ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

放送の難しさ

2010-11-30 09:01:23 | 日記・エッセイ・コラム

 いつもそうだが、事前にシナリオを書いてそれを基に話を進めていくのですが、かなり前に書いて持って行きますので、当日再チェックをして修正してマイクに向かうことになります。昨日のように大雪になると、季節の話をその瞬間に変更しないといけない。わずか3分間に。毎回同じことを話すわけにいかないし、政治の話もあまりしたくない、となると、つい自分の周囲に起こったことなどを思い出して話すことになります。 臨機応変に話すには、相当のニュースをインプットしておかないといけないというわけです。

 来週は近くのレストランの管理職の方をゲストに迎える予定で、直接店に行き、出演者と打ち合わせをしました。しかし、行った時間が12時30分ころで一番多忙な時間に行ったためにほんの数分話しただけでした。もちろんだいたいのシナリオを渡したのですが、どんなイメージを彼が持って出てくれるか、「僕初めてでるのです」と笑顔で応えてくれましたが、かなり自信がありそうな雰囲気でした。

 若くてもお客様相手の仕事を取り仕切るわけですから、いろんな場面を見てきているでしょう。サーヴィスのあり方やトレーニング、さらに料理の進め方などレストランの裏表を聴かせてもらえるのではと期待しています。

 案外こうした話の方が、リスナーにとっては聞きよい話かもしれないと思うのです。門外漢の僕がどんなことを重点に伺うか、自分が店を経営しているような立場で楽しく話してみたいと企画しています。それにしてもこの大きなレストランの中堅管理職の男性はまだ20代後半か30代はじめといった若さみなぎった青年です。また機会があればお聞きいただきたいですね。

やさしいタイガー


ついに大雪の朝が

2010-11-29 09:16:09 | 日記・エッセイ・コラム

 夜中にしんしんと降り続いていた雪は、朝には辺り一面、白銀に染めたような風景です。電線にも積もっていて、いよいよ長いスノーシーズンの始まりのサインかもしれません。窓から雪の降る風情を見ていると、まるで街が一変したような不思議な世界です。

 毎年のこと、とはいえ、着るものから靴に至るまで考えなければなりませんから、出かけるときは大変です。今日も定例の放送の日です。まもなく出かけるのですが、気が重くなります。問題は道中です。部屋に入ってしまえば暖房の暖かさにありがたさを感じるのですが、15分も歩けばもう身体が冷え切ってしまい、とても寂しくとぼとぼ歩く自分を惨めに見てしまいます。

 しかし、こうして決まったときに雪が降り、いつしか雪も消えかかってくると、やっと春が近いね、と少し喜びを感じるのです。一説によると、もう100年もすると、ほとんど雪が降らなくなって関東くらいの季節になり、それは同時に「水」が無くなるということを意味しているとの話を聞きました。異常気象は徐々に私たちの地球から「水」を枯らしてしまうらしいのです。

 寒さにはいささか閉口しますが、決まった季節に雪を降らせてくれる自然の導きは、きっと神様の分野だろうと思うと、この雪もいやがらずに雪とともにシーズンを楽しく過ごしたいものだと心を入れ替えて窓の外を眺めています。

やさしいタイガー


国や人はなぜ敵を作りたがるのか

2010-11-28 09:32:56 | 日記・エッセイ・コラム

 どうして人間や国は、敵を作りたがるのか、人間の業のようなものを感じてしまいます。何も相手に敵対していないにもかかわらず、理由なく敵対視されてしまうのです。これはとても不思議なことだし、悲しいに違いないのです。仕方がないではすまないと思うのです。そんな相手を受け入れていくということは難しいことだし、寂しさを感じることでしょう。

 朝鮮半島は休戦以後、最高の緊張感に包まれています。どうしてこういうことになるのか。もはや両国の間には、理由もなく敵対視し、むしろ対立の感情は深くなるばかりです。同じ民族なのにどうして?と考えますが、僕が経験した中で、韓国人に絶対北朝鮮のことを話せないということです。対立よりも怨念を抱いているからです。背景にはいろいろあるのでしょうが、過去を知らず、未来を託すべき若者もいつしか敵対視するような教育を徹底されているのでしょうね。日本も安閑としているわけにはいかないような気がします。

 最近では「見えない敵」という言葉が生まれています。もちろんこれは2001年9月のアメリカへのテロ行為から出てきたものでしょうが、個人としての人間の社会でも同じことで苦しむ人が増えているのです。他者を愛するということのいかに難しいかを教えられます。悲しいかな敵のように扱われてしまうのです。孤独に陥るのもそうしたことの結果なのです。

 私たちの小さな生活の周囲でも、大きな世界でも仲間を作るより、敵を作るということに興味が高いのかもしれません。人を見るというのは、マイナスよりもプラスをを見るということに徹することが重要だと思うのですが、理屈ではわかっていても、感情がそうさせないのでしょうね。まずはそれにはまず自分とはどういう人間かをきちんと自覚し、行動することではないかとぼくは思っているます。

やさしいタイガー


人の好き嫌いによる人間の器

2010-11-27 10:01:23 | 日記・エッセイ・コラム

 近年ネット産業が盛んになってきてからだろうか、若手の経営者が多くなって経済界に少なからず貢献しているように思います。だいたい、この種の産業は大手より、個人経営的な企業が多いようです。何もかもすべて自分の決済力で動いているケースが多いようです。

 そういうタイプの人の中には即決力はあっても時がたつとすぐに以前の決定を覆してしまうのも気にならないタイプです。従って周囲の意見や進言にあまり耳を傾けるといった熟考型ではないようです。それゆえに、相手の好き嫌いが目立ち、自己中心型になる傾向にあります。

 自分の意見や志向していることが正しいと信じ込むのは悪くはないのでしょうが、能力をどんどん発揮できる社員は、そうした独善的なタイプについて行くことができず、仲間から去っていきやすいのです。やがて自分で行く道を選ぶのでしょう。もちろんそれで成功する人や失敗する人がいるのは当然ですが。 

 こういうタイプの経営者は自分の企業以外の集団や組織においても、身についた一つの価値観の押しつけが目立ち、周囲との調和がとれなくなっていきます。チームワークを乱すというのはそういう環境の中に生まれやすいのです。

 自分を時と場に応じて柔軟に対応できない人は、多くの場合仲間を尊敬し、謙虚な姿勢で他者の意見を傾聴し、相手を受容することができないタイプに多いのです。企業の集団は我慢という一言で受け入れていくのですが、利害の伴わない集団は自己犠牲や受容の姿勢がないと成り立ちません。

 人を好きか嫌いか、を何かの理由や基準で判断して心を閉ざしてしまったら、もう人間関係の糸は切れていくばかりです。周囲の人に迷惑をかけていることに気づかず、戸惑いを与えるような人には、もはや誰も友としての存在から外してしまいます。冷静な人はこの人はもう聴く耳を持っていないと判断され、人間の器を決めてしまいます。

 ぼくも時々、この人は僕に対して無関心か、好き嫌いの感情を読もうとすることがあります。それは仕方のないことでしょう。あまり親しいと感じてくれない人と接することは、親しい人に比べると、重たいストレスを感じ、気分が優れなくなることもありますが、そんなとき、ただ静かに自らを振り返るというかなり無理な姿勢でいる自分を見ます。人間というのはとても複雑にできていています。嫌いだけど、好きなような態度を見せる人、本当に嫌いなのか、まったく無視した態度の人も出会います。

 そんな自分を哀れに思うこともありますが、これもまた人生の中の一こまなのでしょうね。人を嫌いになることは簡単でも、好きになるということはとても難しいことですね。

やさしいタイガー


うれしい歯なし

2010-11-26 08:24:14 | 日記・エッセイ・コラム

 特に歯のどこが痛いとか、おかしいということはなかったのですが、とても気に入った歯科医院だったので数回通いました。そして昨日で完了したとの話でるんるん気分で次の予定に向かいました。

 年齢にしてはよく手入れができていて、これはとてもよいことなのでこれからも大切にしてください、と励ましを受け、今度はメインテナンスを十分配慮して、と助言もいただいてきました。治療していただいた結果をきれいなカラーの詳細な報告書に書き込まれていて、自分の歯は10年や20年は十分持ちますから、という話でした。

 ぼくは歯の前にいのちが持つかどうかですね、と冗談に先生に話したらにこにこしてどう答えてよいいか戸惑われたような表情でした。この年齢になると、いろんな身体の部品が傷みかけます。万全な人って珍しいくらいです。そんな中で一つでもグッドの回答をいただくと、急に元気なったりして不思議なものです。

 また感謝が一つ増えました。この気持ちでこれからも元気で過ごすことに努力したいと我が身に言い聞かせた一日でした。

やさしいタイガー