人間の意志や決断は、一瞬一瞬、変更の連続である。
人間は、毎日、絶えず、何かを、行動するかを、考え、それを決断したり、それを、やめたりする、判断をして生きているのである。
こんなことは、当たり前である。
それは、良い事、とか、悪い事、とか、良い事、悪い事、に関係のない、あらゆる事において、人間とは、そういうものである。
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たとえば、朝、ランニングを日課としている人も。「今日は、億劫だから、やめようかな」、と、思うことなど、いくらでもある。
それで、その思いに、従って、ランニングを、しないことも、ある。
しかし、「やっぱり日課なのだから、やろう」、と思って、ランニングすることも、ある。
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「明日はスキーに行こう」、と思って、綿密に計画し、行く場合もあれば、「雪が少なそう、と、テレビで言っていたから、やっぱり、やめよう」、と思って、行かないこともある。
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主婦が、「今日の夕飯は、カレーにしよう」、と思って、買い物に行っても、「やっぱり、今日は、すき焼きにしよう」、と、考えを変えることもある。
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転校生に対し、「あいつ。気にくわないな。いじめてやろう」、と思って、いじめようと思っても、「やっぱり、いじめは、よくないから、やめよう」、と思ってやめることもある。
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万引きしようと思って、デパートに入っても、「やっぱり、見つかったら、ヤバいし、万引きがみつかったら、人生、おわりだ」、と思って、万引きを、思いとどまることも、ある。
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共謀罪は、こういう、人間の、意志の可変性に対する冒涜である。