小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

東電。原発

2012-05-25 05:20:12 | Weblog
連日のように、新聞は、東電の非難の記事である。私はこれに違和感を感じる。どんな企業でも叩けば埃は出る。他の健康に生まれた人は、生きるのが当然、という感覚で生きているのだろう。無事に学校を卒業し、無事に働き、無事に結婚し、無事に子を産み、無事に死ぬ。それが当然の権利だという感覚なのだろう。

しかし私はそういう感覚ではない。電車は、脱線転覆する可能性があるものだと思って乗っているし、飛行機は墜落する可能性があるものだと思って乗っているし、タクシーやバスは事故を起こす可能性があるものだと思って乗っている。いつ死ぬかわからない、という感覚で生きているし、私にとっては、無事に生きていけることの方が奇跡という感覚である。だから、私は一日、とはいわないが、人生を一年単位で生きている。来年は考えない。一年、生きられたら、その時、来年、一年、生きることを考える。

それに、この世に、一体、絶対確実安心というものがあるだろうか。生きることは賭けである。

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政治家は口が達者でないと出来ない

2012-05-25 04:31:51 | Weblog
小泉進二郎も所詮はダメ。

氏は、以前、元首相の菅直人に、民主党はマニフェストを守っていない、と批判したが、くっだらない発言である。菅直人は、「二大政党制の国では、政権交代した政党は、ある期間、やってみて結論を出した方がいい」と言っていたが、正論である。氏は、「答えになっていない」と批判した。口が達者で、上手く切り抜けることが出来るのが、政治家の条件である。

昔の天皇に代わって、今は、錦の御旗は、朝三暮四を求める国民なのである。政治家は、国民を敵に回すことは出来ない。国民のご機嫌をとり、国民に、へつらうしかないのである。

「オレにやらせろ」

権力を持ったくだらない人間は、そういう思考しか出来ないのである。


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石破茂

2012-05-25 04:14:51 | 政治
自民党が与党であった時の、石破茂議員は、誠実な政治家として評価していた。それは、彼が、政治家のモラルとして、

「国家の利益と、自分の利益のどちらかをとらねばならない時に、国家の利益を優先させるのが政治家のモラルである」

と言っていて、実際、それを実行していたからである。しかし、自民党が野党になったら、彼は、目の色を変えて、自民党の権力奪回しか考えていないからである。国家の利益よりも。

「自民党の権力奪回を、国家の利益より優先する」

というのは、とりもなおさず、えげつなく、

「自分の利益を国家の利益より優先させている」

こと以外の何でもない。民主党に対するイデオロギーの批判という名目に隠れて。






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アッシュベイビー

2012-05-25 02:53:52 | Weblog
金原ひとみ、さんの「アッシュベイビー」を読む。リサイクル図書にあったからである。会話文が外面の建前の発言で、地の文で、本音を語っている、というような、感じを受ける。こういう形式の小説は今まで読んだことがない。どんなに、地の文で「マンコ」を連発しても、彼女特有の文体がしっかりしている。女は感覚が、男より非常に敏感な人が多い。感覚を表現した梶井基次郎の文学のカテゴリーに入るのでは。

ただ私が文学選考委員だったら、その価値を見抜けなかった可能性の方が強いように思う。ただ私は、自分に理解できないものを否定するような石頭人間になったら、おしまいだと思っているから、否定することは、しなかった可能性もあるとも思っている。

私は、読書においては、渋沢龍彦の言うように、

「私の中の文学者は私の中の市民と敵対している」

からである。というより、

「私の中の文学者は私の中の市民と敵対させなけけばならない」

と思っているからである。

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強さと弱さ

2012-05-25 02:52:21 | Weblog
弱音を吐かないように、と心がけている私ではあるが。ややもすると太宰治的になってしまいそうな自分がいる。のも確かである。

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SM用語の氾濫

2012-05-25 02:46:23 | Weblog
今では、全ての人間が、自分がS(サド)だとかM(マゾ)だとか、平気で言うようになった。皆で言えば怖くない。である。しかし、これは、一昔前は、絶対、口に出来ないタブーだった。

「一体、自分が変態であることを自慢するバカがいるだろうか」

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アフォリズム

2012-05-25 02:41:46 | 考察文
思考の極限のその先にあるものは「死」である。
思考の極限のその先にあるものは、極限の意志であり、それは、何かに命をかける行為である。
人間にとって最も勇気を必要とするものは、死の決断である。
実は、死刑執行前の人間こそが、最も生きている精神状態である。
一部の宗教の信者は死を恐れる。自分の罪咎の程度で、天国に入れるかどうかを恐れて。
人間は他人の悪から滋養を得ている。
社会が良くなって欲しいと思っている人間は、社会の問題点がなくなると、自分の生きがい(非難する対象)が無くなってしまうため、自分の存在意義がなくなって、さびしくなってしまう。その自己矛盾に世間のほとんどの阿呆どもは何も感じない。この世の極めて少数の人間だけが、その自己矛盾に罪悪感を感じる感性(能力)を持っている。

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理想

2012-05-25 02:27:19 | Weblog
私が理想が高いことは、自他ともに認めている所である。し、実際、理想が高い。今、思い返すと、昔の自分に吃驚することがあるが、私は、模擬試験の時、医学部の第一志望は、東大理科三類と、書き続けた。周りの人は、「おおー」と驚いていた。だが、決して、冷やかしではない。私は、医学部に入るなら、本気で最高の難関の東大医学部に入ろうと思っていた。

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