小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

人間の記憶について

2018-12-10 04:13:43 | 考察文
人間は、自分が、発言したことは、忘れないものだ。

それは、感情をともなっているからだ。

僕自身を振り返っても、大学の中間試験、や、卒業試験、で、口頭試問、で、言ったことは、今でも、鮮明に覚えている。

それは。

人間は、感情をともなった、自分の発言は、忘れないからだ。

では。

発言すれば、覚えられるか、というと、そうではない。

誰もいない所で、一人で、覚えるべきこと、を、繰り返し、言っても、覚えられないだろう。

それは、なぜか、というと。

口頭試問の時は、教授が、聞いていて、教授との間に、緊張した、色々の感情が、起こっているから、それは、感情をともなった発言なので、忘れないのである。


しかし。

誰もいない所で、一人で、覚えるべきこと、を、繰り返し、言っても、それは、何の感情も、起こっていない、ので、記憶として、定着することはないのである。

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日本の高学歴という言い方はおかしい

2018-12-10 03:41:59 | 考察文
「日本の高学歴という言い方はおかしい」

と、僕は思っている。

日本では、東大だの、京大だの、偏差値の高い大学を出た人間を、高学歴の人間と言っている。

しかし、これは、おかしい。

日本では、大学は、入るのが、難しいのであって、入学できたら、100%、全員、卒業できるのだ。

だから、偏差値の高い大学に入れたことが、「高学歴」、ということになる。

しかし。

大学の入学試験というのは、高校の勉強の範囲で、難しい問題を、作って、出していて、それを、解けた人が、高学歴、ということになっている。

しかし、高校の勉強が、良く出来る、ということが、はたして、「高学歴」、と言えるのであろうか?

高校の勉強など、大学で学ぶ、勉強に比べたら、はるかに、低い、レベルの内容である。

だから、一流大学、でなくても、三流大学であっても、大学の勉強を、しっかり理解できている、生徒、一流大学卒、でなくても、卒業成績が良い生徒、こそ、「高学歴」、の人間、と言うべきだと思うのだが。

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科学技術の発達と政治

2018-12-10 02:30:14 | 考察文
僕か、非常に、おかしいんじゃないか、と思っていることがある。

そして、それを、僕は、世間の、バカな人間どもが、絶対、間違っていると確信しているのだが。

それは。

今年の自民党の総裁選で、9月19日に、石破茂は、渋谷で、街頭演説した。

あれを、(何となく)、聞いていると、石破茂は、非常に、論理的であり、言うこと、全て、正論に聞こえてしまう。

自然災害への対応、だの、防災省の設立だの。

実に、最もだ。

それは、石破茂に限らず、全ての国会議員についても、考えてることは、同じだが。

しかし。

世の中は、どうなるか、先が見えない、(わからない)、のである。

特に、科学技術において。

科学技術が進歩する、ということは、政治家も、国民も、誰も疑わない。

しかし。

彼らは。

AI(人工知能)、は、もっともっと、進歩していく。

医療技術も進歩する。

パソコン、や、スマートフォン、の技術も進歩していく。

自動運転の、電気自動車も進歩していく。

ということは、疑わない。

し、実際、進歩していくことは、間違いない。

しかしである。



もしかすると、地震、や、異常気象、豪雨災害、など、の予測も、アメリカなどの国での、基礎研究によって、地震、や、自然災害、も、もしかすると、予測できる、科学技術が発達するかもしれない。

その可能性は、否定できない。

そうなれば、自然災害の、ハード、や、ソフト、の、政治的対応も、必要なくなる。

法律も必要なくなる。

しかし、バカな、人間どもは、地震、や、自然災害、などを予測する、科学技術の進歩など、起こらない、と、勝手に決めつけている。

(そこまでは、科学技術をもってしても、予測不可能だ)

と、勝手に、非常に、ロマンチックに、決めつけている。

しかし、そんな、ことは、断定できないのだ。

地震、や、自然災害、を予測できる科学技術が進歩する、という可能性は、否定できないのだ。

そうなれば、防災省も必要なくなる。

政治、や、官僚、公務員、の在り方にしても。

AIが、発達して、AIが、政治家、の代わりに、なって、AIが、国家の、行政を決め、立法を決め、司法を決める、という社会になることだって、あり得ることだ。

そうなれば、選挙区の在り方、だの、政治献金、だの、政治の問題は、すべて、解決する、ということだって、あり得ることだ。

しかし、人間は、「科学技術が進歩しても、そこまでは、出来ないだろう」、と、勝手に、ロマンチックに、考えている。

その考えがおかしいのだ。

科学技術は、「妥当なことは進歩するだろうが、そんな、途方もないことは、達成できっこない」、と、バカな人間どもは、はなから、決めつけて、考えているのである。



しかし。

歴史を振り返ってみれば。

ワットが蒸気機関を発明したために、産業革命が起こり、産業革命は、資本家と、労働者を分け、資本主義、および、それに対する、共産主義、という、政治的なイデオロギーが起こった。

しかし。

ワットが、蒸気機関を発明できなかったら、資本主義、だの、共産主義、だの、という、政治的な、イデオロギーも、起こらなかったはずだ。

だから、人間は、将来のことは、わからないのだから、あまり悲観的になり過ぎる必要もないと、私は、思うのだ。

追記 バカな人間ども、なんて言って、ごめんなさい。

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