活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

因果論 1

2015年03月22日 | 仏教
「過去の因を知らんと欲せば、現在の果を見よ」 という言葉があります。

過去にどういう因縁があったかということを知ろうと思う人は、今の結果を見てごらんなさいという事です。

必ず過去の原因によって、今の自分の状態が現れているという事です。

そして現在の事が既に原因になって将来の結果を生む訳です。


私達は、息をに吐いたままでは居られません。必ず吸わなければ死んでしまいます。

ですから、【私達の命は、吐く息と吸う息の間にだけある】ということです。

したがって【人間(にんげん) は、いつでも新しく生まれ変わっている】訳です。


私達は、習慣でどうしても「此の物 (自分自身) 」を無条件で認めがちです。

何故ならば「ものが “ある” 」という考えのなかに生まれてきたので、 “ない” ということは普通では考えられないのです。


人が認識を起こして認めることの出来る時間というのは、必ず過去の過ぎた事、まだ来ない未来の事だけなのです。

人間は、相対的な二つの考えを同時に考える事は出来ません。

ですから、ものを比較して見る (善悪を比較して見る) という事は、本来不可能なことです。


ところが、「ない」ものを「ある」と認める「我見 (がけん)」というものが中心になって、善悪を比較して見る習慣性がついてしまっています。

その為、人の考えとして、悪いものをなくしてしまえば、あとは善いものだけが残るだろうという考えになりがちです。

ところが、対照として善悪がある訳で、【悪いものがなくなれば、当然対照になる善もありません】。

一方がなくなれば、片方もなくならないといけない訳です。


おシャカ様の教えというのは全て「結果」からものを見て説いています。

ですから【結果に至らない者】が、おシャカ様の教えだけ見て【分かった、分からない】という事は本当はあり得ない事です。





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