連日のように、新聞は、東電の非難の記事である。私はこれに違和感を感じる。どんな企業でも叩けば埃は出る。他の健康に生まれた人は、生きるのが当然、という感覚で生きているのだろう。無事に学校を卒業し、無事に働き、無事に結婚し、無事に子を産み、無事に死ぬ。それが当然の権利だという感覚なのだろう。
しかし私はそういう感覚ではない。電車は、脱線転覆する可能性があるものだと思って乗っているし、飛行機は墜落する可能性があるものだと思って乗っているし、タクシーやバスは事故を起こす可能性があるものだと思って乗っている。いつ死ぬかわからない、という感覚で生きているし、私にとっては、無事に生きていけることの方が奇跡という感覚である。だから、私は一日、とはいわないが、人生を一年単位で生きている。来年は考えない。一年、生きられたら、その時、来年、一年、生きることを考える。
それに、この世に、一体、絶対確実安心というものがあるだろうか。生きることは賭けである。
しかし私はそういう感覚ではない。電車は、脱線転覆する可能性があるものだと思って乗っているし、飛行機は墜落する可能性があるものだと思って乗っているし、タクシーやバスは事故を起こす可能性があるものだと思って乗っている。いつ死ぬかわからない、という感覚で生きているし、私にとっては、無事に生きていけることの方が奇跡という感覚である。だから、私は一日、とはいわないが、人生を一年単位で生きている。来年は考えない。一年、生きられたら、その時、来年、一年、生きることを考える。
それに、この世に、一体、絶対確実安心というものがあるだろうか。生きることは賭けである。