求心7
2017年11月10日 | 禅
「こういう状態になりたい、こういう坐禅がしたい」という
「潜在的な求め心」はなかなか取れにくいものです。
「煩悩(貪顚痴・とんじんち)」の「貪(むさぼる)」という
ことになってくるわけです。
どういうことかというと、「不安」があるということは
「安心」ということがどういう状態かわからないからです。
考えとしては「安心」というのはこういう状態であろう」と、
自分で想像しているわけです。
「こういう状態になりたい、こういう坐禅がしたい」という
「潜在的な求め心」はなかなか取れにくいものです。
「煩悩(貪顚痴・とんじんち)」の「貪(むさぼる)」という
ことになってくるわけです。
どういうことかというと、「不安」があるということは
「安心」ということがどういう状態かわからないからです。
考えとしては「安心」というのはこういう状態であろう」と、
自分で想像しているわけです。