたいために走るのだから、都会で走るのが普通ではあるはずだ。

そんな事で、とうとう休憩所に着いた。あとは、歩きである。我々は杉林の中の山道に入っていった。皆、坂道で息切れしだした。私は、体力落すの嫌だから、また、気の向いた時だけではあるが、運動もしているので、たいして疲れなかった。かなり歩いた後、林の中に小屋が見えてきた。完全に記憶が蘇えった。それまで、そこで働いた事や、印象のある事は、覚えていたが、小屋の様子や周辺の様子は忘れてしまっていた。しかし、小屋を見て、小屋から見た周りの様子を見ると、昔の記憶が蘇えった。昔と全然、変わっていない。小屋の中で私が寝た場所、生徒が言った冗談までも思い出されてきた。
「ここ。野外キャンプするには、いい場所だな。あるいは、ホームレスが寝るのにも。夜は寒いだろうけど、地下鉄の駅でダンボールの中に寝るよりはいいな」
私はそんな事を言った。
「T・Mは今日からここに住めよ」
などと皆はかなりきつい冗談を言った。彼は職なしだから確かに、住と衣は確保されるだろう。しかし金がなければ食は確保されない。金があっても食い物を売ってる所まで行くには車でもかなりの時間がかかる。彼は車も持っていない。現実的に不可能である。そこでも記念写真を撮った。そして引き返して休憩所に戻った。わざわざ山小屋を見るためだけに行くのは無意味なように思っていたが、実に感無量である。しかし、幹事は見れば記憶が蘇えって感無量になるだろうと思って計画したわけでもあるまい。偶然の一致である。

そしてまた車に乗り込んで、山を降りた。かなり走ってやっと市街地に出た。西武池袋線の駅がある。
「ここでいい」
と言ってI・Mが降りた。そして車はまた走り出した。乗っていた我々4人は、どこかで昼飯を食べる予定である。
「どうして、I・M、降りたの?」
「何か12時に仕事で誰かと会うんだって」
時計を見るともう12時である。結局、彼は何も話さなかった。仕事の事も聞いたはずなのに、よくわからないし、結婚もしていない。なぜ結婚しないのだろう。私は、悪遺伝子撲滅という信念に基づいて結婚しない主義なのに、彼はそうではあるまい。まあ、人生長くやっていれば、誰にでも、人に言いたくない嫌な事情を抱えている事も当然、あるだろうから、そんな事じゃないかと思った。車には4人になった。私は助手席に乗り換えた。
「ねえ。この車、いくらした?」
私は運転している幹事に聞いた。
「120万」
「どひゃー。新車でしょ?」
「うん」
私はとても車に40万以上かける気は起こらない。私は外見はボコボコの、中古の30万で買った激安車を車検12万で通して、乗り継いでいる。残りの二人はHとYである。
幹事が、二人目の子供を生むのに苦労している事を語った。今、日本は不況で生活は苦しく、彼は正社員だが生活は楽ではないはずだ。子供一人生んだら育てるのに金がかかる。
「どうして二人生むの?」
「女房が二人欲しがっているから」
何と単純な理由なのだろう。ということは彼は収入は結構、いいのかも知れない。そこから話がバイアグラになった。
「バイアグラって凄いね。本当に立つんだから」
一人が言った。私は医者なのにバイアグラの事は知らない。それで聞いた。
「バイアグラってどういう物なの。立つって聞いているけど。飲むと性欲が起こるの?」
「いや。飲んでも性欲は起こらない。飲んでエッチな事を考えると立つんだよ」
「一粒いくら?」
「千円くらい」
「じゃあ、どんな風になるか、試しに飲んでみようかな」
私はそんな事を言った。

ふと私は、ある事を思いついて、運転している幹事に話しかけた。
「ねえ。沖縄の母親に一言、電話してくれない。浅野は元気で凄く真面目だったって」
「うん。いいよ」
幹事は答えた。私は親の暴君ぶりをここぞとばかり暴露した。
「オレ。親と話す事も出来ないんだよ。電話しても、居ても留守番電話にしてあるから。オレの親はねー、自分の思い通りにならないと気がすまないんだよ。結婚して家庭を持って子供を生まないと、人間として半人前扱いするからね。もう、結婚しろー、結婚しろー、ってうるさくてね。親は人前では善人面してるけど私に対しては横暴の限りをつくすからね。もう親とは完全に断絶状態だから」
「わかった。じゃあ電話しとくよ」
幹事が言った。
「昼食、どこで食べたい?」
「どこでもいいよ」
そういうわけで、あるファミリーレストランに入った。テーブルを挟んで二人ずつ並んで座って向き合った。

正面のYは学園時代、スポーツ万能で羨望の眼差しで見ていたが、今では、ゴルフとサッカーを時たま、やるだけである。腹に脂肪がついてしまっている。しかしその程度は軽い。長く結婚せず、独身貴族だったが、少し前にやっと結婚した。勿論、彼女として付き合っていた女性とである。彼女が妊娠してから結婚した、ということだから、出来ちゃった結婚である。彼の妻はハワイのフラダンスを教えているということである。
「外国、何処と何処に行った?」
私は皆に聞いた。
「ハワイでしょ。ロサンゼルスでしょ。あとドイツとイタリア」
Yが指を折りながら答えた。幹事は、
「トルコとイスラエル」
と言った。Hは何も言わなかった。が、外国、どこにも行ってないはずはない。
「オレ、外国どこにも行ったことないよ。さして行きたい所も無いけどね」
と私はいささか自慢めいた口調で言った。
「でも、一度、ブラジルのリオのキリスト像、見てみたいな。あと、ニューヨークの地下鉄とかも乗ってみたい。それとローマのコロシアムも見てみたい」
よく考えると結構、行ってみたい所はある。しかし何が何でも行きたいわけではない。だから行かないのである。Yはハワイに何回か行っている。
「ハワイ。日本人、多いでしょう」
「うん」
「ドイツ一度、行ってみるといいよ。カルチャーショック受けるから」
「そうかなー。多分、何とも感じないと思うよ。オレ、沖縄には行ったけど、全然、感動しなかったもん」
そんな事でレストランではハワイの話になった。
「ハワイはねー。マウイ島より、近くの島の方がいい」
「どうやって行くの?」
「飛行機で」
「モーターボートとかでは行けないの?」
「船は大型客船だね」
「サーフィンやったでしょ」
「うん」
「Yは運動神経がいいからサーフィンなんて簡単でしょ」
「いや。難しいよ。ロングボードは簡単だけどショートボードは難しい」
「うん。ショートボードは難しいよな」
Yの隣に座っていたHが相槌をうった。やはり、ハワイには、当然のごとく行っているのだろう。
「ハワイのホテルはねー。パック旅行でも一部屋いくら、なんだよね。で結構、高いんだよね。だから、泊まるんなら、たくさんで泊まった方が得」
「じゃあ、ホテルに泊まらないで、キャンプ場にテント張って、寝るってのは、出来ないの?」
「出来る。テント貸すのあるからね。でもハワイは海風が強いから、半袖じゃだめだね。長袖着てかないと」
それは沖縄も同じである。風が強いのである。
「ハワイは年中、気温が高くて湿度が低いからね」
「じゃあ、最高じゃない」
「ハワイは冬、行った方がいい。夏は皆、行くから混んじゃうからね」
「ハワイ行くと結構、自由学園の卒業生に会うんだよね」
私の隣の幹事が言った。トルコとイスラエルと言ったが、ハワイもちゃんと行っている。ハワイは、当たり前過ぎて言わなかったのだろう。幹事は、婦人の友社、で働いているから、自由学園の卒業生だとわかってしまうらしい。だが、卒業生と分かったからといって別にどうという事もないような気がするのだが。結構、気を使うらしい。
そんな事を少し話した。私は友達がいないから、こういう人にとっては当たり前の事をするのが凄く嬉しかった。やはり、泊まってよかった、とつくづく感じた。物を知るのには本や雑誌を読むより人に聞く方が手っ取り早いのである。

食事が終わって、レストランを出た。車に乗って、すぐに飯能駅に着いた。Yは方向が違ってバスで、停留所に向かった。手を振って別れた。私は幹事に、
「母親に、浅野。すごぐ元気でしたよ、って電話しといて」
と手を合わせて頼んだ。
「うん。わかったよ」
と幹事は言った。あとは私とHの二人になった。共に池袋まで行く。彼は、これから静岡に行って、それから山梨の甲府に行くらしい。彼は山梨で介護の仕事をしている。彼は父親が牧場を持ってて牛を飼っていたのだか、牧場は潰れてしまったらしい。外国の安い牛肉に勝てなかったのだろう。彼は、私達のクラスで一番早く結婚した。22才で女子部の卒業生と結婚したのである。子供は女の子、二人である。だが、妻とは、上手くいっておらず、離婚協議中だという。電車に乗ったが、座れず、立ったまま話した。昨日、長女がリストカットしてると最初に聞いて吃驚していたので、その事について恐る恐る聞いてみた。
「どうして離婚するの?」
「・・・」
性格の不一致が離婚の理由とは考えられない。
「嫁姑の関係が悪いの?」
「いや。悪くないよ」
「娘さん。どうしてリストカットするの?」
「・・・」
あまり、人の事を詮索するのは、好きじゃないが、つい、どうしてか、理由が知りたくて聞いた。
「リストカットの原因てさあ、親の虐待が多いじゃない。虐待してないでしょ?」
私は上目遣いに恐る恐る聞いた。子供を虐待しているとは思えない。
「妻がしてるんだよ」
「ええー」
私は吃驚した。私の頃の女子部は、それはそれは真面目だったからである。それは今でもそうで、昨日、女子部を見た時もミニスカにルーズソックスの生徒はいなかった。自由学園の女子部だけは今時の女子高生とは違う。彼の妻は女子部出である。
「ええっ。なんで?女子部って真面目なんじゃないの」
私は極めて雑な見方の質問をした。
「いや。妻はね、娘の首絞めたり、『お前なんか産まない方が良かった』とか言うんだよ。それが、つらくて娘はリストカットしちゃうんだよ」
「ええー」
私は吃驚した。
「奥さん。どうしてそんな事するの?」
「妻もね、母親は義理の母親で、虐待されたんだよ。それで子供を見ると、そのフラッシュバックが起こってしまって、娘に対しても同じような事をするんだよ」
「ふーん。なるほど」
私は、だんだん納得してきた。
「だからね。娘は下の娘には優しいんだよ。それでブログとか書いててね、自分の思いを書いてるんだ。オレ、娘のブログをよく読んでるよ」
「そう。書いて発散するのって非常にいいんだよ。心の中に自分の思いを閉じ込めちゃうと、ストレスが溜っちゃうからね」
「それでね。娘はね、自分が虐待されて辛い思いをしたから、将来は大学の心理学部に入って心理の勉強をして臨床心理士になりたいと思ってるんだ。妻とは、どうしても一緒に暮らせないからオレの所に来ちゃうんだ。だからもう離婚するしか仕方がないんだよ」
「なるほど。完全に辻褄があうね。完全に納得した」
そんな事を話しているうちに池袋に着いた。池袋で彼と別れた。私は池袋の喫茶店に入った。Hとの二人きりの会話は、緊張した。私はアイスティーを注文した。もうこれで、完全に一人きりになれて、私はほっとした。すぐに便意が起こってきてトイレに入った。腹の中に溜っていた便がドドッと出て、スッキリした。やはり私は人の中では緊張してしまって、便が出なくなる。やっぱり私は、一人きりでいる時が一番ほっとする。私は、今回の事をエッセイとして書いてみようと思った。


平成21年11月8日(日)擱筆

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医療エッセイ・9編

2020-07-13 11:27:25 | 小説
愛が強すぎる子

私が研修した病院は600床の大きな病院だった。一つの病棟が50床くらいで、病棟医は一人か二人で、研修医がくると、どこかの病棟へ配置され、病棟医が指導医となって、指導をうけることになる。はじめの半年、私は女子病棟に配置された。病棟医は二人いて、大がらで大らかな医長と、三年目になるレジデントだった。そのレジデントは、きれいな字で、仕事も、全くミスがないコンピューターのようなブラックジャックのような、病院の強い戦力的存在だった。名前を仮にA先生としておこう。別の病棟の背のたかいコンピューターにくわしいB先生に通院でかかっていた女の患者が症状悪化して、入院することになった。B先生は男子病棟うけもちだったので、入院中はA先生が主治医になることになった。患者の意に反しての医療ホゴ入院である。患者はよほど、医者-患者の信頼関係がよかったのか、というか、B先生には内からにじみでるしずかなやさしさ、があり、B先生に全幅の信頼を寄せていた、というところだろう。その子はB先生という強い心のささえ、があったから生きてこれた、といっても過言ではないように思える。その子はB先生を医師としてだけではなく、一方的に恋愛的な感情も、入れていたようだ。いかなるものも私とB先生をひきはなすことはできないわ、といったカンジ。
外来で、入院に納得しないので、B先生が呼ばれて、やってきた。すると、その子は、トコトコとB先生のフトコロに入ってきて白衣にしがみついて「B先生でなきゃいや。」と言う。その子は愛が強すぎるのだ。女子病棟では、病棟主治医制がわりとつよい。主治医制はグループ診療より責任の点でいいが、融通はつける。受け持ち患者以外は、みてはならない・・・ということはない。夏休み、その子の主治医のA先生が一週間休みをとって、結婚したばかりの女性とハワイへいってきたが、その間の主治医は、もう一人の上のベテランDrで、権力をもった人だが、心も体同様おおらかで、いっつも宇宙人的な笑い方をする。地球人的笑い方ではない。エート。A先生がハワイへ行く前、その子が「先生。ウフッ。来週、ウフッ。私の主治医のA先生が、ウフッ。休みますけど、ウフッ。先生は主治医でないけど、ウフッ。はなしてもいいですか、ウフッ。」と言う。その子は性格がいい、かわいい子なので、ちょっとやりにくい。私とて本心は・・・。が、医者にあっては、モラルは本心に絶えず勝つ。その子の主治医のA先生は美形だけど、ちょっとキビシイ先生で、ある別の患者が「先生はキビしすぎる。ぜんぜんほめてくれない。主治医をかえてほしい。」と言ってたが、その訴えは私も感じていたことではあるが、なぜかというと、「先生はキビしすぎる。ぜんぜんほめてくれない。指導医をかえてほしい。」と私も思っていたからである。キズつけるわけにもいかず、かといって医者はラブラブごっこしているわけじゃなく、あえていうなら、その子は愛が強すぎて、人間関係を恋愛妄想的に考えてしまう。キビしくしてはキズつけるし、やさしくしては、恋愛妄想を強めてしまう。やりにくい。わたしは美形ではないが、患者の話を一心にきくので、その子も、なにかの時「先生には先生のよさがあるんで・・・。」と言ってたが、「はなしていい?」(○とかXとか手できく)ので、ニガ虫をかみつぶしたような顔でしぶしぶよそを向いてうなずくと、翌週の朝、さっそくはなしかけてくる。早足に行こうとすると「どうしてそんなにサッサと歩くの?」と言ってくる。医療は不倫ごっこではないのである。かわいいが、しかるわけにも親しくするわけにもいかない。その子はナースセンターにきて、(患者は症状が悪くなると自己中心的になる)「B先生と話したいからデンワつないで。今すぐ。病院の中にいるんでしょ。全館放送して。」という。ふつう、まじめなDrは、ここでしかるが、私は原則をやぶろうとしたがる性格があるので、よーし交換に言って全館放送したろかーと思ったが、そこまではしないで、B先生の病棟につないで、その子に受話器をわたした。その子は一心にはなしていたが、少し話してから、私が呼ばれ、患者が言ったからって電話かけてくるな、ともっともなことをいわれた。その子はB先生に詩をかくからわたして、といって、詩をかいた。「看護婦さんの仕事はたいへんなのよー。知ってるー?」と言う。(たいへんにしてるのはあなたじゃないか。)「知ってるよ。」と言うと「どうしてわかるのー?」ときく。「いや、想像すれば、何となく・・・」と言うと「あはっ。想像すれば?じゃあロマンチストなんだ。」なんて言う。(ロマンチストなのは詩でメッセージをかくあなたではないか。)その後、その子が、何か要求したが、何だったか忘れたが、私はあんまり相手を直視して話ができないので、その子の長々とした説教をきいてるとだんだん顔が教師にしかられる生徒のように、うつむいてくる。と、彼女は「人と話をする時はちゃんと相手の顔をみなさい。」ともっともなことを言う。三回くらいいわれた。ナースがその子に「あなた。B先生だっていそがしいのよ。○○先生はやさしいからって、先生に命令するなんて失礼なのよ。」とちょっとキビしくいわれると、本当になきそうな声で「ゴメンなさい。ウェーン。ゴメンなさい。」という。本当にやりにくいかわいい子である。男子病棟へ移って、そこにすっかりなれて、四ヵ月くらいしたら病院の歌謡大会があって、女子病棟では、その子が「love is all music」とプログラムにのってて、あいかわらずだなーと思って、その子を思い出して、かいてみたくなった。



カエルの子

その子、は、かわいい、まるい顔のケロヨンっぽい子だった。精神科の患者は、年齢より少し若く見える。体の症状の訴えの多い子で、ある夜、足が痛い、と訴えてきた。関節痛、関節痛と考えて、リウマチ、いや、既往歴にない、カゼひいた後の関節痛だからヘノッホ、シェーンライン、いや発疹がない。考えてみれば。自律神経症状で関節痛がでるんだから、関節痛を訴えたら、まず自律神経性のものと考えるべき。しどろもどろして、困ってると、研修の先生ですか、というので、はい、と答えると、緊張してますね、というので、はい、と答えると、キンチョーしないでください。キンチョーされるとこっちもますますキンチョーしてしまいます。という。当然。湿布をする。その子は別の病棟にいたのだが、病院内の都合から、こっちの病棟にうつってきたのだった。数日後、入院患者の年中行事の一つとして、6月頃だった。バスハイキングで、○○臨海公園へ30人くらいで行った。その時、その子は渚に足を入れながら、他患とうれしそうに話していた。昼食の時、私が一人で弁当たべていたら、ある患者に、先生、一人でお弁当食べておいしいですか、ときかれた。ちなみに精神疾患の患者の食べ方の特徴の一つに一人で食べるということがある。6月の頃はそんなふうで、明るくよく話す子だった。だが秋ころから話さなくなり、ついに全く無口、だれとも話さない。利き手の右手を使わず、左手で、つげられる人にだけ書いて意志を告げる筆談状態になった。こういうことはきわめてめずらしいことである。その子は自分がある上人の生まれ変わりという妄想をもってて、誇大妄想、○○学会に入っていた。七月のタナバタのたんざくに、みなさんがはやくよくなりますように、とかいたりしてて、やさしい子だった。私が彼女の筆談の相手になると、彼女は左手で、苦しそうなカナクギ字で宗教的な訴えや、個室に入れてほしいことを訴えた。個室に入れられることを自ら申し出る患者はめずらしい。その子は個室に入れられないと、念仏をとなえて、みなにメイワクをかけるから、とかいた。個室にいれてくれるなら何でもします。はだかおどりでもします、とかいた。失礼な。私がモテそうにみえないから、私が彼女のはだかおどりをみたい、と思っているのか。自分のかわいさ、に、ちょっぴり、うぬぼれているぞ。たしかにかわいいが。悲劇のヒロインぶってるぞ。だが、それは全然、彼女の認識不足。子供の見方。医者も聖人ではなく、性欲もあるが、公私混同はしない。というより、そういう感覚になるのである。なんとなれば、病人というのは、社会的弱者であり、元気がなく、体格も貧弱で、また患者として人をみている時、頭は診断のための医学辞典と化している。が、次の日、その子は、下はズボンをはかず、パンツ姿で歩いていた。彼女の意思表示である。もちろん私は目をそむけ、その子と目をあわせないようにした。そんなカッコで歩いてちゃこまるでしょ、と、ナースに注意され、やむなく、ズボンをはいたようである。その翌日、筆談でまた彼女は、みなにメイワクをかけるから、個室にはいりたい、個室に入れてもらえないとタイヘンなことがおこる、と書いた。が、きいてもらえなくて、ナースステーションにやってきて何人かのナースのいる前で、口をきかずに、目をさらのようにして、口をイーして、せまってきた。いいたいのにいえないもどかしさ。やさしい子なので、おこってもあんまりこわくない。自分の信じる宗教の非暴力で、自分をしばっている点もあるのだろう。ナースの一人が、こりゃ、カエルだね、といったが、私も内心そう思っていた。もともと、カエルっぽいかわいさの子だったが、おこった顔はますますカエルになる。その日、彼女は同室の人をみな、けっとばした。小さなハルマゲドン。力のない彼女がけっても、他患は大ケガはしなかった。が、他患にメイワク行為あり、で、隔離の理由ができ、又、しなければならず、
(基本的医療の精神はできるだけ人権尊重から、隔離はしないものなのだが、他患に暴力ふるうとなれば、カクリ、むしろ、しなくてはならない。他の入院患者の人権と安全を守り、もちろん本人の安全のためにも、)カクリで個室に入れられたら、その子はとっても明るくなり、話すようになった。信じられないような話だが、こんなことは本当にあるのである。私はそのあと一ヶ月後、男子病棟へ行って、女子病棟へは顔をださなくなったが、その子は元気に退院したらしい。
四ヶ月くらいしたある日、職員食堂で食事してたら、その子が、外来診療がおわったあとで、両親と食事してて、私をみつけると、
「あっ。先生。こんにちは。おひさしぶりです。」
と、以前の明るい笑顔で言ってきて、とてもなつかしく、うれしい気持ちになって、
「こんにちは。」
と笑顔であいさつを返した。



おたっしゃナース

あるナースについて、かいておかなければならないのだが、ナースは何といっても、医療における権限の点で、医者より弱者なので、弱者をいじめることはイヤなのだが、文人の筆にかかり、文の中で生命の息吹をあたえられることを多少は、うれしいと思ってくれるか、逆におこるか否かは知らぬが、世のHビデオでは、ひきさきたいものの上位に、ナースがあがってるが、それは医療界を知らない外野だからそう思うのであって、心やさしい聖女、なんて思ってるんだろうが、ナースは仕事がつらくて、夜勤があって、イライラしているため、とてもそんな気はおこらない。人間を相手に仕事をしている人間は神経がイライラしてしまう。パソコンを相手にしているオフィス・レディーは主客一致で、ひきさく魅力のある、やさしい聖女だろうが。で、医者でいるとナースインポになる。だが思うに、あのナースは、容姿と性格を世の男が知ったら、引き裂きたい、と、思い、それが妥当であるめずらしいケース。そのナースは、瓜実顔で、うぬぼれが、整合性があう程度にある。世の男は、女につきあいを強要するらしい。そういう男のため、こちらはどれだけメイワクをこうむっていることか。どうも、男は、女をみると、抱くことしか、考えないのらしいが、また、それが、この世で一番のたのしみらしいが、芸術家は描くことが一番のたのしみであり、他のことは、すべてえがくのに最高のコンディションが保てるようにと、思っているのだが。いずくんぞ芸術家の心は知られんや。そのナースは、私が、その病棟から、よその病棟へうつる時、去る者の優越心とともに出ていかれ、たまに顔を出されるのがいやだ、と思ったのか、おたっしゃで、と言ったが、おまえのおまんここそ末長くおたっしゃでいろ、と、ハードボイルド作家ならかきかねないぞ。いろいろ習いごとをしていたようで、積極的で、意欲旺盛で、精力が強いのだろう。そのナースが、「あなたを先生と呼んでいるのは職場の上で、いやいやそう言っているのよ。病院から離れれば、あなたなんか先生でも何でもないし、心の中から先生と呼んでいるわけじゃないのよ。」と思っていることは、ほとんど目にみえていた。こういうツンとしたナースだから、読者が、想像でひきさいてほしく候。だが6月頃、一度、病院行事で、病棟の患者30人くらい、ナース、ドクターつきそいで○○臨海公園に行ったのだが、雲一つない初夏の青空のもと、患者の手をひいて浜辺を歩いていた姿が思い出されるのだが、あの、つかれた歩き方、芸術家にとっては、さっぱりわからない、あの人間というものの姿は美しい。ナースがフダン着になると、すごくエロティックである。女とみてしまうからだろう。またナースキャップをしていると、前髪がかくされて、額が強調されるため、ナースキャップをせず、前髪が自然に流されている方が似合う。このナースは、どんなに、当直あけで、つかれていても、「先生。注射おねがいします。」と、ツンと、言うのである。心の中では、「何もできない、何も知らない無能な先生。」といって笑っていることは、ほとんど目にみえていた。病院は、医者が上でナースが下、ではない。ナースはナースでツンとまとまっていて、自分らは自分らの仕事をしますから、ドクターの仕事は、ドクターでおねがいしますよ、と、ツンとつきはなす。



本を読む少年

さて、当直病院で、何か書こう書こうと思いつつ、もっとも私には、ワンパタ、耽美的なものしか書けないが、ある若い男の子、が入院した。父も母もおらず、天涯孤独で、友達もいず、中卒後、アルバイトをいくつか、しただけの少年で、くわしいことは知らないが、病気発症し、衝動的にコンビニでカッターナイフを買って、公園で手首を切って、入院してきた少年だった。少年は個室に入れられるや、気持ちが落ち着くや、まず、「本が読みたい。」といったそうだ。病歴から少年は読書が好き、とはわかっててたが。コトバにたよりなさがあり、主治医の先生が彼を内向的と言っていたが、まさにその通りである。人といると、緊張してしまう性格と、カルテにかいてあったが、まさにその通りである。私は、つい、仲間意識を感じてしまったが、主治医になる気もないのに、おもしろ半分、興味本位で、問診するのは、よくないと思ったので、話さなかったが、おきれるようになって、たよりなげにヨロヨロ廊下を歩いているところをむこうが、「こんにちは。」と、あいさつしてきたので、私も「こんにちは。」と、あいさつした。むこうも私がコドク病をもっている人間と瞬時に直覚しただろう。その少年の顔は、はっきりみてないが、弱々しそうな内気な少年である。本を読む人間は、必ずしも勉強ができるとはいえない。読書が好きでも、学科の成績は、あまりよくない、という人間も私のようにいる。ただ本を読みたがる人間は、静かさ、が好きなのだ。マイペースで、文字の流れから、頭でイメージしていくことが好きなのである。もちろん、元気な人間だって本は読めるし、読むが、元気な人にとっては、本も刺激であり、多くは一読で、次から次ぎへと新しい本を求める。しかし、少年にとっては、パンに飢えるように本に飢えているのであり、弱々しい心がすがれる心のよりどころなのである。私がその少年の主治医になっても、けっこう波長があったかもしれない、が、性格が似ているほど相性があって、よい主治医になれる、ということもなく、その少年の主治医は、やさしく、私よりずっとベテランで、治療能力がある。それに、私は彼を描きたいと思い、えがくために離れたいと思った。しかし、開口一番、本を読みたい、と言った患者は、はじめてである。そういう少年は夏、海に行ったりしない。しずかな所で一人本を読む。だがもし仮にそういう少年が夏、海に行ったとする。すると、綿アメのような夏の入道雲、活気と倦怠、やるせなさ、をおこすあの無限の青空のもと、きわどい輪郭の水着の女性が、空同様、心にくもりは、まるでなく、あるいは女を求める小麦色にやけたビーチボーイ、が、生をおもいっきり楽しんでいるのを、本を小脇に持って、自分とは無縁の世間の人間、と少しさびしく、うらやましく思う。そんな姿がイメージされる。



婦長さん

さて、ここで私はあることをかいておかなくてはならない。ちゃんと小説をかきたく、こんな雑文形式の文はイヤなのだが、やはり、かいておきたいことはかいておきたい。今の私が研修させてもらってる病棟の婦長さんは、すごい純日本的なフンイキの女の人なのだ。当然、結婚してて、ご主人もお子さんもいるだろうが、スレンダーで、髪を後にたばねて、仕事している時の真剣な表情は柳のような眉毛がよって、隔世の美しさである。婦長さんは絶対、和服が似合う。年をとっても、美しさが老いてこないのである。若いときの写真は知らないが、今でさえこれほど美しいのだから、若いときはもっと美しかっただろうとも思う一方、年をへて、若い時にはなかった円熟した美しさが表出してきたのか、それはわからない。ともかく、今、現役美人である。街歩いてたらナンパされるんじゃないか。私は位置的に、いつも、婦長さんの後ろ姿をみるカッコになっているのだが、標準より、少しスレンダーであるが、量感あるおしりが、イスの上にもりあげられ、行住坐臥の私を悩ます。性格は、まじめで、人をバカにすることなどなく、ふまじめさ、がチリほどもなく、良識ある大人の性格。ジョークはそんなにいわず、神経過敏でなく、あっさりしていて、人に深入りしないが、あっさりしたやさしさがある。日本女性のカガミという感じ。つい、いけないことを想像していまうのだが、後ろ手に、縛ったら、眉を寄せて、無言で困惑して、限りない、わび、の、緊縛美が出そう。和服の上から、しばればいい。憂愁の美がある。婦長さんは、多くの人間がもつ、倒錯的な感情を持っていない。のだ。そういう性格が逆に男の緊縛欲求をあおるのだ。(なんのこっちゃ)婦長さんにはメイワクをかけた。あまり病棟へも行かず、医局で、せっせと文章ばかり書いていた。病棟の数人の移動があった時、歓送迎会でるといっといて、でなかった。私は、ガヤガヤした所がニガ手で。つい、でません、と興ざめなことばがいえなくて、行くと言ってしまった。翌日、先生、まってたんですよ。ナースでも、そうなんですけど、そういう時は、会費は、料理の用意はできているのだから、お金は、出席しなくても払うことになっています。料亭では当日キャンセルはできないので。他の人も、そういうキソクなので、といって、言いづらそうに会費をおねがいします、と言った。私はガヤガヤした所がニガ手だけだったので、お金を払うのは何ともない。ので後で幹事の人に払った。そしたら、すごいお礼をいってくれた。その他、すごく、何事につけ、よくしてくれた。医療は、ならうより、なれ、であり、そうむつかしくなく、ベテランナースなら、かなりできるものである。しかし、責任所在性から、医・看分離は、現然として、存在する。レントゲン読影、その他、看は医への深入り、自己主張は、できにくい。どうしても、上下関係となってしまう。婦長さんも、四年の看護大学をでて、医学生ほど膨大量ではないが、解剖学から、一通り、人体の構造、病気の理論は学んでいる。専門は看護学というものなのだろうが、一般の人よりはずっと人体、や、病気にも医学的にもくわしく、毎日、病人をみている。しかし、医学生は、人体の構造から、病理学、この世にあるすべての病気を、しらみつぶしにオボエさせられていて、やはり、知識の点ではナースは医者には、その点かなわない。
私は自分にハッパをかけるため、自分の知ってることは、人に話すようしているのだが、きどりと、思われそうで、つらいところ。知らない。知らない。とケンキョな、ナルシなくせをつける人は成長しにくいのである。己を成長させるハッタリというものを知らない人は武士道の心得をかいた葉隠をよんでない人である。
医者もナースも、人の気づかなかったことを、正しくいいあてたり、診断できると、得意で、うれしいものである。ナースが脳CTで小脳がどれかわからないので、ちょっとおどろいた。その他、体のスライスや胸部CTの見方など。脳の立体的構造は、ちょっとむつかしいものである。又、医学生は、人体のすみからすみまで、オボエさせられ、又、レントゲン読影にしても、検査値や、患者の症状と関連して、理解する勉強をつめこんできたのである。しかもナースはレントゲンを医者のように、ほこらしげには、手にとってみるのはできにくいフンイキではないか。勝負の条件が対等ではない。それは、ちょうど、医学の勉強に99%自分の時間をギセイにし、小説、レトリックの勉強をする時間を全然もつことをゆるされなかった人間が、十分凝った文章で、スキなく、たくさん小説をかくことができない、のと同じである。ベテランナースは、患者が、こういう症状の時は、どう対応すればいいか、ということは、研修医とはくらべものにならないほど知っている。又、キャリアから、人間なら、だれだって、プライドがでてくる。研修医は、宮沢賢治のようにオロオロするか、弁慶の勧進帳をするか、である。医者は学んでいるが、ナースは医者ほど学んでいない。人生のキャリアで上の人に、先生、先生と、たてまつられた呼び方をされ、学んだから当然知っているだけでCTでみえる臓器の説明をするなどプライドを傷つけてしまうので、つらいのである。もっとも私はレントゲンの読影も感染症の理論も、専門家からみれば全然わかっていない。バレンタインデー、二月十五日、の日が近づいてきた。看護婦さんはもちろん、婦長さんも、チョコはくれないだろうなーと思ってた。
力山を抜き、気は世をおおい。もし、私が医学に私の命をかける気なら、毎日徹夜で勉強する医師になっただろう。やる気がないのではない。私は、小説家、ライター、作家になることに私の全生命をかけているのである。病棟のナースとも、全然うちとけなかった。だけど、バレンタインデーの当日、はい。先生。と、屈折心の全くない笑顔で、言って、チョコをくれた。うれしかった。表面はポーカーフェイスで、さも、無感動のように、ああ、ありがとうございます、と言ったが。内心は、おどりあがっていた。義理だろうが、何だろうが、かまわない。全部その日の晩、一人で食べて、あき箱は宝物としてとっておこう。ホワイトデーにはごーせーな、お礼をするぞ。一万円くらいかけて、病棟のみなさん全員にもたべてもらえるようなチョコ返すぞー。




健康診断
 今日、健康診断のバイトをはじめてやった。ある会社の従業員の健康診断である。小説書いてて、リストラされ、内科が十分できない、はぐれ一匹精神科医となった医者にできるバイトといえば、コンタクト眼科と健康診断くらいしかない。健康診断のバイトなんてカンタンだ、と思っていた。じっさい、学生の時、実習で二日、県のはずれの村へ行って、健康診断をした経験がある。農家のおばさん相手にきまった質問事項を聞くカンタンなものだった。ただ、その時は血圧は測れなかったので、血圧測定は手こずった。今度もそんなもんだろうと思っていた。ただ朝が7時半に行ってなければならないのが、朝がニガ手な私には、つらかった。それで、前日、近くのカプセルホテルにとまった。しかし、じっさいは、かなり予想とちがった。午前中は、男の患者(オット患者じゃなかったんだ。健康者のスクリーニングだった。)ではなく職員が多かった。結膜で貧血をみて、顎下リンパ節を触れて、甲状腺をふれて、さいごに胸部聴診だった。フン、フン、フン、とながしてやっていた。しかし、である。カーテン一枚へだてたとなり、で女のドクターもやってて、診察の声がきこえる。キャリアのある内科医である。患者の質問には全部正しくテキパキ答えてる。知識が多い。きらいなコトバだが、一人前である。私は小説を書きたいため時間にゆとりのもてる精神科をえらんだ。二年もやったので精神医学のことは、ある程度わかる。もちろん、精神科医も内科的シッカンをもっている患者をみなくてはならないので、内科的能力がゼロではない。しかし、糖尿病と脳卒中と水虫とターミナルケアの全身管理とイレウス、くらいである。しかし、おどろいたことに甲状腺シッカンが、少しある。頸肩腕障害や子宮筋腫の人、もおり、内科的質問をされる。となりの内科医は、的確な返答をしている。もちろん私とはくらべものにならないほど内科の知識がある。しかし私だって二年の臨床経験のある医師だ。ライバル意識がおこる。しかし私は精神科にいても、内科シッカン患者がいると、症例経験がふえるので、興味をもってとりくんだ。といっても経過観察くらいだけだったが。あとは国家試験の内科知識である。国家試験の知識があれば、それで内科は、ちっとは何とかなると、思っていた。もちろん国家試験はコトバの知識にすぎないが。しかし、考えがあまかった。実際に内科を研修し内科患者をみていないと、患者の質問に正確に答えられない。内科もやはり経験が全てだ。実戦経験がなく、本の知識で、答えているから、かなりトンチンカンになった。実戦経験の前には、本の知識ではたちうちできない。しかし私は喘息で胃病もち、なので必然、内科に関心は向いていた。さらに、健康な内科医をみると、そらぞらしくみえ、内科患者の本当の苦しみなどわからないだろうとつい思ってしまうこともあった。
山奥の健康診断の時とちがうことが二つあった。それは都心の会社の検診では、悩ましいOLもみなくてはならないかったのである。考えてみれば、当然のことだが、念頭になかった。しかもである。胸部聴診をしなくてはならなかった。今まで、長期入院の老人患者ばかりみていた。ひきさきたい欲求に悩まされているOLの聴診なんて、したことがない。内科医なら、女の体をみることになれてて、何ともないのだろうが。
検診のバイトを紹介してくれたのは、ある医師だったが、「女の胸の聴診は気をつけろよ。さわっただ、何だって、うっせーからよ。」と言った。「では、どうすればいいんですか。」と私がきくと、「聴診しますから、少し上着をあげて下さい。」って言う。「それで胸の下のできるだけ下の方をササッとあてる。ほとんど腹部聴診みたいになるけど、それでいいから。形だけ、やったふりをすればいいんだよ。男の場合は、バッと上着をあげさせて、ちゃんとやらなきゃだめだよ。」私はどうも神経質で、医学的責任感はあるので、というか、融通がきかない、というか、すばやい機転がきかない、というか、「女性は、うしろを向いてもらって背中で聴診してはどうですか。」といったら、「そんな時間ない。」と言った。じっさい、短時間にたいへんな数をこなさなければならず、確かにそんな時間はなかった。しかし胸部聴診といって、腹に聴診器をあてて、きくのも変なものだと思った。それに、かりにも医師が健康診断で、胸部聴診したからって、さわった、スケベだ、なんて女は言うもんだろうか、と思った。今はもう4月の中旬でポカポカあたたかく、うすいブラウスやTシャツの女なら服の上から上肺野をきけばいいや、と思った。薄い服でない人は先生に言われたようにブラジャーの下をササッとやろうと思った。
で、実際、行ったら半分は男でやりやすいが、確かに女はやりにくい。学生の時、県のはずれの村に健康診断の実習に二日、行ったことがあったが、高齢の農作業のおばさんばかりで、また聴診はなかった。だが、考えてみると、過疎化で、村では若者は都会に出て行き、村は高齢者だけ、という日本の実情が、実習の時は実感できていなかった、だけにすぎなかった、ということに気がついた。
だが今回は都会の会社の健康診断である。若いOLがいるのは当然ではないか。マニュアル通り、眼瞼結膜で貧血を見、(これは、採血でRBC、Hbをみりゃ、わかるんじないか、と思った。しかし採血しない人もいたのか、よく知らんが、検診はじめてで、若い女の貧血は、ばかにできん、というバクゼンとした理解はもっていた。)頚リンパ、顎下リンパ、の触知、甲状腺の触知、そして胸部聴診だった。尊敬してた小児科の教授の診察と同じである。おどろいたことに女では甲状腺キノー低下症やバセドー病の治療をうけている人がいて、甲状腺疾患は頻度の低いものではない、ということを知ることができた。そういえば、学生の検診の実習の時も甲状腺疾患の人は数人いた。ただ都会の会社では一日中パソコンの画面をみているので、ほとんど全員、目のつかれ、と、肩こりがひどい、腰痛の項目には自分でチェックしていて、目がつかれない人や、肩こり、に、チェックしてない人の方が少なかった。検診は、かなり、現代人のかかえる体の不調の実態を知れるので勉強になる。新聞を読んでても、頭の理解にすぎず、現場の声をきくことによって、はじめて実感できる。あと、高血圧がかなりいた。上が150をこしてる人がけっこういる。のに自覚症状がないから、(高血圧はサイレントキラー)問診しても、運動はあんまりしないし、食事(塩分)にもあまり気をつかっていない。わらいながら、うす味では、どうも食べられなくて、へへへ、などと言っている。検診のかなめはここらへんだと思った。ここで、びしっと、高血圧の人に、運動、食事、夜更かししない、自覚症状がなくても定期的に健康診断を受け、高血圧に気をつけるよう、言うことだと思った。さもないと、高血圧→糖尿病→動脈硬化→破裂→脳卒中ということになる。
さて、きれいなOLがきた。ので、眼瞼からの診察まではよかったが、ブラウスの上にブレザーをきていたので、ブラウスの上から上肺野を聴診しようと思って、「では、ちょっと胸の音きかせて下さい。」と言ったら、ブレザーのボタンをはずしたのはいいが、ブラウスのボタンも下からはずしだしたので、内心「おわわっ。」と、あせって、「ああっ。そこまではしなくてもいいです。」といったら、ニヤッと笑われ、ベテラン内科医でないことがばれた。内科医なら、男も女も聴診してるから、もう、こだわり、などないのだろうが、精神科二年では、女の胸部聴診は経験がなく、わからない。私は小説家としての自覚と責任感はあっても、内科医としての、その能力はない。しかし、人間として、やっていいことと、いけないことのモラルは人後におちない自信はある。悩ましいOLのブラウスの下なんてものは、写真であれ、ビデオであれ、実体であれ、金を払ってみるべきものであり、金をもらってみるべきものではない。
ちなみに自覚症状の欄、で、「肩こりがひどい」「目がつかれる」の項目には、ほとんどの人がチェックしていて、一日中パソコンの画面をみていると、それも無理はない。だろう。病院リストラされて、コンタクト眼科のバイトもはじめたのだが、コンタクト眼科も深い理論があって実に興味深く、一コトでいうと、角膜は生きて、呼吸している細胞で、コンタクトは、いわばヒフ呼吸をシャダンしてしまう危険性がある。角膜が息苦しい状態なのである。その点メガネは安全である。ので酸素を透過しやすいコンタクトレンズを努力して開発しているのだが、コンタクトである以上、100%安全なコンタクトというのは、ない。コンタクトは手入れが多少メンドーで、手入れしなかったり、また、長く使っていたりすると、よごれてきて、異物がついて、それが抗原になってアレルギー性結膜炎になったりする。そのため、最近は一日使い捨て(ディスポ)や二週間つかいきり、が、主流になってきている。コンタクトの本の中で、瞬目のことがかかれてあったが、涙は角膜をカンソーから守るものであるが、人は一分に何回瞬目するか、意識していない。が、パソコン画面をみている時、人は瞬目回数がぐっと減る。のであるが、そのことは自覚できていない。一日中パソコンと向き合う仕事である以上、目のつかれ、や、肩こり、は、仕事による生理的な疲れである。だからといって、みんな病名をつけて有病者にしてしまっては、これも変である。健康診断というのは、基本的に大多数は健康である、という確認と証明をするものであり、そして、少数の有病者をみつけ出すのが、本来的であり、検診した結果、全員、有病者なんて診断したら、医者の頭を疑われかねない。ので、これには困った。それで「つかれが、翌日までもちこされ、蓄積されていくか。」「整形外科に通院するほどひどい肩こりか。」というように質問し、それにひっかかるほど重症だったら、有病者としようと思った。さもないと全員、有病者になる。有病者の基準を高くすると、さすがにそこまでひっかかる人はぐっと減った。だが、ある人(お客さまセンター)が、ニコニコして、「肩凝りのため整形外科に通院している。つかれが翌日まで持ち越す。」と訴えた。これなら、あてはまると思ったはいいが、精神科という医療の中でも異質的な、専門に、どっぷりつかっていたため、内科は、かなり忘れている。「頸肩腕症候群」と書こうと思ったが、でてこない。しかし、時間をかければ、思い出せる自信もあった。まさか医者にしてこんな基本的な漢字も知らないとあっては、ヤブ医者どころかニセ医者と思われかねない。内心あせりながらも、
「エート。頚肩腕。はっはは。ちょっと、ど忘れしちゃったな。」
といって、カンロクをつくって、時間をかせいでいるうちに思い出そうとしたが、でてこない。むこうも医者に医学用語をおしえることは、はばかられている。しかし、どうしても出てこない。ので、とうとう、相手に、
「頚椎の頚ですよ。」
といわれて、第一語を知れた。第一語がわかれば、連想で全部思い出せると思ったが、第二語も出てこない。
「エーと、けん、は月へんに健康の健だったかなー」
とひとり言のようにいったら、
「肩ですよ。」
といわれ、赤っ恥をかいた。第三語の「わん」もでてこない。
(わん?わん、なんて犬みたいに、どんな字だっけ)
と思っていてたら、
「腕ですよ。」
といわれた。
「はっはは。ど忘れすることもたまにあるんだよなー。」
なんて言ってつくろった。ちなみにこのお客さまセンターの女性は、三浦あや子がいうところの原罪をもっていない人である。






東松山の健康診断
 ある時の健康診断のことをかいておこう。私は朝は弱いが、何ごとにつけ、緊張してしまうため、責任ある大事の前日は、はやく寝て、当日は目ざまし、なし、でも一時間くらい前におきてしまう。が、アパートからだと3時間かかる所だったので、検診場所近くのビジネスホテルにとまった。翌日、検診するところへ行った。スカイラーク、の工場の社員の検診だった。検診の代行をしている人に会った。何才かは、わからないが、会社なら、重役クラスの年齢である。
「近くの病院の、工場の産業医の人もくるから。」
気をぬかないように、というようなことを言った。二日、その工場で、検診した。医師は私だけだったので、当然、責任感がおこった。私のところには、聴診と、かかれた。検診は、かなりの猛スピードで、こなしていかなければならず、成人病は血圧、肥満度、コレステロール価、血糖、尿糖、の有無でスクリーニングできるが、前回(一年前)の検査の時、要注意の人には問診もした。検診は7回くらい、やったので、ある程度自信がついてきた。
この検診の代行をしている人はかなりアカぬけていて、昼食は、工場の社員食堂で、産業医の人二人と食べたのだが、ここはスカイラークの工場なので話が肉の話題になったら、秋葉原の焼肉屋の「万世」の肉の肉質が、どーの、こーの、と、よー知ってて、よーしゃべる。どんな話題になっても、現在の事情通である。私も秋葉原にある、「万世」という焼肉屋は知っていたが、さすがに肉質と流通ルートまでは全然知らない。かえり、は、自動車で川越のビシネスホテルまで、おくるといった。検診にきてたナース二人つれて。キザな外車である。一年で3万(だったか)のって、ミッションオイル、日本のを使ったらあわなくて、こわれて、ミッションとりかえた、とか、タイヤ換えたばかりだから、よく走るんだよねー、とか、高速の料金所で、バイクの後はイヤなんだよね、バイクは金出すのに時間かかるから、とか、高速でブレーキふむなよ、とか、車好き、である。テキパキしてて、カリカリしてて現代っ子、私のような荷風的な気質とは相容れない。私も車ウンテンするのは好きだが、車はファッションとしてではなく、生活の手段として車種を選んだ。事故がおこらぬよう、できたらアルトにしたかった。のだが、当直の仕事で高速とばさねばならなかったので、また、駐車や接触がおこらぬよう小型で車幅がせまいもの、だが、高速も走れる馬力のあるもの、となると、だいたい見当はつかれよう。街でもっとも多くでまわっている車種である。故障してもパーツがすぐ手に入るだろうし、めだたないし。車をファッションにして、でっかい外車、日本のせまいキツキツの道路走るの、私の感覚では閉口である。川越の繁華街の場所、おしえてくれた。たしかにホテルから距離的にはそう遠くない。未知の町は仕事ついでの旅行である。しかし余人は知らず、私は、遊ぶことが人生の第一義と思っている人とは違う。せっかくホテルにとまれるのなら、小説を書こうと思った。ホテルだと静かで、おちついて筆が走るのである。小説家を旅館にカンづめにするのは、あながち、にがさないため、だけではなかろう。旅館の方が、静かで書きやすいのである。しかし、資料を必要とする作品では、資料はどうするんであろうか。旅館にもちこむ、のだろうか。私も、いつか、筆一本で、カンヅメになるような生き方になりたい、ものだ。だが、つい、その日は、川越の繁華街を見てみたいという誘惑に負けて街を見に行った。わりと大きな繁華街だったので、街をみて歩いた。ホテルに帰って机に向かい、小説を書こうと思って筆を握ったが、その日は何も書けなかった。夕食代千円くれたが、懐石されると、領収書もらっても少し困るんだけどねー、などと言ったが、私は、食べることと、しゃべることと、遊ぶこと、が、人生の意味だと思っているお方とは違う。私にとっては、書くこと、創作的なこと、だけが、私の生きがい、である。翌日の検診も問題なく終わった。その翌日も午前中だけの検診があった。予約してくれた東松山のビシネスホテルの地図をわたしてくれたが、「東松山は、やきとり」といったが、たしかに小さい町のわりにはヤキとり屋ばっかりで、いったいどのような歴史で、このようなやき鳥のまちになったのか。戦後からか、江戸時代からか。江戸時代の大名がヤキとりが好きで、ヤキとりを町の産業として推奨したのが発祥の源、ということはまずないだろう。その夕方、ヤキとり屋をみてたら、やきとりが食べたくなって、でも酒はのめない、ので、屋台の焼き鳥を5本かって、コーラをかって、電灯の下で食べた。翌日は、有機溶剤とじん肺の工場の検診だった。有機溶剤中毒は、国家試験の時はオボエたが、さっぱり思い出せない。ので、書店に行って、家庭の医学で調べた。有機溶剤のチェックポイントは肺センイ症と精神症状である。その夜、あしたでもう検診おわり、(しかも午前だけ)だと思うと、気持ちがリラックスして、あるインスピレーションがひらめいて、小説の原案をかいていた。






××宗の女の子
 以前こんなことがあった。今は、そのことを書ける気持ちがあるから書いてみよう。小説にせよ、エッセイにせよ、時間が作品を発酵させてくれるということはあるものだ。私は、医者になる試験のため、ファーストフードショップで勉強していた。血液のところだった。二つはなれた席の女の人が声をかけてきた。
「難しい本を読んでいるんですね。」
離れて、おしゃべりしている人もいた。私はあわてて、本を気まずくカバンにしまった。人に干渉されるのはイヤだった。回りの人も、多少さりげなく、興味をもったが、人間社会のマナーで、直視はしない。普通、見ず知らずの人間にいきなり声をかけるというとは、普通の人はしない。こういう場面はやりにくい。彼女はそこに、自然そうにしている。カバンに本をしまって、なにもしないでいるのも気まずいし、さりとて、あわてて去るのも気まずい。困っていると、彼女は、かるい微笑とともに、
「ごめんなさい。いきなり声をかけちゃって。おどろかしてしまって。難しそうな本を読んでいるので、つい何かな、と思って声をかけてしまいました。」
という。私は、ちょっと彼女の人格というか、性格にギモンをもった。で、興味をもった。ふつう、女は男にきやすく、声などかけない。男が、見ず知らずの女に声をかけることは、あろうが。彼女は、小さなイヤリングは、していたが、比較的じみなファッションである。こってりしたファッションではない。彼女は、とびぬけた美人、という形容詞は、当てはまらないが、少なくとも、間違いなく、きれいな顔立ちだった。ちょっと十%くらい、ボーイッシュな感じも含んでいて、髪型、顔の感じ、は、手塚治虫の、リボンの騎士的なカンジである。毛がちょっと天然パーマでカールしている。私が困っていると、
「ごめんなさい。どうぞ。いいですよ。気にしないで下さい。じゃましちゃってすみません。」
という。気にしないで、といわれて、気にしなくできれば、神経質な人間は苦労しない。同時に私は、別の、ある興味を彼女に対して起こって、私は彼女のとなりに移動して、
「医療関係の人ですか?」
と聞いた。それなら、つじつまが合うからだ。ナースか、検査技士か、医療関係の人なら、血液疾患の勉強も、医師国家試験受験生、ほどではないが、かなり、少なくとも、素人よりは、ずっと勉強しなくては、ならず、同じ方面の勉強をしている同志との親しみの感情がおこって、話しかけてもおかしくはない。それも、最も、見ず知らずの人にいきなり話しかけるのは、不自然だが。私は医学部を卒業したが、友達がいないため、みなが知ってる勉強法を知らなかったため、地獄の国家試験浪人生だった。私は医学知識は膨大にあるのに、医者になれないくやしさ、みじめさ、から、人に話してみせることで自分に自信をもちたかった。それで、当時話題になっていた医療問題を医学的見地から説明した。彼女は、おどろいたことに、医療とは、全く無関係の人だった。話しているうちに、彼女は何かの宗教の熱心な信者であることがわかってきた。だか宗教なら、私だって自信がある。私の宗教視点は、キリスト教が、ベースで、他に仏教諸派、も、少しは読んでいた。内向性、は、哲学や宗教、など、観念的、目に見えないことに関心が向いてしまうのである。キリスト教は十分読んで、ほとんど知っていた。仏教の勉強も本格的にしたかったが、地獄の国家試験受験生にとっては、あけても、くれても、医学、医学、である。いつのまにか、宗教論に話が変わっていたが、私には宗教論を戦わす自信が、あったので、彼女と話していた。いつしか彼女は、自分の宗教の道場に来るよう、強く催促していた。彼女は、宗教者が、そうであるように、自分の宗派こそは絶対というゆるぎない自信をもっていた。もちろん私は哲学者だから、すべてを疑い、いかなるものをも信じきるということができない。私は、宗教者ではなく、無神論者、である。無神論者でありながら、宗教に関心をもっているのは、哲学というナイフで、宗教の原理を解明したい、という欲求が起こるからである。
彼女は、私に、彼女の信じる宗教のご本尊のあるところへ連れて行こうとした。私は、ことわりたかったが、何事においても、ゴーインな勧誘にビシッとことわることができず、つい、彼女についていくことになった。ごみごみこみいった路地を、どこをどう回ったか、覚えてないが、彼女に、ついて行った。途中、ドキンとしたことがあったのだが、それは、ラブホテルのネオンがこうこうと、ともった下を通った。これは、彼女の意図的な、ためし、ではないかとも思った。私もつい、彼女を誘いたい誘惑が起こった。が、ことわられて、軽蔑の目でみられるのがイヤだったので、劣情をガマンした。彼女は、こってりしたファッションではないが、ジーパンがフィットしてて、女としての魅力があった。
「ここです。」
と言って、彼女は、あるビルの2階をさした。入ってしまったら、しつこく、つきまとわれる、と思ったので、ことわろうとしたが、彼女は新聞の押し売りなみにしつこい。何としても××上人の教えに従って折伏しようとする。何が何でも自分の信じる宗教の正当性を主張してやまない。予言があたっただの、何だの。それは、それで正しいことは、みとめます、××上人は、立派な人格者だったんでしょう。尊敬しますが、私には私の考えがありますので、と言っても彼女はガンとして聞かない。ご本尊を毎日、おがみ、経を毎日、繰り返して唱えると、救われる、ありがたい教えなのです。という。自分がいくら価値を認めているからって、自分の価値観こそ、すべて、というのは、どうかと思ったが、そもそも、それが宗教というものでもあろうが。ついに私は、話し途中で、振り切って歩き出した。しかし、彼女はダニのようについてくる。三回ふりきったが、ついてくる。ガンとして私を説き伏せようとする。こんなことなら、関わらなけりゃよかった、と思った。私は、さっきのラブホテルの下を通ったことを思い出して、
「あなた。男はみんなおおかみですよ。私はジェントルマンだからいいですけど。」
といった。彼女は、
「それをきいて、ますます気にいりました。」
なんていう。普通の男なら、彼女をナンパするだろう。わざわざ、自分の方から網にかかってきた獲物を逃がす漁師はいない。なぜ私が、ナンパしないか、というと、私の偏屈なプライドからである。人間なら、当てはまるであろうはずの法則も私にだけは、当てはまらない、という絶対の自信があるからである。人間性に対する強い反発が私にはある。感情の赴くまま、生きている人間は、感情の奴隷であり、感情の赴くままに生きない人間というのが、カント哲学で言う、自由な人間なのである。そして、ストイシズムの代償として、目に見えない硬派の紋章が、燦然と胸に輝くのである。また、宗教者は、真面目で、あり、そこにつけこんではならない、という気持ちもあった。彼女は、私との縁をきりたくないらしく、携帯電話、をカバンから取り出して、彼女の電話番号を、紙に書いて、私のポケットにいれた。携帯電話の電話番号を教えることは、かなり、勇気がいる。彼女もちょっとためらった。電話番号を教えたら、しつこくかけて、つきまとわれる可能性がでてくる。よほど私を人格的に信じてくれた、ようだが、私は、道徳心が、強いわけではなく、人間性にさからっている、ヘンクツな人間であるに過ぎない。私は電話番号の紙を捨ててしまったが、流行歌、に、
「ポケベルが、ならなくて、…。」
というのが、あったが、少しかわいそうなことをしてしまったと思い、一度くらいは電話してあげたほうがよかったと後悔した。






外科医オーベン
 さて、私はあと一週間でリストラされるので、ちょっと、かきたいオーベンがあるので、書いておきたい。三人目のオーベンである。元、外科ということだったが、今は、外科でも専門化が強いので、専門は何なのか、と思っていたが、あまり個人を詮索するのもはばかられ、きかなかったが、会話の中から、どうやら脳外科らしい。二週に一度は、母校の付属病院の脳神経外科で、外来診療しているので、脳外科が専門だと思っていた。だが、婦長さんと話している、ちょっとした会話の中で、どうやら外科は全科をローテイトして、どの科でも出来るらしい。胆石とり、は、何回もやった、とか、整形外科もできて、指がきれた患者が来てもつなげられるし、何回もそれをしてきた、という。指がきれる患者はやはりヤクザが多いとのことだった。そもそも救急科を何年もやっていた、ということだから、救急科は、何がくるか、わからない。逆にいえば何がきてもできなくてはならない。何か万能、ブラックジャック的に思える。又、大は小をかねる。外科は内科もできるが、内科は外科はできない。何年か前に心筋コーソクをおこして、体力に無理をかけられなくなって精神科に転科したという経歴だった。もちろん、精神科指定医の資格(精神科で三年の経験が必要)も、もっているから、まぎれもない精神科医でもある。はじめは、元、外科の先生ときいていたが、どうして精神科に転科したのか、と思っていたが、研修医のブンザイで、さしでがましく聞くのもはばかられたので、きかなかったが、さほど深い理由もなく、体力や何となく、の、なりゆきで、と思っていた。また私は、何となくのなりゆきで人生を生きてきた人を多く見ていた。だが事実はちがった。外科全科ローテイトした、本職は外科医の先生なのであった。なんとなく、などではなく、ベテランの外科医が心筋梗塞にあって、ハードな外科はできなくなって、やむなく、精神科に転科した、というのが実情だった。外科は理論より、長い年月をかけて技術の習得を身につけなくてはならない、という面が強い。また、そうして外科の技術を身につけた先生は、身につけた外科で、腕をふるいたい、という思いが強く、話していて、それが、ひしひしと伝わってきた。心筋梗塞したと聞かされた後で、みれば、たしかに体力のおとろえ、が感じられる。しかし、外科気質、とでもいおうか、注射にしても、IVH、ルンバール、外科的処置の時、きわめて堂々と、というか、全く自然にやって、不安、とか、緊張心が、全然ないのである。どんな事態になっても冷静に対処できる、という感じ。やはり、外科気質だ。外科が神経質だとノイローゼになって、精神がもたない。師は退職したら、精神科ではなく、外科系で開業しようと思うと、少し不安げにつげていた。もちろん技術の不安ではない。今、開業医の経営は、必ずしも順風ではない。場所は、あるそうだが、MRIやエコー、開店資金、看護婦や事務員の人件費、そもそも患者が十分くるか、設備投資の資金が回収できて、十分な黒字経営ができる、という保障はない。カケである。病院勤務をやめて、開業に踏み切った、ある先生がいて、内科、外科を標榜して開業したはいいが、一日20人くらいの風邪患者しかこず、採算がとれず、開業は失敗だった、と、なげいている医者の話もしてくれて、開業して経営が成り立つか、の、不安は、かなりシンコクにもっていた。ちなみにその医院では、一日40人は患者がきてくれないと、経営は成り立たない、ということだった。毎日、朝夕、ニトログリセリンの舌下錠をのんでいて、月一回は母校のジュンカン器科にかかっているという。(この母校の後輩医師はこの万能のベテラン先輩医師をどう診察しているか、想像するとおもしろい。)
この先生は、何といおうか、何でも質問しやすいフンイキで、又、何でも知っていることは、積極的に教えてくれて、とても勉強になった。前のオーベンはやたらギャースカさわいで、医者の能力よりもギャグを言うことに価値をおいていて困った。指導心など全然なく、聞いてもろくすっぽ答えてくれない。思うに、質問に答える、ということは、自分の知っていることも、知らないことも、さらけ出す、という面があり、又、今は医師国家シケンがむつかしく、国試後まもない研修医はベテラン医の知らない知識、もあるということもあり、恥をかくことをいやがる医者は、あまり教えたがらない。なめられてたまるか、という気持ち、だろうが、こっちは、そんなつまらない気持ちはない。又、自分は不十分な知識だから、他の先生に聞いて、と、すりかわす人もいるのだが、こっちが知りたいのは100%あやまりのない知識ではない。こっちは0%なのだから、60%の知識をもっているのなら、その60%を教えてほしい。不正確な60%の知識があることは、0%の知識とくらべてウンデイの差である。こっちがエパミノンダスで吟味能力がなく、言われたことは鵜呑みに信じ、誤った知識をもつ医者になることをおそれているのだろうか。教える、ということは、自分の有知、無知、自分のありのまま、を、さらけ出す、ということであり、勇気のいることである。恥をかきたくない、とか、なめられてたまるか、とかの妄想の鎧をガッチリきてしまっている人につくと、あまり、どころか、全然のびない。私は3月に、4月からのリストラをきかされて、にわかにあせった。療養型の精神科の二年のストレート研修では、全然医師としての基本能力が身についていない。プログラムにあった3ヶ月の内科病院での研修もしてなかった。しかし私は独学タイプであり、定期検査のケンサ価やレントゲン、エコー所見、心電図、CTから、常に内科的勉強につとめていた。また、腱反射、や、胸部聴打診なども当然身につけた。精神科以外のシッカンの薬もかなりおぼえた。私はいきなり、ハードで責任の重い内科ではなく、のんびりできる精神科で、独学で内科を身につけようとの意図もあった。ので、わかるようになると、パッとわかり、内科医からみれば、私の内科能力など、かけら程度だろうが、かけら程度でもゼロではない。リストラされるため、テリトリーの当直病院の当直のバイトもできなくなる。精神科病院での当直バイトは、あきがない。内科当直の求人は、あるが、内科当直は、はたして私にできるものか。医療といっても私は、のんびりした、精神科しか知らない。内科や外科の様子が全然わからない。私は、人と話さないため、ものごとを知らないため、ことさらおそれて、最悪の事態を考えて、しりごみしてしまったり、逆に二年の研修から、どんなことでも何とかなる、おびえすぎる自分はまちがっている、とも気づかされた。ただ何人かのDrに私の今の実力で内科病院の当直ができるか、を聞いたところ、できるんじゃないの、といったDrもいたが、いや、できない、といったDrもいた。それで私は、オーベンの先生が、二週に一度、行っている母校の付属病院の外来診療を見学させて下さい、と言った。そこでDrは脳外科の外来を非常勤でしているのだった。別に脳外科に特に興味があるわけではないが、他に医療関係に関して全くコネがない、からだ。脳外科なら体の病気で、内科の様子がわかる手助け、になると思ったからだ。Drに脳外科は、どんな患者がくるんですか、ときいたら、頭痛がほとんど、と言っていた。たしかに一般の人が頭痛がおこったら、何か頭に重大な病気がおこって、脳外科に行かなきゃ、という心理は、わかる。しかし、脳外科にくる頭痛の多くは、ホームドクターでかかるーべき筋緊張性頭痛ということだった。血管性頭痛やズイマク炎、脳腫瘍の頭痛もないことはないが、頻度は低いとのことだった。そこの病院は、さほどキボは大きくはなく、オペは、母校の近くの大きな付属病院に依頼し、オペ後のフォローや、地域医療としての役割的であり、いわば、つなぎ、のような役割だった。百聞は一見に如かず。ともかく一度、みておきたかった。病院を出て約一時間で、ついた。二時から診療で、病院についたのは、一時半だった。病院近くのラーメン屋で昼食をとった。
最寄の駅について、「郵便局に行くから待ってて。」というので待った。キネン切手を、子供がほしがるもんだからね、といってピッチャーの写真の切手をみせた。「沢村栄治ですね。」というと、「よく知ってるじゃない。」私は野球は全然みていなく、野球事情は知らないが、小学生の時は野球漫画が好きで、召集され、手榴弾キャッチボールしたといわれる沢村栄治は知っていた。今年、二人の子供が、中学と高校を受験した、とのことだった。受験をひかえた家庭というのは、分娩前の妊婦のようで、とても緊張してて、家族もたいへんである。という日本の受験教育の現状がひしひしと伝わってくる。いつか、婦長さんに、自分の子供のことを、「口ばっかりたっしゃで。」と、もらしていた。
今思えば、受験のストレスからだろう。二人とも無事、合格できたようで、その時は本当にうれしそうだった。
ラーメン屋で、塩ラーメンを食べながら、
「使わない家なんかもつもんじゃないよ。固定資産税ばかりかかるだけだよ。」
(別荘、ということか)
「維持費はかかるし、使う人はいないし、買い手もつかないし。」
「バブル以前に買ったんですか?」
「そう。そのとおり。」
二時になって、診療がはじまった。聞いていたのとは大違い。全然、脳外科である。CTを前に患者に脳血管造影の説明をしている。脳動脈瘤ハレツ後の術後の患者が多かった。あと多発性微小脳梗塞。脳血管ジュンカン改善薬をだしている。大正生まれ、が、かなりいた。あと、脳梗塞を悪化、発症させないように食生活指導。精神科とは全然様子がちがう。医者っぽい。一人興味深い患者が、眼科から紹介されて、きた。複視がおこったので、患者は、眼科医へ行ったのだが、眼科医は、これは内頚―後交通動脈の部位にできた動脈瘤が、動眼神経を圧迫しているため、ではないか、と考え、脳外科に紹介したのだ。この部位は動脈瘤ができやすく、複視で眼科をおとずれて、動脈瘤疑い、で、脳外科へ紹介、というパターンはけっこうあるのかもしれない。私が一番知りたいことは、どんなシッカンが頻度が多いのか、ということである。上腕で腱反射を調べ、対光反射、指を追視させ、動眼神経マヒの有無を調べている。脳腫瘍の患者もおり、話をきいてても、これは知らないことばかりであり、奥が深く、興味をそそられ、ハードな研修がいやで、のんびりした療養型精神科単科研修をえらんだことを少し後悔した。

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杜子春 (の二次創作小説)

2020-07-09 13:43:58 | 小説
杜子春

ある春の日暮です。
唐の都の洛陽の門の下に、ぼんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました。
若者は杜子春といって、元は金持の息子でしたが、今は財産を費つかい尽して、今日、泊まる所もなくて、どうしようかと困って立っていました。
すると、突然、彼の前へ一人の老人が現れました。
「お前は何を考えているのだ」
と、老人は杜子春に声をかけました。
「私は今夜寝る所もないので、どうしようかと考えているのです」
杜子春は正直に答えました。
「そうか。それは可哀そうだな」
老人は往来にさしている夕日の光を指さしました。
「ではおれが好いいことを教えてやろう。今この夕日の中に立って、お前の影が地に映ったら、その頭に当る所を夜中に掘って見るが好い。そこに車にいっぱいの黄金が埋っているぞ」
そう言って老人は去って行きました。

     △

 杜子春は翌日から、洛陽の都で一番の大金持ちになりました。あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位の黄金が一山出て来たのです。
大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買いました。そして途方もない贅沢な暮らしを始めました。
すると、その噂を聞いて、多くの人達が杜子春の家にやって来ました。杜子春は客たちを相手に、毎日酒盛りを開きました。
しかしいくら大金持でも、金には際限がありますから、さすがに贅沢家の杜子春も、だんだん貧乏になり出しました。
そして、ついに杜子春は、一文無しになってしまいました。杜子春の家に遊びに来ていた人達の家に行っても、みな、冷たくて、泊めてくれる人は一人もいません。
そこで、仕方なく、杜子春は、また、あの洛陽の門の下へ行って、ぼんやり空を眺めながら、途方に暮れて立っていました。すると、前回の謎の老人が、どこからか姿を現して、
「お前は何を考えているのだ」
と、声をかけました。
「私は今夜寝る所もないので、どうしたものかと考えているのです」
と、杜子春は答えました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いいことを一つ教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その胸に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車にいっぱいの黄金が埋まっている筈だから」
老人はこう言って去って行きました。
杜子春はその翌日から、また洛陽の都で一番の大金持ちに返りました。老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそっと掘って見たら、大きな車にも余る位の黄金が一山出て来たからです。
大金持になった杜子春は、また、すぐに立派な家を買い、そして、また、贅沢な暮らしを始めました。しかし金には際限がありますから、杜子春は、また、だんだん貧乏になり、また、ついに一文無しになってしまいました。

     △

杜子春は、また洛陽の門の下に行きました。すると、また、以前と同じ謎の老人が、現れました。
「お前は何を考えているのだ」
老人は、杜子春に聞きました。
「私ですか。私は今夜寝る所もないので、どうしようかと思っているのです」
杜子春は、そう答えました。
「そうか。それは可哀そうだな。ではおれが好いことを教えてやろう。今この夕日の中へ立って、お前の影が地に映ったら、その腹に当る所を、夜中に掘って見るが好い。きっと車に一ぱいの・・・」
老人がここまで言いかけると、杜子春は急に手を挙げて、その言葉を遮りました。
「いや、お金はもういらないのです」
「金はもういらない? ははあ、では贅沢をするにはとうとう飽きてしまったと見えるな」
老人は審しそうな眼つきで、じっと杜子春の顔を見つめました。
「いえ、贅沢に飽きたのじゃありません。人間というものに愛想がつきたのです」
杜子春は不平そうな顔をしながら、突慳貪にこう言いました。
「どうして又人間に愛想が尽きたのだ?」
「人間は皆薄情です。私が大金持になった時には、世辞も追従もしますけれど、一旦貧乏になると、無視して相手にしてくれません。そんなことを考えると、たとえもう一度大金持になったところが、何にもならないような気がするのです」
老人は杜子春の言葉を聞くと、急ににやにや笑い出しました。
「そうか。お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ。ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか?」
杜子春はちょっとためらいました。が、すぐに思い切った眼を挙げると、訴えるように老人の顔を見ながら、
「そういう気にもなれません。あなたは仙人でしょう。仙人でなければ、一夜の内に私を天下第一の大金持にすることなど出来ない筈です。私は仙人になりたいと思います。先生。どうか私に仙術を教えて下さい」
老人は眉をひそめたまま、暫くは黙って、何事か考えているようでしたが、やがて又にっこり笑いながら、
「いかにもおれは峨眉山に棲すんでいる、鉄冠子という仙人だ。始めお前の顔を見た時、どこか物わかりが好さそうだったから、二度まで大金持にしてやったのだが、それ程仙人になりたければ、おれの弟子にしてやろう」
と、快く杜子春の願いを受け入れてくれました。
「ありがとうございます」
杜子春は大喜びして、大地に額をつけて、何度も鉄冠子に御時宜をしました。
「よし。では、これから仙人になる修行として、峨眉山へ行くぞ。そこでお前は仙人になるための修行をするのだ」
鉄冠子はそこにあった青竹を一本拾い上げると、口の中うちに咒文を唱えながら、杜子春といっしょにその竹へ、馬にでも乗るように跨がりました。すると不思議なことに、二人の乗った竹杖は、勢いよく大空へ舞い上って、春の夕空を峨眉山の方角へ飛んで行きました。

     △

二人を乗せた青竹は、間もなく峨眉山へ舞い下がりました。
そこは深い谷に臨んだ、幅の広い一枚岩の上でした。
二人がこの岩の上に着陸すると、鉄冠子は杜子春を絶壁の下に坐らせました。
「おれはこれから天上へ行って、西王母という女仙人に会って来るから、お前はその間ここに坐って、おれの帰るのを待っていろ。おれがいなくなると、いろいろな魔物が現れるだろうが、決して声を出すな。もし一言でも口を利いたら、お前は仙人にはなれないぞ」
と言いました。
「わかりました。決して声を出しません。命がなくなっても、黙っています」
「そうか。それを聞いて、おれも安心した。ではおれは行って来るから」
老人は杜子春に別れを告げると、又あの竹杖に跨って、天空へ飛んでいきました。
杜子春は黙って岩の上に坐っていました。するとかれこれ半時ばかり経った頃、凛々と眼を光らせた虎と、四斗樽程の大蛇が現れました。
しかし杜子春は平然と、眉毛も動かさずに坐っていました。
虎と蛇とは、一つ餌食を狙ねらって、互に隙でも窺うのか、暫くは睨合いの体でしたが、やがて、一時に杜子春に飛びかかりました。が虎の牙に噛かまれるか、蛇の舌に呑のまれるか、と思った時、虎と蛇とは、パッと霧の如く、消え失うせてしまいました。
「なるほど、今のは幻覚だったのだな」
と杜子春はほっと一息しながら、今度はどんなことが起るかと、待っていました。
すると今度は。一陣の風が吹き起って、黒雲が一面にあたりをとざすや否や、金の鎧を着た、身の丈三丈もあろうという、厳かな神将が現れました。神将は手に三叉の戟を持っていましたが、いきなりその戟の切先を杜子春の胸もとへ向けました。
「こら、お前は一体、何者だ。この峨眉山は、おれが住居をしている所だぞ。それも憚らず、なぜ、ここにいるんだ。理由を言え。言わぬと殺すぞ」
と怒鳴りつけました。
しかし杜子春は鉄冠子の言葉通り、黙っていました。
神将は彼が答えないのを見ると、怒り狂いました。
「この剛情者め。では約束通り殺してやる」
神将はこう喚わめくが早いか、三叉の戟で一突きに杜子春を突き殺しました。

     △

 杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、静かに体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。
「こら、お前は何の為ために、峨眉山の上へ坐っていた?」
地獄の閻魔王様が杜子春に聞きました。
杜子春は早速その問に答えようとしましたが、「決して口を利くな」という鉄冠子の戒めの言葉を思い出して、唖のように黙っていました。すると閻魔大王は、顔中の鬚を逆立てながら、
「お前はここをどこだと思う? 速やかに返答をすれば好し、さもなければ、地獄の呵責に遇わせるぞ」
と、威丈高に罵りました。
が、杜子春は相変らず唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、すぐに鬼どもの方を向いて、
「こやつを徹底的に責めろ。責めて責めて責め抜け」
と怒り狂って叫びました。
 鬼どもは、杜子春を剣の山や血の池に放り込んだり、焦熱地獄や極寒地獄に入れたりなどと、ありとあらゆる方法で責め抜きました。しかし杜子春は我慢強く、じっと歯を食いしばったまま、一言も口を利きませんでした。
これにはさすがの鬼どもも、呆れ返ってしまいました。
鬼ともは、杜子春を閻魔大王のもとに連れて行きました。そして、
「この者はどうしても、ものを言う気色がございません」
と、口を揃えて言上しました。
閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、やがて何か思いついたと見えて、
「この男の父母は、畜生道に落ちている筈だから、早速ここへ連れて来い」
と、一匹の鬼に言いつけました。
鬼はすぐに、二匹の痩せた馬を連れて来ました。その馬を見た杜子春は、驚いたの驚かないのではありません。なぜなら、それは二匹とも、形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、死んだ父母だったからです。
「こら、お前は何のために、峨眉山の上に坐っていたのだ。白状しなければ、今度は、お前の父母に痛い思いをさせてやるぞ」
杜子春はこう嚇されても、やはり返答をせずにいました。
「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いいと思っているのだな」
閻魔大王は凄まじい声で喚きました。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」
閻魔大王は、そう鬼どもに命じました。
鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。馬は、――畜生になった父母は、苦しそうに身を悶えて、眼には血の涙を浮べたまま、見てもいられない程嘶き立てました。
「どうだ。まだお前は白状しないか」
閻魔大王は、もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに倒れ伏していたのです。
杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、緊く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、殆ど声とはいえない位、かすかな声が伝わって来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰ても、言いたくないことは黙っておいで」
それは確かに懐しい、母親の声に違いありませんでした。杜子春は思わず、眼をあけました。そうして馬の一匹が、力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さえも見せないのです。

     二(ここより創作)

杜子春は、一瞬、仙人の戒めを忘れて、「おっ母さん」と叫んで、飛び出して母親である半死の馬を抱きしめたくなりました。しかし、やはり考え直して、ぐっと堪えて、目をつぶって手で着物をギュッと握り締めながら、仙人の戒め通り、黙っていました。
「この親不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いいと思っているのだな」
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」
という怒り狂った閻魔大王の声。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰ても、言いたくないことは黙っておいで」
という母親の声。
そして、ビシーン。ビシーンという鬼どもの振るう、鉄の鞭の音。
それらが目をつぶっていても、杜子春の耳に聞こえてきます。しかし、杜子春が黙っていると、その鞭の音や、叫び声は、だんだん小さくなっていきました。そして、ついには何も物音が聞こえなくなりました。
「もう、お前を試す試練は終わりだ。もう、喋ってもいいぞ」
仙人の声が聞こえました。杜子春は、恐る恐る、ゆっくり目を開けました。目の前には仙人、鉄冠子がいます。あたりを見ると。気づくと、杜子春は、峨眉山の岩の上に座っていました。
杜子春は、ほっとして、
「はあ。疲れた」
と、溜め息をつきました。
仙人は、訝しそうな目で杜子春をじっと見ています。
杜子春は、すぐに、キッと仙人に鋭い目を向けました。
「さあ。約束です。私は黙り通しました。私を仙人にして下さい」
杜子春は強気の口調で仙人に迫りました。
仙人は不思議なものを見るような顔で杜子春を見つめました。
「お前は、自分の父母が、責め苛まれても何とも、思わないのか?お前は、それでも人間の心というものが、あるのか?」
仙人は、威嚇的な口調で杜子春に聞きました。
杜子春は、ニヤッと笑いました。
「な、なんだ。その不敵な笑いは?」
仙人は、少したじろいで、一歩、後ずさりしました。
「あれは、峨眉山での、私への責めと同様、幻覚だと確信していましたから」
杜子春は、勝ち誇ったように言いました。
「どうして、そう思ったのだ?」
仙人は首を傾げて杜子春に聞きました。
「私の父母が地獄に落ちるはずがありません」
杜子春はキッパリと言いました。
「どうしてそう思ったのだ?」
仙人は聞きました。
杜子春は、自信に満ちた口調で仙人に諭すように言いました。
「いいですか。鬼どもに鉄の鞭で打たれながら『心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰おっしゃっても、言いたくないことは黙って御出おいで』などと言うような神にも近い心の優しい人間が地獄に落ちるはずが、ないではありませんか」
杜子春は自信に満ちた口調で言いました。
仙人は、苦し紛れの表情で黙っていました。
杜子春は、さらに続けて言いました。
「私は仏教の輪廻転生のことは、よくわかりません。しかしですよ。かりに、生きている時に、悪い事をして、地獄に落ちたとしてでもですよ。ああまで反省して、心を入れ替えた人間を永遠に責めつづけるというのは・・・物の道理から考えて・・・いくらなんでも酷すぎるのではありませんか」
杜子春は、自信に満ちた口調で言いました。
仙人は、眉間に皺を寄せて、困惑した顔つきになりましたが、すぐに何かを思い立ったらしく、刺すような鋭い眼光で、杜子春をにらみつけ、懐から短剣を取り出して、杜子春の頭上に振り上げました。その時。
「待って下さい」
そう杜子春は、落ち着きはらった顔で仙人を制しました。
「あなたは、私を殺すつもりでしょう」
杜子春は、仙人をじっと見つめて言いました。
「そうだ。自分の父母が苦しんでいても、自分さえ都合が好ければ、好いと思っているような、そんな薄情で冷血でエゴイストな人間は、生きている資格などないわ」
そう言って、仙人は、再び、短剣を杜子春の頭上に振り上げました。
「待って下さい」
と、再び杜子春は、また仙人を制しました。
「確かに、父母が苦しんでいても、自分さえ都合が好ければ、好いと思っているような、そんな薄情で冷血でエゴイストな人間は、あなたが言うように生きている資格などないかもしれません。しかしですよ。私は、そんな薄情な人間では、ありませんよ」
杜子春は、キッパリと言い切りました。
「ふん。口先でなら、どんなウソでも言えるわ」
仙人は、不快そうに顔を歪めて、言いました。
そして、また短剣を杜子春の頭上に振り上げました。
「待って下さい」
杜子春は、またしても仙人を制しました。
「あなたは頭が悪い。私はそんな薄情な人間ではありません。確かに、本当に、私の母が、鬼どもに責められているのを見たら、私は、涙を流して、おっ母さん、と叫んだでしょう。しかしですよ。私は、あれは、絶対、幻覚だと、確信していたから、黙っていたのです。私がそう確信した理由は、今、言ったばかりではありませんか」
仙人は黙ってしまいました。
杜子春は、仙人に詰め寄りました。
「それにですよ。あなたは仙人であって、神ではない。仙人というのは、修行によって妖術を使えるようになった超能力者です。しかし超能力者である仙人は、人間の善行悪行から、人間を裁く権限まで持っている者なのですか。人間の善悪から、人間を裁く権限まで持っているのは、神、つまり、お釈迦様、だけにしか、ないのではないですか。あなたのしようとしている行為は、まさに越権行為です」
仙人は、言い返せず、黙ってしまいました。
「さあ。約束です。私を、仙人にして下さい」
杜子春は、強気に仙人に詰め寄りました。
「わかった。私の負けだ。この杖をやろう。この杖は仙人の杖だ。これがあれば、何でも出来る」
そう言って仙人は、杜子春に、杖を差し出しました。
「では、お言葉にあまえて、頂戴させていただきます」
そう言って杜子春は嬉しそうに、仙人から杖を受けとりました。
「それで、お前は、これからどう生きていくつもりだ」
仙人は目を細めて訝しそうに聞きました。
「そうですね。さてと、どう生きて行こうかな」
杜子春は目を虚空に向けて、独り言のように呟きました。
「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住んでみてはどうか。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」
仙人は、パンと手を打って嬉しそうに、そんな提案をしました。
「では、その泰山の南の麓の一軒の家を、頂きましょう」
杜子春は、嬉しそうに言いました。
「おお。お前は、そこで、貧しくても、人間らしい、正直な暮らしをするつもりなのだな」
仙人は嬉しそうに言いました。
「いえ。家ももらいますが、仙術も使わせてもらいますよ」
杜子春は、当然の権利と言わんばかりに、堂々と言いました。
「おまえは一体、仙術を使って、何をするつもりなのだ?」
仙人は拍子抜けした顔になって、訝しそうな目つきで杜子春を見つめました。
「それは、もちろん。そうですね。まず、透明人間になって、女の裸を見ます。それと、もちろん、また贅沢な生活もさせていただきますよ」
杜子春は、何憚ることなく堂々と言いました。
「あまり悪い事はやらないでくれよ」
仙人は寂しそうに言いました。
そうして青竹に跨って、空へと浮上し、峨眉山から去っていきました。

   △

仙人になった杜子春は、さあて、まずは何をしようかな、と、しばし考えを巡らしました。これから杜子春は、妖術を使って何でも出来るのです。
「よし。まず手始めに、京子と愛子の家に行ってみよう」
そう杜子春は決めました。京子と愛子は、杜子春が大金持ちだった時、毎日、杜子春の家に遊びに来ていた双子の姉妹です。京子と愛子は、親が事業に失敗して、多額の借金を残し、家も土地も失って、もはや売春婦になるしかなくなって辛い日々を過ごしている、という身の上を杜子春に泣きながら、縷々と語りました。杜子春は、二人に同情し、二人に多額の金をあげました。それが、杜子春が、大金を早く使い果たしてしまった理由の一つでもあるのです。京子と愛子は、今、どうしているだろう、と杜子春は思って、魔法の杖を跨ぐと、勢いよく大空へ舞い上って、一途、京子と愛子の家に飛んでいきました。

   △

ようやく京子と愛子の家を見つけた杜子春は、ゆっくりと高度を下げていき、二人の家の前に着地しました。杜子春は、驚きました。京子と愛子の家は、乞食の住むような藁葺きのオンボロ家だったのですが、なんと、身分の高い貴族が住むかと思うほど立派な家に改修されていたからです。窓から家の中を覗くと、京子と愛子が、ソファーにもたれて、極上のワインを飲んでいました。二人が愉快そうに、話し合っているので、杜子春は、二人の会話に聞き耳を立てました。

「お姉さま。よかったわね。大金持ちになれて」
妹の愛子が真珠のネックレスを触りながら言いました。
「これも全て杜子春のバカのおかげだわ」
姉の京子が、指にはめている18カラットのダイヤの指輪をしげしげと見つめながら言いました。
「ふふ。これで、もう私達、一生、遊んで暮らせるわね」
妹の愛子がワイングラスにブランデーを注ぎながら言いました。
「私達、本当は、多額の借金なんてないし、売春婦でもなく、貧しい花屋で、貧乏だけど、何とか生活は出来ていたのにね。ホロリと涙を流して杜子春に、ウソの悲惨な身の上話を、語ったら、私たちの話を本当に信じて、大金をくれちゃったんだからね」
妹の愛子がブランデーを飲みながら言いました。
「男なんて、みんなバカなのよ」
姉の京子もブランデーを飲みながら言いました。
「杜子春のバカ。今頃、どうしてるかしら?」
「さあね。もう、とっくに野垂れ死にしてるんじゃないかしら」
二人は、顔を見合わせて、ふふふ、と笑い合いました。
これを聞いた杜子春が怒ったの怒らないのではありません。
(そういうことだったのか。よくも。よくも。これは絶対、許さんぞ)
そう心に中で呟いて、杜子春は、力強く拳をギュッと握り締めました。杜子春は、
「地震よ。起これ」
と呪文を唱えて仙人の杖を一振りしました。
すると、どうでしょう。姉妹の家が、急にガタガタと、揺れ始めました。揺れは、どんどん激しくなって、壁に掛かっていた絵画や、家具が倒れていきました。
「きゃー。お姉さま。地震だわ。怖いわ」
「愛子。落ち着いて。テーブルの下に隠れましょう」
二人は、大理石のテーブルの下に身を潜めました。
「こ、怖いわ」
「早く、おさまって」
二人は、手をギュッと握りあって、地震がおさまるのを待ちました。すると、揺れは、だんだん、小さくなっていきました。そして、ついに、揺れは、なくなりました。二人は、そっとテーブルの下から出て来ました。
「はー。よかったわね」
「久々の地震だったわね」
「でも、まだ安心しちゃダメよ。余震が来るかもしれないから」
「そうね」
そう言いながら、二人は、身を寄せ合って、ソファーに座りました。
しかし二人が安心したのも束の間でした。突然、
「ふっ、ふっ、ふっ、ふっ、ふっ」
と不気味な笑い声が、家の中に、轟きました。
「お、お姉さま。怖いわ。一体、何なの。この薄気味悪い声は?」
「わ、わからないわ。家の外に誰かいるのかしら?」
「でも、何だか、家の外から、というより、声は家の中から、起こっているみたいに感じるわ」
その時です。二人は同時に、あっ、と驚愕の声を出しました。なぜなら、二人の目の前に杜子春が立っていたからです。
「あっ。あなたは杜子春じゃない」
「まだ生きていたの?」
「一文無しになって、私たちに、たかりに来たの?お金のない、あなたなんかを泊める気なんて毛頭ないわよ」
「さあ。出てって」
二人は杜子春に向かって突慳貪に言いました。
「お前たち、よくも、ウソをついてオレをだましてくれたな。お前たちが、そういう性悪なヤツラだとは、知らなかったぜ」
そう言って杜子春は悠然と椅子に座って膝組みしました。
「ゴチャゴチャうるさいわよ」
姉が言いました。
「だまされる方がバカなのよ」
妹が言いました。
「住居不法侵入で警察に通報するわよ」
二人は矢継ぎ早に杜子春に罵倒の言葉を浴びせました。
「ふふふ。オレはな。厳しい修行をして、仙人になったのさ。仙人だから、妖術を身につけているから、何でも出来るのさ。今の地震もオレが起こしたのさ」
杜子春は、ふてぶてしい口調で言いました。
「ま、まさか、そんなバカげた非科学的なことが出来るはずはないわ」
姉の京子が言いました。
「何、寝ぼけたこと言っているのよ。とっとと、早く出て行きなさい」
妹の愛子が言いました。
しかし杜子春は、ニヤニヤ笑ったままです。
「ともかく、早く出て行きなさい」
そう言って、姉の京子は、テーブルに乗っていたフォークを、つかむと、杜子春に向かって投げつけました。しかし、杜子春が、えいっ、と魔法の杖を一振りすると、フォークは、パッと消えて無くなってしまいました。
「ま、まさか・・・」
二人は、恐怖に駆られたように手当たり次第に、杜子春に向かって皿や茶碗やコップなどテーブルの上の物を投げつけました。しかし、物は、杜子春の体に当たる前に、パッと消えて無くなってしまいます。
「どうだ。これでオレの言ってることが本当だとわかっただろ」
杜子春は横柄な口調で二人に言いました。
「ウソよ。これは、何かのまやかしよ」
二人は、まだ信じることが出来ない、という様子でした。
「よし。じゃあ、いい物を出してやる」
そう言って杜子春は、
「虎よ。出でよ」
と叫んで魔法の杖を一振りしました。すると、どうでしょう。突然、大きな虎が二匹、部屋の中に現れました。
「きゃー」
「ひいー」
二人は、咄嗟に悲鳴を上げました。二匹の虎は凛々と眼を光らせて、京子と愛子の様子を窺うかのように、部屋の中を、のそりのそりと徘徊していましたが、突然、ガーと大きな猛り声をあげて、大きな口を開けて、一匹は姉の京子に向かって、もう一匹は妹の愛子に向かって飛びかかりました。
「きゃー」
「ひいー」
京子と愛子が大きな悲鳴をあげました。虎の牙に噛かまれるか、と思うほど姉妹の顔の直前に、来た時に、パッと二匹の虎は、霧の如く消え失せてしまいました。
「どうだ。これでオレの仙術が本物であることが、わかっただろう」
杜子春は、勝ち誇ったように言いました。
しかし、まだ二人は信じられない、のか、恐怖のあまり、腰を抜かして口が利けないのか、黙っています。
「仕方がないな。それでは、もう一度」
と言って、杜子春は、魔法の杖を、えいっ、と一振りしました。すると、突然、四斗樽程の大きな蛇が二匹、部屋の中にパッと現れました。
「きゃー」
「ひいー」
二人の姉妹は、またも、大きな悲鳴をあげました。
二匹の蛇は、とぐろを巻いて、気味の悪い赤い舌をシューシュー出しています。
二人は、恐怖に凍った顔を見合わせるや否や、脱兎のごとく咄嗟に部屋から逃げ出そうとしました。
「おっと。そうはいかないぜ」
杜子春は、魔法の杖を姉の姉妹に向けて、
「不動。金縛りの術」
と叫んで、えいっ、と一振りしました。すると、どうでしょう。二人の体は石膏のごとく、ピタリと動かなくなってしまいました。指先から、足先まで、まるで彫刻のように微動だにしません。
「お、お姉さま。か、体が動かないわ」
「私もよ。愛子」
とぐろを巻いていた二匹の蛇は、気味の悪い赤い舌をシューシュー出しながら、二手に分かれて、一匹は姉の京子の方に、もう一匹は妹の愛子の方に向かって、ゆっくりと動き出しました。
「きゃー。いやー。来ないでー」
二人は、絹を裂くような悲鳴をあげました。
杜子春は、ニヤニヤ笑いながら、
「ふふふ。服がちょっと邪魔だな」
とふてぶてしい口調で言って、仙人の杖を、えいっ、と一喝して、一振りしました。すると、どうでしょう。箪笥の上に乗っていた、鋏が、スーと宙に浮きました。そして、空中を飛行して、京子のチャイナ・ドレスをジョキジョキと切り出しました。
「いやー」
京子が叫びましたが、鋏は聞く耳をもたない生き物の如く、京子の薔薇の模様の入った美しいチャイナ・ドレスを切っていきました。
とうとう、京子のチャイナ・ドレスがパサリと床に落ちました。京子は、パンティーとブラジャーだけ、という姿になりました。京子の豊満な胸と尻が、下着には覆われていますが、その輪郭がはっきりと露わになりました。
「ふふふ。素晴らしいプロポーションだな。さすが、オレがやった金で、贅沢三昧に美味い物を食ってきたからな」
杜子春は、そんなことを嘯きました。
鋏は、次に、妹の愛子の方へ飛行していって愛子のチャイナ・ドレスをジョキジョキと切り出しました。
「いやー」
愛子も、悲鳴をあげましたが、鋏は容赦なく、愛子のチャイナ・ドレスをも切り落としてしまいました。愛子のプロポーションも姉の京子に勝るとも劣りませんでした。
こうして、二人の姉妹は、パンティーとブラジャーだけ、という姿で、彫刻のように並びました。
二匹の蛇は、薄気味の悪い赤い舌をシューシュー出しながら、姉妹の方に方へ、どんどん近づいていきます。一匹の蛇は姉の京子の方へ向かって、そして、もう一匹の蛇は妹の愛子の方へと。
「いやー。来ないで―」
京子と愛子は、全身に鳥肌を立てながら叫びましたが、二匹の蛇は、頓着する様子もなく、とうとう、それぞれ二人の足に触れんばかりの間近までやって来ました。
「いやー」
京子と愛子は、天地が裂けんばかりの悲鳴をあげました。しかし蛇は、京子と愛子の恐怖などは余所に、京子と愛子の足に向かって、赤い舌をシューシュー出して、二人の形のいい足を舐め出しました。
「きゃー」
「ひいー」
二人は一際、激しい叫び声をあげました。
杜子春は、椅子に膝組みしながら、面白い見物を見るように、二人の姉妹を見ながら冷笑しました。
「ふふふ。どうだ。これで、オレが仙人で、仙術を使えるということが、わかったかな?」
自分たちの体を動けなくしたり、恐ろしい虎を出してみたり、鋏を動かしてみたり、恐ろしい蛇を出してみたり、と、ここまで、摩訶不思議な現象の連続に、姉妹はとうとう、杜子春が仙人になったことを確信したのでしょう。
「はい。とくとわかりました」
二人は顔を見合わせて、恭しい口調で言いました。
蛇は、相変わらず、京子と愛子の足にシューシューと薄気味の悪い赤い舌を出して京子と愛子の足を舐めています。
「杜子春さまー。お許し下さいー」
「私たちが悪うございましたー。ごめんなさいー」
姉妹は悲鳴を張りあげました。
しかし杜子春は相手にしません。煙草をとりだして、ふー、と一服して、煙の輪をホッと吹き出しました。
蛇は、女の柔肌の温もりが気にいったのか、木に登るように、京子と愛子のスラリとした脚に巻きつきながら、よじ登り出しました。
蛇は、スラリとした形のいい姉妹の足から、尻へ、そして腹へと、どんどん這い上って行きました。そして、ついに気味の悪い赤い舌をチョロチョロ出しながら、二人の姉妹の体を這い回りました。しかし、爬虫類、特に蛇嫌いの京子と愛子にとっては、たまったものではありません。
「ひー。杜子春さまー。お許し下さいー」
「へ、蛇を・・・離して・・・ください」
と京子と愛子はプルプルと体を震わせながら叫び続けました。
「ふふふ。ごめんで済んだら、世の中、警察いらないぜ」
杜子春は、煙草を燻らせながら、突き放すように言いました。
赤い舌を出して、京子と愛子の体に巻きついていた二匹の蛇は、今度は、とうとう京子と愛子の顔にまで巻きつき出しました。
「ひいー。杜子春さまー。お許し下さいー」
二人の姉妹は叫び続けました。二人の姉妹は恐怖のあまり、失禁していました。
「ふふふ。蛇を体から離してやってもいいぜ」
杜子春は思わせぶりな口調で、そう言いました。
「お願いです。離して下さい」
「ただし条件があるぞ」
「何でしょうか。何でも、お聞きします」
「お前ら。二人でレズショーをするんだ。そうするんなら、蛇を体から離してやるぜ」
「は、はい。します。します」
狂せんばかりの、この蛇の、ぬめり這い回りには、他に選択を考える余地など、あろうはずがありません。実際、二人は、発狂寸前でした。
「よし。その言葉を忘れるなよ」
そう念を押すや、杜子春は、魔法の杖を、姉妹に向けて、
「蛇よ。降りろ」
と一喝しました。すると、どうでしょう。京子と愛子の体に巻きついていた二匹の蛇は、飼い主の命令に従う忠実な犬のように、スルスルと、それぞれ京子と愛子の体から、床に降りて行きました。そして、椅子に座っている杜子春の所へ這って行って、一匹は杜子春の右に、そして、もう一匹は杜子春の左に行き、とぐろを巻いておとなしそうな様子になりました。まるで蛇は杜子春の忠実な家来のようです。杜子春は、二匹の蛇の頭を優しそうに撫でました。
おとなしく杜子春の横でとぐろを巻いている二匹の蛇を見て、京子と愛子は、ほっと一息つきました。
「杜子春さま。お慈悲を有難うございました」
姉妹は、恭しい口調で言いました。
しかし、まだ二人の体は、凍りついたように、固まっています。
「よし。体も自由にしてやろう」
杜子春はそう言って、魔法の杖を姉妹に向け、
「金縛り、解けよ」
と一喝しました。
すると、どうでしょう。石膏のように固まっていた二人の体は、急に柔らかくなりました。
二人は、立ち続けていた疲労と、蛇の恐怖から、解放されて、クナクナと床に座り込んでしまいました。しかし二人の姉妹は、すぐに杜子春の方に向いて正座し、頭を床に擦りつけました。
「杜子春さま。お慈悲を有難うございます」
と、頭を床に擦りつけて、恭しい口調で言いました。杜子春は、さも満足げな顔で、大王のように、悠然と足組みして椅子に座っています。実際、二人にとって、杜子春は絶対服従すべき大王の立場です。なぜかといって、二人の生殺与奪の権利は杜子春の胸先三寸にあるのですから。
「さあ。約束は守れよ。二人でレズショーをしろ」
杜子春は、両側にいる二匹の蛇の頭を優しそうに撫でながら、大王のように居丈高に命じました。
京子と愛子の二人は、恥ずかしそうに顔を見合わせました。が二人とも言葉がありませんでした。
「さあ。二人とも。早く、ブラジャーとパンティーを脱いで、一糸まとわぬ丸裸になれ」
杜子春が厳しい口調で二人に命じました。
「ぬ、脱ぎましょう。愛子」
「え、ええ」
二人は、命じられるまま、恐る恐る、震える手で、ブラジャーを外し、パンティーを脱ぎました。姉妹は一糸まとわぬ丸裸になりました。二人は、恥ずかしそうに、胸と股間を手で覆いました。
「ほう。二人とも、抜群のプロポーションじゃないか」
杜子春は、感心したように言いました。
「さあ。二人でレズショーをするんだ」
杜子春は、豹変したように厳しい口調で二人に命じました。
「あ、あの。杜子春さま」
京子が声を震わせて言いました。
「何だ?」
杜子春は、両横に控えている二匹の蛇の頭を撫でながら、突慳貪な口調で聞き返しました。
「あ、あの。その二匹の蛇を、杜子春さまの魔術で消して頂けないでしょうか?」
京子が、おどおどした口調で哀願しました。
「どうしてだ?」
杜子春が乱暴な口調で聞き返しました。
「蛇がいると、襲ってきそうで怖いんです」
京子が言いました。
「駄目だ。お前たちのレズショーが少しでも手を抜いているとわかったら、すぐさま、この蛇を、お前たちに襲いかからせるんだ。そのために、こいつらは消さない」
杜子春は、京子の哀願を無下に断りました。
京子は、ガックリと項垂れた。
「あ、あの。杜子春さま」
京子が、また、か細い声で杜子春に聞いた。
「何だ?」
杜子春が聞き返した。
「あ、あの。何をすれば、いいのでしょうか?」
京子は、声を震わせて聞きました。
「お前はレズショーも知らないのか。そんなこと聞かなくてもわかるだろう。まず、二人とも立ち上がって、向き合って抱きしめ合うんだ」
杜子春は、怒鳴りつけるように荒々しく言いました。
京子と愛子の二人は、そっと立ち上がった。そして向き合いました。
二人の目と目が合うと、弾かれるように、二人は目をそらしましたが、二人とも顔は激しく紅潮していました。
「あ、愛子。こ、これは悪い夢だと思って我慢しましょう」
京子が声を震わせて言いました。
「は、はい。お姉さま」
愛子も声を震わせて言いました。

   △

二人は、お互い、相手に向かって歩み寄っていきました。柔らかい女の肉と肉が触れ合いました。二人は、お互いに両手を相手の背中に、そっと回しました。二つの柔らかい肉と肉がピッタリとくっつきました。二人は、お互いを、黙って、じっと抱きしめ合いました。そうすることによって、近親相姦レズなどという、おぞましい行為から逃げるように。
しばしの時間が経ちました。
「おい。抱き合っているだけではレズショーじゃないだろう。キスするんだ」
杜子春が、苛立たしげな口調で言いました。
「さ、さあ。愛子。キスしましょう」
「で、でも。お姉さま」
「愛子。わがまま、言わないで。杜子春さまの命令には逆らえないわ」
姉の京子がたしなめました。
姉の京子は、ためらっている妹の愛子の唇に自分の唇を近づけていきました。愛子は、咄嗟に目をつぶりました。
姉は妹の唇に自分の唇を触れ合わせました。その瞬間、妹の体がビクッと震えました。姉は妹が逃げないように両手で妹の頭をしっかり掴みましだ。そして姉も目をつぶりました。二人の姉妹は唇を触れ合わせました。
しばしの時間、キスしていた二人は、唇を離しました。
愛子は、サッと頭を後ろに引きました。二人の顔と顔が向き合いました。二人は目と目が合うと、恥じらいから、すぐに視線を相手からサッとそらしました。しかし、二人の顔は激しく紅潮していました。
「ああっ。お姉さま。わ、私。頭がおかしくなってしまいそうです」
「愛子。わがまま言わないで。私を他人だと思って」
「で、でも・・・」
「愛子。どのみち避けられないのよ。もう、とことん、おかしくなりましょう」
「・・・わ、わかったわ」
そう言って二人は、また唇を重ね合わせました。しばしの時間、二人は唇を触れ合わせたままでじっとしていました。
「おい。そんな形だけ口をつけているだけじゃ駄目だ。ディープキスしろ。舌を絡め合って、唾液を吸いあうんだ」
杜子春が、怒鳴るように言いました。
「は、はい」
姉が言いました。
「あ、愛子。中途半端な気持ちでいると、かえって辛いわ。いっそのこと、開き直って、行き着くとこまで行きましょう」
姉はそう言って、再び、妹の唇に自分の唇を触れ合わせました。姉の喉仏がヒクヒク動き始めました。京子が妹の唾液を貪るように吸っているのです。
しばしして、愛子が、京子から顔を離して、プハーと大きく呼吸しました。
「ああっ。お姉さま。わ、私。頭がおかしくなってしまいそうです」
愛子はハアハア喘ぎながら言いました。
「愛子。どのみち避けられないのよ。もう、とことん、おかしくなりましょう」
姉がたしなめました。
「よし。今度は乳首の擦りっこをしろ」
杜子春がニヤリと笑いながら命令的な口調で言いました。
「愛子。乳首の擦りっこをしましょう」
京子は声を震わせながら言いました。
京子は、そっと胸を近づけた。京子と愛子の二人の乳首が触れ合いました。
「ああっ」
愛子が苦しげに眉根を寄せて叫びましだ。
「どうしたの」
京子が聞きました。
「か、感じちゃうの」
愛子が顔を紅潮させて、小さな声で言いました。
「我慢して」
そう言って京子は愛子の肩をつかみながら、二人の乳首を擦り合わせました。二人の乳首は、まるで、じゃれあう動物のように、弾き合ったり、押し合ったりしました。だんだん二人の乳首が大きく尖り出しました。二人はハアハアと呼吸が荒くなってきました。
「お、お姉さま。わ、私、何だか変な気持ちになってきちゃった。な、何だか凄く気持ちが良くなってきちゃったわ」
愛子が虚ろな目つきでハアハアと息を荒くしながら言いました。
「わ、私もよ。愛子」
京子が言いました。二人は、体を揺らしながら、しばらく、もどかしげに乳首を擦り合わせていました。
「ふふ。二人とも心境が変わってきたようだな」
杜子春が、得意げな顔で、したり気な口調で言いました。
「愛子。今度は乳房を擦り合わせましょう」
京子が言いました。
「ええ」
愛子は逆らわずに肯きました。二人は乳房を擦り合わせました。二人は乳房を押しつけたり、擦り合ったりさせました。まるで、お互いの乳房が相手の乳房を揉み合っているようでした。時々、乳首が触れ合うと、二人は、
「ああっ」
と苦しげに喘ぎました。
愛子と京子の二人の顔は目と鼻の先です。 二人の目と目が合いました。暗黙の了解を二人は感じとりました。二人は、そっと顔を近づけていきました。二人の乳房はピッタリと密着して、平べったく押し潰されました。二人は、お互いに唇を近づけていきました。二人の唇が触れ合うと、二人は無我夢中でお互いの口を貪り合いました。京子は、両手を愛子の背中に回して、ガッチリと愛子を抱きしめています。しばしして、二人は唇を離して、ハアハアと大きく深呼吸しました。二人は恥じらいがちにお互いの顔を見つめ合いました。
「ああっ。お姉さま。感じるー」
愛子が言いました。
「愛子。私もよ」
京子が言いました。二人は再び、尖って大きくなった乳首を擦り合わせ出しました。二人は、これでもか、これでもかと、さかんに乳房を押しつけ合いました。そして、唇をピッタリと合わせてお互いの口を貪り合いました。
「ああー。感じちゃう」
愛子が大声で叫びました。
「私もよ。愛子」
京子も大声で叫びました。超えてはならない禁断の一線を越えた二人はもう一心同体でした。
「ふふふ。おい。京子。愛子。胸だけじゃなく、アソコもお互い愛撫しあいな。女同士なら、どこが感じやすいか、男よりよく知っているだろう」
杜子春が、したり気な口調で言いました。
「わ、わかりました。杜子春さま」
京子は杜子春の方を向いてそう言いました。そして、すぐに愛子に目をもどしました。
「愛子。もっと気持ちよくしてあげてるわ」
京子が言いました。
京子は、愛子のアソコを、触り出しました。
「ああっ」
愛子は、反射的に、腰を引きました。
「愛子。ダメ。腰を引いちゃ」
京子は、叱るように言って愛子の腰をグイと自分の方に引き寄せました。
しかし愛子は足をピッタリと閉じ合せています。
「愛子。もっと足を開いて」
京子が言いました。
「はい。お姉さま」
言われて愛子は、素直に閉じていた足を開きました。
京子は愛子の女の穴に中指を入れました。愛子のアソコは、もう、じっとりと濡れていたので、指はスルっと入りました。京子は、ゆっくりと、愛子の女の穴に入れた中指を動かし出しました。
「ああー」
愛子が眉根を寄せて大きく喘いだ。愛子のアソコがクチャクチャ音を立て出しました。白い粘っこい液体が出始めました。
「ああー」
愛子は体をプルプル震わせて叫びました。
「あ、愛子。私のアソコも触って」
京子が言いました。
「わ、わかったわ」
愛子がハアハアと喘ぎながら答えました。
愛子はハアハアと苦しそうに喘ぎながら、自分も右手を下に降ろし、正面の京子のアソコに手を当てて、しばしアソコの肉を揉んだり撫でたりしました。そして中指を京子の女の穴に入れて、ゆっくり動かし出しました。
「ああー」
京子もプルプル体を震わせて、喘ぎ声を出しました。
京子のアソコもクチャクチャと音を立て出しました。京子のアソコからも白濁液が出てきました。
京子は、一心に愛子のアソコに入れた指を動かしています。
「あ、愛子。もっと激しくやって」
京子が言いました。
「ええ。わかったわ」
愛子は、指の蠕動を速めていきました。
「ああー」
二人は、指責めの辛さのやりきれなさを相手にぶつけるように、お互いの女の穴に入れた指の蠕動を、一層、速めていきました。愛子と京子は、抱き合って、乳房を押しつけながら、お互いの口を激しく吸い合いました。
「ああー。いくー」
ついに愛子が叫びました。
「ああー。いくー」
京子も叫びました。二人は、
「ああー」
とことさら大きな声を出して全身をガクガクさせました。まるで痙攣したかのようでした。二人は同時にいきました。二人は、ペタンと床に座り込んで、しばしハアハアと荒い呼吸をしました。
「ふふふ。お前たち。姉妹の絆が強まって嬉しいだろう」
杜子春は、煙草を吹かしながら、そんな嫌味な皮肉を言いました。
「ふふ。今度は69をするんだ」
杜子春がしたり顔で言いました。
「ええー」
二人は顔を見合わせて真っ赤になりました。だが、妖術を使える杜子春に、目の前に、居据わられているので逃げることは出来ません。しかもレズショーをやると杜子春と約束したのです。それにもう二人は他人ではありません。血のつながった姉妹でありながら、禁断の一線を越えてしまったのです。
「あ、愛子。あ、諦めてやりましょう」
京子が言いました。
「そ、そうね。京子おねえさま」
愛子が相槌を打ちました。
「じゃ、じゃあ、私が下になるわ」
京子はそう言って、床の上に仰向けに寝ました。
「さ、さあ。愛子。四つん這いになって私の上を跨いで」
京子が言いました。
「わ、わかったわ」
そう言って愛子は京子と反対向きに四つん這いになって京子の上に跨りました。
愛子の顔のすぐ下には、京子のアソコが触れんばかりにあります。一方、京子の顔の真上には、京子の、アソコが触れんばかりにあります。
「ああー」
二人は、耐えられない恥ずかしさに思わず、声をあげました。

杜子春は満悦至極といった様子で二人を見つめています。四つん這いの愛子は、尻の穴までポッカリ杜子春に晒しています。
「ふふふ。愛子。尻の穴が丸見えだぜ」
杜子春が揶揄すると、愛子は顔を真っ赤にして、
「ああー」
と叫びました。愛子が、必死で尻の穴を窄めようとしたので尻の穴がヒクヒクと動きました。
「さあ。69でレズショーを始めな」
杜子春が命令しました。
「あ、愛子。仕方がないわ。やり合いましょう」
京子が言いました。
「そ、そうね」
愛子が相槌を打ちました。
「あ、愛子。もう、こうなったら、中途半端じゃなく、何もかも忘れて、徹底的にやりあいましょう。中途半端な気持ちでいると、かえって辛いわ。いっそのこと、開き直って、行き着くとこまで行きましょう」
京子が言いました。
「そ、そうね。私達、もう禁断の一線を越えてしまったんだから」
愛子が言いました。
京子は膝を立てて足を開いています。
「京子。すごく形のいい太腿ね。私、いつも、うらやましく思ってたの」
そう言って愛子は、京子の太腿のあちこちに接吻しました。
「ああっ」
愛子にアソコをキスされて、恥ずかしいやら、気持ちいいやらで、京子は喘ぎ声を出しました。京子も手を伸ばして愛子の尻を優しく撫でました。京子の方が下なので、寝たままで両手を自由に使えます。京子は車体の下から上を見上げながら車の底を修理する自動車修理工のような体勢で、愛子の股間を色々と、弄くりました。アソコの肉をつまんだり、大きな柔らかい愛子の尻に指先を軽やかに這わせたり、ただでさえ開いている尻の割れ目をことさらグイと開いたり、尻の割れ目をすーと指でなぞったりしました。尻の割れ目をなぞられた時、愛子は、
「あっ」
と叫んで、反射的に尻の穴をキュッと窄めようとしました。
「どうしたの。愛子」
京子が聞きました。
「そ、そうやられると、感じちゃうの」
愛子が言いました。
「愛子の一番の性感帯は、肛門なのね」
京子が言いました。
「違うわよ。そんな所、触られたの生まれて初めてだもの。誰だって感じちゃうわ」
京子は、ふふふ、と笑いました。まるで相手の弱点を知って得意になっているようでした。京子は、愛子の大きな尻を軽やかな手つきで、指を這わせました。そして、時々、すーと尻の割れ目を指でなぞりました。
「ああー」
愛子は尻の割れ目をなぞられる度に悲鳴を上げました。京子は、ふふふ、と悪戯っぽく笑いました。
「京子おねえさま。わ、私も遠慮しないわよ」
愛子はそう言って、京子の女の割れ目に舌を入れて舐め出しました。
「ああっ。愛子。やめて。そんなこと」
京子は、激しく首を振って言いました。だが、愛子は京子の言うことなど聞かず、唇で小陰唇やクリトリスをペロペロ舐めました。京子は、
「ああー」
と羞恥の声を上げました。愛子は四つん這いで膝を立てていて、京子は寝ているため、口が愛子のアソコにとどきません。だが手は自由に動かせます。京子は愛子の小陰唇を開いて、右手の中指を入れました。
「ああっ」
と愛子が声を出しました。京子はゆっくり指を動かし出しました。
「ああっ」
愛子が苦しげな声を出しました。愛子のアソコはすでに濡れていて、指はヌルリと容易に入りました。京子は、穴に入れた指をゆっくり動かしながら、左手で、愛子の尻の割れ目をすーとなぞりました。
「ああー」
敏感な所を二箇所、同時に京子に責められて、愛子は、眉を寄せて苦しげな喘ぎ声を出しました。愛子も負けてなるものかと、中指を京子の女の穴に入れ、ゆっくりと動かし出しました。
「ああー」
京子も眉を寄せ、苦しげな喘ぎ声を出しました。女同士なので、どこをどう刺激すれば感じるかは知っています。だんだんクチャクチャという音がし出して、ネバネバした白っぽい液体が出始めました。二人は愛撫をいっそう強めていきました。
「ああー。い、いくー」
愛子が叫んびました。
「ああー。い、いくー」
京子が叫びました。二人は、
「ああー」
とことさら大きな声を出して全身をガクガクさせました。まるで痙攣したかのようでした。
二人は同時にいきました。京子はガックリと倒れ伏して、ハアハアと荒い呼吸をしました。
「ふふ。早くも二回もいったな」
杜子春がしたり顔で言いました。杜子春は、呆気に取られた顔していました。
「女は男と違って、射精がないから、何度でもいくことが出来るんだ」
杜子春が得意顔で説明しました。
愛子は京子の体の上に倒れ伏し、虚脱したような状態になりました。二人はしばし、ハアハアと荒い呼吸をしていました。
だんだん二人は呼吸が元に戻って落ち着いてきました。
二人は床の上で、グッタリしています。

   △

「よし。もうレズショーは勘弁して、終わりにしてやる。服を着ていいぞ」
杜子春が言いました。
「ありがとうございます。杜子春さま」
そう言って京子と愛子の二人は、起き上がりました。そしてパンティーを履き、ブラジャーをつけました。そしてチャイナ・ドレスを着ました。二人は、ほっとした様子です。
杜子春も、椅子から立ち上がって、テーブルの上のブランデーをとろうと身を乗り出しました。
その時です。
姉の京子が、サッと飛び出して、杜子春の魔法の杖を奪ってしまいました。
「ふふふ。これでもう、あなたは、怪しい仙術は使えないわね。これからは、私たちが、この便利な杖を使わせて貰うわよ」
姉の京子は、得意げな口調で言いました。
「お姉さま。よかったわね」
妹の愛子が嬉しそうに言いました。
「よくも、よくも、私達にレズショーなんか、やらせたわね。覚悟は出来ているでしょうね」
姉の京子は、天下をとったかのように凄んで杜子春に言いました。
「お姉さま。杜子春をどうしましょう?」
妹の愛子が姉の京子に目を向けました。
「呂后のやった人豚にしちゃいましょう」
「人豚って何なの?」
「人豚っていうのはね・・・昔ね、劉邦という王がいたの。劉邦には呂后という正妻がいたのだけれど、劉邦は戚夫人という愛人を寵愛して、呂后を愛さなかったの。そのため劉邦が死んで呂后が権力を握ると、呂后は戚夫人に、恐ろしい復讐をしたの」
「どうしたの?」
「呂后は戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をえぐり抜き、鼓膜を破って耳を潰し、声帯をつぶして声も出ないようにしたの。そして便所の中で人豚と呼んで飼ったのよ」
「ふうん。残酷ね。でも杜子春には、ふさわしい罰だわね」
そう言って妹の愛子は、杜子春の方に目を向けました。
杜子春の両横には、巨大な蛇が赤い舌をチョロチョロ出して、薄気味悪く、蜷局を巻いています。
「お姉さま。まず、仙術で、二匹の蛇を消して下さい」
妹の愛子が姉に訴えました。
「わかったわ」
姉の京子は、そう言って、仙人の杖を、蛇に向け、杜子春がやったように、
「蛇よ。消えよ」
と大きな声で一喝しました。しかし、蛇は消えません。
あれっ、と姉の京子は、うろたえて、もう一度、仙人の杖を、蛇に向け、
「蛇よ。消えよ」
と大声で叫びました。しかし、やはり、蛇は消えません。
「ふっふっふっふっ」
杜子春が、不敵な笑みを浮かべて二人を見ました。
杜子春は、右手を突き出して、やっ、と一喝しましまた。するとどうでしょう。京子が持っていた仙人の杖は、京子の手を離れ、宙に浮いて、杜子春の右手に収まりました。
「ふふふ。バカどもめ。この杖は単なる棒きれに過ぎないのだ。いわば仙人のシンボルのように、もっともらしく使っていたのだ。オレは峨眉山で厳しい仙人の修行をしたから、仙術を使えるようになったのだ。仙人になる修行をしていない、お前たちが、この杖を使ったからといって、仙術など使えないのさ。この杖など無くても仙術は使えるし、また、この杖に仙術を使える力など宿っていないのさ」
杜子春は勝ち誇ったように言いました。
「そ、そうだったんですか」
「杜子春さま。ごめんなさい」
二人は、掌を返したように、杜子春にペコペコ謝りました。
「お前たちは、根っからの悪人だな。オレを人豚にしようとは。よし。じゃあ、罰として、お前たちこそ、人豚にしてやる」
杜子春は勝ち誇ったように言いました。
「ええー。そんなー」
二人は真っ青になりました。
「杜子春さま。ごめんなさい」
「杜子春さま。申し訳ありませんでした」
京子と愛子は、すぐにしゃがみ込んで土下座して、頭を床に擦りつけて、何度もペコペコと頭を下げて、泣きじゃくりながら謝りました。
「まったく。仕方ねーヤツラだな。まあ、オレは、お前らみたいに、残酷なことは出来ない性分だからな。人豚は、勘弁してやるよ」
杜子春は、やれやれ、といった様子で言いました。
「あ、有難うございます。杜子春さま」
「御恩は一生、忘れません」
京子と愛子は、ペコペコ頭を下げて謝りました。
さてと、と言って杜子春は、両脇の二匹の蛇を見ました。
「お前たちが、怖がるからな。蛇は消してやるよ」
そう言って、杜子春は、仙人の杖を、二匹の蛇に向け、
「蛇よ。消えよ」
と一喝しました。すると二匹の蛇は、霧の如く、パッと消えてなくなりました。
「あ、有難うございます。杜子春さま」
「御恩は一生、忘れません」
姉妹は杜子春にペコペコ頭を下げました。

   △

「さてと、オレも眠くなってきたな。今日はここで寝させてもらうぞ。元々、この家は、オレがお前たちにやった金で建ったものだからな」
杜子春か姉妹を見て言いました。
「はい。ごゆるりとお休み下さい。杜子春さま」
姉妹は、ひれ伏して答えました。
「さて。お前たちの、今後の処分についてだが・・・。オレは仙人に、泰山の南の麓に一軒の家を貰ったんだ。桃の農園だ。お前たちは、そこへ行って貧しくても正直に暮らせ。今日はもう遅いから明日、出発しろ」
「はい。わかりました。杜子春さま」
京子が恭しく言いました。
「殺そうとまでしようとしたのに、家まで頂けるなんて、そんな寛大な処分で、有難うございます」
愛子も恭しく言いました。

「愛子。これからは、その泰山の麓の家で正直に過ごしましょう」
姉の京子が、諭すように妹の愛子に言いました。
「はい。お姉さま」
愛子も素直に応じました。

   △

「お前たちも疲れただろう。寝ろ」
杜子春が言いました。
「はい。杜子春さま」
姉妹は立ち上がって寝室に向かいました。杜子春は、その後に着いて行きました。寝室には、京子と愛子の二つのベッドがありました。
二人は、それぞれのベッドに向かいました。蛇にからまれたり、レズショーをさせられたりと、心身共に疲れ切っているのでしょう。二人とも、どっと、ベッドに身を投げたしました。
杜子春は、手錠を取り出して、京子の両手首をそれぞれ、ベッドの鉄柵につなぎとめました。
「あっ。杜子春さま。何をなさるんですか?」
「すまないな。出来ることなら、こんなことはしたくないんだが。オレは、お前らを信じ切ることは出来ないんだ。オレが寝ている間に、寝首をかかれては困るからな。ちょっと、不自由だろうが、我慢してくれ」
杜子春は、そう京子に説明しました。
「わかりました。杜子春さま」
京子をベッドにつなぎとめると、杜子春は次に、愛子もベッドにつなぎとめました。
「おしっこがしたくなったら、大声でオレを呼べ。手錠をはずしてやるから」
「有難うございます。杜子春さま」
「今日は、蛇で虐めたり、レズショーをさせたりして、すまなかったな。ゆっくり休め」
そう言って杜子春は、京子と愛子に布団をかけてやりました。
「おやすみ」
「お休みなさい。杜子春さま」
杜子春は、客室用の部屋にもどると、どっとベッドに身を投げ出しました。厳しい仙術の修行をしたり、姉妹と戦ったりと、杜子春も、クタクタに疲れていました。なので、杜子春も、すぐにグーガーと大鼾をかいて、深い眠りに落ちました。

    △

翌日になりました。
杜子春は目を覚ますと、急いで、姉妹の寝室に行きました。二人は、クーカーと小さな寝息をたてて眠っています。杜子春は、台所に行って、朝食を三人分、用意しました。そしてまた、姉妹の寝室に行きました。
「あっ。杜子春さま。おはようございます」
目を覚ました京子と愛子が杜子春に挨拶しました。
「おはよう」
杜子春も挨拶して、京子と愛子の手錠をはずしました。
「おい。朝食を作ったぞ。三人で食べよう」
「有難うございます。杜子春さま」
三人は、大理石の食卓に着きました。
「杜子春さま。食事を用意して下さって有難うございます」
「いや。たいした物じゃないよ」
食卓には、厚切りトーストとスクランブルエッグとツナサラダと紅茶が乗っています。
「いただきます」
と言って京子と愛子、そして杜子春は朝食を食べ始めました。
「美味しいわ。杜子春さまは料理が上手なんですね」
二人はムシャムシャと杜子春の作った朝食を食べました。
食事が終わりました。
「よし。じゃあ、お前たちは、泰山の麓の家に行け。お前たちの荷物は、オレがまとめてクロネコヤマトで送ってやる」
「あ、あの。杜子春さま」
「何だ?」
「杜子春さま。昨日、妹と二人で話し合ったんですが。私達を杜子春さまの召し使いとして、ここに住まわせて貰えないでしょうか。いいえ。召し使いでなく、奴隷でも構いません」
京子は切実な口調で訴えました。
「どうして、そういう心境になったのだ?」
杜子春は、京子をじっと見ながら聞きました。
「杜子春さまは、人の心、人の道を教えて下さいました。私たちは杜子春さまを尊敬しています。どうか、お側において頂けないでしょうか」
杜子春は、うーん、と腕組みをして考え込みました。
「杜子春さま。杜子春さまは、私達が信じられないのですね。無理もありません。私たちは、杜子春さまを、何度も卑劣に騙しましたから・・・」
杜子春は眉間に皺を寄せて、黙っています。
京子はテーブルに乗っていた、ナイフをサッとつかみました。
「何をするんだ?」
杜子春が驚いて京子に聞きました。
「杜子春さま。私達の忠誠のしるしとして、私は小指を切ります」
そう言うや否や、京子は、日本のヤクザのオトシマエのように、小指を一本、伸ばしたまま、えいっ、と掛け声をかけて、ナイフを力一杯、小指めがけて振り下ろしました。
「ばか。やめろっ」
杜子春は、咄嗟に大声で注意しました。しかし、もう間に合いませんでした。
京子の小指は、千切れて、床に落ちました。京子の小指の根元からは、赤い血が噴き出しました。
「い、痛い。痛い」
京子は、苦痛に顔を歪めながら、叫びました。
「お姉さま」
妹の愛子が、すぐに駆け寄って、ハンカチを千切って、血の出ている京子の小指の根元を、結紮しました。
「杜子春さま。これで信じて頂けないでしょうか?」
京子が、目に涙を浮かべ憐みを乞う瞳を杜子春に向けました。
杜子春は、おもむろに、立ち上がると、杖を京子の方へ向け、やっ、と一喝しました。すると、どうでしょう。床に転がっていた、京子の千切れた小指が、すーと浮かんで、京子の小指の根元にピタリと、くっつきました。
「お姉さま。大丈夫?」
「ええ。痛くないわ。元通りにくっついたわ」
「杜子春さま。有難うございました」
「京子。お前は、自分の指を切ってもオレが仙術で治すだろうと思っていたのだろう」
「は、はい。優しい杜子春さまのことですから、きっと、仙術で治して下さるのではないだろうか、と思っていました」
「わかった。お前の忠誠の気持ちが本当であることを。小指を切るのは、物凄く痛かっただろう、し、物凄く、勇気が要っただろう。オレが仙術で治す、という保証は無いのにな。オレはお前たちを信じた。これからは三人で仲良く、ここで暮らそう」
「有難うございます。杜子春さま」
こうして三人は、杜子春を主人として、この家で過ごすことになりました。
姉の京子が杜子春の第一夫人となり、妹の愛子か第二夫人となりました。
杜子春が仙術を使えるようになった、という噂は、瞬く間に洛陽中に知れ渡りました。

   △

その頃、中国では、東の北京で、習近平という悪党が独裁政治をしてのさばっていました。
習近平は、徹底した武力によって、個人の思想、言論、集会、結社の自由を認めず、政府を批判する者は、捕まえて、天安門広場の前で公開処刑していました。政府批判の本は検閲されて出版できず、新聞やテレビなどは、体制維持のためのウソの報道しかしません。そして政界と財界の癒着、公務員の汚職が、至る所ではびこっていました。民衆は、政府の、この横暴な独裁政治に内心、怒り狂っていました。そこで、したたかな習近平は、怒りの矛先が政府にではなく、日本に向かうよう、徹底した反日教育を教師にするよう命じていました。確かに、日本は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦における、21ヶ条の要求による中国権益の獲得、満州国の設立、張作霖爆殺、満州事変、日中戦争における南京大虐殺など、中国を侵略してきました。しかし、南京大虐殺の死者の数を20万人から、40万人に水増ししたり、日本政府の閣僚の靖国神社参拝は、日本が、行った戦争を正当化するためである、などとか、尖閣諸島は、中国の領土なのに、日本が、自国の領土などと言い張っている、などと、ウソも交え、初等教育から、憎しみを込めて、反日洗脳教育を行っているのです。そのくせ、日本政府の出している多額のODAについては、一切述べません。ですから、中国人は、子供の頃から、日本は悪い国だと教えられて、洗脳されてしまっています。しかし、その本当の目的は、共産党の一党独裁政治に民衆が気づいて、体制を批判することを、恐れているからです。そこで、真に憎むべきは、日本であると、怒りの矛先を日本に向けさせて体制を維持させているのです。しかし市場経済の導入や、パソコンやツイッターや携帯電話などによって、だんだん中国国民も、目が開けてきました。国営の新幹線で事故が起こって多数の死者が出ても、政府は、説明責任も果たしませんし、遺族への補償もなく、また企業の排出する有毒物質による水質汚染で、魚が大量に死んで、漁師たちが困って国に訴えても、企業と癒着している中央政府は、お茶を濁すいい加減な答弁しかしません。
国民は独裁政治をしている政府、習近平に対して、憎しみを持つようになりました。
このままでは、国民による打倒政府の流血革命の勃発が起こるのは時間の問題だと、杜子春は危惧しました。

   △

その日は国慶節でした。政府に不満を持った改革派の者達が、密かにツイッターで連絡を取り合っていたのでしょう。中国各地で、とうとう一斉に革命が起こり、反体制派は警察署を襲い出しました。
杜子春は、急いで、ツイッターで、こう流しました。
「愛する全国の国民よ。私は杜子春という仙人だ。武力革命は、いけない。今から、私が習近平と政府首脳を捕まえる。それまで待て」
すると、
「わかりました。杜子春さま」
という返事が、全国からやってきました。
杜子春は、ほっとしました。
杜子春は青竹に乗って、ひとっ跳びに、習近平の豪邸に向かいました。
習近平の屋敷には、武装した警察官や兵士たちが、わんさと杜子春を待ち構えていました。
「撃て。撃ち落とせ」
習近平は、狂ったように叫びました。
ズガガガガー。
警官や軍の兵士達は、一斉に杜子春めがけて発砲しました。しかし、弾は、全部、途中で落っこちてしまいます。杜子春は、仙人の杖で、
「不動、金縛りの術」
と一喝しました。すると、護衛の警官や兵士達は、ピタッと止まって動けなくなりました。
杜子春は、習近平の屋敷に入りました。
奥の部屋に、習近平が、オドオドしています。
「さあ。オレは仙術を使えるから、何でも出来るぞ。降伏すれば命の保証はする。嫌なら殺すぞ。お前は、どっちを選択する?」
杜子春はそう言って習近平に詰め寄りました。
「わ、わかった。私の負けだ。降参する。命だけは助けてくれ」
そう習近平は言いました。

杜子春は、習近平および政府首脳の人間を集め、中国の宇宙ステーション天宮三号に乗り込ませました。
「そんなに、独裁政治がしたいなら、てめえらだけで勝手に、火星人か金星人、相手に宇宙でやってろ」
そう言って杜子春は、天宮三号の打ち上げの用意をしました。
「あれー。杜子春さま。そんなことは、ゆるして下さい」
習近平たちは、叫びましたが、杜子春は、無視して、天宮三号の発射ボタンを押しました。天宮三号は、みるみる内に、物凄い勢いで、天空へ飛んで行きました。操縦士もいませんし、彼らは、宇宙飛行士としての訓練もしていませんので、おそらく地球には戻ってこれないでしょう。
杜子春は、青竹に乗って、急いで、中国の国営テレビ局に、行きました。
「愛する中国の全国民よ。今、習近平と、共産党首脳陣たちは、天宮三号に乗せて、宇宙に飛ばした。もう戻って来れないだろう。これからは、この国を独裁国家ではなく、民主主義国家にしようではないか。それと、軍と警察に告げる。オレは仙術を使えるから、お前たちには勝ち目はないぞ。オレが仙術を使えば、戦艦も戦車も戦闘機も、一瞬でぶっ壊すことが出来るぞ。命が惜しければ無駄な抵抗はするな」
と全国に放送しました。
軍も警察も、仙人が相手では、勝ち目がないと、判断して諦めたのでしょう。抵抗する者はいませんでした。
杜子春のもとには、全国から、「杜子春さま。万歳」というツイッターがネットで届きました。
天安門広場や全国各地で、「杜子春さま。万歳」と全中国国民が叫びました。

   △

杜子春は、国民の総意によって、大統領に選ばれました。
ここに至って、64年間、続いた共産主義国家、中華人民共和国はついに倒れ、民主主義国家、中華人民杜子春共和国として、あらたに生まれ変わりました。
杜子春は、主権在民。議会制民主主義。地方分権。三権分立。平和主義。思想、信教の自由、基本的人権の尊重、などを柱とした憲法を制定しました。そして、刑務所で服役していた政治犯を釈放し、歪んだ歴史教科書を廃棄し、事実に基づいた、誇張や偽りのない歴史教科書を有識者に作らせませた。
日本も、ギクシャクした日中関係が、終焉したことを喜びました。
日本から、総理大臣が、新たになった中華人民杜子春共和国に訪中しました。
杜子春は、日本の総理大臣を快く迎え、尖閣諸島は日本の領土であること、北朝鮮に対し今後、いっさいの経済支援を行わないこと、などを約束しました。
こうして杜子春のおかげで、中国は、平和な民主主義的国家へと生まれ変わり、末永く繁栄しました。




平成25年6月26日(水)擱筆

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七夕の日の恋 (小説)

2020-07-09 13:29:55 | 小説
七夕の日の恋

平成28年の、夏である。
その日は、7月6日だった。
連日の、猛暑で、夏バテで、僕は、まいっていた。
子供の頃は、夏が来ると、単純に嬉しかった。
しかし、大人になると、夏になるのは、子供の時と、同様に、嬉しかったが、連日の猛暑で、夏バテして、いささか、夏の到来を、素直には、喜べなくなっていた。
それと、もう一つ、嫌なことが、あった。
二年に一度の、車の車検の期限が、1週間後の、7月14日で、切れるからである。
今年は、車検が切れる年だった。
だいたい、車検にかかる費用は、10万円くらいだろう、と思っていた。
いつも、そうだったからだ。
しかし、去年、ある時、バックした時に、電信柱に、車をぶつけてしまい、車の後ろが、少し凹んでしまった。その時から、電気系統が故障したのか、ドライブにギアチェンジすると、「D」の、ランプが点かなくなった。
しかし、運転には、問題ないので、そのまま、乗っていた。
僕の車は、旧型マーチだった。
今回の車検は、いくら、かかるのだろうか、と、日産のディーラー店に、入ってみた。
車検は、7月14日で、切れるから、あと、1週間である。
「車検にかかる費用、見積もってもらえませんか?」
と僕は聞いた。
「はい。わかりました」
と、店の人が言った。
店では、新車を売っているが、店の裏に、修理場があって、修理工が、働いている。
僕は、自動車の、修理工を立派だと思っていた。
毎日、油にまみれ、汚れた服で働いて。
働く、とは、ああいうことを、言うものだ、と僕は思っていた。
一時間、くらいして、店の人が、やって来た。
それで、見積もりの明細を見せてくれた。
部品交換と、工賃が、バーと、並んでいて、合計で、18万円だった。
僕は、あせった。
僕は、車検にかかる費用が、10万、程度なら、買い替えることなく、乗り継ごうと思っていた。
僕は、車の事情については、素人だか、それでも。18万ともなれば、もう少し、金を出せば、中古車が買える。
ボロボロになった、車を、18万も出して、乗り続けるよりは、あらたに中古車を買い替えようと、思った。
僕は、スズキのラバンが欲しかったので、スズキのディーラー系の中古車店に行くことに決めた。
ディーラー系の中古車店は、アフターサービスがいいからである。
そのぶん、値段が、高目だが、表示価格10万とかの、激安車は、諸経費が10万円、くらい、かかって、合計20万円くらいになり、1年、以内に、色々と、故障個所が出てきて、結局は、修理に次ぐ、修理となってまう。
なので、多少、高目でも、信頼できる、ディーラー系の中古車店の中古車を買った方が、いいと信じ込んでいた。
国道467号線は、中古車通り、と、言われるくらい、道路の左右に、無数の中古車店がある。
しかし、ある中古車店で、表示価格1万円の、激安中古車が目に止まった。
ラパンだった。
激安中古車なんて、走行距離は長いし、年式も古いし、色々と、性能に問題があって、修理しなくてはならないから、結局は、高くつく。
しかし、そのラパンは、車検2年つき、で、年式も、平成26年式で、走行距離も、1万km、と、信じられないくらい、いい条件だった。
僕は、一応、店に入ってみることにした。
僕は、中古車店に車を入れた。
「こんにちはー」
僕が、大きな声で、呼ぶと、中から、男が出てきた。
「はい。私が、この店の店長です。ご用は何でしょうか?」
男が言った。
「店頭にある、表示価格1万円のラパン、なんですけど。諸経費は、いくらですか?」
僕は、聞いた。
大体、中古車なんて、表示価格は、下げて、安く見えるようにして、諸経費は、最低でも、10万は、かかるものである。
その諸経費に、ある程度の金額を水増しして、諸経費で、儲けているのだろう。
ガリバーなんて、諸経費が、40万もする。
「あの、ラパンは、本体と諸経費、込みの、全額で、一万円です」
これは、ちょっと、安すぎる、と、僕は、おどろいた。
「どうして、そんなに安いのですか?」
「まあ。ちょっと、事情があって」
そう言って、店長は、へへへ、と笑った。
どうせ、事故車とか、性能に問題のある車だろうと思った。
僕は、性能が気になった。
たとえ、安くても、性能が、悪くて、すぐに、故障してしまうのでは、意味がない。
それで。
「ちょっと、試運転しても、いいですか?」
と、店長に聞いた。
「ええ。いいですよ」
と、店長は、言ってくれた。
僕は、すぐに、ラパンに乗り、店を出た。
乗り心地は快適だった。
僕は、すぐに車買い取り店、ガリバーに行って、車の性能を見てもらった。
「別に、問題は、ありませんよ。ほとんど、新車同様です。事故を起こさなければ、5年間は、修理なしで、乗れるでしょう」
と店員は、言った。
「あのー。売るとしたら、いくらで買ってくれますか?」
僕は聞いた。
「そうですねー。新車同様ですから、大体、50万円で、買いますよ」
ガリバーの人は、そう言った。
僕は、中古車店にもどった。
僕は、車を買うことにした。
「じゃあ、このラパン、買います」
僕は、そう言って、一万円札を、渡した。
「毎度、ありがとうございます」
店長は、やけに、嬉しそうに言った。
「今、乗っているマーチ。廃車にしたいんですけれど・・・」
僕は言った。
「ええ。廃車の処理は、やっておきますよ」
店長は、やけに、嬉しそうだった。
こうして、僕は、一日で、マーチから、ラパンに乗り換えることが出来た。
(やった。もうけものだ)
と僕は思った。
僕は、事故車だの、何だのには、関心がなかった。
(どうせ、こんな激安車だ。そのうち、故障が起こるかもしれない。しかし、故障が起こっても、たかが、一万円の損だ。それに、ガリバーの人も、新車同様と言ってくれた。一ヶ月でも、乗れれば、御の字だ。故障した時、修理代が、10万円、以下だったら、修理して乗ろう。修理代が高かったら、ガリバーで、売るなり、廃車にして、別の車を買うなりすれば、いいや)
と、僕は思った。

翌日。
さっそく、僕は、新しく買ったラパンで、大磯ロングビーチに行くことにした。
僕は、朝の8時に、アパートを出た。
大磯ロングビーチは、朝9時から、入場開始である。
途中、日焼け止めのオイルを買うために、僕は、コンビニに、入った。
そして、日焼け止めのオイルと、ついでに、ポカリスエットを買って、車にもどって、エンジンを駆けて、車を走らせた。
僕は、鼻歌を歌いながら、いい気分で、走っていた。
そのうち、赤信号の交差点になった。
僕は、ふと、バックミラーを見た。
20代に間違いない、きれいな、女の人が、後部座席に乗っていた、からだ。
僕は、びっくりした。
「あなたは、誰ですか?」
僕は聞いた。
「佐藤由香里といいます」
彼女は答えた。
「どうして、この車に乗っているのですか。というか、どうやって、この車に乗ったのですか?」
僕は聞いた。
「あ、あの。さっき、あなたが、コンビニの駐車場に、車をとめた時に、勝手に、入ってしまいました。ごめんなさい」
彼女は答えた。
僕は、さっき、コンビニに、入った時、車にキーをかけるのが、面倒なので、キーを、かけずに、コンビニに入った。
彼女は、僕が、コンビニに、入った隙に、車に、乗り込んだんだろう。
「でも、どうして、僕の車に乗り込んだんですか?」
僕は、疑問に思って、聞いた。
「あ、あの。私。あのコンビニで、親指を上げて、ヒッチハイクしていたんです。でも、どの車も、止まってくれなくて・・・。それで、勝手に、あなたの車に乗り込んでしまったんです。ごめんなさい」
と、彼女は言った。
「そうですか。でも、あなたのような、きれいな人なら、止まってくれる車も、あったんじゃないでしょうか?」
僕は、疑問に思って、聞いた。
「いえ。男の人が、運転している車は、みんな、助手席に、彼女が、乗っていて・・・止まってくれませんでした」
と、彼女は言った。
それは、もっともなことだ、と、僕は、思った。
彼女とのドライブなら、たとえ、美人であっても、見知らぬ女を、男は、乗せたりはしない。
彼女との、二人きりの、アツアツを、楽しみたいからだ。
「でも、車の数は多いです。男一人の車も、何台かは、あったのでは、ないでしょうか?」
僕は聞いた。
「ええ。確かに、男の人が一人で運転している車も、数台は、ありました」
「では、なぜ、その車に、ヒッチハイクの合図をして、乗らなかったのですか?」
「男の人が、なんだか、みんな、エッチなこと、してきそうに思われて、こわかったんです」
彼女は答えた。
「僕は違うんですか?」
「ええ。あなたは、真面目で、優しそうに、見えたので・・・」
「そうですか。そう言ってもらえると、嬉しいです」
人間は、なかなか、自分を客観視できないものである。
僕は、女性に、そのように、見られていることに、嬉しくなった。
「ところで、あなたは、どこに、行くのが目的なんですか?」
僕は聞いた。
「えっ」
と、彼女は、言葉を詰まらせた。
「ヒッチハイクするっていうのは、行く目的地があるからじゃないですか。それを、教えてもらえないと、あなたを、目的地に連れていけないじゃないですか」
僕は聞いた。
「私を、私の目的地まで、連れていって下さるのですか?」
「ええ」
「でも、あなたも、どこかに、行く予定があるんじゃないんでしょうか?」
彼女が聞いた。
「え、ええ。そりゃー。ありますけれど、急ぐ用でもないし、あなたを、あなたの、目的地まで、連れていきますよ」
僕は言った。
「やっぱり、思った通り、優しい方なんですね」
彼女は、嬉しそうに言った。
「そうでしょうか?」
僕は、聞き返した。
「そうですわ。男なんて、女を、ヒッチハイクしたら、みんな、呈のいいことを言って、結局は、100%、ラブホテルに、連れ込みますわ。それが、こわいから、女は、ヒッチハイクがこわくて、出来にくいんです」
彼女が言った。
「そんなものですか?」
僕は、友達づきあい、が、ほとんどないので、彼女がいないのは、もちろんのこと、世の男が、どういうことを、考えているのかも、あまり知らなかった。
「ええ。そんなものです」
彼女は言った。
「ともかく、あなたの行く目的地を教えて下さい」
僕は彼女に聞いた。
「あ、あの。私の目的地なんて、ないです」
彼女は、あっさり、言った。
僕は、おどろいた。
「じゃあ、なんで、僕の車に乗り込んだんですか?」
「あなたと、ドライブして、少し、お話しがしたかったからです」
「ええっ。本当ですか?」
僕は、耳を疑った。
「ええ。本当です」
彼女は、あっさり、言った。
「じゃあ。あなたが、僕の車に、乗り込んだのは、僕と、ドライブするためですか?」
僕は聞いた。
「ええ。そうです」
僕は、信じられない思いだった。
なにか、裏があるんじゃないか、とも、考えた。
しかし、まあ、ともかく、彼女の言うことを、素直に信じることにした。
「うわー。嬉しいなー。あなたのような、きれいな人と、ドライブ出来るなんて・・・。夢のようだ。僕、女の人と、つきあったことが一度もないんです。僕は、岡田純と言います」
僕は、飛び上がらんばかりに、喜んで、そう言った。。
「ところで、あなたは、どこへ行く予定だったんですか?」
彼女が聞いた。
「僕は、大磯ロングビーチに、行こうと、思っていました」
僕は、答えた。
「じゃあ、私も、大磯ロングビーチに、連れて行って下さい」
彼女が言った。
「本当に、いいんですか?」
僕は彼女に確かめた。
「ええ」
彼女は、あっさり、言った。
「うわー。嬉しいな。僕、女の人と、大磯ロングビーチに、行くのが、夢だったんです」
僕は、信じがたい思いだった。
しかし、バックミラーから、見える彼女の顔は、嬉しそうに、ニッコリ笑っていた。
しばし行くと、道の左手に、コンビニが、見えてきた。
「そうとわかれば・・・」
僕は、そう言って、左のウィンカーランプを点けて、左折して、コンビニの駐車場に入った。
そして、車を止めた。
「さあ。佐藤由香里さん。後部座席ではなく、助手席に乗って下さい」
そう言って、僕は、ドアロックを解き、助手席のドアを開けた。
「はい」
彼女は、僕の要求どおり、後部座席から出て、助手席に乗った。
「由香里さん。飲み物は、何がいいですか?」
僕は彼女に聞いた。
「何でも、いいです」
彼女は、答えた。
「では、オレンジジュースで、いいですか?」
「はい」
僕は、コンビニに、入って、500mlの、ペットボトルの、オレンジジュースを買い、ストローを一本、貰って、車にもどった。
「はい」
と言って、僕は、彼女に、オレンジジュースを渡した。
「ありがとう。純さん」
と、彼女は、礼を言って、オレンジジュースを、受けとった。
僕は、エンジンを駆けて、車を走らせた。
「咽喉が、渇いたでしょう。オレンジジュースを飲んで下さい」
僕は、運転しながら言った。
「はい」
彼女は、ペットボトルの蓋を開け、ストローを、その中に入れ、オレンジジュースを飲んだ。
コクコクと、彼女の咽喉が、動く様子が、可愛らしかった。
「僕も、咽喉が、渇いたなあ」
僕は、思わせ振りに言った。
「あ、あの。純さん。私が口をつけてしまった、オレンジジュースですが、飲まれますか?」
彼女が聞いた。
「ええ。飲みたいです。でも、僕は、運転しているから、手を離せません。片手運転は危険です」
僕は、思わせ振りに言った。
「で、では・・・」
そう言って、彼女は、ストローの入った、オレンジジュースを、僕の口の所に持ってきた。
僕は、ストローを口に含み、オレンジジュースを、啜った。
「ふふふ。これで、由香里さんと、間接キスしちゃった」
僕は、そんなことを言って、笑った。
彼女は、少し、恥ずかしそうに、顔を赤らめた。
「由香里さん。何か、歌を歌ってくれませんか?」
僕は彼女に頼んだ。
「何がよろしいでしょうか?」
「何でもいいです。由香里さんの、好きな歌を歌って下さい」
「わかりました。では、小坂明子の、あなた、を歌います」
そう言って、彼女は、小坂明子の、あなた、を歌い出した。
「もーしもー。わたしがー、家をー、建てたなら―。小さな家を建てたでしょう・・・♪」
彼女の歌は、上手かった。
「いやー。由香里さん。歌。上手いですね。歌手になれますよ」
僕は、感心して言った。
お世辞ではない。
「い、いえ。そんなに・・・」
彼女は謙遜して、顔を赤らめた。

そうこうしている、うちに、大磯ロングビーチに、ついた。
僕たちは、車を降りた。
「純さん」
「はい。何ですか?」
「あ、あの。私。水着、持っていないんです」
彼女は言った。
「ははは。大丈夫ですよ。場内で売っていますから」
「大人二人。一日券」
と言って、僕は、入場券を買い、大磯ロングビーチに入った。
僕は、場内にある、水着売り場で、彼女に、セクシーな、ビキニを買ってあげた。
ビキニ姿の、彼女は、ものすごくセクシーだった。
僕は、スマートフォンで、彼女の、ビキニ姿を、何枚も撮った。
そして、僕と彼女が、手をつないでいる写真も、何枚も撮った。
僕と彼女は、ウォータースライダーや、流れるプールで、うんと、楽しんだ。
「今日は、僕の人生で、最高に幸せな一日です」
僕は彼女に、そう言った。
し、実際、その通りだった。

12時を過ぎ、1時に近くなった。
「由香里さん。何か、食べましょう。由香里さんは、何が食べたいですか?」
僕は彼女に聞いた。
「私は、何でも、いいです。純さんと、同じ物でいいです」
と、彼女は言った。
「そうですか。じゃあ、焼きソバでいいですか?」
「ええ」
僕は、焼きそば、を、二人分、買った。
そして、彼女と一緒に食べた。
「あ、あの。純さん」
「はい。何ですか?」
「私。純さんに、言わなくてはならないことがあるんです。そして、謝らなくてはならないことがあるんです」
彼女は、あらたまった口調で、言った。
「はい。何でしょうか?」
「このことは、最初に言うべきだったんです。ですが、純さんが、優しくて、私も楽しくて、つい、言いそびれてしまいました。本当に、申し訳ありません」
と、彼女は、深刻な口調で言った。
「はい。それは、一体、何でしょうか?」
僕には、どういうことか、さっぱり、わからなかった。
彼女に、何か、謝るべきことなど、僕には、さっぱり思いつかなかった。
「あ、あの。私。実は、幽霊なんです」
彼女は言った。
「そうですか」
僕は、あっさりと言った。
「あ、あの。純さんは、幽霊がこわくないんですか?」
彼女は聞いた。
「こわくありませんね。僕は、幽霊の存在なんて、信じていません。し、仮に、幽霊がいたとしても、こわくありません」
僕は、キッパリと言った。
「僕は、唯物主義を信じていて、精神も、脳の神経回路の活動によるものだと、確信しています。物質によらない、精神の存在など、無いと、信じています。なので、もちろん、無神論者だし、「神」だの、死後の、「天国」だの、「地獄」だのも、もちろん、存在しない、と、確信しています。それらは、人間の想像力が、生み出した、産物だと確信しています」
と、僕は、自分の信念を、言った。
「そうですか。でも、本当に、私は、幽霊なんです」
と、彼女は言った。
「由香里さん。それにですよ。仮に、あなたが、幽霊だとしても、あなたは、僕に、何の危害も加えません。なので、由香里さん、が、仮に、幽霊だとしても、僕はこわくは、ありません」
と、僕は、キッパリと言った。
「純さん、や、多くの人々が、唯物論を信じるのは、無理のないことだと思います。だって、神さまは、幽霊や、霊魂や、死後の世界などを、知らせると、人間が、こわがって、しまって、人間世界が、混乱してしまう、ことを、心配して、人間には、それらのことは、知らせませんもの」
と、彼女は言った。
「そうですか」
と、僕は、言った。
なるほど、彼女の言い分にも、一理あるな、と思った。
人間は、一度、死んだら、生きかえることは、出来ない。
死んで、その後、生きかえって、死後、人間は、どうなるのか、その体験を、語った人間は、いないのだから。
だから、人間は、死後、どうなるのかは、本当は、わからないのである。
物質に全く依存しないで、独立して、存在する、精神、というものも、無い、と、科学的に、証明されてはいない。
僕は、証明されていない事は、信じることも、否定することも、しない主義である。
なので、彼女の言うことを、僕は、頭から、否定する気には、なれなかった。
彼女の言うことを、傾聴しようと思った。
「あなたが、幽霊だと、言うのなら、一応、それを信じましょう」
僕は、言った。
「信じてくれて、ありがとうございます」
と、彼女は言った。
「ところで、あなたは、さっき、僕に、謝らなくてはならないことが、ある、と、言いましたよね。それは、一体、何なのですか?」
僕は、彼女に聞いた。
「そのことなんです。単刀直入に、率直に、正直に言います。私は、幽霊です。そして幽霊である、私と一日、付き合った人間は、一年間、寿命が短くなるんです。もう、私は、純さんと、一日、つきあいましたから、純さんの寿命は、一年間、短くなっているんです。これは、最初に言うべきでした。ごめんなさい」
と、彼女は、涙を流しながら、謝った。
「そうですか。でも、別に、僕は、それでも構いませんよ」
僕は言った。
「どうしてですか。純さんは、寿命が短くなることが、こわくは、ないのですか?」
彼女は聞いた。
「こわくは、ないですね。人間は、いつかは、死にます。それが、一年、短くなったからといって、僕は、別に気にしません。僕は、人間の価値は、いかに長く生きるか、ではなく、生きている間に、何事をなすか、だと思っています。今日、あなたと、楽しく過ごすことが出来た、一日は、歳をとって、寝たきりになって、何も出来ないで、過ごす、一年間より、はるかに、価値があると、思っています。それに、あなたが、幽霊だという主張は、僕は、一応、信じることにしているだけで、僕は、あなたが、幽霊だという主張を、完全には、信じては、いませんし、僕の寿命が一年、短くなった、という、あなたの、主張も、完全には、信じることは、出来ませんから」
と、僕は言った。
「ありがとうございます。そう言って、いただけると、この上なく嬉しいです」
と、言って、彼女は、また、泣いた。
「由香里さん。ところで、あなたは、どうして幽霊になってしまったのですか?」
僕が聞くと、彼女は、また、ポロポロと、涙を流し出した。
そして、語り出した。
「私は、純さん、が、買った車に、はねられて、死にました。大学を卒業して、晴れて、ある、アパレル会社に就職した、社会人一年目の年です。真夜中に、あの車を運転していた人に、はねられて、死んでしまったのです。はねた人は、真夜中で、誰も周りに人はいませんでしたが、すぐに、車を止めて、警察と、消防に、連絡してくれました。でも、私は、アスファルトの道路に、頭を強くぶつけていて、即死でした。ですから、私は、彼を怨んではいません。でも、私も、男の人と、一度もつき合ったことが、なく、どうしても、優しい男の人と、楽しい恋愛を、楽しみたい、という願望が、あまりにも、強くあって、それが、心残りで、どうしても、成仏できないのです。それで、成仏できずに、あの車に、幽霊として、居続けることになってしまったのです」
と、彼女は語った。
僕の心は、彼女の主張を信じる方に、かなり傾いた。
中古車店の、店長が、あんなに、新車に近い、いい、車を、ほとんど、タダに近い、安い金額で、売ってくれたことの理由が、彼女の訴えによって、説明が、つくからだ。
僕は、彼女の言うことを、一応、信じることにした。
「そうだったんですか。それは、気の毒ですね。あなたは、今まで、とても、つらい思いをしてきたんですね。でも、さっき、言った通り、僕は、年老いて、寝たきりになってからの、一年、より、今日の、あなたとの楽しい一日の方が、はるかに、価値があるんです。ですから、気にしないで下さい。今日は、うんと、楽しみましょう」
と、僕は言った。
「ありがとうございます。純さん」
そう言って、彼女は、涙をポロポロ流した。

その後は、もう、彼女とは、辛気臭い、暗い話はせず、波のプール、や、流れるプールで、彼女と、水をかけあったり、つかまえっこをしたりと、うんと、夏の楽しい、一日を過ごした。

時計を見ると、もう、4時30分だった。
大磯ロングビーチは、以前は、6時まで、営業していたが、最近は、不況で、経営が厳しく、午後5時で、閉館となっていた。
もう、あと、30分しかない。
昨日から、平塚七夕まつり、が、始まって、今日は、2日目だった。
「由香里さん。今日は、平塚七夕まつり、を、やっています。行きませんか?」
僕は、彼女に聞いた。
「ええ。ぜひ、行きたいわ」
彼女は、ニコッと、笑って答えた。
僕と彼女は、大磯ロングビーチを、出た。
そして、国道1号線を、走って、平塚駅に向かった。
東海道線の下りで、平塚の次が、大磯で、一駅、だけで、距離も、4kmなので、すぐに、平塚に着いた。
平塚七夕まつり、は、関東三大七夕まつり、の一つである。
来場者は、145万人と、大規模である。
平塚駅の北口の、駅前の、三つの、大通りには、隙間の無いほど、びっしりと、露店が、並んでいた。
大勢の人が、賑やかに行き来していた。
僕と彼女は、金魚すくい、を、したり、焼きトウモロコシ、や、綿アメを、食べたりした。
「金魚すくいって、可哀想ですね」
と、彼女は、言った。
「どうしてですか?」
僕は聞いた。
「だって、金魚は、弱って、動きの鈍い、金魚ばかりが、狙われるんですもの」
と、彼女は、言った。
「そうですね。でも、すくった金魚を、家に持ち帰りたい人は、元気な金魚を狙うんじゃないんですか」
と、僕は言った。
こんな、他愛もないことでも、お祭りは、楽しいのである。
僕は、彼女と、手をつないで、露店を見ながら歩いた。
彼女が、浴衣でないのが、ちょっと残念だった。
通りの中には、お化け屋敷、があった。
入場料、500円と書いてある。
「由香里さん。あれに入って、みませんか?」
僕は、彼女に言った。
「え、ええ。でも、なんだか、こわそうだわ」
彼女は言った。
「何を言ってるんですか。お化け屋敷なんて、人間を、こわがらせるために、巧妙に、わざと、こわく見えるように、作った偽物であって、本当の、お化け、なんかじゃないですよ。その点、あなたは、幽霊じゃないですか」
と、僕は言った。
「でも、本当に、こわいんですもの」
と、彼女は言った。
「ともかく、入りましょう」
と、言って、僕は、二人分の、入場料の、1000円を、払って、彼女と、お化け屋敷、に、入った。
彼女は、入る前から、こわいのか、私の腕をガッシリと、握っていた。
お化け屋敷、の中は、うす暗かった。
お岩さん、や、ろくろ首、や、フランケンシュタイン、や、ドラキュラ、や、化け猫、や、ミイラ、などが、バッと、いきなり、出てきた。
その度に、彼女は、
「うわー」
「きゃー」
「ひいー。こ、こわいー」
と、大声で、叫んで、僕に、ガッシリと、しがみついた。
僕は、こんなのは、全然、こわくなかったので、平然としていた。
そして、やっと、お化け屋敷、を出た。
「ああ。こわかったわ。こわくて、ショック死するかと思ったわ」
と、彼女は、ハアハアと、息を荒くしながら、言った。
僕は、ははは、と、笑った。
「何を言ってるんですか。あなたは、幽霊で、もう、死んでいるんじゃないですか。死んでいる幽霊が、死ぬかと思った、なんて、発言は、矛盾していますよ」
僕は、やはり、彼女は、幽霊ではないのではないか、と思った。
「でも、本当に、こわかったんですもの」
と、彼女は言った。
「そうですか」
幽霊とは、そんなものなのか、と、僕は、ちょっと、違和感を感じた。
お化け、を、こわがる幽霊というのも、変なものだと思った。
「本当に、こわいのは、あなたの方ですよ。だって、あなたは、幽霊なんですから」
と、僕は彼女に言った。
「じゃあ、純さんは、何で、私を、こわがらないんですか?」
彼女は僕に聞いた。
「それは、あなたが、こわい容貌ではなく、美人で、可愛いからです。それと、僕は、あなたが、幽霊であるとは、完全には、信じ切っていません。車の値段が、安すぎるのが、いまだに、不思議ですが、あなたが、幽霊だというのなら、車の値段が、安かった説明が、あなたの主張によって、つくから、一応、信じることに、しているだけ、だからです」
と、僕は言った。

「由香里さん。もう、帰りましょう」
「はい」
僕と、彼女は、駐車場に停めておいた、車にもどった。
「純さん。今日は、楽しかったです。ありがとうございました」
「僕も、楽しかったです。今日は、最高に楽しい一日でした。ありがとうございます。由香里さん」
「あ、あの。純さん」
「はい。何でしょうか?」
「これからも、私と、つきあってくれますか?」
「ええ。大歓迎です」
「でも、私は、幽霊ですから、一日、私とつきあうと、純さんの寿命が一年、縮まりますよ。それでも、つきあって下さいますか?」
「僕は、あなたを、まだ、完全に、幽霊だと、信じ切ることが、出来ないのです。だから、その質問には、答えようが、ありません。あなたが、幽霊だということを、証明することが、出来ますか?」
「わかりました。では、証明します。それでは、一度、車から、降りて、私の写真を撮って下さい」
彼女は、そう言った。
僕は、彼女に、言われた通り、車から、降りた。
彼女も車から出た。
彼女は、車の前に、立った。
「さあ。純さん。車を背にして、立っている、私の、写真を、たくさん、撮って下さい」
彼女は言った。
「はい。わかりました」
僕は、車を背にして、立っている、彼女の、写真を、たくさん、撮った。
「純さん。私の顔写真も、たくさん、撮って下さい」
彼女は言った。
「はい。わかりました」
僕は、彼女の、顔写真も、たくさん、撮った。
彼女は、口を、アーンと、大きく開いた。
「純さん。口を開けている、私の顔も、撮って下さい」
彼女に言われて、僕は、口を開けている、彼女の顔も、撮った。
こんな事をして、何になるのかと、僕は、疑問に思いながら。
「では、AKB48の、ヘビーローテーションを、踊りながら、歌いますので、その動画も、撮って下さい」
彼女は言った。
「はい。わかりました」
彼女は、車の前で、踊りながら、歌い出した。
「ポップコーンが、弾けるように、好きという文字が躍る・・・・♪」
彼女の歌は、上手かった。
しかし、こんな事をして、何になるのかと、僕は、疑問に思っていた。
歌い終わると、彼女は、
「では。車にもどりましょう」
と、彼女が言った。
僕と、彼女は、車にもどった。
彼女は、助手席に座った。
「純さん。私の指紋をとって下さい」
彼女が言った。
僕は、彼女の指紋をとった。
「純さん。私の髪の毛を、数本、とって下さい」
彼女が言った。
僕は、彼女の、髪の毛を、数本、とった。
「では。私が、幽霊だということを、証明します。茅ヶ崎に、私の実家がありますので、そこへ行って下さい。場所は、私が、案内します」
「わかりました」
僕は、車のエンジンを駆けた。
そして、国道一号線を、藤沢の方に、向けて、走り出した。
彼女は、「そこの交差点を左に」とか、「そこの交差点を右に」とか、言った。
僕は、彼女の言う通りに、車を運転した。

「純さん。車を止めて下さい」
彼女が言ったので、僕は、車を止めた。
「あそこの、二階建ての、青い屋根の家が、私の実家です」
そう言って、彼女は、少し先にある、二階建ての、青い屋根の家を指差した。
「では。純さん。私の家族に、さっき、スマートフォンで、撮った、写真や、動画を、見せて下さい。そうすれば、私の言っていることが、本当だということが、証明できます。私は、ここで待っています」
彼女は、自信に満ちた口調で言った。
「わかりました」
そう言って、僕は車を降りた。
そして、二階建ての、青い屋根の家の前に行った。
表札には、「佐藤圭介」、と、書いてある。
彼女の苗字は、「佐藤」だから、合っている。
僕は、チャイムを押した。
ピンポーン。
家の中で、チャイムの音が、響くのが、聞こえた。
「はーい」
女性の声が聞こえて、パタパタ、走ってくる音が聞こえた。
すぐに、玄関が開いた。
一人の、中年の、女性が姿を現した。
「どちらさまでしょうか。ご用は何でしょうか?」
女性は、僕を見ると、そう聞いた。
「あの。ここは、佐藤由香里さんの、お宅でしょうか?」
僕は聞いた。
「由香里は死にました。あなたは、どなたでしょうか?」
女性が聞いた。
「ちょっと、由香里さん、と、縁のある者です。由香里さんに関して、お聞きしたいことが、あります。なので、少し、お話しを聞かせて欲しいのです」
僕は言った。
「由香里の、生前の、お友達ですか?それなら、どうぞ、お入り下さい」
そう言って、彼女は、僕を家に入れてくれた。
僕は、居間に通された。
「どうぞ。お座り下さい」
僕は、彼女に勧められて、居間のソファーに座った。
「あなたは、由香里さん、と、どういう関係の人でしょうか?」
僕は聞いた。
「私は、死んだ由香里の母です」
と、彼女は言った。
「そうですか」
と僕は、言った。
確かに、顔が、彼女と、似ている。
「ところで、あなたは、由香里と、どういう関係の人でしょうか?」
今度は、彼女が僕に、聞いた。
「僕は、由香里さん、の友達です」
僕は言った。
「そうですか」
彼女は、少し、憔悴ぎみの顔で言った。

「あの。これを見て欲しいのです」
そう言って、僕は、スマートフォンを、テーブルの上に置き、さっき、撮った、写真や、動画を再生して見せた。
「ああっ。由香里だわ。これは、いつ、撮られたのですか?」
母親は聞いた。
「少し前です」
僕はそう言った。
「この人は、本当に、あなたの、娘さんの、由香里さん、ですか?」
僕は、念を押すように聞いた。
「間違いありません。これは、娘の由香里です。母親の私が、娘を間違うはずなど、ありません。右足の甲に、由香里の、ほくろ、も、ありますし、右の眉毛の所に、子供の頃、怪我をして、縫った小さな傷痕もありますし、口を開けている写真では、右下の奥から二本目に、治療した、銀歯も、ありますし。娘が、得意だった、ヘビーローテーションの、踊り方も、声も、娘に間違いありません」
母親は、昔を思い出して、少し涙ぐんで言った。
「それに、由香里が着ている服は、由香里が、事故で死んだ時に、着ていた服です」
母親は言った。
「でも、不思議ですわ」
母親が言った。
「何がですか?」
「由香里が背にしている車は、由香里が、はねられた車です。青のラパンです」
「そうですか。でも、青のラパンなど、いくらでも、走っています。由香里さん、が、はねられた車か、どうかは、わからないでは、ないですか?」
「それは、その通りですね。ところで、こういう写真を持っているということは、あなたは、由香里と、かなり、親しい仲だったんですね?」
「え、ええ。まあ、そうです」
と、僕は言った。

「ところで、由香里さん、の写真は、ありますか?」
僕は聞いた。
「ええ。あります。ちょっと、待っていて、下さい。由香里の部屋に行って、とってきます」
そう言って、母親は、階段を昇っていった。
そして、母親は、すぐに、アルバムと、パソコンを、持って、もどってきた。
「これが、由香里の写真です」
そう言って、母親は、アルバムを開いた。
アルバムには、彼女の子供の頃から、大学の卒業式、や、会社に入社した時の、写真が、たくさん、載っていた。
確かに、それは、由香里さん、だった。
高校生の頃の、彼女の写真も、今の、彼女の面影がある。
「これも、見て下さい」
母親は、そう言って、パソコンのディスプレイを、表示させた。
「これは、由香里が、友達と、飲み会をした時に、カラオケ喫茶で、由香里の友達が、撮影してくれた動画です」
そう言って、母親は、スタートボタンを押した。
パソコンのディスプレイに、彼女が、AKB48の、ヘビーローテーションを、踊りながら、歌っている、動画が、映し出された。
その、声も、踊り方も、さっき、見た、彼女の、ヘビーローテーション、と、全く、同じだった。
「うーん」
僕は、唸った。
やはり、彼女は、彼女が言うように、幽霊なのかも、しれないな、と、僕は、思うようになった。
「あなたは、由香里と、親しかった人なんですね?だって、一緒に、レジャープールに行くほどなんですから」
母親が聞いた。
「ええ。そうです」
僕は答えた。
「では。由香里の冥福を、祈って、焼香してやって下さい」
母親が言った。
僕は、二階の、由香里さん、の部屋に入った。
由香里さん、の、写真が祀られた、額縁と、由香里さん、の、位牌が、あった。
僕は、手を合わせて、由香里さん、の、冥福を祈った。
「由香里さん、が、死んだ、ということを、僕は、最近、知りました。ちょっと、変わった、お願いがあるんですが・・・」
僕は言った。
「はい。何でしょうか?」
母親は、聞き返した。
「由香里さん、が、死んだ、ということを、証明できる、ものが、他に何か、あるでしょうか?」
僕は聞いた。
「由香里は、本名で、ブログをやっていました。由香里が死んでも、ブログは、残してあります」
母親は、そう言って、彼女のブログを、見せてくれた。
ブログには、彼女の写真も、たくさん、載っていた。
そして、最後のブログの記事のコメントには、「由香里。悲しいわ。でも、あなたは、立派に生きたわ。私。あなたを、いつまでも、忘れないわ」、などと、いう、友達のメッセージが、たくさん、載っていた。
そして、パソコンで、「佐藤由香里」で、検索すると、「茅ヶ崎市に住む、東海大学、文学部教授の、一人娘の、佐藤由香里さん、が、昨日、自動車事故で亡くなられました」という、記事が、いくつも、出てきた。
「うーん」
と、僕は、唸った。
ここまで、物的証拠があれば、彼女が、本当に、幽霊だということを、信じるしか、ないな。
と、僕は思った。
「どうも、色々と、ありがとうございました」
そう言って、僕は、彼女の家を出た。

そして、車にもどった。
助手席には、彼女が、座っていた。
「どう。私が、幽霊だということが、確信できましたか?」
彼女は僕に聞いた。
僕は、黙っていた。
「まだ、信じられない、というのなら、私の部屋には、私の指紋が、いっぱい、ついているから、私の指紋と、照合しても、いいわよ」
と、彼女は言った。
「由香里さん。あなたは、幽霊になったのなら、どうして、お母さんと、会わないのですか?」
僕は聞いた。
「それは。幽霊と、出会うと、寿命が、一年、縮まるからですよ。私。お母さんの寿命を、縮めたくないもの。それに、私が、成仏できないで、幽霊になってしまった、ということを、おかあさん、が、知ったら、驚くし、不安になるでしょ。それに、幽霊が、本当に、存在する、などと、わかったら、世間を騒がせて、混乱させてしまうでしょ。私、世間を混乱させたくないもの」
と、彼女は、飄々と言った。
「なるほど」
と、僕は言った。
「指紋を照合しても、また、信じられない、というのなら、私の髪の毛で、DNA解析して、調べて下さい。母は、私の遺髪として、私の髪の毛を、持っていますから。DNAが、一致したら、確実に、私だと、証明されるでしょ」
と、彼女は言った。
「いや。由香里さん。その必要はありません。ここまで、確かな証拠が、そろっていれば、僕は、あなたが、幽霊だということを、100%、確信しました」
と、僕は言った。
「ありがとうございます。やっと、信じていただけて、嬉しいです」
と、彼女は、嬉しそうに言った。
「僕は、唯物論を信じ切っていません。確かに、この世の事のほとんどは、唯物論で、説明できます。しかし、人間は、時間、というものを、説明することが出来ません。時計の針の、動きは、時間を、便宜的に、図るための道具に過ぎません。宇宙に、上下があるのかも、説明できません。し、宇宙のはて、は、どうなっているのか、も、わかりません。死後、人間は、どうなるのか、物質によらない精神というものは、存在しない、ということも、科学的に証明されていません。僕は、証明されていないことは、否定しない主義です。ですから、ここまで、証拠が、そろえば、僕は、あなたが、幽霊だということを、信じます」
と僕は言った。
「ありがとうございます。やっと、信じていただけて、嬉しいです」
と、彼女は、嬉しそうに言った。

「あ、あの。純さん」
「はい。何でしょうか?」
「私が、幽霊だと、信じてもらえましたが、こんな私でも、これからも、つきあってくれますか?」
「ええ。大歓迎です」
「でも、私は、幽霊ですから、一日、私とつきあうと、純さんの寿命が一年、縮まりますよ。それでも、つきあって下さいますか?」
「ええ。構いませんよ」
「嬉しいわ」
そう言って、彼女は、涙を流した。
「ところで、由香里さん」
「はい。何でしょうか?」
「あなたと、一日、つきあうと、僕の寿命が一年、縮まるんですよね」
「ええ。そうです」
「僕は、今、二十歳です。僕が、何歳まで、生きられるのかは、わかりませんけれど、平均寿命から考えて、80歳まで、生きられる、と、仮定しましょう。すると、あなたと、これから、毎日、つきあうと、60日後、つまり、二ヶ月後に、僕は、死ぬことになりますね」
「ええ。そうです」
「そこで、僕に提案があるんです。あなたと、つきあう一日は、充実した、一日にしたいですね。毎日、つきあうと、僕は、60日で、死ぬことになります。しかし、月に一度だけ、会う、というように、すれば、60/12=5年、あなたと、結婚生活を、送れることが出来ます。月に、一度でなくても、月に二度でも、構いませんし、あるいは、逆に、二ヶ月に、一度、会う、と、いうように、しても、いいんでは、ないでしょうか。二ヶ月に、一度、会う、とすれば、60/6=10年、あなたと、結婚生活を、送れます。どのくらいの、頻度で会うかは、あなたに任せます」
「なるほど。そういう方法もありますね。気がつきませんでした」
と、彼女は言った。
「結婚生活なんて、毎日、顔を見ていると、惰性で、だんだん、新鮮味が、なくなるものですよ。ささいなことで、夫婦ケンカになったりも、しますしね。芸能人でも、一般の人でも、アツアツの想いで、結婚しても、その半分ちかくは離婚しています。毎日は、会えず、時たま、会える、という方が、いつまでも、新鮮でいられると、思います。毎日、会っていると、厭き、も、来やすいものです。会えない期間があった方が、会いたい、という、情熱が、強くなります。七夕にしたって、織姫と牽牛は、一年に一度しか、会えないから、二人の愛は、激しく燃えあがるのでは、ないですか。一年に一度、会うとすれば、僕は、あと、30年、生きられます。ゲーテも、「ふたりの愛を深くするにはふたりを遠く引き離しさえすればよい」、と言っています。プブリウス・オウィディウス・ナソも、「満ちたりてしまった恋は、すぐに退屈になってしまうものである」、と言っています。シェイクスピアも、「ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋です」、と言っています。どうでしょうか?」
「わかりました。純さん、って、理性的な方なんですね。ちょっと、拍子抜けしてしまいました。でも・・・」
と、言い出して、彼女は、少し、渋い顔になった。
僕は、彼女の思っている事をすぐに、察知した。
そのため、僕は、先手を打った。
「ははは。由香里さん。あなたが、不安に思っていることは、わかりますよ。会わない期間が長いと、僕が、心変わりして、他の女性と、つきあうように、なってしまうんではないかと、心配しているんでしょう?」
彼女は、黙っている。
「由香里さん。答えて下さい」
僕は、強気の口調で、問い詰めた。
「・・・え、ええ。恥ずかしいですけれど、その通りです・・・」
彼女は、顔を赤くして言った。
「その点は、大丈夫です。安心して下さい」
僕は、自信をもって言った。
「どうして、ですか。それを、証明して下さい」
今度は、彼女が、僕に証明を求めるようになった。
「だって、僕は、内気で、無口で、ネクラで、友達なんて、一人もいませんから。彼女をつくることなんて、不可能です。僕は、憶病ですから、女性に、声をかけることなんて、出来ません。僕は、今まで、一度も、彼女、というものを、つくることが出来ませんでした。これからも、つくれないしょう。だから、あなたと、会った時、僕は、有頂天になって、喜んだじゃないですか。僕が、女性と、デートするのは、今日が、生まれて初めてだと、言ったじゃありませんか。僕の、パソコンでも、スマートフォンでも、調べてもらえば、わかりますが、僕が、女性と、楽しそうにしている、写真なんて、一枚もありません。ですから、それが、僕の証明です。科学的には、証明できませんが、あとは、由香里さん、が、信じてくれる、か、どうかに、かかっています」
と、僕は言った。
「僕のスマートフォンを、見て下さい。もし、僕に、恋人が、いるのなら、スマートフォンに、恋人との、メールのアドレスや、恋人との、メールのやりとり、や、恋人と撮った写真が、のっているでしょう」
そう言って、僕は、彼女に、スマートフォンを渡した。
彼女は、スマートフォンを、受けとると、一心に、カチャカチャ操作した。
「どうです。何もないでしょう?」
僕は、彼女に聞いた。
「確かに、何もありません。わかりました。純さんを信じます」
と、彼女は言った。
「ところで、由香里さん」
「はい。なんでしょうか?」
「一日、つきうと、と、寿命が一年、縮まる、と、あなたは、言いましたが、一日というのは、24時間、ちょうど、ですか?」
「いえ。12時間です」
「そうですか。それなら、早く、アパートにもどらないと」
僕は、車のエンジンを駆け、アクセルをグンと踏んだ。
急いで、アパートに帰らねば、と思った。
なぜなら、今日一日、彼女と、つきあってしまったのだから、僕は、一年、寿命が、縮まってしまったのだ。
それなら、彼女と、少し、ペッティングも、したいと思ったからだ。
「ところで、由香里さん」
僕は、車を運転しながら聞いた。
「はい。なんでしょうか?」
「この次は、いつ、会う予定ですか?」
「それは、まだ、決めていません」
「そうですか。できれば、日曜日に、出てきてくれると、助かります。今度、あなたと、会う時は、ディズニーランドに、行きましょう」
「はい。ありがとうございます。楽しみだわ」
彼女は、嬉しそうに言った。

途中に、コンビニがあった。
「ちょっと、トイレに行ってきます。すぐ、もどってきます」
そう言って、僕は、コンビニに入った。
僕は、コンビニのトイレで、オシッコをして、すぐに、コンビニを出た。
急いで、車に入ったが、彼女は、いなかった。
そして、車の中には、彼女の服があった。
そして、メモがあった。
それには、こう書いてあった。
「純さん。ちょうど、12時間、経ちました。私は、消えます。この次は、いつ、お会いするかは、考えておきます。もしかすると、成仏できるかもしれません。由香里」
彼女と、今日、会ったのは、午前、8時頃で、今、ちょうど、午後8時である。
ちょうど、12時間、経ってしまったのだ。
僕は、ちょっと、残念だった。

それから、三ヶ月経った。
彼女は、現れない。
僕が、言ったように、彼女は、気をきかせて、くれているのだろう。
もしかすると、一年は、現れないかも、しれない。
さらに、もしかすると、彼女は、成仏できたのかもしれない。
まあ、しかし、僕としては、彼女がまた現われて、彼女と、ディズニーランドに行くのが、楽しみである。

しかし、日が経つにつれ、僕は、だんだん彼女が恋しくなった。
あんな、きれいな人と、出会えたんだから、ペッティングしておけば、良かった、と、僕は後悔した。
(もう、現れてくれないだろうか?)
僕は、彼女の、ビキニ姿の写真を見ながら、何回も、オナニーした。
彼女が、僕と会いたがっている、のと、同様に、僕も、彼女に会いたくなった。
だが、いつまで、経っても、彼女は、現れなかった。
「きっと、彼女は、成仏してしまったんだろう」
と、僕は、思って、あきらめだした。

それから、一年が経った。
僕は、由香里さん、のことなど、忘れていた。
もちろん、僕は、シャイで、憶病なので、彼女など、つくれない。
町で、手をつないで、歩いているカップルを、うらやましく、眺めるだけである。
七月七日になった。
「純さん。お久しぶり」
そう言って、ひょっこり、由香里さん、が、現れた。
びっくりすると、同時に、僕は、嬉しくなった。
「ああ。由香里さん。会いたかったよ」
僕は言った。
「私もよ」
彼女も言った。
僕は彼女を、ガッシリと抱きしめて、キスした。
「じゃあ、今日は、ディズニーランドに行きましょう」
「ええ」
こうして、僕と、由香里さん、は、ディズニーランドに行き、一年ぶりに、楽しい一日を過ごした。
前回、出来なかったので、一日、ディズニーランドで楽しんだ後は、近くのホテルに、入り、うんと、彼女と、ペッティングした。
「一年に、一回、くらいの、割り合が、良さそうだと思います。では。来年の、七月七日に、お会い致しましょう」
そう言って、12時間、経つと、彼女は、姿を消した。
僕は、来年の、七月七日が、待ち遠しい。



平成28年8月18日(木)擱筆

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焼きリンゴ(医師国家試験小説)

2020-07-09 13:24:04 | 小説
焼きリンゴ(医師国家試験小説)

それは、ある冬のことだった。
哲也は、医学部の6年生で、3ヶ月後には、医師国家試験が、ひかえていた。
哲也は、毎日、毎日、猛勉強の日々だった。
哲也は、自分のアパートで、勉強する、ことが出来なかった。
ストレート・ネックで、肩や腰が凝りやすいため、アパートの机だと、前かがみの、猫背になり。また、哲也は、副交感神経優位型の、人間なので、一人だと、アドレナリンが出ないため、気合いが、入らない。なので、人のいる所でしか、勉強できなかった。
これは、医学的に言うと、「人のいる所でないと、だらけて勉強できない症候群」と言う。
そのため、昼は、大学の図書館で、勉強した。
大学が休みの日は、市の図書館で、勉強した。
そして、図書館が、閉まった後では、24時間、営業の、マクドナルドとか、ファミリーレストランで、勉強した。
しかし、アパートに近い、マクドナルドが、閉店してしまったのである。
そのため、彼は、ある、アパートに近い、ガストで、夜、遅くまで、勉強した。
彼が、夜、いつも、来るので、レストランの、アルバイトの女に、顔を覚えられてしまった。
彼女は、彼が来ると、
「いらっしゃいませー」
と、彼女は、笑顔で、挨拶した。
しかし、彼は、きまりが悪く、感情を入れず、注文をした。
彼は、いつも、ガストの、リブロステーキを注文していた。
なぜ、リブロステーキを注文するか、といえば、彼の目的は、お腹が減って、レストランで、何か、食べるのが、目的ではなく、三時間、以上も、ねばって、レストランで勉強するのが、目的だったから、である。しかし、ファミリーレストランは、食事をする所であって、勉強する所ではない。
レストランとしては、あまり、粘られては、困るのだ。
レストランが、どう思っているかは、わからない。
まあ、一時間くらいなら、レストランも迷惑ではないだろうが。
そして、実際に、食事目的で、レストランに入って、ついでに、ちょっと、食後の食休みとして、文庫本を、少し読んでから、出で行く客もいる。
そういう客は、レストランとしても何の問題もない。
また、恋人同士とか、友達同士が食事目的で入って、その後、長々と、一時間、以上、長話し、する場合だってある。
しかし、レストランは、そういう客を迷惑だとは、思っていない。
男女に限らず、人間が、二人、入ったら、無限に、お喋りは、続きうる。
しかし、レストランとしては、それは、異様なことではない。
しかし、食事をするテーブルの上に、教科書を、堂々と、開き、ノートで、カリカリと、勉強するとなると、これは、明らかに、レストランに、不似合い、である。
実際、彼は、ある別の、ファミリーレストランで、5時間、以上、粘って勉強して、「お客さん。申し訳ありませんが、レストランで、勉強するのは、ひかえて下さい」と、言われたことも、あった。
その時は、ショックだった。
それで、それ以来、彼は、腹が減っていなくても、ある程度、値段のする、料理を注文する、ことで、レストランで、勉強することを、断られないように、したのである。
時間も、3時間まで、と、決めた。
レストランも、値段のする、料理を注文されたなら、儲かるのだから、「勉強しないで下さい」とは、言いにくくなる。というか、言いにくく、しようと、いうのが、彼の作戦であった。
そして、食事を食べて、3時間、したら、出て、他の、ファミリーレストランで、勉強することにした。
彼の作戦は、成功した。
というか。
ファミリーレストランでも、店長によって、考え方が、違っていて、別に長く居てもいいよ、と、思っているような、のんびりした性格の店長もいれば、食事以外のことで、長居されたら、困るな、と思っているような、神経質な性格の店長もいる。
あるファミリーレストランの店長が、どういう性格なのか、それは、客の側からは、わからない。
ただ。一度でも、「あまり、長居して、勉強しないで下さい」と、言われたら、もう、その店では、長居でなくても、20分とか、短時間でも、勉強できにくい、雰囲気になるから、ヒヤヒヤものであった。
店長は、厨房の奥にいて、出てこないから、どんな人か、わからないのである。
そういうわけで、彼は、昼は、図書館で勉強し、(といっても、大学の方でも、図書館を遅くまで利用したい人が多いので、アルバイトを雇って、夜7時まで、開けてくれていた)、図書館が閉まってからは、ガストで、勉強した。
彼が店に入ると、
「いらっしゃいませー」
と、ある、女のアルバイトのウェイターが、愛想よく、笑顔で、挨拶した。
彼女は、いつも、小さなハート型のピアスをしていて、それが似合っていた。
しかし、彼は、黙って、事務的に、テーブルに着き、リブロステーキ・セットを注文した。
彼女は、きれいで、彼女に会えるのは、彼にとって、嬉しくもあるのだが、彼は、不愛想に事務的に答えて、彼女と、感情的には、話さなかった。
それは、彼は、彼女のような、きれいな、女には、声をかけられたことなど、ないから、たとえば、旅で、余所の遠い土地で、そういうふうに、聞かれたら、彼も、笑顔で、感情を入れて、友好的に、対話できるのだが、ここの、レストランは、勉強のために、ほとんど毎日、使わなくてはならない。なので、彼は、事務的に不愛想に答えた。彼女は、彼に好意をもっているようなので、親しい態度をとったら、「勉強、たいへんですね」などと、彼女なら、言いかねない。しかし、そんなことを言われたら、彼にとって、決まりが悪くて仕方がない。
彼女との、感情的な関係を持つか、勉強をとるか、といったら、もちろん、彼は、勉強の方をとった。もちろん、女に無縁な、彼は、女を求める欲求は、人一倍、強いが、学問の価値に比べたら、女の価値なんて、紙クズみたいに、小さなもの、というのが、彼の価値観なのである。
それを、察してか、彼女の方でも、「いらっしゃいませー」と、「ご注文は、何になさいますか?」と、店を出る時に、「ありがとうございました」、という、挨拶しか、しなかった。

ある日のことである。
冬のメニューに、焼きリンゴが、加わった。
めずらしいな、と、彼は思った。
彼は、子供の頃、焼きリンゴが、好きだった。
生の、リンゴは、酸味が強く、あまり好きではなかったが、砂糖で味つけして、甘く焼いた、焼きリンゴは、歯ごたえの感触が、よく、酸味が、砂糖で味つけされて、美味しくなり、それは、天国の美味だった。
それで、彼は、ガストの、焼きリンゴは、どんなものかと、注文してみた。
食べてみると、美味い。特別、美味い、というわけではないが、子供の頃、食べた、焼きリンゴの懐かしさ、が思い出され、また、食べる機会は、これを、除いては、無い。
ちょうど、綿アメ、や、焼きトウモロコシ、や、ケバブ、は、お祭りの時の、出店でしか、食べられないのと同じである。
それで、メニューに、焼きリンゴが、加わってから、彼は、リブロステーキ、だけでなく、焼きリンゴも、注文するようになった。
まず、リブロステーキだけを注文し、食べてから、さりげなく、国家試験の教科書を開いて、勉強し、一時間くらいしてから、テーブルにある、ボタンを押して、焼きリンゴを注文した。きれいな、アルバイトの女が、トコトコと、やって来る。そして、
「はい。ご注文は何でしょうか?」
と、笑顔で聞いてくる。
彼は、メニューを開いて、焼きリンゴを、指さして、
「焼きリンゴ、お願いします」
と言う。彼女は、
「はい。わかりました」
と、言って、厨房に向かう。
しばしして、彼女は、焼きリンゴ、を、持って、彼のテーブルにやって来る。
待っている間は、彼は、医学の教科書は、カバンの中にしまう。
それは、店へ、来るのは、勉強するのが、目的ではなく、あくまで、食事するのが、目的であり、勉強は、その、ついで、と、思わせるためであった。
その目的も、もちろんあったが、勉強で、疲れた頭を、一休みする目的もあった。
(はあ。疲れた。焼きリンゴを食べて、酷使した脳にブドウ糖を送らねば)
そう重いながら、彼は、焼きリンゴ、が、来るのを待っていた。
すぐに、アルバイトの女が、焼きリンゴ、を持ってきて、ニコッと、笑い、
「はい。どうぞ」
と、一礼して、おもむろに、テーブルに焼きリンゴ、を置いた。
彼は、いかにも、泰然自若として、紳士然として、焼きリンゴ、を食べた。
それは、もちろん、焼きリンゴ、を味わうためであることは、間違いないが、彼が、店に来るのは、こうして、食事をするためだ、ということを、協調するためでもあった。

しかし、ある時である。
それは、木枯らしが、ふいて、特に寒い夜だった。
彼が、毎回、焼きリンゴ、を注文するので、アルバイトの女は、焼きリンゴ、を持ってきた時、笑顔で、
「焼きリンゴ。美味しいですか?」
と、聞いてきた。
彼は、内心、おわわっ、と、あせった。
毎日、毎日、勉強に明け暮れ、さらには、俗なる世事に関心が向かわぬ、道学者なる彼にとって、世の女の心など、知る由もなかった。
ただ、彼女の態度から、彼女が、彼に好意を持っていることは、気づいていた。
彼は、彼女が、聞いてきたのは、焼きリンゴ、が、美味しいのか、どうか、と、いうことを、知りたい、という理由からではなく、彼に、話しかける、キッカケのためだと、感じとった。そして、それは、まず、間違いないだろう。
彼は、レストランで、勉強するのが、目的だったから、彼女の好意は、嬉しかったが、彼女と、親しくなりたくなく、それで、
「ええ」
と、小さな声で、厳格さを装って、答えた。
彼女は、彼が、無機的な態度をとったので、さびしそうに、厨房にもどっていった。
彼女が、彼に、好意を持ってくれていることは、無上に嬉しかった。
こんな機会は、彼の人生でも、めったになかった。
だから、勉強目的ではなく、単に、食事のためだけに、ガストに入っているなら、彼は、彼女と、うちとけて、心を開いて、話すことも、出来る。
自分の携帯番号と、メールアドレスを彼女に教え、また、彼女の方でも、彼女の、携帯番号と、メールアドレスを彼に教えてくれた、だろう。
というか、彼女に、メールアドレスを教えれば、きっと、彼女は、彼に、メールを送ってくれるだろう。彼に、メールを送ることで、彼女の、メールアドレスも、わかる。
そして、「一度、会いませんか」ということになって、どこかの喫茶店で会って、話して、意気投合して、親しくなり、彼の、夢である、大磯ロングビーチに、セクシーなビキニ姿をした彼女と、行くことも、出来たに違いない。
しかし、彼には、医師国家試験に通るまでは、勉強が何より、あらゆることに、優先するので、残念ながら、それは、出来なかった。

年が明け、いよいよ、勉強がラストスパートに入った。
国家試験は、二月の中旬だった。
彼は、昼間は、大学の図書館で、勉強し、図書館が閉館した後は、ガストに行って、勉強した。
そして、二月に入り、勉強は、今までの、復習と、模擬試験の復習の、ラストスパートに入った。

そして、とうとう医師国家試験の前日になった。
朝から、気合いが入った。
試験会場は、近畿大学だった。
彼は、試験会場に近い、ホテルを、あらかじめ、予約しておいた。
ホテルには、イヤーノート、パターンで解く産婦人科、100%小児科、チャート式の公衆衛生、の、教科書を持っていった。
医師国家試験の模擬試験の結果から、まず、自信は、あったが、今回から、それまでの、総合点、6割、合格、から、今回から、採点方法が、変なふうに、変更されていた。医師国家試験は4年ごとに、改定があるのだが、今年は、その年だった。総合点、6割、合格は、変わりないが、まず、必修問題というのが、決められて、それは、8割、取らなくてはならず、また、マイナー科目では、4割、以上、取らないと、足きりを、すると、厚生省は、発表していた。
彼の模擬試験の成績は、7割を切ったことがなく、合格は、まず自信があったが、必修問題で、8割、取らなくてはならない、となると、これは、油断できない試験だった。
ホテルには、他の医学部の受験生も、多く、来ていた。
国家試験が近づくと、今年は、どんな問題が、出そうだとかいう、予想問題の本が出て、彼らは、噂によると、試験前日でも、夜遅くまで、勉強するらしかった。
しかし、予想問題など、たいして当たらない、ということも、彼は、噂で聞いて知っていた。
模擬試験で、まず、合格点が出ているのだから、彼は、持ってきた、参考書を、サラサラ―と、通し読みして、ゆったり風呂に、浸かって、軽い夕食をとって、早めに寝床に入った。
彼は、朝が弱いので、モーニング・コールと、目覚まし時計をかけて、寝床に入った。
寝つきの悪い彼ではあったが、睡眠をとっておかなくては、という意識が強く働いてか、いつの間にか、眠りに就いた。

翌朝。試験第一日目である。
目が覚めると、7時、少し前だった。
モーニング・コールも、目覚まし時計のセットも、必要がなかった。
彼は、机に、向かって、サラサラッと、昨日と、同じように、参考書に目を通した。
そして、軽いトーストと、ゆで卵と、紅茶の朝食を食べてから、少ししてホテルを出た。
少し早めにホテルを出たので、試験会場は、まだ、受験生は少なかった。
彼は、自分の席の番号の席についた。
ここでも、参考書を、再度、サラサラッと見直した。
だんだん、受験生が入ってきた。
この試験を落とすと、もう1年、暗い浪人生活を送らねばならないかと、思うと、嫌が上でも、緊張感が高まっていった。
試験監督が入ってきて、試験用紙を配った。
ガヤガヤ話していた、受験生たちも、しんと静かになった。
「はじめ」
の合図で、受験生は、一斉に、パラパラと試験用紙をめくった。
第1日は、一般問題、2つと、量の少ない、臨床問題、一つだった。
試験が、始まるまでは、緊張感で張りつめていたが、いざ、問題を解き出すと、だんだん、落ち着いてきた。
試験問題は、5者択一だが、しぼりきれず、二者択一となる、問題が、結構、多かった。
そういう問題は、模擬試験の時も、そうしていたが、一応、一番、正しいと思われる、ものに、マークして、△マークをつけて、後で、熟考することにしていた。
最初の問題が、終わると、ほっとした。
その後の、2つの試験は、リラックスして受けれた。
だいたい、大丈夫、だという感触があった。
ただ、必修問題で、しっかり、取れているか、が、気にかかった。
試験会場を出ると、すでに、今日の問題の、正解を配っている人がいた。
国家試験の予備校の人である。
どうして、そんなに、すぐに、解答を配れるのかは、わからなかった。
試験問題は、試験が終われば、持って帰れる。
しかし、試験問題を持って帰れるのは、受験生だけである。
厚生省が、国家試験の予備校にも、試験問題を一部、試験終了とともに、配っているとも思えない。
ただ、試験が終わったら、受験生は、試験問題を持っているので、それを、予備校の講師が、見せてもらって、猛スピードで、解いて、解答を出しているとしか思えない。
しかし、実際のところは、どうなのかは、わからない。
もちろん、彼も、解答の紙を受けとって、電車に乗り、ホテルにもどった。
1日目の問題は、2日目の問題の傾向が、わかりやすい、と、言われているが、彼は、1日目の、問題の、答え合わせは、しなかった。
他の人なら、答え合わせする人の方が、圧倒的に多いだろうが、彼はしなかった。
それは、もう、済んでしまった試験であり、採点して、いたずらに、気持ちが動揺しないように、という理由からである。
気持ちが、動揺して、眠れなくなることのリスクの方が、大きいとも、思っていた。
それに、模擬試験の結果から、まず、合格できる実力はあるのだから、小賢しいことに気を使わず、堂々と、していた方が精神的に、いいと、思ったからである。
精神の安定が、彼にとって、何より大事だった。
1日目の試験が終わって、高まっていた緊張感が、ぐっと解けていた。
彼は、風呂に浸かり、参考書を、パラパラッと、見直して、軽い夕食を食べて、モーニング・コールと、アラームをセットして、寝床に入った。
気持ちが、リラックスしていたので、その晩は、すぐに寝つけた。

2日目の朝となった。
泣いても、笑っても、今日で、試験は終わりである。
朝は、昨日と、大体、同じに、7時頃に目が覚めた。
彼は、机に向かって、パラパラッと、参考書に目を通した。
そして、軽い朝食を食べて、カバンを持って、ホテルをチェック・アウトした。
2日目は、ぐっと、気持ちがリラックスしていた。
2日目は、2つの試験で、2つとも、臨床問題である。
一般問題より、臨床問題の方が、頭を使うが、1日目の、3番目の試験は、量は少ないが、臨床問題なので、それが、予行練習となっていたので、それほど、緊張しないで解くことが、出来た。
1日目と、同様、試験問題は、5者択一だが、しぼりきれず、二者択一となる、問題が、結構、あった。
そういう問題は、1日目と同様、一番、正しいと思われる、ものに、マークして、△マークをつけて、後で、熟考することにした。
2番目の問題も、終わった。
試験が終わった時には、
(ああ。全力を出し切った)
という満足感があった。
ともかく、張りつめ続けていた、気持ちが、全部、吹っ飛んだ。
採点していないが、手ごたえは、十分、あった。
試験場を出ると、昨日と同じように、今日の試験問題の解答を配っている人がいたので、それを、受け取った。
手ごたえは、あったが、必修問題で、8割、取れているか、は、すごく気にかかっていた。
今すぐにでも、採点したい気持ちを押さえて、彼は、近くの喫茶店に入り、急いで、採点した。
総合点は、6割合格の試験で、7割5分、あったので、問題は、全くなかった。
しかし、必修問題を採点すると、78%だった。
彼はあせった。
(総合点で、十分、取っているのに、必修問題で、2点、足りないだけで、落とされるんだろうか?)
まさか、と思いつつ、その悩みは、深刻だった。
しかし、まさか、そんな理不尽なことは、しないだろう、という考えも、一方で、強くあった。試験後、すぐに配られる国家試験の予備校の解答は、必ずしも、100%、正確というわけではない。また、国家試験は、不適切問題、というのが、毎年、2~3問、ある。
試験は、マークシート形式だから、採点は、早く出来るはずだが、国家試験の合否の発表は、1ヶ月後である。国家試験の模擬試験の、全国の平均点は、ちょうど、6割くらいであり、それは、本試験でも、同じである。ちょうど、合否をわける60点、前後をとった受験生が、圧倒的に多く、そのため、厚生省としても、合否の決定は、慎重にする。
不安な思いのまま、彼は、アパートに帰り、コンビニの幕の内弁当を買って食べて寝た。

翌日になった。
彼は、必修問題で、2点、足りないことが、気にかかって仕方がなかった。
それで、彼は、医師国家試験の模擬試験や、医師国家試験の予備校、医師国家試験用の参考書などを出版している、大手の、(株)TECOMに電話してみた。
すると、(株)TECOMでは、
「総合点は、6割、越しているが、必修問題で、8割、取れていない、私と、同じような人からの、問い合わせが、殺到している」
「今回の試験では、必修問題での、8割、での、足きり、や、マイナー科目での、4割、以下、の足きりは、しないだろう」
という答えが、かえってきた。
彼は、それを聞いて、ほっと、胸を撫で下ろした。
医師国家試験は、資格試験であるから、運転免許試験と同じであり、規定の点数が取れていれば、合格となるはずなのだが、それは、建て前的な、要素があるのである。
国家試験の、過去の合格率でも、大体、いつも、9割、に近い、8割台で、続いている。
医師国家試験は、合格率、9割の、選抜試験的な面があり、受験生100人に対し、10人、落とす試験、と、毎年、なっている。
そのため、厚生省としても、合否の決定は、1ヶ月かけて、慎重にする。
しかし、TECOMで、私と同じように、総合点では、合格点なのに、必修問題で、8割、取れていない受験生が多い、ということと、今年は、必修問題での、8割、の、足きりは、無いだろう、という、ことを聞いて、彼を悩ませていた、不安は、一気に、取り除かれた。
まず、合格できる、だろうと、彼は、強く確信した。
総合点で、75%も、取っているのに、それでも、落とせるものなら、落としてみろ、という、開き直り、の気持ちに、彼は、なっていた。
不安が、一気に吹っ飛んだ。
それまで、医学部の中間試験、期末試験、そして、国家試験と、試験に次ぐ、試験の日々を送ってきたが、もう、これで、試験はなくなるのだ。
そう思うと、試験、という今まで、のしかかっていた重圧が、全て吹き飛んだ。
彼は、歌でも歌い出したい気分になった。
医者になっても、たえず、進歩する、医学の勉強は、一生、しなくては、ならないが、合否を分ける試験というものは、もう、無いのだ。
あらゆる、束縛から、解放されて、彼は、自由の身になった喜びを感じていた。
思えば、医学部に入ってからというもの、試験に次ぐ、試験の毎日だった。
それが、試験のない時でも、潜在意識として、彼の心の重荷になっていた、学生生活だった。
いつの間にか、それが、当たり前の、生活と思うようになっていた。
しかし、国家試験が、終わって、潜在意識で、絶えず、彼を圧していた、重荷から解放されて、彼は、羽が生えて、飛べるかのような、解放感、自由の有り難さを、あらためて、ひしひしと感じた。
医学部といえども、入学して2年間の教養課程は、比較的、楽であり、遊ぶゆとりの時間があった。
特に、1年は、楽で、実習もなく、ほとんど、みな、車の免許を取り、授業には、出ず、アルバイトに励んでいた。
100人のクラスで、授業に出ているのは、10人もいない授業も多かった。
1年の時は、法学だの、美学だの、人類学だの、の授業があったが、講師が、早口で、まくしたてるだけで、何を言っているのか、さっぱり、わからなかった。
それでも、彼は、数人の、授業に出ている、真面目な生徒と、出席し、そして、彼らと、友達になった。
3年からは、基礎医学が始まって、一気に、医学一辺倒の勉強になった。
もう、3年からは、遊べなかった。
ひたすら、分厚い医学書で、医学の知識の、詰め込みである。
人間は、机に向かって、頭ばかり、使っていると、体を動かしたくなるものである。
他の生徒は、部活の運動部で、その生理的欲求をはらしているのだろうが、彼は、集団に属することが嫌いで、部活には入らなかった。

彼は、久しぶりに、琵琶湖バレースキー場に行った。
琵琶湖バレースキー場は、2年の冬に行ったのが、最後だった。
彼は、うんと、思うさまゲレンデを滑った。
スキーの技術は、衰えていなかった。
一度、身につけた技術が、衰えるということはない。
それで、その後には、近くにある、テニススクールに、スポットレッスンという、スクール生でなくても、随時、一回、一定の料金を払えば、スクール生と、一緒に、レッスンを受けられる、テニススクールがあったので、そのテニススクールで、久しぶりに、テニスをやった。
彼は、大学一年の頃、しばしば、スポットレッスンで、そのテニススクールで、レッスンを受けたことがあった。
そして、大阪へ行って、市内観光バスで、大阪市内を見学した。
国家試験直後に、十分、休みをとったら、また、脳に、活動したい欲求が起こってきた。
それで、彼は、毎日、小説を読んだ。
医学の、ややこしい、本を読み続けてきた、ために、頭の回転が、良くなっていて、小説、や、文学書は、一気に、かなり速く読めた。

そうこうしている内に、卒業式が行われた。
男は、スーツに、ネクタイで、女は、着物だった。
彼は、スーツを持っていないので、友達に、スーツを借りた。
長い、勉強一色の六年間だった。
しかし、もう、これで、クラスメートと会うことも無い。
彼は、本当は、実家に近い、横浜市立大学医学部に入りたかったのである。
国公立は、二校、受験できたが、横浜市立大学医学部は、東京に近いためか、偏差値が、少し高く、もちろん、彼の第一志望で受験したが、最終的には、合格できなかった。
それで、彼は、第二志望として、群馬大学医学部も、考えた。
群馬大学医学部は、国立だが、なぜか、偏差値は、そう高くなく、模擬試験でも、十分、合格の判定が出ていた。
しかし、彼は、第二志望として、群馬大学医学部は、考えなかった。
なぜか、というと、群馬大学医学部は、二次試験が、なぜか、数学と国語だったからである。それと、小論文であった。
彼は、ガチガチの論理的思考型理系人間なので、英語や、数学や、理科、は、得意だったが、物事を大づかみに理解する、文科系学問である、国語や社会は、苦手だった。もちろん、小論文も苦手だった。
模擬試験の総合偏差値の結果では、入れる可能性が十分あったが、それは、理系の学科で、点数をかせいでいる、のであって、二次試験の、国語や小論文で、入れるか、どうかは、非常に不安だった。
彼は、カケをしない性格であった。
彼は、危険なバクチは、しない。
東北や沖縄の国公立医学部では、遠すぎる。
それで、彼は、本州の国公立医学部で、家から、大学まで、新幹線で、五時間で、行ける、奈良県立医科大学を、第二志望に選んだ。
奈良県立医科大学の、二次試験は、英語、数学、理科二科目、で、小論文もなく、彼にとって、得意な学科で、勝負できた。しかも、奈良県立医科大学は、一次試験よりも、二次試験の配点の方が、高かった。
なので、彼は、第二志望に、奈良県立医科大学を選んだのである。
そして、合格した。
もしかすると、第二志望で、群馬大学医学部を受験していても、入れたかもしれない。
しかし、それは、わからない。
彼は、危険な賭け、は、しない主義だった。
試験は、合格か不合格かの、全か無か、なのである。
そのため、彼は、安全策をとって、奈良県立医科大学を第二志望として受験し、そして無事、合格した。
しかし、彼は、関西が肌に合わなかった。
そのため、彼は、卒業前の6年の夏に、横浜市立大学医学部の内科に、入局の願いをしていたのである。そして、大学の方でも、それを、快く認めてくれたのである。

卒業式が終わって、数日後に、国家試験の発表の日が来た。
発表の場所は、大阪の、厚生局事務所だった。
近鉄大阪線に乗って、彼は、大阪の、厚生局事務所に行った。
受験番号「4126」
彼は、まず、大丈夫だろうと、思いつつも、一抹の不安も、持っていた。
必修問題で、8割、行かず、78点だったからだ。
しかし、掲示板に、彼の番号はあった。
ほっとした。
「やった。これで、オレは、医者になれたのだ」
「もう、厳しい試験勉強をしなくてもいいのだ」
そういう思いが、胸から、沸き上がってきた。
これで、彼は、完全に、ほっとした。
彼は、近鉄大阪線で、アパートに帰った。

アパートに着いた彼は、久しぶりに、彼は、ガストの、焼きリンゴ、を食べたくなった。
リブロステーキも。
そのため、彼は、ガストへ行った。
国家試験が終わって、合否の発表まで、一ヶ月あり、その間、一度も、ガストには、行かなかったので、一ヶ月ぶりである。
もう、勉強するためではなく、食事を味わうためである。
しかし、食後、小説を読もうと、カバンに、小説を数冊、入れて、持っていった。
久しぶりに、彼に、好意を持ってくれている、アルバイトの女性に会えるのが、非常に、楽しみだった。
彼は、事務的な、受け答えではなく、彼女に話しかけられたら、彼も、感情を入れて、対話しようと思った。
レストランで、受験勉強をしていた時は、試験に、合格できるか、どうかの、一世一代の、大きな、試練だったので、彼女に、心を開けなかったのだが、今は、もう、医師国家試験に合格した、立派な医者である。
まだ、一人前ではないが、法的には、医者である。
彼女が、「焼きリンゴ、美味しいですか?」と、聞いてきたら、「ええ。とっても、美味しいです」と、笑顔で、嬉しさを込めて、答えようと思った。
そして、彼女との、会話も、弾んで、携帯電話の番号や、メールアドレスも、教えあって、「いつか、どこかの、喫茶店で、お話しませんか」ということになって、どこかの喫茶店で会って、話す。そして、意気投合して、夏には、リゾートプールで、抜群のプロポーションのビキニ姿の彼女と、手をつないで、プールサイドを歩く。などという、想像が、どんどん、ふくらんでいった。
高鳴る気持ちを押さえながら、ガストのドアを彼は、開けた。
「いらっしゃいませー」
アルバイトの女の店員が声を掛けた。
しかし、そのアルバイトの店員は、彼女ではなかった。
彼は疑問に思いながらも、あるテーブルについた。
「何になさいますか?」
アルバイトの女が彼の所に来て聞いた。
「リブロステーキを、お願いします」
そう彼は、注文した。
しばしして、アルバイトの女が、リブロステーキを持ってきた。
彼は、リブロステーキを食べた。
受験前の勉強の時は、疲れた頭を休める休息のための食事だったが、潜在意識に、受験の緊張感が、いつもあったので、料理を、ゆっくり味わう、ことが出来なかったが、全ての肩の荷が降りて、純粋に、食事のために、味わう、リブロステーキは、格別に美味しかった。
リブロステーキを食べ終わると、彼は、カバンから、文庫本を取り出して、読んだ。
彼は、森鴎外の、「渋江抽斎」の続きを、読み始めた。
彼は、学生時代中に、森鴎外の、素晴らしさに、気づき、森鴎外の、歴史の短編小説を読んでいたが、「渋江抽斎」は、長く、国家試験の勉強が、始まってからは、勉強一色の毎日になってしまったので、とても、長編小説は、読む時間がなくなり、国家試験が終わってから、読もう、と、思っていた。
「渋江抽斎」は、特に、ストーリーのある、話しではないが、森鴎外の、文章は、読んでいて、心地良い、不思議な魅力があった。
しかし、彼は、一方で、あの、アルバイトの女は、どうしたんだろう、と、そのことが、気にかかっていた。
もう少し、待てば、来るかもしれない、と、思いながら、彼は、小説を読んだ。
一時間くらい経った。
しかし、彼女は、来ない。
彼は、読書の一休みとして、テーブルのブザーを押した。
アルバイトのウェイトレスがやって来た。
「はい。ご注文は何でしょうか?」
新しいアルバイトのウェイトレスが聞いた。
「焼きリンゴ、を、下さい」
と、彼は言った。
「はい。わかりました」
そう言って、アルバイトの女は、厨房に戻って行った。
しばしして、ウェイターは、焼きリンゴ、を、持ってきた。
そして、焼きリンゴ、を、テーブルの上に置いた。
「あ、あの・・・」
アルバイトのウェイトレスが話しかけてきた。
「はい。何でしょうか?」
彼は、聞き返した。
「お客さま。もしかして、一ヶ月、ほど前まで、毎日、夜に、ここへ来ていた、お客さまでは、ないでしょうか?」
アルバイトの女が聞いた。
「え、ええ」
彼は、どうして、彼女が、それを知っていて、そんな質問をするのだろうか、と疑問に思いながら、聞いた。
「やっぱり、そうでしたか」
アルバイトの女が納得したような口調で言った。
「一体、どういうことでしょうか?」
彼は、どういうことなのか、さっぱりわからず、疑問に思って聞いた。
「お客さまが、来ていた時、髪の長い、ハートのピアスをした、女のウェイトレスが、いたのを、お客さまは、覚えていらっしゃるでしょうか?」
アルバイトの女が聞いた。
「ええ。覚えています。今日は、彼女は、休みなのでしょうか?」
彼は聞いた。
「いえ。一週間前に、やめました」
アルバイトの女が言った。
「ええっ。そうなんですか?」
彼は、驚いて、思わず、大きな声を出した。
「ええ。それで、ここで、求人の広告があったので、私が、一週間前に、彼女がやめる日に、彼女と、入れ代わるように、私が、勤め始めたんです」
と、アルバイトの女が言った。
「私は、彼女と、一日だけですが、一緒に働きました。彼女が、やめる日です。そして、彼女は、さびしそうな顔で、こう言ったんです。『もし、私が辞めたあとに、万一、リブロステーキと、焼きリンゴ、を、注文する、学生くらいの歳の男のお客さまが来たら、この手紙を渡して下さい』と。そう言って、彼女は、辞めていきました」
これがその手紙です、と彼女は言って、一通の封筒を、テーブルの上に置いた。
そして、アルバイトの女は、厨房に戻って行った。
彼は、急いで、封筒を開けた。
中には、手紙が入っていた。
それには、こう書かれてあった。
「焼きリンゴ様。こういう、呼び方をすることを、お許し下さい。私は、あなた様の、名前を存じませんので。あなた様が、店に来られるのは、私の、密かな楽しみでした。率直に、言いますが、私は、あなた様を好きでした。あなた様が、店に来られる時、私の胸は高鳴りました。しかし、一方、あなた様が、私のことを、どう思っているのかは、どうしても、分かりませんでした。私が、あなた様と、懇意になりたくて、親しく話しかけても、あなた様は、感情を出さないで、事務的に、答えるだけで、あなた様の、私に対する気持ちは、どうしても、分かりませんでした。しかし、もしかすると、私に好感を持って来ていてくれるのではないか、とも思っていました。毎日、店に来て下さるのですから。外食は、値段が高く、自炊したり、自炊しないのであれば、コンビニ弁当を買って食べた方が、ずっと、安いはずです。それでも、来るのは、私が目的、なのではないだろうか、と、私は、思いました。男の人は、特に、気難しい、神経質な性格の人は、女の人を、心の中で、好いていても、それを、素直に感情に表わさない、または、表せない人もいる、ということは、聞いて、知っていました。あなた様は、そのタイプなのだろうかと思いました。しかし、あなた様は、とうとう来なくなりました。私は、その時、確信しました。あなた様は、私に対して、特別な感情は、持っていないのだと。そして、あなた様には、親しくしている女の人が、いるのだろうと。それで、三週間、来なかったら、店を辞めようと思いました。私も生活が楽ではなく、田舎に帰って、見合いすることを、親に勧められていました。それを、断って、店のアルバイトを続けていたのは、あなた様に、会いたい一念からでした。しかし、あなた様は、来なくなりました。さびしいですが、私は、田舎に帰ります。私の実家は熊本です。ただ、私の、切ない胸の内は、どうしても、告げておきたくて、手紙を、新しく入った、アルバイトに、渡して、あなた様が、万一、来たなら、渡して欲しい、と、頼みました。さようなら。幸せになって下さい。かしこ」
読み終えて、彼は、顔が真っ青になった。
彼は、テーブルのブザーを押して、ウェイトレスを呼んだ。
ウェイトレスは、すぐに、やって来た。
「はい。ご注文は、何でしょうか?」
ウェイトレスが聞いた。
「いや。注文ではありません。この手紙の女の人の住所か、連絡先は、わかりませんか?」
彼は聞いた。
「・・・い、いえ。わかりません」
ウェイトレスが言った。
「そうですか。店長は、いますか?」
「はい。います。厨房の奥にいます」
「店長と、ちょっと、話しがしたいのですが、呼んでいただけないでしょうか?」
「どんなご用件でしょうか?」
「それは、会ってから、話します」
「わかりました」
そう言って、ウェイトレスは、厨房に戻って行った。
すぐに、中年の男が、やって来た。
ウェイトレスと一緒に。
「私が、この店の店長です。お客さま。ご用は何でしょうか?」
中年の男の店長が聞いた。
「まあ、掛けて下さい。といっても、あなた店ですが・・・」
そう言って、彼は、店長に、座るように、手を差し出して、促した。
言われて、店長は、彼のテーブルに、彼と向かい合わせに座った。
「ご用は何でしょうか?」
店長は、再び、同じ質問をした。
無理もない。客が、店長を、呼び出して、話す、ということなど、まずない。料理に、ケチをつける客なら、もっと、乱暴な口の利き方をするはずである。
彼は丁寧な口調で話し出した。
「一週間前まで、この店で、働いていた、アルバイトの女の人が、いましたよね。耳にハートのピアスをした。そして、彼女は、一週間前に、この店を辞めましたよね」
「ええ。それが何か?」
店長は、彼を、訝しそうな目で見た。
「彼女の、住所か、電話番号か、何か、彼女の身元は、わかりませんか?」
彼は聞いた。
「それを、調べて、どうするのですか?」
店長が聞き返した。
「彼女に会いたいんです。お願いします」
そう言って、彼は頭を下げた。
店長は、困惑した表情になった。
「・・・しかし、そう言われましても。お客さまに、店員の個人情報を、お教えすることは、出来ないのですが・・・」
店長は、困った様子で言った。
「そこを、何とか、お願いします。さっき、ウェイトレスから、彼女からの、手紙を、受け取りました。これが、それです。ちょっと、これを読んでください」
そう言って、彼は、手紙を店長に手渡した。
店長は、手紙を、受けとると、すぐに、手紙に目を走らせた。
そして、読み終えると、彼に目を向けた。
「そんなことが、あったんですか。全然、知りませんでした。それで、お客様は、何のために、彼女に会いたいのでしょうか?」
店長が聞いた。
「彼女の誤解です。私は、彼女を好きでした。今でも、好きです。彼女が誤解したまま、田舎に帰って、見合いしてしまうのは、私にとっても、彼女にとっても、やりきれないことです。ですから、どうか、彼女の身元を知っていたら、教えて欲しいのです」
彼は、熱心に、そう店長に頼んだ。
店長は、しばし、思案を巡らしている様子だった。
しかし、少しして、店長は、口を開いた。
「わかりました。そういう事情なら、特別に、お教え致しましょう。ちょっと、待っていて下さい」
そう言って、店長は、厨房に戻って行った。
そして、また、すぐに、彼のテーブルに戻ってきた。
店長は、テーブルに、彼と、向き合うように座った。
そして、彼にメモを差し出した。
メモには、住所が書いてあった。
「これが、彼女の住所です。彼女の履歴書をまだ捨てていませんでした」
そう店長は、言った。
「どうも、有難うございます」
彼は、深々と頭を下げると、彼女の住所を、スマートフォンに入力した。
彼は、レシートを持って立ち上がった。
そして、レジで、リブロステーキと、焼きリンゴの代金を払って、店を出た。
店の前の、道路を待っていると、すぐに、空車の赤ランプ、のついた、タクシーがやってきた。
彼は、手を上げて、タクシーに乗り込んだ。
「この住所の所まで、お願いします」
そう言って、彼は、タクシーの運転手に、彼女の住所のメモを渡した。
「わかりました」
そう言って、タクシーの運転手は、車を走らせた。
10分、ほど、タクシーは、走って、その住所の所に着いた。
同じ市内だが、そこは、彼の行ったことのない場所だった。
二階建ての、10棟の、集合住宅だった。
彼は、彼女の、部屋番号である、203号の前に立った。
表札には、「安藤美奈子」と、書いてあった。
彼は、勇気を出して、チャイムを押した。
ピンポーン。
チャイムが、部屋の中で響く音が聞こえた。
「はーい」
女の声がして、パタパタと、玄関に向かって、走ってくる音が聞こえた。
「どなたさまでしょうか?」
ガチャリ。
戸が開いた。
「こんにちは。いや、はじめまして。いや、はじめて、ではないですね」
と、彼は、笑って挨拶した。
「あっ」
彼女の顔は、真っ赤になった。
彼女は、何と言っていいか、わからない様子で、困っている。
「あの。おじゃまして、よろしいでしょうか?」
彼の方から聞いた。
「は、はい。どうぞ。お入り下さい」
彼女は、あせって言った。
彼は、彼女の部屋に入っていった。
部屋は、まるで、入居前のように、きれいにかたづけられていて、段ボールが、何箱も、積まれていた。
「私のことを、覚えていて下さっているのでしょうか?」
彼女がおそるおそる聞いた。
「ええ。はっきりと、覚えていますよ。ガストで、アルバイトしていた人ですよね」
彼は、余裕の口調で堂々と言った。
「あの。さっき、ガストへ、行ってきたんです。そして、あなたと入れ替わりに、新しく入ったアルバイトのウェイターから、あなたの、私に宛てた手紙を受け取りました。それで、店長に、あなたの住所を聞いて、そのまま、やってきたんです」
彼は、穏やかな口調で言った。
「そうだったんですか。お手数を、おかけしてしまいまして、申し訳ありません」
彼女は、丁寧な口調で言った。
「手紙、読みました。このように、荷物がまとめられているのは、実家の熊本へ帰るためですか?」
彼は聞いた。
「え、ええ。明日、宅配便で、実家に送って、明日、ここを出る予定です」
彼女が言った。
「そうだったんですか。それは、ちょうど、よかった」
彼が言った。
「何が、良かったのでしょうか?」
彼女が聞いてきた。
「美奈子さん。僕は大東徹と云います。あなたの手紙、読みました。私は、あなたを、悩ましていたのですね。申し訳ありませんでした」
そう言って、彼は、両手をついて、彼女に深々と、頭を下げた。
「いえ。変な手紙を、お渡しして、しまって、申し訳ありません。あんな手紙を読まれてしまって恥ずかしいです」
彼女は謝った。
「いえ。私の方こそ、あなたに、変な態度をとって、あなたを、悩ましてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
彼も謝った。
「変な態度、って、どういうことでしょうか?」
美奈子が聞いた。
「つまり、あなたが、親しく話しかけてくれたのに、私が不愛想な態度だったことです」
彼は言った。
「いえ。私に、気がないのですから、変でも、何でもありません」
美奈子が言った。
「美奈子さん。正直に言います。実は、僕も、あなたの、笑顔や、温かい心が、とても、嬉しかったんです。僕も、あなたと、親しくなりたいと思っていたんです」
そう言って、彼は、彼女の手をとった。
彼女の手は、冷たかった。
「ええっ。本当ですか?」
彼女の表情が、一気に変わった。
「ええ。本当です。あの時、僕は、人生の生死を分けるほどの、試験である、医師国家試験の勉強が最大のことだったんです。僕は、実は、ガストへ、毎日、行っていたのは、勉強するのが目的、だったんです。僕は、一人では、緊張できなくて、勉強できなくて。あなたが親しく話しかけてきても、合格するまでは、勉強を最優先にしたい、と、思っていたんです。そのため、あなたの、親しげな、話しかけも、合格するまでは、感情を現さないように、と、勤めていたんです。それで、試験に合格できて、やっと、あなたと、親しく話せると、思ったら、こういうことになっていて、あせって、やってきたんです」
彼は、強い口調で、一気に言った。
「本当ですか?」
彼女は、まだ信じられない、という感じだった。
「ええ。本当です。僕は、ストレート・ネックで、肩が凝りやすく、また、意欲が出にくいため、人のいる所でないと、勉強できないんです」
と、彼は言った。
だが、彼女は、まだ信じられない、という顔つきだった。
「美奈子さん。よろしかったら、お付き合いして頂けないでしょうか?」
彼は、そんな大胆な告白をして、彼女の手を、そっと、握った。
「本当なんですね?。本当なんですね?」
彼女は、何度も聞き返した。
「ええ。本当です」
彼は、キッパリと答えた。
ここに至って、やっと、彼女は、彼の言っていることを信じたようだった。
「嬉しいわ。大東さん」
そう言って、美奈子は、泣いた。
「では、田舎へ帰るのは、思いとどまって、くれますか?」
「ええ。もちろんです。田舎へ帰るのも、親のすすめで、見合い結婚するのも、私の本意では、ありませんもの」
彼女の目からは、涙がポロポロ流れていた。
「よかったー」
彼は、美奈子の手を力強くギュッと握った。
「大東さん。ちょっと、待っていて下さい」
と、言って、彼女は、台所に向かった。
彼は、座ったまま、彼女を待った。
オーブンが鳴って、彼女は、何やら、料理しているようだった。
しばしして、彼女は、皿をもって、戻ってきた。
そして、それを机の上に乗せた。
それは、焼きリンゴだった。
「はい。大東さん。焼きリンゴです。大東さんが、焼きリンゴが、好きなので、付き合うようになったら、私が作ってあげたい、と、思って、作り方を、覚えたんです」
彼女は、ニコニコ笑いながら言った。
「美奈子さん。そんなことまで、してくれていたなんて、嬉しいです」
彼は言った。
「いえ。そんなことよりも、召し上がって下さい」
「はい」
彼は、彼女の作った焼きリンゴを食べた。
「うーん。レーズンと、シナモンの味が、美味しいです。ガストの、焼きリンゴより、美味しいです。もっとも、ファミリーレストランの料理は、冷凍してあるものを、解凍するだけですから、当然ですが」
「お気に召して下さって、嬉しいです。大東さんに、食べて頂くことが、楽しみだったんです。それが、出来なくなって、とても、さびしかったんですが、食べて頂けて、すごく嬉しいです」
彼女は、ウキウキした、顔で言った。
「美奈子さん。僕は、地元の神奈川県に引っ越します。そして、横浜市立大学医学部の医局、に入局して、二年間、研修することになります。ですから、僕は、横浜に引っ越します。美奈子さんは、こっちに残りますか。それとも、横浜に来ますか?」
「私も、横浜に行きます」
美奈子は、即座に答えた。
「お仕事とか、住まい、とか、大丈夫ですか?」
彼が聞いた。
「ええ。何とかします」
彼女は、即座に答えた。
彼女は、そう言ったが、彼女が仕事を見つけられるか、大丈夫だろうかと、彼は不安に思った。
しかし、あまり、立ち入ったことを聞くのも、彼女に対して、失礼だと思って、彼は、具体的なことは、聞かなかった。
それに、彼女は、しっかりした性格のように見えて、彼女なら、きっと、何かの仕事を見つけられそうにも見えた。
「そうですか。研修医の二年間は、給料は、少ないですが、二年の研修が、終わって、病院勤めの、勤務医になれば、給料は、ぐっと、高くなります。二年間、辛抱して頂けませんか?」
「はい」
彼女の、彼を慕う強い思いを、彼は感じとった。
「美奈子さん。さっそく、明日にでも、どこかへ行きませんか?」
彼も、自分の彼女に対する想いが、本当であることを、できるだけ早く、彼女に実感させたくて、そんな提案をした。
「は、はい」
彼女は、二つ返事で答えた。
「僕、京都には、行ったこと、ないんです。京都でいいですか?」
「はい」
美奈子は、即座に答えた。

翌日、大東と、美奈子は、早春の京都に行った。
二人は、清水寺や、平安神宮、金閣寺、嵐山、などを見て回った。
彼は、家から、奈良へ行く時、東海道新幹線で、京都で降りて、近鉄京都線で、橿原市に行っていた。京都は、乗り換えで、プラットホームからは、いつも見ていたが、勉強が忙しく、六年間で、一度も、京都、見物をしたことがなかった。
京都は、大阪と違って、心が落ち着く町だった。
特に、初めて見る、金閣寺に、彼は、圧倒された。
彼は、寺の建築美が好きだった。
しかし、彼は、人の来ない、さび、のある、無名の、古寺、荒れ寺、などの方が好きだった。
そういう、さびしい物の方が、幽玄さ、や、想像力を、かきたてられた、からである。
しかし、金閣寺は違った。
彼は、金閣寺の美しさに、胸が震えるほどの感動を覚えた。
三層作りの、この寺は、一層は、貴族の寝殿造り、二層は武家造りで、三層は禅宗様式である。二層、三層は、まぶしいほどの金箔であり、寺というには、あまりにも、優美すぎた。
その、違和感が、金閣寺の魅力なのかもしれない。
また、寺に面した、物音一つしない、小さな鏡湖池は、明らかに、金閣寺から眺めてみて風流を楽しめるのが、一目瞭然だった。
釣り殿など、家に居ながら、釣りを楽しもうなどと、何と、贅沢な優雅な発想なのだろう。
それは、寺でありながら、優雅な別荘であった。
見ているうちに、自分の意識や視線が、その別荘の中に、引きこまれていくような錯覚に、一瞬、彼はなった。
金閣寺は、室町幕府、三代将軍、足利義満が、自分の権威を示すために、最高の、優美さと、荘厳さ、を、示すために、美と風雅の限界を求めて作った、という、故人の意志が、はっきりと、伝わってきた。
「いやー。綺麗ですね」
と、彼が言うと、美奈子は、
「そうですね」
と、相槌を打った。
歩きながら、美奈子の手が、彼の手に触れると、彼女は、そっと、彼の手を握った。
彼も、彼女の手を、彼女以上の握力で、握り返した。
こうして、京都の観光旅行は無事、終わった。

数日後、彼は、大学に近い所にあるアパートに引っ越した。
美奈子も、彼のアパートに近い所の、アパートに引っ越した。
忙しい、研修が始まった。
しかし、やりがいもあった。
学生時代の、机上の勉強と違って、やりがいもあった。
研修医といえども、れっきとした医者である。
指導医が、あれこれ、事細かく、指導してくれるから、ちょうど、運転免許で言えば、それまで、小さな教習所の中を走っていた、生徒が、仮免許を取って、一般車道を、走れるように、なったような、そんな感覚だった。
毎日、自分の、医学の実力が、目に見えて、ついていくような、実感があった。
そして、休日には、美奈子のアパートに行った。
美奈子は、彼の好きな、リブロステーキと、焼きリンゴを作って、待っていてくれた。
夏季休暇には、大磯ロングビーチにいったり、した。
美奈子のビキニ姿は、美しかった。
またディズニーランドにも行った。
二年の研修が、終わると、彼は、横浜市立医学部の関連病院、の総合病院に勤務した。
研修医の年収は、300万、と少ないが、勤務医として、病院に就職すると、給料は、非常にいい。
彼は、広い、二人で住めるくらいのアパートに、移り住み、美奈子と、一緒に暮らすようになった。
そして、二人は、結婚した。



平成28年1月21日(木)擱筆

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草食系男の恋愛 (小説)

2020-07-09 13:09:46 | 小説
草食系男の恋愛

ある銀行である。大手の銀行ではない。小規模の信用金庫である。

哲也は、内気な性格だった。
世の人間は、内気な人間が、なぜ、内気なのか、わからない。
今年、大学を卒業して、この銀行に就職した。
京子も、今年、大学を卒業して、この銀行に就職した。

女子社員に、お茶配りを、させるのは、セクハラ、などと、いわれるように、なった今だが、それは、男の上司が、居丈高に命令するから、セクハラになるのであって、それが、なければ、男が、レディーファーストの精神を持ってっていれば、女は、男の社員に、「はい。どうぞ」と言って、お茶を配ってやりたい、とも、思っているのである。男の、心のこもった、「ありがとう」の笑顔が、女には、嬉しいのである。

京子は、きれいな、明るい、社員だった。
京子は、よく、皆に、お茶を配った。
性格が明るいのである。
特に、京子は、哲也に、お茶を、渡す時が、楽しみだった。
「はい。哲也さん」と言って、哲也に、お茶を、渡すと、哲也は、顔を真っ赤にして、声を震わせながら、「あ、ありがとうごさいます」と、言って、お茶を受けとって、ペコペコ頭を下げた。

哲也は、昼休みは、いつも、コンビニ弁当、とか、カロリーメイトとか、だった。
京子は、いつも、自分で、弁当を作って、食べていた。
ある時の昼休み。
「ねえ。京子。近くに、最近、出来た、インド料理店があるでしょ。昼休みバイキングで、850円、だって。行ってみない?」
同僚が誘った。
「ええ。行くわ」
京子は、即座に、答えた。
「あっ。京子は、いつも、弁当、もって来てるけれど、どうする?」
同僚が聞いた。
「私。今日は、お弁当、作ってきませんでした」
京子は、そう答えた。
同僚は、ニコッと笑った。
「決まり。じゃあ、行きましょ」
そう言って、社員みなが、出て行った。
あとには、京子と、哲也が、残された。
「あ、あの。哲也さん」
と京子は、おそるおそる一人の哲也に声をかけた。
哲也は、カロリーメイトの箱を開けるところだった。
「は、はい。何でしょうか?」
哲也は、声を震わせて言った。
「あ、あの。もし、よろしかったら、私の、作った、お弁当ですけど、召し上がって頂けないでしょうか?」
京子は、そう言って、弁当箱を差し出した。
「あ、ありがとうございます。喜んで、頂きます」
そう言って、哲也は、京子の弁当箱を受け取った。
「ありがとうございます」
そう言って、京子は、急いで、みなの後を追った。

みなが、帰ってきた。
「あー。美味しかったわね。本場のインド料理」
「食べ放題、といっても、そんなに、食べられるものじゃないわね。小麦粉を練って、作った、ナンが腹にはるのよ」
「でも、異国に行ったような、気分になるじゃない」
皆は、そんなことを、言いながら、席に着いた。
哲也は、そっと紙袋を持って、京子に近づいた
「有難うございました。とっても、美味しかったでした」
哲也は、小声で、京子に言って、京子に、紙袋を渡して、そそくさと、自分の席に戻った。
京子は、紙袋の中を見た。
中には、京子の弁当箱があり、弁当箱の中は、空っぽになっていた。
京子は、ニコッと、哲也に、向かって、微笑んだ。

その日の仕事も、終わった。
皆が帰った後。京子と哲也の二人が残された。
「あの。哲也さん。お弁当、食べて下さって、有難うございました」
京子が言った。
「いえ。とても、美味しかったでした」
哲也が言った。
「哲也さん。一人分の弁当を、作って、自分で食べても、さびしいものです。それに、どうせ、作るなら、作る手間は、同じですし、安くなります。二人分、作った方が、安くなります。よろしかったら、これからも、哲也さんの分の、お弁当の分も、作ってもって来てもよろしいでしょうか?」
京子が聞いた。
「それは、大歓迎です。でも、タダで、頂くわけには、いきません。かかった分の材料費と、手間賃を、大まかに、市販の弁当の値段、相当に払います」
哲也が言った。
「有難うございます。哲也さんも、カロリーメイトばかり、食べていては、栄養のバランスが悪いですわ。カロリーメイトばかり、毎日、食べていて、栄養失調になって、死んだ人の、記事を新聞で見たことがあります」
京子が言った。

その日、以来、京子は、二人分の弁当を作って、会社で、哲也に、そっと、弁当を渡すようになった。

ある時、ある田舎の、信用金庫に強盗が入った、という新聞記事が載った。
「ここの銀行も、狙われるかも、しれない。田舎の銀行が、狙われやすいんだ。それに、備えて、万一、銀行強盗が入った時のために、模擬練習をしておこう」
と支店長が提案した。
「異議なし」
と、社員たちは、賛同した。
「では、今週の日曜、に、やろう」
と支店長は、言った。
「異議なし」
と、社員たちは、賛同した。
「それで、強盗の役は、誰がやる?」
支店長が、みなに聞いた。
皆の視線が、哲也に集まった。
銀行で、若い男の社員は、哲也だけだった。
「山野哲也くん。君。強盗の役、やって貰えないかね?」
支店長が、哲也に聞いた。
「は、はい。わかりました。やります」
哲也は、気が小さいので、何事でも、頼まれると、断れないのである。
「それは、ありがとう。では、君の判断で、強盗になりきって、好きなように、演技してみてくれたまえ。君が、どういう行動を、とるか、は、君に全て任せるよ。その方が、実践的な練習になるからね」
と、支店長が言った。

日曜日になった。
哲也を除いた社員は、みな、出社していた。
日曜なのに、出社したので、支店長は、それなりの、特別手当を皆に渡すことを、約束していた。
みな、席に着いて、いつものように働いている様子である。
そこへ、カバンを持った、スーツ姿の哲也が入ってきた。
哲也は、さりげなく、まわりを見渡すと、振り込み用紙に、記入し、順番待ち、の番号札をとった。
すぐに電光掲示板の数字が、哲也の持っている、番号札を示した。
哲也は、受け付けに、行った。
「いらっしゃいませー」
京子が、明るい笑顔で、言った。
「あの。これを振り込みたいんですけど・・・」
と言って、哲也は、振り込み用紙を京子に、渡した。
京子が、振り込み用紙を手にした、瞬間、哲也は、カウンターをパッと、乗り越えた。
そして、京子の手を背中に、捩じ上げた。
「ああっ」
京子は、哲也の力が強いのに、驚いた。
キャー。
みなは、叫び声を上げた。
「おとなしくしろ。全員、手を上げろ。少しでも、動いたら、この女を殺すぞ」
哲也は、ドスの利いた声で言った。
哲也に、言われた通り、みなは、手を上げた。
哲也は、京子の、両方の手を、背中に捩じ上げ、手首を交差して、胸の内ポケットから、縄を取り出して、背中で、京子の手首を重ねて、縛った。
哲也は、京子の縄尻を取って、金庫の方へ行った。
「さあ。金庫を開けろ。そして、現金、一千万円を、そろえて出せ」
哲也は、女の事務員に言った。
事務員は、おそるおそる、金庫を開けて、札束を取り出して、積み上げた。
哲也は、札束の中から、数枚を、取り出して、宙にかざした。
「よし。すかし、が、入っている。本物の、札だな」
そう言って、哲也は、カバンから、大きな袋を、取り出して、その中に、札束を入れた。
「たかが、一千万円だ。この女は、人質として、連れて行く。オレが無事に、逃げ切れたら、この女は、自由にしてやる。警察に知らせたら、この女を即、殺すからな」
哲也は、そう言って、登山ナイフを、京子の、喉笛に、突きつけた。
「オレは、途中で、車を乗り換える。だから、ナンバーを、ひかえても、無駄だ。それと、警察には、知らせるな。たかが、一千万円と、この女の命と、どっちが、大切だと思う?オレは、途中で、警察に、捕まったら、この女を殺し、自分も死ぬ。オレは、かなりの距離、逃げたら、この女を、ある人気のない林の中に、縛っておく。オレは、さらに遠くに、逃げる。絶対、捕まらない方法で。オレの安全が、確実と、わかったら、警察に、この女の、居場所を教えてやる」
哲也は、そう言った。
みなが、ホールド・アップしている、中を、哲也は、後ろ手に縛られた京子を、首筋にナイフを突きつけながら、引き連れて、銀行を出た。
銀行の前には、車が止められていた。
哲也は、車のドアを開け、助手席に、京子を乗せ、自分は、運転席に、乗り込んだ。
そして、エンジンを駆けて、車を飛ばして、走り去った。

あとには、銀行員たちが残された。
「どうしよう?」
「警察に連絡しようか?」
「でも、人質になった、京子のことが心配だわ。確かに、一千万円と、京子の命とを、考えたら、京子の命の方が、はるかに、大切ね」
「じゃあ、犯人の言うように、犯人が京子の居場所を、連絡してきた時に、警察に連絡したらいいんじゃない?」
「でも、犯人の言うことが、本当という、保障は、ないわ。まず、警察に電話して、事情を全部、話して、どうするかは、警察の判断にまかせたら?」
「でも、京子の命のことを、考えたら、犯人の言う事を、聞いておいた方がいいんじゃないかしら?」
「でも、犯人は、私達が警察に連絡したか、どうかは、わからないじゃない」
「でも、警察が、非常線を張って、犯人を見つけて、追いかけた時に、わかるわ」
「でも、その時、犯人が京子を連れているか、それとも、京子を、どこかの林の中に、縛りつけておいて、一人で逃走中なのか、わからないじゃない」
「でも、そもそも、犯人の言うことなど、信用できないから、言ったことを、本当に実行するか、どうか、わからないじゃない。やっぱり、犯人が逃げた直後に警察に連絡して、警察の判断に任せた方がいいんじゃないの?」
などと、社員たちは、話し合った。
が、どうすれば一番いいかの結論は、出なかった。
あたかも、ナポレオンの後のウィーン会議の、「会議は踊る。されど進まず」のように。

そんなことを話しあっている、うちに、車の止まる音がした。
哲也が、京子と、もどって来た。
「やあ。ただいま」
哲也が、言った。
「ただいま、帰りました」
京子が言った。
哲也と、京子は、そう言って、席に着いた。
「やあ。哲也君。ありがとう。強盗が入った時の、いい練習になったよ」
支店長が言った。
「い、いえ」
哲也は、小さな声で、言った。
「君が、一千万円、という、割と、少額の要求と、人命との比較を、言うものだから、我々も、咄嗟には、一番、適切な対応を判断できにくかったよ」
と、支店長が言った。
「でも、哲也さんも、おとなしそうに見えても、かなり、荒っぽくなるのね。驚いちゃったわ」
社員の一人が言った。
「そうね。人は、見かけによらないわね」
と、別の社員が言った。
哲也は、そんなことを、言われて、顔を赤くして、俯いた。

数日後のことである。
仕事が終わって、皆が、帰ってしまって、哲也と、京子の二人になった。
「あ、あの。哲也さん」
京子が哲也に声を掛けた。
「は、はい。何でしょうか?」
哲也が聞き返した。
「あ、あの。この前の、銀行強盗の練習の時、私、ちょっと、犯人の、なすがままにされて、しまって、それ以来、恥ずかしかったんです。ちょっと、銀行員として、もう少し、自覚しなくては、ならないと、思って、護身術を、少し、研究してみました。もう一度、私を、つかまえて、みて、くれませんか?」
京子が、そう言った。
「わかりました。京子さんの、護身術、僕も、見てみたいです」
そう言って、哲也は、立ち上がった。
「さあ。私を取り押えてみて下さい」
京子には、何か、自信があるような様子だった。
「では、取り押えます」
そう言って、哲也は、京子の背後から、京子を、ガッシリと、つかまえた。
京子は、ふふふ、と笑って、ふっと、小さく体を動かした。
しかし、哲也は、ガッシリと、京子を、つかまえたままで、京子は、抜けられない。
少し、あがいたが、京子は、抜けられなかった。
哲也は、ふふふ、と、笑って、京子の右手を背中に、捻じり上げ、そして、左手も、背中に、捻じり上げ、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
京子は、クナクナと、床に座り込んだ。
「おかしいわ。抜けれる、はずなのに?」
京子は、残念そうに言った。
「京子さん。あなたが、研究した、護身術というのは、You-Tubeに出でいる、日野晃、という人の、護身術でしょう?」
哲也が言った。
「ええ。実は、そうなんです。よく、知ってますね」
京子が言った。
「僕も、あの動画は、見ました。抱きつかれた時、ほんの少し、片方の手を、動かすことで、相手の意識を、そっちの方に、持って行かせ、手薄になった、反対側から、抜ける、という方法ですね。人間の、無意識の反射的な、行動ですから、知らない人に、抱きつかれたのなら、抜けられると思いますよ。でも、たまたま、僕も、あの動画は、見ていましたので、きっと、あの方法で、抜けるのだろうと、思って、あらかじめ、精神的な用意をしていたんです」
哲也は、言った。
「そうだったんですか」
京子は、残念そうな顔をして言った。
誰もいなくなった、銀行に、後ろ手に、縛られて、座っている女と、その縄尻をとっている男、という図は、何か、官能的だった。
哲也は、もう少し、このままで、いたいと思いながらも、京子の、縄を解いた。
「あ、あの。哲也さん」
京子が口を開いた。
「はい。何でしょうか?」
哲也が聞いた。
「あ、あの。今日の夕食は、何でしょうか?」
京子が聞いた。
「ローソンのコンビニ弁当です」
哲也が答えた。
「あ、あの。もし、よろしかったら、私の家で、晩御飯、食べていって下さいませんか?毎日、コンビニ弁当では、栄養が偏ると思います。毎日、コンビニ弁当を、食べていて、栄養失調になって、死んだ人の、記事を新聞で見たことがあります」
京子が聞いた。
「は、はい。喜んで」
哲也が答えた。
こうして、哲也は、京子のアパートに行った。
二人は、満月の月夜の中を、銀行を出た。
そして、電車に乗った。
京子のアパートの最寄りの駅で、二人は、降りた。
そして、10分ほど、歩いて、京子のアパートに着いた。
京子のアパートは、一軒家の借家だった。
「失礼します」
と言って、哲也は、京子のアパートに入った。
京子は、キッチンに行くと、すぐに、調理を始めた。
しばしして、京子が、食事を持ってきた。
ビーフシチューだった。
「うわー。美味しそうだ。頂きまーす」
と言って、哲也は、ハフハフ言いながら、京子の作った料理を食べた。
「うん。とても、美味しいです」
と哲也は、笑顔で京子に言った。
「そう言って、頂けると、私も嬉しいです」
と京子がニコッと、笑って言った。
そして、京子も自分の作った、料理を食べた。
食事が終わった。
「あ、あの。哲也さん」
「はい。何でしょうか?」
「さっき、護身術が通用しなくて、抜けられなかったことが、ちょっと、口惜しいんです。抜けれる自信がありましたから。You-Tubeの動画を、見ただけで、一度も、試してみたことがなかったので、抜けられなかったんじゃなかったのかと、思っているんです。なので、もう少し、練習して、実際のコツを、つかんでみたいと、思って、哲也さんに、アパートに来てもらったんです」
京子が言った。
「そうだったんですか。わかりました」
「では、もう一度、私をつかまえて、みて下さい」
そう言って、京子は、立ち上がった。
「さあ。どうぞ」
京子が言った。
「では、いきますよ」
そう言って、哲也は、京子にガッシリと、抱きついた。
京子は、ふー、と呼吸を整えて、抜けようとした。
しかし、やはり、抜けられなかった。
哲也は、ふふふ、と、笑って、京子の右手を背中に、捻じり上げ、そして、左手も、背中に、捻じり上げ、背中で、手首を重ね合せて、縄で縛った。
京子は、クナクナと、床に座り込んだ。
後ろ手に縛られて、座っている、女の図は、官能的だった。
京子は、黙って、うつむいていた。
哲也が、縄を解こうとすると、
「あっ。哲也さん。待って下さい」
と、京子が制した。
「こうやって、縛られた時、抜ける方法も、You-Tubeで、見たんです。ちょっと、試してみます」
そう言って、京子は、背中の手を、モジモジさせた。
だが、縄は、はずれない。
「ふふふ。京子さん。ダメみたいですね」
哲也が、嬉しそうに笑った。
「え、ええ」
「じゃあ、そろそろ、縄を解きます」
そう言って、哲也は、京子の縄を解こうとした。
その時。
「あっ。待って下さい」
と京子が制した。
「どうして、ですか?」
哲也が聞いた。
「あ、あの。もうちょっと、こうしていたいんです。何だか、気持ちがいいんです」
京子は、顔を赤くして言った。
哲也は、嬉しくなった。
「僕も、すごく気持ちがいいです。縛られている京子さんを見ていると」
そう言って、哲也は、笑った。
しばし、アパートの一室で、縛られている女と、それを見ている男という図がつづいた。
それは、とても、官能的だった。
哲也は、時間が止まって、いつまでも、こうしていたい、と思った。
京子も、同じだった。
二時間くらい、二人は、何も話さないで、その状態をつづけた。
「あ、あの。京子さん。もう終電になってしまうんで、残念ですけれど、そろそろ帰ります」
哲也は、そう言って、京子の後ろ手の縄を解いた。
「あ、あの。哲也さん。また、縄抜け、や、護身術の練習に来て下さいますか?」
京子が、帰ろうとする哲也に、顔を赤くしながら、小声で聞いた。
「ええ。もちろん、いいですよ」
哲也は、嬉しそうに、笑った。

こうして、哲也は、その後も、夕食は、京子の家で、食べて、その後、京子を後ろ手に縛る、ということを、頻繁にするようになった。

ある時のことである。
京子のアパートで、夕食をした後。
「哲也さん。今日は、縛ったまま、帰って下さい。私。抜けてみせます」
と彼女は言った。
「哲也さんがいると、緊張してしまって・・・・。一人なら、きっと、抜けて見せます」
と彼女は、自信を持って言った。
「わかりました」
哲也は、優しく微笑んで、京子を、後ろ手に縛った。
そして、両足首も、まとめて、縛った。
そして、京子の後ろ手の、縄尻を、食卓のテーブルの脚の一本に、結びつけた。
そして、京子に目隠しをした。
「それでは、さようなら。見事、抜けられるよう、頑張って下さい」
そう言って、哲也は、京子の家を出た。
最寄りの、駅まで歩いて、電車に乗って、月夜の道を歩いて、哲也は、アパートに着いた。
もう、11時を過ぎていた。
哲也は、パジャマに着替え、歯を磨いて、ベッドの中に入った。
京子は、今、どうしているだろう、と思うと、なかなか、寝つけなかった。
どうしても、京子が、一人で、縛られて、縄と格闘している姿が、思い浮かんできて、眠れなかった。

翌日になった。
哲也は、起きると、真っ先に、京子のことを思った。
はたして、京子は、縄を抜けられただろうか、それとも、抜けられなかった、だろうか?
もし、京子が、縄を抜けられたのなら、スマートフォンで連絡してきているだろう。
連絡がないということは、縄を抜けられていない、ということだろう。
と、哲也は、考えたが、もしかすると、連絡しないで、会社に出社して、「見事、抜けられたわよ」と、哲也に、勝ち誇こる、ということも、考えられると、思った。
京子の、悪戯っぽい性格なら、それも、十分あり得ることだ。と哲也は思った。
しかし、やはり、京子を心配する気持ちの方が勝った。
哲也は、出社時刻より、早めにアパートを出て、京子のアパートに行った。
ピンポーン。
哲也は、京子の部屋のチャイムを鳴らした。
しかし、返事がない。
哲也は、京子の部屋の合鍵を持っていたので、それで、部屋を開けた。
「おはようございます。京子さん」
哲也は、元気に声をかけた。
しかし、返事がない。
哲也は、部屋に入った。
驚いた。
なぜなら、京子が、昨日、縛ったままの状態で、床に、伏していたからだ。
後ろ手の縛めも、足首の縛めも、昨日のままで、食卓のテーブルに、後ろ手の縄尻が縛りつけられている。
そして、我慢できなかったのだろう。
床は、京子の小水で濡れていた。
哲也は、急いで、京子の元に行った。
「京子さん。京子さん」
哲也は、京子の体を激しく揺すった。
京子は、ムクッと顔を上げると、充血した目を哲也に向けた。
「ああ。哲也さん。ダメでした。抜けられませんでした」
京子は、弱々しい声で、言った。
「京子さん。ごめんなさい」
哲也は、とりあえず、謝った。
そして、すぐに、京子の、後ろ手の縛めを解き、足首の縛めも解いた。
「ありがとう。哲也さん」
京子は礼を言った。
京子は、ムクッと起き上がると、急いで、箪笥から、替えの下着と、制服を持って、風呂場に行った。
シャーと、シャワーの音がした。
哲也は、その間、雑巾で、床の小水を拭いた。
しばしして、京子が出てきた。
京子は、会社の制服を着ていた。
「京子さん。つらかったでしょう?」
濡れた髪をバスタオルで、拭いている京子に、哲也は、言った。
「いえ。本当に、監禁されたみたいで、哲也さんが、助けに来てくれるのが、待ち遠しくて、何だか、気持ちよかったです」
京子は、髪を拭きながら、笑って言った。
「でも、哲也さんが、早く来て下さって、助かりました」
京子は、ニコッと笑って言った。
「では、会社に行きましょう」
「ええ」
二人は、一緒に、アパートを出た。

年の瀬が近づいた、ある日のことである。
京子が、哲也のデスクにやって来た。
「あ、あの。哲也さん」
「はい。何でしょうか?」
「年末年始の予定は、おありでしょうか?」
「い、いえ」
「実は、私。年末は、大学時代の友人と、二人で、JTBの、大晦日から、一泊二日の、ハワイのパック旅行に、行こうと、チケットまで、買って、予約してしまったんです。でも、友人の母親が、脳梗塞を起こして、実家に、帰らなくては、ならなくなってしまったんです。それで、ホテルも、飛行機も、二人分として、予約していたので、相手がいなくて、困っているんです。もし、哲也さんが、よろしかったら、一緒に行って貰えないでしょうか?」
と京子が言った。
「は、はい。僕は、年末年始は、寝て過ごそうと思っていたので、予定は、ないです」
と哲也は、答えた。
「嬉しい。哲也さんと、ハワイに行けるなんて。旅行は、一人で行っても、さびしいものですから」
そう言って、京子は、旅行のパンフレットを渡して、ルンルン気分で、自分の席に戻って行った。

哲也は、その晩、眠れなかった。
無理もない。
二人のパック旅行となれば、ホテルの部屋は、一緒である。

哲也は、夜、京子と一緒の部屋に寝ることになる。
ベッドはツインだが、男と女が、一緒の部屋で、過ごす、ことを想像すると、哲也は、心臓がドキドキしてきた。
内気な哲也は、今まで、彼女を作ることが出来なかった。
なので、なおさら、である。

大晦日になった。
二人は、電車で羽田空港に行った。
「哲也さんは、海外に行ったことは、ありますか?」
京子が聞いた。
「いえ。ないです。これが初めてです」
と哲也は、答えた。
羽田空港に着いた。
出発のフライトの予定時間の、30分前だった。
ゲートが開いて、二人は、飛行機に乗った。
二人は、並んで、窓際の席に着いた。
飛行機は、勢いよく加速して、離陸した。
離陸した瞬間だけ、フワッと、体が浮いた感じがした。
飛行機は、旋回しながら、だんだん高度を上げていった。
羽田空港の近辺の街の、点灯している、明かりが、人々の生活の営みを感じさせた。
「ああ。あそこで、人々が働き、生活しているんだな」
という実感。である。
自分も、いつもは、あの小さな光の中の一つなのだ、と思うと、自分が、ちっぽけな存在のように思われたが、今、高い所から、見下ろすと、何だか、自分が、彼らより、精神的にも上になったような、気分になった。
ジャンボジェット機は、かなり高くなっているが、それでも地上の様子は、よく見えた。
やがて、千葉の九十九里浜を過ぎて太平洋に出ると、あとは、真っ暗な海で、何も見えなくなった。
羽田から、ハワイまでは、7時間である。
機内食を食べた後、隣りの京子は、クークー寝てしまった。
哲也は、緊張して、なかなか寝つけなかったが、二時間くらいすると、眠くなってきて、寝てしまった。
しかし、哲也は、眠りが浅いので、少し寝ただけで、目を覚ました。
外を見ると、真っ暗だった、空と海が、わずかなオレンジ色になっていた。
空と海は、ゆっくりと、明るさを増していった。
そして、やっと、水平線の彼方から、太陽が顔を現した。
哲也は、トントンと、隣で、気持ちよさそうに、寝ている京子の肩を、ちょっと叩いた。
京子は、寝ぼけ眼を開いた。
「京子さん。日の出ですよ」
気持ちよさそうに寝ている、京子を起こすのは、迷ったが、あまりにも、日の出が、美しいので、哲也は、京子にも、それを見せたかったのである。
京子は、窓の外を見た。
「あっ。本当。きれいね。ありがとう。哲也さん。起こしてくれて」
と京子は言った。
やがて、ハワイ諸島が見えてきた。

やがて、飛行機は、ホノルル空港に着陸した。
空港から、ホテルまでは、JTBが用意した、バスで行った。
ホテルは、十二階建てで、ワイキキビーチに面して、ズラリと並んでいる、部屋から、海が見える豪華なホテルではなかったが、格安パック旅行にしては、かなり、いい部屋だった。ワイキキビーチには、歩いて、5分で行ける距離だった。
哲也にとって、嬉しかったことは、ワイキキビーチ沿いの、高級ホテルのプールは、レジャープールばかりで、本格的に、泳げないか、ここのホテルには、15mくらいだが、水深2mと深く、長方形で、泳げることが、出来る、プールがあることだった。
というか、ある程度、泳ぐことを、目的として、作られたプールだった、ことであった。
「わあ。いい部屋ですね」
京子は、部屋を見ると、嬉しそうに言った。
トイレが手前にあって、その奥が、風呂場となっていた。
京子は、すぐに、風呂場に行った。
すぐに京子が出てきた。
京子は、ピンク色のビキニを着ていた。
哲也は、その姿を、見て、思わず、うっ、と声を洩らした。
京子のビキニ姿が、あまりにも、セクシーで、美しかったからである。
スラリと伸びたしなやかな脚。細い華奢なつくりの腕と肩。細くくびれたウェスト。それとは対照的に、尻には余剰と思われるほど、たっぷりとついた弾力のある柔らかい肉。日常生活で、邪魔になりそうに見えてしまう大きな胸。それらが全体として美しい女の肉体の稜線を形づくっていた。
「哲也さん。ワイキキビーチに行きませんか?」
京子は、そう言って、哲也を誘った。
「は、はい」
哲也も、風呂場で、トランクスを履いた。
京子は、ビキニの上に、ショートパンツを履いていた。
京子と、哲也は、アロハシャツを羽織って、ワイキキビーチに行った。
ワイキキビーチは、各国からの観光客で一杯だった。
京子は、砂浜にビニールシートを引いて、そこに横たえて、うつ伏せになった。
「哲也さん。オイルを塗って下さらない?」
「ど、どこにですか」
「もちろん体全部です」
哲也は、おぼつかない手つきで足首から膝小僧のあたりまでプルプル手を震わせながらオイルを塗った。それ以上はどうしても触れられなかった。変なところに触れて京子の気分を損ねてしまうのが恐かった。
「あん。そんなんじゃなくって、水着以外のところは全部ちゃんと塗って」
京子が不服そうに言った。
哲也は、 今度はしっかりオイルを塗ることが義務感になった。哲也は、彼女に嫌われたくない一心からビキニの線ギリギリまで無我夢中でオイルを塗った。
哲也の、股間の、ある部分が、硬く、尖り出した。
幸せ、って、こういうものなのだな、と哲也は、つくづく思った。
哲也は、出来ることなら、時間が止まって、いつまでも、こうしていたかった。
京子は、夏と海外の解放感に浸って、目をつぶって、じっとしている。
哲也は、せっかく、ワイキキビーチに来たんだから、泳ごうかとも思ったが、ワイキキビーチは、そうとう、遠くまで、遠浅で、これでは、泳いでも、全然、つまらないと、思って、海水に、ちょっと、足を浸すだけにした。
哲也は、京子が、咽喉が渇いているだろうと、思って、
「京子さん。飲み物は、何がいいですか?」
と聞いた。
「オレンジジュースがいいです」
と京子は、うつ伏せのまま、答えた。
哲也は、急いで、近くの、ABCストアーに行って、オレンジジュースを二つ、買ってきた。
ハワイには、自動販売機がなかった。
哲也が、京子に、オレンジジュースを渡すと、京子は、
「ありがとう。哲也さん」
と言って、二人で、オレンジジュースを、飲んだ。
二時間くらいして、京子は、ムクッと起き上がった。
「哲也さん。そろそろ、ホテルにもどりませんか?」
京子が言った。
「はい」
哲也が答えた。
二人は、立ち上がって、ホテルにもどった。
京子が、着替え、と、オイルを洗い流すため、風呂場に入った。
シャーと、シャワーの音がした。
哲也の目に、開きっぱなしの、京子のバッグが目についた。
哲也は、そっと、バッグの中を覗いてみた。
中には、京子のパンティーとブラジャーが、無造作に、投げ込まれてあった。
京子が、ビキニに着替えた時、脱いだパンティーとブラジャーである。
哲也は、思わず、ゴクリと唾を呑んだ。
京子は、日焼け用オイルをおとすために、少し時間が、かかるだろうと哲也は、思った。
哲也は、京子の、パンティーを、取り出すと、鼻先を、京子の、パンティーに当てて、スーと鼻から空気を吸い込んだ。
京子の、女の部分の匂いが、わずかにして、哲也は、それに陶酔した。
シャワーの音がピタッっと、止まったので、哲也は、あわてて、パンティーをバッグに戻した。
京子は、裸の体に、バスタオルを一枚、巻きつけただけの格好だった。
「哲也さん。どうぞ」
と、京子は、濡れた髪をタオルで拭きながら、言った。
「は、はい」
哲也は、あわてて返事して、風呂場に入った。
哲也も、シャワーを浴びて、トランクスを履いて、アロハシャツを着た。
その後、二人は、JTBのトロリーバスに乗って、ホノルル市内を見て回った。
その晩は、近くの、レストランで、ハワイ料理を食べた。
京子は、酒を飲めるが、哲也は、酒を飲めないので、コーラを飲んだ。

夜になった。
「疲れちゃった。私、寝るわ」
そう言って、京子は、ツインの、一方のベッドにもぐった。
哲也も、もう一つのベッドに、もぐった。
「おやすみなさい」
京子が言った。
「おやすみなさい」
哲也が言った。
哲也は、緊張していたが、飛行機でフライト中に、あまり、眠れなかったため、いつしか、深い眠りに就いていた。

朝の光が、差し込んでくる早朝、哲也は、目を覚ました。
哲也は、吃驚した。
なんと、京子が、哲也の布団にもぐりこんでいて、からだ。
京子は、ギュッと、哲也の腕をつかんでいた。
「おはよう。哲也さん」
京子が言った。
「おはようございます」
哲也が答えた。
「夜中に目を覚まして、さみしかったから、こっちに来ちゃったの。ごめんなさい」
京子が言った。
「い、いえ」
哲也は、極力、平静を装おうとした。
「男と女が、一緒に、ハワイ旅行して、一つの部屋に泊まったのに、何もなかったって、いうの、さびしい、と思いませんか?」
京子が聞いた。
「そ、そうですね」
哲也が言った。
「じゃ、もう少し、こうしていても、いいですか?」
京子が聞いた。
「え、ええ」
哲也が答えた。
「嬉しい。哲也さん。哲也さんの体、少し、触ってもいいですか?」
京子が聞いた。
「え、ええ」
哲也は、困ったが、京子の頼みに、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
京子の手が、哲也の体の方に伸びてきた。
吃驚したことに、京子の手は、哲也のブリーフの上から、金玉に伸びてきたのである。
「ああっ。そ、そこは・・・」
そこは止めて下さい、と、哲也は、言いたかったのだが、哲也は、京子の頼みに、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
京子は、ふふふ、と、笑いながら、哲也の金玉を、揉んだ。
「ああ。気持ちいいわ。男の人の、金玉って、プニョプニョしてて、弾力があって、握っているだけで、気持ちいいわ」
京子は、そんなことを言った。
哲也は、うっ、うっ、と言いながら、歯を食いしばって我慢した。
だんだん、哲也の、マラが勃起してきた。
「わあ。すごい。おちんちん、が、大きく、硬くなってきたわ」
京子は、そう言って、哲也の、おちんちん、をさすり出した。
「ああっ。そ、そんなことは・・・」
そんなことは止めて下さい、と、哲也は、言いたかったが、哲也は、京子のする行為に、「嫌です」と言うことは、出来なかった。
「哲也さん。私だけ、一方的に、哲也さんの体を触って、ごめんなさい。哲也さんも、私の体を触って下さい」
京子は、そう言って、ホテルの浴衣を脱いだ。
京子の、浴衣の下は、パンティーだけだった。
「哲也さんも、浴衣を脱いで」
京子が言った。
「は、はい」
哲也は、京子に、言われて、浴衣を脱いだ。
哲也も、浴衣の下は、ブリーフだけだった。
これで、哲也は、ブリーフだけ、京子は、パンティーだけの姿になった。
哲也は、そっと、手を伸ばして、京子の体に触れた。
柔らかくて、温かくて、最高の感触だった。
哲也は、京子の体のラインを、そっと撫でた。
「哲也さん。胸でも、どこでも、触って、下さっていいのよ」
躊躇している、哲也に、京子が、言った。
哲也は、そっと、京子の、乳房に手を当てた。
「ああっ。感じる」
京子は、小さく言った。
哲也が、京子の乳房や乳首を触っているうちに、だんだん、京子の乳首が勃起してきた。
「て、哲也さん」
「は、はい」
「乳首を舐めて下さいませんか?」
京子が、大胆なことを言った。
「は、はい」
京子は、掛け布団をベッドから降ろした。
そして、ベッドの上に仰向けになった。
「さあ。やって」
「は、はい」
哲也は、京子の体の上に乗って、京子の乳房を揉んだり、乳首を口に含んだりした。
「ああっ。感じちゃう」
京子は、髪を振り乱して、言った。
哲也は、こんなことが出来る機会は、これを逃したらないと、思い、一心に、京子の乳首を舐めたり、大きな尻を触ったりした。
そして、ガッシリと、力強く、京子を抱きしめた。
「ふふふ。哲也さん。何だか、私たち、ハネムーンみたいね」
と、京子は、悪戯っぽい口調で言った。
「でも、嬉しいわ。これで、旅行が、ロマンティックな思い出になったわ」
と京子が言った。
「僕も、そうです」
と哲也も言った。
「あの。哲也さん。この旅行のことは、帰国したら、夢だったと思うことにしませんか?」
と京子が言った。
「ええ。そうしましょう」
と哲也も同意した。
哲也は、何もかも忘れて、京子を抱きしめた。
とても心地よかった。
哲也は、出来ることなら、ずっと、こうして、いたかった。

時計を見ると、7時になっていた。
一泊二日の旅行なので、今日が帰国日である。
しかし一泊二日といっても、二人は、もう十分、ハワイを満喫した。
9時に、ホノルル空港行きの、JTBのバスに乗るために、ハイアット・リージェント・ホテルの前に集合しなくてはならない。
「京子さん。そろそろ、出発の準備をしましょう」
哲也が言った。
「ええ」
と京子も答えた。
二人は、ベッドを出た。
そして、服を着て、荷物をまとめた。
二人は、昨日、ABCストアーで、買っておいた、耳つきの、BLTサンドイッチと、紅茶を食べて、飲んだ。

そして、二人は、ホテルをチェックアウトして、ハイアット・リージェント・ホテルの前に行った。
帰りのフライトは、行きと違って、少し、さびしかった。
しかし、ともかく、こうして、二人のハワイ旅行は、無事に終わった。

単調な、いつもの生活にもどった。
ハワイから、帰ってきて、最初の昼休み。
哲也は、ウキウキして、京子の所に、弁当を貰いに行った。
「京子さん。お弁当、下さい」
と哲也は、言った。
しかし、京子は、
「ごめんなさい。お弁当は、作ってきませんでした」
と、そっけなく言った。
「そうですか。わかりました」
と言って、哲也は、近くの、コンビニに行って、コンビニ弁当を買って食べた。
しかし、それなら、どうして、携帯で、あらかじめ、教えて、くれなかったのだろうと、思ったが、まあ、こういうことも、あるものだ、と哲也は、気にしなかった。

しかし、京子は、次の日も、その、次の日も、弁当を持って来てくれなかった。
哲也が、わけを聞くと、
「ごめんなさい。哲也さん。ちょっと、わけがあって、哲也さんの、お弁当は、作れなくなって、しまいました。ごめんなさい」
と、京子は言った。
哲也は、残念に思ったが、女心と秋の空、というように、女は、何か、ちょっとしたことで、気分が変わることが、あるので、仕方ないな、と思って、あきらめた。

しかし、京子の、哲也に対する態度の変化は、弁当だけでは、なかった。
ハワイから、帰国してから、京子は、哲也を、夕食に誘うこともなくなった。
しかし、京子には、哲也を嫌っている様子もない。
京子の、哲也に対する、気持ちに、何か、微妙な、変化が起こったのだろうと、哲也は、思ったが、哲也は、京子に嫌われたくないので、問い詰めることは、しなかった。
哲也は、また、孤独になってしまった。

京子が、昼休み、皆と、楽しそうに、バレーボールを、している姿を、見ると、哲也に、複雑な感情が起こった。
それは、京子と親しくなる前の、京子に対する感情である。
京子の、天真爛漫な笑顔は、まさに天女であり、女神であり、崇拝の対象だった。
天女が笑顔で、バレーボールをしている姿は、無上に魅力的だった。
まあ、きっと、いつか、京子も、気が変わって、また、付き合ってくれるだろうと、哲也は、思った。

哲也は、ハワイで、京子の、ビキニ姿を見た。
ベッドで、ペッティングまでした。
京子の、体に、触れたのだ、と哲也は、無理に自分に言い聞かせた。

哲也は、夜、ベッドに就くと、京子のビキニ姿や、京子とペッティングした事が思い出されてきた。
人間は、絶えず、時間と共に進行し、現在の一瞬だけを生きているから、現在の、その人が、紛れもない、その人であって、過去のその人は、もはや、存在しないのである。
京子との、二人のハワイ旅行は、もはや、思い出、という、過去の記憶に変わっていた。
現在の京子は、といえば、悩ましい制服を着た、手の届かない、悩ましい美人社員なのである。
だんだん、その思い出に浸っているうちに、哲也は、興奮してきて、オナニーするようになった。
もっと、ハワイでの、ペッティングの時は、京子のパンティーの中に、手を入れたり、さらには、パンティーを脱がしてしまっても、よかったと、哲也は、後悔した。
自分は、女に消極的すぎたのだ。あの時なら、京子のパンティーの中に、手を入れても、京子は、何とも言わなかっただろう。
哲也は、それを、後悔すると、同時に、想像で、京子のパンティーを脱がし、激しい、ペッティングをしている場面を想像した。
それによって、哲也は、激しい興奮と、ともに、大量の精液を放出した。

会社での京子の態度は、変わらない。
京子は、哲也を、避けている、とか、嫌っているような、態度は、とらない。
しかし、以前のように、特別、親しく話しかけてくることもない。

哲也は、悩まされ、毎日、オナニーをするようになってしまった。

とうとう、哲也は、我慢できなくなり、ある日、京子に、ダメで、元々、の覚悟で、京子に話しかけてみた。
「京子さん。今日、久しぶりに、京子さんの、アパートに行っても、いいでしょうか?」
と哲也は、勇気を出して聞いてみた。
すると、京子は、以外にも、あっさりと、
「ええ。いいです」
と答えた。
哲也は、京子の、予想外の返事に、驚くと同時に、飛び上がらんばかりに、狂喜した。
女は、何を考えているのか、わからないものだな、と哲也は、思った。

その日、会社が終わると、二人は、電車に乗って、京子の、アパートに行った。
久しぶりだった。
京子の、心がわからないので、哲也は、電車の中で、京子に話しかけなかった。
京子のアパートに着いた。
京子は、以前と、同じように、哲也に、料理を作って、出してくれた。
「ありがとう」
と言った。
京子は、哲也と、一緒に、晩御飯を食べた。
食事が終わった後。
哲也は、
「京子さん。また、護身術の練習をしてみませんか?」
と勇気を出して聞いてみた。
京子は、以外にも、
「はい」
と答えた。
哲也は、京子の、予想外の返事に、驚くと同時に、飛び上がらんばかりに、狂喜した。
女は、何を考えているのか、わからないものだな、と哲也は、思った。
「さあ。京子さん。立って下さい」
哲也が、言うと、京子は、スクッと立ち上がった。
久しぶりに、京子を触れる、機会である。
この次、いつ、京子を、触れるか、わからない。
そう思うと、哲也は、今回は、たっぷりと、京子を弄んでやろうと、思った。
「京子さん。今日は、あなたのような、きれいな女の人の家に、強盗が入った時に、実際に、どうするかを、想定して、実践的にやりたいと思います。いいですか?」
哲也が聞いた。
「は、はい」
京子は、素直に返事した。
哲也は、ナイフを取り出した。
「さあ。着ている物を、全部、脱いで、裸になって下さい。きれいな、女の人は、痴漢に襲われた時のために、そなえて、合気道的な、護身術を、身につけている場合が、かなりあります。しかも、非常事態ですから、火事場のバカ力が出ますから、女といっても、あなどれません。だから、実践では、男は、いきなり、女の人に、抱きつこうとは、しません。関節を取られて、格闘になったり、悪い場合には、取り押さえられたりしてしまうことも、あり得ます。それに、防犯ブザーや、ナイフや、シャープペンなどの、尖った物を、服の中に、隠し持っている場合もあります。特に、最近は、小型の防犯用品が、たくさん、売られていますから、なおさらです。だから、女の人を、襲う場合、距離をとって、ナイフで、脅して、まず、丸裸にするものです」
と、哲也は、もっともらしく、説明した。
「は、はい」
今日は素直に返事して、服を脱ぎ出した。
ブラウスを脱ぎ、スカートを脱ぎ、そして、ブラジャーを外し、パンティーを、脱いで、一糸まとわぬ丸裸になった。
京子は、恥ずかしそうに、ボッティチェリのビーナスの誕生のように、片手で、乳房を隠し、片手で、女の恥部を隠した。
哲也は、京子の服を、自分の方に、引き寄せた。
そして、念入りに、京子の、服を調べた後、おもむろに、
「ふむ。凶器になるような、物は、ないですね」
と、哲也は、もっともらしく言った。
「さあ。両手を後ろに回して、背中で、手首を重ね合せて下さい」
哲也が命令的に言った。
「は、はい」
京子は、哲也に命じられたように、両手を後ろに回して、背中で、手首を重ね合せた。
哲也は、重ね合った、京子の、手首を、縄で縛った。
「女性が、関節の逆とり、や、肘鉄砲などで、抵抗しないよう、プロの強盗は、女に命じて、自分で、両手を後ろに回さしてから、縛るものです」
と、哲也は、もっともらしく、説明した。
「さあ。床に仰向けに寝て下さい」
哲也は、次に、京子に、そう命じた。
京子は、哲也に、言われたように、後ろ手に縛られたまま、床に仰向けに寝た。
「そう。それで、いいんです」
哲也は、そう言って、京子に抱きついた。
そして、京子の髪を優しく撫でた後、首筋、に優しくキスしたり、乳房を、優しく揉んだり、乳首を、つまんで、コリコリさせたり、口に含んで、舌で、転がしたりした。
「ああー」
京子は、喘ぎ声を上げた。
京子の乳首が、だんだん、尖っていった。
哲也は、京子の、女の穴に、指を入れて、Gスポットを、探り当て、ゆっくりと、そこを刺激した。
もう片方の手で、京子の乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせながら。
「ああー」
京子は、また、喘ぎ声を上げた。
京子のアソコが、クチャクチャと音を出し始め、トロリとした、愛液が出始めた。
哲也は、女の穴に、入れた指を、ゆっくりと、指を、前後に、動かし出した。
「ああー」
京子は、悲鳴を上げた。
京子の、アソコは、クチャクチャと、音を立てている。
そして、京子のアソコから、粘稠な、白濁液が、ドロドロと、出てきた。
哲也は、その間も、あいかわらず、京子の顔を上から覗き込みながら、乳房を揉んだり、乳首を、コリコリさせた。
哲也は、指の振動を、いっそう、激しく、速めた。
「ああー。いくー」
「ああー。出ちゃうー」
京子が悲鳴にも近い声で叫んだ。
哲也は、サッと、京子の、女の穴に入れていた、指を抜いた。
京子のアソコから、激しく、潮が吹き出した。
それは、放射状に、何度も、大量に放出された。
京子は、しばし、ガクガクと、全身を痙攣させていた。
「京子さんの、潮吹き、って、凄いですね」
と、哲也は言った。
「ふふふ。京子さん。女の家に入った強盗は、決して、荒々しく、乱暴に、女を犯したりは、しません。極力、女を、優しく扱います。拉致したり、人質にしたりしたら、犯人と、被害者という関係でも、話をして、一緒に過ごしているうちに、一種の、特殊な人間関係が、出来ます。これを、ストックホルム症候群、といって、これを良好な関係にしておくことが大切なのです。犯罪を成功させるために」
と、哲也は、もっともらしく、言った。
「では、京子さん。立って下さい」
と、哲也が言った。京子は、
「はい」
と言って、後ろ手に縛られた、素っ裸のまま、立ち上がった。
京子は、後ろ手に縛られて、素っ裸、で、今度は、何をされるのかと、オドオドしている。
後ろ手に縛られているため、胸と恥部を隠すことが出来ないので、京子は、恥ずかしそうに、体をモジモジさせている。
「京子さん。動いちゃダメですよ」
哲也は、そう言ってから、ズボンの、ベルトを、引き抜いて、京子の、豊満な、柔らかい尻を、思い切り、ビシーンと、鞭打った。
「ああー」
京子は、今度は、苦痛の悲鳴を上げた。
尻が、ピクピク震えている。
「京子さん。絶対、動いちゃダメですよ」
そう言って、哲也は、立て続けに、京子の尻を鞭打った。
ビシーン。ビシーン。ビシーン。
「ああー。許して―」
京子は、何度も、叫び声を、張り上げた。
ある程度、鞭打ったところで、哲也は、鞭打ち、を、やめた。
京子の尻には、赤い線が、鞭打たれた所に出来ていた。
「さあ。京子さん。今度は、うつ伏せに、寝て下さい」
哲也が命じた。京子は、
「はい」
と言って、床に、うつ伏せに寝た。
「痛かったでしょう。ごめんなさい」
哲也は、そう言って、京子の、後ろ手の縄を解いた。
そして、濡れたタオルを持って来て、京子の尻を、丁寧に、拭いた。
そして、京子の尻に、優しくチュッ、チュッと、キスをした。
「京子さん。拉致犯人は、こうやって、つかまえた女を、一度は、意地悪く、いたぶる、ことも、しておくものです。優しいだけではなく、いうことを聞かなかったら、こういう目にあわすぞ、ということを、わからせて、おくためです。つまり、ビスマルクのアメとムチの政策です」
と、哲也は、もっともらしく言った。
哲也は、うつ伏せの、京子を、丁寧に、優しく、マッサージして、全身を揉みほぐした。
時計を見ると、もう、終電ちかい時刻だった。
「京子さん。もう、終電が近いので、終わりにしましょう。僕は、帰ります」
哲也は、そう言って、京子に、パンティーを、履かせ、ブラジャーをつけた。
京子は、疲れ果てた様子で、グッタリしていて、哲也のなすがままに、されていた。
哲也は、さらに、京子に、ブラウスと、スカートを着せた。
京子は、まるで、着せ替え人形のようだった。

「京子さん。今日は、鞭打ったりして、ごめんなさい」
そう言って、哲也が去ろうとした時である。
「待って。哲也さん」
京子が呼び止めた。
「はい。何でしょうか?」
「哲也さん。気持ちよかったですか?」
京子が聞いた。
「はっ?」
哲也には、京子の質問の意図が、わからなくて、何と答えていいか、わからなかった。
「私は、すごく、気持ちよかったです」
京子は、ニコッと笑って言った。
「はっ?」
哲也には、京子の態度が、どうして急変したのか、わからなかった。
「今まで、冷たくして、ごめんなさい」
京子は、深々と頭を下げて謝った。
「どういうこと、なんでしょうか?」
哲也は、わけが、わからなくて、遠慮がちに聞いた。
「私の計画を正直に話します」
そう言って、京子は、語り出した。
「哲也さん。今まで、つめたくして、ごめんなさい。正直に白状します。私は、哲也さんと、ハワイで、ペッティングしましまた。私は、その後、哲也さんの気持ちが、ほぐれて、私に対する気持ちに、緊張感がなくなって、惰性的になって、しまうのを、怖れたんです。男と女の関係は、言いたいのに、言い出せない、ためらい、の気持ちがある方が、緊張感があって、良いと私は思っているのです。そうすれば、いつも、新鮮な気持ちでいられます。芸能人でも、一般の人でも、離婚してしまうのは、相手に対する、遠慮がなくなって、惰性になってしまうからです。どんなに、魅力的に見える相手でも、惰性で、馴れ合いになってしまって、相手に、遠慮する気持ちがなくなって、しまうと、厭き、が、起こります。私は、それが、嫌だったんです。私は、哲也さんとは、いつまでも、新鮮な関係でいたかったんです。それと、哲也さんに、犬の、おあずけ、のようなことをして、優越感に浸りたかったんです。いつまでも、哲也さんの、憧れの女でいたかったんです。それと、一度、哲也さんを、怒らせて、本当に虐められてみたかったんです。それと、哲也さんの意志で、愛撫されたかったんです。今まで、つめたくして、ごめんなさい」
京子は、穏やかな口調で語った。
哲也は、ほっと、溜め息をついた。
「そうだったんですか。京子さんが、そんな、計算をしていたとは、知りませんでした。僕は、まんまと、京子さんの、計画に、はまってしまっていたんですね。でも、京子さんの気持ちを知れて、僕も、安心しました」
哲也は、言った。
「でも、もう、タネあかしを、してしまいましたから、これからは、哲也さんを、悩ませることは、出来ませんね」
京子は、残念そうな口調で言った。
「いえ。そんなことは、ありませんよ」
哲也は、咄嗟に否定した。
「僕も、本心を言います。さっき、京子さんを、鞭打ってる時、僕は、サディストになりきっていました。苦痛に、悲鳴を上げる京子さんは、たまらなく、美しく、愛おしかったでした。また、京子さんを、触れるのは、今度は、いつになるのか、わからない。もしかすると、もう一生、触れないかもしれない、これが最後の期会かもしれないと、思っていたので、思う存分、夢中で京子さんを、弄んでいました。僕が、本当の強盗なら、こうしますよ、と言っていたのは、ウソです。本当の強盗なら、こうする。という口実で、僕は、京子さんを、弄び尽くしていたのです」
哲也は、そう言ってから、さらに、もう一言、つけ加えた。
「でも、京子さんの考えも、もっともです。恋愛も、馴れ合いになってしまうと、新鮮さ、が、なくなってしまいます。ですから、これからも、距離をおいて、下さって、一向に、構いません」
「嬉しい。きっと、哲也さんは、そう言ってくれると、思っていました。では、昼の、お弁当は、私の気の向いた時に、作ることにします。私のアパートに来ることも、私の気の向いた時に、呼ぶようにします。それで、いいでしょうか?」
京子が聞いた。
「ええ。もちろん、構いません」
哲也が答えた。
「ところで、京子さんは、僕が、ハワイや、それまで、京子さんに、遠慮していたのが、物足りなかったのですね?」
哲也が聞いた。
「え、ええ。そうです。哲也さんの、遠慮した、思い遣りのある、態度も、嬉しかったんですけれど、ちょっと、あまりにも、煮え切らない態度に、満足感を得られなくて、もっと、能動的に、責めて欲しいとも、思っていました。普通、ハワイの時のように、男と女が、一つの部屋で、寝たら、草食系の男の人でも、女に抱きついてきますよ。そんなことをしないのは、哲也さんくらいですよ。でも、そういう超草食系男子の性格だから、私は、哲也さんが、好きなんです」
京子は、さらに、続けて言った。
「女は貞淑などと、思っている男の人も、多いかもしれません。確かに、女は、男の人のように、いつも、発情は、していません。しかし、女は、いったん、性欲の火がつくと、女は男、以上に、物凄く、淫乱になってしまうんです。動物の、発情期と似ていますね」
と、京子が自嘲的に言った。
「そうですか。それなら、今度、その気になって、僕を呼んでくれたなら、その時には、僕は、本気で、思い切り、京子さんを責めます。僕は、京子さんに、嫌われたくないので、今まで、消極的に振舞っていましたが、僕の心にも、女の人を、徹底的に、弄びたい欲求は、あります。ただ、京子さんに、嫌われたくない一心で、僕の中の肉食系男子の、野獣を飼い慣らしていただけです」
哲也は、そう言った。
「そうですか。本気になった、哲也さんが、どうなるのか、わからなくて、ちょっと、こわいですけれど、もう、すでに、私は、そのスリルに、ゾクゾクしています」
と、京子は言った。




平成27年6月5日(金)擱筆

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秋田なまはげ旅行 (小説)

2020-07-09 13:04:22 | 小説
秋田なまはげ旅行

「泣く子はいねだが」と言って、鬼の面をつけ、蓑を被り、包丁を持って、突然、家に入ってきて、「泣く子はいねだが」と叫んで、その家の住人を威嚇する伝統行事が、秋田の、なまはげ、である。これは、年の暮に行われる。なんで、鬼が来るかというと、鬼は、怖い物のようなイメージがあるが、実は、鬼は福をもたらす存在なのである。節分の時、「鬼は外。福は内」と言って豆をまくが、あれは、実は、鬼は福をもたらしてくれる、ありがたい存在であり、「鬼を、家の中に入ってくれるよう、呼びよせるために豆を撒くのである。しかし、鬼は角が生えており、怖い風貌から、いつの間にか、怖い、悪い物という意味に変わってしまったのである。言葉の意味が変わったら、新しい意味の方を使わねばならなくなる。
・・・・・・・・・
順子と京子は、会社の同僚である。新卒で今年の春、入社したばかりで、新入社員の給料は、低い。二人は相性が良く、すぐに親しくなった。
「順子。今年の正月は、どうやって、過ごそうか」
京子が、隣りの席に座っている順子に聞いた。
「そうね。スキー場は、混んでるし・・・。初詣にでも、行かない?」
順子が答えた。
「でも初詣も混んでるわ」
京子が否定的な意見を述べた。
「あっ。順子。面白そうなツアーがあるわ」
パソコンを操作していた京子が言った。
「なあに。それ?」
「秋田なまはげ旅館。二泊三日。豪華な郷土料理。旅費、宿泊費、なまはげショー付き、合計一万円だって」
「へー。安いわね。そういえば秋田は、まだ行ったことがなかったわね」
「残りあとわずか、って書いてあるわ」
「じゃあ、それにしましょう」
順子が言った。
「決まり。じゃあ、すぐに予約するわね」
そう言って、京子は携帯で、その旅館に電話をかけた。
「もしもし。ネットの広告で見たんですけど。秋田なまはげ旅館でしょうか?」
「はい。そうです」
相手が答えた。
「二人で泊まりたいんですけど、よろしいでしょうか?」
「ああ。誠にすみません。一週間前に全部、予約が決まってしまいまして。申し訳ございません」
相手がペコペコ頭を下げながら、話しているような光景がイメージされた。
「そうですか。わかりました」
そう言って、京子は携帯を切った。
「あーあ。残念だったわね」
「いい所は、早く決まっちゃうのは、仕方がないわ」
「じゃあ、どこかいい所がないか、また探すわ」
そう言って京子は、パソコンで、また年末年始のツアーを検索し始めた。
その時。
トルルルルル。
京子の携帯電話が鳴った。
「あっ。もしもし。寸刻前に電話を掛けて下さった方ですか?」
「はい。そうです」
京子は、発信者番号通知で、かけたのである。
「幸い。今、二人連れの客からキャンセルが入りました。もし、よろしければ、お泊り出来ますが、いかがいたしましょうか?」
相手が言った。
「はい。それは、すごく嬉しいです」
京子は、隣りの順子を見た。
「順子。いいわね?」
京子は順子の意志を確かめた。
「うん。異議なし」
順子に異論はなかった。京子は、携帯に口を当て、
「はい。それでは、お願い致します」
と元気に言った。
「二名様でございましょうか?」
相手が聞いた。
「はい」
京子は元気よく答えた。
「では、お名前と電話番号をうかがっても、よろしいでしょうか?」
「はい。佐々木京子と吉田順子の二人です。今、私は、自分の携帯電話でかけているので、電話番号は、今、そちらに表示されている番号です」
「わかりました。では、お待ちしております」
「よろしくお願い致します」
そう言って京子は、電話を切った。
「やったね。順子」
京子はガッツポーズをつくって嬉しそうに順子を見た。
「よかったわね」
順子も嬉しそうにニコッと笑った。
こうして、二人の年末の行き先が決まった。
一月一日と二日の二泊の、秋田なまはげ旅館である。
・・・・・・・・・・
二人は、それぞれ仕事にもどった。
「こら。仕事中に何を話しているんだ」
と課長に叱られた。
「ごめんなさい」
と言って京子と順子はペロリと舌を出した。
・・・・・・・・・・・・
大晦日になり、いよいよ仕事納めとなった。
「今年の我が社の経営は、政府の円安誘導により、まずまずだったが、今後の見通しは、不透明だ。来年からは、人件費を抑えるために、中国や東南アジアに生産工場を作る予定だ。来年も、皆も気を入れて頑張ってくれ」
と課長が言った。が、入社一年目の新入社員にとっては、自分達とは関係ないことだった。
・・・・・・・・・・
その日(大晦日)の仕事の後、二人は駅前の喫茶店に入った。
「はー。やっと、今年の仕事も終わったわね」
京子が、ホットココアを飲みながら言った。
「終わったといっても、休めるのは、正月の三日だけ。年が明けたら、また仕事だわ」
順子がホットレモンティーを一飲みして言った。
「ぜいたく言うもんじゃないわ。賃金の安い発展途上国の製造工場では、一日中、流れ作業じゃないの」
「そんなこと言ったら、途上国の人達に失礼じゃない。私たちは、まだ、恵まれている方だわ」
順子がホットレモンティーを啜りながら言った。
「でも、ヨーロッパでは、一ヶ月もサマーバカンスをとったりしているじゃない。どうして日本は、一ヶ月のサマーバカンスがとれないのかしら?」
「それは、プラザ合意によるバブル崩壊と不良債権と、リーマンショックの影響だからよ」
二人は、共に中堅私立大出で、それでも、京子は、120社、順子は、150社、回ったあげく、やっとのこと、この会社に内定がとれたのである。内定をとれるまでに、何度、自殺を本気で考えたことか。今の日本では、自殺も一つの就職先の選択肢の一つなのである。
特技といったら、順子がTOEIC=875で、京子は、美人で、日本語文章能力検定準二級だった。
「今夜はどう、過ごす?」
京子が聞いた。
「そうね。年越し蕎麦を食べながら、紅白歌合戦を見るんじゃないからしら」
「私も、そうだわ」
京子が相槌を打った。
・・・・・・・・・
「じゃあ、明日の10時に東京駅で会いましょう」
「ええ」
そう言って二人は別れた。レジは京子が払った。
二人は、その晩、それぞれ、家で年越し蕎麦を食べながら、紅白歌合戦を見た。
そして、それが終わり、「行く年、来る年」を見た。
・・・・・・・・・・・
年が明けて新年になった。
町は、コンビニ以外どこも、シャッターを閉めている。そして、「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します」と書かれている。車のナンバープレートに、注連飾りが取り付けられている車は少なく、それでも、10台に一台くらいは、注連飾りをした車もあった。初詣に行く人々も、たった三日の休みだが、どこか、仕事の荷が降りて、ほっとしているような、のほほんとした雰囲気である。
・・・・・・・・・・・・
京子と順子は、東京駅の東北新幹線の中央口で、お互い相手を見つけた。京子が先に来ていた。京子は順子を見つけると、大きく手を振った。
「京子。待った?」
順子が聞いた。
「ううん。私も、ちょうど今、来たところ」
二人は、東北、上越、長野、新幹線の改札を通った。東北新幹線は、全て指定席である。スキーやスノーボードを持った人や、帰省と思しき人達が、所狭しと、待合室を占めていた。新幹線の発車時刻には、まだ20分ある。待合室のロビーの正面の電光掲示板では、最前の新幹線が発車する時刻と行き先と発車時間が示されていて、発車時間ちょうどになると、次の新幹線が繰り上げられて表示された。次発の新幹線が先発に変わって、それに乗る客が数名、立ち上がって、待合室から出ていった。
ちょうど二人隣り合った座席が空いたので、二人は、そこに座った。
「順子。何か飲む?」
京子が聞いた。
「じぇあ、粒入りのお汁粉」
京子は、立ち上がって自動販売機に行き、二つ缶を持って戻ってきた。
「はい」
京子は順子に、粒入りのお汁粉を渡した。
「ありがとう」
京子は、ホットレモンだった。順子が、財布をバッグから取り出そうとすると、京子が手を振って制した。
「いいわよ。たかが130円」
「ありがとう」
二人は、缶の詮をプシュッと開け、コクコクと飲んだ。
「寒い時に、暖かい所へ行くのも、いいけれど、雪国に行くのもいいわね」
「そうね。冬は雪が降って積もっていると、何だか、冬らしい楽しい気分になるからね」
「東京では、ホワイトクリスマスなんて見れないけれど、クリスマスに雪が降ってくれたらロマンチックな感覚になるものね」
「でも、東北の人にしてみれば、雪は嫌なものでしかないんじゃないかしら」
そんなことを話している内に、電光掲示板の一番上が、京子たちの乗る、秋田新幹線の表示になった。
「京子。行きましょう」
順子が言った。
「待って。新幹線は、車内清掃で、発車時間の5分前くらにならないと開かないから、まだ開いてないわよ」
と京子が制した。
時計を見ると、発車時間まで、あと10分あった。その間、二人は、じっと待合室にある時計を見守った。
発車時間の5分前になった。
「行きましょう」
二人は、立ち上がって、地下の待合室を出て、エスカレーターで、プラットホームに出た。
もう、秋田新幹線は、来ていた。ちょうど、車内清掃が終わって、客がゾロゾロと乗り込んでいる所だった。
秋田新幹線こまち号は、東北新幹線の前に連結されている。二つ、連結された新幹線は、岩手県の盛岡駅まで、連結されたまま、一緒に走って、盛岡駅で、切り離され、秋田新幹線は、西方の秋田に向かって走り、東北新幹線は、そのまま北上して、新青森へ行くのである。
途中の停車駅は、盛岡までは、上野、大宮、仙台、盛岡、の4駅で、盛岡駅で、後ろに連結されている東北新幹線が切り離されて、秋田新幹線こまち号だけとなり、秋田へ向かうのである。秋田新幹線は、雫石、田沢湖、角館、大曲、と止まって終点の秋田に着く。

仙台までは、雪は少なかったが、仙台を過ぎて、岩手県に入ると、窓外の景色は、一面、雪で覆われていた。
「うわー。すごい雪ね」
二人は、嬉しそうに叫んだ。
盛岡駅で、秋田行きの、こまち号と、新青森行きの、はやて号に、分かれ、秋田に向かうと、窓外の雪は、一層、積もっていた。
・・・・・・・・・・
秋田新幹線が、終点の秋田駅に着いた。
「やっと、ついたわね」
「何だか、長かったわね」
二人は、それから、男鹿半島へ向かう男鹿線に乗り、約1時間で、終点の男鹿駅に着いた。男鹿線は、男鹿半島の右側に沿って走っている。
右手には、日本海があるが、沿線は住宅と防風林が視界を遮っており、車窓からは日本海が見えなかった。

男鹿駅では、二人を用意した旅館のバスが待っていた。回りは一面、雪で覆われている。
30位して、ようやく旅館に着いた。
「お客さんが、着きましたべ」
バスのザクザク雪を踏み鳴らす音で、わかったのだろう。旅館の主人が出て来た。頭の禿げた、かなり歳のいった、じいさんだった。
「こんにちは。初めまして。明けましておめでとうございます」
京子と順子は、笑顔で深々と頭を下げて挨拶した。
「よう来たべな。明けまして、おめでとうべな」
旅館の親爺も、嬉しそうに挨拶した。
・・・・・・・・・
二人は、親爺に案内されて部屋に入った。
「温泉があるべな。先に入るだがね。それとも、食事にするだがね?」
親爺が聞いた。
二人の腹がグーと鳴った。二人は、旅館での郷土料理を美味しく食べるために、新幹線の中でも、あえて駅弁を買わなかった。それでも、やはり長旅は、腹が減るので、ワゴンサービスが回って来た時、トッポを買って食べた。
「どうする?」
順子が京子に聞いた。
「そうね。まず温泉に入らない。寒くて仕方がないわ。温まってから、食事にしない?」
京子が、そう聞いた。
「そうね。そうしましょ」
順子が肯いた。
「そうかね。じゃ、案内するべ」
二人は部屋に入って、浴衣に着替えた。
そして親爺に案内されて、二人は、親爺の後についていった。
旅館から数分ほど歩いた所の、雑木林の中に露天風呂があった。
「ここは混浴じゃけんども、今日は、泊まり客は、あんたらしかおらん。安心して入りんしゃい」
そう言って旅館の親爺は、旅館に戻っていった。
・・・・・・・・・・
「へー。京子。ここ。混浴だって。水着、持ってきた?」
「一応、着けてきたわ。でも、誰も来そうもないし、裸で入っちゃいましょう」
「そうね。ふふふ」
二人は顔を見合わせて、ふふふ、と笑った。
二人は浴衣を脱いだ。浴衣の下はビキニだった。
二人は、ビキニも、脱いで、全裸になった。そして、ドボンと温泉に入った。
なんやかんや言っても、女は結局、みんな露出趣味があるのである。女が露天風呂に行きたがるのは、温泉が好きなのと、もう一つ、男に見られるかもしれない、というスリルを味わいたいためである。
「はー。いい気持ち」
「一年の疲れが、スッキリとれるような感じね」
二人は温泉に浸かりながら、そんなことを言い合った。
その時である。雑木林の中でカサッと物音がした。
「誰。誰かいるの?」
京子が、雑木林の方に向かって言った。しかし返事は返って来ない。
「熊かしら。狸かしら。きっと、何かの動物よ」
順子が言った。
「ちょっと私、見てくるわ」
そう言って京子は、湯から上がると、バスタオルを体に巻いて、音のした方へ歩んだ。
すると一本の木の裏に、少年が縮こまっていた。小学生くらいの、男の子だった。
「ボク。何をしているの?」
京子が問いかけると、少年は、逃げようとした。京子は、少年の手をつかんで逃げれなくした。
「ははあ。覗きにきたのね」
京子は笑って言った。
「ち、違います」
少年は即座に反駁した。
「じゃあ、何をしにきたの?」
「あ、あの。温泉に入りに来たんです。でも、あなた達、二人が入っていたから、入るのを、ためらっていたんです」
「どうして私達がいると入れないの?」
「そ、それは。この温泉は、入浴料、500円、旅館の主人に払って、断らないといけないからです」
「子供は200円よ。そんなの、私が払ってあげるから、入りなさいよ」
そう言って京子は、少年の手を引いて、露天風呂に連れてきた。
「さあ。遠慮しないで、入りなさい」
ためらっている少年に京子は強気の口調で言った。
・・・・・・・・・・
相手は女とはいえ、小学生の力では、大人の力にかなわない。
逃げられない、と少年は観念したのだろう。少年は服を脱ぎ出した。セーターを脱ぎ、厚手の上着とズボンを脱いで、パンツ一枚になった。ズボンを脱いだ時、ポケットから、小型の高性能デジカメがポロッと落ちた。京子は、それをサッと拾った。
調べると、それには、ここの露天風呂に浸かっている若い女の写真がたくさん、写されていた。
「うわー。すごーい。盗撮の常習犯なのね。秋田県警に連絡しなくちゃ」
「ち、違います」
少年は焦って反駁した。
「どう違うの?」
「そ、それは・・・つまり・・・その写真は・・・温泉に来た人の記念として、相手の同意を得て、写してあげたものなのです」
「それにしては、若い女のスナップ写真ばかりじゃない。普通、相手の同意を得た記念撮影の写真なら、カメラに向かってピースサインをしている写真なはずよ」
「そ、それは・・・つ、つまり・・・女の人に、どういう写真を撮って欲しいかと聞いたら、スナップ写真の方が芸術的で、スナップ写真を、お願いします、という返事ばかりだったからです」
「わかったわ。ともかく、温泉に入りなさいよ。そのために来たんでしょ」
そう言われても、少年は、パンツをなかなか脱げないで躊躇している。
しかし、京子が、さあ、早く入りなさいよ、と催促するものだから、少年も、ついに、観念したらしく、少年は、パンツを履いたまま、温泉に入ろうとした。
京子が、サッと少年の手をつかんだ。
「パンツを履いたまま、温泉に入る、なんて聞いたことないわ。パンツが濡れちゃうじゃない。さあ、パンツも脱ぎなさい」
京子が、少年の手をつかんで、言った。
「混浴風呂では、男はみんな裸よ。女は水着を着ることもあるけれど、私達は全裸よ」
少年は、パンツのゴムの縁に手をかけた。しかし、躊躇して、なかなか下げられない。
京子は、少年の後ろに回って、パンツの縁を、つかむと、グイと降ろした。
「ああっ」
少年は、あわててパンツを引き上げようとした。しかし京子は、素早く、パンツを足から抜きとってしまった。
少年の、石棒は、天狗の鼻のように、激しく怒張して、せせり立っていた。
「うわー。すごーい」
京子と順子は、それを見て、驚嘆の声をあげた。
少年は、見られる恥ずかしさから、のがれるように、急いで、湯に入った。
京子も湯に入った。

京子と順子は両方から少年を挟むように、少年の間近に寄ってきた。
少年は、茹で蛸のように、真っ赤になっている。
「やっぱり、普天風呂では、男と女が一緒に入るのがいいわね」
しばし、三人は、黙って、露天風呂の心地よさに浸っていた。
しかし、少年は、心地よかったか、どうかは、わからない。
少年は、真っ赤な顔で真正面を見ていた。
順子が二人から、離れて、二人の対岸に行き、振り返って、京子と少年の方を向いた。
「はあ。ちょっと、長く浸かっていたんで、湯疲れしちゃたわ」
そう言って、順子は、湯から上がって、湯の縁に腰かけた。
「温泉では、温まるのと、体を冷ますのを交互に繰り返して、交感神経と副交感神経の活動を切り替えるのが、自律神経を整えるのにいいのよ」
そう言って、京子も、湯から上がって、湯の縁に腰かけた。
少年は、目のやり場に困っている。目の前には全裸の順子が、縁に腰かけているし、後ろには、全裸の京子がいる。
「順子―。凄くセクシーでいいわ。温泉に来た記念として、写真を撮ってあけましょうか?」
「ええ。お願い」
順子は、立ち上がって、乳房と恥部を手で覆った。それは、ボッティチェリのビーナスの誕生のポーズだった。
「ボク。写真を撮りたいから、デジカメを借りてもいい?」
京子は少年に聞いた。
「は、はい」
カシャ。カシャ。
京子は、少年のデジカメで、順子の全裸の写真を、何枚も撮った。
「私も撮って」
そう言って、京子はデジカメを順子に渡し、順子に全裸の写真を何枚も撮ってもらった。
「ボク。旅の一期一会で、出会えたんだから、一緒に写真を撮りましょう」
そう言って京子は、少年の手をつかんだ。
「えっ。そんな。いいです」
「そう遠慮しないで」
そう言って、京子は、少年の手を引っ張った。
やむなく、少年は、湯からあがった。
少年の石棒は、天狗の鼻のように、ビンビンに反り上がっていた。
「すごーい。やっぱり盗撮魔だけあって、すごくスケベなのね」
京子は、立ち上がって、少年を後ろから、抱くようにした。京子は、少年の後ろから、少年と手をつないだ。少年の頭の上には、京子の豊満な、乳房が、乗っている、京子の恥部は、少年の体で隠されて、見えない。しかし、少年の、ビンビンに勃起した石棒は、丸見えである。
「さあ。順子。撮って―」
カシャ。カシャ。
少年は、ジタバタ抵抗したが、順子は、何枚も、写真を撮った。
「じゃあ、今度は、凌辱の図」
京子は、そう言って、座った。
「ボク。手で、アソコと胸を隠して」
京子は少年を後ろに座らせて、片手を京子の恥部に、片手を京子の胸に当てさせた。
「ふふ。これで、恥ずかしい所は、写らないわね」
「京子。凄いエロティックよ。何だか、京子が、少年に凌辱されているみたい」
そう言って順子は、何枚もそのポーズの写真を撮った。
少年は、ハアハアと、激しく興奮していた。
「ボク。精液がいっぱい、溜まっちゃってるでしょ。体内に溜まり過ぎた物は出さないと健康に悪いわよ」
京子が言った。
「さあ。横になって。体に溜まっている悪い物を出してあげるわ」
そう言って、京子は、順子の方を見た。
「順子―。こっちに来てー」
京子は、仰向けになっている少年の腹の上に、跨いでドッカと尻を乗せた。
少年は、身動きがとれない。
順子は、仰向けに寝た少年の両足を開いて、つかんだ。
京子は、少年のビンビンに勃起した、石棒を握って、ゆっくりと、しごき出した。
「ふふ。私の体を触ってもいいわよ」
京子に言われて、少年は、京子の白桃のような尻を触った。
京子は、しごく度合いを強めていった。
クチャクチャとカウパー腺の音がし出した。
「ああー。で、出る―」
そう叫ぶや、少年の亀頭から、勢いよく、白濁液が放射状に飛び出した。
「ふふ。気持ち良かったでしょ」
「は、はい」
「本当は、ボク。物凄くエッチなんでしょ」
「は、はい」
少年は、とうとう正直に告白した。
三人は、また風呂に入った。
「じゃあ、もう、そろそろ、私たち旅館にもどるわ」
「あ、有難うございました」
服を着ると、少年は、そう礼を言って、雑木林の中に去って行った。
・・・・・・・・
「ふふふ。楽しかったわね」
「そうね。せっかく温泉旅館に来たんだから、このくらい面白いことが、ないとね」
「私。お腹ペコペコだわ」
「私もよ」
二人は旅館にもどった。
「いい湯でしたわ」
二人は旅館の親爺に、そう言って、旅館に入った。
「そうか。そりゃよがっだべな。食事をすぐ持ってぐけん」
親爺が言った。
トントン。
しばしして、戸がノックされた。
「どうぞ」
スーと戸が開いて、親爺が入って来た。
「食事を持ってきたべな」
そう言って親爺は、卓の上に、食事を並べだした。
秋田の郷土料理の、きりたんぽ、や、比内地鶏、の鍋物をメインに、小皿で、色々な山菜や、海鮮料理が、ボリュームたっぷりに、卓上に並べられた。
「うわー。美味しそー」
腹を減らして来ただけに、二人の腹がグーと鳴った。
「全部、食べても、まだ足りなかったら、言うべさ。料理は、ぎょうさん、あるけん」
親爺は、そう言って、出ていった。
「いただきまーす」
二人は、ハフハフ言いながら、料理を食べた。
「美味しいわね。順子」
「そうね。五臓六腑にしみわたる、みたいな感じだわ」
二人は、ボリュームたっぷりの料理を全部、食べた。
そして、デザートのアイスクリームを食べ、地酒を飲んだ。
「はー。食べた。食べた」
「美味しかったわね」
「何か、面白いことはないかしら?」
「また、露天風呂に行ってみる?」
「そうね。また、あの子が来るかもしれないし」
二人が、そんな、とりとめのない話をしている時だった。
突然、ノックもなく、部屋がガラリと勢いよく開いた。
恐ろしい鬼の面を被り、蓑を着て、木製の包丁を持った二人が、断りも無く、ズカズカと部屋に入ってきた。鬼たちは、
「泣く子はいねだが」
「泣き虫はいねだが」
と言いながら、京子と順子を、威嚇するように、四股を踏んだ。
「はー。吃驚した」
「なまはげ、って本当に、いきなり入ってくるものなのね」
「きっと、これは、旅館のサービスね」
京子と順子は、そう言い合った。
「でも、面白いわね」
「でも、幼児だったら、本当に泣いちゃうんじゃないかしら」
「でも、なんで、正月に、なまはげ、が来るのかしら?」
「それは、鬼は、厄払いの来訪神だからよ。鬼は、本当は、幸福を呼ぶ存在なのよ」
京子と順子は、立ち上がって、
「ふふふ。鬼さん。こちら。手のなる方へ」
と言って、笑いながら、手を叩きながら、キャッ、キャッ、と叫びながら、部屋の中を、逃げ回った。
鬼は、二人を追いかけて、二人を、それぞれ、部屋の隅に、追いつめた。
キャーと二人は、叫んだ。

一匹の鬼は、京子を捕まえると、京子の両手を背中に捩じ上げて、縄で手首を縛り上げた。順子を、追っていた鬼も、京子と同様、順子の両手を背中に捩じ上げて、縄で手首を縛り上げた。
二人は、後ろ手に縛られたまま、畳の上に正座させられた。
「ふふ。かなり、本格的なのね」
「ふふふ。かなり、際どいことをするのね」
二人の鬼は、それぞれ、京子と順子の縄尻をとると、背中を突いて、部屋から、連れ出した。
「ふふ。かなり、本格的なのね」
「でも、スリルがあって、面白いわ」
二人は旅館の外に、連れ出された。
旅館の外には、車が止めてあった。
二人の、なまはげ、は、京子と順子を車の後部座席に乗せると、自分達は、運転席に乗った。そして、エンジンをかけて、車を出した。
「あ、あの。これは、どういうことなのですか?」
「どこへ連れていくのですか?」
二人は、後ろ手に、縛られたまま、運転席と助手席の、なまはげ、に聞いた。
だが、なまはげ、は、何も答えない。
「きっと、どこかのレジャー施設に連れて行って、新年の御馳走をしてくれるのよ」
「秋田の、なまはげ、の行事って、かなり本格的なのね」
二人は、そう言い合った。
車は林の中を走っていった。
「あ、あの。どこへ連れていって下さるのですか?」
そう聞いても、なまはげ、は、何も喋らない。
もう、外は真っ暗である。
しばし走った後、車は、ある建物の前で止まった。
なまはけ、に、促されて、二人は降ろされた。二人は、その建物の裏手に入らされた。
「どういうことかしら」
「わ、わからないわ」
二人の、なまはげ、は京子と順子を、ある小さな部屋に入れた。そこは、小さな楽屋のような感じだった。その部屋の一面は大きなカーテンで仕切られていた。閉められたカーテンの隙間から、その先が見えた。
「ああっ」
二人は、驚いて叫んだ。
そこは、コウコウとスポットライトの点いた、小劇場のようなステージだった。ステージの前は、客席になっており、客達は、みな、なまはげの面を被っていた。それは、ちょうどストリップ劇場のようだった。
二人の、なまはげ、は、京子と順子の二人の縄尻をとりながら、背中をトンと押して、ステージの中央に引き出した。
「おおっ。すげえ美人」
客達は、一斉に叫んだ。
「こ、これは、どういうことなの?」
京子と順子は、彼女らの縄尻をとっている、なまはげに聞いた。
しかし、なまはげ、は、黙っている。
・・・・・・・・・
「やあ。みな様。本日は、ようこそ、お出で下さいました。秋田なまはげSMショーを、たっぷりと、お楽しみ下さい。本日のスターは、飛び切りの美女二人です」
と一人の男が言った。背広を着て、蝶ネクタイをしていることから、おそらく司会者なのだろう。
「順子。これは、なまはげ、の行事なんかじゃないわ」
「そ、そうだわ。これは本当の犯罪だわ」
「なまはげ、の、仮面をかぶって人を脅す行事を利用した、本当の犯罪だわ」
ここに至って、二人は、やっと事実に気づいて青ざめた。
「どうしよう。京子?」
「どうしようって、どうしようも出来ないわ」
「私たち、どうなってしまうのからしら?」
「わ、わからないわ」
二人は恐怖に引き攣った顔を見合わせた。
ステージの両脇に、もう二人の、なまはげ、が仁王立ちしていて、か弱い女の身では、逃げようもない。
「さあ。着てるもんさ。全部、脱ぐべ」
二人の縄尻を、とっている、二人の、なまはげ、が、言った。
そして、二人の後ろ手の縛めを解いた。
手が自由になったが、か弱い女の身では、逃げようがない。
・・・・・・・・・・
「順子。あきらめて、言うことに従いましょう。まさか、殺したりはしないでしょうし・・・」
「そ、そうね。京子。おとなしく言うことを聞いていれば、ショーが終わったら、きっと解放してくれるわ」
二人は、そう言って合意し合った。
京子と順子の二人は、おそるおそる浴衣を脱いだ。浴衣の下は、豊満な乳房を覆うブラジャーと、大きな尻を覆うパンティーだった。
二人は、チラリと、後ろに控えている、なまはげ、を見たが、なまはげ、は、仁王立ちしていて、許しを乞うても、無駄であるのは、一瞬で見てとれた。
二人は、観念して、まず、ブラジャーを、はずした。
豊満な乳房が、ブラジャーから、プルンと弾け出た。
「おおっ。すげーだべ」
客達が、一斉に歓声をあげた。
二人は、思わず、反射的に、乳房を手で覆った。
しかし、裸という以上、パンティーも脱がないわけには、いかない。
二人は、中腰で、片手で露出した乳房を押えながら、パンティーも降ろしていった。その姿は、極めてエロチックだった。
なまはげ、は、二人の脱いだ、ブラジャーとパンティーを、拾い上げると、それを、客席に向かって、あたかも節分の豆まきのように、四方に、放り投げた。
「おおっ」
客たちは、われ先にと、手を伸ばした。しかし、下着は四つしかない。四人の客が、それを、掴み取った。ブラジャーとパンティーを、掴み取った四人の客は、すぐに、それを鼻先に当て、クンクンと貪るように嗅いだ。
丸裸になった、京子と順子は、乳房と恥部を、必死に手で隠している。
二人の、なまはげ、は、京子と順子の、それぞれ、右手の手首を縄で縛ると、その縄尻を、天井の梁にひっかけて、グイグイ引っ張っていった。
「ああっ」
二人の右手が引き上げられていったが、それでも、なまはげ、は、縄を引っ張りつづける。

二人は、それに、つられるように、体が伸ばされていき、そして、とうとうピンと直立に、立ち上がされた。
二人は、右手を、高々と上げて、立っている、という姿である。二人とも、自由な左手で、恥部を必死に隠している。しかし片手では、一か所しか、隠せないため、豊満な乳房は、丸見えである。わざと、片手を自由にさせ、女の羞恥心を見ようとする、手の込んだ演出である。それは、確かに、両手首を縛って、吊るよりも、エロチックだった。
「おおっ。セグシーだべな」
観客たちが言った。
ステージの両脇に仁王立ちしていた、二人の、なまはげ、が、それぞれ、洗面器を持ってきて、ステージの、二人の、なまはげ、に渡した。そして、次に、石鹸と、鋏、安全カミソリを、次々と、渡した。
ステージ上の、二人の、なまはげ、は、それを、京子と順子の、それぞれ、背後に置いた。

なまはげ、は、京子と順子の肩を掴むと、クルリと体を回し、二人を後ろ向きにさせた。
体の前の、露わに露出した乳房と、手で隠した恥部の、恥ずかしい姿が、客から見えなくなった、ことは、二人にとって、多少の救いになったが、今度は、白桃のような大きな尻が、客に丸見えになった羞恥に、二人は、晒されることになった。
「おおっ。セクシーな尻だべな」
「すご、むっちり、しとるべな」
客達が口々に言った。
もちろん、二人も、始めから、後ろ向きになることは、出来た。しかし、後ろ向きになると、客の顔が、見えなくなる。前を向いていると、たとえ、恥ずかしくても、客の視線が見えて、それに備えることが出来る。本能が、そうしてしまうのである。
しかし、後ろ向きになると、客の視線が、見えなくなり、見えない視線に晒されることは、前を向いている以上に、恥ずかしく、怖いものである。
二人は、客の視線が、二人の尻の割れ目に、集まっているように、感じて、思わず、尻の肉に力を入れて、尻の割れ目を、閉じ合せようとした。
ステージの上の、二人の、なまはげ、は、それぞれ、京子と順子の、前にドッカと屈み込んだ。
そして、両方の足首を掴んで、グイと大きく開いた。
「ああー」
二人は、思わず、声を上げた。
なまはげ、は、恥部を覆っている、左手を掴んで、グイと、どかした。
「ああー」
二人は、思わず、声を上げた。
「おおー」
観客たちも、どよめいた。
観客たちには、見えないが、京子と順子の、秘部は、二人の、なまはげ、の目の前に、もろに晒されている、のである。それが、観客たちを興奮させたのである。
京子と順子の手は、乳房の上に行った。
尻は、もう見られてしまっているし、全裸の恥ずかしい姿を晒しているのに、それでもなお、むなしく、尻を隠そうとする、みじめな徒労を、客たちに、見られる方が、余計、屈辱的だったからである。
それに、片手を後ろに回して、尻の割れ目を、隠す姿は、極めて、みじめ、で滑稽である。
そういう心理が働いて、客には、見えないが、目の前の、なまはげ、には、見えないよう、二人は、左手で、乳房を覆ったのである。
二人の、なまはげ、は、洗面器の中の、湯をすくって、京子と順子の、恥部を潤した。
「ああー」
二人は、叫んだ。
「何をするべがな?」
「決まっとるべな。毛をそるべな」
なまはげ、は、次に、石鹸を泡立てて、それを、京子と順子の恥部に塗りつけた。
そして、鋏とカミソリで、二人の恥毛を、ショリショリと、剃っていった。
「ああー」
京子と順子は、羞恥の叫びを上げた。
剃り終わると、なまはげ、は、京子と順子の、腰に糸を巻いた。
そして、何かを、二人の恥部の前に、取りつけた。
そして、二人の肩をつかんで、クルリと体を回し、元のように、客の方に向かせた。
「おおー」
観客たちは、一斉に、叫んだ。
二人の腰には、糸が巻かれており、恥部の前には、5cm×5cmくらいの、正方形の赤い布切れ、が、垂れていたからである。布切れは、ちょうど、ギリギリに、女の恥部を隠していた。
しかし、この方が、全裸よりも、もっとエロチックだった。見たいが、見れない、という、もどかしさ、が、観客たちを、興奮させた。のである。
京子と順子の左手は、畢竟、乳房の手隠しに、使われた。
これは、二人にとっても、屈辱的だった。
毛を剃られた恥部を、片手で、しっかり隠したかったが、そこは一応、小さな布切れ、で、隠されているため、女が隠さねばならない、残りの、胸を隠すことに使わなければ、ならない。しかし、ほんの少しでも、動けば、見えてしまうような、恥部の覆い、は、極めて屈辱的だった。観客と同様、京子と順子も、極めて、もどかしかった。
「色っぽいべな」
「ほんに、色っぽいべな」
「わしゃー。興奮して、ちんぽさ、おっ立ってきたべな」
観客たちは、口々に、そんなことを言った。
・・・・・・・・・
しばし、した後、なまはげ、は、京子と順子の、胸を覆っている左手の手首を、グイと掴んで、縄で縛り、グイと、手首を上へ上げ、右手の縄に縛りつけた。
・・・・・・・・・・・
これで二人は、両手首を縛られて、吊るされた格好になった。
手で覆い隠していた、豊満な乳房が、露わになった。
しかし、隠そうが、隠すまいが、大した違いはない。
むしろ、全裸の恥ずかしい姿を晒しているのに、それでもなお、むなしく、隠そうとする、みじめな徒労を、客たちに、見られることから、逃れられて、多少、ほっとした気持ちもあった。
「おおぎな、おっぱい、だべな」
「揉んでみとうなるべな」
客達が口々に言った。
・・・・・
しかし、二人が、ほっとしたのも束の間だった。
「ああー」
二人は悲鳴をあげた。
なまはげ、が、背後から、手を前に回して、二人の、豊満な乳房の上に、ピタリと手を乗せたからである。
物言わぬ手は、豊満な乳房の上を、怪しい動物のように這い出した。
「ああー」
京子と順子の、二人は、苦しげな表情で、喘ぎ声を出した。
しかし、両手を縛られて、吊られているので、どうしようもない。
羞恥責めが、今度は、拘束責め、に変わったのである。
触手は、入念に、二人の豊満な乳房の上を這い回った。そして、時々、乳房の丘の真ん中にある、乳首に触れた。手は、乳首をコリコリとつまんだ。だんだん乳首が尖り出した。
「ああー」
二人は、やりきれなさに、喘ぎ声を出した。顔は、苦悩に歪んだ。
しはし、乳房の上を這い回った触手は、一旦、乳房から離れた。
二人は、ほっと安堵した。
しかし、それも束の間だった。
触手が、二人の、無防備な、ガラ空きの、腋下の窪みに、ピタリと触れたからである。
物言わぬ、怪しい触手は、爪を立てて、腋下の窪みから、脇腹へと、スーと這い出した。
脳天を突き上げるような、激しい、刺激と、恐怖感が、電撃のように、二人の全身を駆け廻った。
「ああー」
二人は、どうしようもない、遣り切れない刺激に、叫んだ。
二人は、手をギュッと固く握りしめ、何とか、手を、降ろそうと、力んでみたが、手首の縄の縛めは、その抵抗を意地悪く、阻止した。二人を天井の梁から吊っている縄は、あたかも、意志を持って、二人が抵抗する度に、それを引きとどめるように引っ張って、二人を、虐めているかのようにも見えた。
「や、やめてー」
二人は、叫んだ。全身を小刻みにプルプル震わせながら。
触手は、時々、二人の体から、スッと離れた。それは、二人の哀願に対する、情け、からなのか、どうかは、二人には知る由もない。
しかし、ともかく、触手が離れると、二人は、ほっと、溜め息をついた。
しかし、しばしすると、また、不気味な触手が、やってくる。
「ああー」
二人は、その度に叫んだ。
そして、二人の体の上を、這うと、また、スッと、離れていった。
これは、二人にとって、荒々しく、触られるより、ずっと、辛かった。
いつ、触手が、やってくるか、わからない精神的な恐怖感は、触手に弄ばれ続けてられいる時の、肉体的な辛さに、勝るとも劣らなかった。からである。
・・・・・・・
なまはげ、は、二人を背後から、ガッシリと抱きしめた。丸出しの、大きな尻に、太い硬い男のモノの先が触れた。ハアハア、と背後の、なまはげ、の息が荒い。なまはげ、も、興奮し出したのだ。
なまはげ、は、背後から、手を廻して、京子と順子の、豊満な乳房の上に、ピタリと手を乗せた。そして、ゆっくりと揉み出した。時々、乳首を、そっと、摘まんだ。
「ああー」
京子と順子は、喘ぎ声を上げた。
二人の乳首は、だんだん、尖り出した。
乳首の根元を糸で括れば、糸を、引っ張っても、はずれないかと思うほど、それほど二人の乳首は、勃起していた。
なまはげ、は、片手で、乳房を、揉みながら、もう一方の手を、ゆっくり下に降ろしていった。
そして、その手は、恥部の前に垂れている、赤い布切れ、の中に入って行った。
「ああっ。嫌っ」
二人は、思わず、叫んだ。
二人は、咄嗟に、ピッチリと、脚を閉じた。
しかし、その時は、もう遅く、かえって、女の急所にあてがわれた、意地悪な手を、ピッチリと、脚で、挟みこむ形になってしまった。
・・・・・・・・
二人は、丸裸で、手首を縛られて、天井の梁に吊るされて、かろうじて恥部の前に、小さな赤い布切れ、が、垂れている、という、みじめ極まりない姿である。
そして、その赤い布切れの中で、なまはげ、の手が、モゾモゾと、怪しく動いているのである。
「ああー。いやー」
京子と順子の二人は、ハアハアと喘ぎながら言った。
「おおっ。色っぽいだべな」
「おら。ちんちんさ、おっ立ってきたべな」
「おらもだがな」
客達は、口々に、そんなことを言って、ハアハアと息を荒くしながら、ズボンの上から、勃起したマラを扱き出した。
次に、ステージの上の、なまはげ、は、ドッカと、二人の後ろに、座り込むと、京子と順子の、両方の足首をつかんで、サッと足を開かせて、その隙に、二人の尻の割れ目に、ピタッと中指をあてがった。
「ああー」
普段、触られていない、敏感な、尻の割れ目を触れられて、二人は、驚天動地の叫び声を上げた。
二人は、反射的に、尻の割れ目を、キュッと閉じた。
しかし、それが、逆に、尻の割れ目に、あてがわれた、なまはげ、の中指を、両方の尻の肉で、強く挟みこむ形になってしまった。
なまはげ、は、ゆっくりと、前の赤い布切れの中の手を、動かし出した。
「ああー」
なまはげ、の、前の手の、中指は、まず、女の穴の中に入っているのだろう。
だんだん、クチャクチャと音がし出した。
無理もない。陰核。尻の割れ目、膣、と、女の三つの性感帯を、同時に責められているのである。
「ああー。い、いっちゃうー」
二人の全身はブルブル震え出した。
・・・・・・・・・・
その時である。
「待って下さい。ストップ」
と、司会者が、ステージ上で、女を弄んでいる、二人の、なまはげ、に言った。
ステージの上の、京子と順子を責めている二人の、なまはげ、は、司会者に、制止されて、手の動きを止めた。
「この、秋田なまはげSMショー、は、お客さま参加型のショーです。お客さま方も、興奮が高まってきています」
そう言うや、司会者は、ステージ上の、なまはげ、に、目配せした。
京子と順子を責めていた、二人の、なまはげ、は、両手を、股間から抜いた。
なまはげ、の、手の中指は女の愛液で、ヌルヌルに濡れていた。

ステージの上の、京子と順子は、ずっと、立ったまま、なまはげ、に、弄ばれ続けた、疲れのため、ぐったりと、項垂れた。
・・・・・・・・・
ガラガラと、キャスターのついた、二つの、大きな、テーブルが、ステージに運びこまれた。
ステージ上の、なまはげ、は、京子と順子を吊っている、縄を、天井の梁から、はずした。
だが京子と順子の、手首は、縛られたままである。
なまはげ、は、京子と順子を、それぞれ、運びこまれたテーブルの上に無造作に乗せた。
二人は、あたかも、俎上に乗せられて、料理される、魚のようだった。
「な、何をするの?」
京子と順子の二人は、何をされるか、わからない不安から、聞いた。
しかし、問いかけられても、なまはげ、は、黙っている。
なまはげ、は、テーブルの上で、二人の女を、仰向けにした。
京子と順子の二人は、さんざん、弄ばれ続けた疲労から、抵抗する気力も失せていた、といった様子だった。
なまはげ、は、二人の、両手首と両足首、を縄で縛って、テーブルの四隅の脚にカッチリと結びつけた。
二人は、テーブルの上で、大の字にされた。脚が、あられもなく、大きく開かれた。

腰に巻かれた糸に取り付けられた、小さな赤い布切れ、は、かろうじて、女の恥部を覆い隠していた。しかし、その赤い布切れ、は、反転させれば、容易に、女の恥部の全容が露わになってしまう。
それでも、覆いは、覆いであり、二人は、それが、あることに羞恥を感じつつも感謝した。
しかし、極めて、みじめな気持ちだった。
豊満な乳房は、仰向けに寝ることによって、重力から解放されて、平べったくなった。
美しい、艶のある、黒髪は、テーブルの上に、無造作に、広がった。
・・・・・・・・・
「では、皆様。ステージの上に、お上がり下さい」
司会者の男が言った。
なまはげの面をつけた客達が、ゾロゾロと、ステージの上に、上がって来た。
「では。皆様。思う存分、好きなように、お楽しみ下さい」
司会者の音が言った。
客達は、二組に分かれて、一手は、京子を取り巻き、もう一方は、順子を取り巻いた。
その時。
「ちょっと、お待ち下さい」
司会者がとどめた。
「なんだべさ?」
観客たちは、何事かと、首を傾げている。
「二人、同時に、料理する、というのでは、集中しにくいでしょう。女の料理は、一人ずつの方がよろしいかと思います。いかがでしょうか?」
司会者が聞いた。
「おう。確かにそうだべな」
客が、みな言った。
「では、二人の内、どちらを先にするか、決めて下さい」
司会者が言った。
客達は、京子と順子を覗き込むようにして見比べた。
「こっちの子の方が、めんこいべな」
客たちは、京子を見て、そう言った。
「そうじゃな」
「おう。そうじゃ。そうじゃ」
異論を唱える客はいなかった。
「では、この子の方から、まず先に料理して下さい」
司会者が言った。
こうして、京子を載せたテーブルだけが、ステージの中央に残されて、順子を載せたテーブルは、ひっこめられた。
・・・・・・・・・・
多くの、なまはげ、の面が、京子に、向けられた。
丸裸を大の字の形、にテーブルの上に、乗せられて、大の字に、テーブルに縛りつれられて、多くの、なまはげ、の視線に晒されて、京子は、死にたいほどの羞恥の極致だった。
「めんこい子じゃ」
「ほんに、めんこいのう」
客達は、口々に、むざんな姿の、生贄の美女に、そんな言葉をかけた。
客達は、しばし、スラリとした、美しい女の肉体を、隈なく、眺めまわした。
実際、京子の肉体は美しかった。
スラリと伸びたしなやかな脚。細い華奢なつくりの腕と肩。細くくびれたウェスト。それとは対照的に太腿から尻には余剰と思われるほどたっぷりついている弾力のある柔らかい下半身の肉。それらが全体として美しい女の肉体の稜線を形づくっていた。
「見ているだけじゃのうて、触ってみるべ」
客の一人が、そう言い出した。
「おう。わしも、ちんちんさ、おっ立ってしまって、我慢できんげな」
「わしもじゃ」
客達は、口々に、そんなことを言い合った。
「お譲さん。あんたの名前は、何というのがの?」
一人の客が聞いた。
だが京子は、恥ずかしくて答えられない。
黙っていると、京子の、無防備な、脇腹に、スーと爪が触れた。
「ああー」
京子は、体を、のけ反らせて、叫んだ。
「さ、佐々木京子です」
京子は、あわてて答えた。
いきなり、触られて、京子は、自分が、今、客達の言うことに抵抗することなど出来ない身分であることを、改めて実感させられた。
「佐々木京子さんか。いい名じゃのう」
客の一人が言った。
「それじゃあ、すまんが。楽しませて、もらうけん」
そう言って、ステージ上の客達は、四方から京子を取り囲んだ。
多くの手が、一斉に、京子の体に触れてきた。
腕。太腿。乳房。首筋。脇腹。
「ああー」
京子は、思わず、大きな声を張り上げた。
京子は、咄嗟に、手と足を、縮めようとした。
しかし、手首、足首の、縛めの縄が、ピンと張って、意地悪く、それを阻止した。
客達は、思うさま、京子の体を、触りまくった。
「ふふふ。おなごの柔肌は、最高の感触じゃ」
客の一人が、そんなことを言った。
客達は、京子の柔肌の感触を、思う存分、楽しむように、揉んだり、撫でたりした。
「や、やめてー」
京子は、全身をプルプル震わせて、叫んだが、客達の手は離れなかった。
客達の、弄び、は、だんだんエスカレートしていった。
乳首を摘まんだり、首筋、脇の下、脇腹、足の裏、などの、敏感な所を遠慮なく、触るようになった。
「ああー」
京子は、拳をギュッと固く握りしめ、体を激しく、右へ左へと、くねらせながら、叫んだ。
乳首を、摘まれて、京子の乳首は、だんだん、尖り出してきた。
体を執拗に、弄ばれている内に、京子の心理が、だんだん、変わっていった。
どうせ、逃げられないのなら、いっそ、開き直って、この快感を味わってやろう、という被虐的な思いが、起こり出したのである。
「この赤い布切れ、の中を見てみたいの」
「そうじゃ。ぜひ見たいわ」
客達が、そんなことを言った。
「お譲さん。この布切れを、とってもいいかの?」
客の一人が言った。
「い、いいわ。とって」
京子は、あられもなく、答えた。
その言葉は、やむを得ず、というより、積極的な要望の観があった。
「それでは、お言葉にあまえるべ」
そう言って客の一人が、鋏で、腰の糸を、プツンと切った。
そして、糸につけられた、赤い布切れ、を、抜きとった。
もう、京子は、完全に、一糸まとわぬ丸裸となった。
「おおー」
客達が、一斉に、どよめいた。
「割れ目が、くっきり見えるわ」
「若い、綺麗な、おなごの、ここを、こんな目の前で、見るのは、初めてじゃ」
「わしもじゃ」
「いきていてよかったべな」
客達は、口々に、そんな感慨の言葉を、あつく述べた。
恥毛は、さっき、剃られて、女の恥部は、丸見えである。
一糸まとわぬ全裸を、縛られて、大の字にされて、女にとって、最も恥ずかしい所に、多くの、男の視線が、集まっているかと思うと、京子に、ムラムラと激しい、被虐の興奮が起こってきた。
「見て。もっと見て。私の全てを見て」
京子は、とうとう、あられもない、ふしだらな告白をした。
「ふふ。言われずとも、見ておるよ」
「穴があくほどにな」
「実際、穴が開いとるべな」
しかし、見えるのは、もっこり盛り上がった女の丘と、その下の、閉じ合わさった割れ目である。
「お譲さん。ここを、触ってもいいべがな?」
客の一人が聞いた。
「い、いいわ。どうとでも、好きなようにして。私を、うんと、弄んで」
京子は、叫ぶように言った。
「それでは、好きなようにさせて、もらうべな」
客の一人が、そう言って、京子の、恥部に手を当てた。
「わしは、ここを触らせてもらうべ」
別の客が、京子の尻の割れ目に、手を入れて、中指を尻の穴に、ピタリと当てた。
「ああー」
女の股間の、敏感な所、二ヵ所を触られて、京子は、激しい、喘ぎ声を上げた。
恥部に手を当てている客は、女の割れ目の中の、女の穴に中指を、入れていった。
「ああー」
京子は、苦しげな表情で、喘いだ。
女の穴に、指を入れている客は、ゆっくりと、指を尻の割れ目にそって動かし出した。
「ああー」
京子は、激しい喘ぎ声を上げた。
「わしらも触るべ」
そう言って、他の客達も、京子の、乳房を揉んだり、乳首を摘まんだり、首筋や、脇の下、脇腹、足の裏、など、体の、あらゆる、部分を撫でたり、揉んだり、くすぐったりした。
「ああー」
京子は、ひときわ、大きな喘ぎ声を出した。
京子の股間が、クチャクチャ音を立て出した。
京子の股間の割れ目からは、白濁した液体が、ドロドロ出始めた。
京子の、女の穴に、指を入れている客は、指の動きを、どんどん、速めていった。
「ああー。いくー」
京子は、一際、大きな声を出すと、全身をガクガク震わせ出した。
震え、は、どんどん激しくなっていき、震えが絶頂に達すると、京子は、もう一度、
「ああー。いくー」
と、一際、大きな声を出した。
激しく震えていた体は、力が抜けたように、ぐったりとなった。
「ふふふ。ついに、気をやったべな」
「休ませてやるべ」
客達は、みな、京子の体から手を離した。
一人が、濡れタオルで、白濁液で、べっとり、濡れている京子のアソコを、丁寧に拭いた。
客の一人が、京子の股間の上に、赤い布切れを、置こうとした。
「あっ。いいの」
京子は、咄嗟に、それを止めた。
「どうしてじゃな?」
客たちは、首を傾げて聞いた。
「私の裸を、みんなに見られたいの」
京子は、あけすけもなく言った。
客達は、顔を見合わせて、ふふふ、と笑った。
・・・・・・・・
「ふふふ。では、お譲さんの体を、隈なく、見させてもらうべ」
客の一人が言った。
この場合、京子と観客とは、どっちが上の立場だろうか。
京子は、丸裸で、大の字に、大きく手足を開かされて、手首足首を縛られて、テーブルの上に、あられもない姿を、無防備に晒している。観客は、それを見ている。
明らかに、観客たちの方が、上の立場のはずである。
しかし、京子のプロポーションは、素晴らしく美しい。豊満な胸と、大きなヒップ。括れたウェスト。スラリとした下肢。京子も、自分のプロポーションには、自信を持っていた。それは京子にとって誇りであった。
京子は、夏は、いつも、豊島園や、大磯ロングビーチに、必ず行った。
それは、もちろん、自慢の肉体を、多くの男達に見せつけるためである。京子が通ると、男達は、おおっ、と言って、振り向いて見ない者は、一人もいないほどであった。その自慢の美しい肉体を、今、多くの客達に、見せつけているのである。拘束されている、とはいえ、その拘束は、いつか、解かれるだろうし。今、京子は、裸にされて、弄ばれている、というより、自分の自慢の美しい肉体を、多くの男達に見せつける、という立場でもあり、京子は、その快感に浸っていた。
京子の目は、うっとりと閉じ、さあ、私の美しい姿態を、隈なく見て、とばかり、大の字になっていた。もはや、縛めの縄は、あって、無きに等しかった。
・・・・・・・・・・
「京子。お前が、こんな、みだらな女だとは、知らなかったぜ」
京子の、心地よい心の均衡が一瞬にして破られた。
聞き覚えのある声に京子は、パッと目を見開いた。そして、声のした方を向いた。
「誰?」
「俺だよ」
京子に声をかけた二人の男が、なまはげ、の面をとった。
なんと、二人は、京子と同僚の、哲也と信一だった。
「ああー」
京子の顔が真っ青になった。
京子は、哲也と信一の実家が秋田であることは、知っていた。正月に実家に帰るだろう、とは思っていた。が、しかし、まさか、こんな所を見られるとは予想もしていなかった。
「見ないで」
京子は、張り裂けんばかりの、声で叫んだ。
無理もない。こともあろうに、いつも、颯爽としたスーツ姿しか、見せていない、同僚の男二人に、丸裸で、大の字に、テーブルの上に縛りつけられた、体を晒しているのである。

しかも、皆の前で脱ぎ、吊るされ、毛を剃られ、なまはげ、に、弄ばれ、テーブルの上に大の字にさせられて、縛られて、気をやり、しかも、もっと見て、などと、マゾの喜びの発言まで、してしまった一部始終を、見られてしまったのである。それを思うと、京子は、ただでさえ、錯乱状態なったが、ともかく、さしあたって今、京子にとっては、哲也と信二の、二人の視線が、死ぬほど、耐えられないものだった。
・・・・・・・
哲也は、入社して、一ヶ月ほどした頃に、京子に、「京子さん。愛しています。僕とつきあって下さい」と、告白したのだが、京子は、「ごめんなさい。私には、つきあっている彼氏がいるんです」と言って、あっさりと断った。しかし、ある時、京子が廊下で、順子に、「哲也さんに、つきあいを求められたけど、断っちゃった。彼氏がいると言って。あの人、性格は暗いし、顔も悪いし、勘違いもいいとこね」と、言っている所を聞かれてしまったのである。順子も、「そうね。あはは」と笑った。その時、京子が、小さな足音に気づいて、後ろを振り向くと、哲也の無言の暗い姿があった。京子は、気まずくなって、足早に、その場を駆け去った。それ以来、京子は哲也と、全く口を聞いていない。
・・・・・・・・・
「見ないで。お願い」
京子は、いっそ、消えてなくなりたいと思った。
京子は、体を捩って、二人の視線から避けようとした。しかし、縛めの縄は、意地悪く、京子の抵抗を阻止した。
「ふふふ。京子。そんなに見られたくないか?」
哲也が言った。
「お願い。見ないで」
京子は、必死に哀願した。
「じゃあ、見えないようにしてやるよ」
そう言って、哲也は、ハンカチを三枚、出すと、京子の、胸と秘部の上に置いた。
「おい。京子。恥ずかしい所を隠してやったんだ。何か言うことは、ないのか?」
「か、感謝します」
たとえ裸、同然であっても、恥部をもろに見られる羞恥よりは、マシだった。
しかし、それは、自分の服ではなく、他人の意志一つで、簡単に取られてしまう、辱めの覆いだった。
「この方が、かえって色っぽいだべな」
「おら。ちんちんさ。おっ立って破裂しそうだがな」
客たちは口々に、そんなことを言い合った。
「あ、あの。て、哲也さん」
京子は、恥ずかしい姿で、小声で言った。
「なんだ?」
「これは、一体、どういうことなんですか?」
京子が聞いた。
「それは、こっちが聞きたいぜ。ネットに、秋田なまはげSMショーハウス、が出来ました。生贄は絶世の美女です、と書かれてあったから、来てみたんだ。まさか、ショーのスターが、お前だとは、思ってもいなかったぜ。秋田は、僻地だから、会社にも、バレない、だろうと思って、趣味と小遣い稼ぎのために、出たんだろうが、まあ、こういう幸運な偶然の出会いも、あるものなんだな」
哲也は、しみじみとした口調で言った。
「ち、違うんです。私たちは、だまされたんです。秋田なまはげ旅館に泊まりに、来ただけだったんですけど、無理やり、ここに連れて来られてしまったんです」
京子は、必死に訴えた。
「ウソをつけ。オレ達に、見られてしまったから、そんな、ウソ言ってるんだろう」
哲也は、厳しい口調で言った。
しばしの時間が経った。
「じゃあ、京子。オレも、そろそろ、我慢できなくなってきたから、楽しませてもらう、とするぜ」
そう言って、哲也は、信一に目配せした。
信一は、ニヤリと笑った。
信一は、京子の恥部と乳房を覆っているハンカチ、をとって、京子の乳房を揉んだり、乳首をコリコリと、摘んだり、し出した。
「ああっ。やめてー」
始めは、嫌がっていた京子も、だんだん、ハアハアと、喘ぎ声を出すようになった。
哲也は、京子の、女の割れ目に、右の中指を入れた。
そして、もう一方の左手を、京子の、尻の割れ目に入れた。キュッと反射的に、京子の、尻が閉じ合わさって、哲也の指を挟みこむ形になった。
哲也は、京子の、尻の割れ目をなぞりながら、京子の、女の穴、に入れた手の動きを、だんだん、速めていった。
信一は、京子の、乳首を摘まんで、コリコリさせている。
だんだん、京子の、乳首が尖りだした。
京子のアソコから、クチャクチャと音がし出した。
「おい。京子。もう、無駄な頑張りは、やめて、マゾになりきってしまえよ」
そう言って、哲也は、指の動きを、より速めていった。
京子のアソコから、ドクドクと、粘っこい、白濁液が、出始めた。
「ああー。お願い」
ついに、京子は、哲也の軍門に下った。
「何をして欲しいか、もっと、ちゃんと正確に言いな」
哲也は、強気の口調で京子に言った。
「ああー。哲也さん。お願い。もっと、激しくやって、私をいかせて」
「ふふ。ついに言ったな」
哲也は、勝ち誇ったように言った。
「よし。いかせてやるよ」
そう言って、哲也は、律動を速めていった。
「ああー。いくー」
京子は、そう大声で、叫んだ。
京子の女の穴から、激しく、噴水のように、大量の潮が吹き出した。
京子は、全身をガクガク震わせて、体を激しく反らした。
そして京子は、ぐったりとなった。
・・・・・・・・
客達は、呆然と見ていたが、しばらくすると、また、京子の体を、弄び始めた。哲也は、
「女なんて、一度、体の隅々まで見てしまうと、もう魅力なんて、感じなくなるんだな」
とボソッ呟いた。
・・・・・
京子は、プレイが終わると、車で、順子と、秋田なまはげ旅館に返された。
京子に、旅館の親爺に、これは、一体、どういうことなのかと、問いただす気持ちはなかった。
それほど京子と順子は、クタクタに疲れ果てていた。
・・・・・・・
年末年始の休暇が終わった。
新年の出社日、京子は、着物姿で、出社した。
哲也と目が合った。哲也の目は、もう京子に対して、何の感情も、持っていないように見えた。
京子は、おずおずと哲也の傍に行った。
「あ、あの。哲也さん。二月の節分の日に、また、秋田なまはげSMショーがあって・・・。皆さまが私に、また、出で欲しいと要望するもので・・・。私、出ます。これ、そのチケットです。よろしかったら、来て下さい」
京子は、顔を赤らめて、哲也に、チケットを渡すと、恥ずかしそうに、自分の席に戻った。




平成26年11月19日(水)擱筆

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