荒井由実(松任谷由実)
化け物。怪物。百年に一人出るかどうかの天才。私か最も尊敬する人の一人。
You-Tubeで、荒井由実先生の、音楽を聴くと、どうしても、超人、天才に思えて仕方がない。
他の作曲家では、イマイチの曲も、たくさんの曲の中にはあるが、荒井由実先生の曲には、それが、見当たらない。
新井由美先生の、曲がいいと思うのは。もちろん、ビートルズとか、ビーチボーイズとか、サザンオールスターズとか、山下達郎とか、全ての、作曲家の、メロディーは、素晴らしいが。他の作曲家と、新井由美先生との、曲には、違いがある。それは。他の作曲家では、曲だけを聞いて、曲がよければ、歌詞は、ほとんど、聞き流してしまうのだが。(どんな歌詞だったか、覚えられない、し、印象に残らない)他の作曲家では、歌詞は、詩のようであり、別に、意味のある文章になっていない、のが、多いが。(そして、音楽では、それで、一向に構わないと思うのだが)そして、聞く方も、音楽は、メロディーの心地よさ、が、良ければ、それでよく、曲だけを聞いているのだが。新井由美先生の、歌詞は、ちゃんと文章になっていて、「ある状況」「ああ。こんなことって、あるよな」という状況を、歌詞でも、一瞬の光景の文章になっている(している)点に違いがある。
だから、新井由美先生の、歌の、歌詞だけを、読んでも、意味がわかる。し、「ああ。こんなことって、あるよな」と感じさせる。だろう。
そもそも、クラシックの音楽にしても、詞はなく、メロディーだけだが、それで、十分、音楽なのだ。音楽に、作詞は、必要ない。
しかし新井由美先生の、曲の場合は、メロディーに感動するのと、同時に、歌詞から、新井由美先生が表現したい、「ある状況」が、思い浮かんでしまうのである。なので、メロディーと、歌詞の、両方で、心地よく聞ける。
それが、他の作曲家との違いでは、ないかと、思う。
昔の、ピンクレディーの曲も、メロディーもいいが、歌詞も、「ある状況」が、散文的に、見えるように表現されているので、曲と、歌詞の、両方で楽しめる。
サザンオールスターズの歌の場合、「渚のシンドバット」にせよ、「みんなの歌」にせよ、「希望の轍」にせよ、歌詞から、何らかの状況、は、見えてこない。
もっとも、音楽は、それでよく、私は、サザンも、ユーミン先生と同じくらい、好きである。そもそも、音楽(芸術)は、他のと比較ではなく、個性の世界であり、どっちが上とか下とかの優劣は、決められないものである。
以前、You-Tubeで、新井由美先生が、素人に、作曲の方法を聞かれて、おっしゃっておられていたが、聞いている人達は、
「まず先に曲を作るんですか?それとも、歌詞を作るんですか?」
と聞いていたが、新井由美先生は、こう答えられた。
「まず、ある状況が、思い浮かぶ。あとは、私は、それを、そのまま、歌にするだけ」
「しかし、どっちかというと、やっぱり、曲の方が先だな」
と、仰っておられた。
新井由美先生は、絶えず、日常で、歌になる、場面を、ちょうど、カメラマンが、絶えず、日常で、芸術になる場面の、シャッターチャンスを待って、いるのと、同じように、世の中を見ておられる。のは、間違いない。
もちろん、小説家でも、日常で、いつも、小説になる題材を、シャッターチャンスを待っているカメラマンの視点で、世の中を見ている。
化け物。怪物。百年に一人出るかどうかの天才。私か最も尊敬する人の一人。
You-Tubeで、荒井由実先生の、音楽を聴くと、どうしても、超人、天才に思えて仕方がない。
他の作曲家では、イマイチの曲も、たくさんの曲の中にはあるが、荒井由実先生の曲には、それが、見当たらない。
新井由美先生の、曲がいいと思うのは。もちろん、ビートルズとか、ビーチボーイズとか、サザンオールスターズとか、山下達郎とか、全ての、作曲家の、メロディーは、素晴らしいが。他の作曲家と、新井由美先生との、曲には、違いがある。それは。他の作曲家では、曲だけを聞いて、曲がよければ、歌詞は、ほとんど、聞き流してしまうのだが。(どんな歌詞だったか、覚えられない、し、印象に残らない)他の作曲家では、歌詞は、詩のようであり、別に、意味のある文章になっていない、のが、多いが。(そして、音楽では、それで、一向に構わないと思うのだが)そして、聞く方も、音楽は、メロディーの心地よさ、が、良ければ、それでよく、曲だけを聞いているのだが。新井由美先生の、歌詞は、ちゃんと文章になっていて、「ある状況」「ああ。こんなことって、あるよな」という状況を、歌詞でも、一瞬の光景の文章になっている(している)点に違いがある。
だから、新井由美先生の、歌の、歌詞だけを、読んでも、意味がわかる。し、「ああ。こんなことって、あるよな」と感じさせる。だろう。
そもそも、クラシックの音楽にしても、詞はなく、メロディーだけだが、それで、十分、音楽なのだ。音楽に、作詞は、必要ない。
しかし新井由美先生の、曲の場合は、メロディーに感動するのと、同時に、歌詞から、新井由美先生が表現したい、「ある状況」が、思い浮かんでしまうのである。なので、メロディーと、歌詞の、両方で、心地よく聞ける。
それが、他の作曲家との違いでは、ないかと、思う。
昔の、ピンクレディーの曲も、メロディーもいいが、歌詞も、「ある状況」が、散文的に、見えるように表現されているので、曲と、歌詞の、両方で楽しめる。
サザンオールスターズの歌の場合、「渚のシンドバット」にせよ、「みんなの歌」にせよ、「希望の轍」にせよ、歌詞から、何らかの状況、は、見えてこない。
もっとも、音楽は、それでよく、私は、サザンも、ユーミン先生と同じくらい、好きである。そもそも、音楽(芸術)は、他のと比較ではなく、個性の世界であり、どっちが上とか下とかの優劣は、決められないものである。
以前、You-Tubeで、新井由美先生が、素人に、作曲の方法を聞かれて、おっしゃっておられていたが、聞いている人達は、
「まず先に曲を作るんですか?それとも、歌詞を作るんですか?」
と聞いていたが、新井由美先生は、こう答えられた。
「まず、ある状況が、思い浮かぶ。あとは、私は、それを、そのまま、歌にするだけ」
「しかし、どっちかというと、やっぱり、曲の方が先だな」
と、仰っておられた。
新井由美先生は、絶えず、日常で、歌になる、場面を、ちょうど、カメラマンが、絶えず、日常で、芸術になる場面の、シャッターチャンスを待って、いるのと、同じように、世の中を見ておられる。のは、間違いない。
もちろん、小説家でも、日常で、いつも、小説になる題材を、シャッターチャンスを待っているカメラマンの視点で、世の中を見ている。