「ごはん島に来る女」
という小説を書きました。
HP浅野浩二のHPの目次その2にアップしましたので、よろしかったらご覧ください。
「ごはん島に来る女」
日本の近海に小さな離れ島がある。
その島は、ごはん島といって日本に属さない独立国だった。
そこには人口100人程度の人が住んで村社会を営んでいた。
無名の小さな島なので日本では、あまり知られていない。
いつから、この離れ島の村社会が出来たか、その起源はわかっていない。
しかし、一説によると、平家の落人が源氏の追手に殺されないように逃げて来たのが由来という説もある。
ここの村社会では、皆が農耕を営んで自給自足の生活をしていた。
しかし、この村社会には、昔から一つの風習があった。
それは小説を書くということである。
別に小説など書かなくても、生きていけるのに、どんな村社会にも、風変わりな習慣はあるもので、この村の住民は、みな小説を書いていた。
そして、それを皆で品評しあっていた。
ごはん島の住民は、皆、性格が優しく、ごはん村は、極めて平和な村社会だった。
しかし、困ったことが一つあった。
それは、ごはん村には医者がいないことである。要するに無医村である。
そのため、急病人が出ると、最寄りの医師がいる島に、モーターボートで救急搬送された。
しかし脳卒中や心筋梗塞などでは、間に合わず、ゴールデンタイムを逃して死亡してしまうケースも多々あった。
「この村にもお医者さんが居てくれたらなあ」
と、ごはん村の住民は、ため息をもらしていた。
そんな、ある時である。
ごはん村に嬉しい知らせが来た。
「おい。喜べ。ごはん村にお医者さんが来てくれるらしいぞ」
「本当か?」
「ああ。本当だ」
「で、どんな医者だ?」
「なんでも、京都大学医学部を卒業した優秀なお医者さんらしい」
「へー。それは助かるな」
などと村人は期待を持って、ごはん村に医者が来るのを待った。
それから一カ月が経った。
一週間に一度の定期船が、ごはん島にやって来た。
それには、ごはん村の島民が待ちに待った医師が乗っていた。
ごはん村の島民は全員、浜辺に集まっていた。
やがて定期船は桟橋に着いた。
身長168cm体重55kgの小柄な老人が定期船から降りてきた。
「あっ。あの人だべ」
「そうじゃ。写真で見たのと同じ人だ」
村人たちが、全員その小柄な老人に駆け寄ってきた。
「ようこそ。はるばる、この僻地の島に来て下さって有難うございます」
村人たちは、皆、小柄な老人に頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそ、よろしく。私は大丘忍と申します。長年、連れ添って一緒に暮らしていた妻が死んでしまい、そのつらい思い出を忘れたいために、この島に住んでみることにしました」
「先生は何科が専門なのですか?」
「私は内分泌、代謝疾患が専門ですが、内科、および外科的治療は基本的なことなら一通り出来る自信はあります」
「それは有難い。この無医村は急病人が出ると、半数近くは死んでしまっていたのです」
「そうですか。では、力不足の私ですが、全力を尽くして皆さまの健康に尽くしたいと思います。私は、この島に骨を埋める覚悟で来ました」
大丘忍はそう言って皆に挨拶した。
「さっ。先生。車に乗って下さい。島を出て行った人の空き家がありますから、どうぞ見て下さい」
そう言って島民の一人が小型トラックのドアを開いた。
大丘忍は、それに乗り込んだ。
小型トラックは島の道を走って診療所に着いた。
大丘忍は小型トラックを降りた。
そこには小さな空き家があった。
大丘忍は、その空き家に入った。
「私はここで診療します。レントゲンと手術用具一式は、どうしても必要です。すぐに、取り寄せましょう。あと、薬品も一通り、そろえなくてはなりません」
大丘忍は毅然とした表情で言った。
「有難うございます。本当に、先生に来て頂いて有難いです」
・・・・・・・・・
その晩は村長の家で大丘忍の歓迎会が行われた。
村長の家には、ごはん島の村民が、みな集まった。
晩餐の料理は豪華なものだった。
「さっ。先生。どうぞ」
村長がコップに日本酒を注いで大丘忍に勧めた。
「有難うございます。では、お言葉に甘えて頂かせてもらいます」
そう言って大丘忍はコップに注がれた日本酒をグイと飲んだ。
「ああ。有難いことだ。ごはん島にお医者様が来てくれるなんて。これからは病人が出ても先生が診てくれるけん」
村民の一人が言った。
「みなは知らんじゃろが大丘先生は凄いお人じゃぞ。大丘先生は京都大学医学部をトップの成績で入学され、主席卒業されたお方じゃ。それだけではないぞ。大丘先生は独学で漢方医学も学び、漢方医学にも精通しておられるんじゃ。若い頃は卓球の選手として国体で優勝までしておる。詩吟も、鷹詠館明朋吟詩会の総範師じゃ」
村長が大丘忍の紹介をした。
「へー。凄いお方じゃな。先生。詩吟を聞かせていただけないじゃろか」
「ああ。ぜひ聞きたいな」
村民の皆が言った。
「そうですか。それでは僭越ながら一曲、詠わせて頂きます」
そう言って大丘忍は、詩吟の「川中島」を吟じた。
「鞭声粛粛~ 夜河を過る~ 曉に見る千兵の~ 大牙を擁するを~ 遺恨なり十年~ 一剣を磨き~ 流星光底~ 長蛇を逸す~」
川中島が腹から出された重厚な節で吟じられた。
皆はあっけにとられて我を忘れて聞き入ってした。
パチパチパチ。
村民の皆が拍手した。
「いやー。素晴らしい。心に沁みる」
「先生。もっと詠ってくだされ」
村民の要求に応えて大丘忍は、
「わかりました」
と言って。
江南の春。白帝城。名槍日本号。寒梅。春日山懐古。春暁。
も吟じた。
「いやー。素晴らしい。こげな、いい先生に来てもらって、ごはん村は大助かりじゃ。有難い。有難い」
皆は涙を流して喜んだ。
「皆は知らんじゃろが大丘先生は小説もお書きになられるんじゃ」
村民が言った。
「へー。すごいな。ごはん村では、昔からの慣習で、二週に一作、小説を発表することになっているんでな。じゃあ大丘先生にも二週に一度、小説を発表してもらおう。それと、どうか皆の書いた小説にも先生のアドバイスをしてくんしゃれ」
村民の一人が言った。
「わかりました。僭越ながら微力を尽くしたいと思っております」
大丘忍の態度は紳士そのものだった。
大丘忍の歓迎会は夜おそくまで行われた。
夜も12時を越したので、村長が、
「では、夜もおそくなりましたので、大丘先生の歓迎会は、これで、おひらきとさせて頂きます」
と言った。
あー楽しかった、いい人が来てくれたもんじゃ、と言いながら、ごはん島の島民は村長の家を出て帰途に着いていった。
雲一つない夜空には満月が出ていた。
・・・・・・・・・・
翌日から、大丘忍の診療所ができた、ごはん村の生活が始まった。
といっても、ごはん村では、滅多に病人や怪我人が出ることはなかったので、大丘忍の生活は大阪でクリニックの院長をしていた時と比べて、のんびりしたものだった。
大丘忍は律儀な性格なので、ごはん村の慣習に従って、2週に1作品、小説を発表した。
大丘忍の小説は自分の生い立ち、や、医学部時代のこと、医学部を卒業して医者になって経験した事を元にしたフィクションの小説が多く、また長年、連れ添ってきた、かけがえのない妻の死を悼んで、最愛の妻との楽しかった日々のことを小説風に書いたものが多かった。
古風な文体だが、大丘忍の小説は医療界のことを知らない島民には新鮮味があった。
しかもストーリーもちゃんと完成させているので、ごはん島の村民は大丘忍の小説を面白い、と言って読んだ。
また、大丘忍は、ごはん島の村民が書いた小説にも目を通し、適切なアドバイスをした。
それまで、ごはん島の村民は他人に作品をボロクソにけなす批評が多かったが、大丘忍はおおらかな性格だったので、そんなことはせず、適切な批評をした。
いい人が来ると、その人の影響で周りの人も良くなる。
ごはん村の住民の心は、大丘忍の影響で、なごやかになっていった。
大丘忍が、ごはん村に来て1年が過ぎた。
ある時、ごはん村の村長が急性心筋梗塞を起こした。
知らせを聞いた大丘忍は急いで駆けつけたが、もうその時には、村長は死んでいた。
村長の葬式が行われた翌日、
「今度は誰に村長になってもらうべ」
と村民は困惑した。
「そんなこと、悩むに値しないことだべ。大丘先生に村長になってもらうべ」
と村民の一人が言った。
「おお。そうじゃ。大丘忍先生に村長になってもらうべ」
と皆、異口同音に言った。
反対意見を言う者はいなかった。
「しかし、一応、法にもとづいて選挙をしよう」
ということになって、新しい村長を選ぶ選挙が行われた。
結果は村民全員が大丘忍と書いたので、大丘忍が、ごはん村の新しい村長になった。
「みなさま。みなさまのご期待とあれば、僭越ながら、お引き受け致します。僭越ですが、私は、ごはん村の発展のために微力を尽くさせて頂きます」
と大丘忍は新任の挨拶で述べた。
こうして大丘忍は、ごはん村の村長になった。
ごはん島に平和な日々が訪れた。
という小説を書きました。
HP浅野浩二のHPの目次その2にアップしましたので、よろしかったらご覧ください。
「ごはん島に来る女」
日本の近海に小さな離れ島がある。
その島は、ごはん島といって日本に属さない独立国だった。
そこには人口100人程度の人が住んで村社会を営んでいた。
無名の小さな島なので日本では、あまり知られていない。
いつから、この離れ島の村社会が出来たか、その起源はわかっていない。
しかし、一説によると、平家の落人が源氏の追手に殺されないように逃げて来たのが由来という説もある。
ここの村社会では、皆が農耕を営んで自給自足の生活をしていた。
しかし、この村社会には、昔から一つの風習があった。
それは小説を書くということである。
別に小説など書かなくても、生きていけるのに、どんな村社会にも、風変わりな習慣はあるもので、この村の住民は、みな小説を書いていた。
そして、それを皆で品評しあっていた。
ごはん島の住民は、皆、性格が優しく、ごはん村は、極めて平和な村社会だった。
しかし、困ったことが一つあった。
それは、ごはん村には医者がいないことである。要するに無医村である。
そのため、急病人が出ると、最寄りの医師がいる島に、モーターボートで救急搬送された。
しかし脳卒中や心筋梗塞などでは、間に合わず、ゴールデンタイムを逃して死亡してしまうケースも多々あった。
「この村にもお医者さんが居てくれたらなあ」
と、ごはん村の住民は、ため息をもらしていた。
そんな、ある時である。
ごはん村に嬉しい知らせが来た。
「おい。喜べ。ごはん村にお医者さんが来てくれるらしいぞ」
「本当か?」
「ああ。本当だ」
「で、どんな医者だ?」
「なんでも、京都大学医学部を卒業した優秀なお医者さんらしい」
「へー。それは助かるな」
などと村人は期待を持って、ごはん村に医者が来るのを待った。
それから一カ月が経った。
一週間に一度の定期船が、ごはん島にやって来た。
それには、ごはん村の島民が待ちに待った医師が乗っていた。
ごはん村の島民は全員、浜辺に集まっていた。
やがて定期船は桟橋に着いた。
身長168cm体重55kgの小柄な老人が定期船から降りてきた。
「あっ。あの人だべ」
「そうじゃ。写真で見たのと同じ人だ」
村人たちが、全員その小柄な老人に駆け寄ってきた。
「ようこそ。はるばる、この僻地の島に来て下さって有難うございます」
村人たちは、皆、小柄な老人に頭を下げた。
「いえいえ。こちらこそ、よろしく。私は大丘忍と申します。長年、連れ添って一緒に暮らしていた妻が死んでしまい、そのつらい思い出を忘れたいために、この島に住んでみることにしました」
「先生は何科が専門なのですか?」
「私は内分泌、代謝疾患が専門ですが、内科、および外科的治療は基本的なことなら一通り出来る自信はあります」
「それは有難い。この無医村は急病人が出ると、半数近くは死んでしまっていたのです」
「そうですか。では、力不足の私ですが、全力を尽くして皆さまの健康に尽くしたいと思います。私は、この島に骨を埋める覚悟で来ました」
大丘忍はそう言って皆に挨拶した。
「さっ。先生。車に乗って下さい。島を出て行った人の空き家がありますから、どうぞ見て下さい」
そう言って島民の一人が小型トラックのドアを開いた。
大丘忍は、それに乗り込んだ。
小型トラックは島の道を走って診療所に着いた。
大丘忍は小型トラックを降りた。
そこには小さな空き家があった。
大丘忍は、その空き家に入った。
「私はここで診療します。レントゲンと手術用具一式は、どうしても必要です。すぐに、取り寄せましょう。あと、薬品も一通り、そろえなくてはなりません」
大丘忍は毅然とした表情で言った。
「有難うございます。本当に、先生に来て頂いて有難いです」
・・・・・・・・・
その晩は村長の家で大丘忍の歓迎会が行われた。
村長の家には、ごはん島の村民が、みな集まった。
晩餐の料理は豪華なものだった。
「さっ。先生。どうぞ」
村長がコップに日本酒を注いで大丘忍に勧めた。
「有難うございます。では、お言葉に甘えて頂かせてもらいます」
そう言って大丘忍はコップに注がれた日本酒をグイと飲んだ。
「ああ。有難いことだ。ごはん島にお医者様が来てくれるなんて。これからは病人が出ても先生が診てくれるけん」
村民の一人が言った。
「みなは知らんじゃろが大丘先生は凄いお人じゃぞ。大丘先生は京都大学医学部をトップの成績で入学され、主席卒業されたお方じゃ。それだけではないぞ。大丘先生は独学で漢方医学も学び、漢方医学にも精通しておられるんじゃ。若い頃は卓球の選手として国体で優勝までしておる。詩吟も、鷹詠館明朋吟詩会の総範師じゃ」
村長が大丘忍の紹介をした。
「へー。凄いお方じゃな。先生。詩吟を聞かせていただけないじゃろか」
「ああ。ぜひ聞きたいな」
村民の皆が言った。
「そうですか。それでは僭越ながら一曲、詠わせて頂きます」
そう言って大丘忍は、詩吟の「川中島」を吟じた。
「鞭声粛粛~ 夜河を過る~ 曉に見る千兵の~ 大牙を擁するを~ 遺恨なり十年~ 一剣を磨き~ 流星光底~ 長蛇を逸す~」
川中島が腹から出された重厚な節で吟じられた。
皆はあっけにとられて我を忘れて聞き入ってした。
パチパチパチ。
村民の皆が拍手した。
「いやー。素晴らしい。心に沁みる」
「先生。もっと詠ってくだされ」
村民の要求に応えて大丘忍は、
「わかりました」
と言って。
江南の春。白帝城。名槍日本号。寒梅。春日山懐古。春暁。
も吟じた。
「いやー。素晴らしい。こげな、いい先生に来てもらって、ごはん村は大助かりじゃ。有難い。有難い」
皆は涙を流して喜んだ。
「皆は知らんじゃろが大丘先生は小説もお書きになられるんじゃ」
村民が言った。
「へー。すごいな。ごはん村では、昔からの慣習で、二週に一作、小説を発表することになっているんでな。じゃあ大丘先生にも二週に一度、小説を発表してもらおう。それと、どうか皆の書いた小説にも先生のアドバイスをしてくんしゃれ」
村民の一人が言った。
「わかりました。僭越ながら微力を尽くしたいと思っております」
大丘忍の態度は紳士そのものだった。
大丘忍の歓迎会は夜おそくまで行われた。
夜も12時を越したので、村長が、
「では、夜もおそくなりましたので、大丘先生の歓迎会は、これで、おひらきとさせて頂きます」
と言った。
あー楽しかった、いい人が来てくれたもんじゃ、と言いながら、ごはん島の島民は村長の家を出て帰途に着いていった。
雲一つない夜空には満月が出ていた。
・・・・・・・・・・
翌日から、大丘忍の診療所ができた、ごはん村の生活が始まった。
といっても、ごはん村では、滅多に病人や怪我人が出ることはなかったので、大丘忍の生活は大阪でクリニックの院長をしていた時と比べて、のんびりしたものだった。
大丘忍は律儀な性格なので、ごはん村の慣習に従って、2週に1作品、小説を発表した。
大丘忍の小説は自分の生い立ち、や、医学部時代のこと、医学部を卒業して医者になって経験した事を元にしたフィクションの小説が多く、また長年、連れ添ってきた、かけがえのない妻の死を悼んで、最愛の妻との楽しかった日々のことを小説風に書いたものが多かった。
古風な文体だが、大丘忍の小説は医療界のことを知らない島民には新鮮味があった。
しかもストーリーもちゃんと完成させているので、ごはん島の村民は大丘忍の小説を面白い、と言って読んだ。
また、大丘忍は、ごはん島の村民が書いた小説にも目を通し、適切なアドバイスをした。
それまで、ごはん島の村民は他人に作品をボロクソにけなす批評が多かったが、大丘忍はおおらかな性格だったので、そんなことはせず、適切な批評をした。
いい人が来ると、その人の影響で周りの人も良くなる。
ごはん村の住民の心は、大丘忍の影響で、なごやかになっていった。
大丘忍が、ごはん村に来て1年が過ぎた。
ある時、ごはん村の村長が急性心筋梗塞を起こした。
知らせを聞いた大丘忍は急いで駆けつけたが、もうその時には、村長は死んでいた。
村長の葬式が行われた翌日、
「今度は誰に村長になってもらうべ」
と村民は困惑した。
「そんなこと、悩むに値しないことだべ。大丘先生に村長になってもらうべ」
と村民の一人が言った。
「おお。そうじゃ。大丘忍先生に村長になってもらうべ」
と皆、異口同音に言った。
反対意見を言う者はいなかった。
「しかし、一応、法にもとづいて選挙をしよう」
ということになって、新しい村長を選ぶ選挙が行われた。
結果は村民全員が大丘忍と書いたので、大丘忍が、ごはん村の新しい村長になった。
「みなさま。みなさまのご期待とあれば、僭越ながら、お引き受け致します。僭越ですが、私は、ごはん村の発展のために微力を尽くさせて頂きます」
と大丘忍は新任の挨拶で述べた。
こうして大丘忍は、ごはん村の村長になった。
ごはん島に平和な日々が訪れた。