私たち衆生は「人」を認めてから、「生きている」と、こういいます。
あるいは、人間(にんげん)の機能がなくなった人を「死んだ」と
いいます。
もともと、「いつから私たちの生命が始まったのか」ということは
わかりません。
私が「私」というものを認めてから、そういうものが始まってきた
わけです。
ですから、同じ因果の法則に従って、ある時は「人」になり、
ある時は「樹木」になり、さまざまな形が出来上がって来ている
ではありませんか。
元を正せば皆、「四大」です。
「地・水・火・風」です。
ですから、「見性」というものが、どうしても必要になって
くるのです。