小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

つっぱり

2010-12-25 20:08:14 | Weblog
つっぱり。つっぱる事は、何か悪いことのように思われているようだか、私は違う。そもそも、「つっぱり」の定義とは何か。スクールウォーズの頃の、つっぱり、とは、髪型がリーゼントで、タバコを吸い、暴走族として、爆音を鳴らし、教師に逆らったり、するものというような定義だったと私は思っている。教師に逆らうのは兎も角として、髪型など他のことは外見の形のことに関する定義だったと思う。そういう形のことは、どうでもいいと思っている。髪形や喫煙やオートバイがそんなに悪いとは思わない。私は、「つっぱる」という言葉が好きである。「つっぱる」とは、「反抗する」(特に権力者に)という精神的なもののように私は感じるのである。それは、むしろいい事だとさえ、思う。むやみやたらの意味のない反抗は愚かだが、自分の信念が教師の教えと違う場合、自分の信念を貫き通すことはいい事だと思う。私は学生時代、無言で心の中で、つっぱっていた。今でも、つっぱっているつもりである。教師や権力者の飼い犬になったらお仕舞いだと思う。威張るヤツほど人間を自分の飼い犬にしたがるものである。また、病理学の教授が私は嫌いだった。師は、学会で皆と反対意見を言う臍曲がりを嫌っていた。しかし、仮にも大人である。理屈のない反対意見というものはないだろう。皆が賛成するからといって、賛成するなんて人間こそ無価値である。コレステロール学会では、悪玉コレステロールさえ、健康にいいというような統計を出したではないか。全く常識破りである。現在の常識は将来、ひっくり返される可能性がある。たえず、「はたしてそうか」「本当に真実か」と疑問を持てる天邪鬼の方がずっと価値がある。

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自意識が強いと失敗する

2010-12-25 19:58:42 | Weblog
自意識が強いと失敗する。偽メールで自殺したある議員がいた。あまり死者の悪口は言いたくないが、客観的に見ると、氏は自分の自意識のあまりの強さによって自殺してしまったといえる。確かにスキャンダルを起こすとマスコミから非難を受ける。これが実際に自分にやましい所のある、ややこしい疑惑だと、ことが面倒である。しかし、氏の場合は、実に単純である。子供の悪戯のようなものである。いついつまでもマスコミが新聞や週刊誌の一面で、記事を書き続ける内容などない。一時の嵐に過ぎない。マスコミは常に新たなスケープゴートを探している。だから、いついつまでもマスコミに非難されるということは無い。三浦和義のように、証拠が十分あっても、認めようとしないと、世間は憎々しく思い続ける。マスコミは、いついつまでも批判の記事を書き続ける。しかし永田氏の場合、そういう種類のものではない。野党が与党の揚げ足取りをするのは当たり前の事である。だから与党を批判するのはいい。その方法が幼稚だっただけである。辻元清美氏の場合は政治家がやれなくなったら、失業者になるだけだから、これはノイローゼになるのは仕方がない。しかし永田氏の場合は、大金持ちの息子であり、東大卒、大蔵省入省という光栄まである。東大卒というのは、頭がいい証明でもあるが、努力家の証明でもある。遊んでいて東大に入ることは出来ない。金も時間もあるのだから、司法試験なり、司法書士なり、国家試験をめざして勉強すればよかったとも思う。ああいう場合は開き直った方がいい。「いたずらでやっちゃいました。あはは。すみません」というジョークを言えるくらいのゆとりがあれば、よかったと思うのだが。世間が自分をこう見ているであろうという推測と、実際の世間の見方とは違うのである。さらに痴漢のスキャンダルよりはずっとマシである。その点、押尾学氏は、度胸がある。髪が白髪になるのは、心身症からだが、肉体には心身症の症状が出ても、精神は参っていない。クソ度胸がある。あのクソ度胸は評価できる。氏は英語が出来て、面の印刷もいいからアメリカにでも行って、音楽なり、何なりやることも出来るのではなかろうか。日本での再起は無理だろうが。かく書いている私はどうか、といえば、他人事だから、落ち着いて書けるのであって、自分の故意で何かスキャンダルを起こしたら、(起こす気はないが)パニック状態になるだろう。しかし私は、「困った時ほど冷静に」というのを信条に持っているから、実際どうなるかはわからない。基本的に、人間は他人の醜聞を好むが、また基本的に、人間は他人の事などどうでもいいとも思っているのも事実である。ピンチになった時のために、何か、信条とか信念を持っていると強い。ケースバイケースだが、世間は、相手が気の小さい人間として、自分の予想通りの反応をした時、面白がるものである。これは、いじめで言える。相手が、予想とは違った人間らしくない反応をすると、いじめている方は、とまどってしまうものである。だから、何かあった時は、焦らず、落ち着いて、相手を拍子抜けさせるような行動をとった方がいい。ともかく柔軟に。こだわりを持たず。心を無にして。ほとぼりが冷めるのを待ち。感情をそのまま出さず。相手を拍子抜けさせる行動をとる。(これは自分に言い聞かせるため書いている文である)あわてれば、あわてるほど他人は面白がるものだ。作家は、作品や文章を書いても、何も精神的に進歩しない、と言ってる作家が多いが私は違う。私は書くことによって考えている。私は頭の中でモヤモヤ考えているより、文章にした方が、自分の考えが、しっかりと分かる。

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