小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

山口敬之氏の失敗は伊藤詩織さんが、どうせ泣き寝入りするだろうと判断した点にある

2019-12-20 14:14:19 | 政治
山口敬之氏の失敗は伊藤詩織さんが、どうせ泣き寝入りするだろうと判断した点にある。

これは、完全な、山口敬之氏の判断ミスである。

山口敬之氏が、強気の態度でいられるのは、そして、堂々と、即日控訴したのも、伊藤詩織さんが、ガラス細工のように、弱く、おとなしい性格であるからで、その点につけ込んでいるからである。

そして、安倍晋三の忖度検察のおかげで、刑事事件として、起訴されなかったのに、民事では、それが、ひっくりかえされた事を、不愉快に思っているからである。

山口敬之さん。

これから女をレイプする時は、「この女性は、泣き寝入りするだろうか、それとも告発するだろうか」、ということを、慎重の上にも慎重を期して、熟慮してから、レイプするか、しないかを、判断して下さい。

そうしないと、身の破滅ですよ。

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自分に理解できない事を理解する方法

2019-12-20 09:16:05 | 考察文
自分に理解できない事を理解する方法。

こういっては、もうしわけないが。

僕は、フィギアスケートを観る人の気持ちが、わからない。

フィギアスケートは、毎回、同じことをしている。

同じことを観るのは、つまらないことだと思う。

野球の場合は、毎回、試合内容が、違う。

昨日の、巨人ーDeNA戦、は、10対0で、巨人が、勝ったが、今日は、10対0で、DeNAが、勝った、などということは、いくらでもある。

毎試合、試合内容が、違う。

だから、野球を毎回、観たい人の心理は、わかる。

しかし、フィギアスケートは、毎回、同じことをしている。

なので、同じことを観たい人の心理がわからない。

そこで、わからないことを、理解する方法として。

「自分に似たような、類似することはないか?」

と、自分の心を検証してみればいい。

すると、結構、あるのである。

僕は、毎日、news23で、小川彩佳さんを見ているが、毎日、小川彩佳さんを、見ても、あきることはなく、癒されるのである。

昨日の、小川彩佳さん、と、今日の、小川彩佳さん、は、同じで、違いはないのだ。

だから、僕は、「同じことを見てもあきない」、という心理は理解できるのである。

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来年の確定申告は、みんなで無視しましょう

2019-12-20 06:40:57 | 政治
「来年の確定申告は、みんなで無視しましょう」

政府が、ぬけぬけと、国民の税金を私物化して、せせら笑っているのですから、国民には、税金を納める義務はありません。

一人、や、二人、で、確定申告を、無視しても、国税局に、つかまえられるだけです。

しかし。

100万人規模、1000万人規模、いや、国民全員が、確定申告を無視して、納税しなければ、国税局も、警察も、手の打ちようが、ありません。

江戸時代の百姓一揆と同じです。

一揆を鎮圧する武士の数より、百姓の数の方が、比べものにならないほど、圧倒的に多いのです。

みなが、まとまれば、悪しき国家に勝てるのです。

ましてや、日本は、一応、(民主主義、法治国家)ですから、香港のデモに対する鎮圧のようなことは、政府や、警察は、出来ません。

政府は、国民に対して、保護の義務と監督の権限があります。

安倍晋三は、「国民の財産と生命を守る」、というバカの一つ覚えの言葉が大好きで、国民に対する保護の義務を、自分はしなくてはならない、と強調していますが、実際は、その正反対で、国民の財産を、ネコババして、自分のために、使っているのです。

ですから、ホッブス、ロック、ルソー、の言う、「社会契約」、は、守られていません。

ですから、国民は、納税の義務はないのです。

政府は、親で、国民は、子のような、関係です。

企業の脱税、不祥事は、政府と、関係があります。

悪い事をしている親が、子供に対して、「清く正しく生きなさい」、と言って、はたして、そんな親の言うことを、「正直に守ろう」、と思う子供などいるでしょうか?

「親が悪い事をしているんだから、オレだけ、バカ正直に生きるなんて、バカバカしい」

と、子供は、思うはずです。

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医者が動揺した時、患者は動揺する

2019-12-20 03:37:28 | 医学・病気
「医者が動揺した時、患者は動揺する」

のである。

逆に言うのなら、

「患者が動揺するのは、医者が動揺した時である」

なので、医者は、動揺してはならないのである。

医者が、患者に質問されて、わからないことがあった時、医者は、決して、動揺した態度をとってはならないのである。

自分の頭の中にある、知識を総動員して、考えて、自分なりの考えを言うべきなのである。

わからなかったら、机の中にある、本を開いて、調べればいいのである。

「それは、知りません」、の一言で、門前払いをする医者より、調べる医者の方が、「この医者は、やる気のある医者だ」、と、患者に思われて、信頼されるのである。

さすがに、患者の前で、パソコンを取り出して、ネットで検索するのは、医者にとって、恥ずかしいことだけれど、これも、しないよりは、した方が、「やる気のある医者だ」、と思われて、患者にとっても、いいのである。

どうしても、わからなかったら、その場で、電話で、他の医者に相談してもいいし、「調べておきますので、次回、来た時、お答えします」、と言ってもいいのである。

医者は、強がらなくてはならない、そして、強がるべき仕事なのである。

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人間は、わからない事を、推測してしまう

2019-12-20 02:35:00 | 考察文
僕は、当たり前のことを書いているだけだけれど。

「人間は、わからないことを、推測してしまう」

のである。

「人間は、分からない事を、わからない、とは、思えないのである」

「人間は、わからないことを、自分の知っている、範囲の知識で、自然に推測してしまうのである」

たとえば、学生時代の同級生で、その後、ずっと音信不通になっている人に対して。

人間は、「その人が今、何をしているか、わからない」、とは、思えないのである。

学生時代の、その人の性格は知っているから、そして、性格は、ほとんど変わるものではないから、

「あの人は、今、きっと、こういう仕事をして、こういう生活をしているだろう」

と、自然に、推測してしまうのである。

これは、人間の、推測する能力から、仕方がないことである。

その推測が、当たっている場合も、あれば、はずれている場合もある。

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