活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「生きている」ということ3

2017年10月17日 | 仏教

人間にはどうしても「煩悩」があって、いくら「事実のまま」

と言われても満足(納得)出来ないのです。

 

ですから、どのようにしたら今のこの働きのままの自分(事実このまま)

というものを、満足(納得)させることが出来るだろうかという

生き方を探ることになるのです。

 

これは、「貪顚痴」という「三毒」の煩悩の中に入ってしまう

わけですけれども、本当は「生き方」というものは探れるもの

ではありません。

 

「生き方」を求めて一体何を満足(納得)させるのでしょうか。

 

いわゆる「六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)」という人の機能

というものを「生き方」によって満足(納得)をさせるのか、

という当然そういう問題になってこなければなりません。


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