ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

友人のヨーロッパ旅便り

2011-03-31 10:30:31 | 日記・エッセイ・コラム

 神戸の友人から、フランスワインが届きました。帰ったばかりで時差ぼけしていますといいながら、すぐにワインを贈ってくれた友情の熱さに感謝しつつ、もう早速いただいてしまいました。

 本当はニュージーランドに行く予定ですべて払い込んでしまった後に大震災が起こり、キャンセルもやむをえないと思っていたら、同額でヨーロッパ旅行があるがどうかとの旅行社の誘いでそっちのほうに変更してスイス、ドイツ、フランスなどを巡ってきたというのです。

 素晴らしい旅をしてきたそうで、感想文は跳ぶような勢いで書かれていました。スイスの自然の豊かさと美しさに惚れ惚れし、ドイツの伝統を護り育みに感心し、プライドの高さを感じたことでしょう。スイスからフランス・パリまで列車で楽しみ、待望のパリに着いたときには、現実の世界を旅しているのか、それとも夢かと思ったと感動ぶりを伝えてきました。ルーブル美術館ではモナリザの前で写真を撮ってきたらしいのです。さすがに自由の国ですね。どこかの国のようにお堅いことばかりいう差はなんでしょうね。

 すぐに電話をくれた声はまだ興奮覚めやらず、といった弾んだ声でしたが、帰国して広がる大災害を思い、貧者の一灯だと早速募金のために送金したとも話してくれました。いささか気が引けるとまでいう誠実な友人ですが、そうして自分の精神状態を充たしながら、溜まった鬱積を吐き出している姿は、まだ不安定さを覗かせます。

 違った世界を見て、改めて自分を見るということは大切なことでそこに成長のステップがあるのでしょうか。ちょっぴりうらやましく思いますが、苦悩を乗り越えようと懸命に自分のこころと闘ってきたいっときの時間を意義あるものに取り替えようとする今の彼の生き方に安堵の思いをしています。

 彼とはもう40年以上も前からの友人です。ワインの味はまた格別でした。

やさしいタイガー


若い人の社会の見方

2011-03-30 09:47:32 | 日記・エッセイ・コラム

 今週の放送は、大学4年生の若者に出ていただき、多少真面目すぎるくらい固めの話をしました。彼は食品流通学を勉強していているとのことでした。4年になって教育実習の必要性から、デイケアセンターと韓国旅行をしたそうですが、それではその二つに絞って話をしましょうということで一所懸命熱を込めて話してくれました。

 彼は初めにデイケアセンターに行ったそうです。初めて触れる大勢の年配者に圧倒されながら、生きるとはどういうことか、老いるとは、など自分に照射しながら未来の自己を見つめるきっかけになりました、と語ってくれました。そしてそこで働く若いスタッフの溌剌として活動に感銘を受けたとも話していました。若い目に飛び込む一つ一つはとても新鮮で滅多に年配者と話す機会がないだけに、若者は大いに刺激を受けたようでした。

 もう一つの話題は韓国旅行の話でした。1週間ほどの短い滞在中に見た韓国は、まだ近くて遠い存在という印象を受けたそうです。その中であえて独立記念館を2度観賞し、生々しい戦争中の日本軍の行った行為を歴史的に、そして人間的な視点でしっかりと見つめてきたと話し、こうして事実を大学に入って初めてしることに恥ずかしさを感じたと漏らしていました。そして戦時下に日本軍が強制連行した若き女性を「慰安婦」として屈辱的な働きを強要した事で心の傷は生涯拭い去ることは出来ない、とオモニたちの表情からは、とても悲痛な叫びとも取れたと話してくれました。

 その人たちはもう人生の晩年近くなって、ともに共同生活する施設にいるのですが、彼は今の韓流ブームで浮き立つ若者とは違う印象を持ったとも話してくれました。オモニたちは「あなたたち若い人たちは、二度とこうした人間が一生哀しむような場面を作らないように」と逆に励まされました、と思い出すような表情で話してくれました。

 放送を終えて近くのレストランでお茶を飲みながら、ご苦労様会をし、話の続きをしました。ものすごい吸収欲をもっていて、僕のようなまさに老いたる人の体験談や考え方を一言ももらすまいとするような姿勢に感服しました。わたしたちは大いに戦時中の日本について語り、以下に戦争の爪あとが残っていくか伝えていくべき責任があるように思いました。

 4月になり、また彼は大学に戻り、就職活動をするそうですが、これまた高いハードルに戸惑いながら、どうにかしてそれを乗り越えていく力を少しずつ確かなものにしていくのだと思いました。それが成長というのでしょうか。

やさしいタイガー

 


春の選抜東北高校夏に

2011-03-29 08:47:01 | 日記・エッセイ・コラム

 春の高校野球の1回戦の最後の試合が宮城県から出場した東北高校と大垣日高校との間でありました。残念ながら敗退し、夏に向けてまた厳しい練習をして甲子園に勇姿を現してほしいと願います。彼らは練習する場もなく、被災地の人びとのためにボランティア活動を続けていたそうです。

 しかし大勢の被災者から励ましを受け、ぜひ試合をして自分たちを元気付けて、との声に動かされて甲子園にやってきて、そこで練習をしていたようです。全力で戦い、負けはしたものの見ていた観客は「一生懸命の姿に私たちも負けないように希望を持った。」「生きる勇気を与えてくれてありがとう」と涙を流すお母さんたちの姿が感動的でした。

 試合を終えた両校はホームベースで挨拶を交わすとき、東北ナインから「ありがとう」の言葉をかけられた相手高校の選手は「自分が同じ立場だったら、いえただろうか。感動して思わず涙が出そうになった」と漏らしていたそうです。勝った高校のキャプテンは「大変な中、全力で戦った相手はすごい。次戦からは東北の分もがんばりたい」と敗者をたたえた、と時事通信のネットで読みました。

試合後、東北高校の選手は、ふるさとに戻ってボランティアをします、と話していました。まさに汗と涙の試合でしたが、全身で取組む若者たちは、多くの人びとに希望や明日に向けて進もうとする力を与えたに違いありません。きっと生涯の思い出になったことでしょう。人のために役に立とうとする姿はどこか輝いているように思いました。

やさしいタイガー


医 職 住 育の必要性

2011-03-28 09:29:26 | 日記・エッセイ・コラム

 空は晴れても心は闇よ、と被災地で過ごす方も多いことでしょう。一向に改善されない方々のイラつきはもうピークに達しています。過去の大災害から何を教訓として為政者たちは学んだのでしょうか。

 次々とテレビに出る研究者や学者のコメントは多分もっともだろうと思いますが、これだけの知性を有する日本という国は、なぜそうした力を生かそうとしないのか、不思議でなりません。政治の世界が一番えらいと思っているのでしょうが、一番不勉強と判断力のなさの存在ではと思います。

 昨夜のテレビで関西学院大学の先生がこうした災害の時に何が大事かといえば「医・職・住・育」だと主張されていました。まさにその通りだと思います。もちろん最初に確保すべき課題は「衣・食・住」ですが、解決している町や村はまだ一つもありません。役所ごと集団移転する町もありますが、それでも生まれ育った町を離れたくないと廃墟で最後を迎えることを願う年配者の方は、悲痛な叫びに聞こえます。心が傷みます。居るも心配、出て行くのも心配。

 今回の震災は三重苦を人びとに与え、この影響は世界中に広がりました。大学jの先生の言う「医・職・住そして育」の発想は多分阪神大震災からの教訓でしょう。人間は危機に陥った時に思わぬ建設的なアイデアが出るものです。しかし、世の中が少し落ち着くと、心理的には離れませんが、つい手を抜いてしまってまた同じ過ちを繰り返すものなのです。本当に誰の責任なのでしょうか。

 その筋の専門家たちは、もっと声を大きく出して憂国の救済のために知力を発揮してもらえないものかと歯がゆく思います。ぼくたちは市民としての役割を改めて深く学び、どんなお役に立てるのだろうかと、4つの課題の中にヒントがあるような気がします。

やさしいタイガー 


見えてきた復興への道

2011-03-26 09:10:49 | 日記・エッセイ・コラム

 大震災の爪あとはいつ元に復するのか、新しい生活のリズムを取り戻せるのかいつなのか、先行き不透明に見えます。被災地の方々は決して安心して日々を送っているわけではないのです。でもその中で現実をそのまま受け入れ、もう一度0から創めるしかない、と心の整理をつけようとする方も目にするようになりました。

 本当に何もかも失い、まさに命だけは持ちこたえたと思われた方の諦めから密かな希望へと歩もうとする方々の勇気と力に寄り添っていきたい思いになります。

 ぼくが所属する大きな組織も委員会を創り、救援活動を取り始めました。東北・関東にも多くの友情あふれる人びとがいます。そうした中には自宅を失い、家族の行方がまだわからないと思われる仲間もいると思いますが、それでも自分をさしおいても日夜懸命に救援のために努力している姿を想像するだけで、胸が苦しくなります。

 しかし少しずつ復興への道を見出し、自ら立ち上がろうとする人が増えるにつれ、人間の力強さ、生きる望みを捨てない不屈のこころを思います。高校野球を見ていた被災地の人たちは高校生の溌剌とした姿を見て、元気をもらいました、と笑顔で答える人の声を聴きました。久しぶりの笑顔です。試合に出た高校生は地元のことに思いを寄せながらも一所懸命野球に取り組み、少しでも被災地の方々に元気になってもらいたいとの祈りを持って試合をしたのでしょう。

 人間はちょっとしてきっかけで ”よし、やるぞ” という動き出すエンジンを持っているのだと思います。悲しみが覆いかぶさっても、それを越えていこうとする思いと力が備わっているから、希望を失わずに時を過ごすことができるのではないかと思います。

やさしいタイガー