仕事で名古屋には何度か来ているが、名古屋大学での仕事は久し振りだ。名古屋大学は僕の母校で、卒業してからも縁あって、3年半ほど仕事で派遣されていたから、8年近くこの辺りにいたことになる。前回、ここに来たのは2009年のIGB総会の時だったから、もう7年が過ぎていることになる。年月の過ぐるは風の如し。その間にこの場所で同じ空気を吸って過ごした友を亡くしている。
久し振りの豊田講堂前の芝生は青々としていて、何故か、若い親子が遊んでいる。
あ、学生もいる。
仕事は出身の講座とは関係なく、2時間ほどで終わった。さて、同僚達は地下鉄に乗って真っすぐに帰宅するようだ。ちょっと、大学の中を歩いてから帰る、といって別れた。本当は誰か残れば、駅前で飲んでから帰ろうかとも思っていたけれど、つまらない奴らだ。
さて、大学3年、4年の頃にうろついていた辺りを歩いてみた。理学部の建物は残ってはいたけれど、8年前とはまた、随分と変わっていた。
これは理学部化学科の学生実験室のあった辺り。建物の外壁や周囲はタイル張りになっていて小奇麗になっているが、何とも無骨な補強がされている。最近の耐震基準に合致しなかったんだろう。中を覗いてみると学生実験室ではなくて、図書室に変わっているようだ。この建物の2階が学部時代に僕が過ごした場所なのだが、化学科はどこかに移ってしまったようだ。
それでも、暑い真夏にフキノトウの抽出のために籠った「抽出小屋」は残っていた。
一見、綺麗に見えるけれど、中を覗いてみると昔のまま。今は何に使われているのだろうか。
この入口から研究室へ2年間、通ったのだが・・・・、今は化学科の天然物化学は何処へ・・・・・。
理学部化学科のあった場所から、その後派遣された農学部に向かうのだが、昔は空き地だったところは建物が幾つも建っていて不思議な気分だ。ビルの間の道の向こうに見覚えのある生協の食堂が見えた。
その新しくできた右手前の建物に入って案内板を見ていると、化学科はこの建物に入っているのか。教授陣の中に一年後輩のO君の名前を見つけた。講座名は聞いたことのないようなものばかりで、浦島太郎状態だ。
理学部はノーベル賞受賞者を何人も輩出して、予算が沢山集まるようになったのか、随分拡張しているように思えた。
その後、農学部の建物に辿り着くが30年前とあまり変わっていないような・・・・、嬉しいような、悲しいような。もう、知っている人もほとんどいないから、そのまま、大学の裏から出て東山公園の前にある駅に向う。駅に向う道の両脇は驚くほど変わっていて、一体何のために立っているのか分からない円柱状の建造物とか・・・・
右後方に見えているのが農学部の建物。木が大きく育っていて建物がようやく見える位になっていた。
昔が思い出せないほど新しい豪邸が続いていて、昼飯にスパゲッティーナポリタンを良く食べに行った喫茶店とか、癌で死んでしまったサンダー杉山の家とか、もう何処にあるのかも分からなかった。
さて、名古屋駅で「世界のやまちゃん」で手羽先でビールでも飲もうと思っていたが、暑い中を独り歩いていて疲れてしまい、そのままのぞみに乗って帰って来てしまった。
最近、なかなかブログを書く気力が起こらず、サボっていると、入院してるんじゃないか、死んでるんじゃないかとか心配されるから、もう少しマメに書きたいと思う。日記だから、細かく書き留めようと思うと尚更遅れてしまう。